まね妖怪と対峙した日の夜。僕はホグワーツの空を大鷲となって飛んでいた。
昼間にあった嫌なことを忘れたくて、月の照らす雲間の風を切った。
がむしゃらに。
高く。高く。星に届くまで。
星になるまで。
だが忘れたいと思うほどに、脳裏に強く思い出す。
『大っ嫌い』
エリシアが僕に向けてその言葉を使ったことはない。だからこそ、まね妖怪の露骨な煽りだと確信できる。だが同時に、『まね妖怪が真似る程に恐れていること』だと客観的に突きつけられた。
怖い。彼女に嫌われることが。彼女が排除すべきものとして現れることが。彼女ともう一度向き合うことが。
身がすくむような恐怖が湧き上がる。
記憶を振り切るように速度をあげる。
『ありがとう…』
そんなあの子の最期の言葉に囚われながら。
■
重い雲を抜けた時、急に空気が冷たくなった。水滴が氷になって羽根を打つ。熱くなった頭に冷静さが戻ってくる。
10月なのに寒すぎる。雲の中に布のような影が見えた。1つではない。20をゆうに超える数。
吸魂鬼の大群がひしめいているのだ。校内に入れないからと、かなり荒れているのが遠目からでも分かった。アズカバンから離れ魂を喰らうことができずに飢えているのだろう。
いくら動物もどきでも近づきすぎるのは危険だ。僕は高度を落として学校に近づく。
「……」
『暴れ柳』の様子が変だ。あれは活発に動く植物で、その枝で飛ぶ鳥を落とすこともある。眠っている間も寝相が悪く、時々は枝を震わせる。
だが今はまるで普通の植物のように動かない。普段の様子とはまるで違う。
誰かが呪文を掛けたか、
まさかシリウス・ブラックか?学生時代、彼はよく柳の根元にある通路を利用していた。可能性は十分にある。
彼が校内に侵入したのではないかと、辺りを捜索する。今宵は月が明るく、鳥の目でも十分に地面が見えた。鷲は動物の中で最も目がいい。僅かな痕跡も逃さないでいられる。
茂みが僅かに荒れているのを見つけた。何か獣が通った跡のようだ。人間は通れないが、ブラックは動物もどきだ。彼の化ける黒犬なら這うことで通れるような大きさの穴が茂みに空いている。
人間の姿に戻り、茂みを掻き分ける。何か痕跡は無いかと地面を見るが、草が折れているだけで足跡は残っていない。
「…誰だ!」
小さな獣の足音が聞こえた。人間では無いがブラックの可能性がある。杖を構えて音がした方角をじっと見つめる。
「動かなければ撃つ。3…2…」
木陰から小さな影が現れた。
だが犬にしては小さい。
それは猫だった。
それも野良猫とは違う、よく手入れされたオレンジ色の毛並みを持っている。淡麗とは言い難い潰れたような顔を見たら、知っている猫だと分かった。
「やぁ、クルックシャンクス」
グレンジャーが今年になって買い始めた猫だ。彼女が嬉しそうに見せてくれたのでよく覚えている。
こんな時間にこんな所で何をしているのか気になったが、猫は気ままで気まぐれな生き物だ。何時何処にいても不思議ではない。
後ろで木が軋む音がする。どうやら暴れ柳が再び動き始めたようだ。硬直が解けたのだろう。この距離ならここまでアレの枝は届かないので僕は気にも留めなかった。
だがクルックシャンクスは僕の足元を通り過ぎ、茂みの穴を通って柳に近づいていく。小さな猫があの一撃を喰らえばタダでは済まない。
手遅れになる前に捕まえようとするが、彼女は素早い身のこなしで僕の手をスルリと躱し、そのまま枝を潜って柳のコブに触れた。柳はさっきまで暴れていたのが嘘のようにピタッと止まる。
「なるほどね」
どうやら彼女が暴れ柳で遊んでいたようだ。ブラックではないと、僕は安心して杖を収める。無駄にドキドキさせられてしまった。それにしても柳のコブの特性に気づくとは、とても利口な猫だ。
まあ自由な猫のことだ。どこかで誰かが話しているのを聞いたのかもしれない。もしかしたらミセス・ノリスと仲が良かったりするのだろうか。
「ほどほどにしなよ。怪我したらグレンジャーが悲しむ」
僕の心配が分かったのか、彼は小さく鳴いてまた茂みの奥へと消えていった。穴は猫にしては少し大きい気がしたが、何度も通るうちに広がったのだろう。
僕は再び夜空へと舞い上がる。さっきまでとは違う、自由に、気ままに。月光を背に受けながら。
シリウス・ブラックがグリフィンドールの門番、『太った婦人画』を襲ったと知ったのは、その数分後だった。