カフェは来なかったよ……せめて和装ルドルフを……
激動の菊花賞から数日。
いつものバーで、私――雨乃智雲莉――は一人グラスを傾けていた。
度数の低い甘めのカクテルが、なんだか苦く感じる。
「はぁ……」
クラウディが菊花賞を制してからというもの、世間様の態度はよろしくない。
当然だろう。彼らはミホノブルボンの無敗の3冠を見たかったのだ。
中には、菊花賞の勝者はミホノブルボンでありURAに抗議しようと、SNSに面白半分な投稿がされた。もちろん、この投稿は削除された。
レースが国民的娯楽となっている以上、彼らにとってレースを走るウマ娘は、自分たちの見たいものを見せてくれるプレイヤーでもある。そこにどんな思いがあろうと、外から見る者たちにはわからない。
世間の目は概ねクラウディの勝利に否定的であり、メディアもこのことを面白がって、連日こぞって報道している。
「(どうにかしたいんだけどな。私が言っても意味ないし……。一番はメジロ家が何か言ってくれることなんだけど、なんで何も言わない?)」
メジロ家のウマ娘が菊花賞を制し、それが不当に汚されようとしている。なのにメジロ家は沈黙を保っている。
「(まさか、トカゲのしっぽ切りのつもりで……)
「随分と思いつめた顔をしているな、先生」
頭をよぎった最悪の可能性。それについて考えようとした矢先、こんな場所にいるはずのない者の声が聞こえた。
「……トレセン学園の生徒会長が、こんな大人の場所にいて良いのかな?」
「大丈夫です。このバーのマスターとは知り合いなんです。それから、たまに話をしに来ているんです。もちろん、人の目には気を付けていますよ」
「知り合い?」
「このバーを利用するトレーナーの一人が、よく皿洗いをさせてもらってると聞いたもので……」
「(沖野さん……)」
先輩の駄目な姿をまた一つ知ってしまったことに項垂れていると、ルドルフが隣に座ってきた。
「マスター、私にも一杯くれないか?」
「アルコールは駄目だよ」
ルドルフの前に、透き通るようなオレンジ色のジュースが注がれたグラスが置かれる。
だけどルドルフの顔は、陰りに包まれていた。
互いにグラスに口をつけるだけ。マスターがグラスを磨く音だけが、静かに響く。
「……ルドルフはさ。まだ、あの夢を追いかけてるの?」
空気に耐えられなくて、ついルドルフに問いかけた。
気まずい時に限って
「はい。私は生徒会長であり、皇帝。そして何より、あの日先生に誓ったように……!」
ルドルフの口調がだんだんと熱くなっていく。
「無理だよ」
「……ッ!」
「今、メジロクラウディがどうなってるか知ってるでしょ?」
「『白い悪魔』、ですか。その件については、我々も何かできないか検討して……」
「この件に関して、学園の上層部は動かないでしょうね。なんせ、下手な手を打てば世間が敵になるわけだから。メジロ家が動かない時点で、学園も動かない」
「ですが、先生はそれで良いのですか!?」
「何よりあなたは、
「余計なこと……? そんな、先生と彼女にとっては大問題ですよ!?」
知ってる。クラウディの勝利が歓迎されない中で、私について言及する声もある。
曰く、偉業を阻止するためだけに菊花賞までは逃げで走らなかった。
馬鹿らしい。今まで逃げで走らなかったのは、ただ単にそれをするだけの能力がなかったから。まあ、菊花賞の作戦を立てる上で、私もそれを利用したところはあるんだけどね。
当初はほとんど賭けだった作戦が、菊花賞にやる気を見せたクラウディによって、ほぼ確実なものに変わった。それだけだ。
「ルドルフ。前に言ったよね。レースとは勝敗のつくもので、仲良しこよしの場所じゃない。笑顔を浮かべる者の影で、人知れず涙を流す者がいる。幸せの裏には不幸がある」
「それでも私は、諦めたくありません。絶対に、私は夢を実現させる。それが、私と先生の繋がりだから……」
それだけ言うと、ルドルフはジュースの代金を払って出て行ってしまった。
……何をしているんだろうか。自分から吹っ掛けておいて、ほとんど八つ当たりみたいな感じになって。
それに多分、ルドルフは心配してきたのだろう。でなければ、こんな夜遅くにバーに来る必要がない。外に用事がないのは知ってるし。
「はぁ……」
今日何度目かのため息が、口をついて出る。
自分の惨めさに嫌気がさしていると、グラスが目の前に置かれた。
「……頼んでないんだけど」
「私からのサービスです」
そういえば、マスターは前に沖野さんとおハナさんにした話を聞いてるんだっけか。
「……ありがと」
マスターの気遣いが、カクテルと一緒に心にしみていった。
◇◇◇
ここ最近、どうにもトレーニングに身が入りません。ジャパンカップに向けてのトレーニングも、早い段階で切り上げられてしまいました。
私――ミホノブルボン――は、空を見上げながらその原因を探していました。
いえ、原因はすでに特定済みなのです。
「あれは、何だったのでしょうか……」
ただ純粋な疑問が、私の口をついて出た。
先日の菊花賞。私はメジロクラウディに差をつけられて負け、そしてライスシャワーにも差されて負けました。
メジロクラウディに負けたのは、彼女が勝っていたから。
ライスシャワーに負けたのも、当然なのでしょう。彼女に宣戦布告をしていたにも関わらず、彼女の存在を差されるまで気づかなかったのだから。
ですが、一つだけ納得できないことがあった。
3着でゴールした後のこと――
「はぁ、はぁ、はぁ」
肺がいたい。息が苦しい。皐月賞でも日本ダービーでも、ここまで息が乱れることはなかった。
それに何より
「(楽しかったと感じている。ステータス『満足』を確認。すみません、マスター。私はマスターの期待に応えられませんでした。ですが、私は満ち足りています。彼女たちの走りに……)」
マスターの方を向くと、少なからずマスターが驚いていた。おそらく、私が笑みを浮かべているからでしょう。自分がそこまで笑うタイプではないというのは自覚しています。ですが今は本当に、笑みが堪えきれないのです。
この後はウイニングライブもある。この昂ぶりを、ライブで届けられたら、どれだけ素敵なことなのだろう。
そう思って、一旦控室に戻ろうと地下バ道に向かった時、それが聞こえてきました。
『ブールーボン! ブールーボン! ブールーボン!』
観客席から聞こえてきた、観客たちの私を呼ぶ声。
「かっこよかったぞ。ブルボーン!」
「すごかったー!」
エラーの発生を確認。原因は不明。
「残念だったなー!」
「惜しかったけどな!」
エラーの発生を確認。対処法は不明。
「……なんでこういう時に勝つのかなー」
「空気読めって感じだよな」
エラー、エラー、エラー、エラー、エラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラーエラー――――
気づけば、私はウイニングライブのステージに立っていました。
左を見ればクラウディさんとライスさんがいました。しかしウイニングライブだというのに、二人の顔に笑顔はなく、それどころかライスさんはどこか怯えているように見える。
ここで初めて、私は観客席の異様な光景に気付いた。
観客席のペンライトの光は、一色に染まっていた。そして、私に向かって飛んでくる慰めの言葉。
そこにクラウディさんを讃える言葉がなければ、ライスさんの勝利を惜しむ言葉もない。それどころか、小声ながらクラウディさんに対する罵倒まで聞こえた。ウマ娘の私たちに、聞こえないと思っているのだろうか。
何故か敗者の私の健闘だけが讃えられ、勝者のはずのクラウディさんが貶され、私と同じく敗者であるライスさんに声はかけられない。
この歪な光景に、私は――――
結局あの後、レース直後の昂ぶりも消えたままライブを終え、報道陣の取材でどう受け答えしたかすらも憶えていない。
それからというもの、私の中には何かしこりの様なものがあるのを確認している。
「……このままにしておくのも、トレーニングに不安が生じます。どうすれば……ッ」
踏み出した右足が、微かに痛みを発した。
観客がブルボンコールをした理由としては
・クールなブルボンが感情をむき出しにして走った。
・終盤の加速でブルボンが逆転する可能性があったこと。
・世間ではブルボンが主役のように扱われていたこと。
・レース後のブルボンが満足したような表情、滅多に浮かべない笑顔を浮かべたこと。
・偉業が阻止され、絶好の悪役がいたこと。
これらが主な理由になります。
アニメ7話のライスの独白。見返してみると雰囲気がヤバくて、声優ってすごいな……って思ったりする。