「……」
僕は寂れた荒野に1人立つ。
周囲には何も無く、冷たい風が頬を撫でて抜ける。
「………」
クリスマスの直前、久しぶりに休暇を取った。
ホグワーツは丁度クリスマス休暇で、ブラックが潜伏している事もあってかほとんどの生徒が家へと帰った。僅かに残った子らには悪いが、僕もそれにタイミングを合わせるように図書室を閉める事にしたのだ。
休暇を申請した時、マクゴナガルもダンブルドアもとても驚いた顔をしていた。僕が休みを取るのは決まって夏休みだったからだ。
「……ハァ…」
寒さを払うようにため息を吐く。
このタイミングで休暇を取ったのは、もちろん訳がある。
『守護紋様の魔術』の改良が、全くと言って良いほど進展しなかったのだ。僅かにでも紋様を変化させると、途端に効力が不安定になってしまう。酷い時には魔力を込めただけで羽が燃え上がった。
手元の資料や知識だけでは足りない。そう思った僕は、自分の屋敷へ戻る事にした。そして今、ここに立っている。
マグルの世界や、魔法使いの街からも遠く離れた場所。周囲には生き物の気配は無い。それは不自然なまでに。鳥1羽、虫1匹も見つからない。
耳に届くのは、枯れ草が揺れる音だけ。不気味な程に生の気配が感じられない。
その荒野を歩く。ただ一点。目の前の大岩を見つめて。
「……」
何の変哲もない、ただの岩にしか見えない。だが注意深く観察すれば、そこに魔術の痕跡を見つけることができる。
僕は手に切り傷を作り、血を流す。手に溜まったそれを岩肌に押し付けると、血は染み込むように消えていった。
その直後。
突如として辺りに黒い霧が立ち込め、視界が塞がれる。まるで世界が光を失ってしまったかのような闇だ。
体が浮かぶような不思議な感覚がして、霧が晴れた時には目の前には巨大な洋館が聳え建っていた。
仰々しい現れ方をしたこの洋館こそが、僕が産まれ育った家。スコーピス家の屋敷。
この屋敷は幾重にも魔術が掛けられ、知らぬ者には決して見つけることも辿り着くこともできないようになっている。それに例え屋敷の場所を知っていても、こうして認識するためには先ほどの大岩にスコーピス家に連なる者の血を与える必要がある。
この秘匿された場所を知るのは、現当主である僕。僕をホグワーツへと入学させたダンブルドア。そして在学時代の友人のトムぐらいだ。
黒い大きな扉へ近づくと、音もなく扉は内側から開いた。そして中から、1人の屋敷しもべ妖精が顔を覗かせる。
「ミカエル様、そろそろお着きになることかと思うておりました、はい」
普通のしもべ妖精とは似つかない、整えられた召使いの服装に身を包んだ彼。
『契約』によって悠久にスコーピス家に仕えることを命じられた、特別なしもべ妖精だ。
「ただいま、ルーラルゥ。すまないね。こんな急に」
「いえいえいえ。ご当主様が自分の屋敷に戻られるのに何の不都合がございましょうか。このルーラルゥめに何なりとお申し付けくださいませ。矮小な道化の身ではありますが、それでも精一杯に従僕としての役を演じ切る所存でございます、はい」
僕が謝罪すると、ルーラルゥは大げさに頭を下げた。自らを道化と呼ぶ彼は、アレクサンドロスがこの屋敷を創り出した時から彼女に仕えているそうだ。そういう意味ではスコーピス家の生き証人になるのだろうか。
「ささ。外はお寒かったでございましょう。温かい紅茶が入っております」
「ああ、貰うよ。その前にエリシアに顔を見せてくる」
「かしこまりました。では献身なルーラルゥはミカエル様の私室にて紅茶のご用意をしております。ええ、そうします」
僕は屋敷の外。庭の一角にある墓地へ足を運ぶ。ここはスコーピス家の者たちが死後に埋められる。僕の両親やそのご先祖。当然、妹であるエリシアも。
「ただいま、エリシア」
最も新しい墓標に黙祷する。刻まれた名前は『ガブリエラ・シア・スコーピス』。僕がミカエルという名であったころの、エリシアの名前だ。
僕より3歳年下で、彼女が亡くなったのは彼女がホグワーツの5年生の時だった。
身体に溜まった呪いの毒が、ついには肉体を滅ぼしたのだ。末期はまともに動くこともできず、ホグワーツを休校してこの屋敷で僕とルーラルゥが看病をしていた。
「4ヶ月ぶりだね。こんな時期に帰ってくるなんて思わなかったかい?…前にも話したね。トムと本気で闘うと。でも今の僕じゃ技術不足でね。色々と知恵を借りに来たんだ」
ここに帰ってくるのは、彼女の命日が近く学校が夏休みの期間に僅かだけだ。それは僕が司書という役職に就いているというのもある。だがそれよりも、この屋敷には色々な思い出があるのだ。良いものだけではなく、それ以上に悪いものも。
僕はエリシアに挨拶…といっても墓前で独り言を言うだけだが…を済ませて屋敷に入る。
両親の墓は一瞥しただけだ。
■
「お茶請けは何にいたしましょうか?クッキー、マカロン、カップケーキ、スコーンなど。どのようなものでも取り揃えております」
ルーラルゥはそんなことをまくし立てながらテーブルの上へ菓子を並べていく。
「紅茶だけをお飲みになるのでしたら構いません。ゴミが増えるだけですが、哀れなルーラルゥは甘んじてご当主のワガママを受け入れましょう。何せ胎児の頃から面倒を見てきたのですから。ええ、そうですから」
「じゃあクッキーを。いつものヤツが良い」
「よろしい!直ぐにご用意いたしましょう」
彼がパチンと指を鳴らすと、皿に盛られたクッキーが現れた。
「ルーラルゥ特製クッキーでございます。甘さは控えめ。バターも少量。後味にほんの少し多めの塩を加えております。ミカエル様は昔からこのクッキーが好きでございましたね。はい」
「覚えていてくれて、嬉しいよ」
「敬虔なルーラルゥは覚えておりますとも。ご当主様とガブリエラ様がこのクッキーを仲良く分け合っていたことを。時々どっちが多く食べたかで喧嘩をしていたことも。ええ」
確かそれはまだエリシアがホグワーツに入る前の事だったが。たしかにそんな事もあったと、懐かしく思う。僕らがそんなくだらない事で争っていると、いつも彼がお菓子を持ってきてくれたのだ。そしてそれを食べている内に、何を争っていたのかも忘れてしまう。
「…そんなことも…あったかな」
「よーく覚えております。ええ、それは昨日のことのように」
何でもない小さな出来事が、今思い返せばどれ程尊いものだったか。
紅茶で喉を潤しながら、しばし昔を懐かしむ。
だがそうしてばかりもいられない。ここに帰ってきた目的を果たさなければ。
「……『奥書庫』を開ける」
「…かしこまりました」
僕の言葉にルーラルゥは少しの無言の後、頷く。
彼が再び指を鳴らすと、そこには大きな銀色の鍵が握られていた。
「…こちらに」
「ありがとう」
鍵を受け取り、僕は屋敷の地下へ行く。
『奥書庫』は文字通り、この地下書庫の奥にある。以前学校へと持って行ったのはこの地下書庫にある物で、『奥書庫』とは違う。
僕が地下書庫へと足を踏み入れると、壁の松明が灯る。ルーラルゥはこの場所に入ることを禁じられているため、僕1人だ。
本棚の間を揺らめく光に照らされて進む。壁に映る影がまるで何か魔物のように恐ろしく見えた。
そしてこの奥の、何も無いように見える壁。
仕組みはここに来る時の大岩と同じだ。血を押し付けると紋様が光って浮き出る。それは青白く光る錠穴の形を作り出した。
「……」
そこへルーラルゥから受け取った鍵を挿し込む。鍵はガチャリと重い音を立てて回ると、壁へと消えていった。そして光は新たな紋様を描く。
もう一度、血を押し付ける。血が壁に吸われていく感覚。
そして壁は、崩れるように消え去った。
見えてきたのはいくつもの本が所狭しと並べられた4つの本棚。円を描く様に配置されている。ここが『奥書庫』。スコーピス家の伝承では、アレクサンドロスが自身の全ての知識を集めた場所。
「……」
相変わらず厳重な封印だ。鍵を使う封印は僕が仕掛けたものだが、それを差し引いても十分すぎる。
特にこの血で壁が消える魔術は、トムが強く興味を持っていたことを懐かしむ。根底にあるのはスコーピスの『紋様魔術』だが、彼はそれを独自に再現しようとしていた。
そんな昔のことを思い返しながら、『奥書庫』へと入る。
強く、禍々しい魔力がこの部屋に満ちている。
4つの本棚は、それぞれ『紋様魔術』の系統で纏められている。
『守護紋様』は僕が得意とし、障害を防ぐ事に長けている。
『束縛紋様』は前にバックビークにも使った。対象を拘束する事に特化している。
『呪霊紋様』は精神に干渉し、錯乱させる事ができる。
『変理紋様』は文字通り現実の
どれもが強力で複雑で高度な魔術だ。その全てを極めた者は歴史の中でも開祖であるアレクサンドロスのみ。
そしてその本棚に囲まれる様に台座があり、そこに置かれた一冊の本。空間に満ちる魔力の根源。赤黒い表紙に白い装飾。
題名は無く、表紙は脈打つように動いている。
『アレクサンドロス』
それが本の名前だ。それはかつてアレクサンドロス本人が、自身の骨肉を変異させて創り出した、『生きている本』。
そして台座の手前には『憂いのふるい』が安置されている。それはホグワーツの校長室にあるものと同じで、青白く神秘的な光を放っている。
僕はそれらに近づかないよう、『守護紋様』の棚から目当ての本を見繕う。適当に2、3冊を引き抜き、足早に『奥書庫』を去ろうとした。
「…挨拶も無しか?」
「…!」
『アレクサンドロス』が語りかけてきた。マズい、見つかったか。いや、見つかるも何も最初から気づかれていたか。
「…お久しぶりです。我が祖よ」
「……ふゥン。…ヌシがここに姿を見せるのは40年ぶりであるな。我が血を継ぐ者よ」
僕が声を掛けると、表紙に眼と口が現れる。人皮を剥がれたように生々しい。それは威厳ある女性の声を発する。この本に宿る魂は、アレクサンドロスそのものだ。
僕は床に膝を着き、彼女の機嫌を損ねないようにする。
「…どうか不敬な行いをお許しください。急ぎの用がありまして」
「よいよい。ヌシの事はよく分かっておる。…何やら面白い事になっているようだな?」
アレクサンドロスは楽しそうに笑う。
「あの小僧…。トム・リドルであったか?あの様な歪な魂を持つ者など、久しく見ておらんかったが…。ヌシの魂を我に捧げさせたのはやはり正解であったな」
「…なるほど。全て見ておられたのですね」
僕が最初にこの部屋に入ったのは60年前。両親が死んだ日の事だ。その時、この本は僕に知識を授ける『代償』として、残りの魂の全てを僕から奪った。故に僕の身体は、肉体は成長するが魂は成長しない、そんな奇妙な状態になった。通常なら魂を奪われた者は生きているだけの屍に等しい存在になるが、アレクサンドロスはどんな魔術を使ったのか、僕はこうして普通に生活できている。まあ言動が若々しいとよく言われるが。
彼女は僕の魂を通して、僕が見たもの、知ったものを共有している。
「ヌシは今後もヤツと相見えるであろうな。…ふゥン。で、あるならば我が知恵を貸し与えるのもやぶさかではないぞ?」
「お断りします」
申し出を即座に断る。彼女の知恵を借りると、大抵はろくなことにならない。60年前もそうだった。『憂いのふるい』が妖しく光るが、その誘いを無視する。
「よいよい。安易に我が知恵を借りようとする愚鈍な男を、我は気に入ったりはせぬ」
「お心遣いに感謝します」
「せいぜい、我を退屈させぬ事だ。肝に銘じておけ」
本はパタパタと震えた後、再び動かなくなった。もう話す気はないらしい。
「…言われなくとも」
僕は目当ての本を持ち直し、『奥書庫』を出る。壁が音もなく元に戻った。そこにはまるで最初から何も無かったかのようだ。
■
「ミカエル様、ご無事で何よりでございます」
「彼女はどうやら、トムに興味があるらしい」
「ほほぅ。あの方がスコーピス家以外に目を向ける事など、ペペベル家以来でございます。はい」
ルーラルゥはそんなことを言いながら、テキパキと夕食の準備をしていく。
「ワインは何に致しましょう。赤?白?シャンパンもご用意できますよ」
「いや、今日はアルコールはやめておくよ」
アレクサンドロスの濃い魔力にあてられた僕は、ソファで横になる。視界がグルグルと回る様な錯覚を感じる。
「左様でございますか。でしたら冷水を持ってまいりましょう。ええ、そうしましょう」
「ありがとう」
僕はパラパラと持ち出した本のページをめくる。
難解だ。
頭の中を埋め尽くすように入ってくる文字の情報に、吐き気がしてくる。ホグワーツに帰ってからゆっくり読むとしよう。
「ミカエル様、ご用意ができましてございます」
「うん、今行くよ」
この本に書かれていることが、トムを止めることに繋がるといいが。
今はそれを信じるだけだ。