太陽の下のこみち 作:くず餅
闇のヴェールの下には、綺麗な顔立ちがあった。
くりっとした大きな目に、形の良い鼻梁。径は、幼少期に欲しがった人形のことをふと思い出した。玩具屋のショーウィンドウに置かれたビスクドールだ。人間の手によって作られた、人間にとっての理想的な美。作り物だからこそ、自然のそれよりも完成している。
或いは、魔法の力で動き出した人形なのではなかろうか。
しかし、「はじめまして」と頭を下げて見せられたところで、彼女は間違いなく、血の通った人間なのだと確信した。
「
その確信に、径はがっかりしたというよりは、寧ろその逆、胸が高鳴った。
本当にあんな綺麗な人がいるのだ。人形のように、という逆に現実味を損ねてしまうようなクリシェが、ぴったりと当てはまるなんて。
「じゃああの席に座りなさい」
先生が言うと、清香は軽く頷き、径の後ろの空いた席を目指して歩いてくる。
クラスメートたちは自席に着いたまま、その姿を視線で追っている。ヴェールはすっかり消えて、端正な顔立ちが露わのなるとともに、歩く清香の白い頬を、太陽の光が滑ってゆく。清香の鷹揚な歩き方も相まって、ファッションショーのような構図である。ならば、窓から入ってくる光線は、彼女をより美しい魅せるためのスポットライトだ。
とうとう清香が径の席を横切った。
刹那、彼女は僅かに目を細め、口角を上げた。
陽光が照りつける机の上に、影が通り過ぎた。
椅子が引かれる音が、径の耳朶を打つ。
◯
休み時間。
清香の席の周りには人だかりができる、という径の予想は裏切られた。正確を期せば、皆清香の顔が見える位置に移動してきてはいたけれど、危惧していたような質問責めは起きなかったのだ。
「へぇ。じゃあ清香ちゃんは隣の県から引っ越して来たんだ」
「うん。ちょっとした諸事情でね」
それは、先程から理央だけが彼女と話しているからだ。
径は、理央のことを男子として見ることがなかった。それは、決して彼が魅力的でないからと言うわけではなく、彼を同性の友達のような感覚で見ているからだ。或いは、小柄な体躯と、甲高い声がそれを手伝っているからかも知れないが。
話し上手は聞き上手、とはよく言ったもので理央は相手の目線に立ち、相手から話を引き出すのが得意で、つい話が弾んでしまうのだ。
だから、基本は女の子同士でしか話せないような秘密も、彼にはうっかり話してしまう。
そんな理央が、クラスメートの聞きたいことの代弁者を務めているのだ。本来なら、あちこちから投げかけられるはずのボールを、理央が全て集めて、彼女が困らないスピードで、彼女が捕球しやすい位置に投げている。
理央のその優しさに、クラスメートは皆関心していたし、だから理央ばかりが転校生と話しているという所に、不満を抱く者は誰一人として居なかった。
◯
昼休みになった。昼が最も長い日だろうが、決まった時間に腹の虫は鳴くものである。健康的な証なのだろうが、授業に集中できなくなってしまう。自分で作っておいてなんだが、味見の段階で弁当が美味しいことは分かっているのだ。どうしても弁当を早く食べたい、という気持ちが先行して、教師の話が抜けていってしまう。
手前味噌の極致だ。
径は普段、幸彦と机を対面させて弁当を食べているが、それだと清香の席が孤立してしまうことに、机を動かして気付いた。
径は、思い切って清香に声をかけた。
「和泉さん。良かったら、私達と一緒にご飯食べない?」
「え? いいの」
「勿論。幸彦も良いよね?」
幸彦は机を動かしながら首肯した。
じゃあ、と清香が机を前に押し出して、二人の机とくっつけたところで、理央が近づいてきた。
「よう。俺も一緒に食っていいか?」
三人は了承した。特に径は胸を撫で下ろした。
良かった。接着剤の登場だ。誘ったはいいものの、どんなことを話せばいいかよく分からなかったのだ。
理央は自分の椅子を持ってくると、幸彦の隣に強引にねじ込んだ。
「ちょっと理央。狭いんだけど」
幸彦が冗談っぽく悪態をつくが、理央はどこ吹く風で弁当箱を開ける。
清香は男子二人の様子を口元を綻ばせながら見ていたが、あることに気付き目を皿にした。
「あれ? 二人のお弁当、おかずも詰め方もまったく同じ?」
一口サイズのハンバーグを摘んだ理央が応えた。
「これ、どっちも径が作ったんだよ。幸彦は一人暮らしだけど、料理がうまくできねぇからさ」
「へぇ。じゃあ二人はひょっとして付き合ってたりするの?」
径と幸彦は口にいれたものを思わず噴き出しそうになった。理央だけが、別の意味で噴飯を堪えている。
「ただの幼馴染みだよ。和泉さん」
幸彦が答えると、清香は手を口に当て「あら、ごめんね」と言った。口は隠れているが、目尻は下がっている。存外、色恋沙汰の興味があるようだ。
よし。ならば反撃である。
「そういう和泉さんは、付き合ってる人とか居ないの? 綺麗だから、居るでしょ?」
径はニヤケながら言う。
すると、清香は頬を薄桃色に染めた。
「やめてよ、もう。恋人なんて居ないし」
おや? と径は思った。
綺麗なのに、あまり褒められるのに馴れていないのかな。
径は、同性に対して「綺麗だね」と言ったことが何回かある。しかし、そういう人はたいてい他の場所でも褒められているので、「そんなことないよ」といいつつも胸を反らすのがお決まりだった。
だから、清香の照れくさそうな反応は新鮮だ。
第一印象は、綺麗で近づき難いといった感じだったけれど、こうして話してみるとずっと人間味があって接しやすそうだ。
その清香が、幸彦をじっと見ている。より正確を期すならば、幸彦の口元や弁当の献立を観察している。
その視線にいたたまれなくなったのか、幸彦は清香の方に視線を転じた。
「何か用かな? 和泉さん」
「あ、ごめんなさい。えーっと、コミチさんのお弁当があまりに美味しそうだったからつい」
清香は申し訳なさそうに応えた。
「なら、私のおかず、少し食べる?」
径は清香の方に弁当を差し出す。
「いいの! じゃあ……」
清香は瞳を輝かせて、でも遠慮がちに径の卵焼きを箸で摘み上げ、口にした。
「美味しい。コミチさんってお料理が上手なのね」
白い頬を弛緩させる清香。笑うと、端正な顔のパーツがより際立った。
「最初は全然上手くできなかったよ。最近漸くマシになってきた」
「そんなことないって。径の弁当、最初から旨かっただろ。なぁ幸彦?」
理央に突然話を振られ、幸彦は驚いた様子だった。
「うん。径は元々料理上手だった」
そう褒められると、作った甲斐があるというものである。
径は、照れ隠しに話題を変えようとした。
「そうそう。名前、まだ教えてなかったね」
実際、さきほどコミチという名前に確証を持てていなかった様子だった。
「私は、
じゃあ俺からも、と幸彦は清香の方を見る。
「俺は
「幸彦くんに……径ちゃんかぁ……」
清香は独りごちるように言った。
「うん。径って変な名前でしょ?」
径は肩を竦めてみせた。
「ううん。そんなことない。とっても素敵な名前だと思う。きっと何か両親から付けて貰った特別な意味があるんでしょ?」
「そんなに深い意味はないよ」
父は名前を通、母は栞という。どちらも道に関連した言葉だ。たったそれだけのことにシンパシーを感じた二人は、結ばれ、子が生まれた時には、同じく道に関連した名前をつけようと、そう約束していたのだと言う。
両親から何十回と聞かされているこの話を、清香にした。
「ほら。素敵じゃん。両親からの愛が詰まってる」
「でも、和泉さんの名前も素敵じゃない?」
「ありがとう。なら、私のことは清香って下の名前でなんでほしいな」
「じゃあ……清香ちゃんって映画鑑賞が趣味なんだよね」
「うん。新しく上映されたあの作品、観たいんだけれど」
そう言って清香は映画のタイトルを告げた。人気小説を原作にした恋愛映画である。現在人気が右肩上がりの男優と、子役の頃から活躍していた女優が主演を務めているということで、上映前から注目を集めていた。
「おっ。じゃあこの四人で観に行こうぜ。その映画」
理央は幸彦と径を交互に見た。
「うん。俺は清香さんが構わないならいいよ」
「私も」
「ありがとう。三人とも」
清香は嬉しそうに目尻を下げた。
「決まりな。じゃあ次の日曜日な」
理央が快活に言うのを聞きながら、ふと時計を見る。昼休みの時間はあと少しだった。
四人とも黙々と残りの弁当を食べ進めた。
予鈴が鳴る。
径は机を元の位置に戻す。窓からは相変わらず眩しいほどの光が差し込んでくる。
夏至の太陽は、天心を通過中であった。
◯
学校からの帰路、時刻は十八時を回っていたが、それでも太陽は水平線の遥か上にあった。
径と幸彦は、静かな光の街を歩いていた。そして、あの公園の前までやってきた。
「旨かったよ。今日もありがと」
幸彦は莞爾と笑って、青いナフキンに包まれた弁当箱を径に差し出してた。
「はい。お粗末様でした。ところで、今日の卵焼き、少し甘くしてみたんだけど、どうだった?」
径は何とはなしに聞いたつもりだったが、幸彦は一瞬大きく肩を震わせ、憮然として答えた。
「そ、そうだったのか……気付かなかったや」
「些細な変化でも気付かなくちゃ、女の子にモテないよ」
径は冗談っぽく言ってみせた。
「別にモテなくていいよ。ああ、それよりも、映画楽しみだな」
幸彦は慌てた様子で話題を変える。
径も勿論楽しみだ。何せ、幸彦と遊びに行くのはかなり久しぶりだからである。
理央や清香が一緒とはいえ、そして、地元のショッピングモールのテナントの映画館とはいえ。
八ヶ月前は、あの事件と幸彦の心情を鑑みれば、とても遊びに誘えるような状況ではなかった。それから二ヶ月経ち、回復の兆しが見えて来たところで再び誘ったりもしたが、用事があると断られてしまった。
爾来、休日は向き合うための時間が欲しいのだと勝手に解釈して、気を利かせて、誘うことはしなくなったのだ。
「うん。私もとっても楽しみ」
径は明るい声色で言った。
「それじゃ、また」「またね」とそれぞれの家路に就く二人。
径は、空を仰ぐ。まだまだ日は落ちそうになかった。しかし、闇は確実にそこまで迫っている。
瞬きをする、制服の少女。その瞼に劇薬を塗ってやろうと、妖精ならぬ魔女が残酷な微笑を浮かべていることを、彼女はまだ知らない。
魔女もまた、制服の少女だということも。