25歳、アラサーまでカウントダウン寸前だった俺がウマ娘になって三冠を目指す件 作:鳴神ハルキ
「メジロ杯?」
メジロドーベルの一声ののちメジロ家は慌ただしくなっていた。
「ええ、その名の通りメジロ家内でウマ娘同士の争いが起こった時に開かれるレースなんです」
「つまり俺が勝てばあっちは礼乃が家を出ることを認めて、あっちが勝てばお前は家に戻されると」
確かに言葉にすれば単純明快ではあるが。
「…こっちが不利じゃねえか?」
「…まあ、はい」
幼少の頃より鍛錬を重ね、努力を積んできたメジロ家のウマ娘。
対してこちらは数日前にウマ娘となったばかりで本気で走ったことすらないど素人。
正直勝負にもならないというのが率直な感想だ。
「ああなった妹達はテコでもスイーツでも動きませんからね…
ちらりと視線を向けた先では四人のウマ娘達が円陣を組んで闘志を燃やしていた。
「頼みましてよドーベル!メジロ家の今後は貴女の脚にかかっているといっても過言ではありませんわ!」
「ちょっとマックイーン、それじゃあドーベルに重荷を背負わせ過ぎだよ。…ドーベルもあんまり気負いしないでね、大丈夫!ドーベルなら絶対勝てるよ!」
「私たちは今回応援しかできないけどさ、頑張ってよね!」
「うん、大丈夫。兄さんはアタシが絶対に取り戻す…そしたらもう二度と家出なんて考えないように……鉄…鎖…………」
「その意気ですわ!彼方の方には申し訳ないですがぎったんぎったんのめったんめったんにしてあげましょう!」
「わああ!!?ドーベルもマックイーンも正気に戻ってよぉ!」
「あはは…気合い入れすぎちゃったかな?」
『エイエイ、オー!!!』
おお…圧が強い。
家族が家を出て行くくらいもう少し大人になれば嫌でも体験することになる程度のイベントなのだが、まだ小さな彼女たちにとっては決して譲れぬものだということが伝わってくる。
まあ、それもそうか。トレーナーとウマ娘は二人三脚、一心同体ともいえる間柄だ。それが家族ともなれば彼女達の気持ちもなんとなくわかるような気がしてきた。
それでも
叶えたい目標のため全てを投げうる覚悟で挑んでいる男がいる。
なら、死力を尽くしてやらねえと男が廃るってもんだぜ!
「うぅ…俺のことをそんなに想ってくれるなんて…っ」
「って、お前が絆されてどうすんだよ!!」
「ひでぶっ!?」
一応勝負を仕掛けられた側のハンデとしてこちらにはサポートトレーナーとして礼乃が参加し、距離もこちらが決めて良いこととなった。
俺達はレースの作戦を決めるため頭を悩ませる。
「本当なら先輩の個々のデータが欲しいところなんですけど、夕方までに距離決めしておかないといけませんから取っている時間はありませんね」
「嘆いても仕方ねえよ。どうせ元から決まっているようなもんだし」
礼乃と比べればいくらか劣るだろうがこれでもプロトレーナーを目指している身だ。
不確定な情報ばかりの中、唯一判明している情報から適正距離を導き出すことくらいはできた。
「「短距離、だな(ですね)」」
二人の声が重なる。
幼少の頃より鍛錬を積んできた向こうとスタミナ勝負をして勝てる見込みなど皆無に等しい。
ならば開花を控えているという俺の身体が持つスピード、これに賭けるしか方法はない。
「直線の走りなら今の俺でも十分ドーベルと戦えるんだろ?」
「とはいえその直線の勝負に持ち込めたら、の話ですけどね」
水性ペンのキャップを外した礼乃がホワイトボードにコースの簡易図を描く。
コンコンとペンの縁で叩いた箇所には大きな×印が掛かれていた。
「まず一つはスタート直後にある登り坂です。傾斜角はそれほどではありませんが走り慣れていなければここで差をつけられます。そうなれば追いつくことは至難の業です」
「そして二つ目はその後に控えている最終コーナーです。この曲線を最低でもドーベルのすぐ後方くらいで曲がり切らなければ直線勝負には持ち込めません」
実際のレースでも難所と言われる二つの関門、坂路にコーナー。
どちらもただ速く走っているだけでは攻略できないコースにおける魔の領域だ。
逆に言えばここをキッチリ走れるだけの走力と技術があればレースにおいて大きなアドバンテージとなる。
「ちなみにドーベルの坂路とコーナーの成績は?」
「どちらも四人の中では二番目くらいには上手いです。お手本みたいに綺麗な走りですよ」
礼乃はタブレット型端末を操作しドーベルの練習風景が記録されたファイルを再生する。
液晶の中で走るその姿は確かに教材に乗せてもおかしくないくらい綺麗なものであった。
腕の振りから脚の上げ方、コーナーにおける速度と重心のバランスの取り方まで調和のとれた癖のない走り。
これは決して一朝一夕でできる走りではない。
5年、10年とかけて積み重ねてきた彼女の努力が実を結んだ、まさしく水晶のように美しい走りであった。
「とはいえ手がないわけじゃありません。次はこっちを見てください」
ドーベルの動画を仕舞い別の動画が再生される。
今度は四姉妹の誰でもないウマ娘が坂路を走っている映像だ。
「これは…ピッチ走法か」
「よくご存じで。坂路を素早く走るために先輩にはこの走りをマスターしてもらいます」
「…一日で?」
「ええ、一日で」
中々無理を言ってくるなコイツは。
一日でピッチ走法マスターしろなんてその道10年のベテラントレーナーでも滅多なことでは言わねえぞ。
あー、ちなみにピッチ走法っていうのは一歩一歩の歩幅を小さくして代わりに回転率を上げて走る方法のことだ。坂路は坂道を駆け上がるという関係上どうしたって一歩一歩の伸びがなくなってしてしまう。これはあえて一歩分の力とスタミナを抑えて数で乗り切るという手法だ。
「しかし問題はコーナーの方です。坂路トレーニングをしながら同時にコーナーを鍛えることは時間的に不可能です。どちらかに時間を絞った方がまだ勝率は高いはずです」
礼乃の作戦は悪くはない。
出来ることを決めて、その一点に力を注ぎ込むというのは現実の見えたいい作戦だ。
だが、それじゃあまだ勝てない。
俺はおもむろに手を挙げる。
「―――コーナーについては俺に任せてくれ」
「……何か考えがあるんですね」
「ああ、その代わりちょっとお前に用意してもらいたいブツがあるんだが。夜までに頼めるか?」
俺の少しドスの聞いた声に礼乃が身震いする。
「安心しろ変なもんじゃねえ。むしろこの家なら腐るほどある物だと思うぜ」
「そ、それはいったい…?」
「―――――ルドルフのレース映像を。公式、非公式含めて全部な」
一日隔てた次の日の昼前ごろ。
「…随分ボロボロみたいだね」
「へへ、エリートウマ娘に勝つためだ。これくらいしなくちゃ勝負の舞台にも上がれねえよ」
小綺麗に着慣れたジャージ姿のメジロドーベルに対して俺のジャージは土と汗とでボロボロとなっていた。
前日メジロ家から支給されたジャージ服がたった一日でこんな風になってしまうとは。礼乃の奴が俺にこなさせたメニューが如何にハードだったかを思い返して体が身震いする。
だがお陰でこの数日感じていた体への違和感がなくなっていた。
ウマ娘の体に宿る不可思議な力、今こそそれを十全に扱えるような気がする。
「兄さんのトレーニングメニューキツかったでしょ?」
「ああ、一晩経ったのに体が痛ぇよ。まあ朝も自主練はしてたわけだけど、あいてて」
「……アタシ達はそれを10年受けてきたよ」
「!!」
メジロドーベルはどこか自身に満ちた笑みを残すと踵を返し、先に行っている、と言い残してゲートへと向かっていった。
「先輩大丈夫かな…」
昨日の練習で再起不能一歩手前まで消耗したカフカに所望のレース映像を託して一夜が明けた今朝この頃。
早朝からなにやらコースを走っていたカフカの練習内容について礼乃は詳しくは知らない。
「(ただあの走り方…どこかで……?)」
「お兄様、始まりますわよ」
「マックイーン!いつの間に!?」
「皆もうとっくに集まっておりますわ」
「お兄さん緊張してますね。こういう時は軽めの筋トレすればスッキリしますよ!」
「ちょっと~筋トレなんてしてたらレース終わっちゃうよライアン」
「ふむ。お客人の実力、今一度見極めさせていただこう」
「こんな風に言っていますが興奮して一睡もできなかった主人です」
「ふふ、確かみんながまだ小学校に通っていた時にも一番盛り上がっていたのが叔父様でしたわね」
「アルダン、貴女の時も観客席で旗振ってたのがこの人よ」
「あれ叔父様だったんですの!?」
「うぉぉおおおお!!!! がんばれドーベルッ! 負けるなお客人ッ!! どっちが勝ってもお昼は豪勢なものを用意してあるぞォォオオオ!!!」
「父さん…」「「「叔父様…」」」
当事者でもないのに一番騒がしい観覧席の一幕でした。
「…風が騒がしいな」
「…多分騒がしいのは叔父様だけだと思うんだけど」
「………そうだな」
昨日の今日で雄一さんの株が下落を超えて下限を突き破っていく。初めて会った時とかはすごく格好良かったんだけどなぁ…
「それにしても随分落ち着いてるんだな」
「別に。いつもこんな感じなの。あたしは皆みたいに凄くないから、せめて冷静でいなきゃいけないだけ」
「…礼乃に関してはあんなに情熱的なのに?」
「……!! う、うるさい!!」
揺さぶりは効いたみたいだ。
顔を赤らめて必死に否定する姿は可愛らしいものだった。これなら礼乃がシスコンになるのも頷ける。
それにしても慌てた人を見ると逆に自分は冷静になれるとはよく言ったものだ。
このゲートに入ってから感じていた謎のざわめき、練習では感じなかった本物の緊張感とでもいうべき感覚は中々落ち着いてはくれない。
「(これがウマ娘の持つ闘争心…ってやつなのか? 正直甘く見ていたな、こんなに落ち着かねえとは)」
ドキドキと心臓の高まりと興奮が静まらず、血管を通して全身へと伝っていくようだ。
一分一秒が途方もなく長く感じ、時間が経てばたつほど体が自分のものでなくなっていくような感覚を覚える。まるで本当に燃えているのかと勘違いするくらいだ。
備え付けられたスピーカーから機械仕掛けのファンファーレの音楽が流れ始める。
顔を上げて大きく深呼吸をすると自然と意識が目の前の銀色のゲートからその向こうに広がる青い芝に集中していくようだ。
ゲートが開くのを今か今かと待ちわび。
ガチャン!
「よしっ!」
観覧席の礼乃が拳を握りしめる。
出だしは好調、メジロドーベルの完璧な走り出しにはワンテンポ遅れてしまったがそれでも快調なカフカの滑り出しに歓喜する。
レースは距離1000メートルの短距離。
重賞などの有名どころのレースしか見たことがなければその距離の短さに驚く者もいるかもしれない。
だが侮ってはいけない。
1000メートルといえど見方を変えれば1キロメートル。
この距離区間を1分とかからずに駆け抜けるウマ娘達にとっては一秒の遅れが命取りとなる。スタートとはそれだけレースの優位性を左右する大事な場面なのだ。
「頑張りましてよドーベル!」
「いけードーベル!!」
「逃げろ逃げろー!そのまま引き離しちゃえー!」
姉妹の声援を受けてメジロドーベルは出だしから速度をフルスロットルで抜け出す。
1000メートルという短い区間、スピードで同程度の相手にスタミナを持て余すくらいなら最初から飛ばしていくという作戦をとったのだ。
「ドーベルが逃げか。珍しい作戦に出たものだね」
「悪い手ではありません。本格化を控えた相手に出し惜しみしても意味のないことですから」
「…とはいえちょっと掛かっているかもしれませんね」
最初から全力を出して走るメジロドーベルに僅かばかりに苦悶の表情が浮かぶ。
走り慣れない作戦による掛かりはスタミナを多く消費する。普段先行や差しを主とするメジロドーベルにとって逃げの作戦は未だ不慣れな部分が多いのだ。
それでもドーベルの速度は落ちるどころか勢いを増して止まらない。
スタート直後に待ち受ける最初の関門、上り坂を勢い任せに上り切ってしまうほどだった。
300メートルを早々に走り抜けた彼女のスピードは坂路の後だというのに一片の陰りも見せない。
「だけど―――先輩だって負けていない」
―――坂路を登り切ったメジロドーベルの長い黒髪に紛れるように、短く縛ったポニーテールが顔をのぞかせる。
姿勢をまっすぐに揃え、小刻みなステップで坂を抜けきったカフカ。
真剣一筋な顔には一滴の汗も流さず笑みすら浮かべてメジロドーベルの真後ろに張り付いていた。
「なるほど、ピッチ走法にスリップストリームか。考えたね礼乃」
「ええ、スタミナを持て余すくらいなら全力で逃げてくる、そう来ると確信していましたから」
礼乃が授けたピッチ走法とそれに次ぐ二つ目の作戦。
それが『スリップストリーム』。
前方を走る対象のすぐ真後ろを走ることによって本来受ける風の抵抗を受けず、スタミナを温存して走ることができる高度な走法である。
カフカはこの二つの走法を駆使することによって序盤の300メートルを離されることなく着実に走り抜けたのだった。
「先輩は目標があると燃える質なので試しにVR機器で競争させてみたら結構追いの素質があったんですよ」
礼乃の言葉通り、メジロドーベルの後ろに引っ付くカフカの顔には笑みが浮かんでいる。
多くの苦難に見舞われながらも目標に向かって突き進む彼の姿に多くの者が引き付けられる。本人が知ってか知らずかそれに魅せられた礼乃だから気づいた名采配であった。
「とはいえ付け焼刃か。もうドーベルに躱されたな」
「空気抵抗が戻ってなんだかキツそうですわね」
「うわ、一瞬女の子がしちゃいけない……ええとその……」
「そういう時は少し可愛く『ぶちゃいく』って言ってあげるといいってヘリオスが言ってたよ」
「先輩ぶちゃいくでも構いませんよー! 勝てばいいんです勝てば!」
「淑女としては無しですが貴女なら逆にありですわー!」
「ど、どっちも頑張れー!」
「『ヒュー!いいバイブスしてジャン!!he are we Goーー!!』」
「うるせー!!殺すぞ!!」
野次に向かって威勢よく檄を飛ばすカフカであったがスリップストリームが切れるとメジロドーベルとの差がだんだんと開いていく。
半バ身もなかった差が1バ身、そして2バ身と広がっていったところでレースも後半に差し掛かる500メートル地点。
もう一つの関門、最終コーナーへとレースは突入した。
「(クッソ! やっぱ速えなッ!)」
全身で感じる空気の抵抗を受けながら前へ前へと歩を踏み進める。
距離はようやく半分を切った、ここからは最終コーナーが待ち受け最後の直線ですべての勝敗が決まる。
その是非によって礼乃の未来が決定し、家に納まるか、広い世界へと羽ばたいていくのかが決まる。
全ては俺の脚にかかっている。
「(だけどッ、差が埋まらねえ!!)」
どれだけ懸命に頭で思っても体がついていかない。
振り上げる両脚は一歩を進むごとに疲労を訴え掛け、少しでも新鮮な空気が欲しいと肺が痛いほど躍起になる。
これがウマ娘の世界。
これが時速70キロの世界。
生物の限界を超えて文明の利器さえ飛び越えてきた彼女たちの世界の景色か!
「(――――それも悪くねぇなッ!!!)」
ダンッッ!!
大きく踏みしめた脚が地面を揺らす。
体の内より無限に湧き出てくる謎の熱が全身に活を入れるかのように力が漲ってくる。
一人で練習していた時には感じることのなかった不思議な感覚。
一歩進むたびに感じるこの不思議な力の鼓動こそもしかするとウマ娘の持つ力の源泉なのかもしれない。
競い合い。
高め合う。
これこそが世界の真理なのか!
「うおおおおおおおおお!!!」
「ッ! まだ上がってくるのッ!」
だがそんなもん今はどうでもいい。
今はただ目の前を進むドーベルの背中を追いかけるだけだ!
一心不乱に大地を蹴り飛ばし、二バ身あった二人の距離が一バ身ほど縮まる。
これならいける!そう思ったとき。
「兄さんは絶対に譲らない…ここで引き離す!!」
ドーベルの姿勢がハイスピードカメラで撮影した映像のようにスムーズに変化する。体に染みついた、無駄のない美しいコーナーリングの態勢だと一目でわかった。
ドーベルの美しいコーナーリングを認識したと同時に俺の体は中央のラチから少しずつだが離れていく。
これはコーナーに差し掛かった際に生じる遠心力だ、未熟な俺の体に容赦なく襲い掛かる。
「ぐぎぎ…!」
自分の意識と喧嘩するように体が内側から引き離されていく感覚は言いようのない焦燥感を生み出す。
埋めたはずの差が再び開いていくのを見ているだけしかできない、あっという間に二人の距離は元に戻ってしまった。
そして問題はそれだけにとどまらない。
内側のラチから離れれば離れるほど走破距離は長くなる。それはそれだけ無駄な距離を走るということで、ただでさえ開いた差は縮まらなくなってしまうことを意味する。
コーナーを半分ほど走り抜けたところで俺達の差は五バ身にも広がっていた。
目の前のドーベルの視線が一瞬だけこちらを確認し、すぐ視線を切ると勝利を確信した笑みを浮かべた。
「ッ、ここだァ!!」
だがこちらとてこのまま負けるわけにはいかないと咆哮を挙げる。
コーナーが残り半分、俺の逆転はここから始まるのだと体勢を変化させる。姿勢を低くし重心を上半身へと移す前傾姿勢、一歩間違えれば転倒にも繋がる危険な姿勢だ。同時にこの姿勢は空気の抵抗を大きく減らし、ラストのへ加速をつけるにはもってこいな姿勢でもある、ドーベルに引き剥がされないためにはこの体勢を取る他にはない。
この段階に入るとただでさえ身体に掛かっていた遠心力がさらに勢力を増して襲い掛かってくる。意志と反して外へ外へと押しのけられる身体は鉛のように重たく感じる。
と、いうわけで俺はその力に抗うことをやめる。
途端に軽くなった体に余裕が生まれ、その一瞬で瞼を閉じる。
それは瞼の裏に今も焼き付いている。
俺の心を粉々に打ち砕いた、皇帝の神威がすべてを抜き去っていく光景。
コーナーの中腹から速度を増し、内側のウマ娘達を抜き去っていく閃光のように眩しく無情なまでに圧倒的な走り。
それは子供の頃、俺がルドルフにせがまれて教え込んだ技術の一つ。コーナーをうまく曲がる方法はないかと言われて幾度も研究を重ねて編み出した俺とあいつだけの走法。
絶技にまで昇華させたあいつのようにはいかずともそれがどういう原理で働き、どう走るのかを俺は知り尽くしている。
「だから貰うぜルドルフ!!」
「お前の技を!!!」
『コーナー巧者〇』 発動!!
「ここにきてスピードが上がりましたわ!」
観覧席でドーベルの勝利を確信しかけていたマックイーンが悲鳴を上げる。
途中までの不格好なコーナーリングは何処へやら。
カフカの走りは蛹が蝶へと羽化するがごとく、一瞬で洗練されたものへと変化した。
いや変化などでは生ぬるい、あれは進化ともいえる変容であった。
黒の曲線が描いた軌跡はメジロドーベルの走りから輝きを奪い取るほどの衝撃で観客を絶句させた。
「あの走り方もおにいが?」
「…いや、俺も知らない。昨日まではあんな走り方できなかったはずだ」
礼乃もその例に盛れず唖然としていた。
コーナーについてはカフカに任せきりにしていたため、ピッチ走法とスリップストリームを形に出来ただけでも良しだと考えていた。
それが経った一晩。
一晩という短い時間でここまでのものを身に着けたというのか。
「あの走り方…会長?」
メジロアルダンのつぶやきにぎょっと視線が集まる。
「会長っていえば無敗の三冠バであるシンボリルドルフさんのこと?」
「そういえば昨日シンボリルドルフの映像を用意しておいてくれ、って頼まれたんだけど。もしかして」
「映像だけであの走りを手に入れたんですの!?」
メジロマックイーンを含め他の人員も驚きを隠せない。
誰かの走りを参考にする、というのはよくある練習法の一つだがたった一晩でその技術を身につけるなど聞いたことが無い。
カフカの成した偉業に誰もが恐れおののく中、目代雄一だけが冷静に分析をしていた。
「(確かに恐るべき芸当だが、それならなぜ最初からあのコーナリングをしなかった。そうすれば差が生まれることはなく、もっと優位にレースを進められていたはずだ)」
「(ならばしなかったのではない、
「(それを差し引いたとしても末恐ろしいまでの執念と才能だが)」
最終コーナーを先に抜け出たのはメジロドーベル。
必死な形相の彼女の後方一バ身。
カフカの存在は迫ってきていた。
なんで!?
どうして!!
どうして貴女がそこにいるの…!
「うおおおおおおお!!!!」
ダンッ!!!
聞いたこともないような足音が地面を揺らしながら迫ってくる。
ほんの数秒前まではるか後方にいたはずの相手にすぐ後方にまで接近を余儀なくされていた。
そんな莫迦な話があるか。
相手はレースに関してほとんど初心者で、ほんの一日走り込みを覚えただけの素人。
自分のアイデンティティが崩されていくような感覚に心の奥から悲鳴が聞こえた。
アタシは小さい頃から自分に自信が持てなかった。
従姉妹である他の三人のように誇れるものがなく、ただただ三人の足を引っ張るまいとしていただけだった。
『ドーベルの走りは綺麗だね』
そんなアタシの走りを兄さんは誉めてくれた。
一つ憎まれ口を叩けば倍の誉め言葉で返してきて、二つ反抗的な態度で示すとさらに倍の気遣いで接してくれた。
いつしかそんな兄さんの隣が居心地よくなり、レースも大変なだけのものではなく楽しいと思えるようになった。
そんな心境の変化があったおかげかそれまでどこか距離のあったマックイーン、ライアン、パーマーもアタシを優しく受けとめてくれるようになった。
……いいや、負い目を感じていた頃から皆はずっと優しかった。
変わったのアタシだ。
兄さんのおかげでアタシは変われた。
皆とずっと親しくなって、本物の姉妹のようになれた。
兄さんは沢山のものをくれた。
だから今度はアタシが兄さんに返そう。
兄さんが一番すごいんだってアタシが証明しよう。
不安はあったが兄さんへの恩返しのため、アタシは一層の努力に身を投じた。
そんな兄さんが突然家から失踪して、ようやくアタシは気づいた。
『そっか……アタシ、兄さんのことが……』
恩を返す、返さないというのは建前だった。
本当は兄さんの隣にずっといたかっただけだ。
自分が兄さんの一番なのだと周囲に振りまきたかっただけだ。
とはいえ、ようやく自分の気持ちに気づけたもののもう兄さんはいない。
残された練習メニューをこなしている時だけアタシは兄さんを近くに感じられた。
そんな時間が3か月も続いたからか兄さんが帰ってきた時は思わず抱き着いたりしてしまった…アタシの気持ち…バレてない…よね?少女漫画ではこのくらいフツーフツー。
………そうしたら兄さんの横には知らない女の子がいた。
どうやら兄さんはその子を保護したから家に帰ってきたらしい。
兄さんらしい、とても誇らしい気持ちだった。
でもその子は兄さんと距離が近くて要注意しようと思った。
まあ色々あったもののその子とは仲良くなれそうだと感じた。
ライアンやパーマーに似て人付き合いがとても上手そうでアタシなんかとは正反対。でも抜けているところも多くてどこか放っておけない、そんな印象を抱かせる子であった。
あとこういう子の方が受けがいいらしい、と雑誌で読んだことがあった。是正と兄さんへの無意識的アプローチを防ぐため女の子としての立ち居振る舞いを教えてあげた。やっぱり危険。
でも一番危険だと感じたのはこの子が兄さんを家を出ることに賛成だと言い放った瞬間。
なにをしたのか彼女は当主である叔父様や叔母様、アルダン姉さんまでも丸め込んでしまった。
アタシは恐怖した。
このまま兄さんが連れていかれたらまたあの無味乾燥な毎日に戻ってしまうのかと思ってしまうといつの間にか彼女にレースによる対決を申し込んでいた。
正直舐めていた。
アタシはメジロ家の一員としてこれまで切磋琢磨してきた。
記憶喪失の、それも見るからに初歩的なトレーニングを始めた彼女を見て絶対に勝てると確信していた。
だというのに、これだ。
一バ身差にまで追いやられ、これでは先を行く者ではなく追われ狩られる者だ。
残り300メートルを切った。
走り慣れない作戦のせいで肺は悲鳴を上げ、脚は動くがかなり無理をかけてしまっている。
このままでは負けてしまう。
負けたら兄さんが取られちゃう。
そんなことは嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……………………
「おいドーベル、どこを見てやがる!!」
「……え」
「こっちを見ろ!!!」
声は後方から聞こえた。
アタシの後ろから声をかけてくるものなんて一人しかいない。
だがそんなことより今はその声に込められた感情の方が先だった。
喜色。喜び。
疲労。疲れ。
そして憤怒。怒り。
「お前は今何処を見て走ってる!!俺はもうここまで来てるんだぞ!!」
「俺を見ろ!!!」
その声に込められた怒りの感情は本物だった。
怒りだと。怒りならこちらの方が持っている。
何故兄さんをアタシ達から奪おうとするのか、どうしてそんな非道なことができるのか。
言い返したいことは沢山あったがその後の言葉にかき消された。
「なあドーベル、お前は楽しくないのか?」
「俺はなぁ………今が最高に楽しい!!」
「こんなに楽しいことがあったのかってくらいに……はぁ……お前とのレースは楽しいぞ!!!!」
怒りが本物ならその後の言葉に込められた喜びの感情もまた本物であった。
まるで本当にこのレースが初めてかのように身体にみなぎる力に酔いしれている。
アタシたちウマ娘は走ることに至上の喜びを感じるという。勿論アタシも例外じゃない、走ることは楽しい。
とはいえ背後から聞こえてくる声は本当に初めて走ったかのように喜びの感情に溢れている。端的に言うと耳と尻尾がとんでもないくらいバサバサ鳴っている。
「俺はこの時間がいつまでも続けばいいって思っている!!」
「…はあ……アタシはこんな時間速く終わってほしいよ!!」
「何故だ!!……こんなに楽しいのに、どうして!!」
「貴女が兄さんをアタシから奪おうとするからでしょ!!」
これまで口に出したことないくらいの怒りを込めた言葉。知らず知らずのうちにアタシも熱くなってしまっていたんだろう、失言に気づいたとき頭が一気に冷めてしまう感覚に襲われる。
こんなにこの子のことを恨んでいるというのに、この子に嫌われたくない。ほんの短い付き合いだけどそれでも失いたくないと思ってしまった、一体どれだけ自分が弱いのか嫌になった。
「そうか!!そんなことなら気にすんな!!」
「は…はぁ!?」
「あいつ家出してもお前らのことしか考えてねえからさ!!俺が入り込む隙間なんかとっくにねえよ!!ハハハ!!!」
「そ、そんなこと言って隙を見て取っちゃうつもりでしょ!取っちゃいや!」
「ハハハ!!そんなに嫌なら、本気出してみろよ!!」
声が隣を駆け抜けていく。
まだまだ後方を走っていると思っていた声はいつのまにか接近し軽々と隣を追い越していった。
「ほらそんなことじゃ俺に追いつけないぞ!」
「……待て!!」
「はぁはぁ……もう一度言うぞ!!」
「このレースはいつまでも続かない!!そんくらい俺もわかっている!!」
「だから俺達は自分の出せる全部振り絞らないと後悔する!!」
「そうだろ、メジロドーベル!!!!」
「ッ!!!」
ほんのちょっとだけ前を行く彼女が少しだけこちらに顔を向けて。
まるで兄さんのような笑みで笑った。
「俺はお前の本気が見たい……
「ッ上等!!」
絶対に負けるもんか、と体の奥から力が湧いてくる。
この感覚は何度か覚えがある。
絶対に譲れないレースの時、期待に応えようとした時……そして
これまで培ってきたありったけを振り絞る。もう兄さんのことも頭の隅にまで追いやられてしまった。今のアタシの頭にあるのは。
「「絶対こいつに負けたくない!!!」」
ついに並んだ互いの体が一歩先、首先、鼻先相手より前に行きたがり暴れ狂う。これまで感じたことのない大きな感情が意識よりも先に体を動かし、前へ前へと押し出そうとしてくるのだ。
もはや互いは視界に入らない。
目の前に広がるターフに脚を突き立てるだけの獣となり果てる。
ゴールはもう目の前。
一秒にも満たない視界の景色は瞬きの内に後方へと過ぎ去っていく。
目算50メートル。
次の瞬きの内にゴールを切る。
「――――楽しかったぜ、ドーベル」
「――――アタシも。貴女、速いんだね」
最後に映った彼女の背中を瞼に焼き付け、レースが幕を閉じた。
レースゲロむず、こんなの毎回書いていくとか無理でしょ(弱音)
シングレ読んで勉強しなきゃ。