「はぁ……はぁ……」
パラパラと破裂音が響く。
始めは聞くたびに鼓膜が割れんばかりに震えたが、今となってはさほど気にもならない。
壁のひび割れたビルの一室は、以前は家族が住むアパートだったのだろう。
置き去られている写真立ての、そのどの顔にも青年は見覚えがなかった。
空気が乾いていない割に土煙が上がるのは、草の一本も生えていないせいだ。
この争いがいつからのものなのか、もう覚えてはいない。
10年も前のような気がするし、つい昨日始まったような気もする。
少なくとも、一人残らず民間人が消え去る程度には、長く続いているはずだった。
壊れかけたこの町にはもう、兵隊しかいない。
――ブー……ブー……――
「チッ、またかよ」
酷く控えめになるブザーは、敵の爆撃機を発見した合図だった。
つい聞き逃してしまいそうな音量は、しかし思いっきり鳴らせばそれこそ敵に位置がバレて狙い撃ちにされるからだ。
なるべくバレないように敵の陣営に近づき、やり過ごさなければならない。
連中も味方のキャンプ近くには流石に攻撃しようがなかった。
十数分後には、また更地とがれきが増える。
「クソ、行くか」
重い銃を抱えなおし、ビルを出て走り出そうとしたところだった。
ひゅるひゅると、何かが空を切る甲高い、口笛のような音が響く。
逃げなくていいくらいには、充分離れている。
何事かと恐る恐る顔を出すと、巨大な何かが空から降ってくるのが見えた。
「な……」
目と口をぽかんとあける。
みるみるうちに近づいてくる何かが、件の爆撃機であることに気づくには数秒かかった。
そして、その数秒の間に飛行機は地面と勢いよく衝突し、爆炎が上がる。
味方の飛行機や砲台が撃墜した、とは思えなかった。
青年の所属する軍には、そんな余裕はない。金銭的にも、技術的にも。
では爆撃機の故障だろうか?
火や煙にひるまず、何人かの人影が機体の残骸に近づいていく。
敵が仲間を助けようとしているのか、味方が憎い相手を殺そうとしているのか。
「ふん、馬鹿が」
どちらにせよ危険なのは間違いがない。
情報が欲しい青年は遠目から様子を観察することにした。
同じ考えの持ち主が多いのか、彼らが撃たれる気配はない。
が、一瞬のうちに彼らは一人を残して地に伏した。
いや違う、
それがわかったのは、そのたった一人が余りにも戦場に似合わない格好をしていたからだ。
薄いピンクと紺色の服、長い三つ編みとリボン。
武器らしい武器と言えば、銀色にきらめく刀ぐらいだった。
優美な曲線と幅の広い刀身が特徴的なそれは、柳葉刀と呼ばれるものなのだが、青年は知らない。
驚きから目覚めた何人かが狙いを定めて引き金を引いた。
パラパラと破裂音が何重にも重なる。
四方八方から銃撃を受け、男は何を思ったのか刀を何度かふるった。
一呼吸ののち、倒れていたのは男ではなく、男を撃った兵士達のほうだ。
「いったいどうしたっていうんだ?」
警戒も忘れ、覗き込んでしまったのは物理的な距離が十分にあったからだろう。
そうではない者たちは半狂乱になって撃ちまくる。
瞬きの間に男は姿を消し、一つ、また一つと銃撃の音が消えていく。
何人かまとまって潜んでいた連中は、ビルごと崩れ落ちた。
一体どういうトリックなのか、ただ一階の壁をひと蹴りしただけだというのに。
間もなくして、ひとかたまりの集団が歪な隊列を作って男へ向かって突っ込んでいった。
が、それに向かって少し走った彼とすれ違うと、ごろごろとあたりに転がっていく。
その体はひと固まりではなく、いくつかのパーツにぶつ切りされている。
「すげぇ……」
青年はただ見ていた。見とれていたといってもいい。
男が軽く跳べばあっという間にビルの屋上へ届いてしまう。
そして何度かステップを踏むだけで後には死体しか残らない。
バリケードごと一刀両断し、スナイパーの眉間へ銃弾を返す。
朽ちかけた町のあちらこちらを、縦横無尽に動き回る。
踊るような動きに優雅さはない。ただ、余りにも軽やかなので踊っているようにしか見えない。
華やかさはまるでないが、研ぎ澄まされた刃のような、無駄の一切を削ぎ落した、飛びぬけた洗練だけがもつ美しさがある。
突然、ギャリギャリと何かを引きずる嫌な音が聞こえてきた。
はっと我に返り、辺りを見回す。
「あ、あいつら……!」
どこに隠していたのか、敵の戦車が姿を現した。
しかも1台ではなく、2台、3台といる。
本当は決定的な瞬間までとっておきたかったのだろうが、余りの事に我慢できず持ち出してきたのだろう。
十分な距離をとって、大砲の先端が男を狙う。
たっぷりと時間をかけて、おおよそ人に向けるものではない質量が打ち出される。
のだが、あっさりと男はそれを受け止めて、投げ返した。
見間違いではない。投げ返したのだ。
しかもその砲弾は戦車を貫通し、風穴を開ける。
燃料タンクにでも命中したのか勢いよく爆発し、あっという間に火の玉に代わった。
残りの2台の中からわらわらと男たちが出てきたが、それも見過ごされることはない。
もはや阿鼻叫喚となり、兵士たちには敵も味方もなくなった。
半数は我先にと背を向けて逃げ出す。
あれほど長い間、殺し合いというものと向かってきたのにもかかわらず。
しかし、半狂乱になったもう半数は、死に物狂いで男へ襲い掛かる。
ある者は手榴弾を、ある者は銃を、ある者はナイフを、ある者は素手で。
より恐ろしく絶対的なものの前では、人は手と手を取り合えるのかもしれない。
しかし悲しいかな、やはり結果は同じだった。
三つ編みがたなびき、銀色の光がきらめいて、一人も残さず死んでいく。
青年はどちらでもなく、その様子をただ見ていた。
大事に抱えていた銃は最早ぬいぐるみ程度の意味も持たなかった。
撃つべきものはただ一つ以外なくなったのに、そのただ一つは撃ったところで意味がない。
気がつくと、自分の目の前に誰かが立っていた。
それが先ほどまで見つめていた男だと、気がつくのには少し時間がかかった。
彼は、確かに多少は悪人面だったが、それだけで、思ったよりもずっと普通の人間のように見えた。
「どうしてこんなことをしたんだ?」
殺されるかもしれない、ということをすでに青年は受け入れていた。
それは、ほんの数時間前までの戦場での覚悟とは全く違う。
例えるなら、災害を目の前にした時の諦めに近い。
「たまには少し激しい運動をせねば、体がなまるからな」
それだけ言って、男は姿を消した。
青年は地面にへたり込んで、笑った。
ただ笑った。
辺りには死の匂いが立ち込めていたが、それ以上増えることはなかった。
その後、一夜にして一軍が滅んだという怪談じみた噂がある国に広まる。
青年は噂を聞いた時、また笑った。
そして、噂についてたった一つだけ訂正した。
一夜ではない。これ以上ないぐらい晴れ渡った、明るい、真昼の事だったと。