「――菊花賞は、諦めた方がよいでしょう」
11月の菊花賞を目前とした10月。医者からそう言われた。
ダービーの直後に発覚した軽度の骨折。この時から、医者から諦めた方が良いと言われていたけど、トレーナーに無茶を言って、ギリギリまで待ってもらっていた。
だけど……約束は守らなきゃね。ギリギリまで待つ代わりに、医者に止められたら諦める。
あーあ、クラウディにかっこいい所を見せたかったのになー。
カイチョーみたいに、無敗で3冠を取って、テイオー伝説を残して、それで……それで……リハビリに協力してくれた皆のために……勝って、ネイチャと戦って……。
でも、それも叶わなくて。
前みたいに走ることが出来ない。
約束を果たすことが出来ない。
皆の期待に応えることが出来ない。
それがとてももどかしい。とても苦しい。とても悲しい。
だけどボクには、堪えることしかできなかった。
トレーナーに、諦めることを伝えた。
ごめんね、トレーナー。部屋がゴミだらけになるまで栄養ドリンクを飲んで、ボクのためにいっぱいいっぱい頑張ってくれたのに、ボク、走れないんだ。
ボクが菊花賞を走れない事よりも、トレーナーにこの事を伝えることが、一番怖かった。
トレーナーに連れて行ってもらった菊花賞。ターフじゃなくて、観客席に立つボクは、ゲートに入る皆を見ることしか出来なかった。
諦めたはずだった。仕方がないんだって。
でも、走っているのを見ると、僕ならこうする、こう走るって考えちゃって……何でボクがそこに居ないんだろうって、余計に苦しくなった。
そして菊花賞から少し経って、久しぶりにクラウディと会った。
◇◇◇
私の目の前にいるのは、本当にあのトウカイテイオーなのだろうか。
京都ジュニアステークスの勝利から後日。
並走に付き合ってもらった後、ゴールドシップさんから「テイオーの話し相手になってやってほしい」と言われた。
確かに最近会っていないなと思い、トレセン学園中を探し回ってようやく見つけたテイオーさんを見た時、最初に思い浮かんだのはそれだった。
以前の快活さは見る影もなく、ベンチに座るテイオーさんからは気力というものが感じられない。まるで昔の私みたいに。
「GⅢのレース、勝ったんでしょ? おめでとう」
「……ありがとうございます。その、テイオーさんは」
「うん。菊花賞、出れなかったよ」
テイオーさんが菊花賞を断念したことは、ゴールドシップさん経由で聞いた。
常日頃から三冠を目指しているテイオーの前に立ちはだかった、骨折という壁。
これが菊花賞で敗北したのであれば、まだ気持ちの折り合いもついただろう。
しかしテイオーさんは、走る事すらできなかった。
「これから、どうするんですか?」
「どうしよっか。なんか、胸にぽっかり、穴が開いちゃったみたいでさー。何にも、分かんないや」
無残に夢が終わってしまった喪失感。
きっとそれは多くの人に期待され、そして何より、テイオーさん自身が求めていただけに、大きな亀裂となって彼女の心に生まれたはずだ。
それこそ、学園の選抜レースで勝てなかっただけの私の苦悩よりも、遥かに大きい。
「私は、まだGⅠで勝てただとか勝てなかったとか、よく分からないです。テイオーさんみたいな三冠の目標だとかも、それがどれだけ大事なのかも、私なんかじゃ理解が及ばないと思います。でも、これだけは言えます」
私ごときがあなたの苦悩を察することなんてできない。してはいけない。
でも同じような、レースによる悲しみを知っている私は
「――私は、あなたに救われた。あなたのお陰で、今の私がいるんです。だから、私なんかじゃ、どれだけ時間がかかるかも分からないけど、あなたの背中を追い続けます」
それだけを伝えて、テイオーさんの元から去る。
ただし、寮へではなく、学園へだけど。
◇◇◇
今日の業務を終えた私は、チームメイトのマルゼンスキーとエアグルーヴと共に、学園を歩いていた。
今日のトレーニングは休養と言うこともあり、偶にはこうして友と歩くのも悪くないと思っていた。
そんな折、私は彼女に声を掛けられた。
「……生徒会長さん」
「君は……クラウディか」
小柄な体躯に、真っ白な髪、そして全てを見透かしているような碧眼。
先生と呼んでいるトレーナーの担当である、メジロクラウディだった。
「どうしたんだ? 何か用か?」
「あらなーにー? ルドルフの知り合い?」
マルゼンスキーが声を掛けるも、クラウディはそれを無視して話し始めた。
「生徒会長さん、テイオーとお話ししましたか?」
「テイオーとか? ……その様子だと、今のテイオーを知っているんだな?」
クラウディは静かにうなずく。
「彼女は、自分の気持ちにケジメをつけなければならない。こればかりは、他人が口を挟んでいいものでもない」
七冠を達成した私でも、敗北が無かったわけではない。
必ず、誰しもが通る道だ。そして敗北への折り合いは、自分でつけなければならない。
「なに、テイオーは強い。こんな所で終わるウマ娘じゃないさ。もっと上へあがってくる。だから……」
「――――――本気で言ってるんですか?」
空気が凍りついた。
本気でそう思ったほどに、揺れる前髪から覗く彼女の視線は……冷たかった。
「今の話からして、テイオーさんと話してないんですか?」
「それは……」
「話してないんですね?」
「メジロクラウディ! 会長に向かってなんて口を……!」
「さっき、テイオーさんと話してきました」
クラウディの言葉に、目を見開いた。
……本音を言えば、私はテイオーに声を掛けることを恐れたんだ。
私は敗北こそした事はあるが、無敗の三冠を達成している。テイオーが成せなかったことを、私は成している。
触れれば壊れてしまいそうな今の彼女に、そんな私が気休めの言葉を掛けたところでどうなる? そんなものでは、何の慰めにもならないどころか、彼女を傷つけるだけだ。
ああ、白状しよう。私は怖いんだ。
皇帝として生徒会長の座に立つ私に、周りの生徒たちが向けて来るのは畏怖の視線。挑戦的なものもあったが、私の走りを見た途端に、それらは畏怖へと変わった。もちろん、気安く話しかけてくれる友人はいるが、向けられる畏怖の視線は、増えるばかりだった。
そんな中、純粋な憧れを携えてきたのがテイオーだった。
怖い。もしテイオーから、嫌われたと思うと、胸が痛む。
だから、テイオーを信頼しているような理由を作って、声を掛けることをしなかった。
なのに、目の前にいる人形のような少女は、テイオーと話したのか。
「テイオーさん、言ってました。胸にぽっかり穴が開いちゃったって。何も分からないって。それでも、生徒会長さんはテイオーさんを、
「……ッ!」
「見守ってたって、何も伝わりませんよ。言わないと、口にしないと、思ってることなんて伝わらない。何も言わなくても通じてるなんて、本の中だけです。
信頼しないことが、信頼……か。
「テイオーさんと、話してあげてください。生徒会長さんは、間違いなくテイオーさんの大切な人なんですから」
クラウディはそう言うと、ぺこりと頭を下げて去っていった。
私が、テイオーの大切な人か……今更私にそんな権利があるのか分からないが……いや、権利だとか、そんなことは関係ないか。
「マルゼンスキー、エアグルーヴ。申し訳ないが……」
「はいはい。早く行ってあげなさい」
「私たちの事は、気にしないでください」
「……ありがとう、二人とも」
本当に、私は良い友人を持った。
制服であることも忘れ、私はテイオーを探しに走り出す。
――テイオー、君にもいるぞ。君の心配をしている、かけがえのない友人が。
アニメだと菊花賞が11月になってるので、そうします。