ちなみに引けなかったので引退しまむら。
絶対誰も話の展開覚えてないだろうから一話から読み直してどうぞ。
ズドンッ、という音がターフに響いた。
少なくとも宝塚記念を走る十四人のウマ娘たちの耳には確かに届いた。
マルゼンスキーが加速するために踏み込んだ音かと多くの者が推測したが、発生源は列を構成したウマ娘たちの中で後方。
思わず音の発生源を確認しようと視線を向けてしまうような異音。奏でたのはナイスネイチャで、その音は悪意しか込められていない
速度を上昇・維持させることに適さない強烈な垂直方向への足の振り下ろし。ウマ娘の人間離れした脚力を以ってターフを蹴るのではなく踏み抜くことに特化させた一撃は明確にナイスネイチャを減速させる。
それでいいとナイスネイチャは心底から考えていた。
やられた――とマルゼンスキーは思った。
直前まで気配を消しておくことで自身が『領域』に入ろうとする瞬間を狙い撃った妨害目的のアンブッシュ。
見据えておくべき対戦相手を失念していたという精神的な焦り。
レース中に起きた聞き慣れない異音への反射的な視線移動。
全ての歯車が噛み合い全力で回転を始めようとした刹那に挟み込まれた路傍の小石によって、マルゼンスキーが『領域』に至るためのスイッチは切り替わることなくブレーキが踏まれた。
一挙手一投足が最高率で噛み合うことで生まれるスーパーカーの如き最高速。それはつまり、僅かなズレさえも許容できないということだ。速ければ速いほどに、ほんの少しのハンドリングミスやアクセルとブレーキの踏み加減がクラッシュに繋がる。レーススタート時のローから数十秒を掛けて徐々にギアを上げていくという基本はマルゼンスキーであっても変わらない。一旦崩れてしまえば再度スパート中に立て直すことなど出来よう筈もなく、後輩虐めにやってきたOBに一泡吹かせられたかに見えて――。
一秒後に、マルゼンスキーはギアを入れ直してみせた。
■
(亀の甲より年の功ってやつね……ちょっと年寄臭いかしら?)
『領域』に入ろうかという瞬間、頭の上から冷や水を浴びせられたマルゼンスキーは動揺しながらも過日のレースを思い出していた。
才能ある可愛い後輩たちがドリームトロフィー・リーグで自身を打ち負かすために講じてきた手段。その中で有効だったのは今まさにナイスネイチャが実行したのと同系統の手段だ。
(ここまで悪意テンコ盛りではなかったけれど)
例えば"皇帝"と呼ばれるウマ娘は生まれ持ったカリスマを応用することでマルゼンスキーを
例えばかつてのマルゼンスキーと同じく"怪物"の名を戴いたウマ娘は烈火の如き闘争心を浴びせ続けることで最後まで『領域』に至るスイッチを入れさせなかった。
過去に敗北を経験させられた技術を行使してきたという意味ではナイスネイチャの選択は正しかった。だが、過去に
マルゼンスキーは楽しく走ることができればオールオッケーなウマ娘だが、それは学習しない訳でも成長しない訳でもない。彼女もまたアスリートとして敗北から学び、ナイスネイチャによって齎された窮地に於いて過去の経験を活かした。
嚙み合わなくなった歯車を直すため、確かにマルゼンスキーはブレーキを踏んだ。しかし、それは足を垂直に振り降ろしたことで結果的に減速したナイスネイチャとは全く異なる動きだ。
ブレーキのために出した足をメトロノームの支点のように使い、マルゼンスキーの身体は大きく前につんのめった。傍から見れば止まりきれず、転んでしまったのではないかと錯覚するほどの急制動。
だが、制動によって前傾し顔面からターフに激突するかと思われた瞬間、彼女は再加速した。
あたかも水面の上を走るため、右足が沈むより早く左足を出すかのように極めて力技な対処。崩れた体勢さえも加速の材料とすることで、マルゼンスキーは崩れ切ることなくトップギアへと入った。正しくはトップギアの速度を出さなければ地面に倒れてしまうほど不安定な走行姿勢を強いられてしまった状態だが、それでも彼女は一条の紅い閃光となり、ターフにはテールランプの残光の如く美しい髪が靡いた。
時間にして僅か一秒。
たった一秒限りの減速。
それがナイスネイチャが血反吐を吐くような努力を重ね、南坂が知恵熱を出すほど過去資料を参考にしてタイミングを弾きだし、宝塚記念で惨敗することを覚悟の上で放ったマルゼンスキー対策の成果だった。
その切り札が完璧に決まってなお、『ああなったら誰も勝てない』と評されるスピードへとマルゼンスキーは突入し、共に走るウマ娘たちに絶望を与えると思われた。
しかし、ナイスネイチャは負けたなどとは欠片も考えてはいない。彼女にとって今日のレースは端からレイド戦だ。十四人のウマ娘が協力して大ボスのHPを削りきる戦い。
アタッカーがいて、タンクがいて、ヒーラーがいて、バッファーがいて、デバッファーがいる。その中で彼女は自身の役割をデバッファー兼
オグリキャップから『領域』に入る前兆を学び、過去のレース映像からマルゼンスキーが『領域』に入る条件を徹底的に洗い出した。同時に絶対に勝ちたい
たった一秒限りの減速――ではない。
一秒もの間、後続が距離を詰める時間を与えてしまったのだ。
それは"帝王"を相手取るには、あまりにも致命的な隙だった。
(……っ、テイオーちゃん!)
地面スレスレを這うような低姿勢で走るマルゼンスキー。
対抗するかの如く前傾姿勢を取り、滑空するかのように並ぶトウカイテイオー。
優れた
内に滾った熱の一切を解き放つ超加速。
春の天皇賞ではメジロマックイーンを相手に最後まで詰めることのできなかった一バ身。ナイスネイチャのアシストによって埋められた距離がトウカイテイオーを『領域』へと押し上げた。
■
壁を超えた。
それを強く実感する。
レース中盤時点で気付いた失策。マルゼンスキーにどうやっても追い付けないという確信を抱きながらも諦めることなく粘り続けた走りはギリギリで功を奏した。
スタート直後から『領域』に至るための限界の壁はずっと見えていた。それほどまでにマルゼンスキーというウマ娘が強敵であるという事の証左だが、そこからの展開はメジロマックイーンとオグリキャップ、どちらの強敵と相対した時とも異なった。
壁は見えている。今度こそ迷うことなくぶち当たって突き破る覚悟を決めてきた。
なのに、何時まで経っても壁に辿り着かない。
自分が前に出るだけ壁が遠ざかっていく。至るための最後のピースがどこまでも逃げていく。
(あとハナ差、半歩分……たったそれだけ詰められればいいのにっ!)
余りにも遠い。
決してトウカイテイオーが弱い訳ではない。
マルゼンスキーに一切離されることなく追従できるスピードとスタミナはドリームトロフィー・リーグに未登録のウマ娘としては破格だ。トゥインクル・シリーズの中距離最強は誰疑うことなくトウカイテイオーだろう。
しかし、彼女が今挑んでいるのは日本至上最強格であり、年末にぶつかり合う相手はさらに同格以上なのだ。"皇帝"と"怪物"は全く性質の異なるウマ娘ではあるが、ここでの惨敗は半年後の有馬勝利に大きな不安の影を落とす。
そして敗北とは、彼を奪われるということだ。
(嫌だ、イヤだ、いやだ……!)
それだけは絶対に嫌だ。
それだけは絶対に許さない。
それだけは絶対に譲らない。
沸々と湧き上がる怒りをエネルギーへと変えて速度を上げる。
それでも前を行くマルゼンスキーとの距離は変わらず、壁にも届かない。
そんな苛立ちに歯軋りをしながら追いすがるトウカイテイオー。しかし、状況は更に悪化する。
(このままじゃ、逆に『領域』に入られるっ!)
惚れ惚れするような走りをしながらも油断なく後続を捉えていたマルゼンスキーの意識が収束していくのが分かった。それが余裕を無くしてのことであれば問題ないが、そう都合よく事が進むはずもない。
意識の収束に合わせ、より洗練されていく走り。増していく存在感。
熾烈なデッドヒートこそ『領域』への手掛かりと考えていたトウカイテイオーにとって、それはあまりにも異様だった。
好敵手が居らずとも、競り合いが起きずとも、マルゼンスキーは『領域』に到達する。
それは大きすぎる才能を持ち、好敵手との激闘を知らぬままトゥインクル・シリーズの現役を終えてしまった"怪物"だからこそ成し得る
(負けない……っ! 絶対に!)
今以って全力疾走をした時に掛る足への負担は無視できるものではない。
負傷してしまった時のトレーナーがどんな反応をするか考えることは怖い。
それでも、最良の結果を自分から放棄することだけはしない。
年度代表ウマ娘に選ばれた時、ボクを支えてくれるヒト達に恥じない走りをするとトウカイテイオーは言った。
その言葉に嘘はない。
彼を含めた大切なヒト達のために全力を尽くす。
(そして、勝つんだ!)
――かくして、その想いは届いた。
春の天皇賞と宝塚記念。
そこにあった違いは二つ。
一つはトウカイテイオーが迷うことなく勝利を欲したこと。
そして二つ目は、結果的にメジロマックイーンとの一騎打ちとは異なる介入者が居たことだ。
「はあぁ――!!」
トウカイテイオーは特に意識した訳ではなかった。
負けないため、突き放されないため、何度入れ直したかも分からない気合を入れ直して吼える。
絶望的な状況に直面しても諦めることなく挑み、踏みだした一歩。
その一歩が宝塚記念のレースがスタートしてから初めてマルゼンスキーとの距離を詰めた。
■
「やぁ、レースも大詰めだね」
「えっ、いやどなたさんですか?」
宝塚記念の最終直線。
春天を彷彿とさせるテイオーが前を走る強敵に追い付けない展開。
手に汗を握って声援を上げていた俺の隣から声が掛かった。
結い上げた髪にラフな服装。頭上の耳を折り畳むタイプのキャップを被ってサングラスをかけたウマ娘は一見すると不審者だ。
だが、その声を俺は知っていたし放つオーラも完全に消せてはいなかった。
「……なんの用だよシンボリルドルフ。不審者かと焦っただろ」
俺たちの仇敵がいつの間にか立っていた。
いや、そこまで俺自身に恨みとかはないんだけども。
「本当はレースが終わるまで黙っているつもりだったのだけれどね。この光景を誰かと共有したくて我慢できなかったんだ。申し訳ない」
何の目的で俺の隣に居るのかは分からないが、話しかけてきたのはレースの興奮によるものらしい。
「紅と緋が織りなす疾駆の競演。……私はね、今日のレースでマルゼンスキーが完勝すると断言していたんだ」
異なる二色の鮮やかな赤が眼前を駆け抜けていく。
緑のターフの上を走る赤はまるで炎のように力強く輝いていた。
そしてゴールラインを先に超えた赤は――。
「君たちは何時も私の予測を超えていく。ああ、本当に素晴らしいよ」
心底からの称賛。
感嘆した様子でシンボリルドルフはトウカイテイオーの勝利を褒め称えていた。
「どっかの誰かさんに勝たないと面倒ごとを引き受けさせられることになっちまったからな」
困ったもんだ。俺は自分とテイオーが楽しめればそれで良いと言うのに。
お、勝ったテイオーがこっちに向けて手振ってる。
「カッコよかったぞテイオー!」
声を張り上げるとテイオーは両手それぞれの指を一本と三本上げて満面の笑みが浮かべた。
あれは……っ!
「宝塚記念一着の賞金一億三千万円ッ!」
あばばばばば、慌てるな慌てるな。
俺は教え子であるウマ娘を導く
金銭欲に溺れて我を忘れるなどあってはならないのだ。
「トレーナー君、目が円マークになっているよ。賞金を使った豪遊はほどほどにね」
「ああ、まずは元教え子の実家にツケてる金返さねーとだからな!」
「それは……いや、うん余所様の関係性に口出しはしないけどもね?」
一頻り俺に笑みを向けたテイオーは一緒に走ったウマ娘たちの元へ向かい何かを話していた。
マルゼンスキーの存在によって混迷を極めたレースだったが、終わってしまえばノーサイド。
ターフに広がる雰囲気は決して悪いものではなかった。
「で、お前もなんか用件があるんじゃないのか?」
「おや、敵対している私の話なんて聞く耳持たず逃げられるかと考えていたんだが」
ターフなら一考する余地もないが、人混みの中で障害物走ならシンボリルドルフから逃げられる可能性もあるだろうか。
いや、無理だわ人間がウマ娘に勝てる訳がない。
「お前の夢のために俺とテイオーが欲しいんだって? 正直意味わかんねーと思ってたから詳しく聞いてみたかったんだよな。さっさと生徒会室に突撃しても良かったんだが、お前に会いに行くのテイオーが嫌がるから自重してんだ」
テイオーはともかく俺と同じレベルの人材なんて掃いて捨てるほど居るだろう。
そんなもんのためにテイオーと仲違いしたり、レースの結果で処遇を決めようとするだなんて皇帝様らしくない気がする。
「……トレーナー君は不屈という言葉をどう思っているかな?」
不屈?
その質問が話しかけてきた用事なのだろうか。
「大事なことなんじゃねーの? お前やマルゼンスキーだって負けたことはある。テイオーは怪我でクラシック三冠に挑戦できなくなる寸前だった。誰だって上手くいかない事があるんなら、その時に折れない精神性ってのを試されることも全員にあるんだろうな」
俺みたいに怠惰な人種だとチャレンジ自体しないから挫折しづらいんだろうけど、代わりに大成もしない。
「ああ、とても大切だ。最も重要な才能とさえ言っていいかもしれない。人は弱いからね。どれだけ優れた身体能力と頭脳を持ち、精神性を養ったとしても世界の厳しさに少しずつ心を削られていく。そしてそれはトレセン学園に於いては退学という形で現れる」
それは確かにそうだ。
よく勘違いされるがレース成績が悪ければトレセン学園を退学させられるなどというルールは存在しない。
出走意志自体がないならともかく、負け続けでも在学はできるのだ。
故にトレセン学園からの退学者は、そのほぼ全てが自主退学だ。
レースに勝てず、今後も勝てる見通しが立たない者達が居たたまれなさや絶望から去っていく。
「私はなんとかして去り行く者達を救い幸せになってもらいたかった。けれど、それはおかしくないかい?」
サングラス超しにコチラへと目線を向け、ルドルフは続けて疑問を呈してきた。
だが、何がおかしいのか分からない。
「全てのウマ娘が対象ってのはお人好しが過ぎるだろと思うが別におかしくはないだろ。俺だって目の前に不幸面した連中が
善人面するつもりは毛頭ないが、他人の不幸で飯が美味くなるとも思わない。
ネット上のモンスターとかマスゴミに対してはその限りではないが。
「その飯を不味くしないために行動を起こせることが素晴らしいんだ。……話を戻すが、やはり私の願いはおかしいのさ」
俺の言葉を微笑を浮かべて聞いていたルドルフ。その表情が嘲笑へと変わった。
「だってトレセン学園で最も多くのウマ娘を絶望させたのは
サングラスの隙間から覗く両の目。
そのドス黒く濁った目を俺は知っている。
あの日、沈んでいく夕暮れの中でテイオーが見せた目と同じだ。
コイツは失望している。
だが、その対象はテイオーとは違い他人ではなく自分自身に対してだ。
「去り行く者達を救いたかったのなら最初からレースなんて出なければいいんだ。私の居ないクラシック三冠を誰かが獲り喜んだだろう。私の居た枠に入ったウマ娘が挑む機会を得られただろう。私がレースに費やした時間を彼女たちのサポートに充てていれば飛躍できた者が居たかもしれないだろう」
同期にシンボリルドルフがいる絶望感。以前にそんなことを推察したこともあったな。
まさか当人が同じこと考えているとは思いもしなかったが。
「矛盾している。救うために力と実績を欲し、その過程で誰よりも他者を退けてきた。そうして今、より多くのウマ娘を救うための手段として君とテイオーを力で屈服させようとしている」
会話というよりは独白。ルドルフは零れてくる言葉を堰き止めることができないでいるようだった。
「分かっているんだ。本当に協力してほしいならやり方が間違っていると。なによりもウマ娘の幸福を願うのなら中途半端だと」
嘲笑を浮かべていたルドルフの表情が今度は泣いている子供のように歪み、顔を俯かせた。
「なのに消せないんだ。レースと勝利を欲する
今の俺にとって最も大切と言えるテイオーの勝利。その熱が冷めてしまうほどの悲嘆。
「もう自分独りでは、どうしたら夢が叶うのか分からないんだ。一番多くのウマ娘を
あまりにも見ていられない有様のルドルフに言葉を掛けようとした途端、その顔が上を向いた。
その顔に、瞳に宿るのは濁った黒よりなお黒い――光。
「だから、君たちが欲しい。
爛々と輝く狂気的な光には、普段のルドルフが持つ理性の色が一切感じられなかった。
「マルゼンスキーもシービーもオグリキャップも私の征く道を共に歩いてはくれなかった。彼女たちが隣に居てくれれば伸ばせたかもしれない手を諦めてきた。だが、私を憧れと言ってくれたテイオーと彼女を絶望の淵から救い上げて道を示してみせた君だけは……諦められない」
そう告げるルドルフの異様な雰囲気に思わず後退る。
そんな俺の様子見をおかしそうに眺めながら、
「確かに今日のレースは素晴らしいもので私の予測を超えていた。だが、それでも勝つのは私だ」
先ほどまでの弱弱しさはどこにもなく、最強のウマ娘がそこに立っている。
「君たちに勝ち、君たちを手に入れる。そうすれば……私の夢はきっと叶う」
ルドルフの言葉には、確証ではなく希望に縋り付く必死さが滲んでいた。
そうして言いたいことは言い切ったのかルドルフは踵を返して去っていった。
その後ろ姿を見ながら、俺は思わず呟いた。
「……おいおいヤンデレじゃねーか。俺はそういうの苦手なんだが」
アニメシュヴァちのポエム良かったね。
あと許せサスケ、これで(更新は多分)最後だ。