「いつまで私のこと、見て見ぬふりをするの?」
深月が食料を買い足しに行ったその日、完全回復した日向にそう聞かれた。
「……見て見ぬふり?何のこと?」
よくわからなくて首を傾げたけど、彼女は、「……とぼけないでよ。だって、さすがにもうわかるでしょ?」と言った。
「いや、本当にわからないんだけど」
「……ほんと?本気でそう言ってるの?」
「うん、そう、だけど……」
僕の返事に、どこか伏し目がちに、
「そう、そうなんだ。……暁は優しいから、とぼけてくれてるのか、そんな結論に至らないってことなのかな」
「いや、大して優しくないし。どこでしてるのそんな勘違い」
むしろ怖い。どうプラス評価されてるんだろう。
「優しくないならそういうことでいいよ。……でも、それならそれで、君が許せないことを私がやってたなら、仕方ないよね?裁いてくれるよね?」
なんて言うから、
「……わかった」
と答えた。
「……急にまた、なんでそんなことを言い出したのさ」
僕の質問に、彼女は深呼吸をし、満を持して―
「それは令嬢の異能が関係していますねえ」
答えたのは、あの男だった。
「……お前」
「お前、とは不便ですねえ。どうせならぼくのことは……クリス、とお呼びください」
「まだ来ないんじゃなかったのかよ」
「いえいえ。ちゃんと約束は守りましたよお?令嬢が全快してから……今の彼女はまさにそうなのですう」
と哂う男に僕が護身用のナイフをふるったが、彼はひらりと避けて、
「あらあら、物騒ですねえ」
と変わらずへらへらしていた。……しかし、一瞬服の内側が見えて、完全武装しているのが分かった。
「なんで武装してるんだよ。生け捕りなら武装する意味ないでしょ」
「令嬢が抵抗するかもしれませんよねえ。それに、あなた方も」
「僕のような素人に武装する意味ないだろ。ごまかしがきくと思うな」
そうにらむと、「おお、こわいこわい」と男が観念して、話し始める。
「まあ、確かに生け捕りの予定でしたけどもお。ちょっとごたごたがありましてえ、予定が変わったんですよねえ。……令嬢を引き渡せ。さもなくば皆殺しだ」
「……お前、殺すのか。教会の貴重なモルモットなのに?ホムンクルスといえど人間なのに?」
男の狙いがようやくわかり、僕は戦闘態勢を取ろうとした。
が、男の後ろに人影が見えて、僕の戦意が鈍った。
「おっと。まさかぼくが無策であなたに挑むと思いますかあ?ねえ、逆行者さん?カモがネギをしょってきたのでえ、もちろん人質にさせていただきましたあ♪」
人質にされていたのは、深月だ。何かを必死に叫んでいるが、何も聞き取れない。空気の流れを若干乱して声が届かないように調整しているのだろうか。
しかも、逆行者であることまでばれている……!
「……クリス……」
憎い。腹立たしい。……僕が一番情けない。
けれど、まだだ。僕はまだ、情報を手に入れて、人質を解放させたうえで撃退する必要がある。
僕は憤りを抑えて、質問する。
「……そこまでして日向を殺す理由は何だよ?」
「……ああ、そういやその話、まだしてませんでしたねえ。……あ、いいこと思いつきましたあ♪」
と僕の質問には答えず、男は自分からべらべらと話す。
「今から、ぼくが、というよりは教会が見切りをつけた理由を話しますう。それを最後までしっかり聞いたうえでえ、君には一つの決断をしてほしいんですよねえ。あ、感情論ではなくちゃんと論理的な理由を述べなければいけませんよお?それさえしてくれればあ、どの結論を出してもお、自由にして今後関わらないことにしますねえ?」
「……僕を殺すとかはないのか?」
「ええ。逆行者がいるって聞いたことはありましたけどお、実際見るのは初めてなんですよねえ。だから殺すのももったいないなあっと思いましてえ」
といまいち腑に落ちないことを理由にしたが、僕にとってはありがたい話だ。戦わずに済むのだから。
こうして、彼は語り始める。
「まず、日向咲の異能は『昇華』ですう」
「効果は簡単、DNAを採取した際、自分の記憶、経験、知識に昇華させるというものですう。まあバフとかデバフとかにも使えますが、関係ないので割愛しますねえ」
「ところがどっこい、この異能はとんでもないデメリットを抱えていましてえ」
「異能リビドーって、ご存じですよねえ?」
「そうそう、制御できてないと常時発動してえ、理性で抑えるのにも一苦労する、社会不適合者に等しいあれですう」
「彼女はその異能リビドーを抑えきれずにい、周囲の人を襲ってたんですよねえ」
「答え?いやですねえ、そんなの本人から聞くかぼくの話から推測してくださいよお」
「最初は教会で用意してたんですけどもねえ、あの子は全然食べませんしい、どんどん弱ってたんですよお。確かカロリーメイトあたりではなかったでしょうかあ」
「その時は異能リビドーなんてわかってなかったんですけどお、あるおせっかいな少年が彼女を不憫に思ったみたいでしてえ、脱走したんですよお」
「まんまと逃がしちゃったんですけどお、その後の足取りを追っているうちにわかったことがありましてえ」
「どうやら彼女、まともに法律が採択されてる国ほど生きづらい性質のようでしたあ。あ、この時はまだぼくしか知らないことですよお?知ってたら処分命令がすぐに下りますのでえ」
「まあ、一応?教会の命令のほう厳守ですのでえ、生け捕りのしようと思ったんですけどお、君がいるじゃあないですかあ。しかも死にかけたという割には無傷ですしねえ」
「これはもしかしたらあ、あなたは理解した上で彼女に『食べ物』を上げたのかなあっと思いましてえ。任せてみることにしたんですよお。あなたの食事の用意はぼくがもみ消すつもりでしたねえ」
「でも違ったじゃあありませんかあ。あの子はあくまで自分で食料調達してましたあ。『飲み物』はいらなかったみたいですけどお……あ、だから面白かったですよお。餌を彼女の前に連れてきたのはあ。親友と名乗る女性から餌にするなんて外道だなあ、と」
「まあ、違いましたしい、もみ消すにも行方不明が限界でしたあ」
「それならまあ生かしてあげてもいいんですけどお、ついにぼくの仲間まで餌にしちゃったみたいなんですよお。そりゃあ、許せませんよねえ?」
「報告しましたらあ、処分命令が下りましたのでねえ?こうやって、処分に至るわけですう」
「……ファイナルアンサー?」
「……はい、よくできましたあ」
「そうですねえ、彼女の異能リビドーは、『食人』ですねえ?」
……認めたくはなかった。
けれど、それしかつじつまの合うものがなかった。
深月によそよそしかったのは、彼女を餌として見ていたから。
食事中に手を付けようとしなかったのは、人が食べ物だと認識していたから。
寝る間に深月の首元に忍び寄っていたのは、彼女を食べようとしたから。
僕のお守り代わりの石の魔力が切れていたのは、その魔力を使って人を襲っていたから。
最近行方不明者が多発していたのは彼女が人を食べたから。
教会の平がいなかったのは、彼女が餌として食べたから。
……でも、まだ謎はある。
ただ一つ気になることがあった。
「……日向は死にかけていたんだ」
「そうだと言っていましたねえ」
「僕は彼女を助けようとして首にかみつかれた」
「そうなんですねえ。……おや、しかしあなたは」
「そう、血を吸われただけで生きてる。嚙みちぎられてすらいない。それは一体どういうことだ」
「さあ?僕は知りませんのでえ。本人に聞くべきではあ?」
と日向に視線を向ける。日向は青ざめていたが、やがて顔を上げて、ゆっくりと語る。
「……人を食べるのは普通じゃない。暁たちと過ごすうちにそれに気づいた。でも、私は人を食べないと生きていけない。そうしないと飢え死にするの。……それは、死にかけた時だってそうだった」
「有希は死体を餌としてくれたけど、『いつか君が普通の食事ができたらいいね』って言ってたけど、そんなの全くわかってなかった。……だから、あの時、君を食べて回復しようとした」
「けど、なんか不思議な力にはじかれて無理だった。だから、血を吸うことにした」
僕はやっと最後の疑問を解消できた。
僕が死ななかった理由。僕を襲おうとしなかった理由。初日に僕の吸血をする提案を断った理由。
僕は、そういう何らかの異能を所持している。
日向は語るのをやめない。心なしか震えている。
「私は、無法地帯でもないと生きていけない。同族を殺さないと生きられない。私がいるだけでこんな騒ぎになる。……でも、私は、平和が好き。ううん、君たちのおかげで普通のありがたさを知ったよ」
「……できない約束はしない主義なんでしょう?……今こそ、果たすときよ」
「私を、殺して」
「はい。さすがですねえ、ぼくの考えをわかっていますよお」
彼女の言葉にそうへらへらと哂う男は、やっと、僕に、わかりきった二択を提示した。
「さあて。質問です。……この目の前の、法治主義である限り、法を犯さずには生きられないホムンクルス。彼女を、殺しますか?殺しませんか?論理的な理由もあわせてどうぞ」
この二択はひどくシンプルだ。
殺す場合。この食人しないと生きられない彼女の行動を悪であるとし、これ以降の犠牲を防ぐためと言って殺すことになるだろう。彼女との約束も果たせるし、殺したとて目の前の男はきっともみ消す。論理的な理由などいくらでもいえる。
殺さない場合。食人しなくても済む解決案、長期的に運用可能な対策法を告げないとこの選択ははねられることになる。人質を取られていて、僕も勝てる保証がない以上これは絶対だ。生かしたとしてもその解決案が効果があるのか、そもそも僕は彼女との約束を破ることにならないだろうか。
……きっと、『前回』の充喜暁もこの選択を迫られた。そして彼の下した決断こそが、彼の話した『トラウマ』なのだろう。
何がトラウマなんだろうか。生かして被害が拡大したこと?殺したけど行かせる手段を後から思いついたこと?彼は魔術理論を熱心に研究していた。戦闘理論も。いや、これじゃわからない。どっちにもとらえられてしまう。生かす方法を模索したとか、後になって殺すために訓練していたとか、そもそもこの二択を二度と押し付けられたくなかったとか。僕は食人なんて噂を『前回』は耳にしていないけど、それでも、僕が知る前に殺した可能性がある。だめだ、この路線は堂々巡りだ。
僕の感情論で言えば、殺したくない。決まってる、誰が喜んで人を殺したがるんだよ、僕ですら強い憎悪という動機を要したってのに、人を食べた決定的瞬間を見ていなければこちらに全く被害も出ていない奴を殺す意味なんかない。この世界に生きていちゃいけない人間ってひどすぎやしないか。
生かす選択肢。僕が彼女の食人を無効化できる?そんなことに何の意味があるんだ。彼女の栄養源になっても確実に足りないから彼女が狩りに行ってたんだろ。
食人衝動を深月が否定する?それもない。一生一緒にいる保証すらないんだぞ。
そもそも食人衝動を抑えたとして栄養源はどうするんだよ。代案なんて何も浮かばない。
……あいつ、丈凪怜は、きっと生かそうとしたはず。でも、結局は殺した。生かす選択肢なんて浮かばなかったから。でもそれがトラウマとなっている。つまりは解決策が今なら浮かんでいるというわけで。あいつは、何を思いつくのだろう。
僕には、てんでわからない。
……殺すしか、ないんだろうか。
「私を殺すことは、救うこと。殺した命じゃなく救えた命を数えて。私は、普通を望んだけど、普通にはどうあがいたってなれない。だから、殺すことをためらわないでね」
僕の考えが顔に出ていたのか、日向はほっとしたような顔でそんなことを言う。
……なんでそんな平気そうなんだ。僕の周りはいつもそう。無駄に強い。
男は「そうですねえ。今なら彼女もきっと逃げないでしょうがあ、手伝って差し上げますねえ」と影にナイフを刺した。見たことがある、影に刺して相手を動けなくする技術にして戦闘理論の基本、『影縫い』。
僕は徐に歩み寄り、日向の胸元にナイフを振りかざし、
「……だめ!」
深月の声で、止まった。
深月のほうを見れば、深月が魔術を『否定』したのか一生懸命叫んでいる。男がしゃべらせまいと結界を張りなおしているが、その魔術式すら『否定』する。
深月は必死に僕に語り掛ける。
「だめだよ!それは最善策じゃない!絶対後悔する!きっと君ならわかる!もっと考えてよ、そこに答えがある!咲ちゃんは、―」
そこで深月の声が途絶える。……どうやら、深月の異能『否定』の異能リビドーが初めて発動したらしい。見たところ『自傷癖』か。暴走しているから、僕は早く結論を出さないといけなくなった。
……殺すのは最善策じゃない。
つまり、深月視点はもう生かせる手段を思いついている。
そして僕にもわかるといったので、僕の情報量が足りていないわけではない。
後悔するなら、至極簡単なのかもしれない。
そうだ、難しく考えすぎていたんだろう。もっと簡単に考えないといけない。
まだ考慮していなかったが確かに与えられた情報といえば日向の異能。確かに目の前の男は言っていた。たしか、『昇華』。
DNAを採取した際、記憶、知識、経験として活用ができる力。
そして僕の血を吸ったら回復できたと確かに日向はいった。
……なんだ。確かに答えは簡単だった。思考がどこか封じられていたような違和感が消え、すっきりした。
確証なんてないけど。きっと、深月も、男だってこの最善策が浮かんだうえで尋ねていたのかもしれない。
「……ありがとう、深月」
僕が小さくつぶやく。深月に届いたかはわからないが、確かに君のアドバイスがなくてあのまま殺していれば、僕は一生後悔するところだった。
僕は結論をたたきつける。
「僕は、殺さない」
「暁!」
「……論理的な理由を聞いてもいいでしょうかねえ」
僕の言葉に日向が再び顔を青ざめるけど、それには構わず僕は男と話す。
「……僕の血液を吸って、それを全部栄養に昇華する。そうすれば、食人衝動を一時的になくせるはずだ」
「へえ?でもそれは君が一生隣にいないと」
「ああ。僕が伴侶になるならそれでいいし、無理なら理解者を見つけ出すまで手伝おう。死ぬ時期云々は、僕が死んだとき彼女も死ねばいい。その代わり、彼女が死んだら僕も死ぬ。これで、どうだ!」
「……」
男は黙り込み、「正解」とだけ告げた。
「けど、彼女はそれで納得するんですかねえ?」
「させてみせる」
そういって僕はナイフを落とし、彼女とようやっと向き合った。
「日向。そんなわけで、僕は君を殺さない。僕が言った作戦に協力してくれるよね」
「……嫌。私は、そんな結論を認めない」
僕の言葉に彼女は取り付く島もない様子だった。
「……なんで、日向はそんな死にたがってるの?」
だから、純粋に質問をした。
「死にたいわけ、ないじゃない……」
彼女は、涙を流していた。
「好きで死にたいんじゃない。好きでこんな風に生まれたわけでもないの。普通に生きたかったの!」
そう、彼女は本音をさらした。
「学校に通いたかった、おしゃれをしたかった、いろんなところに出掛けたかった、年間行事で盛り上がりたかった、帰り道にアイスを食べてみたかった、食事をおいしいねってみんなと笑い合いたかった、勉強してみたかった、もっといろんな景色を見たかった!未練なんてたくさんある!……けど、人を食べた化け物がそんなことを願っていいわけがない。実験で生まれて、何回もぐちゃぐちゃにされて、逃げ出して普通を理解する前に踏み違えて、そんな異常な人はもう、幸せになんかなれないの」
それは前回の僕にどうしようもなく似ていた。
普通にあこがれた。けれど、異能があるからって普通を奪われて、普通を当たり前に享受している世界が憎かった、そんな僕と似ていて、しかし正反対だった。
僕は死んでも治らないバカで、彼女もまた違う意味で、きっと死んでも治らない馬鹿なのだ。
「これから犠牲を出さなくていいのだとしても、私は、犠牲の上に成り立ったこの体なんていらない。こんな化け物には生きる資格もない。だから、殺して。私を、助けて」
「……まあ、いいんじゃないかな」
彼女の本音があまりにも自分勝手で、井の中の蛙で。僕も自分勝手に話すことにした。もう、あいつが『前回』どう思ってたかなんて知るか。
「なっ……」
「化け物?異常?普通じゃない?僕の知ったことか。僕にとって日向は世間に疎いただの女の子なんだよ」
「た、ただの女の子って」
「それに、化け物だから殺すだの、人間だから生かすだの、そういうのはおかしいだろ。魔術師は特別なことができるけど人間、なら異能者も特別なことができるけど人間。当たり前のことでしょ?君に関しても変わらないんじゃないの。人間でも化け物みたいな性格してるやつなんかいるし、人間臭い、愛された化け物だっている。じゃあ、いいじゃんか。君が人間でなくとも」
僕の言葉に、日向はいよいよ死ねないと思ったらしい。
僕をこれでもかとにらみ、しかし笑いながら、涙をこぼして、と顔中忙しくさせて、僕に言う。
「……君は、できない約束はしないんでしょ」
「そうだね。確かにそういった」
「私をさばいてって言ったじゃない」
「でも今回僕は約束を破るよ」
「私を助けてよ!」
彼女のその慟哭に、僕は強く答えた。
「僕は、君を、救わない」
彼女は崩れ落ちた。もう反論してくることはないだろう。
僕と日向のやり取りを見ていた男が、ニヤニヤと僕を見ていたけど、やがて口を開いた。
「……つまりい、君はそれと添い遂げる、ということでいいんでしょうかあ?」
「そういうことになるね」
「それがどんな怪物でえ、どんな厄災であったとしてもですかあ?」
「日向がどんな者かは、これから知っていけばいいさ」
「……なるほどお。ぼくもできない約束はしない主義ですのでえ、君も、そこの少女も、令嬢……日向咲にも手出ししない、そう約束しましょうかあ」
「……本当にできるの?教会の代表からの指示なんでしょ」
「問題ありませんよお。ぼく、教会での発言力は神父にも及びますのでえ」
「……それって実質神父じゃないのかな?」
「やりますかあ?」
「いや、やめとく。勝てる気が全くしない」
そう僕が言うと、深月が解放されて、男が去っていった。
……僕が彼女を救えたかはわからない。
今殺さなかったことで僕をひどく恨んでいる彼女に「ありがとう」と言われる日が来るかわからないし、言われてもきっと僕は、「ああそうか、自分のおかげだろ、よかったね」と返してしまうだろう。実際、僕一人ではあの結論にたどり着けなかったんだから。
……まあ、話のオチとしては。
クリスマスに一緒に出掛ける約束は果たせたってことで。
日向咲(ひゅうがさき)
…普通を夢見る、食人ホムンクルス。暁が居ると食人しなくて済む。