黒髪異能ミステリアス少女の正体について   作:ぺけぺけぺい

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第3話

 部活終わりの帰り道、太陽が空のてっぺんから少しだけずれた頃。小夏は後ろで腕を組み、もじもじしながら「せんぱい、今日の午後、空いてませんか」と高橋に聞いた。高橋は「悪い、空いてない」と答えた。小夏は分かりやすくしょんぼりとし、三年の女子部員たちは高橋サイテーとはやし立て、男子たちはニヤニヤしながら高橋を眺め、一年坊主の一人は高橋先輩まじぱねえっすとリスペクトをキメた。高橋は頭にはてなを浮かべながら仲間たちと別れた。

 

 日差しはかんかんに降り注ぎ、水泳部員たちの濡れた髪は、すぐにでも乾きそうだった。

 

 ◇

 

 水着にタオルに部活道具をぎゅうぎゅうに詰め込んだ、塩素の匂いがするバッグを肩にかけ、高橋は大股歩きで道をずんずん進む。通りから少し入り組んだ路地に入り、なおも歩き続けること数分。右、左、直進、左。進んだ先に立った雑居ビル。その四階。何も書かれていない薄汚れた看板を掲げたそこが、高橋の修行場兼バイト先の、祓い屋事務所だった。

 

 塗装はほとんど剥げ落ち、赤さびだらけで傾斜のきついボロボロの階段を、音を立てて登る。五月だというのに強い日差しは、歩いているだけの高橋に、いつの間にか汗をだらだらと垂れさせていた。一段上るごとに、ぽたりと塩味の雫がアゴを伝う。どこからか、セミの声の幻聴さえ聞こえてきそうだった。

 

 二階にたどり着き、三階への階段に足をかける高橋は、恨めしそうにエレベーターを見た。このビルはボロだがちゃんとエレベーターがついている。高橋がそれを使っていないのには、理由があった。

 

 このビルには、妖怪ムラサキヨダレババア(命名:寺門)がいるのだ。こいつはなかなか特異な生態をした怪異である。ビルの最上階の部屋に住んでいて、時折下に降りてはその辺のスーパーにエサを取りにいったり、美容室に毛づくろいに行く。

 

 それだけならただの髪が紫色をしただけのババアなのだが、当然名前にヨダレとついているからには、それ相応の理由がある。

 

 ババアが怪異らしさを見せるのは、自分よりも若い人間とエレベーターで鉢合わせた時である。ごふぁっと音を立てて開いたドアの中に高橋や寺門がいるのを見つけると、ムラサキヨダレババアの攻撃性が発現するのだ。

 

 獲物を見つけたババアはまず、目と口を限界まで開き、まーーーーーーっ! とものすっごくわかりやすく驚いたような奇声を上げる。たっぷり30秒は怪鳥の雄叫びを上げた後、エレベーターの中にいる獲物に向かってちょこちょこと気味の悪い早足で近づき、角にまで追い詰める。そして言うのだ。「まーーーーーーっ! どうしてあなたのような若い子が、エレベーターなんて使ってるのかしら!」

 

 それからはずっとババアのターンだ。やれ最近の若者は根性が無いだの、やれ電気泥棒だの、やれ地球環境への配慮が足りていない温暖化でどれだけの人が苦しんでいると思っているのかあんたたちのやっているそれは加害者と被害者の定まらない殺人だの、たかがエレベーターを使ったくらいでそこまで言われる筋合いは無いだろうと思うくらいに、ババアは罵詈雑言をまくしたてる。その時、きつい香水の匂いといっしょに顔中にツバが飛んでくる。そしてババアのぺちゃくちゃぺちゃくちゃよく動く口の端からは、口紅が溶け込み薄紫色に変色したよだれがタラリと垂れるのだ。

 

 これにて、妖怪ムラサキヨダレババアのヨダレの由来が解明された。

 

 もちろんババアの罵倒はエレベーターが止まっても終わってはくれない。おそらくババアの耳にはエレベーターが到着した時に鳴る、あの()()という高音は聞こえないのだろう、と寺門は語る。四階まで上がるのに、エレベーターならば20秒、階段ならば60秒、そしてムラサキヨダレババアに捕まればどれだけ短く見積もっても30分はかかることになるのだ。

 

 ババアの餌食になった時を思い出しつつ、高橋はひいひい言いながらなんとか階段を登り切った。頬を伝う汗を腕で拭う。不快感を与えてくるじっとり湿った袖にぱたぱたと空気を入れ、同時に気合を入れなおしてから、バイト先である祓い屋事務所の前に立つ。

 

 錆びついてぎしぎし音を立てているドアのカギを高橋は持っていないが、そんなものは必要ない。力いっぱい体当たりをすればいいのだ。いつも通りかばんを降ろして肩から思いきりぶつかると、蝶番がぶち壊れそうな音を立てながらドアが開いた。

 

 そしてその一瞬後に、ぎいぎい揺れるドアの向こうから、ドスのきいた男の罵声が飛んでくる。寺門である。

 

「てめぇ高橋! ちゃんとカギ使って開けろって言ってんだろうが!!」

 

 負けじと声を張り上げて怒鳴り返す高橋。

 

「うるせえ寺門! 筋トレの一環だよ! それにお前カギくれねえじゃん!!」

「てめぇみたいなクソガキにウチの大事なカギを渡すわけねーだろうが!!」

「じゃあ入れねーじゃねえかクソが! どうしろってんだ!!」

「呼び鈴鳴らせボケ!!」

 

 言われた高橋はだだだ、とうんともすんとも言わないインターフォンを三連打。

 

「壊れてんだろーが!!」

「……うるせぇガキが!!」

 

 勝者高橋。意気揚々と事務所に入る。482勝449敗。低レベルな口喧嘩であった。

 

 ◇

 

 身長186cm、体重58kg。荒れ放題の金髪、せわしなく動くぎょろぎょろした目、やせこけた頬、ヤニに汚れた歯、下あごにまばらに生えた無精ひげ、下手くそな結び目のネクタイ、くたびれた黒のスーツ。腕は何故かいつもカタカタ震えていて、口の端にはチビになったタバコをくわえ、安物の蒸留酒の瓶を小脇に抱えた、ニコチン中毒でアルコール中毒でたぶん薬物中毒でもあるだろう男。

 

 この不健康に服を着せたような男こそ、祓い屋事務所の主であり、高橋の師匠でもある、寺門太一その人であった。

 

 バッグを放り投げ、事務所のど真ん中に置かれた()()の黒革のソファに体を沈めた高橋を、寺門はじろりと見ながら言う。

 

「飯は食って来たのか高橋」

「まだ」

 

 高橋が午後に事務所に来た時の、いつものやり取りである。

 

「昼飯どうすんだ」

「買って来た」

「何を」

「パン」

「どんな」

「途中のコンビニで適当に」

 

 そして寺門は怒声を上げ、

 

「ふざけてんじゃねえぞ! バカかてめぇは!!」

 

 高橋の頭をぶん殴ってから、事務所の奥にどしどしと歩いてゆき、少ししてからじゅーじゅーいい音といい匂いを出し始めるのだ。

 

 高橋はその音をBGMに、地球温暖化などなんのそのと言わんばかりにガンガンに効いたクーラーに感謝の祈りを捧げながら、事務所の中を眺める。

 

 事務所はきれいに片付いている。書類が山積みになっていることも無ければ、アルコール臭い空き瓶や空き缶が転がっていることもない。カップ麺やコンビニ弁当の空き容器が散らばっていなければ、タバコの吸い殻が床に焦げ跡を作っていることもない。何よりよくわからない注射器や錠剤が落ちていることも、ない。

 

 六年前、高橋が寺門に弟子入りした時は、それらが全てあったのだ。

 

 高橋は思い出す。

 月宮が自分をかばい、そして消えてしまった洋館を調査しているという寺門に、弟子にしてくれと頼み込んだ日の事を。突然事務所に押しかけた高橋に寺門は言った。俺の言う事をなんでも聞くなら弟子にしてやると。高橋は力強くうなずき、寺門は続けて言った。死ぬようなことはするなと。高橋はもう一度うなずき、寺門は最後に言った。どうして祓い屋なんてモンになりたいんだと。高橋はひと時も考えず、力いっぱい返した。俺も月宮みたいに誰かを助けられるようになりたいと。

 

 寺門は幼い高橋をじっと見つめ、酒臭いため息をつくと、高橋を事務所に入れた。そして言った。掃除しろと。高橋はゴミの山を半泣きで掃除した。

 

 それから高橋の、今日まで年末年始以外は休まず続いている修行の日々が始まったのだ。

 

 寺門は高橋に祓い屋としての基礎を仕込み、高橋は寺門にゴミ捨てという人間の御業を教え込んだ。そしてどちらも才能が無かった。

 

 高橋には霊力というものがさっぱり無く、寺門は分別という概念が覚えられなかった。

 

 めちゃくちゃ簡単な符術を高橋はひとつも出来ず、寺門は彼に「お前は筋肉と反射神経でなんとかしろ」と言った。

 めちゃくちゃ簡単なゴミ捨てを寺門はひとつも出来ず、高橋は彼に「お前はいらないものは全部ゴミ袋にそのままぶちこめ」と言った。

 

 一応どちらもそれなりに成長はした。高橋は自前の霊力を必要としない事ならばそれなりにできるようになったし、寺門は床にゴミをまき散らしてはいけないという事を学んだ。

 

 かくして高橋の祓具(はらえぐ)は、木製バットにお札をべったべたに張り付けまくった、なんだかとってもカースドな感じをかもしだす、『お祓いバット』なる名前のわりにずいぶん縁起の悪そうな代物となり、寺門の事務所は『燃えるゴミ』の日以外は全くゴミ出しをしない、自治体にしこたま怒られそうな部屋になった。

 

「おら、食え」

 

 物思いにふける高橋の目の前に、どんと乱暴に皿が置かれた。

 

 盛りつけられているのは、適当に切られた肉と野菜を適当に炒め、適当に味付けをした料理である。隣には茶碗一杯の白飯と、紙コップに入ったお茶。

 

 手を合わせ、いただきますと軽く頭を下げる高橋を無視して、寺門は酒をあおりながら棚の上のデッキにカセットテープを押し込み、再生ボタンを押す。

 

 二人には似合わないクラシックと、高橋のかちゃかちゃ食器を動かす音が、クーラーの音をかき消した。

 

 ◇

 

「でだ、高橋。仕事が入った。お前も連れて行くからそれ食い終わったら準備しろ」

 

 高橋が半分ほど食事を進めた頃、寺門が言った。

 口の中の米を飲み込み、高橋の返事。

 

「どこで、なにが、いつ」

 

 この事務所が行う業務は主に事件調査である。警察には手が出せない、怪異絡みの事件。そういったものを調査し、原因である怪異を見つけ、可能であれば解決し、無理そうならばそれはそれでなんとかする。そういう仕事だった。

 

 高橋の言葉はつまり、一体どこでどういう事件がいつ起きたのかという、事件の概要についての説明を求めたものである。

 

「二丁目の廃ビルの三階で、食われた。時刻は現場で調べる」

 

 寺門は胸ポケットから取り出した真新しいタバコに火を付けながらさらりと答えた。しかしその「食われた」との言葉に、高橋は固まる。

 

 食われた──人が殺された。

 

 高橋にとって、人死にの事件に関わるのは、自分と月宮のそれ以外で初めてだった。今までそういった重大な事件に、寺門が自分を連れて行く事は無かった。『お祓いバット』を振り回して何とかしてきたのは、大して力の無い怪異相手だったり、そもそも怪異でもなんでもないただの勘違いだったり、そういう事件ばかりだったのだ。

 

 食事をする手が止まった高橋を見て寺門が言う。

 

「どうする。やめとくか? 来ねえならそれでもいい」

 

 ふーっと煙を吐く寺門を高橋はにらみつけた。

 

 高橋は思う。

 こいつは俺がびびっていると思っているのだろうか。

 バカにするな、俺はむしろ興奮してるんだ。

 ようやくだ。ようやく、あの日命を懸けて俺を助けてくれた月宮の様に、何か恐ろしいものと相対できるんだ。遅すぎたくらいだ。今日やっと、俺も月宮みたいに、誰かを助けられる男になれるんだ。

 

 高橋は寺門をにらみつけながら残りを一気にかっこみ、喉を詰まらせかけ、慌てて胸を叩きながら右手で机の紙コップを掴み、お茶と一緒に米と肉と野菜を口から胃の中へごんごん流し込み、ふうっと大きく息を吐いてから、

 

「行く」

 

 とだけ言った。

 

 

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