彼女を見つけたのは、入学式からまだそんなに日が経っていない頃だった。返却された本を棚に戻す作業を行なっている時、本棚の前で深く悩んでいるのを見かけたのだ。
「これなら…ダメだわ。何のことか分からない」
そんな声を漏らしながら本を手に取り、パラパラと軽く読んでは棚に戻すというのを、何度も繰り返していた。
僕が全ての本を棚に戻し終わってもまだ似たような事を続けていたので、声を掛けたのが出会いだった。
「何かお探しですか?」
気遣ってそっと話しかけたが、集中して本を見ていたグレンジャーには驚くに値する事だったようだ。図書室に似つかわしくない悲鳴を上げたのを、シーっというジェスチャーで抑える。
「急に声を掛けたのは申し訳ないと思う。どうも君が迷っている様に見えて、力になれると思ったんだ」
そして戸惑う様子の彼女に自己紹介と、軽い会話をした。そこで彼女の名前と、グリフィンドール寮の1年生であること。そしてマグル生まれである事を知った。
「では、グレンジャー。君は何の…或いは、どんな本をお探しかな?」
彼女の言うことを整理すると、彼女は『魔法界について知ることができる本』を探している。そしてそれらしい本を探してみたが、いざ内容に目を通すと難解な言い回しや独自の解釈で書かれている本ばかりで困っている。ということらしい。
「なるほど。君は今日この後の予定はどうなってるんだい?……じゃあ夕食の後で貸し出しカウンターまで来てほしい。僕のオススメの本を、いくつか見繕っておくよ」
そう言うと、彼女は信用しているとは言い難い眼で僕を見た。たしかに出会って数分の人間に薦められた本が、目的に合うとは限らない。
だが安心して欲しい。
「僕は長い間、ここの司書をしてきたんだ。その実績は、伊達じゃないよ」
図書室の閉まる時間を告げて、彼女と別れた。本当はすぐにでも提供したいのだが、さっきも言った様に僕は司書だ。カウンターに戻ると離れていたのは半時間程度だというのに、もう貸し出し手続きを待つ生徒達が僅かばかり不満を顔に浮かべながら並んでいたのだった。
■
陽は深く沈み、夜の生き物達が我が物顔で空を駆け、地を這う時間。グレンジャーが図書室へとやってきた。
「やあ、待っていたよ」
新学年が始まって間もないということもあり、この時間の図書室を利用する人はいない。故にある程度の声で話しても問題はない。彼女をカウンターへと招き、数冊の本を差し出す。
「これらが、スコープさんのオススメの本ですか?」
「ああ、そうだよ。紹介しよう、我が王国の
大仰な口上と共に手を振って、本を宙に浮かばせる。相手がマグル出身ならば、引き込むようなエンターテイメントが丁度いい。
「まずは『マグル語翻訳辞典』」
「マグル語ですか?お言葉ですが、私はマグル出身なんです。翻訳なんてしなくても、単語を見ればわかります」
いきなりグレンジャーはつんけんとした様子で怒る。彼女は自分の知識に自信がある様だ。昼間見た時も探している本をある程度まで絞り込める辺り、実際に頭が良い少女なのだろう。
そんな彼女を宥めるには、なぜこの本を薦めるのかを説明するのが手取り早い。
「グレンジャー。君はマジックミラーを知っているかい?」
「…マグルの知識でなら、知っています」
マジックミラーは明るい側から見ると鏡に見え、暗い側から見ると透けて見える。そんなマグルの技術だ。もちろん彼女は知っているだろう。
「片側の知識にだけ詳しくても、マジックミラーの向こうを見ることはできない。向こうからこちら側がどう見えているのか。この辞典はきっと役に立つと思うよ」
「マジックミラー…。例えはよく分かりませんでしたけど、いいです。貴方に騙されたと思って、借りてみます」
「
辞典を傍に退けて、次の本を示す。
「『非行少年の飛行旅』。これは少し難しい本だ。所謂、目標として読んでみるといいかもね」
「目標…?」
「この本には色々な地名、勢力、魔法生物の名前が出てくる。その全てをスラスラと読むことができたならば、貴女は魔法界に詳しくなった。と、胸を張って言えるだろう」
つまるところ、彼女の要望である『魔法界について知ることができる本』である。自分の望みに叶う本だとわかったからか、彼女は素直に受け取った。
「そして最後に…『マグル旅行』」
「またマグル…。それもマジックミラーとやらですか?」
受け取りながらグレンジャーが尋ねる。これは主人公の魔法使いがポートキーの誤作動によって杖も無しにマグル界へ飛ばされて、四苦八苦して魔法界に帰ってくる。という本だ。魔法使いの視点で書かれたマグル界は、確かにさっき説明したマジックミラーの例えに似ているかもしれない。
だが、それよりも大きな理由がある。
「僕の好きな本なんだ」
自分が好きな物を、誰かにも好きになって欲しい。この物語はコミカルで暗い描写が少ない。主人公の人柄もとっつきやすい部類であり、何よりマグル出身のグレンジャーにとって、自分には当たり前の物が主人公には見も知らない物として扱われるのは新鮮な感覚だろう。
或いは魔法界に来たばかりの彼女には共感を覚えるかもしれない。
「じゃあ借ります。スコープさんが好きな本、私も好きになれると思いますか?」
「さあね。僕らはまだ親しいとは言えないし、年齢も立場も性別も出身も違う。同じ物が好きになるとは、言い切れないな」
そう僕が言うと、グレンジャーは少し悲しいようだった。そんなつもりで言ったのではないと、慌てて取り繕う。
「でもこうして薦める本を借りてもらう関係になったんだし、きっと君も好きになると思ったから薦めたんだ。だから、好きになってくれたら、僕は嬉しい。ただ、僕には他人の嗜好を強制する趣味は無いんだ。好きになれないからと言って、君が気に病む必要はない」
僕の言う事が伝わったのか、彼女は気を取り直した。そして紹介した本を3冊共借りると言った。貸し出し手続きが終わり、彼女が退室しようとした時。僕は司書控室に戻り、手に1枚の羽を持って彼女を呼び止めた。
「ハーマイオニー・グレンジャー。ようこそ魔法界へ。僕は君を歓迎します」
そう言って羽を彼女に差し出す。僅かに魔力を放つソレは、魔除けの大鷲の羽だ。かつて闇の帝王が猛威を奮った時代、少数の魔法使いの間で噂となった逸品である。
「この学校生活が実りある物となりますように」
「ありがとうございます、スコープさん」
「その一助となれる事を、願っているよ」
そう言って彼女を図書室から送り出した。
もうすぐ図書室を閉める時間だ。今日は比較的、暇な日だった。だが、新しい出会いもあった。彼女は優秀な魔女になるだろう。これは僕の予感だが、今年は面白い年になりそうだ。