太陽の下のこみち   作:くず餅

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第三話

 少女がお粧しに時間をかけるのは、いつの時代でも常なのだ。

 栞は自分の娘が三面鏡に向かっているのを見て、そう思った。自分が嫁入り道具として持ち込んだ三面鏡が、こうして愛娘が意中の男子を射止めるためのデートの準備に使われるとは。三面鏡冥利に尽きるといったところだろう。

 本人はそんな気はないと苦笑混じりに否定しているものの、あれは絶対に恋する乙女の笑みである。

 四十六年。栞の人生における経験則に裏打ちされた、所謂女の直感というものが何よりの証明だ。

 コンシーラーがただでさえ白い肌の上を滑っては、雪のような色に染めてゆく。少女は、意中の男子を射止めるためなら、どこまでも可憐さを求める生き物なのだ。

 化粧を禁止する校則が、その存在の是非を議論されるようになって久しいが、栞はこの歳になってあの校則があってもいいと思えるようになった。

 なぜなら、ギャップがあるからだ。普段、すっぴんの素顔しか見ていない男子。自分たちと同じでまだまだお子様だと甘く見ていた、同級の女子たちが粧し込んだときの驚きよ。

 彼らは心臓が早鐘を打っているのを必死に隠して、いつもと同じような風を装って四方山話でも切り出すのだ。

 想像するだに可笑しい。

 とすれば、中高生のデートにおいて、本当に可愛いのは男子の方なのだ。この歳になって漸く気付いた、青春の甘酸っぱさに、栞は口を窄めるように笑った。

 突然、径は栞の方に首を向けると整えた眉を下げて言った。

 

「ちょっとお母さん。あんまりジロジロ見ないでよ」

 

「はいはい」

 

 栞は、跳ねるような足取りで部屋を出て言った。

 

 

    ◯

 

 

 玄関のドアを開けると、空一面の雲もムワッとした空気が径を出迎えた。

 今はさほど灰色の割合は多くないからすぐには降り出さないだろうが、帰り際は分からない。径はドアの側にある傘立てから、自分の傘を抜き取った。

 幸彦との集合場所はいつも通りの公園だった。そこから最寄りのK駅まで歩き、電車に乗ってN駅の前にある大型の映画館へ行くのだ。

 もうすぐ公園といったところで、遠目に幸彦の姿を確認した。純白のポロシャツに黒のスキニー。フェンスに背を凭せてスマートフォンを操作している。

 男子はいいわね。ああいうシンプルで涼しい格好でも様になっていて。

 

「おまたせ。幸彦」

 

「いや、俺も今来たところ」

 

 スマートフォンを尻ポケットに仕舞いながら、幸彦は言った。

 径は戯けてその場で一回転してみせた。グリーンのフレアスカートがひらりと花を咲かせる。

 

「どう? 似合ってる?」

 

 幸彦は径の頭頂部から爪先までをずっと視線で追ってゆく。

 そして、僅かに口元を綻ばせて言った。

 

「何かいつもより大人っぽいな」

 

 小生意気だな。

 小学生の時分から知っているから、今更お粧しを褒めるなんて雰囲気じゃないんだろう。

 でもちょっとくらい素敵な言葉をかけてくれてもいいのに。

 不安げに径は言った。

 

「そういう幸彦は、いつもと一緒で子どもっぽいね」

 

「はあ。径だって、中身は変わらないじゃんか」

 

「ああ言えばこう言うところ、昔から変わってないな」

 

「その言葉、熨斗つけて返してあげる」

 

 挨拶代わりの言葉を交わして、二人は駅へと歩を進めた。いつものように、二人はゆったりと並んで歩く。径は幸彦の肩が息をするのを、耳元に感じていた。

 

 

    ◯

 

 

 K駅に入ると、すぐに理央と清香の姿があった。

 

「よう。径、幸彦」

 

「おはよ。理央」

 

「お? 径、可愛いじゃん。お粧ししてきたの?」

 

「そう。さっすが理央、よく見てるね。どっかの誰かに爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ」

 

 径は流し目で幸彦の方を見る。幸彦はきまりが悪そうに目を逸らした。

 

「まぁ。幸彦が人を褒めてたら、それはそれで気味が悪いけど」

 

「言えてる」

 

 径と理央は吹き出した。幸彦は呆れたような表情で後頭部を掻いていた。そこに割って入ってきたのは清香だった。

 

「幸彦君、女の子の頑張りにはちゃんと言葉で褒めてあげなくちゃ! 径ちゃんがどこかの馬の骨に盗られてもしらないよ」

 

「分かった。次からは気をつけるよ」

 

「ためしに私のことを褒めてくれてもいいけど?」

 

 そういって手を腰に当ててポーズをとる清香。ベージュのジャンパースカート。腰にアクセントとして、ビットベルトをしている。清香の線の細さが際立っていた。

 幸彦は一瞥した後、沈黙していた。

 

「ちょっと、ちょっと。何か言ってくれないと私が、イタい娘みたいじゃん」

 

 清香は苦笑を浮かべながら言った。

 二人の間に生じてしまった独特の間に、径は助け舟を出す。

 

「あはは。幸彦は本当に滅多に人のこと褒めないから。でも、清香めちゃくちゃ可愛いよ。細いし、それを活かしたコーデだし、羨ましい」

 

「ありがとう。そういう径ちゃんもとっても可愛いよ。私が男の子だったらとっくに告白してるもん」

 

 言いながら清香は、径に抱きついた。

 

「清香。嬉しいけど、暑苦しいよぉ」

 

「えへへ。ごめんごめん」

 

 清香は赤い舌を出した。

 

「みんな、そろそろ電車来るみたいだ」

 

 幸彦は電光掲示板を指差し、スタスタと改札の方に歩いていった。

 

「アイツ。逃げたな」と理央はそのあとを追う。

 

 にわかに、清香は細い指で口元を隠しながら、頬を弛緩させた。

 

「ちょっと。からかい過ぎちゃったかな?」

 

「そうでもないと思うよ」

 

 こんなに楽しくお出掛けができるなんて、本当に久しぶりなのだから。先をゆく幸彦の背中がそう語っているのを、径は昔からの勘で感じ取った。

 

 

    ◯

 

 電車に揺すられて、N駅に到着した。中央改札口を出て、すぐ右手に見える大階段を登り、さらにそこを左に折れると、横断歩道を一つ挟んだ先に目的地の映画館がある。

 

「上映時間まで時間あるし、先にお昼食べない?」

 

 清香の提案に、径はスマートフォンを取り出して時刻を確認した。

 

「たしかに、良い時間かも。外食なら早くしないと混んでくるだろうし。幸彦と理央もそれでいい?」

 

「おう。いいぜ」

 

「で、何食べるんだ?」

 

 暫く四人で頭を捻った結果、無難にハンバーガーのチェーン店に入ることにした。入店一番、ポテトの揚がるのを知らせる特徴的なメロディが耳朶を打った。

 

「私、照り焼きバーガーにしようかな」

 

 径は小さい頃から、この店に来ると決まって照り焼きバーガーを注文するのである。最初は、父が食べていたものを一口貰って、それで味を気に入ったのではないだろうか。

 

「じゃあ私は白身フライバーガー」

 

「俺は、多分小さいのじゃ足りないだろうし、ビッグバーガーかな?」

 

「幸彦は何にするの?」

 

 径は何気なく聞いたつもりだった。しかし、幸彦はやたら神妙な面持ちで悩んでいた。

 

「そんなに悩むことないだろ。俺と同じビッグバーガーにしとけよ」

 

 理央が強引に注文を決めようとすると、幸彦は「待って!」といきなり大きな声を出した。他の三人は驚くと、幸彦は目を泳がせた。

 

「今、あんまりお腹空いてないし、普通のハンバーガーにするよ」

 

 理央は殊更驚いた様子だった。

 

「それじゃすぐに腹減るだろ? 金持ってないなら、奢ってやるぜ?」

 

「いいや、そういうんじゃないんだ。お金に困ってるわけでもないし。本当にこれで十分なだけだって」

 

 幸彦の様子を見ていた径は、複雑な心境だった。何しろ、このハンバーガーショップは日本全国にチェーン展開されているのだ。おばさんやおじさんと来たことがあっても不思議じゃない。

 何か嫌なことでも思い出しちゃったのかしら。ハンバーガーショップ特有の油の匂いに包まれながら、径はそう思考を巡らせた。

 

 

    ◯

 

 

 恋愛映画というものに、径はイマイチ共感することができなかった。

 映画が面白くなかった、といえば嘘になる。三幕構成だったり、起承転結だったり、物語の作り方に関してその程度の知識しかない径の目からしても、原作小説の雰囲気を崩さず、それでいて映画の枠組みに落とし込まれていた。

 原作ファンも満足する出来栄えだし、新規参入者の門戸も広がって、映画化の企画は大成功と称賛されることだろう。

 しかし、それでも径は恋愛映画というものが理解できずにいた。

 何故だろう。それは本人が一番悩ましく思っていることだ。

 演者たちが囁く愛の言葉。恋模様を写したメタファー。苦難の果てに交わす接吻。どれも、所謂胸キュンに至らない。針の穴に、なかなか糸を通せない時のような苛立ちを起こすのだ。

 これを周囲の人間に話すと、決まってお笑い草になるのである。彼女らによれば、「径は本当の恋をしたことがないからだよ」とのことだ。

 ちゃんちゃらおかしい。何が「本当の恋」だ。拙い妄想を捏ねくり回したあげくの理想像。その造形に対する胸の高鳴り、顔の火照りを「恋」と勘違いしているだけなのだろう。

 林檎のように頬を真っ赤にする乙女たちの青いことよ。

 しかし、「本当の恋」というものが一体どのような生理や思考回路となって、身体を駆け巡るのか。その解答の持ち合わせがないことが、径が彼女らに大きな声で反論できない所以なのであった。

 

 

   ◯

 

「あれ? 幸彦と清香は?」

 

 お手洗いから戻ってきた理央が、径の背から声をかけた。

 

「喉が渇いたらしくって、飲み物買ってくるって。清香もそれに付いていった」

 

「別に俺がかえって来てからでもいいのに。どうせ、アイツ水しか買わないんだろ」

 

「うん。昔はジュースばっか飲んでておばさんに叱られてたけど」

 

「……人の味覚は一生のうちに何度か変化するって言うしな……」

 

 少し眉を顰めた理央は、すぐに表情を元に戻した。

 そして、「なあ、径」と入学以来聞いたことのないような、声色を出した。

 

「え? 何?」

 

 径は憮然として答えた。理央は口を固く結んだあと、「せっかく二人になれたから今言うわ」と前置きして言った。

 

 

 

「径。ずっと前から好きだった。俺と付き合ってくれないか?」

 

 

 

 理央の瞳が真っ直ぐと径を捉えていた。睫毛が長くて、くりっとしていて、女子のそれと見紛うような瞳だ。

 爛々と輝いて、真剣さを湛えている。

 返答に困って、息が詰まって、動けなくなってしまった、その刹那だった。

 

 頬に一滴、雨水を感じた。

 ああ。折り畳み傘を持ってきていてよかったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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