「――やれやれ。探したよ」
やっとのことで捜し人を見つけた私――アグネスタキオンは、ベンチに座ってぼんやりと空を見上げる彼女に近寄る。
「そんなに勝てなかったことが悔しいかい? メジロクラウディ」
「……タキオンさん」
声を掛けたことでやっと気づいたのか、反応した彼女はゆっくりと私に顔を向ける。
その彼女の瞳に、光はなかった。私もよく友人やモルモットくんから「お前の瞳は狂気が滲んでいる」と言われるが……クラウディのはまた別だ。
狂気よりも深い絶望。それが彼女の瞳を満たしていた。
「一体何の用ですか?」
「冷たいじゃないか。君のトレーナーが見つかるまで、共に歩んできた仲だろう?」
「……私は、もう走りたくないんです」
「それは、レースで負けたからかい?」
クラウディは、ゆっくりと頭を横に振った。
「勝てなかったのは、時間もかかりましたけど、受け入れはしました。元々、トレーナーさんからも、勝つのは厳しいかもしれないと言われていましたから」
なるほど。彼女も、この状況を見越してそれなりに手を尽くしていたというわけか。
とはいえ、言葉の選び方はどうかと思うが。トレーナーが勝ちを確信しないとは、負けた経験がそれなりにあるクラウディでなければ、負ける前に壊れてるぞ。
それだけ、あのトレーナーも切羽詰っていたということか。
「ふむ。負けたことを受け入れたのなら、なぜそこまで気に病んでいる? こうして練習にも出ず、ここにいるだけでは勝てないぞ」
「私がレースに出れたのは、いろんな人の協力があってこそです。トレーナーさんやタキオンさん。マックイーン姉さまやテイオーさん。いろんな人たちに支えられて、私はレースに出ることが出来ました。でも、私は負けた。ジュニア級で勝てていたのを、自分の力だと勘違いして惨めに負けたんです。レースで負けたことよりも、勘違いしていたことが、何より辛いんです」
言いたいことは分かるがね。
メジロクラウディは勝てないウマ娘。それを何よりも彼女自身が知っている。
だが実際はどうだ? ジュニア級じゃ全戦全勝。URA賞にも選ばれた。
敗北の経験とは相反する勝利の経験。そりゃだれだって勘違いするだろう。
うーむ。私としては別に気にしない。というか、彼女の周りは別に気にしないだろうがねー。クラウディの優しすぎる性格があだとなった形か。
「私は、みなさんに支えてもらえるようなウマ娘じゃないんです。結局は才能もない場違いなウマ娘だったんです」
……ほーう?
「随分と自意識が高いようで何よりだよ」
「……え?」
「私がわざわざ、君を選んで実験対象にしていたとでも? そんな訳がないだろう。自惚れるのもいい加減にしたまえ」
突然の罵倒に、クラウディは目を丸くする。
申し訳ないとは思わない。彼女の物言いに、少々、
「私が君を実験対象にしていたのは、君がそうしてくれと懇願してきたからだ。あの時、君が来なければ私たちは出会ってもいないし、そもそも赤の他人だ。何せ君は、私が実験対象になってくれと頼むような価値はなかったからね」
「ぁ……」
「しかし」
俯いてしまった彼女の頭に、自分の手を乗せる。白衣で袖がダボダボなのは許してほしいね。
こうやって手を乗せるのは、中々に良いものだ。前にモルモット君にされたときに、それは証明されている。
「ここまで付き合うことになったのは、紛れもなく私の意思だ。……実はね、君が押しかけてきた時に施した肉体改造。あれは
「え!?」
驚いた彼女が顔を上げる。まあ、そんな顔にもなるだろうね。こうして話をしに来た相手が、実は会おうとも思っていなかったなんて聞かされたら。
だが、実際は私はここにいる。メジロクラウディに会いに来ている。それは紛れもない事実であり、彼女が私に興味を持たせた証明でもある。
「誇りたまえ。私に興味を持たせたんだ。君がウマ娘として、何処まで行くのか、いけるのか。その先を見たいと思わせた。それはきっと、他の者たちだって同じだろう。打算なんて関係ない。君と一緒にいたいから、一緒にいる。だから、
ポカンと呆けている彼女の頭を、モルモット君にされた時のように優しく撫でる。
「それに、高々一度二度負けただけだろう? なら、もっと先に目を向けた方が良い。クラシック級もまだ半年だし、シニア級だってあるんだ。11月には菊花賞だってある。覚悟が決まったら、君のトレーナーの所に行くといい。心配していたからね」
「それは……」
「そうだねぇ。怖いかい? また負けてしまうのが。だがね、君には先がある。私と違ってね」
「それって、どういう意味……」
「なぁに。そろそろ引退しようかと考えているだけだよ」
あっさりと話した内容に、今度は絶句するクラウディ。コロコロと表情が変わるのは見ていて飽きないな。
「私の足はね、かなり脆いんだよ。それこそ、一度走るだけで壊れるかもしれないくらいには」
「でも、タキオンさんは色んなレースで勝っていて……!」
「今じゃほとんどレースには出ていない。まあ、私としては研究に集中できるから構わないが……それはともかく、こんな足だ。何時走れなくなるかもわからなかった。ウマ娘は本能的に走ることを望む。私だって例外じゃない」
モルモット君とトレーナー契約を結んでからは、研究が進んで3年間は走りきれた。そこにモルモット君の献身的な世話が要因としてあったかは……まあ、ないとも言い切れないが。
「君は私とは違う。君の足は頑丈だ。あの高いスタミナを得たトレーニングを続けれるくらいにはね。だからこそ、一回の負けでくよくよしない方が良いと助言しておこう。君は、未来を見れるのだからね」
「…………」
黙りこくってしまった彼女を置いて、この場から去る。
元々、これだけで立ち直ってくれるとは思っていない。あともう一押し、きっかけがいる。
それこそ、私のような立ち直らせるための言葉ではなく、心からの純粋な心配が、ね。
◇◇◇
「……未来を、見る」
タキオンさんが去ってから、私は無性に動きたくなってフラフラと、目的もなく歩いていた。
引退とか足の話とか、正直、受け止めきれなかった。でも、私を励ましに来たんだろうなっていうのは、何となく分かった。
きっと立ち直るべきなんだろう。なのに、どうしてか私の足は、トレーナー室には向かおうとしなかった。
「――クラウ、ちゃん」
ふと、背後からの声に振り向く。
そこに居たのは、青い薔薇があしらわれた帽子をかぶっているライスさんだった。
「その、こんばんは」
「えっと……こ、こんばんは」
会話が続かない。元々、積極的に話すような性格ではない。
このまま向かい合うのもどこか気まずくて、私は立ち去ろうと背を向ける。
「あ、待って!」
が、それもライスさんの声に引き留められた。
「……何か?」
「その、クラウちゃんは、菊花賞、出るの?」
菊花賞。ちょっと前の私なら、出ることに躊躇いはなかったはずだ。だけど今は、出走することを躊躇っている。
もし、また負けてしまったらと思うと、怖い。
ジュニア級で勝ち続けていたのに、クラシック級の初戦で負けたとき、過去の、負け続けていたレース前のことが頭を過ぎった。誰にも見向きもされない、認めてもらえない怖さが、私を縛り続ける。
「私は、菊花賞は……」
「ライスはね! 菊花賞出るの!」
出馬しないと言おうとした私の声が、ライスさんの声に遮られた。彼女らしからぬ、大きな声だった。
「ライスは、ステイヤーとして目標を立てた方が良いってお姉さま、あっトレーナーさんに言われて、だから菊花賞に出るの」
慌てているのか早口になるライスさんは、一度深呼吸をして息を整える。
「日本ダービーの時のクラウちゃんは、何だかいつものクラウちゃんとは違うなって、そう思ったの。声を掛けても、なんだか心ここにあらずって感じで」
ダービーの時に、声を掛けられたっけ? それすらも覚えていないほど、私は周りが見えてなかったのか。
「だからライスね、菊花賞でクラウちゃんと走りたい! だって、クラウちゃんはライスの憧れで、超えたいウマ娘だから!」
私が、ライスさんの憧れ? 私なんかが? でも、ライスさんの目から、気休めや嘘は感じられない。
「あっその、無理だったら全然気にしなくていいからね!? やっぱりクラウちゃんにも目標とかあるだろうし、ライスの事は気にしなくていいから!?」
「……プッ」
先ほどまでの凛々しい表情から一転して、早口で捲し立てる彼女がなんだかおかしくて、思わず吹き出して笑ってしまった。
「ふぇ?」
「フフフッ……! ライスさん」
「ひゃ、ひゃい!」
「私、出ようと思います。菊花賞」
「ほ、ほんと!? あ、でもライスが言ったから……」
「違います。これは、私の意思です。私の意思で、ライスさんに勝ちたい」
「クラウちゃん……」
そうだ。タキオンさんの言う通りだった。私の周囲には、打算で近づく人がいない……かは分からないけど、少なくともライスさんは違う。
だから、走ろう。簡単なことだった。走りたいから走る。それだけだったんだ。
そう思ったら、何だかすっきりした。
「負けませんから。これでもURA賞貰ったので」
「うん! ライスも負けないよ!」
互いに宣戦布告し、硬く手を握り合った。
「トレーナーさん」
「……クラウディ」
ライスさんとも別れ、その足でトレーナー室に向かった。
ノックしてから中に入ると、そこにはトレーナーさんと、意外なことにタキオンさんがいた。
「私は気にしなくていい。先に用事を済ませるといい」
その言葉に甘え、私はトレーナーさんの前に立ち、頭を下げた。
「クラウディ……!?」
「その、ご心配をかけて、すいませんでした」
「そんな、謝るなら私が……!」
「違うんです。これは、私が付けなければならないケジメなんです」
下げていた頭を上げて、私より身長が高いトレーナーさんの顔を見上げる。その顔は、いつものような飄々とした表情はなく、弱弱しく感じた。
こんなに心配をかけていたんだと、今更ながらにそう思った。
「トレーナーさん。私、菊花賞に出たいです。そして、勝ちたい!」
「……ッ!」
「ほう……」
きっと、初めてする明確な目標の宣言。一位を取りたいとかいう漠然としたものではなく、半ば適当に決めた三冠路線でもなく、菊花賞に出て勝ちたいという明確な目標。
反対されるかもしれない。でも、ライスさんと約束したから。
「クっクック……これは面白いことになった。予想より早く立ち直ったみたいだねぇ?」
「はい。タキオンさんも、ありがとうございました」
「言っただろう。私は興味があるんだと。それに、モルモットとしても優秀だからね。それに、そこまで立ち直っているのなら、あれを見せてもいいんじゃないかい?」
「あれ……?」
首を傾げると、トレーナーさんが紙の束を差し出してきた。
疑問に思いながらもそれを受け取ると、まず一枚目にでかでかと書かれている言葉が目に入った。
「菊花賞の対策案」
「……あなたが敗北を受け入れて立ち直ったら、菊花賞に出走することを勧めようと思っていたの。これは、そのための案。まずは菊花賞の優先出走権を得るために、セントライト記念を勝つ。それから、菊花賞までのトレーニングスケジュール。並びに出走してくる可能性の高いウマ娘のデータ。そして、
「……? 待ちたまえ。さすがに早すぎやしないかい? 菊花賞がまだ先だぞ」
タキオンさんの声に、しかしトレーナーさんは頭を横に振って否定した。
「関係ない。私が考えた作戦なら、よほどの想定外なウマ娘が出なければ
「……まさか言い切るとはねぇ」
「何かあればすぐに更新するつもりではいるけど。私はこの案に、菊花賞の目標を託してほしいと思ってる。これは、正真正銘、今のあなたが最大限に生かせる案だと思ってるから。もちろん、あなたがこの案を信用できなかったら、それでも」
「いえ、大丈夫です! 私はトレーナーさんを信用します。だって、あの時、私を見つけてくれたトレーナーさんですから!」
これはトレーナーさんが私のために考えてくれたもの。そんなものを信じないで、何を信じればいいのか。
これは、私のスタートなんだ。他のウマ娘よりも遅くなってしまったけれど、ここからが、私の本当のスタート。
だから、絶対に挫けたりなんてしないんだ。
それにしても……
「「…………///」」
お二人はどうして顔を背けているんでしょうか?
答え:クラウディの満面の笑顔が可愛すぎて、二人ともノックアウトしたから。
アニメ見てて思ったんですが、ライスのトレーナー全然出ませんよね。ブルボンだって出てるのに。つまり、アニメライスのトレーナーは、名義を貸しているだけ……!? まあこの話だと、ガッツリ絡んでいる訳ですが。ライスちゃんを曇らせる奴はゆるさねぇ!(おまいう)