そよそよと、心地の良い風が垂れた耳をくすぐる。
最後の項を捲り、パタンと文庫本を閉じる。本を読むために一心不乱に動かしていた手を止めて顔を上げると、窓から眺めているだけで心が和らいでしまうような、気持ちのいい青空が空一杯に広がっているのが見て取れた。部屋が丁度風の通り道となっているようで、窓際に吊るされた風鈴が爽やかな音を木調の部屋に伝播させる。
季節は春。薄手の長袖か、はたまた半袖のシャツか。ついつい着る服を迷ってしまうほど過ごしやすい春の陽気は、部屋の中に清涼な薫風を運び込む。
絶対なる皇帝――シンボリルドルフは、特段この季節が好きだった。
(春風駘蕩。冬は肌寒く、夏は茹ってしまう。その観点から言えば秋も悪くはないが――やはり、春が良い)
顔に微笑みを浮かべながら腕を伸ばした。読書によって凝り固まった筋がポキポキと解されていくのを感じる。伸びきって、ひとしきりその心地に満足した後、ルドルフは脱力するように背後にもたれかかった。
(……む)
しかしルドルフはどこか憮然とした表情を浮かべて、腰をもぞもぞと動かす。一度背を離してしまったことにより、ベストポジションを見失ってしまったようだ。何度かベストポジションを探す作業を繰り返し、やがてしっくりと来る角度を見つけて本格的に腰を据える。ようやく見つけた安楽な位置に自分を固定するかのように、ルドルフは背もたれにしゅるりと尻尾を巻きつけた。
「たった
どこか満足気にそう呟くと、ルドルフは再び手元の文庫本に視線を向けた。『笑劇!だじゃれ100連発〜あなたの心に衝撃を』とポップな字体で記載されている書籍はタイトルに嘘偽りなしというべきか、その内容はルドルフの知的好奇心を大いに満たす素晴らしい書物であった。この本を読破して思い付いたユーモアをエアグルーヴに披露することを内心決意つつ、ルドルフは尻尾をパタパタと動かして、己の背もたれに向かって話しかけた。
「やはり何事も換骨奪胎と言うべきか。素晴らしいダジャレを思い付いたよ、トレーナー君」
話しかけられた背もたれこと、ルドルフのトレーナーは本を閉じ、肩越しに胡乱な目を向ける。
「例えば?」
「解雇された蚕は懐古に浸る……ふふっ。どうかな、さしもの君もこれには舌を巻かざるを得ないだろう?」
弾んだ声音にげんなりとしながら、トレーナーは背中合わせの状態になっているルドルフに答えた。
「そっか。エアグルーヴにも聞かせてやれよ、きっと喜ぶ」
「もちろんだとも!一張一弛、友好的な関係を築くためにユーモアは必須だからね」
さりげなく他人を道連れにしたトレーナーは手慰みに腰に回された艶の良い尻尾を撫でながら、背後で今まさにだじゃれ100連発を始めそうな担当ウマ娘のことを思う。
(張った気を緩めてくれるのは嬉しいが、もう少し他になんとかならんもんかねぇ……)
永遠なる皇帝、シンボリルドルフ。誰もが彼女のことを、絵物語に存在する英雄のように扱う。そして、シンボリルドルフは幸か不幸かその期待に応えてしまうだけの才覚と精神性を併せ持っていた。
未だ年若い身でありながらも地方からのスカウトやレースの運営等、政治の方面でも才覚を十二分に発揮する少女は今でこそ“こんな感じ”だが、担当した当初はひどいものだった。
誰にでも胸襟を開きながらも、誰にも頼らない孤高の存在。
その実態は、なまじ何でも出来てしまうばかりに他者を頼ることを知らなった歪な皇帝だ。
まあ、それから紆余曲折あり、結果こうして背中を預けてくれるまでに打ち解けてくれたのは素直に嬉しく思う。少しこそばゆいくらいだ。
けれど。
「ん?何だいトレーナー君。私がこれから話すとっておきのダジャレを当ててみるつもりかな?」
「いや、そんなことは――」
「――予想をするのはよそう、トレーナー君。何事も、初見が最も愉快なものだよ」
「……」
(もう少し出会った頃の威厳を残して欲しかったと願ってしまうのは俺の我儘だろうか……)
愉快そうに口角を上げるルドルフを尻目に、トレーナーは苦虫を噛み潰したような顔でそんなことを考えた。
背中から伝播してくる熱は、孤高の皇帝なんて御大層な英雄のものではなく――紛れもない、只の一人の少女のものだった。
唐突ですが、タイキシャトルに抱き潰されたいと言う願望も、「ふへー」と寛ぎながらトレーナーの頭を肘掛けにするゴルシも、全てがウマ娘巨大説に基づいているので私はこの説を熱く推します。