インフィニット・ストラトス 宣教者異聞録 作:魔法科学は浪漫極振り
七月七日ハワイ沖の艦隊旗艦にて事件は起こった。けたたましいサイレンの音が鳴り響き、非常事態を知らせる赤灯ランプが回転しながら辺りを照らす。日の出に照らされる空母内で発生した問題に対応すべく男女階級を問わずに各々が職務を全うする為に持ち場へと駆ける中、与えられた士官室で仮眠をとっていたナターシャは一直線に福音の作業施設へと向かっていた。辿り着いた時には当直の人員達が備え付けの端末に停止信号を打ち込んでいる姿と、ケーブルに繋がれた福音を被せたアンドロイドがガクガクと不自然な動きをとっている状況が目に入った。
「何が起こった!」
「げ、原因不明の暴走です! リンク途絶! 停止信号を受け付けません!」
「……ッ! トリモチを使え! ゴスペルの動きを抑えなさい!」
ナターシャは稼働実験の見届け人であり、部外者だ。本来であれば彼女に現場を指揮する権限は無い。しかし今は夜明けの時間であり、緊急時に現場を指示する立場にいる士官が偶然か作為的かはともかくとして別件でこの場から出払っていた為、暴走を始めたISに臆して判断を迷っていた軍人達も現れた
「もう駄目だ! ゴ、ゴスペルが動き出すぞ!」
一人の技師の叫びと共にゴスペルと繋がっていた通信ケーブルが引きちぎるように弾けて飛ぶ。それらが引き起こした機器類のスパークや可燃物の炎上など、悲鳴と怒号が響く中でナターシャは生身のままで飛翔の為にスラスターへエネルギーを回し出した福音に駆け寄った。
「ゴスペル! 止まりなさい! お願い、止まって!」
命懸けのナターシャの声は届かなかった。福音は何の反応を示さずに天井──空母の飛行甲板──を突き破って朝焼けの空へと飛翔。輪形陣を張っていた周囲の護衛艦から暴走する福音へ弾幕が張られるが軍用ISは伊達ではない。ただの一撃も受ける事無く、瞬きの間に福音は飛び去ってしまった。
それを眺める事しかなかったナターシャの傍に、駆け込んできたイーリスがようやく辿り着いた。
「ああ、くっそ! 間に合わなかったのか!? ……ブリッジ聞こえるか! コーリングのファング・クエイクは追撃に出るぞ、いいな! ……責任の所在だぁ!? んな事は福音の首根っこを捕まえてから考えろや!」
空母の甲板を潰された以上、航空機は使えない。即座にISでの福音追撃を通信の繋がった艦隊司令部へ承認を求めるイーリスに、ナターシャも声を張り上げる。
「私も行くわ! 整備班は哨戒ローテ用の機体を回せ!」
「おい、まさか付いてくる気か!?」
「あの子の操縦者は私よ! 私以外の誰があの子を止めるっていうの!」
銀の福音の追撃に損傷した空母からタイガーストライプとネイビーブルーのアメリカ製第三世代型ISファング・クエイクが緊急発進したのは福音が艦隊を飛び出してからおよそ二分後の出来事だった。
少しの時が経ち、IS学園一年生の臨海学校二日目の早朝。
織斑千冬と篠ノ之箒、凰鈴音の三名は海岸沿いにある周囲を岩壁に囲われた離れ小島の一つで、この場に現れるという連絡を一方的に送りつけてきた篠ノ之束を待ち構えていた。
眠り続けている一夏をこのような不安定な場所へ連れてくる訳にもいかず、現在は臨海学校の宿泊施設となっている花月荘の離れで更識から派遣されてきた人員や教師達によって警護された状態で寝かされている。
箒と鈴は周囲を警戒してやや緊張気味だが、それに対して千冬は普段以上に心を穏やかに保っている。これは彼女なりの実戦向けの精神統一であり、身に纏った実戦装備の戦闘服と周辺に配置した対IS用ブレードの数々を見れば、普通の神経であれば彼女へ近寄ろうとは思わないだろう。
「ちぃぃぃちゃぁぁぁん!」
もっとも、そんな事を意に介さない人物が人目のつかない僻地を指定してきた篠ノ之束だ。成熟した大人の肢体をウサ耳にエプロンドレスという子供染みた格好で身を包んだ稀代の天才科学者が近くの岩壁を垂直で駆け下りて千冬へと飛び込んできた。
「シィッ!」
「ふおぉッ!?」
予備動作も無く振り抜かれた刀剣型ブレードの一閃が飛び込み中で回避できない束の頭部へと叩き込まれたが、弾き飛ばされただけで切り裂かれて死ぬ事は無かった。どうやら身の守りにシールドエネルギーのようなバリアを展開しているらしい。それでも凄まじい衝撃は受けたはずなのだが、何事も無かったかのように束は跳ね起きる。
「ふうぅ、束さんバリアが無ければ即死だったぜい」
その一連の動きを見ていた鈴には束が持つ才脳は知力や科学力だけでなく、熟練した武芸者の動きも行える高い身体能力も含まれるのだと理解できた。天は二物を与えずというが、明らかに彼女は天に依怙贔屓されているとしか思えなかった。飄々とした態度に苛立たしさを感じるが、しかし一夏の為を思えばこそ努めて平静を保ち、一歩引いた場所から三人のやり取りを観察する事にした。
「もうちーちゃんったら、いきなり何するのさー!」
「神経が苛立つ。余計な事をするな。……今の私は事と次第によっては本気でお前を斬り殺しかねん事を肝に銘じておけ」
一夏こそが生きる全てであると言っても過言ではない千冬には余裕が無い。ある程度の事情は既に把握しているのだろう束は肩を竦めて妹の箒に笑顔を向ける。
「箒ちゃん、誕生日おめでとう! おっきくなったね、特におっぱいとか!」
「……ありがとうございます。姉さん」
嫉妬心の自制という名の自己鍛錬は嫌いな姉からのセクハラ紛いの発言をスルー出来る程度には至れていたようだ。もっとも、箒の淡白な反応は束好みでは無かったようだが。
「ぶーぶー、箒ちゃんの反応が薄いー!」
「話を進めましょう。千冬さんが怖いです」
無言で束を見据える千冬は不機嫌さが空間に滲み出ている感じすらある。流石の束も要件を終える前に千冬の忍耐力テストを実施する気にはならなかった。
「それじゃまずはこちら! 箒ちゃんへの誕生日でーす!」
束の声に合わせるように空から双角錐状のコンテナが落着してきた。中から出てきたのは赤で彩られた一機のIS。
「第四世代型IS、その名も『紅椿』! 箒ちゃんの専用機だよ! 受け取ってくれるかな!?」
各国がイメージ・インターフェイスによる特殊武装搭載を目的とした第三世代型ISの試作開発に苦慮している中でそれを差し置いて次世代型ISを妹への誕生日プレゼントとして用意する。それはまるで自分一人に追いつけない世界に対する当て付けのような振る舞いに思える。
「分かりました。……ただ、その代わりにお願いがあります」
姉と姉の作ったISを好ましく思っていないと公言していた箒があっさりと受け入れ、条件を求めてきた事は些か束の興味を引いた。
「おやおや、何かな?」
「一夏と鈴の仲を認めてやって欲しい」
「…………はい?」
束は鈴とは誰かを思い出して、先程から二人の後ろで黙っていた
「箒ちゃん、いっくんの事が嫌いになったの?」
「そうじゃない、だけど私は──」
「だったら引き下がる理由ないじゃん、アイツが邪魔なら潰せばいいよ。自分で出来ないなら代わりにやったげようか」
鈴を庇うように千冬が立ち位置を変える。鈴もまた、いつでも甲龍を呼び出せるように警戒する。
「それでは一夏の気持ちはどうなる!」
「箒ちゃんの気持ちが優先に決まってるじゃない。いっくんの考えなんて必要?」
束からスルリと出てきた一夏を軽視する発言に篠ノ之束を知る千冬と箒の二人は疑念を抱く。
「姉さん、私は姉さんが名前を記憶しているのだから一夏も大事に思っていると思っていた。……貴女にとって一夏はなんなんだ」
「
束と自分達の認識の違いを改めて知った二人は絶句する。
「だってそうじゃん? ちーちゃんの足元にも及ばない凡才の分際で人の枠を超えた束さんとちーちゃんの傍をウロチョロするんだよ? 鬱陶しくて潰したいと思った事は何度だってあるよ。でもさ、ちーちゃんが溺愛してて、箒ちゃんが好意持ってたみたいだから仕方なく束さんの記憶容量を割いてあげただけだもん」
「し、しかしそれなら今の一夏は興味の対象なんでしょう。男でただ一人、ISを動かせるアイツは──」
「いっくんがIS動かせるのは束さんがロックを外して許可しただけだし特別でもなんでもないよ。受験会場が偶然IS学園と同じ場所で? 都合良く警備も付かずに放置されているISへ妨害無しにいっくんが接触できる確率? ……ある訳ないじゃない。ゼロだよ、ゼーロ。いっくんや監督役の教員に違和感を持たせないように思考誘導するくらい束さんならちょちょいのちょいだよ」
次々と束の口から漏れ出る真実に、箒は眩暈すら覚える。
「な、なんでそんな面倒な事を……」
「やだなぁ、決まってるじゃないか。全部ちーちゃんと箒ちゃんの為だよ。ブラコンのちーちゃんが寮生活で全然いっくんに合えない事で苛立ってたり、箒ちゃんがいっくんを想って悶々としてた事はバーッチリは把握してたからね。いっくんをIS学園に放り込めば一石二鳥でしょー?」
妹と自分が認めた人間の為だけにあれだけの騒ぎを引き起こしたと証言する束の発言に千冬が待ったをかけた。
「待て……その話が本当なら、男性も全員ISに乗れるはずだ。お前はなぜ男にISの使用できないようにしている? どうして女性限定にしたんだ」
「学会でインフィニット・ストラトスとこの束さんを小馬鹿にした連中が狭量な男達だったからさ! 偉そうに講釈垂れてISを否定した癖に自分達の利益になりそうな部分だけはちょろまかそうとした古狸達が、選ばれた人間気取りで意気揚々と暴れ出す女尊男卑主義者の雌豚共に次々と居場所を奪われて絶望していく姿はそれなりの気分転換になったよ」
束は自分の思い通りに踊り狂った人類の愚かさをケタケタと笑う。被害者も加害者もその全てが彼女にとっては喜劇の演者であった。
「安心したわ、篠ノ之束」
「あん?」
束の抱いた狂気を垣間見て沈黙する二人に代わって声を出したのは鈴だ。
「アンタ……結局は心の歪んだだけの、ただの人間だったのね。本当に人の心が分からないミュータントの類じゃない事が分かってちょっとだけホッとしたわ」
客観的な立場から束を測ろうとしていた鈴から見て、束のしでかした行為はスケールこそ世界規模だが、動機は子供でも理解ができる負の感情の発露だったのだ。自分が正しく評価されない事への不満、その癖に自分を利用しようと企む者達への怒り。そうした人間特有のエゴが引き金だったのだと知れた今、篠ノ之束は能力が高いだけの人間以外の何者でもなかった。
「……お前、束さんをそこらの凡人と同一視するとか死にたいのかな」
しかし篠ノ之束はそれを許さない。人類の頂点たる自分を凡人の物差しで測って、一人解った気になる小娘の言葉が癪に障る。鈴を睨み付けながら量子化を解いて日曜朝の少女アニメで見るような形状のステッキを取り出した。けったいな外観だが、篠ノ之束が殺意を抱いて取り出した以上は間違いなく危険物だ。
「教え子達に手を出すなら私が相手になるぞ、束」
一触即発。
世界最強と世界最高の殺気が正面からぶつかり、ひりつく空気を裂いたのは全力で駆けてきた山田真耶であった。慌てふためいていた事で空気を察せなかった事が彼女にとって救いだ。もし僅かでも理性的であれば、張り詰めた空気に息が詰まり、窒息症状を起こしていたかもしれない。
息も絶え絶えになりながら、真耶が伝えに来た内容は――
「お、織斑君が……織斑君がいなくなりました!」