25歳、アラサーまでカウントダウン寸前だった俺がウマ娘になって三冠を目指す件   作:鳴神ハルキ

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誰か…誰か俺に怪獣8号全巻とシンボリルドルフ会長を…っ!



3話

カッポーン

 

 

それなりの高さはをあろう天井にプラスチックの軽くて小気味よい音が響き渡る。

備え付けの安価な桶が奏でる音色がいつの間にやら風物詩とまで言われるほど身近なものになったのは一体いつのことだっただろうか。

 

「っ………」ゴクリ

 

充満する蒸気が部屋の隅々までを白く染め上げ伝えた熱で空気を湯だたせる。

 

白く染まった空間に一つの人影が浮かび上がった。

 

纏められた美しい二色の鹿毛に特徴的な三日月形の白髪。

均整の取れた肢体は流れる雫と相まって腰から先は芸術品ともいえる美しさを醸し出している。

 

そして極めつけはピンと張った頭部の二つのウマ耳に、湿気を帯びて絡まった尻尾。

 

二つの特徴的な身体器官によってその人影がだだの『ヒト』ではないこと如実に語っていた。

 

伸ばされた左足が透明な湯船の中に沈んでいく。

先が触れた左足は一瞬の震えを覚えたが、我先にと先陣を切るのをやめない。むしろ触れる面積が増えるほど歓喜にむせび泣くようでもあった。

 

「っっっ、ふぅ~~~~」

 

そうして頭と首を除く全身が湯船の中へと沈み終わると、閉じられていた口からこれでもかと嬌声が上がる。

 

ガツンと全身で感じる熱の鼓動。

重力から解放されたかのような浮遊感。

一日にため込んだ疲れが嬌声と共に外へと放出されていくようだった。

 

「やはり一日の終わりはこうして一人で湯船につかるに限るな。うん、役得役得」

 

己が特権と湯船に酔いしれる。

 

そう、湯船につかり一日の疲労を癒しているこのお方こそ日本ウマ娘トレーニングセンター学園、通称"トレセン学園"のトップに君臨する現生徒会の長。

 

【皇帝】シンボリルドルフ、その人だ。

 

「今日までの激務を考えればこれくらいの贅沢は許されるものだろう」

 

湯船の中でパシャパシャと水音が鳴る。

 

何かと思えば会長の手が小刻みに開閉しその隙間から水鉄砲を飛ばしていた。

一番最後に射出した水の塊が湯船の向かい側まで届くとなんともご満悦な表情となる。

 

他の生徒がいれば決して見せないであろう無邪気な姿。

それらを惜しげもなく晒しているのは日中溜まったストレスを少しでも解消させるためなのかもしれない。

 

「『会長がストレス解消』、これは…イケるな。明日あたりエアグルーヴに聞かせてやるとしよう」

 

いいやもしかしたらあまりストレスは溜め込んでいないのかもしれない。

 

子供のような笑顔でジョークを口ずさむ彼女の姿を見て、これが稀代の【皇帝】だと瞬時にわかる人間が何人いようか。

それほどまでに今の彼女は解放された表情をしていた。

 

「~~~♪」

 

彼女がこれほど羽を伸ばしているのにも理由(わけ)がある。

 

3月、それは長かった冬が終わりを迎え春の到来を告げる月。

そして多くのウマ娘にとっての夢であり、一生に一度の晴れの舞台が始まる最後のモラトリアムでもある。

 

これより始まるは『クラシックレース』。

夢の祭典の裏側では毎年こうして労働に明け暮れる生徒会長の姿がある。とはいえその準備もほぼ終わりこうして羽を伸ばしているわけだが。

 

「世界中全てのウマ娘を幸せにする、そのためには弱音を吐いている時間さえも惜しい」

 

だがまぁ、これくらいの癒しを甘受しても罰は当たるまい。

 

自らを労うことも仕事のうちだと彼女は日々の疲れを洗い流す。ものの数分で体の芯まで温められたところで、意識は既に夢心地であった。

日中の疲れに周囲からの解放感。

知らず知らずのうちに意識は沈んでいくのであった。

 

 

 

 

 

 

『ちょっとこわいな』

 

小さな頃の私は人前に出るということが少しだけ苦手だった。

それは視線というものに雑多な感情が入り混じるからだった。

 

期待、羨望、憧れといった正の感情。

嫉妬、怨み、憎悪といった負の感情。

 

一人一人は大したことのない感情だとしても、それらが一人に向かって注がれればそれはとてつもなく大きな感情の塊に等しい。

 

特に私たちウマ娘はそういった視線を多く受ける存在だ。

ヒトと酷似はしているものの厳密には違う種の生き物だ、そんな扱いを受けることもある。

そこに向けられる視線は普通の人々が受けるそれとは異なり、良くも悪くも悩みの種となりうる。

そのような巨大な感情が渦巻くレース場で颯爽と、そして煌びやかに走る同族たちは一体どのような気持ちでその舞台に立っているのだろう。

いまだ体験したことのない未知への恐怖にそんな言葉を漏らした。

 

『ん? なんだルナ、お前人前で走るのが怖いのか?』

 

今にして思えばそれはとても一般的な疑問だったのだろう。

ウマ娘とは走ることに喜びを見出し、ヒトとはそれを見ることに喜びを見出す生き物だ。

私の考えが正確に伝わっていなかったとはいえ"彼"からすれば走ることが『怖い』と口にするウマ娘の存在はとても不思議な存在に映ったことであろう。

 

『………うん』

『おいおいそんなんじゃ困るぜ。それじゃあいくら速く走れてもレースで勝つなんて夢のまた夢だぞ』

 

"彼"の呆れた顔に酷く落ち込んだことを今でも覚えている。

 

"彼"とは物心ついた時から知り合いで、共に『菊花賞』を夢見る良きパートナーでもあった。

"彼"の指摘や助言は小さかった頃の私の善き指針であり、"彼"がいたからこそ私いまここまで上り詰められたのだという自負がある。

 

そんな"彼"から失望の眼差しを向けられては小さな私が大きくショックを受けるのは当然とも言えた。

 

『しゅん…………』

『ぅお!?そ、そんなに落ち込むなよ。ほらお菓子やるから』

 

とはいえ"彼"は私の機微に聡かった。

"彼"のカバンの中にはいつだってキャロットキャンディーが忍ばせてあった。無論、私のご機嫌を取るためだ。

ウマ娘は甘いものとニンジンには目が無い、立ちどころに機嫌の直る小さな私に彼はさらにあきれた表情を返すのであった。

 

『美味し~い』

『こいつ、なんだか最近俺の扱い方覚えてきてねえか?』

『おかあさんが言ってたよ。男とトレーナーはうまくつかえ、だって』

『お前のとこのおばさん怖いわ!!』

『あとおかあさんはこうも言ってたよ『女の人に年齢の話を振る男と呼び方に気を付けない男は〆る』、だって。かふか君今おかあさんのこと『おばさん』って言ったよね?』

『キャロットキャンディー一袋で勘弁してください』

『うん、許すーーー!!』

 

七つも歳上なのにどこか頼りないところがあり親しみやすさを抱かせる人だった。

反面、ウマ娘のことについては貪欲で夢に向かって邁進する姿はどこか危うさを感じさせるほどだった。

 

だが、そのどちら以上に人の心に寄り添える人だった。

 

『まあ大丈夫だ』

 

頭にのせられた手のひらの感触を今でも覚えている。

 

『お前が一人で不安だったとしても俺が(よこ)で支えといてやる。それがトレーナーとウマ娘ってやつだろ』

 

父よりは小さく、けれど小さい私よりも大きな手。

まだ子供らしい柔らかさと弾力が残りながら、少しだけ大人に向けて固くなり始めた手。

不器用だけど想いやりが感じられる、そんな手だった。

 

『――――――うん!!』

 

さて、こんな夢を見るのは果たして何度目だっただろうか。

 

 

 

 

 

 

「……………??……………!!?!?」

 

ブクブクブクブク、バシャーン。

 

心地の良い夢から覚めたシンボリルドルフは湯船の中から奇跡の生還を遂げる。

きっとあのまま眠っていれば次の日には、

 

『《トレセン学園生徒会》

 

【皇帝】、風呂場で居眠り!!?

 

 《ブラック企業》』

 

といった大見出しが校内新聞の一面を賑わせたことだろう。

なったらなったで彼女の悩みの種である『親しみやすさ』問題を解消するための一つの要因となりえただろうが。

 

夢から覚めたシンボリルドルフは茹だった頭を冷ますため頭から水をかぶる。

ポタポタとしたたる水滴を尻目に、鏡に映る自らの顔に目を細める。冷たく冷やされた脳裏に浮かぶのは果たして夢の中の"彼"との想い出か。

それとも。

 

「………嘘つき、か」

 

「なんだ、私もまだまだ女々しいものだな」

 

なにも言わずに置き去りにされたことへの積年の思いか。

 

【皇帝】にして『生徒会長』。

しかして未だ齢二十歳も越えぬ少女。

沢山の仮面の裏には一体何が眠っているのか。

それは、本人にしかわからない。

 

「それにしても連絡も寄越さなくなって早四年か、いったい"彼"はどこで何をしているんだろうな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい礼乃、なんだこのヒラヒラした服は」

「もし妹達が泊りに来たとき用の替えの服です」

「お前ちょっと本気できもいぞ」

 

礼乃に手渡されたヒラヒラの服を放り投げ手近にあったパーカーを掴む。

元が礼乃の服なのでサイズが合わないが今はまあ目をつむるしかない。

 

しかし、しかしだ。

こればっかりは流石に目を逸らすことができない。

 

俺はウマ娘用に尻尾を通す穴までついた所謂スカートを持ち上げると苦い目線を向けるしかなかった。

 

「何か、他にないの?」

「すいません。スカートはありますけどズボンは普通のヒト用しかありません」

「なんでスカートはあるんだよっ!!?」

「妹達には可愛い服を着せたかったからです」

 

ダメだ、こいつのキャラに付き合っていたらスタミナが持たない。とりあえず礼乃のキャラについてはスルーの方向で考えよう。

 

しかし、スルーを決めたからと言って目の前の問題が解決するわけではない。

 

俺に与えられた選択肢は二つ。

 

いい大人になって女装に手を染めるか。

恥を忍んで女装に手を染めるかのどちらかだ。

 

「くそっ選択肢がねぇ!」

 

言葉にならない苦悩を味わいつつ数分後。

 

「おぉ〜」

 

礼乃が感嘆の声を上げる。

 

そこにはホワイトパーカーを身にまとい薄いエメラルドグリーン色のロングスカートに尻尾を通し一端の見た目となったウマ娘(俺)の姿があった。

 

「まあ清楚さで言えばドーベルの圧勝ですけどね」

「お前ほんと人の気持ちを慮れ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウマ娘用の衣服に身を包んだことでどこから見ても普遍的なウマ娘となった今日この頃。

 

「けど本当に良かったのか? お前、メジロの家の力に頼るのは嫌だったんだろ?」

 

俺たちはURA協会本部に足を運んでいた。

 

表向きには保護したウマ娘の取り調べ。

しかし実態は出生記録の無い『野良ウマ娘』(ということになっている)である俺の引き渡しということになっていた。

 

礼乃はこの話を持ち込んだとき自らの家の名前を出したという。

 

『メジロ家』という名前が業界に及ぼす影響力は決して小さいものではない。如何に礼乃自身が清廉潔白とはいえまだ彼は未成年、メジロの名前無しで事が運ぶほど今回の事態は軽いものではなかったという。

 

隣に座った礼乃の顔を見る。

その表情は些かばかりに険しいものであった。

 

こちらの視線に気がつくと礼乃は眉間のシワをサッとしまう。

 

「大丈夫っス。無断で家から出たのは事実ですけど先輩の事情を知りながら目を逸らしていた、なんてことになったらそれこそ勘当されるような家ですから」

 

やや無理をしたような微笑みは俺を安心させるためか。

 

メジロ家は多くの優秀なウマ娘を輩出し業界ではトップを走る名家。

その在り方は部外者である俺から見ても清々しいほどのウマ娘贔屓。URAと同じくウマ娘に対して手厚い補助や支援をしているかの家ならば、俺のような存在を見捨てれば勘当されるというのもあながち冗談ではないのかもしれない。

 

おんぶに抱っこな形となってしまい申し訳ないが今回は大人しく彼の力を借りることにした。

 

「すまん、恩に着る」

「いいですって。お礼言われるほど立派なことじゃないですよ」

 

お礼を言われるほどのことじゃない、ね。

 

気づいているのだろうか。

知らず知らずのうちに自分のために身を削っているということに。

 

『献身』ともとれるその姿勢が、他から見れば少し違和感を覚えるほどに。

 

「(メジロ家の教育ってやつか。ウマ娘を第一に考えている家ならそれくらいのことはしているのかもな)」

 

そんなウマ娘第一の教育を受けた者が、己の力を示すためとはいえ家出までしている。

これがどれだけの覚悟の上に立っているのか改めて実感させられる。

 

「(礼乃にここまでしてもらったんだ。ここからは俺の力で何とかしてみせねえとな)」

 

その覚悟に心の中でもう一度敬意を払う。

一回りも年下だが尊敬すべき同じ道を志す者(ライバル)の献身を無碍にしないためにも。

 

「っ、来ました…ね」

 

職員らしき人達がぞろぞろとやって来る。

聴こえる足音から大体何人組なのかわかるというのがウマ娘の察知能力の高さを伺える。

 

「それじゃあ、行ってくるわ」

 

椅子から立ち上がり礼乃の横を離れる。

少し寂しくなるがなにもこれが今生の別れということでもなかろう。お互いが夢を追い求め業界に関わり続ける限りきっとまたすぐ出会うことができるはずだ。特に将来有望なコイツなら猶更な。

 

「お体に気を付けてください」

「へへ、お前の方こそな」

 

湿っぽいのは似合わないと拳を突き出すと礼乃も察しがついたとばかりに拳を突き出す。

 

「プロトレーナーになれよ、後輩」

「先輩こそ。次逢った時は俺の方が先輩になってたりして」

 

ははは、こやつめ。

いや、あながち冗談じゃねえな。こいつの方が先にトレーナー試験通ったらマジで先輩じゃん。え、普通に屈辱。

 

そんな他愛もない会話を交えながらもコツン、と拳を小さく打ち付ける。

 

小さな音が鳴り、それよりさらに小さな衝撃が互いの胸に刻みこまれる。

 

諦めきれない男と、追いかける男。

"夢"を実現させんがための男二人が紡ぐ武骨な契りだ。

 

「お前の"メジロ家を倒す"って夢、絶対叶えろよな!」

「……っえぇ!」

 

一瞬見えた悲壮感のようなものを礼乃は作った顔で覆い隠す。

 

次いで呼ばれる職員の声に急かされ拳が離れる。

最後の表情に後ろ髪を惹かれながら、俺は礼乃との別れを済ませたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………………ふむ、それでは保護されるまでの記憶が無い、と?」

「そうだ……そうですね。自分の名前もなんだかあやふやで」

 

簡単な調書をまとめるということで話を聞かれている、ちょっとした尋問を受けている気分だ。

記憶喪失ネタは定番だよなあ。

 

「ではその、今着ている服は一体どこで……?」

「礼乃からもらいました」

「な、なるほど……(礼乃様は一人暮らしということだったはず…『ウマ装(女装のウマ娘版)』の気でもあるのだろうか?)」

 

話をしている担当者の顔が引きつっているのがわかる。

確かにその気持ちはわかるが俺の恩人の名誉のために一言断っておくことにしよう。

 

「彼の名誉のために言っておきますけど彼が自分で着るためものではないそうですよ?」

「あ、そうなんですね」

「大好きな妹達がいつか泊りに来ることを見越して買い置きしていただけらしいです」

「」

 

あ、やべ墓穴掘った。

すまん!礼乃!

 

そんなこともありその後もいくつかの質問や保護された時の状況などを聞かれた。

どうやら別の部屋では礼乃も同じような質問をされていて、話のすり合わせが行われているらしい。事前に礼乃とは口裏を合わせておいたのでボロは出ないと思うが、それでも冷や冷やしたものだ。

 

ちなみに俺は現在、数日前に礼乃が保護した記憶喪失気味のウマ娘、ということになっている。

 

俺がウマ娘になってもう数日。礼乃がメジロ家の伝手を伝って手を回したらしく既に俺がURAに記録の残っていないウマ娘だということは証明済みだそうで、今回の取り調べも殆ど形だけというか手続きの前準備みたいなものらしい。

 

「はい、これと言った話の齟齬はありませんね。お疲れさまでした、本日はこれで終了となります」

 

なんとか取り調べもひと段落し一心地が付く。

 

俺はこれからURAの施設か何処かで生活していき自分の身の振り方を考えるわけだが、勿論トレーナーになることが第一目標だ。

 

ルドルフとの誓い、礼乃との契り。

これらを果たすためにも、もう立ち止まってはいられねえ。

 

「それではこれから施設にお送りすることになりますが、何かご希望はありますか?」

「いや特には……」

 

特にはないな、と言おうとしたところでサイズの合わないパーカーのポケットの中で、チャリ、という金属音がした。

なにかと思いポケットから引っ張り出してみるとそれは礼乃の家の合い鍵であった。そういえばこれ適当にかっぱらってきた服だっけ、合鍵くらい入っていてもおかしくないか。

 

「すいません、忘れ物を彼に返したいので案内してくれませんか?」

「それは別にかまいませんが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「礼乃様でしたらそろそろメジロ家本家へと出発されるはずですので今からでは間に合わないかもしれませんね」

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

「はい?」

「おや、礼乃様から聞いておられないのですか?」

 

「『自分は実家に帰るから後のことはよろしく頼みます』と事前にお聞きしておりますが…」

 

な…んだそれは。

聞いてない、聞いていないぞ!!

 

「どういうことですかっ!!」

 

バンッ、と大きな音が鳴る。

あまりに力を籠めすぎたせいでテーブルに亀裂が入るがそんなことは気にしていられない。

 

「ひ、ひぃっ!?」

「ど う い う こ とですか!!?」

「ど、どういうことも何も礼乃様は家出中の身でありましたから、メジロ家本家から出頭要請が出ていたのです」

 

視界の端がぐにゃりと曲がる感覚を覚える。

嫌な汗がぶわっと噴き出し、バクバクとうるさい心臓の鼓動が強くなっていく。

頭痛と吐き気がする。

思考が嫌な方へと進んでいく。

 

「礼乃様も了承したうえで今回ここに参られていたのかと……」

 

そういえば先ほどこの担当者はこう言っていた。

 

 

『『自分は実家に帰るから後のことはよろしく頼みます』と事前にお聞きしておりますが…』

 

 

考えてみれば当然のことだ。

 

礼乃はメジロ家から家出同然で出奔していたのにメジロ家の名前と伝手を使った。

これが意味するのはもちろんメジロ家本家に自身の身を晒すというこで、家出した礼乃をメジロ家が連れ戻そうとするのは必然だ。

 

そこに気がついたとき、この場所に来てから見せていた礼乃の顔が蘇る。

 

 

 

待っている間もどこか険しそうだった表情。

 

俺に悟らせまいと必死に浮かべていた作りものの笑顔。

 

URAの職員が来た時に一瞬みせた躊躇い。

 

そして俺が口走った"夢"という言葉に反応して一瞬だけ見せた悲壮感。

 

 

 

それらすべてのピースが嵌まったと同時に俺は部屋を飛び出していた。

呼び留める声を無視し、礼乃の名前を叫ぶ。

人の行き交う場所を上手くすり抜け、今の体で制御できるだけの速度を維持しつつウマ娘となったことで鋭くなった察知能力まで総動員して礼乃の気配を捜索する。

 

くそっ、俺は大馬鹿野郎だ!

礼乃の好意に甘えて、寄りかかって、その結果がこれだ!

 

家に連れ帰される、それは礼乃の"メジロ家を倒す"という夢を捨てることと同義だ。

だというのに彼は躊躇なく家の名前を使った。

 

 

何故か。

 

俺の為だ。

 

 

あらゆる身寄りを失った俺の為に彼は自らの夢を捨てた。

 

これはもう『献身』なんて生ぬるい言葉では言い表せない。

『贄』だ、俺という存在のために彼は進んで自らを生贄に捧げたのだ。

 

「っ、見つけたァ!!!!」

 

そうして捜索を続けていると窓の向こう側、敷地と公道との境に止められた黒塗りの高級車に執事やメイドと思わしき付添人と共に乗り込もうとしている礼乃の姿が見えた。

 

あまりにも遠いッ!!

ここから正規のルートを通ってはとても間に合わないほどの距離に思わず舌を噛みちぎりそうになるほど歯を噛みしめた。

 

どうする!どうすればいい!!?

どうやったらアイツの場所に行ける!!

 

 

『俺には目標があるんです』

 

『"メジロを倒すウマ娘を育てる"ことです』

 

『どうせなら凄いウマ娘を鍛えるよりも、凄いウマ娘に勝ってみたいじゃないですか』

 

 

浮かび上がる記憶は走馬灯のように過ぎ去っていく。

 

記憶の中の彼は瞳に確固たる覚悟が揺らめき、天に向かって伸ばす手は無謀な挑戦者に見えた。

 

だが、その姿は燻っていた俺の心を再び燃え上がらせ奮起させてくれた。

 

そんなまばゆい夢を俺が奪い取ってしまった。

 

二度も礼乃に救われ、夢まで奪っておきながら俺はこんなところで彼を見捨てるのかっ!

 

「ッッッ!!」

 

周囲の人目など気にしている余裕はなかった。

 

刻一刻と離れていく彼の後ろ姿に俺の体は勝手に動いていた。

 

蒼く続く窓はアイツのいる場所へと繋がっている。

 

だったら恐れなんて捨てろ。

 

三階?知ったことか。

 

俺はウマ娘だぞ!!!

 

 

 

「レノォォォォォォォ!!!!!」

 

 

 

背後から聞こえる悲鳴を塗りつぶすように肺からあらん限りの声を振り絞る。

 

音の速度はウマ娘の走る速度など優に超えヒトの鼓膜を揺さぶる。

あまりに大きな声に礼乃も周囲の付添人もまとめてこちらを振り向く。

 

「!!?!!!!?」

 

礼乃の顔が三階から飛び降りている俺に釘付けになると言葉にならない悲鳴が上がる。

なにやら『危険だ』とか『何やってんだアンタ!?』といった感情の揺らぎが伝わってくるが今はそんなこと気にしているつもりはない。

 

三階から無傷で着地した俺はそれまでセーブしていた脚を一気に引き絞りトップスピードを噴出させる。

 

速い、速い。

周囲の風景が瞬く間もなく過ぎ去っていく。これがウマ娘の世界か、と感心する余裕もない。

 

慣れない視界に戸惑いながらそれでも俺の視界はたった一つの標的を捉えて離すことはなかった。

 

 

 

 

「―――――――ハァハァ…捕まえた」

 

周囲の人間の思考が回復するよりも早く下手人の手を強く掴む。

 

もう言い訳は許さないとばかりに、万力の手は礼乃の体を強く縛り付けるのであった。

 

 

 




フライアウェイ&ランナウェイ
今回の話は怪獣8号二話の病室から飛び出すシーンを見てエモかったので書きました。流石に窓はちゃんと開けて飛び降りましたよ?(問題はそこじゃない)
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