黒髪異能ミステリアス少女の正体について 作:ぺけぺけぺい
非行少年と言えば、タバコである。
それはつまり、今年の秋に十四歳になる、川上中学二年四組の健全な男子生徒である高橋が、今まさにタバコを吸おうとしているのには、何かのっぴきならない事情があるという事である。
その事情というのは、例えば四月に水泳部に入って来た後輩の女子が、まだゴールデンウィークに入ったばかりだというのに自分のベストタイムをあっさり塗り替えてしまった上、何故か自分によく懐いて来るので、なんといえばいいのか男のプライドというものが傷つけられてしまったからだとか、例えば祓い屋事務所でびしばし自分をしごいて来る寺門に夜中だというのにタバコを買って来いと言われたせいで、たまたま今手元にタバコがあるからだとか、例えばなんとはなしにふらりと立ち寄った公園のベンチに座っていると、ロマンチストにも今自分を見ているのはそれこそお月様くらいだなあとぼんやり思ったからだとか、そんな風なくだらないものではないのだ。
と、高橋は主張するだろう。深夜の公園の中、月明かりと街灯だけがわずかな光をもたらすベンチに腰掛け、右手の人差し指と中指の間にタバコを、左手にライターを握りしめてぷるぷる震えている今この瞬間に、もしも誰かに「どうしてタバコを吸おうとしているのか」なんて聞かれたとすれば。
「ねえ、少年。どうしてタバコなんて吸おうとしているんだい?」
そして、果たしてそうなったのである。
◇
しかし、高橋は返事をすることが出来なかった。
なぜなら彼は声をかけられた時、まさに飛び上がりそうなほど驚いたからである。そして次に、恐怖で固まったからだ。ベンチに座る自分に後ろからかけられた、少女とも女性ともつかない声。この声の主は一体どんな人物なのか、その想像が一瞬で頭を駆け巡ったのだ。
女性警察官であれば、補導されてしまうかもしれない。時代錯誤な怖いヤンキーのねーちゃんであれば、「ナマイキなもん持ってんじゃねーの」なんてケチを付けられ、ぶん殴られてカツアゲをされてしまうかもしれない。そんな嫌な想像が。
「少年? 聞いてる?」
妄想は止まらない。
ピアスをじゃらじゃら付けて髪をまだら色に染めたねーちゃんが自分の財布をひったくり、げらげら笑いながら後ろにいる半グレまがいの男達と一緒に、自分を取り囲んでくるのではないのか。深夜に一人で公園にいる学生の自分をいぶかしんだ警察にご親切にも補導され、タバコやライターを持っている理由について根掘り葉掘り聞かれてしまい、なんだかんだの末最終的に、俺に迷惑を掛けるなとぶちギレれた寺門に頭を思いきりぶん殴られるのではないか。
「おーい、少年。……少年!」
いや、もしかすると、ひょっとしたら。
頭の中でロクでもない未来がぐるぐる回っている高橋の視界いっぱいに、突然女の子の顔が飛び込んで来た。
「……う、うわぁ!?」
高橋はライターもタバコも投げ捨て、今度こそ文字通り飛び上がった。そしてお尻をベンチにドスンとぶつけ、うめく。
ベンチの後ろにいた少女が回り込んで、高橋の顔を覗き込んだのだ。その少女はそんな間抜けな高橋の様子を見て、くすくすと笑う。
「大丈夫? ……キミ、ずいぶんびびりなんだね」
痛みに尻をさする高橋に投げられた言葉。嘲りとわずかな親しみを含んだその言い方に、高橋はむっとなる。そしてその怒りは、逆に彼の冷静さをいくつか取り戻した。
自分に声をかけた少女を見る。腰まで伸びた黒い髪に、どこの学校の物かは分からない黒いセーラー服。どこか気まぐれさを感じさせる笑み。腰の後ろで腕を組み、ゆらゆら揺れながら観察するようにこちらを見ている少女は、夜の似合ういたずら好きな黒猫といった印象だ。背丈は自分よりも少し小さく、年は同じくらいだろうか。かばんも何も持っていない手ぶらで、誰か連れがいる様子でもない。
何のことはない、高橋は安堵の息をつく。この少女もまた自分と同じ、夜中にふらふらと街をうろついているだけの中学生だ。
「別に、夜中にいきなり話しかけられたら、誰だって驚くだろ。……返せよ、それ」
声の主が脅威でないことが分かりようやく落ち着きを取り戻した高橋は、先ほどの醜態を咳払いでごまかしながら、少女の手を指さす。落としてしまったタバコとライターを、少女が弄んでいたのだ。
言われた少女は高橋の指を見て、それが指す手元のタバコを見た。高橋の顔を見て、もう一度タバコを見て、そして高橋の両目をしっかり見つめ、にっこりと笑顔を浮かべて言った。
「ダメ」
「なんでだよ」
「そうだねえ。やっぱりボクは、キミみたいな前途洋々たる夢と希望に満ち溢れた若者が、こんなモノを吸ってちゃダメだと思うんだよ」
何やら大げさな事を言いながら少女は
あんたも俺と同じ
「ぅごっほ! げほ、げほ、ごっほ!」
「……何やってんだ、あんた」
背中をくの字に折り曲げて苦しむ少女に、高橋は今度こそ純度百パーセントの呆れを感じた。涙目で咳を続ける彼女を放置して、再び地面に落とされたタバコとライターを拾いポケットにねじ込む。
「ごほ、ごほ。……うー、苦しい。喉がイガイガする」
両手で喉を抑え、調子を確かめるようにあーあーと声を出す少女。
妙な奴に絡まれたな、と思いながら、高橋はベンチに置いていたレジ袋からお茶のペットボトル──寺門に買ってこいと言われた物の一つである──を取り出し少女に差し出す。
「ほら、やるよ」
「おお、ありがとう。いやあこんな見知らぬ美少女に優しくしてくれるなんて、キミは優しいんだねえ」
美少女って。自分の事を臆面もなく言い切るその少女に
ウィンクをしながらごくごくとお茶を飲む少女。その喉の動きになんとは無しに卑猥なものを感じてしまい、慌てて目をそらしかけ、しかしここで目を逸らす方がむしろスケベなのではないかと男子中学生特有のよくわからない思考の末、逆にがっちりと少女を見た。
「……その、そんなに見つめられると、恥ずかしいんだけど」
少しだけ身を縮める少女を見て高橋は、何にかは分からないが、ともかく何かに勝ったという謎の満足感を得た。ベンチにふんぞり返り、得意げに腕を組んでふんと鼻を鳴らす。
「な、なんかムカつくなあ……」
勝ち誇る高橋に、少女は困惑とも呆れともつかない苦笑を浮かべる。お茶を飲む手を止め、しっかりキャップをしてからふと思い出したように高橋のポケットに視線を動かす。そして、
「そうだそうだ、そのタバコだよ。ボクがそれを吸ってどうなったか見ただろう。そんなものは体に毒だ。命は大事にしなさい、少年。ほら」
そう言ってずいと右手を突き出した。
その手を見ながら思う。そもそもどうしてあんたに渡さなきゃいけないんだ、と。しかしそういう疑問を口にしてみたところで、結局その答えには「前途洋々たる若者が云々」と返って来るのだろうなとも思う。別に無視して立ち去ってしまえばいいのだろうが、それでも何故かなんとなく、このなれなれしい少女を無視する気にはなれなかった。
「……これ、俺の知り合いのおっさんのなんだよ。だから、俺が吸うために持ってるワケじゃない。さっき吸おうとしてたのは……その、ちょっとかっこつけてみたくなっただけだ。別にもうしねーよ」
「ふーん、なるほど、なるほど。つまりキミは……パシリ?」
パシリ。
少女の端的な言葉は高橋の心を深くえぐった。見栄とプライドで生きている男子中学生にとって、女子に「あなたパシリなの?」と言われる事は、ナイフで心臓を一突きされるに等しい。
言い返したかった。自分と寺門は師弟関係であり、決して一方的にパシられているようなわけではないと。寺門は自分に祓い屋としての基礎や知識をみっちり叩き込み(時にはスパルタと言うのもはばかられるほど、前時代的で暴力的な教育を施されることもあるが)、その対価として、自分は様々な雑用に奔走しているのだと。つまりこれは師弟愛のなせるわざであり、正しい契約関係であり、むしろ自分に修行をつけねばならないように無理やり恩を売っていると言ってもよく、要するに、自分は決して、決してパシリなどという情けない役目に甘んじているわけではないのだと。
しかし悲しいかな、それを必死になって訴えることこそ、男子中学生の見栄とプライドが許さないのである。
よって、高橋少年に許される事は、
「……」
沈黙だけであった。
「おっさんのパシリなんて……、同情するよ」
高橋の無言の主張は当然通じなかった。その沈黙を、自分の「あなたパシリなの?」発言の肯定とみなした少女が、優しい笑みを浮かべながら高橋の肩をぽんと叩き、隣に座った。それさえも高橋をみじめな気持ちにさせた。優しさは時に人をひどく傷つける。特に男のプライドというのは、そうなのだ。
「やめてくれ……、俺に、優しくしないでくれ……」
両手で顔を覆う高橋。
「なんだかすっごくハードボイルドなセリフだねぇ……」
しみじみと呟きながら、月を見上げる少女。
少しの時間、二人はそのままだった。
◇
「あんたはどうして、こんな時間に出歩いているんだ」
ようやく気を取り戻した高橋が、少女に尋ねる。
「うーん……。ウリをしている、なんてのはどう?」
こともなげに飛び出した少女の言葉に目を剥く。思わず怒気混じりに少し強めの口調で返した。
「……あんまり気持ちのいい冗談じゃねえぞ、それは」
「そうだね、ボクも言ってからそう思ったよ。……キミがどうしてそれを知りたいのかを教えてくれれば、答えてあげてもいいよ。ただしそれが、ボクの気に入る答えだったら、だ」
まるで自分を試すように言う少女。しかし不思議といら立ちは感じなかった。
とはいえなぜ少女がここにいる理由を知りたいのかと言われても、それはなんとなくでしかない。自分がタバコを持ってここにいる理由を明かしたのだから、彼女も明かすべきだろうと思ったとか、会話のネタとして口をついただとか、その程度だ。それが彼女の気に入る答えだとは思えず、されど他の理由も思いつかず、どうしようかと迷った末、高橋は少しだけかっこつけた言い回しをしてみることにした。
ポケットに両手を突っ込み、出来るだけぶっきらぼうに、吐き捨てるように少女に言った。
「……なんとなく、知っとかないといけない様な気がしたからだ」
「60点」
「なに?」
「まあ悪くない答えだよ、少年。及第点だ。それに免じて、特別に少しだけ教えてあげよう」
悪くない答えだったらしい。
少女はぴょんとベンチから飛ぶと、公園の中心に向かって歩き出す。時折くるりと一回転してみたり、スキップするかのように体を弾ませたり、楽し気にてくてくと歩く少女を高橋は座ったまま見ていた。
──不思議な子だ。
「今日は、月がきれいな夜だからね。……こういう日は、外を散歩したくなるものなのさ」
少女が歩きながら告げた理由に、高橋はほんの少し落胆する。正直に言って、なにかもっと、特別な答えを期待していたのだ。深夜に出会った名前も知らぬ少女から、なにかとても大事な事を知ることが出来るんじゃないかと、心のどこかにそんな淡い予感があったのだ。
公園の中心にたどり着き、高橋に背を向けたまま少女は立ち止まる。月を見上げる。
そしてくるりと体を回転し、少女は振り向いた。長い髪が遅れて揺れ、スカートがほんの少しだけふわりと持ちあがる。高橋の目をじっと見つめ、少女が口を開く。
「だってボクは……、
少女が微笑みながらそう言った瞬間、高橋は確かにそれを見た。
――地球の半分をまんべんなく照らしているはずの月の光が、今この瞬間、少女だけに降り注いでいるのを。
――歪な形をした黒い翼が少女の背に、鋭くとがった白い牙が少女の口元に生えているのを。
――瞳孔が猫の様にすぼまり、少女の両の瞳がルビーの様に怪しげに赤く光っているのを。
「っ……!」
吸血鬼。夜に愛され月に祝福された、最強の怪異。
まさに自分こそがその吸血鬼であるという絶大な説得力を持って、妖艶にさえ見える笑みを浮かべる少女に、高橋は息を飲んだ。その光景を疑うように、数度目をしばたたかせた。そして――
恐ろしくも幻想的な少女の雰囲気は、全て消え失せていた。
月はやはり公園中を淡い光で照らしていて、少女の背にも口にも怪物のようなパーツは無く、そして瞳は日本人らしい普通の黒色で。
「あ、あれ……?」
「どうしたんだい少年。ひょっとして、信じてくれちゃったりしたのかな?」
いたずらっぽい笑みを浮かべる普通の少女が、そこにいるだけだった。
◇
「お茶代返すよ、150円でいいかな?」
「いや、どうせ寺門のおっさんは酔っぱらってるし、茶が1本足りなくたってバレやしねえ。構わねえよ」
「そうかい? それじゃあありがたく、おごって貰ったことにしちゃおう」
「ああ。……そろそろ行かないと、遅いってどやされちまう」
「じゃあ、ボクも帰ろうかな、もうじき夜が明けそうだ。それじゃあね、またキミに会う日を楽しみにしているよ。……きっと、ううん、必ずボクたちはまたこうやって出会うから」
互いに背中を向けて、高橋は東から、少女は西から公園を出た。
高橋は途中で一度だけ振り返り、少女の後ろ姿を見た。そして一言だけ呟いた。
「
自然とその名が口に出ていた。自分で呟いたそれが耳に届いたとき、高橋は驚いた。高橋にも分からなかったからだ。一体どうして、セーラー服を着たいやになれなれしい女の子の後ろ姿を見て、