かつて暮らしていた第3新東京市とは似ても似つかない街、その玄関口である駅前を、きょろきょろと見回しながら歩く2人。時折通行人の視線を集めるのは彼らの挙動不審か、少女の空色の髪か、それとも白銀の少年の美貌のためか。
広場に掲示してあった周辺地図で確認すると、この町は箱根芦ノ湖が湖畔にそびえていた第3新東京市からほど遠くない場所に位置しているらしい。
「旧小田原地区…のようだねここは」
「ええ。いつかNERVの資料で読んだことある気がするわ。資料では水没したとされていたけれど」
「シンジくんに不可能はなかったってわけだ」
その名前にもそれほど過剰反応を示すことがなくなってきた少女は、相槌を打ちながら少年に問う。
「渚くん、喫茶店って、なに」
「綾波は喫茶店は初めてかい?喫茶店っていうのは人々がお茶やコーヒーを飲む、つまり文字通り喫茶する店のことなんだ。ただ飲むだけでなく、軽食を食べたりしながら長く語り合ったり、仕事の打ち合わせをしたり、待ち合わせにつかったりもするようだよ。僕はピアノの旋律が好きだから、ピアノがかかっている喫茶店に行きたいのさ、君とゆっくり話をするためにね。綾波」
「そう、私と話。わかったわ」
「なんだかつれないなぁ、綾波は」
綾波と呼んで少し困ったように笑う少年を見るとやっぱり何故かぽかぽかする気がする。自然と態度も柔らかくなる。
「いいの。私も渚くんとお話したいもの。」
ニッコリと微笑み返してくれた少年の頬が先程までより明るい色に見えたのが、柔らかな陽光のせいか、なにか他の原因だったのかはわからなかった。
程なくして少年が見つけた喫茶店に2人して入る。セカンドインパクト前にはこのような喫茶店はたくさんあったのだろうか。第3新東京市では貴重だった木材を基調とした落ち着いた雰囲気の店だった。どこか牧歌的な空気感はむしろ、第3村に近いものを感じる。
案内され席に着いた2人は少年はアイスコーヒーをブラックで、少女は少年に助言を受け紅茶を注文した。
「渚くんは喫茶店、はじめてじゃないの?私は紅茶も飲んだことないわ」
少女は少年に問う。少女の中にはたくさんの疑問が渦巻いている。この世界について、少年について、碇シンジについて。聞きたいことはたくさんある。
「いいや、初めてではないよ。いつかどこか、円環の途中で行ったことがある気がするのさ。ただ、それがいつどこのどんな僕だったかが朧げなんだ」
少年は遠い目をして謎めいた言葉を返す。
「綾波、そういう君はどこまで覚えているんだい?」
「第3新東京市…私はエヴァのパイロットだった…碇くん…弐号機パイロット…碇司令…使徒…碇司令と食事会…NERV本部を襲った使徒…N2…そして私は…」
まるで曖昧な記憶を失うまいとでもするように、順を追って思い出していく少女、堰を切ったように言葉が溢れ出る。
「私のようで私じゃない私…碇くんを船から連れ出して…戦って…あの村に住んで…色々な事をした…たくさんの人が暮らしていた…仕事…田植えをした…学校に通った…野菜を育てて、洗濯をして、猫の赤ちゃんをみた…はじめてお風呂に入った…はじめて人と暮らした…つばめ…碇くんに毎日逢いにいった…碇くんに大切なものを返すことができた…碇くんがまた名前を呼んでくれた…碇くんに…好きって伝えた…」
一筋の涙が頬を伝う。
「私じゃない私は消えてしまった…でも碇くんが初号機に来てくれた…私を助け出して、エヴァ以外の居場所をくれた…それなのに、碇くんに会えなかった…私が私の身体を取り戻したとき、碇くんは隣に居なかった…好きな人と、一緒にいれると思った…」
少女は自分の流した涙に気付く。
「涙…泣いているのは、また、」「綾波だ」
少年は真剣な顔で口を開いた。
「泣いているのは紛れもなく綾波、君だ。綾波の魂が、綾波の心が涙を流しているんだ。こんな時どんな顔をすればいいか、シンジくんが教える機会はなかったと思うけど、今の綾波ならわかるだろう?いいんだ、泣いたっていいんだ、綾波。」
思い出だけを頼りに十余年を孤独に過ごしてきた少女にとって、少年の優しさはあまりにも眩しかった。一度溢れ出した涙はそう簡単には止まらない。ずっと我慢していた涙、寂しさ、孤独、不安、後悔、整理された記憶を通り道に、混沌とした感情が蘇る。
少年は止めどなく涙を流す少女に白いハンカチをそっと手渡し、急かすわけでも慰めるわけでなく、少女の涙が枯れるのをただそっと待っていた。
お待たせしました。今回は少しボリュームをアップしました。
相変わらずテンポは遅いですが…のんびりとした作品と開き直って楽しんでいただけると幸いです(^_^;)