「今回の検査でも、特に異常はありませんでした。次は二週間後に来てください。念の為です」
「分かりました。ありがとうございました」
一礼して診察室から出る。医者に言われて仕方なく通院しているけど、正直何も無いし、自宅から離れたここにわざわざ来るのは面倒だから早く終わらないかなぁ……。
会計の待ち時間にスマホでカレンダーを確認していると、次の月曜日から「鷹警戒」という文字が書かれている。鷹……?警戒って………あ。
忘れてた……
鷹岡…あの異常者、もとい暴力教師が赴任してくるのはそろそろだ。正確な日にちが思い出せなかったので、曖昧な記憶からここら辺だろうという日にちに「鷹警戒」の文字を入れて置いたのだ。
正直あの人は好きじゃない。むしろ嫌いだ。色んなことを教えて貰ったけどもそれでも外道だし、クズだし、やってることは人間じゃないとも思う。対策、考えなくっちゃね。
平和な毎日が楽しくて、自分の目的を忘れてしまいたくなる時がある。実際今もそうだった。二度とあんな思いはしたくないって思ってここに来たのに……つくづく僕は自分に甘いと思う。
「潮田さーん」
「あ、はーい!」
窓口の人に呼ばれたので、僕は携帯をポケットにしまって会計に向かった。
必ず殺せんせーを僕の手で殺す。改めて僕は自分の心にそう誓った。
とりあえず家に帰って作戦を考える。といっても時間が無いので、ちまちま根回ししたりすることは難しい。時間があれば、殺せんせーや烏間先生とかを通してやりようはあったのかもしれないけど、今からやっても鷹岡が来ることを止められる訳もない。
一周目と同じように返り討ちにするのが最善かな…?その後、夏期講習の島で襲ってきても、その前に僕らが殺せんせーを殺してしまえば鷹岡の計画はお釈迦になる。
で、問題はあいつが来た当日のことだよね……。うーん…みんなが殴られたり蹴られたりするのは見たくはないから、なるべく僕に奴の目を惹いて一騎打ちという形に持っていきたいけど……カルマ君の真似したりして煽ったりすれば乗ってくるかな?
鷹岡はプライドが高くて、逆らえないようインパクトを残したいだろうから、生意気な生徒を装えば簡単に注目を僕に集められる。
自分を犠牲にみんなを救う、こう聞けばたいそうご立派な事だ。けどこれは僕の自己満に過ぎない。みんなが無惨に殺される姿を見てから僕の心の中でみんなの優先度が上がっている。みんなが傷つく姿を見たくない。強迫観念にも近いそれが、僕にとってこの世界での行動原理のひとつでもあったからだ。
そして来たる当日。奴は当然現れた。
「ようっ!烏間!」
気色悪い声が耳に入ってきて気分が悪くなる。
「あれって…新しい先生…?」
やっぱり僕はこいつが──
「やぁ!今日から烏間を補佐してここで働くことになった鷹岡明だ!よろしくなっ!」
大嫌いだ。
───奴が僕らに自己紹介を終えると、広げられたブルーシートの上に奴が持ってきた高そうなケーキやエクレア、マカロンやプリンなどが広げられる。
「な、なんだ!?」
「ケーキ!!!」
「ラ・ヘルメスのエクレアまで!」
「い、いいんですか!?こんな高そうなの…」
「おう!食え食え!俺の財布を食うつもりで遠慮なくな!」
ここだけ切り取ってしまえば、最高の財ふ…先生なんだけどな。
僕はピンク色をしたマカロンを口に入れながら、ザッハトルテの一切れに手を伸ばす。普段食べれないとびきり上等な甘いものなので遠慮なく頂こう。
「ヌルフ……ケーキィ…」
「おお!あんたが殺せんせーか!食え食え」
「いいんですか!?では遠慮なく!」
「まぁ、いずれ殺すけどな!はっはっはっはっ」
皆のこいつに対する今のところの印象は、気さくで話しかけやすい、それこそ原さんの言う通り「近所の父ちゃんみたい」という表現が正しいだろうか。
僕も最初はこの親しみある顔に騙された。こいつの独裁的な授業とも言えないほどに耐え難い訓練が始まるまでは。
「さて、訓練内容の一新に伴って新たな時間割を組んだ!」
時間割の紙が配られるなり、その狂気の内容に目を通した生徒からざわつき始める。
「嘘…だろ?」
「10時間目…?」
「このくらいは当然さ。このカリキュラムについてこられれば、お前らの能力は飛躍的に上がる!では早速──」
「ちょっ!待ってくれよ!こんな時間割無理が「鷹岡先生!質問があるんですけど……」
立ち上がりながら文句の言葉を述べようとする前原君を遮って、その代わりに僕が質問することにした。
「おう!なんだ?」
「この時間割だと勉強の時間が足りないと思うんです。僕らも受験生なので、無理のある訓練には賛成できません」
「はっはっはっ!父親に意見か!威勢がいいなぁ…でもこれは賛成反対の話じゃなくてだな」
鷹岡は生徒の間を抜け僕に近づく。ちょうど僕の間合いから少し遠く、奴の間合いギリギリの位置で止まると、奴は突然僕の髪を掴もうとした。
「っ!」
警戒していたおかげで、奴の腕が動いたタイミングで1歩下がる。掴めるギリギリの位置にいた奴の手の平は当然僕の髪ではなく空を掴む。
「おいおい、そんなに警戒するなよ。少し撫でてやろうとしただけじゃないか」
鷹岡は舌をペロリとしながら呆れたように言う。
よく言うよ。僕が避けなかったら髪を掴んで何をしてきたか。腹を殴るか膝蹴りか平手打ちか、まぁなんでもいいけど。
「そうだったんですか?すいません鷹岡先生」
「はは、まあいい。じゃあさっきの質問に答えることにしよう。お前らは3月までにあの化け物を殺す暗殺者になる必要がある。そのためには多少なりとも努力してもらう必要がある。そしてその多少なりの努力があの時間割ということだ。どうだ?分かってくれたか?」
鷹岡は僕に笑いかけながら肩組みをする。脅迫のつもりだろうか。
顔や声はにこやかだが、心の中の冷えるような感情が直接触れている僕にははっきり伝わった。
「……分かりました。確かにそうかもしれないですね。僕らが強くなるためにはたくさん訓練する必要がありますもんね」
僕はその脅迫に屈することにした。相手の考えに理解を示したことを明るい笑顔と言葉で表現する。
その言葉に拍子抜けしたのか、鷹岡は肩組みした腕を僕から外して、改めて列の先頭に戻ろうとする。
「そうかそうか!分かってくれたか!物分りが良い奴は父ちゃん大好きだぞ〜じゃあ早速──」
「でも鷹岡先生は烏間先生より”下っ端”なのにちゃんとした授業できるんですか?」
一気に空気が淀んだ。皆も本能的にまずいと思ったのだろう。やつの本性が露呈する前に、奴に抵抗することの恐ろしさを理解し始めている。
「………当たり前だ。それに俺は下っ端じゃない。現にあいつはお前らの教育係を外され俺がその仕事を引き継いだ。これこそが国があいつより俺の方が優秀だと認めたというなによりもの証拠だろう?」
堪えてるのかな?すぐにでも手を出してくると思ったけど…でも静かな怒りは感じる。奴に自分のプライドを傷つけられる行為を耐えられるわけが無い。
「優秀な烏間先生の負担を減らすために仕方なしに力を借りたって考えはできません?」
わかりやすい挑発だけど、この人なら生意気な子供への報復を口実に、簡単に手を出すだろう。
「……まったく。父ちゃんに生意気な口聞く奴にはおしおきが必要だな」
鷹岡は拳を振り上げ、僕に暴力的教育を加えようとする。でも所詮大振りなテレフォンパンチだったので一周目の記憶や経験がある僕にとっては止まって見える。というか仮にも軍人がそこらの不良よりも喧嘩慣れしてない実戦に不向きなパンチをしていいのだろうか?大振りなのは威圧感を出すため…とかかな?
「なっ!?」
僕はなるべく動きを少なくして避け、念の為第二撃に備える。まぁ避けられると思っていなかったみたいで体勢が崩れたから杞憂に終わったんだけど。
「あーよかったー運良く避けられたよー。自称とっても優秀な軍人さんでこーんな大口叩いた人の拳を素人の僕が避けられるわけなんてないから、本当に運が良かったんだねー」
棒読みでさらに煽る。
「てめぇ………ふざけんじゃねぇぞ……父親も同然の俺にそんな口聞いといてまだヘラヘラと……」
「まともな父親は子供に殴りかからないと思うんですけど…?」
「ぬあああああ!!!!」
「やめろ鷹岡!!」
また殴りかかろうとしてきたから避けようと思ったらいつのまにか烏間先生が鷹岡の腕を掴んでいた。
「烏間…その手を離せよ。これは教育の範疇だ。それに父親の威厳というものもある。世の中に父親をバカにする子供がどこにいる?」
さて、ここまでやれば前と同じ勝負の展開になるだろう。だけど、ちょっと怒らせすぎたかな?…前と同じように動けば難なく勝てる、と思う。うん、思いたい。クラップスタナーを使ってもいいけど、殺せんせーや烏間先生の前で不審な動きをしたくは無い。何より不用意に手の内を明かすのは殺し屋として得策じゃないしね。
「渚君。任せられるか?」
「え?ああ、はい」
どうやら話はまとまったようで、前と同じように僕が鷹岡にナイフを当てるか寸止めすれば僕の勝ちらしい。
「烏間先生、もう勝負を始めていいですか?」
「?…あ、ああ」
「じゃあいきますね鷹岡先生」
さっさと終わらせたかった僕は、歩きながら烏間先生からナイフを受け取って、その勢いのまま殺気隠して鷹岡に近づく。
鷹岡はまだこちらを見ている。余裕を持った顔で自分の勝利を確信し、その後の展開を組み立てている顔だ。他のみんなも僕を見ている。本当に勝てるのか?渚よりも磯貝君とかのほうが…、目を瞑るとそんな心の声が聞こえる気がする。
目を開けると、閉じた時より更に鷹岡に近づいている。肝心の鷹岡はといえば、拳を構えるどころか頭も戦闘態勢に切り替わっていない。
殺し屋はこういったチャンスを逃さず、容赦なく獲物を仕留める。
僕は鷹岡にぶつかったことを機として、相手が殺されそうになっていることに気づく前に標的の太い首めがけてナイフを振る。
ギッとした冷たい刃は奴の首に吸い込まれるようにして命を狙う。こうすれば避けようとして体重後ろに傾くからそのまま服を後ろに引っ張っ……て…………
「あ」
「………へ?」
鷹岡の間の抜けた声の後、首に刺さった銀色のナイフが赤く染まり始める。
「きゃああああああああ!!」
クラスの誰かが叫ぶ。刃が首に深々と刺さるその光景を前に僕は呆然としてしまって、ナイフから手を離してその場にへたりと座り込む。
「あぐぃ!がはっっっ!!あ゛あ゛あ゛あ゛!!!」
鷹岡がただをこねる子供のように首を押さえてのたうち回る。
「鷹岡!!!」
烏間先生の声がした頃には、目の前で既に殺せんせーが鷹岡の治療を始めていた。僕はただその光景を見ているしか無かった。
みんなの声が聞こえる。でも言ってることはよく分からない。頭がまわらない。考えても考えてもぐるぐるする。どうしてナイフがあたったんだろう刺さったときの感しょくがみぎ手にのこってる。このかんじは………あれ…なんでこのかんかくをぼくは覚えているんだろう。
「……さくん!渚君!」
烏間先生の声に、はっとする。どのくらいぼんやりとしていたのだろうか。目の前ではいつの間にか理事長先生が鷹岡に解雇通知を渡している。
「確かに教育には恐怖が必要です。ただ、力でねじ伏せたいのであれば自分が絶対的な強者でなければならない。それが成り立たないあなたの教育は教育などではありません………では、お大事に」
「ひ、ひいいいいいいいいい!!!!!!」
鷹岡にそう言い捨てた後、内容は聞こえなかったけど殺せんせーと少し会話をして理事長先生は帰っていった。
一方鷹岡はと言うと舐め腐っていた中学生に殺されかけた上に、クビ宣告されて意気消沈していたかと思えば負け犬を体現したかのような声と走り方で逃げてしまった。
「渚君!怪我はないか?」
「ぼ、僕は大丈夫です…でも鷹岡先生は……」
「あいつが自分から仕掛けた勝負だ。君の責任ではない」
「でも僕は……人を傷つけてしまいました…」
あの感触がまだ手に残ってる。手についた返り血はいつの間にかだれかが拭き取ってくれたらしく、拭き取りきれなかった爪の間に少し残っているくらいだった。ただそれでも……気持ち悪い感覚だ。
「それでもだ。鷹岡は奴が処置をして、もう走って逃げれるまで回復した。だから君は人を殺していないし、殺しかけてもいない。…ただ少し事故が起こっただけだ」
「……分かりました。お気遣いありがとうございます」
烏間先生の言葉はいつもに増して優しかった。それは残酷だと思えてしまう程に優しくて、温かい言葉だった。しかしそれでも、ショックで暗く沈んだ僕の心が再び浮き上がることは無かった。
そのあと僕は気分が悪いと言って、その日の午後の授業を全て休むことにした。殺せんせーに言うと要らぬ気遣いが面倒そうだったので、昼休みの間にビッチ先生に話したら、僕のことを案じたのだろうか即了承され、僕は帰宅することになった。
家に着いて、手も洗わず部屋へ行き、鞄を置いて制服も脱がずうつ伏せにベッドに飛び込む。
できるだけ深く深呼吸をすると、今日の疲れがドッときた。
迂闊だった。確かに鷹岡の事は嫌いだったけど殺したり殺しかけたりしたいほどの憎悪じゃない。あの人からは色んなことを教わったし、感謝はしてるつもりだ。ただちょっとだけ生きながら死ぬほど不幸になってくれればいいな、くらいの感情だった。
僕は仰向けになって右手を上げてじっくりと見る。
本当に気持ち悪い…………水や石鹸でいくら洗い流しても人を刺したあの感覚だけは取れなかった。手に染み付いているのか脳に染み付いているか分からないが、全身に加えて臓器まで洗濯機に放り込んで丸洗いコースで洗っても取れない気までしてくる。
僕は「はぁ…」とため息を一つついて、ゆっくりと瞼を下ろす。今日は色々ありすぎた。少し休みたい。
律に19時に起こして欲しいと伝え、制服を着替えて、次こそは上手くやると覚悟を決め、ようやく眠ることにした。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
どうして
あの時
まだ生きてたらしいっすよ。しかもまだ書かせてもらうつもりがあるらしいっすよ。生意気っすね兄貴。
次は…えーっと…約束できないけど…今年中には書きたいなって…思いましゅ。はい。よろしくお願いしましゅ。