本郷は俺に接近する。
俺は前のめりになって本郷の懐に忍び込み、右の拳を顎目掛けて振るう。
本郷は脳が揺れたのか一瞬反応がぶれる。
『否定する』。
―恥の多い生涯だった。兄の、人を助けられる魔術師になりたい夢を、私は壊したようなものだ。
「まだだ」
背後に移動して本郷は殴り掛かるが、その瞬間にかがんで、本郷の拳は空を切る。
『否定する』。
―両親との約束で兄を救ったが、私はその代償に兄との絆と平穏を喪った。『教会』に幽閉され、おおよそ人間としての尊厳すらなかった。
「まだ死ねない」
回し蹴りが俺の顔にめがけて飛んできたが、一歩引いて避けた。
『否定する』。
―解放されたころには、兄は死んでいた。あれほど憧れた魔術師に、正義の味方だったというのに理不尽に殺された。
「オレはようやく長年の夢をかなえられるのに」
無防備な脇腹に蹴りを入れる。本郷は吐血して腹部を抑えるが、それでも立ち上がった。
『否定する』。
―兄の背中を守りたかったのに、もういない。私はその敵討ちに、その男の所属する組織の代表と殺し合った。
「お前を殺す。殺して、生き延びる」
ナイフを取り出し、右上空に振り上げる本郷。まるで素人だ。体をねじって回避し、回し蹴りを入れた。
『否定する。』
―敵討ちで戦っている間に、兄を殺した下手人は兄の力も使って、『混沌』を撃破していた。
「そうしなきゃ、オレは報われない」
ナイフが弾き飛ばされ、慌てて拾いに行く本郷の顔を蹴りあげた。
『否定する』。
―その後、『秩序』が活動を始めた。私のせいで、私が兄を救わない選択をしていたら。そうでなくても早く逃げていたら。親の正体を把握していたら……もっと違う未来もあったのだろうか。
「オレに生まれた意味などない」
バランスを崩した本郷の頭を踏みつけようとしたが、ぎりぎりで回避される。そのままナイフを拾われた。
『否定する』。
―自分が嫌いだった。自分なんか消えろと願った。それがいけなかったんだろう。私は暴走して『秩序』とともに世界を壊していった。
「オレはこんなに物知りだから賢者にも英雄にもなれるはずだろ!器用だから余計に!だのに、救える命も殺せる命もねえのかよ!」
俺は懐のライターを取り出して投擲する。目に当たり、反射的に目を瞑って居た隙に駆け寄る。
『否定する』。
―世界が取り返しがつかないほど崩壊して、私は『秩序』も壊した。そのまま殺し続けた私を、身を挺して止めたのは、薄汚い兄弟殺しだった。
「オレは誰だよ……後部座席に勝る価値もねえのかよ」
ナイフを持つ腕を強くねじり、落とさせる。力任せに振り回し、適当な方向に投げ飛ばす。
『否定する』。
―彼は私にたくさん謝った。自分は全く悪くないのに、私の境遇を知ったからと私より泣いていた。
「生きたかった、死にたかった、明日がわかりきってた、ひどくつまらないから退屈をつぶしたかった、退屈をつぶす方法は世界を壊すことだけだった」
本郷はまたナイフを拾って振りかぶる。俺はそれを避けて、両肩をもって頭突きする。
『否定する』。
―もっと早く助けられなくてごめん。お兄さんがそういってた。なんて……私はただお兄さんが正義の味方をしている隣で支えたかっただけなのに。
「自分が一番わかんねえ。けど、」
頭から血を流しながら突進する本郷にナイフを投げる。牽制のナイフはそのままに懐へと忍び込んで回し蹴り。
『否定する』。
―彼はそのあと言った。今は世界がひどく憎いかもしれない。けれど、人の世は苦しく、されど美しいものだと知って、愛せるようになってほしい。
「事切れぬものはない」
かかとを防がれ、足首を掴まれた。さらにひねられる。彼にはノイズがひどく走っている。
『否定する』。
―彼はどうして私より泣けるのだろう。彼はどうして私なんかを止めるために自分の命を投げ出したのだろう。それを聞いたら、人助けに理由はいらない、面白そうだとでも説明すればいいのだと兄が言っていたことを知った。
「救えるものもない」
俺はもう片足で本郷の足払いをする。本郷はバランスを崩し、足を離した。更にノイズがひどくなる。
『否定する』。
―彼はそのまま息を引き取った。私は世界が憎かった。やっと私を見つけてくれた、探し続けてくれた人を喪った。
「この命に意味なんてない」
本郷は反撃に出ようとするが、立てなくなって地面に横たわる。それでも抗おうとする。足は完全に消えて、そろそろ手も消える。
『否定する』。
―隠し事をしていた。感情がないふりをした。でも、愛を知っていたし、望んでいた。一人で何でもできると思い込んだ私は初めて人のために泣いた。
「優しい明日だってない」
もっとノイズが入る。声の聞き取りが若干怪しくなってきた。
『否定する』。
―大切な人が自身の身を挺して、自分の代わりに死んでしまったあの時。そんな世界に残された私は、一人、何を思えばよかったのだろうか。
「幸福も、別れも、愛情も、友情も、金で買える!」
もう何も見えていないのか、焦点が合わない。
『否定する』。
-今なら、分かる。
「明日死ぬかもしれない、全て無駄かもしれない」
『否定する』。
-私はきっと、世界を愛し続けなきゃいけなかった。
「朝も夜も春も秋も、変わらずだれかがどこかで死ぬ!」
『否定する』。
-彼が私を止めてでも見て欲しかった世界を私が愛して、守って、幸せにならなきゃいけなかったんだ。
「夢も、明日も、どうでもいいもんだろうが!」
「それは違う」
俺は否定した。
もう声を聴きとれているかもわからないけど、それでも伝えたかった。
「行かなきゃいけない。例え死に向かっていようと」
「俺の人生という物語を描かなきゃいけない。余白なんて逆行者の俺に残ってるか怪しいが」
「なんとしてでも知りたい。明日を、世界の結末を、あいつの平和な世界での心からの笑顔を」
「そのために俺は生きる。お前を殺し、クリスが何をしてこようと足搔き、人を救えなかった傷を抱えて、平穏な世界で仲間と、夕映とともに笑って、周りが敵で、騙されて、裏切られて、傷ついて、敗れて、病に倒れ、非難されて、誤解されたとしても、『今回』を俺なりに生ききる。これが俺の『決意』だ」
「……しんで……た、ま……るか―」
本郷は、消えた。
本郷が消えた瞬間、結界は解けていないが、出口が現れた。
「さあ。怜……出口に向かうんだよ。仲間が待ってる。洗脳魔術も消えたはずだが、もし消えていないなら育に頼るといい。あの子はもう制御できているから、そのくらいはできるんじゃないかな」
と命が促す。俺は、しばらく考え、口を開いた。
「お前はいかないのか」
「私は、……いかないよ。ううん、正確には行けない……だね」
命は苦笑いを浮かべていた。
体中にノイズが入っていた。
「私は、自分の世界軸を壊し、あの子のドッペルゲンガーになった。あの子の幸せを願ったはずが、いつの間にか自分の幸せを前提に動いていた。世界に私の存在は認知され、命の椅子など一つしかないから、私が排除されるんだ。君ももう私にかかわらないほうがいい」
と諭し、俺に背を向けていたが、やがて振り返って両手を広げる。
「君はこれからクリスの引き起こす災難に抗うんだろう。でも、きっと、君なら……命優しい神様が作るような、誰も理不尽に苦しまななくていい世界、誰もが同じ空の下で笑い合える世界、時を戻さなくてもいい世界へ進める。そんな世界に、もともとの住民以外は立ち入り禁止さ」
「……それを言ったら夕映はどうなるんだ」
「ああ、そういや君はそうだっけ」
とけたけた笑い、「安心しなよ。きっと、君の想いを聞いてから決断してくれる」とだけ添え、続けた。
「それに……皆に悪いし。謝っといてよ、何もわかってなくてごめんねって。この世界軸で私らしく生きるってことを全く考えてなくて申し訳ないって」
「……命」
「……殺しかけたり、ひどい扱いをしたりで、合わせる顔なんてないか」
「……」
そんなことはない、とは言えなかった。
夕映を殺されかけた事実がそこにあって、俺が有住に頼んでいなかったら夕映は死んでいたかもしれなかったから。
俺のそんな薄暗い感情にも命は触れた。
「ごめんね、怜。元々の人格に固執して、君の幸せを考えることすらできていなかった。夕映を殺そうとしてしまって、傷つけてしまって。ありがとう、私を生かしてくれて……すぐに攻撃せずに本郷を倒す方向で動いてくれて」
「……」
「それとも……夕映を傷つけた仇は自分で討ちたかったってことかな」
俺は少し考えた。
なぜだったんだろうか。俺が命を攻撃しなかったのは。
……いや、それこそ愚問だな。
「そうだな。……賭けに勝ったんだ。夕映を殺そうとしたのは、仲間を世界が滅ぶ要因とか生きていてはいけないとかそういう風に言ったことは許せないが、お前よりも厄介な奴が目の前にいたからな」
「……そっか」
「だが、まあ。まったく当てのなかった俺を社会的に保護してくれて、ある程度放任主義でいてくれていたのは感謝してるんだ。これでも。だから、……恩であり仇であるお前の本名ぐらい教えろ」
本当は知ってるけど。俺はあえて聞いた。
命ははっとした表情をして涙ぐんだ。初めてこの人の涙を見た。
誰にも見せない涙。人知れず流した涙。悔しくて眠れない夜。怖くて震えていた夜。そういうものをすべて乗り越えて、強く生きてきたこのエゴイストは、きっと誰よりも強い歴史改変者だった。
叔母……別の世界の俺の妹は、ふっと微笑んで俺に手を差し伸べた。
「そうだね。自己紹介、なんだかんだ君にはしていなかったんだった」
俺は、もうかなり聞き取りにくくなった彼女の声に耳を澄ませる。
「私は、丈凪育。一組の兄妹を救いたかっただけの女だ。復讐するなら今のうちだよ」
俺は迷うことなく、徐に手を取った。
「そうか。……育。ここでケリをつけるか?」
「……」
育は何も答えなかった。ただ涙ぐんだ目で笑って、俺を見るだけで。
俺はため息をついた。
「まったく、時間切れか。……じゃあな、たった一人の俺の親戚」
そしてすべて消えた後、俺は向き直る。
「なあ。……最初から全部見てただろ、クリス」
「おやあ?気づいていたんですねえ」
その声とともに、俺の前にクリスが姿を現した。
「有住が探してたぞ?親父は絶対生きてるって」
と茶化すと、「まあ。ぼくはそうそう死にませんしねえ」とへらへら笑う。
クリスの気配に気づいたのは、育が介入してきたあたりだ。その前から見ていたかもしれないが、一応『決意』はそれ以降使わないでおいた。
「ここで全部見てたんじゃねえの。お前の知りたかったことはすべて知れたのか?」
「すべての定義にもよりますけどねえ……人の心の機微とか、よくわからないものは多いんですよお?」
「はぐらかすんじゃねえよ」
「まあ。『決意』に関してでしたらあ……十分なデータは得られそうですねえ」
「そうか」
ウゲエーッ。そういいたくなる気持ちを抑えて、俺は質問を続ける。
「夕映は混沌を倒して平和にしたい。黒守は自分の背負った力で混沌を倒したい。育は一組の兄妹を救いたい。本郷はすべてを失いたい。俺は異能者差別をなくしたいし、充喜は価値を証明したい。……さて、お前は何を願うんだ」
「ええ。それについてあなたと取引がしたいのですよお。後で話しますけどもお、受けてくだされば世界は滅ぼしません。断れば壊しますけどねえ」
「……取引ねえ」
絶対ろくでもないと思うが。俺は長考し、何とか結論をひねり出した。
「……あー。一応話だけでも聞く。その代わり、一個でいい。質問に答えろ」
「ええ、なんなりと」
「……お前は未来を知っているのか」
俺の質問にクリスは一瞬動揺したがすぐ真顔に戻った。
「ぼくには妻がいたんですよお」
「……ああ」
「彼女は『予知』の異能者でしてえ。昔から苦労性でしたねえ」
「そうなのか」
「ええ。一度見た運命は変えられないものでしてねえ」
「なるほど。察した」
「本来は未知の領域であるはずの話。誰も未来を知りえない、新しい可能性しか広がっていないのですがあ……彼女はそうではありませんでしたあ。ぼくも彼女の苦痛を和らげるために相談に乗った結果知ることもありましたがあ、知った運命をそう簡単に人に話せるものでもないのですよお」
「そうだろうな」
世界に大きな影響が及ぶから。だから夕映もなかなかその辺の話を詳しく俺に話さなかった。
「今知っているのはあ、彼女が死んでしまったその形見ですよお。……あと、貴方の母親の形見でもありますねえ」
「……俺の母親って、次元地震の時に死んだ?」
「はい、その実の母親ですねえ」
クリスはあっさり肯定した。
まじか。こんなところで俺の実の母親の話がされるとは。
クリスは語る。
「貴方の両親はあ、それぞれ『軍』幹部と『教会』大罪持ちでしたあ」
「……敵対状態なのに恋仲になったのか」
「ええ。まさにロミオとジュリエット。ロマンですよねえ」
……ロマンそのものはいい言葉だと思うが、こいつが言うと違和感がすごいんだよなあ。そんなこと言うくらいなら世界を壊さなきゃいいのに。
「……それで?」
「二人は駆け落ちしたんですよお。彼は偽名、整形。彼女は日本国籍に変えて、日本名になりました」
「……」
「『軍』提督は看過しましたあ。黒守ではありませんでしたしい、寛容でしたねえ。親友だったから見過ごしたのかもしれませんけどもお、黒守に敗れたと聞いて以来、その名は聞きませんねえ」
魔術師の業界での勝敗はそのまま生死を意味することが多い。おそらく死んだと思うのだが……どうも生きている気がする。探してみる価値はあるかもしれない。
「ですがあ、『教会』神父になった僕は見逃せませんでしたあ」
「それはまた、なぜだ?」
「ぼくの企みもそうですけどお……『呵責』所持者だったんですよお、彼女は」
「はあ?」
『呵責』って『否定』のワンランク上のものだったはずだ。そりゃ『教会』は見逃せないだろうが……その分だと、おそらく。
「貴方の予想通りい、子供も監視して回収する気満々でしたあ」
「……最低だな」
「最低で結構ですう。それにほらあ、結末はあなたもご存じでしょう?」
「そうだな」
深月は回収失敗、母親は死亡していて回収はほぼ無意味だったはずだ。
「だが、お前が未来を見れているのが『呵責』のおかげとはどういうことだ」
「『呵責』は違う可能性を見れます。『容赦』は過去を知ることができます。『決意』は未来を切り開けます。そういうものですよお」
「……なるほど」
違う可能性を『呵責』で、未来と過去を『予知』で知っていたと。
「そうなると『否定』はいらなかったんじゃないか?」
「いりますよお。ぼくの目的の達成には必要不可欠ですねえ」
「……なるほど。で?取引ってなんだ」
知りたいことは知れたので、俺はついに本題に入った。
クリスの要望にさえ応えられたら、俺はこいつと戦わずに済むかもしれない。そんな気持ちで比較的善処する方向に捉えていたのだが、その思いは打ち砕かれることになる。
クリスは俺に手を差し伸べ、至極当然といった態度で提案を持ち掛けた。
「あなた……『十五年前』に巻き戻せませんかねえ?」
……。
「はあ?」
それは絶対無理な提案だった。
という訳で、ラスボス降臨。
あと少しで終わります
現在連載中の作品が今筆が進まない状況なので、
これが終わったら別の作品の執筆を進めようかなと考え中
なんもかんも政治が悪い(違う)