ホグワーツの司書   作:影尾カヨ

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セブルス・スネイプ:3

 僕が彼の研究室を訪れる事は滅多にない。司書という役柄ゆえに、『魔法薬学』の教授に用件がある事などほとんど無いからだ。だが10月の中旬になった頃、僕は彼に呼ばれた。

 研究室の中で、彼は大鍋に向かって何やら薬を調合している所だった。出直そうかとも思ったが、急ぎの用だと言っていたのでそのまま入ることにした。

 

「やあ、スネイプ。珍しいね、君が僕を呼ぶなんて」

 

 いつもは無遠慮に閉室時間にやってくるクセに、と声に出さないで言う。まだ図書室は開いている時間で、適当な生徒に司書の仕事を任せて来た。少し怒っていると言われても否定はしない。

 

「あの本は持ってきてもらえましたでしょうな」

「もちろん。…その妙に嫌味ったらしい言い方はなんとかできないのかい?」

「あいにく、性分でして。貴方のその馴れ馴れしい口調もそうなのでは?」

「…あっそ。ならいいや」

 

 彼が持ってきて欲しいと言ったのは『(いにしえ)の魔法薬学:最新版』。ちなみに最新版というのは最新号という意味ではなく、元から付いている正式な題名だ。

 古いのか新しいのかはっきりして欲しいと評判である。僕にとってはどうでもいいが。

 

 かなり高等な魔法薬の本で、『禁書』に分類される。ホグワーツの生徒でこれを借りようとする子は今までお目にかかった事がない。それを教授である彼が必要とする理由は分からない。

 

「実は先程、生徒の1人が授業中に薬を爆発させまして。飛び散った薬が本棚に掛かって、いくつかの本がダメになってしまったのです」

「ははっ。それは災難だったね」

「笑い事ではありません。中にはもう絶版となった貴重な物もあったのです」

「それはそれは…」

 

 薬をぶちまけた生徒にどのような罰が降ったのか、想像するだけで恐ろしい。厳しい彼の事だ。きっと減点だけでは済まさないだろう。

 

「で、それでこの本を?この本だけで良いのかい?」

「知識だけなら既に私の頭の中に入っています。ただ今調合している薬はデリケートでして、万が一…いや、億が一、間違うわけにはいかないのです」

 

 彼は手を止めないで言う。鍋からは青味がかった煙がかすかに上がっており、不思議な臭いが部屋に満ちる。トリカブト系の材料を使っているようだ。それを使うのは大抵が毒薬だが。

 

「何を作っているんだい?」

 

 あまり物騒な物を学校で作って欲しくない。学生の頃は酷かった。『マローダーズ』に対抗して命に関わる毒薬を作ろうとした時もあったのだ。流石に未遂で止めたが。

 

「ルーピンに届ける薬…と言えばお分かりでしょう」

「ああ、『脱狼薬』かい。流石はスネイプ教授」

 

 『脱狼薬』とは、狼人間用に近年になって開発された薬だ。定期的に飲む事によって彼らは人狼へ身を変えても人間の理性を持っていられる。

 人の身ではいられないが、人の心を持つことができる。それはきっと人外と蔑まれる彼らにとって、とても心強いことだろう。

 

「手が離せませんので、352ページを読んでいただいてよろしいですか」

「いいよ。えーっと…『次に熟れたトリカブトの煮汁を鍋に加え――」

 

 

「『――青い煙が出たら完成である。糖類を入れると効果が期待できなくなるので注意されたし』。できたかい?」

「…ええ」

 

 スネイプの鍋からは確かにはっきりと青い煙が出ていた。薬には詳しくないが『脱狼薬』の作製が非常に難しいことは知っている。このホグワーツでこれを作れるのはスネイプだけだろう。

 

「お見事。じゃあ僕はこれで失礼するよ」

「お待ちください」

 

 もう必要ないだろうと本を持って出て行こうとした時、彼が呼び止めた。薬を杯へと注ぐと、杯からはゴポゴポと重い泡が出てくる。どう見ても何かしらの毒にしか見えないが、これで薬なのだから薬学とは分からないものだ。

 

「これをルーピンへ持っていっていただけますか」

「僕は雑用係じゃないんだけどね」

「彼と顔を合わせたくない私の気持ちを分かってもらいたい」

 

 僕は深くため息を吐いて、やれやれと頭を抑える。子供の頃の因縁を引きずるのは結構だが、僕に押し付けないで欲しいのに。

 これではルーピンの方が余程大人だ。せめて仕事と割り切ってくれ。

 

「彼らとの関係は貴方もご存知のはず」

「そりゃあ知ってるよ。けどそれはそれ、これはこれだ」

 

 『マローダーズ』とスネイプは険悪な関係だった。いまさら仲良くしろとは言わない。過去を振り返っているのか、彼の眉間のシワがかなり深くなる。

 

「ではついて来ていただくだけで構いません。どうか」

「…ハァァァアアア……。分かったよ」

 

 こうも頼まれては断るのもしのびない。それに無関係を貫くのは止めると誓ったのだった。意識していなければすぐに目を逸らしてしまう。僕の悪い癖だな。

 

 

 ルーピンの部屋に行くと、中には彼と…何故かポッターの姿があった。スネイプの顔がより険しくなったのはいうまでもない。一生跡が残るのではないかと心配になったぐらいだ。

 

「おや、セブルス。それにミスター…じゃなくてスコープ司書も」

 

 うっかり僕を()()()()で呼ぼうとしたのを目で制する。ポッターがいるのだ。生徒の前では勘弁してくれ。

 

「今日の分の薬だ。ここに置いておくので後で飲みたまえ」

「ありがとう、セブルス。スコープ司書はどうしてここに?まだ図書室は開いている時間なのでは」

「あー…まあ僕にも色々と事情があってね。それよりポッターこそどうしてここに?」

 

 正直にスネイプに縋られたなどと答えることはできず、目についたポッターに話題を振る。まさか自分に会話が来ると思っていなかったのか、彼は少し慌てたようだった。

 

「ぼ、僕は『守護霊の呪文』を教えてもらいに来てて…」

「ほぅ、『守護霊の呪文』とな。流石はポッター。父親と同じで普通の授業では満足できないと。素晴らしい傲慢さを持っているな」

「父は傲慢ではありませんでした。僕だって」

 

 スネイプがポッターに嫌味を言う。わざわざそんな小さな事でも突っかかるのは恨みが深いからだと知っているが、それでももう少し抑えるべきだろう。

 本来は諫めるべき立場のルーピンは、2人のやりとりをみて微かに笑みを浮かべている。たしかに今の彼らは昔のジェームズとセブルスにそっくりだ。懐かしさすら感じてしまう。

 ふとルーピンは何かを思い付いたようだった。

 

「ハリー、実際に見せてあげたらどうだい?」

「え、でも…」

「何か刺激があった方が上手くいくかもしれないじゃないか」

 

 

 呪文の訓練にはまね妖怪(ボガート)を使っているらしい。その人の『最も恐れる物』に姿を変える彼らは薄暗い場所によく住み着いている。

 ポッターの場合は吸魂鬼に姿を変えるということで、本物より危険性の少ないまね妖怪は都合がいいのだろう。

 

 緊張しながらヤツが入っている箱の前に立つポッターに聞こえないよう、僕はルーピンに声をかけた。

 

「ポッターの腕はどの程度なんだい?」

「完全ではありませんが、本人に意欲はあります。遠くないうちに習得できると思っています」

「それでスネイプへの対抗心がきっかけになるかもとでも思ったのかい」

 

 肯定するように彼は頷く。そう上手くいくとも思えないが。

 

「じゃあ行くよ、ハリー」

 

 箱の前にはポッター。その後ろに少し離れて僕が立つ。教師2人は箱と並ぶように少年を見る。ルーピンが箱を開けた。

 

 決して広くない部屋の空気が、一気に冷える。吸魂鬼の特徴だ。まね妖怪は化ける物の性質を恐ろしい程正確に再現する。直接の害は無く対処も容易、にもかかわらず危険生物とされているのはそう言った理由もある。

 

 箱から飛び出したのは、どう見ても吸魂鬼だった。自分の中から幸福という感情が消えていくような錯覚をする。

 

「エクスペクト、パトローナム‼︎」

 

 ポッターが唱えるがそれは呪文とは到底言い難いような声だった。杖は何の反応も示さず、吸魂鬼が彼に迫る。

 

「エクス…エクスペクト…パト……」

 

 残念ながら彼は気絶してしまった。最後まで呪文を唱えようとする姿勢は見事だが、今回は生憎と実力不足だったようだ。

 

「ふん。この程度か」

「まあまあ、セブルス。呪文を唱えるだけで凄いことじゃないか」

 

 教師らが話し合う。僕はポッターを介抱しようと近づいた。

 まね妖怪など、恐るるに足らないと思っていた。

 

 バチンッ――という弾けるような音に顔を上げた時、吸魂鬼の姿は消えていた。代わりにそこに居たのは。

 

「―ッ⁉︎」

 

 僕と同じ色の長髪。

 僕と同じ色の瞳。

 そして人形のように整った顔立ち。

 

 エリシアと瓜二つの姿。彼女が死んだ日と何も変わっていない。

 

「あ…ああ…」

 

 喉が干上がる。全身から血の気が引くようだ。肺が呼吸を忘れて、視界の色が無茶苦茶になる。落ち着け。思考を安定させろ。大丈夫だ。()()はあの子じゃない。彼女なわけない。彼女は死んだんだ。でもこうして目の前に。黙れ。ソレは偽物だ。惑わされるな。うるさい。彼女じゃない。あの子じゃないなら。

 

 僕の前で…

 

 妹の真似を…

 

 …するんじゃない‼︎

 

「《息絶えよ(アバダケタブラ)》‼︎」

 

 僕は無意識のうちに杖を抜き、そして本気でその呪文を唱えた。

 杖先から放たれた緑の閃光は、正確にまね妖怪を貫いた。

 

「大っ嫌い…」

 

 ソレはそう言ったかと思うと、黒い霧になって消えた。

 

 足から力が抜ける。僕は胃の中の物を全て吐き出した。ふざけるな。あの子はそんな事、言わない。言わない…筈だ。やはりアレはエリシアなんかじゃないと、どうにか気持ちを落ち着ける。動悸が乱れ、じっとりと汗が流れる。

 不快という概念全てを一度に味わったかのような感覚だ。

 

「スコープ司書‼︎」

 

 スネイプとルーピンに支えられて、ようやく立ち上がる。

 

「とにかく医務室へ。セブルス、頼めるかい?」

「ああ、任せたまえ」

 

 そんな会話が耳から抜けていく。

 代わりに頭の中をぐるぐる回るのは、妹の事。死の直前のやり取り。

 

 やはり彼女は、僕にとってとても大きく重い存在なのだ。


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