盾勇異伝 (仮)   作:真鵐

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目次
I.N.  H.M.  R.  K.K.  G.  ?.  ?.




プロローグ(Everything began from Here.)

I.N. 彼の結末(End of the Hero.)

 

 

激しく炎が舞っている。

赤か、青か。....否。黒い炎だ。

何を燃やしているのか、何を燃やしていたのかも既に分からない。地平線の向こうまでそれは広がっているようだ。

 

太陽はなく、星の光が頭上を覆っていた。

何の冗談か月のようなものは半分に欠けて割れている。

死、特有の匂いがする。

見渡す限りは何もないのに、生き物が燃える匂いがする。

 

口の中がひどく渇いている。

今すぐ何か飲みたい気分だった。

そういえば、目の回りがやけに痛い。

涙を枯れ果てるまで流しきった後のようだ。

 

どうしても気になってそこを拭おうと、目を瞑って腕で強く擦った。

鈍い痛みがあって、どうしたものかと目を開けると、腕は真っ赤だった。

ひどい火傷を負っているのは元より、べったりと濁った血のようなものがこびりついている。そして何より、その腕は手首から先を失っていた。

 

 

「.......ッ」

 

 

衝撃に声を上げようとしたが、喉がつまって叫ぶこともままならない。

荒い呼吸だけを繰り返して、もう片方の腕に目をやれば。

 

 

「........」

 

 

手首から先、どころではなかった。

もはや肩からもぎ取られたかの如く。何も見当たらない。

慌てるより前に逆に頭が冷えてきて、そこでようやく疑問が湧いた。

どうしてこんな重傷を負っていて、なのに何故、肝心の傷口には痛みが感じられないのか。

 

ふと、下を見る。

良かった。いや、何も良くはないのだがともかく、下半身は大体無事だ。

気になるのは右足の足首から先が無いのと、左足が中途から千切れて少し離れた所に転がっている点だが、まあ。

 

それすらも今や些細な事である。...それよりも。

 

 

「........」

 

 

男の心中を簡潔に表すならば、こうだ。

 

これは俺なのか、と。

 

そう思うのも無理はない。

自分が何者なのかという事を今一思い出せないでいるのもあるが、自分の下半身を中心として広がる血の湖面....それに映った誰かの顔に、どうにも見覚えが無かったのだ。

 

皮膚が焼けただれて原型を想像できない顔。

色が抜け落ちたかのような真っ白の髪。

ボロボロに欠けて炭化しているかのように黒い、歯だったものたち。

やけに鮮烈な深紅を宿す瞳に、黒く塗りつぶされた結膜。

 

こっちを覗いているそいつはそんな悪魔のような姿をしていて、未だに血の涙の跡は消えていない。

 

やめてくれと叫びたかった。

まるで俺が、この俺が人間ではないみたいじゃないか。

まるで悪魔そのものじゃないかと、また泣きたくなってきた時に。

 

 

『いやぁ、よくもやってくれたもんだね。後に取っておいた好物をすんでのところで横取りされた気分だ』

 

 

むしろ感心するよ、とまで言う。怒ってるのか怒ってないのか、よく分からない口調のその声が、気持ち悪いくらいに頭の中に響いてくる。

ひどい吐き気に襲われると同時に、これまた最悪の痛みが腹の下あたりを突き抜ける。

 

 

「.....ッ!.........ッ!!」

 

 

腹の下から背中まで、何か輪郭のよく分からないものが貫通している。

 

絶叫しようにも声は出ない。

悶絶しようにも体は動いちゃくれなかった。

呼吸は強制的に止められて、心臓の音らしき鼓動が全身を痛みと共に滾らせる。

 

何者がこれをやったのか。

彼はそれを見定めんとして、顎を震わせながら顔を引き上げた。

 

 

「─────」

 

 

そこに立っていたのは、女だ。

ただの女ではない。彼も知っている顔で、死んだと思っていた筈の女だ。

 

そこまで思考が走って、驚愕に思考が止められて。

そうしてまた、疑問が渦巻く。

 

なぜ、彼女が。

なぜ、彼女を。

そして何故、俺は彼女に見覚えがある。

どうしてこんなにも、辛くて悲しいのに、切ない感情に支配されなくてはならないのだろう。

 

 

「あー.....なに、もしかしなくても記憶がとんじゃってる?.....しかたないよねぇ。勇者なんて言われちゃっても結局たかが人間だし」

 

 

意味の分からないことを、それは彼女の皮を被って口にする。

 

 

「だからといって容赦する訳にもいかないんだよね。ほら、悲しいかなコレ、生存と保身をかけた殺し合いってやつですし。弱者が絶対的強者に喰い潰されるのは世の摂理というか道理ってやつだし」

 

 

皮肉気な笑みと、僅かに優しさを含んだその瞳を、それは卑しく歪めていく。

やめてくれと懇願しようにも、それには人の心などもはや解るまい。

 

 

「まぁ、なんだ。無限に広がる可能性の中でも、君って存在が随分と危険な因子である事は十二分に理解できたつもりだよ。....“別の君”もどうやってかこっちに来ようとしてるみたいだし?面倒くさくなる前に、潰しかけの芽は丹念に踏み抜いてあげないとねえ」

 

 

腹を貫いていたものが、肩を足蹴にされて引き抜かれる。

ゆっくりと背中から倒れこみ、ばしゃりと。

男の体は血の海に浸かった。

 

 

「事は先伸ばしになっちゃったけど、君をヤれば少しは元手も取れるかなぁ。.....じゃ、さようなら。────どっかの世界の....“誰かさん”」

 

 

黒い炎の舞い踊る大地と、天に広がる星の海。

それが最後の、視界の全て。

男はもはや何を考えるのも億劫になって、理不尽を受け入れる用意を整える。

 

けれど、結局。

 

 

『────死なせません。あなたは、絶対に』

 

 

沈んだ石の屑を掬い上げるような、とある物語の幕が降りる。

届いたのはそんな、決意のこもった声だった。

 

 

「────────!」

 

 

今度こそ。

血の飛沫を交えながら、憤怒の絶叫を男は上げた。

何かが変わる予感を伴い、全てを取り戻した....その瞬間に。

 

 

「.........へえ」

 

 

男の姿は、燃え尽きるように掻き消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

H.M. 異界渡りの少女(The Girl of Planeswalker.)

 

 

例えるならばそこは....トンネル、もしくは換気塔だ。

ずっと上に、あるいはずっと下へと続く底無しの管。

落ちているのか、はたまた昇っているのかさえ分からなくなる浮遊感。

 

目に映るのは沢山の景色だ。

どこの世界のどこなのかも、全く不明。

幸福だったり、不幸だったり。

平穏だったり、凄惨だったり。

現実的だったり、夢のようだったりする。

そんな、無数のどこぞの景色である。

 

謂わば撮影した写真や動画を、片っ端から画面いっぱいに開いてみたイメージ。

そこには、1人の少女がいた。

引き締まった細身が健康的に日焼けした、成人したかしていないか、という位の外見だ。

 

無重力空間を押し流されるようにくるりくるりと回転しながら、右手に持ったキラリと光るそれ(・・)を、何に向けるでもなく額に添えて。

 

 

「むー.....」

 

 

悩んで、唸って、また唸って。

そうしてしばらくした頃に、彼女の表情は唐突にパッと花開いた。

 

 

ヒット(・・・)したぁ!!!」

 

 

歓喜の調子で声を上げ、少女は右手のそれを何もない中空へと“差し込む”。

 

 

「今度こそ会えますよ~に!....南無三!」

 

 

ガチャリ。

少女がそれを捻って回すと、そんな音が空間に響き渡る。

 

すると、どうしたことだろう。

彼女の正面に目眩い“光の穴”が空く。

 

その輝きは徐々に強さを増していき、更には光の線が2つ、上と下へと伸びていった。

やがてその線は彼女の身長の倍程度まで伸びたところで左右に分かれ、そのまま光の枠を形作る。

 

 

「よっし.....行くッスよ~」

 

 

それは、扉だ。神秘の形成。

異界へと繋がりし、紛うことなき光の扉。

扉は重苦しい音を一切上げず、スッと中央から向こう側へと押し開く。

 

少女は斯様な不思議も慣れたものと、意気揚々、扉の中へと飛び込んだ。

 

 

「そぉーれっ!」

 

 

果たしてそんな出入口の先に、あのトンネルにあったような景色は存在していたのか。

.....答えは。

 

 

「うっひゃ~....時期悪く第1回目の真っ最中でございましたかぁ」

 

 

こりゃ大変だ、などと軽口を叩きつつ、背後を確認。

もはや光の扉は消え去って、大きな大きな亀裂がそこに。

見れば亀裂の端からうじゃうじゃと、目を凝らさずとも人には見えない何かが、蠢き這い出るその 最中(さなか)

 

シュタッ。

高さに対してあり得ない小音を立てながら、少女は海の上.....否、海上に突き出た岩場へ着地。

一息つきつつ、蠢く者共の進行方向をいざ確認などしてみれば。

 

 

「むむむ....」

 

 

海が幾分浅いのか、海辺に上がってそのまま地上に進出してやがるこの有り様。

近くに村か町でもあるのなら、おそらくそこは壊滅しているであろう今日この頃である。

 

 

「見ちまったものは、しょうがないっスよねぇ。....デカブツはともかく、亀裂だけでも何とかしちゃいましょ!」

 

 

少女は1、2と屈伸し、上半身を軽く捻ってから深呼吸。

右手に“それ”があるのを確認し、今度はそれを口に咥える。

岩場の上でクラウチングなどして、身体の内に何かを巡らせた。

 

On your mark。

そしてset。

 

 

「レッツゴー!」

 

 

瞬間、岩場から少女の姿は消え去って、気味悪く赤紫に染まった空をバックに、巨大な亀裂の中央へと飛び上がる。

 

口に咥えたそれを取り、右手にぎゅっと握り締め。

 

 

解析開始(アクセス・オン)....!!」

 

 

亀裂の中へと、差し込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

R. あの娘との死別(Best friend's Bereavement.)

 

 

食糧さえあるのなら、人はどうにか生きていけるものだ。

たとえそれが無くなったとしても、尊厳さえ残っているのならまだ間一髪で生気を保てる。

 

その逆も然り。ただし、どちらも奪われてしまったなら大抵の者はどうでもよくなる。

生きるという希望への気力を失ってしまうのだ。

だが、僅かな者達は過去にすがる事で不屈の糸を繋ぎ止める。

 

星の灯りも、月の光も僅かに届かぬ地下牢にあって、か弱い2人の幼女はそれに該当するだろう。

 

 

「......ぇ」

 

 

その、筈だった。

 

何が愉しいのかひたすらに暴言を重ねて鞭打つ主人から解放され、気力も絶えかけ身体中の痛みすら他人事に思えてきた彼女にとって、それは正しく、最後に灯っていた蝋燭の火を吹き消されたのと同じ光景だった。

 

 

「......ね、ねぇ」

 

 

同じ牢に入れられているもう一人の幼女は、弱々しいながらも微笑んで彼女を迎えてくれる。

自分のを移してしまったせいで病を患ったその娘の、不屈とも言うべき忍耐力にどれだけ彼女が支えられてきたか。

 

もはや迎えてくれたのは、中空を見つめたまま動かぬ光無き眼球をこちらへと向けてくる、親友の死体だった。

 

 

「や.....やだ、よぉ....」

 

 

足が震える。立っていられない。

鼻をつくのは死体から漏れ出てしまったのだろう何かの匂いか。

 

鉄格子を後ろ手に掴んで姿勢を保とうとして、結局、腰から落ちて尻をつく。

 

 

「.......うそ、だよ、ね」

 

 

ゆっくりと、震えるだけで動かぬ足を無視して牢の床を這ってゆく。

友人の元へたどり着く頃には、胸の痛みと頭の痛みでおかしくなりそうだった。

 

 

「.....ああ...あああ」

 

 

言葉にならない声を上げながら、彼女は親友の頭から頬までを静かに撫でて、そして最後に、開いたままの目蓋を閉じた。

 

息はない。熱もない。命の灯火は、もはや消え失せた。

 

 

「うあああああ、あああああ.....」

 

 

友人を強く抱き締めて、腹の底から声を上げて泣いた。

一晩中、どこにそれだけの水分が残されていたのかと思うほどに涙を流して、誰かが牢を開けて怒鳴り付け、泣き喚く自分を蹴りに蹴るのも構わずに。

 

いつの間にか朝を迎えて、頬を伝うのがもはや血となっているのに気づいた頃。

 

 

「あら、あなたかしら。最後の子は」

 

 

突然、牢の向こうから声がかかる。

もう振り返る気力もなくて、彼女はぼんやりと、己の血の涙が滴った親友の死に顔を見つめ続ける。

 

鉄格子の扉が、ギイと嫌な音を響かせる。

入ってきた女らしきその人物は、ひどい悪臭を気にもとめずに近づいてきた。

 

 

「.....違うわね。必要なのはこっちの.....」

 

 

一瞬、女の息がつまったような、そんな音。

 

 

「死んでるのね、この子。.....やっと見つけたと思えば、とんだ徒労に終わったか。でも....」

 

 

女の鋭い視線を感じた。

それでも彼女の身体と心はピクリとも反応をしなくなっていたが、先ほどから独り言をやめないそれが煩わしくて、ゆっくりと。

 

“失せろ”という意思を大いに込めて、視線をその女にぶつけ返した。

 

 

「....ふふふっ。...良い目をしてるじゃないの。本命じゃないけど、あの人も喜びそうだわ。悪くない掘り出し物、ね」

 

 

そう言って、不気味な雰囲気のその女は牢から出ていった。性懲りもなく戻ってきたのは半日が経った後。

数人の男を連れてきた女は彼らに命じ、彼女を親友の遺体から引き剥がした。

 

 

「やあッ!!さわるな!離してえッ!!」

 

 

ゴトリ。

鈍い音をたてて、友人の死体が低い石の寝台から転がり落ちる。

手を伸ばして泣き叫んでも、距離はただただ開いていって。

 

 

「置いて、いかないでぇ!!...友達、なの!私の...わたしの友達がッ!!あそこにいるのぉ....ッ!!」

 

 

置いていくなという彼女の言葉が、友人の遺体を指しているのか、あるいは逝った友人に対する自分自身なのか。

それを知る者はいない。

少なくとも、男共やあの女には到底分かる筈もなく、理解するつもりさえない話だった。

 

 

「........」

 

 

目を覚ましたのが一体いつで、そもそもここはどこで、自分は生きているのか死んでいるのか。

それすらも考える気力が失せた彼女を、灯りのついていない豪華な一室は静寂と共に迎える。

 

幽鬼の如く身を起こし、彼女は部屋を見渡した。

見たことのない、高価な家具の揃いに揃った広い部屋。

月の光が差し込む窓辺の先、バルコニーと思しきその場所に、何かがいる。

 

 

「.......おや」

 

 

それは男の後ろ姿。

背の高い、長い髪の、緑の瞳の男がこちらに振り向く。

 

 

「こちらに来る時に、栄養剤やら薬やら飲まされたと思うんだが。.....調子はどうだ、ん?」

 

「........」

 

「.....だんまりか。いや、しかし。報告の通り、良い目をしてるなあ。昔のオレとそっくりだ」

 

 

男はくっくと喉を鳴らして笑い、タバコか何かに火をつけた。

彼の言葉に自分がどんな表情をしているのか、僅かに疑問を抱くも、すぐに消える。どうでもよかった。

自分の事も、誰かの事も、全部忘れて眠ってしまいたかった。

 

夢の中ならば、幸せだった過去へときっと戻れる。

もうこの世にいない親友にも、必ず会えよう。

そうしてもう一生、眠りから覚める事が、なくなれば。

 

 

「ようこそ。憎悪の目をしたお嬢さん。...ここはゼルトブルの最高階層。世界でも有数の金持ちしか住めないような、謂わば“天上の国”ってやつだ」

 

 

天国なんて、この世のどこにあるというのだろう。

己の欲や思想に従い、他者を圧して他者から奪い、根こそぎ吸っては塵同然に捨て去っていく。

そんな獣よりも醜悪な生き物が跋扈するこの世界に、仮にもそんな綺麗事が存在するのなら、それはきっと誰かが作り出したものに他あるまい。

 

何者かに用意された天上の国とは、果たしてささやかな幸福を万人が享受できる場所であろうか?

ありえない。まずもって無い。少なくともこの男の言う天国は、貧乏人や弱者を受け入れる事などあり得まい。

 

 

「....いいねえ。ますます、いい眼だ。...天国なんてある訳ない。享受するのは一部のみ。世界も人も、平等な形なんぞ作れない。不平等だからこそ世界は公平足り得ている」

 

「........」

 

「富む者がいれば貧者がいる。幸せがあるなら不幸も起きる。生きる者がいるなら死ぬ者がいるし、捨てられる者がいるなら....拾われる者もいる訳だ」

 

 

......わたしを。

 

 

「おや....」

 

 

............わたしを拾って、何になるの?

 

 

「........そりゃあ、もう」

 

 

男の顔が、愉快そうに歪んでいる。

笑っているのに、その瞳だけは、どす黒い怒りに染まって、充ち満ちている。

 

あれは、もしや。

もしや自身と同じモノなのではないかと。

 

 

自分(てめえ)都合(しあわせ)だけ見て幸せ(みらい)なんて高尚なモン掴もうとしてるクソ共は、片っ端から燃やして不幸(さいてい)沼底(どんぞこ)に引きずり込んでやろうってな。.....皆みーんな不幸になっちまえば、たとえ報われないと知ってたって、もがいて生きる気力ぐらいは湧いてくるかもしれんだろう?」

 

 

彼女なら、男の同類になれるかもしれない。

目蓋の裏と腹の奥で蠢く、憤怒と怨嗟に身を任せるがいい。

唯一自由なのは感情だ。どれほど堅牢な檻の中でも、揺れ動く感情だけは死ぬまで縛る事はできないのだから。

 

 

「家を壊され、家族を奪われ、親しい友を失い、尊厳すらも踏みにじられた。他者によって、世界によってそれが為されたのなら、君にだって権利や資格は勿論あるさ」

 

 

生きる権利では、断じてない。

弱者が不幸となり死んでいくのは弱いからだ。どれだけ社会が安定しようと、弱肉強食の本質は変わる事がない。

弱者が弱者であり、強者が強者であるからこそ世界は公平足り得ている。そうして均衡という名のバランスが保たれる。

 

幸せになる資格でも、断じてない。

光ある所に影があり、幸せが生まれれば不幸もまた生まれ出る。

不幸な者が幸せを求めるならば代償を支払わねばならず、幸ある者にも幸なき者にも害を及ぼし、やがてそれは波及する。

 

輪廻(サイクル)均衡(バランス)、そして最頂(トップ)最底(ボトム)

それに組み込まれなければならないのが、力無き者達の運命だとしても。

 

 

「外と内から環を壊し、腐りきった安寧を崩して、上から見下ろす者共を下へ下へと引きずり下ろす。スカッと殺してごっそり奪い、空気も読まず滅多矢鱈に引っ掻き回し、幸も不幸もありゃしない....綺麗さっぱり何にもねえ更地に変えちまおう」

 

 

そんで俺達ゃ、大満足して新天地へ向け、トンズラだ。

 

 

「──────」

 

 

静まりかえっていた心臓が、鼓動と熱を取り戻す。

少女の目蓋の裏に、男の愛憎混じった笑顔が焼き付いていく。

 

男はタバコを燃やし捨て、バルコニーから部屋へと入ってきた。

少女の座るベッドの横に腰を下ろして、彼は握手を求めるように手を伸ばす。

 

 

「さて。改めて自己紹介といこうじゃないか。憎悪の目をしたお嬢さん。────君の、名前は?」

 

 

少女の脳裏に、死んだ親友の顔が浮かぶ。

よく一緒に遊んでいた犬耳の子も、失った家族や、遠い日の夢も。共に打ち立てた、あの旗も。

 

奪われた。全て奪われた。ならば私はどうしたい?

生きる事を諦めて、過去を慈しんで、それでどうなる?

 

私は。

 

わたしは───。

 

わたしの望みは────。

 

 

「私の、名前は──────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K.K. どこかの誰かのご帰還に(Welcome Back, a Somebody.)

 

 

それは夜明けも夜明け、朝の事。

元々城塞としての運用を期待されて作られたとの話であるこの迷宮が、暴走を起こしたから脱出不可能になりました、などと言われつつ朝も昼も夕方も夜までちゃんと来てしまうものだから、長期間ここで暮らしている立場としては時間の目安を知りやすい分助かってはいるのだけれども。

 

基本的に決まった時間に起床や就寝をする必要が無くなってしまったおかげで、少女の生活サイクルはかなり乱れていた。

とは言え、十分な食事と睡眠さえ取れるのならば、病気さえしなければ、生活習慣がいくら乱れていようとも健康を維持できてしまうのが人間というやつで。

 

こんな夜が明けてすぐの時間に目が冴えてしまった偶然にも、彼女は何の感慨も浮かばない訳だが。

 

 

「今日はどうするかな~。遠征するにはもうちょっと準備したいし....」

 

 

彼女がこの“無限迷宮”なる性質の悪い牢獄空間に閉じ込められてから早くも一年と半年近く。

正直言えば日数など数えるのはやめてしまったので正確な数字はもはや知る由もないのだけれど、何もしないという行いがどうにも耐えられなかった彼女自身としては、迷宮ならば頑張ればきっと攻略できる筈!などと希望的観測の下、周辺探索もといソロの冒険を続けてみた次第。

 

結果は芳しくなく、単独では危険極まりなさそうな仕掛けのある遺跡と転移装置を発見したくらいで。

条件的に彼女1人では動かす事も出来ない仕掛けであるからして、必然、探索の方針を変えるしかなくなったのである。

 

 

「手持ちの物資と装備ボーナス、あとは虎の子の御札に....こっちはあんま使いたくないけど、強化に使ってきた御札を引き剥がすかなぁ....」

 

 

いざいざ、海中探索!などと気勢を上げられるほどの元気もない。

しかしながら次の課題は目の前に広がるだだっ広い海の探索である。

 

地上にあれだけの意味ありげな仕掛けが用意されていたのだ。海の底にだって何かはあるに違いない、何かは。

それで迷宮から出られるのかはやっぱり不明だが、何もやらないよりはマシ。大分、大分、マシ。精神衛生上も。

 

 

「........およ、およよ?」

 

 

少女にとってはかなり昔にやっていたアニメ作品、その主人公たる剣士キャラの真似などしつつ驚いてみる。

というのも、ここに幽閉されてから感じた覚えのない違和感が彼女を襲ったからだ。

 

何かが入ってくる。

何が?分かるわけがない。

人間?魔物?できれば前者であってほしい。

 

どこから?おそらくは上。頭上の遥か、上。

 

 

「.....あ!あれ、かな?」

 

 

漫画やアニメよろしくキランと光って落ちている訳ではないが、武器の力で視力が強化されている彼女にはそれが視認できていた。

 

まず形状は間違いなく人型。七割五分で人間と見る。

それが随分な速度を出して降下してくる。

所謂、海に真っ逆さまのスカイダイビングだ。

物理学的には先ずもって助からない。目視の高さからしても相当の速度だし、海面に叩きつけられれば一瞬で血の花火と化すだろう。

 

ヒューと口笛を1つ吹いてみる。

 

 

「へへっ、こんちは。今迎えに行きますよっと....!」

 

 

久々に誰かと会えるかもしれないという期待が少女のテンションを引き上げる。

とは言えこのままでは、おそらく人間であろう彼の御仁は死ぬだけだ。それでは良くない。よろしくない。御仁にとっても、彼女自身にとっても。

 

少女は決意も早々、僅かな助走を経て砂浜を蹴る。

魔力装填、循環開始。

聖なる武器の力もあって、身体能力は常人のそれとは比べるべくもない。

 

跳躍(ジャンプ)というよりは高速移動(クイック・ムーヴ)。魔力を操作し、砂浜から海面へ翔び、更には海面すらも蹴って翔ぶ。

目視で大まかに落下位置を予測し、更に翔んで距離を離す。肝要なのは海辺の位置と落下位置、そして己のスタート位置の三点。己に関しては速度にタイミングも、また重要だが。

 

 

「いっくぞぉ....!!!」

 

 

海面走行もほどほどに、勢いつけて踵を返す。

イメージは短距離走からの立ち幅跳び。

体力測定のそれと違うのは、立ち幅跳びの後に高速度の落下物をどうにかキャッチでもして落下衝突を避けねばならないというあたり。

 

 

「いっせーのーせっ!!」

 

 

足に溜め込んだ魔力を放ち、推進剤代わりにして跳躍力を増す。

目標との距離もそれなりに近づいた所で、彼女は作戦その1を懐から擲つ。

 

それは三枚の御札だった。

虎の子の一部であり、元々は友人の空飛ぶ船から不意に落っこちた際に使う為の非常用。

コントロールに不安はあったが、ほとんど真下の位置から投げた札は無事に命中。三枚の札はそれぞれ光を放ち、パラシュートもどきへと姿を変えた。

 

 

「オーライ!オーライ!」

 

 

目標はそれなりに減速した模様。

相も変わらず速度はあるが、少女にとっては既に十分なレベル。

いよいよ近づいてきた所に、続けて彼女は作戦その2を実行した。

 

 

「一式・投網(とあみ)打ち!二式・投網打ち!三式・投網打ちィ!」

 

 

目標の防御ステータスが低い可能性を考慮し、出来る限りの柔い材質の漁網に変化。

捕縛用スキルを三連続で発動し、破れる確率を下げた。

 

狙い通り、目標は傷付けずに確保完了。後の問題はこの速度だ。

魔力を回して腕力を上げ、網に巻かれた目標をしっかと小脇に抱える。

次いで漁網を変化させ、常日頃より愛用の釣竿へ。

 

 

「さあ、君はどこへ落ちたい?」

 

 

ぶっつけ本番という奴だが、また一昔前のアニメの台詞が口をついて出る程度には慌てず対応出来ている。

しかしながら状況が状況の為、フォームなど気にする余裕も無し。少女の華奢なその身は腕をしならせ、力強く竿をスイングした。

 

キャストされたその先にあるのは、海辺から少し離れた場所に生えた木だ。

ぐんぐん伸びた釣糸は彼女の意図を汲むように木へと巻き付き、最後にはフックを引っかける。

 

 

「よし来た!」

 

 

電動リールよろしく釣糸を巻き戻し、その勢いを利用しつつ宙をかっ翔ぶ。

これぞ作戦その3、海面衝突を避ける為の強引なルート変更であった。

 

 

「一式・落とし穴!二式・落とし穴!三式・落とし穴!」

 

 

そして最後はすっぽりと着地しやすい穴作り。

本来は複数の敵を小さな落とし穴にかけて動きの阻害をするスキルだが、今回は同じ地点にそれなりの角度をつけつつ念の為にと三連掛け。

 

お陰でそれなりの深さを持った穴が砂浜に空く。

少女はそこに、網に巻かれた目標ごと突っ込んで、同時に釣竿を鮪包丁へと変化させた。

 

 

「よいしょ!」

 

 

身を捻って、包丁を地面に突き立てる。

海辺の砂らしく抵抗がない。かなり滑って、ようやく止まってくれた。

 

 

「ふぃ~....ミッションコンプリートってね」

 

 

これにて救出(おむかえ)は完了。

網でよくは見えないが、怪我も恐らくは無し。

 

穴に角度をつけておいたのも正解だった。

この網に巻かれた誰かさんをずりずりと引き摺りながらでも、歩いて登れる程度である。

 

彼女は穴を出て、いよいよ顔を出し始めたお天道様から光を浴びる。

ずりずり、ずりずり。

穴からやや離れた砂浜で歩を止めて、少女は網を捲って解いてゆく。

 

 

「ご開帳~。失礼しますよーっと」

 

 

頼むから生きている人であってくれと心の内で懇願しながら、彼女が最後の網を解きひらくと。

 

 

「....うっひゃあ」

 

 

半分は純粋に驚愕で、もう半分は期待を下回った事への落胆で。

それは勿論、美少年や美少女だったり、筋肉青年や爆乳美女だったりを期待してた訳ではないのだけれど。

 

一見して彼女に判ったのは、その人物がちゃんと生きていて、そして人間で、性別は男で。

 

 

「これってたぶん....いやぁ、もしかしなくても....」

 

 

それなりの体格に、一目で肥満と分かるお腹周り。

間違っても美形とは言えない平凡な顔をした───。

 

 

「────日本人(御同郷)じゃん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

G. 決意の出陣(Beginning of The War Game.)

 

 

「どうしたもんだかなぁ」

 

 

そんな間の抜けた声が、静けさ漂う無人の堂にて響き渡る。

荘厳なりし玉座の間。王のみが座す事を許されるその椅子に、深紅の髪を持つ精悍な顔立ちの男が腰を落ち着けている。

 

行儀も悪く足を組み、その上、肘を立て頬杖ついての憂い顔。

異様なのは、男の肩に大きな鎌が立て掛けられているあたり。

 

彼は唐突に己の頭を掻き殴ると、鎌を杖代わりに立ち上がる。

軽く息を吸い、肺に取り込んだ空気をゆっくり吐き出した。

 

 

「何がです」

 

「おぅわッ!?」

 

 

奇声を上げながら飛び退いた男に、声をかけた者がまさかの玉座の後背から姿を現した。

漆黒の長髪、紅き眼に白き肌。これまた黒い着物が似合うその女性の姿に、彼は安堵しつつも溜め息を返した。

 

 

「誰かと思えば...嬢ちゃんか。脅かすなよ、しかも俺の背後を取りやがって....つか、いつから居た」

 

「貴方が頭を抱えていた間、ずっと後ろにおりましたとも。まったく....」

 

 

長考を始めると周囲への注意が疎かになるのは悪い癖ですよ、などと扇で口元を隠して彼女は語る。

この友人が武人としての手練れたる事は彼も十分に承知していたが、まさか玉座の裏まで近づかれて気配も察知できぬとは。

 

彼女が仮に暗殺者などであったなら、己の命はとうに刈り取られている。聖なる武具の一種である鎌を持つ者として、これでは何とも情けない。

 

舌打ちを1つ。腕を組み、男は軽く項垂れた。

 

 

「俺がこうなってる理由ぐらい、嬢ちゃんなら分かんだろ」

 

「.....その話は、既に結論が出ている筈ですよ。シクール陛下(・・・・・・)

 

「だあああああ、言うな言うな!即位したっつっても(まつりごと)はほとんど宰相の伯父貴(おじき)殿に預けてんだからよぉ....」

 

 

こう見えてこの男、真に一国の主となった者なれば。

 

本人は元より乗り気ではなかったのだが、武に優れ、且つ“仁徳の君”と称えられた先王....つまりは、青年の父御が急逝された。

これを境に、これまで自由奔放・勝手気侭の腕白小僧として市井の者達に親しまれてきたこの男を、周囲がぐいぐいと王権に引っ張り上げたのである。

彼の教育係でもあった宰相を初めとする為政者周辺から始まって、彼を身近によく知る城下の若者達やご老人、果ては小さな子供等までもが揃いも揃って、国の長にと彼を推薦・推挙した。

 

なにせこの男、複数の隣国と同盟を締結した父王に比べ、敵を作らぬという意味での仁徳はいまだに未熟だが、代わりに父御以上の人徳に恵まれていた。

自然体として如何なる者をも対等に扱い接する事の出来るこの気の良い若者に、多くの民は先王とはまた別のカリスマを感じていたのだ。

 

 

「つーかな、まだ俺は納得しちゃいねえぞ!」

 

「貴方が納得しようがしまいが、連合決議にて下された我ら全員の意思なのです。従わぬなら、それは鎌の眷族器....延いてはシクール国の反逆とも見なされるでしょう」

 

「.....分かってるさ。連合の一角を担う国主として、その意思には従う。だが....」

 

 

これもまた、この男の長所であり同時に短所でもあると、彼女は思う。

 

彼らの言う“連合”とは、男の統べるシクール国に加えて隣国のセンを含めた複数の国家による同盟体制を指しているが、これの大いなる目的とはすなわち....世界の守護。転じて、他世界への侵攻であった。

しかも頭の痛い問題として、攻め入る方の役目を負ったのがこの男と女性の2人なのである。

 

若干2名などという戦力で他の世界を何とするという話だが、この2人に関しては特別だ。

寧ろ大部隊を率いた場合のリスクが高いからこその少数精鋭。且つ、侵攻・殲滅と潜入・暗殺を兼ねた謂わば両面作戦である。

 

ただし、この男がこうも渋っているのはそういった過程というよりも結果の方だった。

 

 

「やっぱり暗殺なんてのぁ俺の性に合わねえ。だから乗り込む。向こうを巡って、向こうの奴らとちゃんと出会って、見定める」

 

 

打倒すべき対象はたったの4名。

されど討ち果たした末の犠牲となる命は、数える事すら憚られる程に、無数。

 

それでもやるしかない。

解決の糸口などという淡い希望が無い以上、やるしかないのだ。

もはや事態は風雲急を告げている。否、既に手遅れ一歩手前やも知れぬのだから。

 

しかし、それでも(・・・・)

 

それでも彼は諦めたくなどなかったし。

それでも多くを背負ってしまった立場上、取捨選択というものをしなければならなかった。

 

 

「そんでもって、どうしても殺らなきゃならないのなら.....割り切る」

 

「....何を、ですか」

 

「要は言い訳を捨てるって話だぜ、嬢ちゃん」

 

 

一を屠れば、一が死ぬ。

此度の戦は斯様な単純の代物にはあらず。

 

四を屠り、屠りきったならば一のみならず全が死す。

何一つ知らず、関係を持つ事もない無辜の民草さえも。

男も、女も、子供も、老人も、分け隔てなど非情にも無く。

 

それは罪だ。

人の定めた法に基づく罪にはあらず、文字通りの“死の大罪”。

たとえ己が世界を護る為としても度を外れた、人の道を外した獣の思考。生存競争にして弱肉強食の、極まった形。

 

 

「聖武器だ、眷族器だ、世界を護る要だなんて美化した所で、結局俺達のやろうとしてる事はシンプルに一言で説明がついちまう」

 

 

侵攻、侵略。されど略奪は為さず、殲滅のみ成せ。

ならばその業を称えるとすれば何と呼ぶ?

 

 

「殺人?.....いいや、殺戮だ。この世界で“勇者”だなんて呼ばれてる俺達が、この世界の為に、別の世界に生きる顔も名前も知らねえ奴らを、間接的にとはいえ鏖殺しなけりゃあならん」

 

 

身籠る母や無垢なる子供も、生を受けて間もない赤ん坊さえ。

 

 

「だったら俺達ゃ、覚悟しなきゃなるめえよ。....嬢ちゃんよ、お前さんが別の世界とそこに生きてる奴らを犠牲にしてまで、この世界を護りたい理由は何だ」

 

「....無論です。“あの娘が帰る場所を、失わない”為に」

 

「....それを当のアイツが、望まないとしてもか」

 

「..........」

 

 

彼女は想う。生き別れとなって久しい、最愛の友人を。

あの純粋で優しい娘の事だ、他の世界の命を奪い、これを対価に世界を救うなど言語道断と。

そう言うやもしれない。....いや、間違いなく言って退けてしまうだろう。

 

そうして足掻いて、また足掻いて、最終的に何もかもが間に合わなくなってしまっても、それでも最期まで立ち上がる。

アレはそういう人だ。だからこそ彼女は好いていた。否、愛している。

友人としても、そして1人の人間としても。

 

 

「ええ、そうです。あの娘がそれを望まないとしても、それでも私は世界を護る。罪無き人々の未来を閉ざし、新たなる命の息吹さえも、止めて御覧に入れましょう」

 

 

たとえあの娘が私を嫌い、この頬を強く引っ叩いたとて。

それでも後悔はすまい。....してはならないのだ。

彼女は思う。他に選択肢など、無いのだから。

 

 

「.....それだよ、それ」

 

「....?」

 

「まるで“選択肢は無かった”んだから“しょうがない”と言わんばかりの、その顔だ」

 

 

きゅっと、白く細い指が着物の袖を思わず握り締める。

 

彼女とて当然に、殺戮などはしたくないのだ。

曲がりなりにも剛健質実・清廉潔白を旨とするよう叩きこまれてきた身の一人として、結果的にとはいえ罪無き人々を滅ぼす所業が、許される筈はないのである。

 

だが、仕方がない。

方法がない。時間もない。何が正しいのかも分からない。

斯様な決断を勇者に迫るこの世界の仕組みそのものが、全く実に厭わしい。

仕方がない。....仕方がないではないか。

この世界の滅びの運命を回避し、尚且つ他世界の蹂躙さえも回避する。そんな理想論を叶える方法があるなら教えてほしい。

 

 

「確かに俺達は、もはや選択の余地も無いような苦境に立たされちまった。望む望まないに、かかわらずだ」

 

 

だがな、と一拍置いて。

彼は鎌をぐるりと回し、肩に担ぐようにして両手を引っ掛けた。

 

 

「それでも決めた。選んだ(・・・)んだよ。俺も...嬢ちゃんも」

 

 

世界を護る事じゃない。

世界を救う事でもない。

 

天秤にかけ、犠牲を強いる事。

勇者でも、英雄でもない────ただの殺戮者に堕ちる事を。

 

 

「決めちまったからにゃあ、そんな仏頂面はしちゃいけねえよ。仕方がないから勘弁してくれなんて、そんな言い訳を俺達だけはしちゃいけねえんだ」

 

 

罪悪感を捨てろと言っている訳ではない。

 

皆、そうだ。連合の誰しもが、表向きには冷徹な思考の下に他世界の滅亡を良しとした。しかしながら、罪悪感を全く持たぬ訳でもない。

全ては世界が迫った運命故に、それ故我らに罪はなし。これは文明と人命を左右する、真に致し方ない事なのだと。

 

彼の伯父貴殿さえもが首を縦に振るしかなかったこの命題に、それでもこの男だけは納得しようとしなかった。

 

 

「.....ならば、一体どうしろと言うのです。我が戦友(とも)よ」

 

「....言っただろ。割り切る事だ。受け入れる事だ。勇者としてでもない、アイツの誇ってくれた仲間としてでもない。....ただの、前代未聞の殺戮者として」

 

 

歴史にこの名を刻まねばならない。

そう、男は言い放つ。

 

 

「ちゃんと出会って、きっちり話して、きちんと腹の底を見せ合って.....俺自身の意思で、殺すと決める」

 

 

言い訳はしない。

 

男にしたって、望みがある。

親父殿が遺したこの故郷を守りきり、国の皆と一緒に幸せになりたい。

良き王でありたい。心より愛する、娶りたい女性だっているのだ。

 

全てを終えた後の己に、そんな幸福を享受する権利があるかは分からない。それこそ、罪悪感というやつに押し潰されてしまうかも知れない。

それでも、やるのだ。最後まで納得はできずとも、それでも受け入れ、前へと進もう。

 

 

「だからせいぜい、楽しむ(・・・)さ。向こうの奴らとの触れ合いも、未来を懸けた殺し合いも...な」

 

 

そう言って、男は不敵に笑ってみせた。

 

話自体は分からぬ事でもない。

罪悪感を抱えたまま破滅の道を往く位なら、己が悪業を受け入れよ。救世者としての道を捨て、殺戮者の汚名を背負うのだと。

 

しかし最後の言葉だけは、どうしても彼女にとって理解し難いものだった。

思わず、目線を下ろして口に出す。

 

 

「.....強いのですね、貴方は。“心”、“技”、“体”....特に心が。まるで、鋼が水流の如く形を変えているかのよう」

 

 

この男のそういう在り方に、彼女も、あの娘も、随分と助けられたものだ。

彼がいなければ、今でこそ各地へと散った“仲間”と呼べる同胞達とは(えにし)を結ぶ事も出来ず、かつての戦は大敗を喫していたやも知れぬ。

 

それも、彼の得意とする“人を見る目”とやらがあったればこそだった。

逆にそれは、相対する者の大抵の嘘偽りを見抜けてしまう事でもあったが。

 

 

「貴方の言う通り....納得はしていても、己が行いとその結果を思うと足が竦むのです。命の奪い合いを楽しむなど到底、私には....」

 

 

大切なモノの優先順位、というだけの話ではなかった。

このまま世界が滅びては、彼女自身にも大きな未練が残ってしまう。それは言わずもがな、最愛の友人の事だ。

 

死ぬのはよい。滅びるもよかろう。

ただ1つ、あの娘と共に在れぬ内は駄目だ。

この命が尽きるなら、せめてあの娘の隣でありたい。

それが今の彼女の全であり、たった1つの我が儘だった。

 

そう。

こんな我が儘の為に、彼女の心は納得をしてしまった。

抵抗の有無よりも先に、その本心が受け入れた。

滅び逝く運命の我が世界を救う為、などという建前をして、彼女の本心に都合が良かっただけなのである。

 

女性の暗い表情に、男は片目を瞑り、頬を掻く。

そして苦笑を浮かべてから、ふうと小さく息を吐いた。

 

 

「俺より手先は器用なくせに、生き方ばかりは不器用なんだもんなあ、嬢ちゃんは」

 

 

あの娘がこの世界に現れて、より。

もう、数年の付き合いになる戦友の一人だ。

それがどのような考えを持ち、何を最も大事と置くか。全てとはいかずとも、男にはそれなりに理解をしている自信というやつがあった。

 

かといって、友の為すべきは導く事にはあらず。

ただ隣を歩む者。手を繋ぎ、肩を組み、転びそうなら手を貸してやる。

それが友、それが仲間なのだから。

 

 

「すぐに割り切れとは言わんさ。そうだな、先ずは互いに背負う所から始めりゃいい。....ほれ」

 

 

男が親指を立てて、玉座の間の入り口を指差す。

日差し差し込むその場所に、一人の女性が立っている。

 

 

「貴女は....」

 

「数日ぶりね、御二人共。只今、帰参致しました」

 

 

空色の髪、額に埋まった輝く昌石。

一礼した後、二人の元へと歩み寄る彼女もまた、戦友の一人である。

 

男は嬉しげに笑顔を見せて、鎌を再び肩へと掛ける。

 

 

「よう、首尾はどうだ?顔見りゃ何となくは分かるが」

 

「ええ!問題なしよ。許可も下りたわ」

 

 

何の話だ、という意思を込め、紅の眼を男へ向けつつ首を傾げる。

男は視線に気付くと、再び女性に目配せをし、一歩下がった。

 

空色の彼女が美しい佇まいで微笑み、静かに告げる。

 

 

「災厄の波における他世界への侵攻....潜入任務に、私も同行します」

 

「な、なんと.....」

 

 

波という現象に関する古き伝承と記録、それらを読み解いても尚、他世界へ侵攻した先達の記述は見当たらなかった。

何が起こるか、分からない。そんな真理はこの世界の中とて同じだが、悪くなれば状況によっては帰還する事も出来なくなる可能性があった。

 

勝手知ったる他人の家ともいかないのだから、行ってみなければ何も分からぬ。

実験的な意味合いもあって、それ故に、勇者たる彼女と男の2人のみでの作戦だった筈。

しかし、何より───。

 

 

「.....よいのですか。此度の戦、これまでのものとは訳が違う。事が成った暁には、歴史上、最悪の罪を犯した者として名が残るのですよ」

 

 

大量殺戮者。

こちらの世界では救世の英雄などと捻じ曲げられてしまうだろうが、行いの本質や事実は変わらない。全て歴史に表れよう。

 

空色の彼女は僅かな間、目蓋を閉じて、手首に飾られた腕輪の宝石にそっと触れた。

 

 

「構わない、と言えば嘘になりますね。...でも、そんな大事だからこそ、あなた達二人だけに背負わせる訳にはいきませんよ。....私が支えます。御二人の背中を、護りますとも」

 

 

仲間ですから。

 

そう、決意の表情で彼女は告げた。

最愛の友を思い出す。あの娘は自らの手で人を討つ事が出来ぬというのに、仲間に危険が及べば迷わず渦中へ飛び込んだ。己の命も顧みずに。

そんな時はいつだってこう言うのだ。

 

仲間なんだから、笑っていてほしいじゃないか、と。

 

 

「.....ありがとう、ございます」

 

 

胸の奥へと広がる暖かな熱を、仄かに感じる。

感謝の言葉も、頬笑みと一緒に溢れ出た。

 

 

「ちったぁ、肩の荷も降りんだろ。1人仲間が増えただけでもよ」

 

「....ええ、そうですね」

 

 

見守っていた男の気遣いの一言に、彼女も今度こそ同意した。

 

受け入れ、割り切れるかは分からない。

しかしそれでも、共に背負ってくれる仲間がここにいる。

であれば、背中を預ける。預けられる。

 

 

「そう言えば、宰相様がお待ちになってらっしゃったわ。“若はいずこに”って」

 

「....相変わらず呼び方変えねえな、アイツら」

 

 

クスクスと笑う空色の彼女に、肩を竦める紅髪の男。

 

出撃の刻は近い。

今回の作戦は二人の勇者を他世界へ恙無く送り出す為、連合の軍が波の対処に戦力を大幅に割いてくれる。

世界へ散った仲間の一部がバックアップとして前線に合流する報告もあり、そちらに大物は任せられるだろう。

 

そして連合軍はこのシクール国首都へと足並みを揃えている。率いるのは宰相や各将軍に任せられるとしても、(つわもの)達の戦意・士気を高め、鼓舞をするのは男と彼女の務めだった。

 

 

「んじゃ、その前に」

 

 

男はおもむろに拳を突き出す。

すぐさま意図を察して、空色の彼女も同様に。

そうして二人の視線に急かされて、彼女も扇を持たぬ方の手を差し出した。

きゅ、と握り締めた白い拳が、二つの拳とぶつかり、繋がる。

 

最愛の友人含め、仲間内でよく交わした戦前の儀礼のようなものだ。

すると、男が思い出したように言った。

 

 

「さっきの問答の結論だがよ、あと俺から嬢ちゃんに言ってやれんのは....そうだな。向こうの奴らと殺り合って、もしも嬢ちゃんと互角に渡り合えるような猛者と会えたなら....そいつとの決着がつく最後の最後の瞬間までは、全部忘れな」

 

「え....?」

 

「割り切るのが難しいってんなら、せめて戦ってる間だけは全部忘れて、一介の武人として全身全霊をかけりゃいい。...良いもんだぞぉ?死力を尽くし、好敵手と鎬を削り合うってのはよ」

 

 

考えもしなかった事だ。

互いの世界の運命を懸ける以上、殺し合うという関係は避け得ず、また変えられない。

だがそれでも、男は戦を“楽しめ”と言う。

 

勇者としてでも、殺戮者としてでもない。

ただ1人の純粋な武人としてぶつかり合う事が、その一時だけは許されるというのだろうか。

 

まあ、いいや。

男はそう言って、二人の女性の顔を交互に見やる。

 

 

「これより我らは戦に参る。各々、抜かりなく。そして必ずや、生きて戻るべし」

 

「はい」

 

「....無論、承知!」

 

 

拳は離れ、それぞれが玉座の間より歩き出す。

目指すは隣国。未知の世界へ通じる、災厄の波へ。

 

 

「────いざ、出陣だ!」

 

 

歩み始めた二人の背中を眺めながら、彼女は思う。

 

好敵手。

先ほど男の言っていたそれを、心の中で反芻する。

果たして、そう成り得る存在がいるものか。

 

自惚れているつもりはない。

いまだ未熟。精進を止めるほどの自信を、彼女自身が持ち合わせてはいない。

しかしながら、仲間達との共闘の末にとはいえ、かつて世界に君臨した魔の王を打倒した功績と実力を備える、その自覚はあるのだ。

 

生半可な相手に敗れるつもりは毛頭無い。

こちらとて、柔な鍛え方はしていないのだ。

 

 

「良き戦士と巡り会える事を、祈りましょうか」

 

 

高潔なる者か、あるいは非道なる者か。...どちらにせよだ。

彼女の足元にも及ばぬのならそれは勇者足り得ない。

自身よりも遥かに強き存在がいる事を、彼女は理解しているのだから。

 

そう、せめて。

武と殺意をぶつけ合う、その刹那の集積を。

全ての雑念を忘れさせてくれるような苛烈さを。

 

彼女は求め、祈るのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

?. 焔の魔人と氷の人鬼(The Flame Geniebug and The Ice Demon of Human Being)

 

 

酷い勢いだった吹雪は、幾分前に治まっていた。

朝日が昇り、柔らかな陽光が白銀の雪を美しく照らす。

 

白皚々(はくがいがい)たる下界の雪原を一望しつつ、男は死体の山に腰を下ろした。

燃えている。男の周りではゆらゆらと、輝く緑の(ほむら)が死体を焼いている。

 

高揚した気分に思わず、口笛が懐かしい旋律を響かせる。

ゆったりとした美しいメロディーだ。手持ち無沙汰だった両手も自然と膝を叩き、リズムなど奏でている。

こういう絶景を目にしながら寛ぐには、やはりルコルの酒が欲しくなる。如何(いかん)せん、手持ちの無いのが実に(もどか)しい。

 

ふと、雪を踏み抜く微かな音。

口笛の曲はいよいよフィナーレと相成って、足音など気にもとめずに高らかに響いた。

長い乱れ髪をゆらり揺らして、男は血の色をした瞳をゆっくりと、死体の山の麓へ向ける。

 

 

「路上ライブならぬ山頂ライブの終幕だ。御清聴してくださった側としちゃあ、拍手の1つも贈ろうとは思わんかねぇ」

 

「.....何を言ってるのか知らんが、私の領地でこれだけの事をやったのだ。タダで済ます気は無いぞ、殺人鬼(・・・)よ」

 

「殺人“鬼”、ね。....俺にはアンタの方が鬼に見えるが」

 

 

くっくと愉快気に喉を鳴らすと、男は綻んだ黒外套を翻しつつ立ち上がる。

 

長い漆黒の乱れ髪。歯を見せ笑う口の周りには無精(ぶしょう)に伸びた髭があり、覗く鮮血の瞳を有した左眼(ひだりまなこ)は猛獣のそれを思わせる。

そんな男の頭以外で、外套に隠れず見えるのは右の腕部と脚部のみ。腕には竜種を彷彿とさせるガントレット、脚に見えるそれから察するに、趣味が悪くも纏う鎧は金色らしい。

 

そんな男に見下ろされつつ対する者は、大人と青年の境に位置する外見の、精悍な顔つきの男であった。

髪は灰に近い白。暗い碧眼は眼光鋭く男を睨み、腰に佩いた鞘から長剣を抜き放つ。

一見して貴族のそれに近い服装を、所々に鎧で防備しているあたり、武功を上げてきた領主兼騎士でもあると見た。

 

仮に騎士とでも呼ぶとしよう。

騎士は剣先をゆっくりと男に向け、重い声色で問い質す。

 

 

「時に殺人鬼。その死体の山の中には、まさか亜人・獣人までも混ざっているのではあるまいな」

 

 

何故に今、それを聞くのか。

男は首を僅かに傾げつつ、死体の山を一歩一歩と下りながら言葉を返した。

 

 

「一応先に聞いときたいんだが、もし混ざってると答えたのなら、アンタはどんな反応をするのかね」

 

 

山をようやく下りた所で騎士の顔を伺うと、男も少しばかり面食らう。

騎士の表情は、謂わば文字通りに鬼の形相。怒りに満ちていると言えばよいのか、男にとっては実に親しみ深いものではあったが。

 

 

「全く以て穢らわしい。我が領内に持ち込んだ挙げ句、氷竜住まうこの霊峰で焼き払うなど....其方を捕らえた後、燃え滓と周囲の土もまとめて撤去せねばならん」

 

 

要らぬ仕事を増やしおって、などと宣う騎士殿であった。

どうやら怒りというよりは嫌悪感のそれらしい。実にシンプル。いっそ清々しい程の差別意識だ。

 

ここがどこであったかを改めて思い出しながら、男はゴキゴキと首を鳴らして訂正をした。

 

 

「ああ、すまんすまん。それについては安心していただいて結構ですよ、領主殿。後ろの死体はぜ~んぶメルロマルクの純血だからなぁ」

 

 

ほんの僅かながら騎士の表情が和らいだ、かもしれないと感じた直後には、咄嗟に構えたガントレットと騎士の剣が鍔迫り合いなど演じていた。

 

甲高い金属音と金切りの悲鳴が、朝の冷えた空気によく通る。

騎士が彼我の間合いを詰めたと同時、周囲に積もっていた雪も恐れて退けるかのように吹き飛んだ。

 

 

「どちらにせよ罪人の所業だ。此処に首だけ置いて逝け!」

 

 

剣が閃く。(くび)狙い。

ガントレットで防いだと思えば一瞬先には別の部位へと振るわれる。

 

回避。騎士の視界をずらす様に右へ、右へ。

突き、薙ぎ、薙ぎ、兜割り、脚狙い。

回避、受け流し、回避、防御、更に移動しつつ跳躍。

 

真に敵の攻めを避ける者は、最小限の動作にて紙一重に躱す。しかし騎士の剣撃はそれを許さぬ。

剣の軌道はあまりに変幻、そして自在。何より剣速が桁違いだ。

男にしても、ガントレットで弾き、流し、受け止めてこそようやっと回避を実現できる。

 

 

「おっと」

 

 

目前を掠めた。割と危ない。

仮に眼をやられたとて対処は出来ようが、無傷を維持したいのは当然だ。

 

疾風迅雷の如く縦横無尽に襲い来る剣閃を、男は笑みも絶やさず捌き続ける。

別段、楽しい訳でも騎士を嘲笑うつもりでもない筈なのだが、どうにも口角が上がってしまい戻らない。

 

突きから薙ぎへと鮮やかに切り替わった一撃を避け、跪くように姿勢を低く、ガントレットの右掌は大地へ触れる。

察知したのか一歩下がろうとする騎士の手前で、緑に輝く火柱が1つ。

騎士は後ろに飛び退いて避けると同時、火柱向けてフィンガースナップ。男も即座に飛び退けば、火柱は破裂し爆音を轟かせた。

 

 

「ありゃ水だな。水蒸気爆発ってか?」

 

 

着地と同時に走り出す。雨の如く滴る水と煙で視界は悪いが、互いにどう動くかは見当がつく。

ただしそれを外すかどうかは別問題。男は迷わず爆心地へと突進を仕掛けた。

 

 

「!」

 

 

考えた事はどうやら同じ。

騎士は剣を鋭く構え、男の頸へ真っ直ぐ刺突。

対して男は直前までその右腕を動かさなかった。

 

刹那の見切り。

僅かに髪と耳を掠るもお構い無しに、間一髪にて刺突を回避。同時に踏み込み頭突きを一発、騎士の頭蓋へ喰らわせる。

 

 

「ぐっ...!」

 

「ははっ!」

 

 

互いに間合いを取り直す、かと思えば既に騎士の剣は閃いている。

仕事を果たした右のガントレットが強く弾かれ、構わず下がろうとするも脚が何かに引っ掛かった。

 

 

「おや」

 

 

引っ掛かったというより足元が氷で固められている。

今の一瞬でよくやるものだ。

自然、後ろへ飛び退かんとした男の身体は倒れかけ、それをもう片方の脚がどうにか支える。

 

その無駄な動作(アクション)を騎士は逃さず、前進と同時に手をかざす。

男の周囲、空中に配置された氷の槍が側面と後背より襲いかかった。

 

 

「いいねえ」

 

 

男は余裕を崩さない。

実際は別段、余裕という訳でもないのだが、思考を放棄し狼狽するならそれすなわち敗北に繋がるという事を知っているが故の冷静さだ。

 

受けきれない事もないが、わざわざ受けてやる事もない。

ガントレットが熱を持つ。

氷付けの足元を始め、氷の槍が飛ぶ軌道上にも火柱が立つ。突っ込むと同時に槍は熱されて吹き飛び、脚の氷も蒸発した。

 

 

「おっ」

 

 

足元の火柱、その上部から剣が生える(・・・・・)

見ればその剣は高速で男に振り下ろされる真っ最中。

しかも剣が触れた火柱は、冷気によってか気化していく始末だ。

 

このまま一撃が落とされるなら男は一刀両断か、否。

男はなんといっても既に地面に寝転がっているのだから。

 

 

「な....」

 

 

騎士が驚くも束の間、男の伸ばした右腕、すなわちガントレットの掌からは焔が噴き出す。

 

 

「避けんと折れるぞぉ?」

 

 

焔はロケットよろしく男に推進力を与え、剣を振り下ろす騎士の足元へと推し飛ばす。

騎士は咄嗟に跳躍するが、尚も振り抜かんと剣を閃かせた。

 

弾ける火花に、再び高い金属音。

黒外套の内側から伸びたもう一方の左腕(・・)が、右と同じガントレットをもって剣撃を弾いたのだ。

 

着地した騎士は構えを正し、男は焔を止めてスライディングから立ち上がる。

今度こそ、互いの間合いは開いた。男の焔が彼我の地を這い、空気を揺らして燃え盛る。

 

 

「其方、火を司りし者と契りでも交わしているのか」

 

 

意外な言葉に、男はまた目を丸くする。そしてくっくと、また嬉しげに喉を鳴らした。

 

 

「なんだ。俺に興味が湧いたのかい。嬉しいねえ」

 

「....否定はせんとも。事実、気にはなっている」

 

「ほほう....」

 

 

素直な事だ、と男は髭の生えた顎をさすった。

 

情報漏洩は御法度とはいえ、ここまで気分が乗っていると1つや2つどころか3つ位は話してしまうやも。

外野への安易な情報提供で痛い目を見た悪の組織はフィクションでもノンフィクションでも数知れず。

はてさてどうしたものかと悩んでいると、ふと男の頭に面白いネタが思い出された。

 

 

「俺の炎なんぞは力を導いたり方向性を与えたりしてやったもんを操作してるに過ぎんが....そうだ、冥土の土産なんて言うだろう。俺の質問にも答えてくれよ」

 

「..........」

 

「肯定と受け取るぜ?....一昔前に、メルロマルク侵略戦争なんて押っ始めようとしてた時期があっただろう。あれの少し前の事だが、王に即位する前のオルトクレイ=メルロマルク32世の妹君が暗殺された、らしいな」

 

 

騎士の顔色が変わった。

ニヤリと男は口角を吊り上げる。

 

 

「いやぁ、しかしおかしい話だよな。その犯人は当時シルトヴェルトを牛耳ってたハクコ種の郎党だって話だが、妹君を暗殺の対象とする意味がいまいち分からん」

 

 

狙うなら当然、オルトクレイ本人か、あるいは懐妊していた女王であるべきだ。

警備は無論、厳重そのものであろうが、そうでなくては戦局に変化はない。政治的に何の意味もない。

 

結果的にはオルトクレイ個人の更なる怒りを買い、戦争に敗北したという事実が残るだけだった。

 

 

「そんでまあ、情報も商品にしてるこっちとしてはシルトヴェルトの方も調べてみた訳なんだが。メルロマルクで起きた例の妹君暗殺事件、その少し後に。10名以下で編成されたハクコ種の精鋭部隊が、半ばボロボロの状態で帰還したんだそうな。何やら重要なモノを運搬していたってぇ話だが、時期的には符合するよなあ」

 

 

騎士の顔は更に険しくなっていく。

知っている。こいつ、何やら知っている。

 

 

「さてさて、またも話はメルロマルクの方に移るんだが。暗殺事件当時、妹君の滞在されてた館の警備はことごとくが殺されたか気を失っていたらしいが、大抵は五体満足とはいかなかったらしい。....しかしだ。この中になんと、齢10にも満たない少年兵が配置されてたそうな」

 

「..........」

 

「唯一五体満足だったこの少年兵だが。しかも調べてみりゃあ、そいつの親御殿は、侵略戦争勃発時の戦で戦死なされたテュール侯(・・・・・)らしいじゃねえか」

 

「.........だまれ」

 

 

騎士の小声を掻き消すように、男は愉しげに声を張り上げる。

 

 

「いや~、一体どういう事なんだろうなぁ!妹君の御遺体が残されてなかったのも実に不自然だ。実は妹君は殺されたんじゃなく、拐かされただけだったり!現場にあった大量の血は妹君のではなくハクコのものだったりしてな!だとしたら!....それをやったのは、いや、やる事が出来たのは一体、どこのどいつなんだろうなあ~?」

 

「────黙れぇぇぇええええ!!!!」

 

 

騎士の身の内で、凄まじい勢いを伴って魔力が巡る。

咆哮と同時に振るわれた剣。互いの間合いは変わらぬままに。

 

されど騎士の振るった斬撃の軌跡から現れ出でる、巨大な氷の波が雪崩の如く押し寄せた。

 

 

「はっはっはっはっ!!!怒んなよそんなにィィィ!!!」

 

 

対する男も爆笑しながら身を屈め、ガントレットの両掌を大地へ繋ぐ。

男の身体に焔が灯り、その身を燃やすかの如く緑の輝きは増してゆく。しかしある一瞬を境に緑は黒へと変化して。

 

 

「はあああああああああッ!!!!」

 

「おぅらああああああああ!!!!」

 

 

黒き焔はその形を変えてゆく。

果たしてそれは多頭竜が如く渦を巻いて伸びていき、騎士の放った氷の波と激突した。

 

荒々しき衝突。轟音と破裂。

まるで荒波を龍の群れが喰らっているかのよう。

 

どれほどの間、それらが熾烈な喰い合いをしていたか。

気が付けば周囲は雪も土も木々さえも吹き飛び、まるで開拓でもされているような有り様だ。

焔の力を強めつつ、ちらと騎士の背後を見やる。

確認は完了した。そろそろ潮時だ。

 

ちょうどそう考えた矢先、騎士の放った氷の波は勢いを無くし、次第に焔が呑み込み始めた。

 

 

「.......!?」

 

「お前さん、吸い過ぎだよ」

 

 

あまりにも唐突な、騎士の吐血。

男の指摘は別段、彼が健康体ではないというような話ではない。まあ、事実健康体ではないのだが、その原因は男の焔に他ならない。

 

 

「猛毒.....いつから仕込んで....」

 

 

氷の波はかち割れるように消え去った。

同時、男も焔を消し去った。

 

跡に残るは苛烈な激突の爪痕と、黒外套もほとんど吹き飛び金色の全身鎧を披露した男の姿、そして僅かに肩で息をする騎士であった。

 

 

「....!」

 

 

騎士の長剣が、剣身の根本から熔けるように折れ、カランと音を立てて地に落ちる。

横たわったそれは黒色の燃え滓を生じ、次第に端から端から、灰になるように消えてゆく。

 

頭突いた瞬間、仕込んでおいた甲斐があった。

 

 

「さあて。仕事も済んだし、おっさんはそろそろお暇させてもらおうかねえ」

 

「逃がすとでも...?」

 

「ありゃ、まだやる気かい。なんなら俺がトンズラ出来るか、試してみれば」

 

 

言われずとも、と言わんばかりに騎士は疾走。

男に向かって飛びかかったと思えば、その手に握られた剣身無き長剣の柄が、仄かに光を帯びている。

 

 

「せえええあああああッ!!!」

 

 

鍔の先、そして剣身のあった根本から。

青き氷の刃が生成されてゆく。

大きく、大きく。刃渡りは片手剣のそれを優に越え、もはやツーハンデッドソードのそれだ。

 

大剣は一瞬を経て最高速度へと達する。

疾く、鋭く、猛々しく、それは男に振り下ろされた。

 

 

「!?」

 

 

手応えがない。しかし男は両断されている。

否、これは実体にあらず。陽炎の如く揺れる姿と不愉快なその笑みが物語る。

 

 

「確かにアンタは強い。途轍もなく、強い」

 

 

頭の先から脚の先まで、両断された陽炎が声を発する。

 

 

「純粋な近接戦闘じゅあ俺には勝機が無いだろう。....だが」

 

 

男の遥か後背より、強風が吹きつけた。

陽炎も飛ばされて消え、騎士は驚愕に硬直する。

 

 

「あれだけの魔法を無詠唱で使えるくせに、妨害魔法への対策はてんでなっちゃいねえなぁ」

 

 

魔法を唱えられる前に斬り伏せてきたからか、と男は嘆く。どういう訳か、何もない空中に立ったまま。

 

 

「....おい」

 

「ではな、騎士殿。お達者で」

 

「.....待て!!」

 

 

よく見れば男は何かに掴まっている。

騎士の眼にはそれが見えない。何か輪郭のよく分からないモノに男は掴まり、飛行していた。

 

だが関係ない。そんな事は些末な問題だ。

今ここであれを逃す事が後にどんな災厄をもたらすか解らぬ以上、騎士には諦めるという選択肢はあり得ない。

 

氷の刃を地へと突き立て、騎士は何事かを口にする。

すると彼を中心に魔法陣が広がって、氷の円柱が出土する。

柱はその身を天へと押し上げ、鎧の男が飛ぶ高度よりも更に上へ。

 

 

「おーおー。頑張るねえ」

 

 

昇った朝日の眩しさに手をかざし、同時に騎士の狙いを悟る。

古典的だが悪くない手だ。

 

燦と輝く太陽を背負い、騎士は円柱を蹴って文字通り、降って来る。

そして見事に男の元へと肉迫し、巨大な氷の剣を振りかぶった。

 

 

「殺人鬼ィィィイイイイ!!!!」

 

「だからアンタにゃ言われたくねえよ、『戦()将軍』。....いや、─────」

 

 

男は眉を(ひそ)めながらも苦笑する。

騎士はそんな彼を睨み付けたまま、氷の大剣を振り抜かんとして。

 

 

「─────鉄血(てっけつ)凍厳侯爵(とうげんこうしゃく)

 

 

自身に与えられた最も誉れ高きその渾名を耳にしたのを最後に、視界が突如、掠れて回る。

数瞬の思考を経て、何かに叩きつけられたのだと理解が及んだ。

 

何も見えなかった。強いてその感触を言い表すなら、巨大な鞭にでも全身を打たれたような感じ。

そしてほとんど同時に、全身を激痛が襲う。先の戦場から然程遠くもないだろう山頂の地面に、衝突落下したのである。

 

 

「ぐ.....」

 

 

視界は暗く、そして真っ白。

幸い、積もった雪が衝撃を幾分緩和してくれたのだろう。

それでも大分深くへ潜ってしまったのか、少しもがいてみた程度では地上に出られなかった。

面倒になって、魔法を使った。雪が自ずと退けていき、そこを這う這う登ってゆく。

 

 

「はあっ...はあっ」

 

 

息がこんなにも切れたのは久々だった。

周囲を見渡し、無駄とは思うが空を仰ぐ。

 

 

「.....おのれ」

 

 

やはりあの男の姿はない。

逃した。この私が。“人の身の鬼”などと揶揄されたこの身が敵の逃亡を許すなど、あの夜(・・・)以来だ。

 

口内に広がる鉄の味。

勢いつけて吐き出すと、雪が真っ赤なそれで染まってしまった。

随分とこの体は蝕まれているらしい。あの男の言から察するに、緑の焔は毒を有していたのだろうか。

肉体を検める。重度の呪いまでも受けていた。可能性としてはあの黒い焔の由来か。

実に厄介な状態にしてくれたものだ。処置が遅れれば命に関わる。後処理よりも前に一度、山を降りねばならんだろう。

 

 

「.....?」

 

 

歩き出してふと、気付いた。違和感がある。

あるべきモノが見当たらない。

 

そうだ。確かにあの場所....自身と男が争っていたあの戦場の近くには、うんと高く積まれていた筈だろう。

だが、何度見ても、そこには。

 

 

「..........死体が、消えただと」

 

 

燃えていた筈の死体の山は、忽然と姿を消していたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

?. そうして、“彼”がやって来た。(He has just arrived. And The World began to go around.)

 

 

「はははっ、ジャストミート。結構な腕前で」

 

 

皮膚を切ってしまいそうな程に冷やかな、鋭い風が吹いている。

けれど上りきった朝日の陽光は、彼のような男にだって等しく温もりという奴を与えてくれていた。....悪くない気分だ。

 

眼下に広がる雪原を今一度眺望しつつ、男の身体は僅かに揺れる。

ぐらり、ぐらり。

 

金色の鎧も両腕のガントレットも、目立った外傷は特に無し。

黒外套は大体吹き飛んだが、残った部分をぐるぐると、マフラーみたく巻き直してみる。これはいい。見た目の派手な鎧を隠す為のものだったが、防寒用としてはまだ使えよう。

ぐらり、ぐらり。

 

 

『そろそろ、入って落ち着かれては?』

 

「お、そうだねえ。お迎えご苦労さん。良いタイミングだった」

 

 

頭に直接響く、女の声。

所謂、念話のようなものだ。

 

男は何かに掴まる左手をそのままに、右手で何もない空間を、まるで扉を開くように引っ張った。

実際、ギイと扉が開く音。その奥には果たして一室が存在した。

広くはないが、狭くもない。中には6、7人程度が座れそうなソファーに似た長椅子が2つ。窓も据え付けられている。

 

 

「おや、君も迎えに来てくれたのか」

 

 

中に入って扉を閉めると、長椅子の手前側に小さな娘が座っていた事に気が付いた。

 

獣の耳を生やした可愛らしい娘だが、表情というやつを無くしてしまっているのか、感情の機微を察するのは難しい。

ただ、爛々と輝く瞳にだけは感じ入るものがある。少なくともこの男はそうだった。

 

 

「..........」

 

 

相も変わらず無口な娘だ。質問に返したのは僅か頭を左右に振るという所作のみである。

 

 

「ふうむ。となると、君の判断で連れてきた感じかい?」

 

『いえ、会長(・・)御自身が指示をなさった事です。目を養わせる一環に付き添わせると』

 

「ありゃ。そうだったっけか?....いかんねぇ。幾ら外面が変わらんとはいえ、中身はそれなりに年食っちまったからなあ」

 

 

物忘れが激しくていかん。

少女の向かいの長椅子に腰を下ろした男は、そう言ってややだらしなく脚を伸ばした。

 

ご冗談を、ともはや慣れた風な女の返答。

 

 

「ところでさあ....」

 

 

ちらともう一度少女を見てみる。

彼女は彼女で男から視線をずらす気配は全くない。

まあ、それはいい。気になるのは服装の方だ。

 

 

「この子にメイド服着せろだなんて指示出した覚えは、流石に無いんだけどもな」

 

 

そう。目の前の少女が身に纏っているのはメイド服だ。

無表情ながら可憐なこの少女が身に着ける分にはよく似合っていると言えない事はないのだが、如何せんコスプレの域を出ていない気もする。

 

 

『どなたのご趣味かとお尋ねになりたいのでしょう?....婦長様ですよ』

 

「.....そりゃまたどういう風の吹き回しなのやら」

 

『一線を退いてはおりますが、元戦闘メイドですからね。仰っていましたよ』

 

 

会長の御傍に置くのだから使用人としてのお務めは一通り出来るように。その上で十分に戦闘も行える“鉄の乙女”に仕上げてみせましょう。

幼いながら寡黙に淡々と為すべき事を成す姿勢は元より、これほどメイド服が似合うのだから彼女はそういう運命にあるのです。

 

そして私にも偉大なる使命がある!

一人でも多く、理想のメイドを生み出し世に送り出す事!

可愛らしい女の子!そして尻尾に獣耳!

何はともあれメイド服!萌え!最強!

マジ最高!バンバンバン!!

 

P.S

後日、彼女専用のコンバットメイドスーツを新調致しますので、彼女のレベリングが一段落つき次第、寸法を詳細にご報告ください。

 

P.SのP.S

会長へ。間違っても割烹着や巫女服は着せないでくださいまし。約束をお破りになったら今度お部屋の床下にお隠しになっている秘蔵のアレを

 

 

「アー!アー!!わかったわかった!!それ以上は言わんでいいよ!好きにしやがれ!.....あ、でもな!せめて和風メイドっぽく仕上げろとだけは念を入れといてくれよ、秘書くん!?」

 

『あら、それではリッチなケーキの食べ放題で手を打ちましょうか』

 

「.....分かった分かった。この腹ペコドラゴンめ」

 

 

ぐらり、ぐらり。

再び揺れる一室で溜め息を1つ。

 

男は姿勢を正しつつガントレットを取り外すと、手を組んで向かいの少女へと語りかけた。

 

 

「今回は良い収穫があったんだ。....見つけたよ、君のマスター候補(・・・・・・)を」

 

「........マスター」

 

 

小首を傾げて復唱した少女に、男が頷く。

思い出されるのは、つい先程まで殺り合っていた貴族の男である。

男が会ってきた中では、問題は多少あるが最有力だった。

 

 

「“御主人”とも言うが、この場合は“先生”....あるいは“師匠”ってな意味合いになるだろうな。まだ幾分先の話だが、基礎訓練とレベリングを行って、クラスアップ可能限界まで引き上げた後に、君を預けられればと思っている」

 

 

我らが婦長殿が、彼女を戦闘も行えるよう鍛え上げるなどと不穏な伝言をしてきてはいたが、それはそれとしても技術の修練を積ませる以上、師事する者は専門家であるのが望ましい。当然の話だ。

 

問題はあの堅物にどう頭を縦に振らせるかだが、それは追々、手を考えるとしよう。遣り用はいくらでもあるのだ。

 

 

「..........マスターは」

 

「ん?」

 

「.....マスターは、あなたでいい(・・・・・・)わ」

 

 

などと可愛らしい事を言ってくれるメイド少女。無表情且つ抑揚の無い声ではあるが。

意外な言葉に男も少し呆けてしまったが、くっくと愉快気に笑い始める。

 

 

「そうかそうか。いいとも。よろしいですとも。俺でよければ幾らでも協力してやるさ。....だが、物事には順序ってもんがある。それを飛ばして無理をすれば、払う代償が無駄にでかくなるだけだ」

 

 

男が少女のマスターになる事は、寧ろ前提条件である。

だが、その為にも所謂下積みという奴が必要だった。

 

肉体が未熟。器も小さい。精神もまた脆弱。

合格点に達しているのは心のみ。

ならば鍛えねばなるまい。鉄が熱して打てば更なる強度を得るように、彼女もまた、今は積み重ねる刻なのだ。

 

 

「せめて、無理はせずとも無茶は出来る程度に仕上げてもらうのが最低ラインだ。身体を作り、技術を鍛え、知識を集めなさい。そして、君の中で渦巻いている感情を制御する事だ」

 

 

男が歯を剥き出しにして獰猛に笑う。

闇のように深かった黒の髪は、次第に白く染まっていった。

血のように鮮やかだったその眼も、怒りを鎮めるが如く緑のそれへと変わってゆく。

 

刻が、と男は言った。

 

 

「刻が来れば、俺の力も贈ってやれる。それを扱えるかどうかは、やはり君次第だがね。....言っただろう?君を、俺の────」

 

 

ぐらり、ぐらり。

大きく揺れた音に掻き消された男の声も、少女は確かに聞いていた。

無言ながらゆっくりと頷いた彼女に、彼も満足気に微笑み返す。

 

ただ、それはそれとしても。

 

 

「もちっと乗り心地が改善されんものかねえ」

 

『無理を仰らないでください、会長。上空にも魔物はいるのですから』

 

「ふむぅ....通常業務に専念させてきた俺が言うのもなんだが、気でも覚えさせてみるべきか....」

 

 

無精髭の生えた顎をさすって、思案してみる。

あれは魔物であればそれなりに習得効率は高いが、個体差というやつはどうしても付いて回る。

やらせるなら、まとまった休暇でも与えねばならんだろうが。

 

....通常業務。

そう、通常業務と言えば。

 

 

「ギルド連合の方は?」

 

『連携も収益も、滞りなく回っております。ただ....』

 

「ただ....なんだ?」

 

『問題なく後処理も済んだのですが、報告によれば西方に配置していた傘下組織の末端が幾つか壊滅したそうでして』

 

 

ひゅうと口笛など吹いてみる。それはまた。

男自身も大概だったが、そちらもなかなか派手にやってくれる。

 

 

「誰にやられた?一部の貴族連中か?」

 

『いえ。勿論、後ろ楯にはそういった方々もいらっしゃるでしょうが、実際に事を起こしたのは“国家級冒険者”です』

 

「.......?」

 

 

聞き慣れない単語と、目の前の男がまた意味も分からず笑い出した事に、少女は再び首を傾げる。

本当に面白がっているのかは知りようもないが、どうやらあれはこの男の癖らしい。

 

 

「あっちで活動してる国家級となると1人しか思い当たらんのだが....一応、二つ名の方を聞いとこうか」

 

『はい。会長もよくご存知の....“魔人(ディアボルス・アンスロポス)”様です』

 

「はっはっはっはっ!!紅蓮の(・・・)小僧かぁ!アイツもしつこいなあ。この前あんだけボコボコにしてやったってぇのに....懲りない懲りない。いいねえ。嫌いじゃないよ、そういうの」

 

 

以前、訳あって戦闘に発展した結果、滅多打ちにしてしまったとある青年の話なのだが、どうやらこの男の事を嗅ぎ回って各地を転々としているようだ。

 

めげないというか、執念深いというか。

それに一度負かしたというだけで、そこまで恨みを買うような事をしでかした覚えもない筈なのだが。

 

 

『如何なさいますか』

 

「アイツの事?そうさなあ....頭を捻れば楽に殺す方法は幾らでも思い付くが....アレは惜しい。ただ失うよりも、奪ってからのが有効活用できるだろうさ。今は放置といきましょうや」

 

 

かの冒険者は国家級。幾ら姿を隠そうと、ギルドに管理されている身である以上は捕捉もそう難しくない。

精々、街でバッタリ遭遇するのを避ける程度でいいだろう。

 

第一、アレが単独でどれほど活躍しようとも、大局に影響が出る事は先ず無い。

軍隊並みの戦力を組織できるのであれば、話は別だが。

 

それよりもだ。

男は笑みを潜めて、声のみの女へと確認をした。

 

 

「例の追跡はどうなってる」

 

『成果は全く。辛うじて接触まで持ち込んだ機会もありましたが、間も無く逃走されています』

 

「.....よく逃げるもんだ。逃亡・撤退・殿戦は俺の十八番と思ってたんだが、上には上がいるよなあ」

 

 

脚を組みつつ、思わず愚痴る。

ぐらり、ぐらり。

揺れに任せて長椅子に寝転がり、仰向けに一室の天井を見やる。

天井にも大きめの窓が据え付けられていて、そこから見えるのは“彼女”の本来の姿というやつだ。相も変わらず幻想的である。

 

と、そこまで思って先の会話を思い返す。

 

 

「.....接触まで持ち込んだ、だって?」

 

『ええ。確かにそう言いました』

 

「待て待て。じゃあどんな奴か判明したのか」

 

『得られた情報はほんの僅かですが、お聞きになりますか』

 

 

勿論、と男は返す。

若かりし頃は少々せっかちで、不要な会話や興味の無い話はスルーしてしまう癖があった。

それが原因で大事な情報を逃している、などという事も少なからずあった為、今や小さな情報も一度は確認するというのが彼の方針だった。

 

 

『対象の性別は女。外見年齢は20代手前で、少なくとも(ひと)種のようです。』

 

「うら若きお嬢さんってか。それで?」

 

『接触した2人の者が話を切り出したそのすぐ後に、1人が気絶。一瞬目を離した隙に移動されたのか、次に姿を視認した時にはあり得ない程距離を離されていた、との事です』

 

 

速度(スピード)特化のステータス持ちか、あるいは点から点への移動....つまりは短距離転移の術を持っていると見てよいだろうか。

どちらにせよ、韋駄天も真っ青な逃げ足の速さであるのは間違いない。

 

 

『会長。この対象が以前、仰っていらした例の....』

 

「......ああ。次元跳躍者ってやつだろう。メルロマルクで発生した1度目の波....亀裂を()にして出てきやがった、謂わば特異点(・・・)さ」

 

 

異界渡航者とは似て非なる存在だと、男は確信している。

あれは並列して存在する別世界を渡る者共だが、今回のアレは全く違う。それを男は知っているのだ。

 

 

「どんな法則で動いてるか知らんが、(やっこ)さんの出現が何を意味してんのか、いまだに掴みきれてねえのは大いに問題アリだ。....追跡は続けてくれ」

 

『かしこまりました』

 

 

男の視線に釣られて、同じく天井の窓から彼女を眺めていた少女は、ふと外の景色へと目を向ける。

 

もはや雪景色などは下界に見当たらない。

ここがどこかなのか。それすら狭き世界に生きてきた自身には分からなかった。

世界は広い。一生を懸けたところで、世界の全てを踏破するなど叶わぬだろう。

 

もはやそんな夢を語る情熱も、彼女の中には残っていなかったが。

 

 

「見てごらん。一等高い山が見えるだろう」

 

「.........」

 

 

いつの間にやら、向かいの席で横になっていた筈の男が隣に座っていた。

窓の外へ指を差し、顔を寄せてくる。

 

少女は彼の横顔を見た。

本人は外面は変わらなくても中身が年を取っているなどと言っていたが、彼女には寧ろ逆に見えた。

自身と同じとまで言うつもりはないが、中身は外見よりもずっと若い青年のような気がした。

 

男が視線だけこちらに戻して、微笑みながら言った。

 

 

「おいおい。俺じゃなくてアレだよ、アレ」

 

 

ちょっと遠くなっちまったが、と彼は言う。

 

そうしてようやく、少女は視線を窓の外へと戻した。

それなりに距離の離れた場所に、随分と高い山の連なる場所があった。

高いといっても、そこらの山とは比べるべくもない程の大山だ。山頂は雲の上に突き出ているらしい。

 

 

蓬萊(ほうらい)の山といってな。あの麓には国があるんだ。霊亀(れいき)国と呼ばれてる。....俺の旧い友人も、あそこにいる」

 

 

目を細めた男の顔を、少女はまたそっと見つめた。

 

今の彼の匂いは、色々と酷い。血の匂いに始まって、死体とか、火の燃えた跡の匂いとか。

僅かに、知らない誰かの匂い。男の言っていたマスター候補のだろうか。

 

そして仄かに漂う、彼自身の匂い。

少女はそれを嫌いじゃないと思っている。初めての、不思議な感覚だった。

 

 

「ま、会ったところで俺の事は分からんだろうが」

 

 

くっくと喉を鳴らして、男は身を引き、少女の隣に腰を落ち着かせた。

彼の言葉は相変わらず意味の分からないものだったが、なんとなく、過去を懐かしんでいるのだろうというのは彼女にも見てとれた。

 

ふと、男の首に巻かれた黒いボロ布が目に止まる。

 

 

「......それ」

 

「ん?....これか。これはまあ、例のマスター候補と殺り合った時に吹き飛んじまってなあ。元々は外套ってか、マントみたいなもんだったんだが」

 

 

少女がゆっくりと、それを指差す。

 

 

「.....貰っても、いい?」

 

「.......これをか?」

 

 

首肯した彼女とボロ布を交互に見て、男は苦笑する。

 

 

「装備としちゃあ役に立たんし、マフラー代わりくらいしか使い道はないぞ?」

 

「........それでも」

 

「ほほう....ま、こんなもんでも良いのなら、喜んで君にくれてやるとも」

 

 

と言いながらそれを首から外そうとして、男は何かを思いついたか、その手を止めた。

 

 

「いや、今はやめとくかなぁ。君が無事に訓練を終えて出向する時が来たら、その時くれてやりましょう」

 

 

意地の悪い笑みを浮かべてそう言う男に、少女は怒るでも苛つくでもなく、ただもう一度頷いて返した。

子供らしく文句の1つでも言えばよいものを、と思いながら、男はまた笑った。

 

 

「........次は、どこへ」

 

「....そういや、どこに向かってんだか。秘書くん、今後のスケジュールはどうなってたかねえ」

 

 

今日は珍しくよく喋るな、と少女を横目で見つつ、男は腕を組んでそう尋ねた。

 

 

『この後は南海の上空を通過し、メルロマルク領....カルミラ諸島へ参ります。本島でヒークヴァール様がお待ちです』

 

 

あのオッサンか。

今度はどこに金の匂いを感じ取っているのやら。

 

 

『その後はシルトヴェルト周辺の小国で、各商会長と商談を』

 

「それ、俺じゃなきゃダメなやつ?」

 

『はい。でなければ、わざわざメルロマルクの北端まで御出迎えなんてしませんよ』

 

 

正直なものだ。

そういう事情でもなければ、あの場であれほど上手くトンズラは出来なかったという訳か。

 

確かにあの男も、国家級冒険者のアイツと同等かそれ以上にしつこそうな雰囲気はあった。

最悪、アイツと同様に殴り倒すか、あるいは国境まで走って逃げるか選択しなければならなかったという話だ。

いやはや、くわばらくわばら。

 

 

『終了次第、ゼルトブルの本部へ戻っていただき、会長は一時休息を。あなたも休息の後、再び訓練へ.....』

 

「......?」

 

 

女の言葉が途切れた事に、男も少女も首を傾げる。

 

 

「どうしたね」

 

『最新の報告が上がっています。お待ちを』

 

「ふむ....」

 

 

男は立ち上がり、微かに唸りながら向かいの席へと戻っていった。座らずに、立ったままで彼女の声を待っている。

 

タイミングというよりはこの時期だ。心当たりは無いでもなかった。

 

 

『会長。フォーブレイの公表した情報です。重大かと』

 

「あいよ。何が起きた?」

 

 

少しの間をもって、落ち着き払った女の声がとうとう、それを告げた。

 

 

『─────四聖勇者が、召喚されました』

 

 

少女は見上げた。

金色の鎧を身に纏い、黒い襤褸布を首に巻いた、長い白髪のその男。

彼の顔は予想に反して、笑ってなどはいなかった。

 

男が静かに、こう尋ねる。

では、確認だが。

 

 

「─────盾の勇者(・・・・)は、一体“誰”だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かが、呼んでいる。

 

少なくとも、自分の事を呼んでいる訳ではないだろう。

 

だって聞こえてくるのは、お父さんだとか、お兄ちゃんだとか、そんな呼びかけだから。

 

愛情を感じる声色だ。

 

優しくて、とても温かい。

 

ほどよく晴れた日の朝に、寝転んだ草原を思わせる。

 

暗くて寒い日の夜に、コトコト煮込んだシチューとか。

 

夕陽の差し込む洞の奥や、肩まで浸かったお風呂とか。

 

一緒に歩いて、一緒に食べて、一緒に眠って。

 

頭を撫でたり、笑いかけたり、抱き締めたり。

 

なんで。

 

どうして。

 

そんな誰かの知らない記憶を、夢のように見ているんだ?

 

自分の事もわからない。

 

何て名前で、どこで生まれて、何の為に生きているのか。

 

そもそも目的なんて高尚なもの、持っていたかも怪しいけど。

 

何にも本気になれないままで、時間を潰すように。

 

どうしようもなく、自分を追い詰めるように。

 

ただひたすら、遊び呆けていたような。

 

また無為に過ぎていった日々の終わりに、本のページを開こうとした。

 

買ってきたのか、借りてきたのかもよく覚えてないけれど。

 

純粋に楽しもうという気持ちさえ、どこかに置き忘れていた。

 

面倒くさい現実ってやつから目を反らしただけの、弱者以下の消極的な一歩ってやつ。

 

大きな欠伸が部屋に響いて、カーテンの向こうから差し込む朝陽に嫌気が差した。

 

目線を落として、表紙をめくり、1ページ目を静かに開く。

 

そうしてまた、身体の怠さと襲った眠気に、目蓋を落とす。

 

ふと目蓋を押し上げると、自分の視界が本のページに沈んでゆく。

 

代わりに見えるのは、目を瞑っている誰かさん。

 

コイツ、誰だっけ。

 

いや、分かってるさ。

 

自分の事なのに、まるでもなにも他人事。

 

自分を見る事も出来ない奴が。

 

自分を諦める事すら出来ない奴が。

 

夢見た挙げ句、つまらない誰かさんを見限って、ありもしない夢想に溺れようとしてるだけの。

 

......あれ、ホントにどんどん沈んでく。

 

まあ、いっか。

 

考えるのも、面倒くさくなってきたし。

 

感じたのは海の中みたいな漂流感。

 

苦しくもない溺死の想像。

 

光は見えない。

 

底もない。

 

このまま堕ちていくだけも、悪くないかな。

 

 

─────おお!勇者様方!!どうか、この世界をお救いください!!

 

 

そんな知らない誰かのどうでもいい台詞は、いつも通りに聞き流す。

 

次に、目が覚めた時。

 

何がどうなってるのか分からなかったとしても。

 

やっぱり二度寝でもして、考えるのをやめちゃうんだろうか。

 

 

─────おとうさん。

 

 

優しい、誰かの声がする。

 

 

─────アンちゃん。

 

 

誰かを呼んでる、声がする。

 

 

─────お父ちゃん。

 

 

そろそろ、返事でもしてあげたらどうなんだい?

 

 

─────とうさま。

 

 

だって、それは自分じゃないだろう?

 

 

─────パパ。

 

 

だって僕は、本の1ページ目の1文目すら読めずに堕ちただけの。

 

 

─────親父。

 

 

そう言えば、あの本、何ていったっけ。

 

 

─────兄ちゃん!

 

 

そうだ、あの本のタイトルは。

 

 

「─────盾の勇者の、成り上がり」

 

 

こうして僕は見知らぬ場所で、自分の意識を取り戻したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

了/プロローグ

 

 

 

 




ここまで読んでくれた方に感謝を。

次回の投稿は7月の後半のどこかのつもりです。
他に書きたいものもあるのです。推しキャラの誕生日が近いので。

こちらはちまちま誤字修正とかしつつ、次の1話の内容を練ってきます。

もう一度、感謝を。
もし面白そうかもと僅かでも思ってくれたなら、ぜひまた当作品をチェックしに来てくださいませ。
ではまた。

真鵐(ましとど)より

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