インフィニット・ストラトス 宣教者異聞録 作:魔法科学は浪漫極振り
最近の織斑一夏の日課といえば凰鈴音の見舞いだ。
朝早くに起きて作った手製の弁当を携えて昼休みに顔を出し、放課後は学園生活であった出来事のあれこれを伝える。実に他愛ない雑談を行うだけなのだが、精神的な疲労の積み重ねが原因で体調を崩していた鈴にとっては治療の大きな助けとなっていた。それは一夏と鈴に提示された一方的な関係解消要請に対する年若い子供なりの抵抗。簡単に言ってしまえば現実逃避である。しかし、それも終わりを迎える。鈴がようやく復帰する事になったからだ。
「忘れ物は無いか?」
「丸ごと甲龍の拡張領域に放り込んだから問題無し」
「それはそれで学校の備品を間違えて突っ込んだりしてないだろうな」
「だ、大丈夫よ」
やや長めの滞在だった為、いろいろと私物を持ち込んでいた鈴は拡張領域内に収めた品のデータを呼び出して再確認する。……そっと、水差しを拡張領域から呼び出してサイドテーブルに置いたところを白い目で見られるが、彼女は口笛ひとつで誤魔化すだけで終わった。
長らく世話になった養護教諭に挨拶してから寮への道を並んで歩む。特に何事も起こらず、寮室へとたどり着いた。同室のティナには戻る日を伝えていたが、本人はいなかった。共用のゴミ箱に大量の菓子の袋が突っ込まれている状態を見るに、随分と一人での寮生活を満喫していたようだ。これだけ間食してよく体形が崩れないものだと変な部分で関心しながら、鈴は一夏と自分、二人分の茶を用意する事にした。内容を考えれば、少しばかり長い話し合いになりそうだから。
「ねぇ、一夏。ちょっと、大事な話があるんだけど」
篠ノ之箒にとって恋焦がれていた一夏といる時間は何よりも大切で生き甲斐だった。しかし一夏はISを手に入れてから箒をあまり必要としなくなった。剣道の訓練はそもそもクラス代表を決めるセシリアとの試合までの期間、一夏がISを使えなかった事への苦肉の策であり、入学当初、全く理解できていなかったISについての勉強も次第にスポンジのように知識を吸い上げ、IS操縦も訓練の必要が感じられない程に熟練した動作を熟してみせる。
剣以外に秀でる部分など無いという自覚を持つ箒にとって一夏の隣は急速に遠い存在となった。そして鈴と一夏が結ばれたと知った日には、どうにか人前での癇癪を堪えて学園にある木立の場所で木刀を無茶苦茶に振り回して、一人で泣いた。その後も度々湧き出る醜い嫉妬心を抑える事にとても苦労した。
人一倍影響を受けてきたからこそ、夕食の席で箒がその事を知った時の反応は驚いたり喜ぶよりもまず、呆ける形となったのだ。
「一夏と鈴が、別れた……?」
シャルル・デュノアが入寮した事で一夏と別室となった箒は新たなルームメイトである鷹月静寐との交流を通じて、一組の生徒で構成された女子グループに合流する事に成功していた。その箒の耳に入った女子特有の噂アンテナから拾われてきた話こそが学園全体を震撼させたカップルの離縁についてであった。耳を澄ませれば食堂のあちこちで同じ内容で無秩序かつ無責任な会話が繰り広げられていると分かるだろう。実際、呆然としている箒をよそに相席をしているクラスメイト達は誰から聞いただの、どうして別れたのかだの、次を狙えるかなどの推測や願望が入り混じった具合である。
「でも気持ちはわかるな~。おりむーは時々怖いんだよね~」
同席者の一人、布仏本音の声にようやく固まっていた思考が動き出した箒が反応を示す。
「一夏が、怖い?」
「うん。私、ISに乗ってるおりむーは、好きに……ううん。ハッキリ言って、
普段おっとりしていて、どんな時どんな相手でも基本的に刺々しさを見せる事の無い不思議系少女の強い拒絶の感情を伴う発言に囲っている面々はギョッとする。発言してしまった本音自身もばつが悪そうにしている。本音の隣に座っていた本音に近しい友人である鏡ナギが代表して尋ねる。
「な、なにか織斑君とあったの?」
「ん? ん~、なにも無いよ? ……ただ、最近はセッシーもなんだか怖いおりむーに雰囲気が似てきて、ちょっと嫌なんだ。あの纏わり付く感じ」
どうにも雰囲気が宜しくない。場の空気を変える為、本音のセシリアと一夏が似てる発言から別れの原因は浮気の可能性では無いかなどの不明瞭で確証の無い雑談に各々が持ち込んでいく。しかし箒はもう場の話題に乗る事は無かった。鈴が体調を崩す前、自分のところを訪れて一夏の異変に関して問い質してきた時の事をひたすらに思い出していた。
同刻、鈴はアリーナの片隅で療養で鈍った身体の調子を整える為に腕部のみを部分展開した状態で双天牙月を用いた演武を行っていた。小柄な体格に見合わぬ巨大な武装を左右に分けて両手で扱い、時に連結させては回転を加えて振り回す。しかしウォーミングアップというには武器を振るう際の力が籠り過ぎている。目の前の空間を睨む鈴の瞳には、自分と想い人の仲を引き裂いた要因、怨敵が映っている事だろう。
(篠ノ之束。今はアンタの思惑通りに引いてやる。最後の最後、一夏の隣にアタシがいれば、それでいい。一夏への想いだけで世界屈指の競争社会である中国の登龍門を一年で踏み越えた、この凰鈴音を甘く見るなよ……ッ!)
そう、一夏との別れ話は彼女から切り出していた。千冬から話を伝えられた際には嚙み付かんばかりに抗った鈴だが、時間が経過して冷静に判断できる状態ともなれば、一理はあると感じたからだ。鈴と一夏の二人がどう思おうが、篠ノ之束という異常存在が本気を出せば現状は逃げようがない。最悪、中国や日本の政府、延いては家族や親族さえも利用されかねない。では二人が平穏な日常を得るにはどうするべきか。
今の鈴にどちらも達成するには実力が不足している。だからこそ力を蓄える時間を稼ぐ為に愛する者と距離を取ると決断した。説得にしばしの時間を要したが一夏も最終的には同意してくれた。一夏の持つISの得体の知れなさもあって、極力、彼を頼る訳にはいかないからこそ鈴は自分で決着をつける気でいる。彼女の一夏への揺るがぬ想いと滾る熱意は素晴らしいものだ。ただ、しかし。数日間の病床生活において一人で悩み抜いて出した鈴の答えは一つの問題を孕んでいた。
織斑一夏の心の奥にある願い。姉のように、自分が誰かを守りたいという精神の主柱に大きな歪みを与えてしまった事を彼女は知らなかった。
結局、古い観念に凝り固まった人間である箒には、どれだけ考えても感覚のもたらす違和感などという物の意味は理解ができず、夕食後に直接本人へ確認する事にした。以前生活していた寮室を訪れ、中にいる人物を呼び出す。中で物音、入り口近くにある洗面場で水音がした後、しばらくしてから扉が開く。出てきた一夏はトレーニングでもしていたのか、部屋着のシンプルなTシャツとズボンを首にタオルを掛け、顔には水気を拭ったような湿り気があった。憂いを見せる顔も合わせて、水も滴る良い男という言葉がピッタリ当てはまる様相である。
「遅くなった。なんか用か」
「……はっ」
一瞬、一夏が醸し出す色気にやられて我を失っていた箒が現実に帰ってきた。軽く咳をしてから本題に入る為に仕切り直す。
「噂で、お前が鈴と……その、別れたと聞いたのだが」
「お前には関係無い」
硬い、明確な拒絶。感情が高ぶり、完璧な容姿の箒の内側に隠された幼さが暴れ出そうとするが、この数週間で鍛えられた自制心がなんとか勝利を収める。
「……そう、確かにそうだな。だが幼馴染として心配なんだ。せめてどうしてそうなったのか。理由だけでも教えてくれないか」
箒の真っ直ぐな言葉に一夏は視線を彷徨わせ、幾度か場繋ぎの音を発するが、そこから繋がる事は無かった。明らかに言葉を選んでいる様子が伺える。しばしの無言の後、一夏は理由を述べた。
「俺が、弱いからだ」
「……なんだと?」
「いや、違う。俺は力を貰ったんだ。だから弱いはずが無い。だけど周りが俺を弱いままだと勘違いしている。俺では鈴を守れないと判断したんだ」
鈴を守れないという不穏な言い方が何を意味するのか推測するには至らない。しかし一夏の苦々しい表情を見れば、彼がどれだけ思い詰めているかだけは伺えた。鈴や本音が言う違和感は感じ取れないが、幼馴染の少年は明らかに無理をしている事だけは箒にも分かった。
「悪い、変な話をした。忘れてほしいな」
「一夏、本当に大丈夫か? 私に、何か出来る事は無いか?」
「心配すんなって。お前のおかげで頭の中を整理できたし、助かったぜ。……それじゃあまた明日な」
感謝はしている。でも、
閉じられた寮室の扉に背をもたれかけた一夏は箒が歩き去る音を聞きながら呟く。
「証明が、必要だ。俺が誰にも負けない力を手に入れたんだという明確な証明が……」
故に、これは必然であった。
「私と戦え、織斑一夏」
「丁度いい、相手をしてやるぜ。ボーデヴィッヒ」
織斑一夏とラウラ・ボーデヴィッヒ。鎮火した導火線へ再び火が点る。