花が咲いて、小鳥たちが囀り、湿度も温度もちょうどよく、正に昼寝日和、ピクニック日和という言葉が似合うこの日、二人の男女が『軍』本部の執務室で面会していた。
「……他の皆は大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ。充喜が呼びかけを行い、大半が避難したのを確認している」
その男の返答に、女は安堵して「そうですか」と返し、切り出した。
「あの、黒守さん。やっぱり、貴方は正しかったんですよ」
「……」
「異能者なんて迎え入れてはいけなかったんです。そうすれば、ここまでひどくはならなかったでしょうから」
その言葉に男は昔を思い出した。
今から数年前。男は、『軍』上層部の命令を受けて、異能者の団体を襲撃した。魔術師を駆逐する異能者団体などいくらでもいて、それと同類だと思っていたから容赦はなかった。
『教会』も利用した、完璧な作戦だったが、一人の少女によってその任務は失敗に終わる。否、失敗ということにした。
男が殺そうとしたその少女は、男がいかなる攻撃をとっても抵抗しなかった。ただ、「私たちは無差別に魔術師を殺したいのではない」「異能者も普通の人間だ」という趣旨の言葉を繰り返すだけだった。
あまりにも様子がおかしいので、一旦休戦ということにして拘束し、『軍』の息がかかっていない情報屋を頼って裏を取った。結果、魔術師を殺してはいるが、あくまでも世間一般に『悪徳魔術師』とされる存在のみが標的にされていることが判明した。
これを知って、怒りと失望を抱いた。
何が正義だ。彼らのほうがずっと正義ではないか。
何が異能者は化け物だ。少なくとも彼らは下手な魔術師よりずっと人間らしいだろう。
『軍』は己の価値観に囚われてことの本質すら見えないのか。
あまりにもばかばかしく、腹立たしく、情けない。
その日のうちに、男は『軍』上層部を皆殺しにした。日本に革命を起こした。そして異能者を受け入れて、その少女―汐宮宥とその仲間二人を『軍』上層部に配置した。
異能者の地位はこれで少しずつ上がっていくはずだ。
そう思っていた矢先、仲間に引き入れた異能者の一人―本郷拝祢が全人類を対象に殺しを始めた。今、異能者の地位は革命前より低くなっている。
男も今はある事実が知られていないから、立場に変わりがない。
しかし、例の話が明るみに出れば、男の立場は危うく、『軍』すら維持できなくなると思われる。
この女がしたいのもその話だろう。
「黒守さん、今なら間に合います」
女はそう言う。覚悟を決めたように。
「私の異能……『書換』を『投影』」
「汐宮」
しかし、女の言葉を男はさえぎった。
「あの時お前を殺しても、正しい未来に進めたかわからない。同じ結末が待ち構えていたかもしれないし、違う運命がそこにあったのかもしれない」
「……」
「だが。あの時、異能者を迎え入れるという決断をしたからこそ。丈凪怜が。一条有希が。真白夕映が。充喜暁が。そしてお前が、この現実に立ち向かってくれる。そんな奴を殺して力を手に入れて、……それで世界を救えても、俺にとってそれは納得できる結末じゃない」
「……」
『投影』。この数年間で判明した俺の異能。殺した相手の異能を自分の技にする、なんとも紛い物のような力。
それを使っても、その時にこの女がいないなら意味がない。男は本気でそう考えていた。
「それに、俺がそれで奴の存在を『書き換え』ても、俺が暴走するかもしれない」
「ありがとう、ございます」
そう言う女の顔はくしゃくしゃだった。色々複雑な感情を抑え込んでいた。
「でも。もしもの時は、ちゃんと私を殺して、私の力を使ってくださいね」
俺はそれに何も返さず、執務室を後にした。
その報せを聞いたのは、その会話の一時間ほど後。
避難所が襲撃されて、充喜暁と本郷が相討ちになったとのことだった。
生存者なし。その絶望的なニュースに、さらに追い打ちをかけるようにその戦いに汐宮宥も参戦していた事実が追加され、手をこまねいてなどいられなかった。
現場にすぐ駆けつけると、汐宮宥にはまだ辛うじて息があった。
なんとか揺すり起こすと、彼女はもう死を覚悟していたのか、男のなけなしの魔力での回復魔術など無駄なのだと諭し、話したいことがある、とも言った。
「……貴方は、殺した人の力を引き継げるんですよね。つまり、いま私を殺せば、時間を『書き換え』て、過去の世界に行けるってことですよね」
「……」
「私は簡単に暴走しちゃいます。だから私がそうすることはできなかった。けれど、なかなか暴走しない貴方なら、過去に戻っても自我を保てます」
「……」
「貴方がその力をまがい物だと思っていることは十分承知しています。しかし、それでもお願いしたいのです。……私の、世界中の人たちが笑顔であってほしいという願いを引き継いで、貴方のその力で、世界を救ってほしい。この運命を超えてほしいのです」
「……」
女は、男の手を握った。
「お願いします。早く。希望が潰えないうちに、私を殺してください」
「……必ず、約束は守る」
男は、一番愛した女の武器―鋏で、首を搔っ切った。女は笑顔のまま死んだ。
そして、血にまみれたその鋏に異能を使う。綺麗な状態に『書き換え』られたことを確認し、男はそれを懐にしまった。
そして、自分以外誰もいなくなった世界を見渡し、異能を意識して、過去に戻った。
その世界には誰もいなくなった。
>国会議事堂跡地
「僕も混ぜろよ」
僕はそう言って戦闘態勢をとる。
黒守は僕を睨み、『魔装』槍を構えなおす。
「異能を封じたのか」
「うん。僕は実質異能を持ってないようなものだ。色んな異能をポンポン使う、紛い物みたいな力を連打されても勝てないから、正々堂々と戦いたくてね」
嘘だ。
異能無効化術式は対象を一つしか設定できない。だから『操作』しか封じていない。ほかの異能なら僕の『受容』で対応できるから。本当は『投影』そのものを封じたほうが安全だけど、それじゃ僕が倒しても真白の作戦に支障があるかもしれないから。
「……一言言っておく。俺の使える異能は二種類だけだ」
「そうなんだ」
丈凪の話とは違うけど、あいつが思いついてたなら黒守が思いついていないわけがないか。異能を魔術で再現する方法なんて。
それでも『操作』『循環』『否定』あたりは無理らしいけど。
「操作はさっき使ってたよね。あと一つは?」
「『書換』だ」
「へー。ていうか異能を二種類しか使えないなら、殺した相手だけに限定される感じなの?僕の異能の劣化版じゃん」
「ただ、殺せば殺すほど効果が上がる」
「あ、そういう仕様なんだ。ある意味歴史改変者向けだね」
と、一触即発な雰囲気の中の会話を楽しんでいた。
「紛い物だけど、すごいじゃん」
という煽りも付け足すと、黒守は暫く黙り込み、口を開いた。
「紛い物、か」
「うん。僕もなかなかまがい物だけど、黒守はそれ以上だ」
「そうだな。俺は人から手に入れた力でしか戦えない。だが、お前は勘違いしている」
「……」
「俺の『投影』は人の力をただ奪うものじゃない」
「……」
「俺にできるのはただ一つ」
「……何かな」
周囲の結界の色が変わる。紫―黒守の瞳の色へと。
まあ、さすがにわかるか。『書換』ならできるって。でも、この結界の書換だけはできない仕様なので問題ない。
黒守は目に決意の光を迸らせながら、続ける。
「俺の受け継いだ力。それを通して、幾千の願い、幾億の想いを形にすることだけだ」
時を超える勇者との最終決戦が幕を開けた。
『属性書換』『大小書換』『個数書換』『方向書換』。
『魔装』槍が毒々しく光り、小さな槍が沢山空中に発生して、僕に向かって大量に発射される。僕は『魔装』剣で自分に降りかかるものだけを弾く。すべて弾ききった後、煙を利用して『縮地』『身体強化』を付与して切りかかるが、『大小書換』で大きくなった鋏で剣を受け止められ、さらに突きが入る。左にそれて剣で薙ごうとしたところを鋏で払われる。
僕の着地までに『縮地』『身体強化』『速度書換』で迫ってくる黒守が、鋏を突いてくる。僕は後ろに跳んで、『稲光』で黒守の鋏を狙って関電させにいったが、『防壁魔術』で防がれる。
『魔装』『大小書換』『個数書換』『座標書換』『方向書換』。
一瞬でこれだけの異能を使用して、僕の足元に多くの弾幕痕が発生する。『浮遊魔術』で空中へ退避すると地面から多数の槍が飛び出してくる。
離れたところに着地しても油断も隙もなく黒守が鋏を投擲して僕の影にさす。影縫いになり僕が一歩も動けなくなったところで、黒守が『魔装』『大小書換』『個数書換』『方向書換』で槍を多数飛ばす。
僕が発光魔術で抜け出そうとしたが、魔術式を書き換えられてしまったのでうまく作用せず、『魔装』槍が生成される。僕は槍を両手に持って構え、槍をがむしゃらに振り回して迫る槍を弾く。途中で『方向変換』で逆方向から迫る槍もあるが、瞬時に反応して対処する。
多少のかすり傷はあるが、まだ戦える。
僕の様子を見て黒守が鋏を『座標書換』で自分の手元に戻したので、影縫いが解けた。
その瞬間僕は駆けだす。
『魔装』で剣を生成し、『身体強化』『縮地』。
黒守は自分の座標を書き換えて、僕から距離を取る。多数の魔術式を展開しながら、多くの『魔装』槍が発射されていく。
『大小書換』『個数書換』『魔力撃』『属性書換』『方向書換』『速度書換』『方向書換』『威力書換』。
僕は手にした剣で最初の槍を受け止め、左右に体の軸をずらしながら二つ目、三つ目を避けて前進を続ける。さらに飛んでくる槍を剣で捌きながら『魔力撃』を付与、方向が不規則になっている槍を弾き飛ばす。
『魔装』剣で二刀流になり、濃い密度で飛来する槍を受け止めると、地面に弾幕痕が見えたので『浮遊魔術』『循環再現』から『方向循環』で空中へ飛び、素早く移動する。さらに槍が飛ぶ。致命傷にはならないよう最低限、体をひねりながら剣で回し切りを繰り返す。着地し、影縫いに飛んできた『魔装』鋏を弾き、『稲光』を付与。『魔装』鞭で鋏を絡めとり、黒守目掛けて飛ばす。影縫いには失敗したが、構わず猛進する。
最早目に見えない速度で槍が飛んでくるが、『防壁魔術』をその都度張りなおしながら、高速展開しながら距離を詰め、また地面の弾幕痕回避のために上昇。防壁魔術を維持しながら、『魔装』弓を生成して矢を番え、『魔力撃』を付与して黒守の脳天に発射する。黒守はなんとか避けたが、僕はその隙に黒守のすぐそばに着地。『魔装』剣で斬りかかったが、『大小書換』で大きくなって『魔力撃』を付与された鋏で迎撃される。
そのままもう一太刀で薙いだがそれも鋏で受け止められ、『魔力撃』。衝撃波でバランスを崩した脇腹に回し蹴りをされて吹っ飛ぶ。
僕は再び『魔装』剣を生成し、『身体強化』『縮地』『方向循環』で距離を詰める。
『速度書換』『魔装』『大小書換』『個数書換』『方向書換』で大量の槍が僕の目に留まらぬ速度で迫る。
剣でなんとか弾く。『魔力撃』の衝撃波も剣で薙ぐ。
黒守ははさみを大きく開き、近づいた僕の首を挟んで閉じようとする。僕は『魔装』剣をもう一つ片手に構え、両刃を受け止める。すさまじい力が込められていて火花が散る。
やがて、鋏の片刃が外れる。黒守は若干動揺して目を見開いたが、外れた片刃を『方向書換』で僕の腹部に刺した。
でも、関係ない。
僕は痛覚を即座に遮断し、剣を黒守の心臓部に刺した。
黒守が『生死書換』を咄嗟に使おうとしたので、僕は黒守を抱きしめた。
「……!?」
戸惑う黒守だが、僕は構わず『受容』を使う。これで、黒守は異能を使えない。
僕の行動の意味に気づいたのか、黒守が僕を引きはがそうとするが、僕はそれに必死に抵抗する。
暫く拮抗が続いた後、黒守の力が抜けたので、僕は黒守の体の向きを変えて、抱き起したような恰好になる。
「……思うに。お前の、勝ちだ」
「……」
「終わった。……約束も、果たせないまま……死ぬとはな」
口の端から血が流れた。こほ、と軽く黒守は咳き込んだ。
「……お前は戦った。俺も、全てを賭けて、挑んだ。お前は……俺の元居た世界の……希望を……壊した」
「……それは違う」
僕は口を開いた。
「僕は……幾千の願いも、幾億の想いも、黒守の交わした約束も、黒守のも解いた世界の希望も……黒守がそのために今まで犯した罪も、全て受け入れる。受け止めて、受け入れて、その理不尽も愛して、前を向く。そういう異能者でありたい」
「……」
「正直言って、まだ世界軸とかカタストロフとかなんとか、よく理解できたわけじゃない。でも」
丈凪怜の言葉を思い出す。真白と黒守が戦っている間の話。
全員のハッピーエンドを目指した真白夕映の、一人ぼっちの作戦。
丈凪怜には記憶をいじらざるを得ず、僕には真意を伏せて取引を持ち掛けざるを得なかった彼女は、それでもみんなのハッピーエンドを願って幾度も繰り返し、最善策を見出して実行したのだという。
……深月命の発言を振り返れば、それは間違っていたのかもしれない。
余計に世界の危機に近づいただけかもしれない。
けれど、その願い自体が間違っているとは思えなかったから。
とても美しいもののように感じたから。
「もう、失くさない。もう、時間を巻き戻すことも引き返すこともしない。僕が主人公でなかったとしても、この世界軸で、僕は、黒守の抱えたすべてを背負って、生き延びてみせる」
僕がそう言うと、黒守は、穏やかな笑みを浮かべた。
「……そう、か」
目を閉じる。僕は『受容』を使う。
流れ込んでくる。『投影』、そして黒守の背負ってきたすべてが。
かつて黒守は思った。
死んでいく人を見たくない。助けられるものなら、苦しむすべての人々を助け出すことができないものか。
その夢は、異能者団体の『明白に嫌われた正義』と世界の滅亡で打ち砕かれた。
酷い話だ。まるで昔の自分のような少年少女が三人もいる。
後悔など沢山ある。何度世界を巻き戻したかもわからない。
約束を果たせないこの結末は、未来永劫納得できないままなのだろう。
けれども。今はそれでも、ひどく久しく、途轍もなく心は満たされていた。
「……宥。今、逝く」
そう言って、黒守は息を引き取った。
僕は『回復魔術』で腹部のけがをいやす。同時に結界が解除された。
「……お疲れ」
と丈凪は魔力を僕に譲渡した。おかげで全快したので軽く礼を言う。
真白は僕をちらと見ていたので、僕は
「問題ない。ちゃんと『投影』を受け継げたよ」
と傍らに落ちていたはさみを大きくしながら報告する。続けて、
「これで、世界が救えるわけ?」
と聞いた。
真白は頷く。
「うん。『混沌』はイレギュラーが発生しない限り大丈夫」
「『混沌』は『全知』だろ?イレギュラーを意図して起こされたりはしないのか」
「いや、それはあり得るんだけど。切り札ならあるから、最悪それで詰みだけは防ぐよ」
「詰みだけはって」
「『秩序』も、その切り札を使ってでも最善策をとれるようにサポートするね」
丈凪が追及するも華麗に無視する真白。切り札はよほど話したくないらしい。まあここで話して『混沌』に聞かれたら意味ないし、仕方ないかもしれない。
「想定はしてなかったみたいだけど本当に平気なの?『秩序』戦」
僕が確認の意味でそう聞くと、
「まあね。取り乱しちゃったけど、万が一を考えて作戦をある程度組んでたから。君が『投影』を手に入れてくれたから、何とかなる可能性は残せた。アレはパニックになっちゃっただけだよ。落ち着いたから平気」
「ならいいけど」
スマホを取り出してネットニュースを見ると、東京事変でスレッドが盛り上がっていた。一条と汐宮が頑張ったみたいだ。高校の襲撃は……一人の女子高生が交戦してて、今のところ被害なし。なんとなく誰のおかげか予想ができた。
「……丈凪、真白。世界云々も気になるけど、僕には生徒会長としての仕事がまだ残ってるみたいでね。そこの馬鹿を介護しといて」
と深月命を任せて、僕は国会議事堂跡地を後にした。
「生徒会長としての仕事?」
「あーあれだろ。高校も襲撃されてるけど、生徒会のメンツが頑張ってるんだろ。多分深月かな」
「なるほど……え、生徒会長?」
「そ。あいつ、俺と同じ高校の魔術科で生徒会にはいったんだよ。二年間生徒会長だ」
「えー……なんか色々変わってるね。誰が高校守ってるの?」
「深月育」
「……DNA採取時点で充喜のとこにいたから予想はできてたけど、本来はすごいイレギュラーだよ?」
「へえ。本来はどうだったんだ……いや、愚問だな」
「そうだね。『教会』のモルモットであることに変わりなかったはずだしねえ」
「……深月命もそうなのか?」
「うーん。同一人物だったらそうかもしれないかな」
「まあそうなるか」
「じゃ、私も久々に顔をだそっかな、副リーダーとして」
「そうだな。『軍』本部付近で二人を拾ってから高校に戻ろう」
「そしたら援護もできるしね……あれ?」
「どうした?」
「いや……深月命は?」
「ああ、そこに転がって……ないな」
「……どこに行ったんだろ?」
この長かった東京事変編も次が最後です。