黒髪異能ミステリアス少女の正体について 作:ぺけぺけぺい
月宮と高橋は連れ立って、森の奥にある小さな洋館に向かった。子供の冒険だった。立ち入り禁止のテープをくぐり、ほこりまみれの門を開き、中に入った。
そこで二人は、黒い大きな何かに襲われた。月宮は高橋の事をかばって前に立った。そして高橋に向かって、走れと叫んだ。高橋は助けを呼ぶと約束して走った。高橋が大人を連れて戻って来た頃には、黒い何かも月宮も、もうどこにもいなかった。
それが高橋がいつも夢に見る、六年前の出来事だった。
その日からずっと、高橋は月宮のような男になりたいと思っている。
◇
午前十時三十分。雲ひとつない快晴の空、五月初旬とは思えないほど暑い日差しの下、川上中学校の水泳部は午前練の小休憩に入っていた。各々ストレッチをしたり、プールのふちに座って空を見上げている水着姿の少年少女。そしてその中には高橋も混じっていた。
一年前、中学に入学したとき、高橋は部活に入るつもりなどなかった。授業が終われば学校を飛び出し、すぐに祓い屋としての修行をしたかったのだ。が、高橋がそれを寺門に告げると「ガキはまず勉強と部活を全力でやれ、それでも余ったパワーがあれば、
部活への入部を余儀なくされた高橋は頭を巡らせた。そして水泳部に目をつけた。高橋は川上中学のプールが屋外プールであることを知ったのだ。つまりこの部なら、冬になれば練習は無くなり、放課後は全て修行に時間を使えるだろうと目論んだのである。彼は意気揚々と水泳部に入部届を叩きつけ、レジに海パンを叩きつけた。
が、高橋のそんな浅知恵は失敗に終わった。川上中学水泳部は市の温水プールを利用して、冬でも週三の練習に取り組む意欲の高い部活だったのだ。高橋は仮入部期間が終わり、正式に水泳部員となった後にそれを知った。高橋は膝をついた。寺門は爆笑した。
とはいえ高橋は単純な少年だった。何より中学生などというまだまだ世間知らずな少年にとっては、何事もやってみれば意外と楽しいものである。高橋はなんだかんだと部活を楽しみ、部員たちとの交流を楽しんだ。高橋が『クロール 泳ぎ方』なんてネットで検索して、鏡の前で腕をぐるぐる回し始めるのに、それほど時間はかからなかった。
高橋は、祓い屋見習い高橋改め、祓い屋見習い兼川上中学水泳部員高橋として、中学一年の青春を過ごした。えいやえいやとプールの水を蹴り、タイムを縮め、仲間たちと喜び、市大会に出場し、仲間たちと泣いた。
そんな風に水泳部員としての自負を強めていき、とうとう先月ぺーぺーの一年坊主どもが入部してきた時、高橋は思った。俺は良い先輩であろうと。
高橋には反面教師がいた。こうはなるまいと思う男がいた。寺門である。
寺門は暴力をふるい、罵倒する師であった。
高橋は暴力をふるわず、罵倒しない、優しくひよっこ達に指導してやる良い先輩であろうと思った。
そして実際、高橋は良い先輩となった。後輩たちとたくさんコミュニケーションをとり、後輩たちに熱心に指導をした。ほとんど問題は無かった。ほとんどというのはつまり、ただ一つだけ問題があった。それは、彼が良い先輩でありすぎたということだった。
新入部員のうち、特に小夏という女子は、高橋の教えをスポンジの様によく吸収した。小柄な高橋と小夏の体格が似ていたから、相性がよかったというのもあるかもしれない。ともかく高橋の指導の下、小夏は水泳の技術をメキメキと向上させた。そして昨日、ついには高橋が一年かけて築き上げたタイムを、彼女はたったの一か月で、それはもう見事にすっぱり追い抜いてしまったのである。
「せんぱーい、高橋せんぱーい。隣、いいですか?」
プールのふちに座った高橋に、小夏がとてとてとプールサイドを早歩きで近づいてくる。
無邪気に笑みを浮かべる小夏の言葉を、高橋が断れるはずもない。
「ん。ああ」
短い返事を返した高橋は、隣に座ってぱちゃぱちゃと足で水を遊ばせる小夏を見て思う。
小夏が自分に懐くこと、それ自体は悪い気はしない。自分の教えを受けた小夏の記録が伸びていくことが、嬉しくもあり誇らしくもあるのだって事実だ。
しかし、しかしだ。高橋は思う。
出来るならば、もう少しだけ待って欲しかった。
だってそうだろう、五月というのはあまりにも早すぎる。八月くらいなら「まあ後輩っつっても四か月もやってるしな」となるかもしれないが、五月では「お前初心者に負けたの?」と言われてしまいそうじゃあないか。
「せんぱい、難しい顔してどうしたんですか?」
腕を組んでむっつりした高橋の顔を、少し不安げな表情でのぞきこむ小夏。
実に単純でされど心底めんどうくさい男のプライドとやらを秘めた高橋は、自分を慕ってくれる大事な後輩に、あいまいな笑みを返すのだった。
◇
女子の交友関係は広い。昨日出会った少女の事を、もしかすると小夏は知っているかもと思い、高橋はそのことを話題に出した。
ふんふんと興味深そうに高橋の話を聞き終えた小夏は、ボクっ娘で、高橋の事を『少年』とか『キミ』とか呼んだ、自称吸血鬼の少女を以下の様に評した。
「その、なんというか……。個性的な人、ですね」
個性的な人。歯切れ悪く小夏が口にしたその言葉が、相当にオブラートに包んだ表現であることは高橋にもよくわかった。もしこの後輩の口が悪ければ、それこそキなんとかだのと放送倫理規定に触れる言葉が飛び出してきていたかもしれない。
「でも黒いセーラー服の学校なんて、この辺にありましたっけ。もしかすると、他県とかから家出でもしてきた子かも。それかコスプレとか。一応私の友達にも、その子知ってるか聞いてみましょうか?」
小夏は高橋に献身的な態度を見せた。それほど期待はせずに、それじゃあ頼むと小夏に告げる。
高橋としてはそこで少女についての話は終わったと思ったのだが、小夏にとっては違った様だった。
「……ところで先輩、なんでその子の事、気になるんですか?」
真剣な顔つきでそんな事を聞いてくる小夏。
どうしてあの少女の事が気になるのか。理由は二つだった。
一つ目は、あの子が自分を吸血鬼だと言った事。まさか真実だとは思えないが、自分は見習いとは言え祓い屋である。もしそんな強力な怪異がいるのであれば、何もせずに見ているわけにはいかない。
そして二つ目は、あの少女に、何故か月宮を思い出したことだった。
しかしどちらも小夏に伝えるべき理由ではないと思う。小夏は怪異が実在することなど知りもしないはずだ。本物の吸血鬼かもしれないからだ、と言ったところで、笑われるのがオチである。
月宮の事にしたって、小夏に教えても全く意味が分からないだろう。なんせ自分でも分かっていないのだ。少女の姿に月宮を思い出した理由なんて。
だから高橋は、適当に理由をでっち上げた。そしてそれは、見事に地雷を踏んだ。
「そうだな……可愛かったから、とか?」
ちゅどーん。
高橋が「可愛かったから」と言った時、確かにどこかでそんな音がした。
高橋は男子中学生だった。特に彼は、修行だのなんだのと言ってペースも考えずめちゃくちゃな筋トレをしたり、寺門などという怪しげな祓い屋のおっさんとつるんだりする、男子中学生の中でも特にガキっぽい男子男子した男子中学生であった。
要するに、彼の心の『恋』に対するアンテナというものは、根元からぺっきりへし折れているのであって、この小夏という後輩が自分を慕ってくるのは水泳を上手に指導してくれるからであり、特に他の理由などありはしないのだと本気で真剣に思っているガキなのだった。
だから彼は、小夏の地雷の中心部を土足で思いきり踏み抜いたことなどには全く気付かず、
「か、かわい……!? ぐぅ、その子探すの、やめちゃおっかな……」
頭を抱えてわななきながら、何事かをぶつぶつと呟く小夏を見てのんきに思うのだ。自分はいい後輩を持ったと。自分よりも泳ぎの下手くそな先輩の頼みを聞いて、ロクな情報も無い人探しに協力してくれる、とてもいい後輩を持ったと。
「ボクっ娘……せんぱいの好みはボクっ娘なのか……?」
顧問の池林が、休憩時間の終わりを知らせる笛を鳴らした。他の部員たちと同様に高橋は立ち上がったが、小夏はぶるぶる震えたまま動かない。
「イメちぇんのタイミングか……? 今ならまだ突然ボクっ娘になっても、中学デビューってことでみんなにも受け入れてもらえる……?」
高橋にはさっぱり理解できない原動力でもってして、明後日の方向に突き進もうとしている少女の耳に、池林がぴーぴー吹き鳴らす笛の音が届くことはなく。
「ボクっ娘……ボクっ娘……。正直痛いと思うけど、ちょっとかわいいなって思うところもあるのは事実……。いけるのか……行っていいのか私……!」
池林の大きな影が、自身の体をすっぽり覆っていることに、少女は当然気づくことなど出来なくて。
「せんぱい……その、ボ、ボ、ボク……うああっ! こんなの恥ずかしくって無理ぃ!」
ぐねぐねと体を動かす小夏を不思議そうに見つめながら両耳を抑える高橋と部員達の前で、池林の怒号が少女の桃色にゆだった脳を揺らしたのであった。
◇
そんな彼らを、影から見ている黒い少女がいた。
高橋と小夏のくだらないやり取りを冷たい眼差しでつまらなさそうに眺め、ぽつりと呟く。
「あの子にしてみようかな」
言葉が空気に溶ける頃、少女も闇に消えていた。
やんやんしてきた