とある少女の話をしよう。
その少女は、双子の兄妹の妹としてこの世に生を受けた。
優しい家族に恵まれた少女は、その中でも一番、兄を慕わしく思っていた。
何かあれば必ず助けに来てくれる。
魔術師としてみんなのヒーローになるという夢を語る。
悲しいことは半分こ、うれしいことは二倍に。
いつでも隣で親身に接する、そんな兄にあこがれていた。
少女が彼の相棒として共に戦うことを夢見るのももはや自明の理であった。
だから、少女は、そんな兄が魔力を持っていないことを信じられなかった。
そして自分だけ魔力を持っていることも許せなかった。だから魔術師として普通なら始めるべきである魔力操作の練習を怠った。
無意識ながら、この時点で彼女は自分が大嫌いであった。
彼女をそれでもつなぎとめていたのはほかならぬ家族だった。
自分が最も大好きな家族が、自分を好きでいてくれるから、彼女は自分に芽生えた異能に気づいても自分を否定することはしなかった。
そんな少女は、家族と出かけている最中にとてつもない揺れ、―次元地震に襲われた。
気づけば自分以外の人間が死んでいる。母親も、父親も、兄までもう生きてはいない。生きているのは自分だけで、ほかの周囲の人はなぜか無傷でそのまま日常を謳歌していた。
少女は、自分の心の支柱となっていた存在が既にこの世にいない、一瞬で失ったことを悟り、絶望した。
しかし、少女には救う手段があった。力が芽生えたのは感じつつも使わずにいた異能。それさえあれば、一人だけなら救える。
無論何の犠牲もなしにそうすることはできない。いろいろと大事なものを失ってしまうこともわかっていた。それさえなければもう二人も救えることも、自分が環境に甘えたから制御がうまくできない結果、犠牲も考えると一人しか救えないことも。
彼女は自己嫌悪を抱きながら、しかし躊躇なく『自分の記憶』を切り捨てた。本名や家族の顔、家族の住所、兄妹間の絆などを糧にして、少女は兄が死んだ事実を『否定』した。
兄が無傷になったのを確認したが、白いローブを着た大人が迫ってきていた。本能的に逃げなければいけないと察するが、記憶を糧にしたからかどこか意識があいまいで、うまく動けない。
そんな少女を救ったのは一人の女性だ。
その女は横たわっていた少女を抱き上げ、屋内に瞬間移動した。そして少女の意識がはっきりした頃、女は少女にこう語りかけた。
「さて、君は自分の名前は言えるかね」
「……わからない」
「家族も?」
「……お父さんとお母さんが死んで、お兄ちゃんがいたことは覚えてるけど……あとはさっぱり」
「そうか。本当は家に帰してあげたいけれど、君を追っかける人たちは危険なのだよ。そういうわけで暫くは私が君の母親代わりだ」
「そうなんだ……」
少女にとってはどうでもいいことになっていた。
「私は深月命。君は……深月育、とでも名乗るといいさ」
そう自己紹介を受けた後、まだ記憶がおぼろげな少女に女は説明をする。
「あの連中は『教会』と言ってね、異能者を捕まえて悪いことをする輩なのさ」
「あれに追われるということは君は異能者だ。そして、君の記憶がないことを考えると、あまり良くない副作用があるのかもしれないね。あまり頼らないようにしなさい」
「基本君の好きなようにするといいが、ちゃんと魔術の勉強は頑張りなさい。あの連中に対して自衛手段はないといけないからね」
「まあ、なんとかなるさ。みんな優しいはずだ。きっと君の力になってくれる」
「悲しいこともあるかもしれないが、皆つらいんだ。君もくじけることなく頑張ってね」
そこまで説明すると、インターホンが鳴り、客の対応のために女はその場を離れた。
どうやら青い髪の少女が彼女を訪ねたらしい。事故現場とさらっていく様子を見た、と。
しばらく話してから客は帰っていき、女は少女に振り返って笑顔で言った。
「ま、私は時々出かけるけど。よろしくね」
それからの女性との生活は、少女にとって幸せかと言えば否といえるものであった。
毎日徹夜で勉強をさせられ、極力行動を指定され、訓練で毎日しごかれ、友人関係にも過干渉で、食事は苦手なものでも口に無理やり詰め込まれ、体調不良で休もうものなら家を一時的に追い出されることもしばしば。
小学校に入学してからはエスカレートした。暴力だけは絶対になかったが、少女にとっては苦痛なものであった。
成績優秀者であり続けた。女に褒められたくて。
運動神経抜群であり続けた。女に認められたくて。
常に笑顔で振るまった。友人がほしくて。
でも、どうしても戦えない。相手を傷つける行動ができない。それをしようとすると生理的嫌悪感とともに腹痛、頭痛、吐き気が襲ってくる。それに抗って無理やり体を動かしたときは、あとでトイレに駆け込んで泣きながら嘔吐した。食べ物の味もしなかった。
だから、そこに付け込んで悪口を言う人もたくさんいた。
つらいのは自分だけじゃない。その程度できなくてどうする。皆つらいんだ。もっと頑張ってるやつもいる。もっとしんどい人がいる。甘えてるんだ。ちょっとはがんばれ。なんでこんなことができない。お前だけじゃない。あの子はもっと頑張ってる。努力しろ。だらけてる。あの子に比べたら。
それでも、必死に自分に念じた。
頑張らないといけない。ほかにもっと大変な人がいる。私だけがつらいのではない。私なんてまだいいほうで、だから、頑張らないと。
頑張らないと。
……頑張らないと。
……彼女の限界はすぐそこだった。
その日は彼女に不運が続いた日だった。
朝は寝坊し、朝食にパンを焼いたがそれを床に落としてしまい、ランドセルも上級生に盗られ、取り返したが鍵を失くし、自分の服に鳥の糞がついて、歩いていてもガムを踏みつけてしまい、体育ではガラスをボールで割ってしまい、理科では実験中に髪に火が燃え移り、算数のテストも解答欄がずれて悲惨な点数になり、塾に向かう途中で財布をすられた。
その度に教師やクラスメイト、上級生、そして女にいつも通りの言葉を言われる。
どうしようもなく嫌になった彼女は、ひさしぶりに異能を使うことを思いついて、自分そのものを消してやろうと公園に家出した。
が、そこには先客がいた。
茶髪に青い瞳。たしか『充喜暁』。成績は上の中。どこかひねくれているから孤立気味な男子。クラスで貶められていたから、友人が欲しい一心で助けたけど、それ以降全く接点がないという少し珍しい対応の少年だから、記憶に新しい。笑った顔を見たためしがない。いつも沈んだ顔ばかりだ。
そんな少年がブランコで黄昏ていた。これでは人前で異能を使うというタブーになってしまう。
家出する意思はしかし固く、異能を使えないなら明日まで隠れ切って使おう。そんな思考回路で少女は公園に足を踏み入れたが、すぐに少年と視線が合ってしまった。
なんとも気まずく、
「え、えと。やほ」
と控えめに手を振ったが、少年はぎろりと睨み、
「傑作だね」
なんて返す。
「……け、けっさく?」
「そうだよ。優等生がこんな夜遅くぶらつくんだ。よほど自由なんだろ」
「……でも、充喜くんも優等生だと思うんだけど」
一般論で返すが、少年はむしろその言葉を嫌味と感じたため、
「はあ?君みたいな勉強が趣味な奴に言われたくない。君みたいな優等生、見てるだけで劣等感ではらわたが煮えくり返りそうだ。どこかに行ってくれ、しっし」
と払いのけた。
だが、素直にどくわけにはいかなかったので負けじと返す。
「私だって、好きで魔術の勉強なんかしてない。むしろ嫌い」
「へえ、優等生は馬を合わせるのも得意か。無理に同調しなくてもいいよ。君とは違って僕はもう嫌になって疲れただけだから、一人にしてくれない」
「……っ」
嫌になって疲れただけ。その言葉が変に少女の心に響いた。
その少女の内心は、まさにその通りだったから、その愚痴の言い合いはエスカレートする。
少年は追い払いたい一心での言葉だから、まさか少女がそれに同調しているとは夢にも思っていなかったが、少女は普段口が裂けても言えない言葉を繰り返し口にする。
ついに「終わりにしたい」とまで口にした。
そこで少女は我に返り、自分の本音を簡単に、仲がいいわけでもない、揚げ足取りやあらさがしが得意な傾向の強い魔術師志望の少年にさらしたことを恥じた。
これでまた、いつも通りの言葉を浴びせられる。
そう思うと恐怖で足がすくむ。その場から逃げることすらできずにいた時、彼は噴き出した。
くつくつと笑う彼は、目に涙を浮かべ、腹を抱えて爆笑していた。
少女は、その彼の笑顔に心のすべてを奪われた。
いつも笑わない彼が、今、初めて笑った。
思えば、騒がしい日々に笑えなくなっていた。心から笑えたためしがなかった。
そんな少女の目に映る彼の笑顔はとてもきれいに見えた。
恋に落ちる音がした。世界が一瞬で彼を中心に色づいた。
ぽかんとする彼女に少年は気がつき、
「あ、いや。そんな言葉をいう優等生、きっとめったにいないだろって」
と弁明するが、それすらどこかいとおしく見えた。
ぼうっとしている少女に気まずく思ったのか、
「……あー。うん。もう暗いから帰れよ。終わりにしたいとか思ってないで、ちゃんと塾に来いよ!僕も終わりにしたいくらい今めんどくさいんだから!」
とその場を慌てて去り、しかしすぐ戻ってきて一言だけ、
「たまにはいいこと言うじゃん」
と言い捨てた。
それ以降、少女は自然に彼を目で追うようになった。
あまり笑わない彼は、卒業後の春休みに最も剣吞な雰囲気を出していたが、少女が自分なりに、一番嫌いな言葉をアレンジして自分の境遇を話せば立ち直った。
中学でも積極的に関わった。
彼が一生後悔しかねない選択肢を突き付けられた時も、禁じられていた異能を使ってでも彼に訴えた。
常に隣に寄り添った。
思いつく限り、色づいた明日にしたかった。
そう思うだけで、日常が変わらなくても、心無い言葉やうるさい声を浴びても、生きていられる。ありきたりな喜びに浸れる。
人生初めての片思いをずっと胸に秘めていた。
時折彼はどこか遠くを待ち遠しいように眺めることがあって、そんな顔が嫌いだった。それも、信じたくて信じきれないことでも、どうしようもない悲劇などこれからいくつもあったのだとしても、分かり合える。
そう信じていた。
そんなある日、彼は『逆行者』であると打ち明けた。
少女はこれに半年も悩んだ。実の兄の人格に恋をしたことになる。自分の感情が誇らしいことかわからなくて、そこが少しずれると忽ちだめになった。今まで平気だった言葉が腹痛や頭痛、吐き気を催すものになった。
いつか、『否定』で自分の人格を知らず知らずのうちに『否定』してしまっていること、その時に暴走してほかの人を社会的に殺していることを自覚した。
余計に眠れなくなった。自分が嫌になって、自己嫌悪が止まらなかった。
実の兄との邂逅も果たした。実の兄も逆行者だ。だが、兄は少女にはっきりといった。
『前回、今回などあまり関係ない。知っている人格を好きになったならそれでいい。その人は背景はどうあれ、現在は自分の知っている通りの人物である』と。
やっと決心がついた彼女はその勢いのまま告白に行った。自己嫌悪は自分の一番好きな人の一番好きな人になれればそれで止まる。そのように理解していたし、実際それは正しい。
が、足が止まった。
彼にとっては妹だと認識されていることが分かったから。
一瞬でも自分の兄の言葉の通りに彼も考えている、そう期待した自分が恥ずかしい。
彼女の自己否定は加速した。
むしろ消えたかった。自我が薄れてきたのは好都合だった。
なのに、もうすぐ終わると安心していたところで、彼に助けを求められ、つい自我を取り戻し、体の制御権を異能から無理やり取り戻してしまった。
しかも、少女にとっては夢のような話で、一番好きな人の役に立てる。
なんとか引き戻そうとしている。
自分を諦めないでくれる。
自分と一緒に墜ちて、抱きしめて……好きだと、一番求めていた言葉をもらった。
最後の最後なのに、遅すぎる告白に、彼女は幸せで笑った。
三秒間の幸福が少女の心を満たした。
「なんてな。これが深月育。もはやオレ以外知る人もいなかった、彼女の物語だぜ」
「……そうか」
深月育の病室の窓の外で、本郷がようやく俺の質問……深月育とは結局どんな人間だったのか、という質問に答え終えた。
前々日、その翌々日……つまり今日には深月育の結末がわかるといわれ、その時に報酬の話もするとのことだったから、そこで待っていたのだ。
深月育は記憶喪失になった。
それも、充喜暁への恋愛感情以外のすべての記憶を失った。
本郷曰く、「オレが思ってたハッピーエンドよりずっとハッピーエンド」らしい。感情もなくなることを想定していたようだが、今の日向、充喜との会話を見るに感情は残っているだろう。
本当はこの恋愛感情すら残らなかったかもしれなかったのだが、土壇場で充喜は正しい選択をした。深月育を『受容』することで、『自己否定』の効果を打ち消したのだ。
充喜暁は本来、あくまで自分に害なす異能の無効化しかできないが、相手に付与することもできるらしい。
固定観念があったら不可能な相談だったが、まだ検証中だからできたことでもある。
……そして話を聞いて、夕映の発言の意味も分かった。
「深月は憑依前の俺の死を否定してたんだな」
だから世話になったこともある、と。分かりにくいものの言い回しをするよなあ……。
ついでに、深月命が深月育……つまり丈凪怜の妹、丈凪育の誘拐をしていたのもわかったし、夕映がそのタイミングで叔母と面識があったのもわかった。
そんな訳で想定していたより割といい情報を得られた。
閑話休題。
「で。報酬とやらは考えたのかよ」
「勿論。ずばり、オレを『John』のオブザーバーに据えろ」
「……意外だな」
俺の魔術式スクロールか俺の異能の内容を知りたがるかと思ったのに。
思わずそうつぶやくと、
「いや、魔術式はすでにお前が使ったやつあんじゃん?あれをひねれば面白いので来そうだし、お前の異能もいい感じで知れそうなチャート見っけたからねえ。ほかにもやりたいことあるから、それも両立できることな」
そうけたけた笑った後、
「でもそのチャート、お前のとこのオブザーバーってのが一番角が立たないからな」
と話す。
「はあ?つまりお前の行動を不自然にしないために、俺の組織のオブザーバーって称号が欲しいってことか」
「ご名答♪ま、行動については互い不干渉ってことで行こうぜ。で、どうだ。受ける気はあんの?」
と手を差し出した。
俺はすぐに手を取らず、本郷の顔をまっすぐ見て問い返した。
「……信用できねえんだけど。ここの組織にとって不都合なことしないだろうな」
「しねえって」
ばっさり否定する本郷は、続けた。
「何警戒してんの?もしかして伝達魔術で言ってた『世界が滅ぶ』とかなんとか?充喜から記憶を読み取ったからわかったけどさあ、オレは世界を壊すとかねえわ」
「犯人はみんなそういうだろ」
「犯人じゃなくても言うわ。オレって世界……っていうより人間が好きなんだよ。他人の不幸は確かに蜜の味だけど、人が幸せなのもなかなかいいもんだと思う。だから、オレの理想はバッドエンドじゃなくてメリーバッドエンド。世界が滅ぶとかバッドエンドしかねえよ。仮にオレがそうだとして、ならオレにも予測できない出来事が発生したとか、絶対オレ本人の本心じゃねえな。異能に人格に近い何かがあることも今回の件で分かったんだ、多分、そっちのせいだぜ」
「……そういわれると否定しきれないな」
俺は渋々この提案を受けたのだった。