盾勇異伝 (仮)   作:真鵐

2 / 2
第1話

?. 紛れし、異物(World Debris, Contamination.)

 

 

不明瞭な状況を理解し、目標を定め、行動を開始する。

その為に必要なのは情報と、謂わば勇気という奴だろう。

 

ただ、それを頭では分かっていても、情報を集める手段が乏しければ話にはならないし、そも、元よりありもしない勇気を振り絞る根気さえ、彼は持ち合わせていなかった。

 

 

「■■■■、■■■■■。■■■!」

 

 

はっきり言おう。

何を仰っているのか、さっぱりだ。

 

 

(...........)

 

 

先ずはこの足りない頭で、どうにか状況を整理しなければならない。

 

最後に覚えているのは、暗闇だった。

感覚としては、光の届かない深海に漂っていたような。

....まあ、おそらく夢か何かだろう。

 

ともかく、唐突にその漂流感というか、浮遊感のような物が落下の衝撃に変わったのだ。

頭を打って意識を失ってでもいたのか、自分の身体を揺り動かす青年の声で目が覚めた。

見覚えのない顔の、おそらくまだ10代ほどの外見年齢をしたその青年は、親切にも起き上がろうとした自分に手を差し出してくれた。

 

彼の手を取り立ち上がった所で気付いたのだが、その青年のもう一方の手には、所謂....弓らしき物が握られていた。

次いで見えたのは、青年の背後、少々離れている場所に立っていた2人の青年だ。

背丈の低い方、黒髪の青年は右手に握った剣らしき物を凝視したまま、微動だにしない。

一方の背丈の高い方、整った顔立ちの、ポニーテールの髪型をした青年は自分に向けて軽く手を振ってくれた。その肩には長い棒状の....槍らしき物が立て掛けられている。

 

そこまで見てようやっと、己の腕にも何かが張り付くようにして存在している事実を認識した。

 

 

(......盾?)

 

 

おそらく、いや間違いなく、それは盾だった。

自分の頭より少し大きい程度の、片手で持つような盾。

それが彼の左腕にあった。

 

その意味を考える暇を与えぬかのように、状況はすぐさま動いた。

周囲にいたローブの者達の1人が何かを喋って、閉じていた扉を開き、青年達へそちらへ行くように促している。

 

真っ先に歩き出したのは剣を持った青年で、槍持ちの青年が後に続いた。

直後に、彼の傍にいた弓を持った青年も、迷いなくその背を追っていく。

 

 

(......どこに)

 

 

そしてただ1人、彼だけがぽつりと突っ立ったまま、取り残された。

 

祭壇なのか儀式場なのか知らないが、この一室にいる彼の他にはローブを羽織った者達が数十人。

彼らはよく聞き取れない何かを喋ってくるが、彼にはその意思も意図も全く読めなかった。

 

判断が遅すぎた、と彼は後悔した。

流れに身を任せてあの青年達の後に続いてしまえばよかったのだ。

案内役とばかりに青年達の先頭へ立った、あのローブの者が言った内容が何であれ、本来なら付いていくか否かの判断くらい、自分で出来ようものを。

 

彼は迷った。その開かれた扉の先へ行くべきなのか、あるいはここにいるべきなのか。

指示を仰ごうにも周囲の連中の言葉は意味を成さない。否、自分の脳が理解できていない。

 

混乱の中、背後にいたローブの者の1人が近づいてきた事に、思わず警戒気味にそちらを振り向き、後退る。

どうすればいいのか、分からない。

どうすればいいか、自分で決める事も出来ないのが情けない。

 

ローブの下から覗く、知らない誰か達のその瞳に、感じられるものは1つもない。

何を考えているのか分からない事が、どうにも彼には恐ろしかった。....だが。

 

 

「なあ」

 

 

また背後から、声。

振り向くと、開かれた扉の先から槍持ちの青年が顔を出していた。

 

 

「王様が待ってるんだってよ。早く行こうぜ」

 

 

そう言って、青年は彼に手招きをする。

彼は今度こそ意味もない迷いを放り捨て、彼の言葉に頷いた。

 

扉の先へ消えていく青年の背を追い、小走りでその一室を出ようとした瞬間にふと、視界の端が背後を捉える。

正直に言って、ゾッとした。

 

数十人のローブの者達。その隠された顔が、光の加減か僅かに見えたのだ。

表情の種類は幾つかに分かれていた。疲れ、呆れ。そして苛立ちと、嘲笑。

ただ最も彼を恐怖させたのは、無表情と....恐怖の混じった、悪魔でも見るような眼だった。

 

 

「やっと来たか」

 

「さあ、あまりお待たせしては無礼となりますし、参りましょう」

 

 

扉の先は螺旋階段だった。壁の隙間から差し込む光と僅かな風が、彼には少し心地好かった。

 

剣を持つ青年は彼を一瞥するとすぐに関心を失って、先頭にいたローブの者を急かした。

その様子に苦笑しつつ、弓を持った青年は彼と槍持ちの青年を一度ずつ見て、頷いてから歩みを再開する。

彼の前を行く槍持ちの青年は壁の隙間から外の景色を一望し、ひゅうと口笛を吹いてから階段を進んだ。

最後列にいた彼は、ただただ背後の一室にいた者達の眼が忘れられずに、硬い表情のまま青年達に続いた。

 

 

「■■■■■、■■■」

 

 

そうして結局、青年達と共に謁見の間だか玉座の間だかよく分からない場所に連れてこられた後も、状況を把握できないままであった。

立派な髭を蓄えた王らしき男が現れた際も、青年達が跪いて各々の手にある物を床へと置いた所作に、可能な限り合わせるに留めた。

 

その後、どうやら自己紹介でもさせられているのか、剣を持つ青年から順に己の名と年齢、職業を口にしていた。

剣を持つ青年は、天木錬。

弓を持った青年は、川澄樹。

槍持ちの青年は北村元康。

どうやら、高校生から大学生ほどの年齢の者達のようだった。

 

そのまま、彼は自身も紹介をする番が回ってきたと思い、口を開こうとした。....のだが、少し待てと胸の内で制止される。

 

 

(........え)

 

 

というのも、どうにも思い出せないのだ。

 

自分の名前は何だ?───分からない。

自分の出身は?───日本。

日本のどこだ?───岡山...石川....埼玉....はて、どこだっただろう。

両親は?───たしか、父と一緒に暮らしていた、ような。

年齢は?───20歳は過ぎてた筈だ。

職業は?───大学生....でも、留年してたんだっけ。

 

虫食い状態とでもいうのだろうか。

覚えている事と、覚えていない事がある。

 

ただそれなりにはっきり分かっているのは、自分がどんな奴で、最後に何をしてたかだ。

最後にやっていた事は、そう。本を読んでいた。

....いや、正しくは本を読もうとして、寝落ちした、筈だ。

 

それが何故、こんな事に?

分からないが、少し理解できてきた点もある。

見知らぬ場所。いつの間にか手元にあった盾らしき物。同じような境遇らしい他の3人。連れていかれた王の御前。

この状況は、随分と鮮明に思い出される記憶の1つだ。

 

ある物語を元にした、とあるアニメーション作品。

『盾の勇者の成り上がり』と題されたそれの、冒頭にあたる部分ではないだろうか。

あれを最後に鑑賞したのは、もう数年前になる。久々にあの世界観に浸りたくなって、いよいよ、まだ未読だった原作の書籍を手元に用意し、それから....。

 

 

「すみません」

 

 

彼の左隣、槍持ちの青年の更に隣から、弓を持った青年の声。

そっと手を上げ、どうやら彼は王らしき男へと何か言うつもりらしい。

 

 

「もしやお気付きになられていないのではないかと思ったのですが....彼の紹介は、お聞きにならないのですか?」

 

 

弓を持った青年....いや、川澄樹が、その手を彼へと向けつつ、視線を移す。

そこでようやく、彼もハッと気を取り戻した。

考え込んでしまっていた、という事だろう。おそらく、何も話そうとしない自分を一先ず置いて、王らしき男は話を進めてくれていたのやもしれない。

 

王らしき男が何かを言うと、その場の視線は彼へと集まった。

彼は自己紹介をせよというその意思を何とはなしに感じ取れていたが、結局、自分が何か話していいのか否かでまた迷った。

そんな彼の様子を見ていられなかったのか、隣にいた槍持ちの青年....北村元康は軽く肘で小突いてくる。

 

 

「ほら、自己紹介だぜ。名前くらい言えるだろ?」

 

 

歳と職業はともかくさ、と言う北村元康に、彼はゆっくりと首肯した。

迷っているよりは、ありのままを話そう。分からないのなら、分からないのだと答えればいい。

今までだってそうだ。理解できない事を幾ら貧相な頭の中でこねくり回した所で、正しい解など出る筈もなかったのだから。

 

そうして彼は現状、己の中で判明している事だけを話そうとした、その時。

 

 

────ザザザザザ、ザザザザザザザザ。ザザザザザ。....ザザ?

 

 

こういうのを、何と表現すればいいのだろう。

....そう、アレだ。ラジオの、ノイズみたいな。

 

 

「む...」

 

「へ...?」

 

「あ?」

 

 

青年達のそれそれ驚く声が聞こえたが、彼自身にしてもそれどころではなかった。

声が出ない、のではない。声は出ている、筈だ。

しかしながら言の葉を紡いではいない。

声が、言葉が、全てノイズに掻き消されている。

 

....否。己がノイズを喋っているのだ。

 

視線だけを動かして、周囲を窺う。

青年達も、王らしき男も、兵士や貴族のような者達も。

皆一様に怪訝な顔というか、少なくとも同じ人間を見る目ではない。

 

 

「....あの、もう一度言ってくれませんか。よく、聞き取れなくて」

 

 

不審がりながらもそう声をかけてきた川澄樹に、彼も今一度、同じ話を繰り返した。

 

 

────ザザザザザ、ザザザザザザザザ。ザザザザ....

 

 

やはり駄目だった。自分で聞いていても雑音そのものでしかない。

まるで自分がそういう類いの虫にでもなってしまったかのような気分だ。

 

 

「うわ....なんだコイツ」

 

 

北村元康が若干、不気味そうに距離を取る。

 

 

「国王陛下と皆様は、聞こえていらっしゃいますか」

 

 

尋ねた川澄樹に対して王らしき男が応えるが、相変わらず何を喋っているのかは不明だ。

その問答の直後に周囲がざわつくと、王らしき男の傍に控えていた壮年の貴族が大声を上げ、喧騒を静めた。

 

北村元康と位置を変えるように隣へ近付いてきた川澄樹が、軽く息を吐いてから告げる。

 

 

「どうやら、あなたの言葉は....国王陛下や皆さんには雑音にしか聞こえていないようです。ただ、僕には断片的にですが聞こえています。....御二人はどうでした?」

 

「え....俺には、よく分かんなかったけど.....そうなのか?えっと....天木錬、だっけ」

 

「.....ああ。ほんの僅かだがな。....例えるなら、無線のノイズのようだった」

 

 

青年達がそれぞれ感想を口にする。

周囲の者達が自分の言葉を理解できないというのは、原因は分からないにせよ、寧ろ彼も納得する所だ。

なにせ彼自身も青年達以外の言葉が理解できないのだから。

 

とはいえ、北村元康はともかく、川澄樹と天木錬には僅かながら自身の声が届いている。

彼らと何か共通点があるとすれば、やはりこの手にある盾と、彼らの手にあるそれぞれの武器だろうか。

 

 

「....つーかさぁ」

 

 

そう言って、頬を掻きつつ言を発したのは、川澄樹の後ろにいた北村元康だった。

彼は槍を持っていない方の手で、ある一点を指差した。

 

 

「ぶっちゃけ、原因ってそれじゃねえの?なんか、おかしいしさ。色とか」

 

 

そう言うと、川澄樹と天木錬も視線をそちらに向け、まじまじと見つめる。

彼も釣られて、その視線を追った。その先にあるのは、彼の左手に張り付いている小さな盾だった。

 

 

「な、変じゃね?」

 

「そう、ですね....おかしいというか、色彩が無いというのか」

 

「.....存在感がない印象を受けるな」

 

 

それだ、とでも言うように頷く2人。

彼も実際、よく観察してみて分かったのだが、思えばこの小さな盾は最初から変だった。

 

先ず、なんというか全体的に....暗い。いや、黒いと言った方がいいのか。

影が落ちているような、寧ろ影が薄いと表現すべきのような。

 

そして3人の青年達が持つそれと比べると、はっきり分かる違いがあった。

彼の持つ盾にも、青年達の武器にもある、玉のような、宝石のような部分だ。

天木錬の剣には青色の、北村元康の槍には赤色のものが。

川澄樹の弓には黄色か橙色のようなものが嵌まっている。

 

今一度見直してみても、彼の盾に嵌まっているそれには、色らしきものが見られない。

鉛筆で描かれた、色塗りされていない絵のようだ。影と立体感だけがほどほどにある、そんな感じ。

 

 

(.....壊れてる、のか?)

 

 

言葉が理解できず、こちらの言葉もまともに届かない。

その原因がこれにあるのだとすれば、そうとしか思えない。

嫌な予感がする。不安と焦りを顔に出して良いのか否かも、彼には分からなかった。

 

気付けば、川澄樹と王の傍にいる貴族らしき男が何かを話していた。

川澄樹が考えをまとめたのか、彼に言う。

 

 

「原因を探る前に、現状の理解を優先させるべきかと。一先ずは国王陛下のお話を聞きませんか?」

 

「....!」

 

 

その言葉に、彼は慌てた。先に伝えておかなければならない事がある。

 

 

「.....えっと」

 

 

川澄樹が心配そうな表情で彼を見る。北村元康も同様だが、天木錬は相変わらず無表情だった。

というのも、口で話してはノイズに変わるのだからと、彼がジェスチャーで意思を伝えようと試みたからだ。

 

王らしき男や周囲の者達を軽く指差し、口を開閉しつつ、手で声を表現。次いで自身の両耳を指差して、最後にバツ印を指で作る。

 

 

「....耳が聞こえない?」

 

 

北村元康の回答に首を横に振る。

 

 

「.....コイツの声がノイズで聞こえたように、コイツには俺達以外の奴の声がノイズに聞こえてるんじゃないか」

 

 

天木錬の回答に頷きながら指を差し、指で正解の丸を意識して輪っかを作る。

正しくはノイズではなく何を言っているのか分からない、言語が理解できないという話だが、そこはいい。ニュアンスは伝わった。

 

天木錬がフンと鼻を鳴らし、元居た位置へと戻って腕を組む。

困ったような顔をしていた川澄樹は、少し考えた所でそれならと彼に提案をした。

 

 

「僕らが聞いた話を、後で説明するというのはどうでしょう。御二人も手伝ってくれません?」

 

「俺はいいぜ?困ってるんなら助け合いってな」

 

「....面倒だ。義理もない。やるならお前達がやればいい」

 

「つれねえなぁ、天木錬」

 

 

北村元康が天木錬に話し掛けた傍らで、彼は川澄樹の肩をトンと軽く叩き、小声で告げた。

 

 

────ザザザザザ。

 

 

同時に、謝罪をするように頭を下げる。

それを見て川澄樹は僅かに驚いたが、ふと微笑んで返答をした。

 

 

「今のは、“ありがとう”....ですよね。ふふ、流石に口元で分かりました」

 

 

お気になさらず、と言って川澄樹は王らしき男へと向き直った。

彼もそれに倣って居住まいを正し、その場は進行の成り行きに任せる事とした。

 

 

(......ふう)

 

 

そういう訳で、今に至る。

 

青年達の反応だけでは、話の全体像はやはり掴めなかった。

その為、彼は王らしき男やその傍にいる貴族の男が話している姿を、半ば上の空で見つめていた。

彼らは基本的に青年達と問答をしていたが、時折、彼にも視線を向けた。

それはやはりというか訝しむ眼であったが、彼にはそれを気にする余裕さえもなかった。

 

話が済むまでの間、彼は出来る限りの事を思い出そうと努めていたからだ。

 

まず、今のこの状況....かの『盾の勇者の成り上がり』における冒頭シーンである事は間違いない。

何気に妄想力豊かな自分の夢の中である事も考えられるが、ここまでリアルとなればどのような形であれ、対応するしかない。

 

この足りない頭で、どうにか整理をしてみよう。

 

主人公は岩谷尚文という青年で、異世界に勇者として召喚された。

同じく召喚された青年が他に3人。天木錬、北村元康、川澄樹。

彼ら4人は異世界で起こった某かの厄災に対抗する為に、それぞれが違う種類の武器を伴って召喚された。

主人公である岩谷尚文は、この中にあって盾という扱いづらい武器を持つ勇者であり、仲間がいなければ敵に攻撃する事ができなかった....だったか?

 

たしか、この世界は人間だけでなく、亜人と呼ばれる人種がいたり、街の外には魔物が生息していたりする。

魔物を倒すと経験値が手に入り、レベルアップもする。

そして勇者の武器は特別で、色々な物を素材にして、吸収し、様々な形に変わり、持ち主と一緒に強くなっていく。

あとは....そう。“魔法”が使える世界、なのだったか。

 

 

(......僕は)

 

 

そこまで考えて、自分の立場を再び確かめた。

左腕を見る。そこには間違いなく、主人公である岩谷尚文が選ばれる筈だった『盾』が存在している。

しかも何やら壊れているかもしれないとの話だ。

 

これはまずい。非常にまずい。

簡潔に言い直すとヤバい。

 

そんな気がする。いや、気がするというかおそらく本当にヤバいのだ。

主人公、岩谷尚文は盾の勇者として召喚されたが、たしかこの国でかなり酷い目にあわされたのではなかったか?

思い出そう。何をされた?

 

女に裏切られて、身ぐるみを剥がされた挙げ句、無実の罪をでっちあげられて。

処刑はされなかったが追放同然で放り出され、街の人々に奇異の眼で見られながら肩身の狭い思いをさせられた。

その後も、何かしら問題が起こると彼のせいにされて、結局、国中を逃げ回らなければならないような状況に追い込まれたのではなかったか。

 

だとするとその原因は何だった?

たしか、そもそもこの国自体が盾の勇者を....いや、盾の勇者というよりは───。

 

 

「おーい、そろそろ戻ってこいよ」

 

 

北村元康の声と共に背中をトンと叩かれて、長考から意識を戻す。

見れば既に話が終わったのか、メイドのような女性に案内されて青年達が移動を始めようとしている所だった。

 

 

「現状はそれなりに理解できましたが、詳しい話とこれからの事については改めて、明日話し合うとの結論に至りました」

 

 

川澄樹の言葉に頷き返し、そのままその後ろに続いた。

 

3人の青年達の後ろ、最後尾で彼はその場を後にする。

やはりというか、彼は思わず振り返ってしまった。

 

 

(..........)

 

 

兵士達。貴族達。そして玉座に御座す国王陛下。

彼らの眼が、視線の尽くが、彼に集まっていた。

本来なら自意識過剰と思うべき所だ。他の青年達の背中を見ているだけではないかと。

 

だが、彼にはどうにもそう思えなかった。

本当にかの原作の通り、世界が厄災によって滅亡の淵に立たされ、こうしてその現状を打破する存在を召喚できたというのなら、僅かでも喜びや期待の眼を向けてくる筈だ。

 

しかし、彼の見た人間達の眼と表情から感じ取れたのは、ただの3つだ。

1つは言わずもがな、無表情。感情を隠しているのか、それともただ単に興味がないか。

次に感じたのは敵意だ。先ずもって、己らが召喚した“味方”に向ける眼ではない。あれは消すべき敵に向けるものだ。

そして最後に見たのは、玉座から立ち上がった国王の。

 

オルトクレイ=メルロマルクの、まるで汚物を見るような、侮蔑の眼差しであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

?. 異なる故郷と眠れぬ夜に(Different Homeland, and Sleepless Night.)

 

 

「それで結局、名前....思い出せないんですか?」

 

 

彼が手渡した紙、そこに書かれた文章を読んで川澄樹が返した反応はこれまた微妙なものであった。

謂わば呆れ半分、憐れみ半分といった具合だろうか。

 

 

「本当にいるんだな、記憶喪失になる奴って。初めて会ったぜ」

 

「僕もですよ....」

 

 

彼の隣にこれまた若干の距離を置いて、ソファーに身を委ねている北村元康の反応に、川澄樹は苦笑を返した。

 

現在、時刻としては夜も更けた頃だ。

謁見の後にメイドや兵士、あるいは貴族のような人物に連れられて城中の施設や設備を一通り案内された。

彼個人としてはトイレや風呂事情にそれなりの不満はあったが、ともかく、川澄樹と北村元康両名の協力のおかげで最低限、覚えておくべき設備の場所は知る事が出来た。

 

そうこうしている内に時間も過ぎ、豪華な夕食をいただいて風呂にも入り、今夜の宿泊を許可された大部屋へと4人まとめて入れられた訳だが。

 

 

「困りましたね....何とお呼びすればいいものか」

 

「別に“盾の勇者”って役職があんだから、それでいいんじゃね?」

 

 

川澄樹が王や大臣と話した内容を彼に伝える上で、まずは彼自身の事も多少は知るべきだった。とりあえずは、名前など。

ただ、それを伝える手段をどうしたものかと考えた所、北村元康が提案した方法こそ、紙に書いての筆談である。

 

城中の者に用意させた10枚程度の紙と万年筆のようなペン。

これらを用いて彼らの質問に答え、自分の記憶が虫食い状態である事も伝えてある。

 

彼は2人の会話を聞きつつ、紙に新たな文章を書いて、今度は北村元康へと手渡した。

 

 

「なになに.....思い出せないうちは、名無しでも権兵衛でも、山田太郎でもジョン・スミスでも何でもいい、だって?」

 

「へえ....たしかに、ただ“盾さん”と言うよりかは、そちらの方が呼びやすいです。じゃあ、僕は“名無しさん”と呼ばせていただきますが、よろしいので?」

 

 

彼が首肯すると、北村元康は軽く笑い声を上げた。

 

 

「オッケー。んじゃ、俺も“名無し”って呼ぶからな。錬もそれでいいかあ?」

 

 

部屋に入ってから今まで、剣を凝視して動かなかった天木錬がこちらへ振り向く。

 

 

「いきなり呼び捨てか。....まあ、別にいいだろう。ソイツの呼び名なんだ、好きにすればいいんじゃないか」

 

「ははっ。相変わらずつれねえ奴だなあ」

 

 

また視線を剣へと戻した天木錬の傍へ、彼は近寄った。

 

 

「なんだ?」

 

 

僅かに鋭く睨まれるが、彼は素早く文字をしたため、紙を手渡す。

内容としては、謁見の際にジェスチャーについて気付いてくれた事に関する感謝だった。

 

 

「....別に、感謝されるほどの事じゃない。気にするな」

 

 

そう言って紙を彼へと返し、天木錬は再び剣へ向き直る。

そんな2人のやり取りを眺めつつ、より深くソファーへ体重をかけた北村元康は楽しげに言い放った。

 

 

「いやあ、それにしてもすっげえリアルだなぁ。さすがはエメラルド・オンラインだ」

 

「エメラルド...?何です、それ」

 

「ん?俺がよくプレイしてるネトゲだよ。エメラルド・オンライン。そっくりだし、たぶんその世界だな、こりゃ」

 

「....え、違うと思いますよ?寧ろ、世界観的にはコンシューマーゲームのディメンションウェーブそのものですし」

 

「はあ...?」

 

 

そんな彼らの会話が切り口となって、天木錬も巻き込んでの情報の擦り合わせ作業が始まった。

横で聞いていた彼としては早く川澄樹と北村元康から例の話について教授を受けたかったのだが、まあそれなりに白熱した話し合いだった事もあり、部屋に用意されていた飲み物など淹れて、彼らにそっと手渡した後は出来る限り傍観していた。

 

首相は誰かといった社会問題などには覚えている範囲でかなり適当に答えた。

彼個人はそういう話に然程興味が無かったし、昔から、一体どこからどこまでが常識というやつの範囲なのかがいまいち理解できていない類いの人間だったのも理由の1つだ。

首相について言えば、彼の日本はようやっと流行病の収束を迎え、任期を終えた首相と内閣が退陣し、新たな選挙が始まろうという時期であったし。

 

擦り合わせ作業と召喚の経緯について話し合った結果、判明したのは3つだ。

お互いが異なる日本国から召喚されている事。

彼を除いた3人は召喚前にこの世界に酷似したゲームをプレイしていた事。

そして、これまた彼以外の3人は死亡確定の事件の後に気付いたら召喚されていたという事だ。

 

 

「....なんだか、こうして見ると名無しさんだけ、かなり場違いなような気も....」

 

「言ってやるなよ。....ただでさえ外れ武器の盾になっちまった奴だし」

 

「.....まあ、頑張れとしか言えんな」

 

 

微妙な苦笑顔でそんな励ましとも取れない言葉を投げ掛けられたのはそれなりに印象的である。

その後、彼らが就寝するまでの間に謁見の際の話はどうにか聞くことが出来た。

 

そして彼にとって最も驚愕、且つ絶望的な話がここに1つ。

 

 

(ステータス魔法のアイコンとやらが見えない....)

 

 

青年達曰く視界の端にあるとの事なのだが、何度見ても、視界の端いっぱいギリギリまで意識してもそんなものは見当たらなかった。

かの原作においてはどうだっただろう。岩谷尚文は天木錬の助言によって他2人共々、ステータス魔法の存在に気付けていた筈だが。

 

考えられるとすれば、やはりアレだろうか。

自分の声がノイズになってしまう現象、玉のような宝石に色が無い“勇者の盾”。これらが関係しているのか。

何にせよ、ステータス魔法とやらが使えない以上は彼らの言うヘルプとやらも拝見しようがない。

結果的に彼は時間を持て余した上、青年達が眠った後もあまりの不安に眠気が全く来なかった。

 

 

(どうしよう....どうすればいい)

 

 

自問自答も満足に出来ず、混乱した思考のままで2、3時間は経過した。

見れば、豪華な時計の針は彼の感覚で言うところの夜明け前まで迫っている。

 

呼吸は僅かに乱れ、やけに胸と腹が気持ち悪い。

何がここまで彼を焦らせているのか。....簡単だ。

 

岩谷尚文の、成り上がりの軌跡。

あれは彼だからこそ乗り越えられたものに他ならない。

あの憎悪と不屈の化身が十二分以上に盾を使いこなし、クラフト技能に開化し、商才を発揮して、信頼を勝ち取っていった。

だからこそ彼は仲間を増やし、敵をはね除け、成り上がり、最終的には世界を救ったのだ。

 

それを、自分が同様に出来るというのだろうか?

ありえない。絶対にありえない。

出来るなどと言ってしまえばそれは単なる自信過剰と傲慢に過ぎない。

 

才能を持つあの男が不屈の精神で仲間と共に研鑽を重ね、その末に打倒した『災厄の波』を。

才能もなく、努力も出来ず、ただ過ぎゆく時間に身を任せてきただけの自分が。

 

.....出来る訳がない。世界を救える、訳がない。

 

 

「............」

 

 

そう言えば、この盾も含め、剣、槍、弓にも、精霊というやつが宿っているのではなかったか。たしかそんな設定があった筈だ。

その精霊とやらが選ぶべくして選んだ所有者こそ、勇者なのだ。

 

岩谷尚文は盾の精霊によって選ばれた、勇者の素質を持つ人間だった。

ならば、対する自分は何だ?

 

たしかに、彼ら同様、アニメやゲームは好きな方だった。寧ろ現実逃避の手段として打ってつけだったそれらに自分がハマらない訳がなかった。

....それでもだ。結局、彼はこっちの方面においても中途半端なままだった。

極める事もできず、本心からリラックスして楽しむ事も出来ない。寧ろ、逃避の後ろめたさと自己嫌悪ばかりが押し寄せてくる。

それでも逃げる事がやめられない。勇者の素質なんて有する訳もない、そんなどうしようもないゴミクズが自分だ。

 

それを、彼は誰よりも知っている。だって自分自身の事なのだから。

いや、思えばそういう事なのではないか?

選ばれた素質ある人間でないから、この左腕の盾は色を失っていて、ステータス魔法も使えない。

 

 

(僕じゃあ....盾の聖武器は、起動しないって事なんじゃ....)

 

 

嫌な想像は止まらない。

ここ数時間で随分と記憶を掘り返したが、今同じ部屋で眠っている青年達....天木錬、北村元康、川澄樹。

この3人はたしか、アニメの内容とサイトで読んだ事のある設定において、将来的に色々と失敗を犯してしまうのだ。

結果的にその尻拭いとアフターケアを施していった岩谷尚文が、国内で民の信頼を勝ち取ってゆく。そんな流れだった。

 

挙げ句に彼らは仲間から裏切られたり、仲間を全て失ったり、感情を制御できなくなって暴走したりなど、勇者としての威光を微塵も感じられない事態に陥っていた。

紆余曲折あったがこれを助け、保護し、支え、曲がりなりにでも立ち直らせていったのが岩谷尚文だ。

 

彼と同じことが自分に出来るだろうか?───無理だ。

無理だとすれば、一体どうなる?───世界は滅ぶ。

 

滅ぼされるというだけではあるまい。その前に自分自身はどうなるだろう。

おそらくこのままなら、今日の謁見で王より仲間が与えられる。きっとその中には、あの女(・・・)がいる。

 

真の勇者であった岩谷尚文さえも手を焼き、長きに渡って苦しめられた悪女がいる。

アレを傍に置いてしまえば、おそらく自分は何らかの形で騙された上、罪を負わされて放り出される。

盾の勇者という立場になってしまった自分にとって、その場合の逃げ場はどこにもない。

助けを求めて逃げようとすれば、間違いなく殺されてしまうだろう。全くもって情けない、悲惨な話だ。

 

 

(....逃げられない。本来いちゃいけない奴がこの盾を持ってる時点で、ほとんどアウトだ。....逃げられないのなら、僕は....)

 

 

自殺してしまえばいい。簡単な話だ。

勇者の役目や世界の行く末も全て青年達に放り投げて、今のうちに自ら命を絶ち、送還の時を待てばいい。

 

ただ、問題点が3つもある。

1つとして、左腕にあるこの盾が彼の推測通り起動していないのだとすると、精霊の意思とやらが介入してくれるかが実に怪しい。

精霊が彼の魂を保護なり転送なりしてくれないのなら、元の世界の元の身体に戻してもらえるのかどうか、かなりの賭けになってしまう。

 

次に、この盾が実は起動していた場合の可能性だ。

岩谷尚文はこの盾の所有者となった事で、次元の違う防御力を獲得した。魔物に攻撃されたり噛みつかれたりしても然程痛みを感じなくなったほどに。

だとするとだ。この高い防御力が仮に自分にも適用されていた場合、さくっと自殺をしようにも、刃物も鈍器もこの身を一撃で致死に至らしめてくれるか怪しいのだ。

 

彼個人は、はっきり言って臆病で小心者で怠け者な凡人以下のクズでしかない。

自殺するならするで一撃でスパッと、長い苦しみもなく終わりたいのだ。

飛び降りればいい?断固として却下だ。

彼は高所恐怖症などではないが、高所が滅法苦手な人種ではある。いや、高所が苦手というよりは墜ちる感覚が嫌いなだけだったかもしれない。

遊園地のバンジージャンプで気を失い、小どころか大まで漏らしていたのは黒歴史として記憶に鮮明に残っているのだから。

 

最後の問題は、結局どう言い繕った所で彼自身にそんな勇気は無いという話である。

理由やきっかけもなく自殺してしまう人間が、実際には精神的に非常に強い者であるという話は聞いた事がある。

しかしだ。逆にどんな理由やきっかけ、どれほどの絶望があろうとも、死の恐怖を乗り越えて自ら命を絶ててしまう人間が、彼にはどうにも恐ろしく思えてしょうがなかった。

 

 

───ザザァ。

 

 

静かなため息が、ノイズとして響く。

彼はゆっくりとベッドから立ち上がり、出来る限り足音を立てぬよう気を付けつつ、大きな窓へと近付いた。

鍵を開け、窓を押し開け、バルコニーへと出ていく。

 

暑くもない、寒くもない。涼しい夜だ。

じきに地平線の向こうから、朝陽が光を伸ばしてくるだろう。

 

彼は乱れた呼吸を整える為に、ゆっくり、ゆっくりと深呼吸をした。

ぎゅっと力強く拳を握り、今度は力を抜いて掌を広げる。

 

微かな光を地平線に見ながら、彼は本当に小さな声で、本音をぽつりぽつりと呟いた。

誰も聞いていない。聞いているとすれば、それは自分だけだ。だからこそ言える。

 

 

.....僕は。

 

 

───ザザ。

 

 

僕は、死にたくない。

 

 

───ザザ、ザザザザザザ。

 

 

逃げたくても、逃げられない。

 

 

───ザザザザザザ、ザザザザザザ。

 

 

逃げられないなら、せめて。

 

 

───ザザらザザザなザ、ザザて。

 

 

せめて、逃げない死に方を....選びたい。

 

 

───ザめて、ザザないザにザザを....えザザたい。

 

 

昇る朝陽を見つめながら、彼は静かに涙を流す。

 

かつての自分がとことん忌避し、そして恐れていたものに今こそ、ならなければならないのだというその絶望に。

それさえも出来なければ、彼が最も恐れる死と結末を迎える事になるのだという、矛盾に。

 

だから、彼は螺子を巻く(・・・・・)

 

誰もがやっている当たり前の事を、彼は極端にも全開以上で回し続ける。

そうしなければ、彼は自身がモタナイ事を知っていた。

誰もが義務としてやってきた事から逃げてきた代償を、彼はここに来て支払わなければならなかったのだ。

 

彼の身と心はただ一本の螺子となり、育んできた己という生き物を拒絶する。

 

 

「───はぁ」

 

 

肺に取り込んでいた空気を、思いきって全て吐き出した。

涙を止めて、ぐっと閉じていた目蓋を上げた彼は、もはや彼ではなく、“彼”になっている。

 

“彼”はいまだに気付いていない。

左腕にあった盾の宝玉が、微かな緑色の光を宿し始めていた事を。

 

それを知るのは、“彼”が全てを決めた後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

K.K. 新たなる繋がり(Who are You?What's your Name?)

 

 

久々の来客もあってその安全性を高めるべく、周辺の魔物は一掃した。定期的に行っている事とはいえ、今回は念入りに罠なども設置してある。

まあ、獲れる生物や魔物が毎度食用に適しているという訳でもなし、住人が1人から2人になったのである以上、久しく収穫していない米など補給してみるのもアリだ。

 

とはいえ。

それ以前に問題は山積みだ。目下のそれは衣類の点にある。

何せ、彼女自身は己の事を“オレ”という一人称で呼んではいるものの、生物学的には歴とした女であり、男装の趣味も無ければ、意味もなく男物の服を持ち歩いているような物好きでもないのである。

 

例の来客....空から降ってきた御仁は、着の身着の侭どころか手ぶらもいいところの全裸マンだった。

仮にこの無限迷宮が存在しているミカカゲ国の罪人であっだとしても、身ぐるみ剥がされるどころか全裸にされるなんて一体何をしでかしたのかと質問したくなる。

ただ、一見した限りではあの顔立ち....かの御仁もおそらくは彼女と同じく日本から来たのだと思われる。罪人とかでもないのなら何か裏がありそうだ。

 

 

「.....まぁさかね」

 

 

ふとよぎった1つの可能性を取り敢えずは頭の隅にでも押し込めて、彼女はドレスの上に羽織を掛け、留め具を付け直した。

 

何をしていたかといえば水浴びだ。海辺からしばし歩いた場所にある洞窟の奥には地底湖が複数存在していて、飲み水の確保などもこちらで済ませている。

彼女の持つ武器の加護もあって少しの運動では汗もかかないが、それでも女性側としては気を遣うべきところだろうと、武器の中で作った石鹸など多分に使って身を清めた次第であった。

 

別の地底湖へと赴いて数本の筒に水を補給した後、彼女が洞窟を出た頃には既に日も落ちて、夜の帳が下りていた。

適当に草刈りなどして整備しておいた道を行き、短い林と森を抜け、海辺へと出る。

波の荒い日もあるが、今夜はどうやら穏やかだ。本物かどうかも分からない星の光が反映されて、海面はそれなりに美しい。....ここ1年半で、もはや見慣れてしまった景色だったが。

 

 

個隠蔽狩(こ・いんぺいがり)

 

 

自身の気配を絶つスキルを発動し、海辺を悠々と進んでいく。

陽の出ている間は寧ろ閑散としている方だが、闇に包まれた途端、この周辺の危険度は幾分と増す。魔物の活動領域が広がると同時に、凶暴化というか、活発化をするのだ。

だからといって彼女にそれらを屠る力が無いという話ではない。

 

ただ単に、せっかく水浴びした後でまた戦闘をするのが面倒だっただけである。

 

 

「どうするかなあ....」

 

 

話を戻そう。衣類の件だ。

必要なのは例の全裸の御仁が着る服であり、彼女の手持ちにあるゴシックドレスとかでは断じてない。

 

男物の下着やら普段着なんて持っちゃいないし、武器の中に内包されているレシピで作れる服は、武器の所有者である彼女に合わせられているのか悉くが女物になってしまう。しかもサイズまで。

そもそも、言っちゃ何だがあの肥満体である。サイズ的にはLどころかLLとか3Lとかいうレベルではなかろうか。

 

 

「よいしょっと」

 

 

正面から進んできた魔物との衝突を避けるように軽く跳躍、空中で一回転して着地する。

 

すると、ようやく目的の場所が見えてきた。そこには七色に輝く、アーチ状の扉が立っている。

あれは異なる空間と空間を繋いでいる、謂わば限定的な“ど●でもドア”だ。彼女が住処としている場所は、あの先にある。

 

扉の目の前に立ち、ノブもないそれに触れるとシャボン玉の膜のように波打っている。

彼女は問題なしと判断して扉に片手を突っ込むと、そのまますり抜けるように扉の先へと消え去った。

 

 

「....たーだいま」

 

 

返事をする者などいないが取り敢えず呟いてみる。

扉をくぐった先にあるのは石造りの壁と床が続く廊下だった。この廊下も迷路のように様々な所へ通じていて、行き止まりに辿り着く度に、彼女の背後にあるような七色のアーチ....すなわち扉が設置されている。

 

彼女はしばらく廊下を進んで何度か曲がり、目的の扉....アーチ状のではなく木製の古い扉の前へと到着した。特に鍵は掛けていないので、ガチャリとノブを一押しするとギィという音を立てて扉は開く。

 

入った中には広くもない、しかし狭くもない空間があった。

計4ヶ所の牢屋があり、扉のある手前側から食糧置場、物置場、彼女用の寝室、最後に使ってない空き部屋となっている。

ただ最後の使ってない牢屋については、現在は住人が1人。ただし、ここに来てから延々と眠り続けていて起きる気配が無いのだが。

 

そう。空から降ってきた、かの御仁の事である。

あの救出劇があったのもかれこれ、もう2日ほど前の話だ。

あの後、御仁をまたずりずりと引き摺ってこの牢屋まで運び、大事な所は出来る限り見ないように気を付けつつ、予備で作っておいたベッドに転がした。あとは毛布代わりの大きめの布を2、3枚被せて、それきりだ。

いびきもかかず、寝返りも打たず、実は死んでいるのではないかというほどの静けさで、彼はああして眠り続けて....。

 

 

「え.....」

 

「.......ぇ」

 

 

様子を見に奥の牢屋を覗いてみると、かの御仁は身を起こしてベッドに座り、急に現れた彼女に向かって、幽霊でも見たような怯えた表情を向けたのだった。

 

 

「.....あ~...っと」

 

 

己らしくもなく、言葉が詰まる。

彼が目を覚ました際の第一声をどう掛けるか、それを考えていなかったのもあるのだが、牢屋に一歩近付いた途端に御仁がベッドの上で後退ったからだ。

 

理由は分からないが随分とこちらを警戒というか、怖がっている。

魔物との戦闘も避けてきたから返り血なども特に浴びてない筈なのだけれど。

 

ゆっくりと牢屋の正面に回り、そのまま彼女も後退って壁に背をくっ付ける。

御仁の視線はこちらに釘付けだ。彼女が被せておいた掛け布にくるまって様子を窺っている。

 

 

「....こんばんは。初めまして」

 

 

軽く頭を振るだけで礼をしつつ、声をかけてみる。

御仁はまたピクリと震えるだけで、返事はしない。

 

彼女は困ったなと頬を掻いた。もしや言葉が通じていないなんて事はなかろうか。

 

 

「あのぉ...さ。言葉は、通じてる?」

 

 

そう尋ねると少しの間を経て、御仁は頷きを返してくれた。

とにかく反応が欲しかった。震えているだけじゃあ何も分からないのだし。

 

 

「...........あの」

 

「お....?」

 

 

御仁が初めて言葉を発した。

小さな、低い声だ。少し掠れていて、彼女も耳を澄まさねばこの距離では聞き取りづらい。

 

 

「.....あなたは、誰...ですか」

 

「....それに答える前に、確認しときたいんだけどさ」

 

 

釣竿のリールを弄りながら、彼女は僅かに俯いて、前髪の奥から御仁の顔を窺った。

 

彼の髪は黒く、短くもないが長くもない。中途半端に伸びたボサボサの頭で、前髪は僅かに目にかかり、耳も半分程度隠れている。

髭は定期的には剃っているのか、無精に少し伸びているくらい。

顔の造りは良くも悪くもなく平凡なもので、太っている分、何となくだが根暗に見える。

 

その表情にあるのは緊張と不安、怯え。

だが彼女は問わねばならない。念の為、万に1つの悪い可能性を避ける為にも。

 

 

「────君は、四聖勇者(・・・・)なのかな?」

 

 

この世界には“勇者”と呼ばれる者達がいる。

基本的には勇気持つ者を意味している訳ではない。ましてや神、英雄などという類いでもない。

 

聖武器。あるいは眷族器と呼ばれる特殊な武具の所持者となった者達の事である。

彼らは総じて勇者と称されるが、その中でも四聖と呼ばれる聖武器の所持者は特別だ。

 

なにせ四聖勇者というものは、“この世界とは異なる世界から召喚された者しか選ばれない”という話なのだから。

 

 

「...........え?しせ....なに?」

 

「四聖だよ。四聖勇者。違うの?」

 

「..........」

 

 

今度の反応もいまいちだ。

御仁は彼女を見つめたまま閉口してしまった。

 

何を考えているのかは読めないが、御仁の心の内を何となく察する事だけは出来た。

どうやら彼は、四聖や勇者といった単語を知らないらしい。知っていてアレならばなかなかの役者と言えよう。

 

まず、彼は間違いなく日本人だ。

この世界の人々を見てきた彼女が同郷と見間違える事はまず無い。有り得るとすれば彼の顔自体がフェイクであるという話だが、そこまでして一体何がしたいのかという思案を始める前に面倒になってくる。

 

次に、日本人であるのならこの御仁は異世界人という扱いになるだろう。

かつて図書館の主をやっていた友人から聞いた話では、四聖武器に選ばれる者は少なくとも異世界出身の召喚者であると。眷族器も召喚で所持者が選定される事はあるそうだが、大抵はこの世界の者が資格を得る事によって、所有権を獲得するのがいつの時代においても通例であったとか。

 

そして日本人、すなわち異世界人でありながら聖武器らしき物も持っておらず、四聖勇者についても存じていない。

ともなれば考えられるのは2つだ。

実は四聖勇者として召喚された身だが、問題が発生して聖武器を剥奪なり封印なりされてしまい、挙げ句に忘却の魔術でもかけられた。

もしくは、聖武器などとは本当に無関係であり、別の異世界から迷いこんだだけの日本人に酷似した誰かであるという線。

 

どちらにせよ、目が覚めたばかりの状況で見知らぬ女の子から意味の分からない単語を聞かされればああなるのは仕方がないのやも知れない。

なら、先にはっきりさせておくとしよう。

 

 

「じゃあ、質問を変えるよ。....君はどこから来たのかな。この国の罪人か何かなの?」

 

「......え...!?ざいに.....」

 

 

僅かに青い顔をして、ふるふると首を横に振る御仁。

...どう見るべきか。続けて質問をしてみよう。

 

 

「じゃあ.....日本人?」

 

「....!」

 

 

御仁は首を縦に振る。

ただしこれだけではその証明にはなるまい。試してみるか。

 

 

「出身は?どこに住んでいたのかな。ちなみに、オレは───だけど」

 

「え....っと。....僕は───です。在住は───です、けど」

 

 

おや、と彼女は目を見張る。

意外という訳ではないが、彼女の記憶でも確かに実在している場所だった。

 

受け答えも、声は小さいが自然な調子ではあるし、嘘をついているようには見えない。

これで悪い可能性の1つは排除できたと見るべきだろう。ただ、疑問も増えたのだが。

 

 

(オレと同じ日本人かぁ....ならやっぱり四聖勇者じゃないのかなぁ。でも何も持ってないし....エスノバルトは何て言ってたっけ)

 

 

かの友人は語っていた。

彼女の持っている釣竿こそがこの世界に存在する聖武器の内の1つであり、あと3つほど、別の聖武器が存在すると。

この無限牢獄にぶちこまれてから1年と半分程度。この体感が間違っていないのなら、他の聖武器の所持者を召喚するという“約束の刻”が来たる時期はいまだ先の筈だ。少なくとも、あと数年は。

 

だというのに目の前の御仁は、聖武器を持ってもいない異世界人だという。

こうなると可能性は分岐する。現状の彼は、聖武器の所持者を召喚する儀式とは全く無関係だが、この世界に迷いこんだ日本人という事だ。

 

有り得るのだろうか?....有り得ないという事は有り得ない、なんてセリフをどこかで聞いた事もある気がするが、確かに心当たりだけならある。

 

 

(あの扉の先....かな)

 

 

彼女が長き探索の末に発見した例の仕掛けの事である。

彼女単身では動かす事の敵わない仕組みであった為に放置していたが、あの仕掛けによって通る事の出来る扉は確かに存在する。

しかも扉の先はどうやら異世界であるらしい。加えて言えば、彼女の召喚されたこの世界とはまた別の異世界なのだ。

 

こちらから通る事は現状出来ていないが、あちらから入る事は可能なのやも知れない。

彼はそちらの世界に召喚された人物で、忘却の魔術をかけられてこの無限牢獄にぶちこまれた、自分と似たような境遇の人であるとか。

 

....であれば、半端に記憶が残っている意味とか、例の仕掛けが2人一組で解けてしまう類いであるのに自分が投獄されているここに彼を放り込む意図が分からない。

 

 

(......だぁぁぁもう!!考えても疑問ばっかり!!気にし過ぎてもしょうがないし、前向きに楽しむか!!)

 

 

こんな行けども行けども出口無しの牢獄で漂流生活をしている状況で楽しむも何もないのだが、そんな風にでも考えていなければ気が滅入る。彼女とて人間だ。ストレスは当然に溜まっている。

 

という訳で、彼女は思考を放棄....もといリセットした。

 

 

「ちょっと入るね。失礼しまーっす」

 

「.....え」

 

 

彼女は牢屋の扉を開けて中に入った。

牢屋らしく鍵が掛かっているとでも思っていたのか、御仁はまた驚いた様子で彼女を見る。

 

ベッドの彼に向かい合う形で牢屋の格子に背を預け、腰を下ろす。

まずは、彼の質問に答えるような形で問題はないだろう。

 

 

「君の質問に答えるよ。オレの名前はキズナ。カザヤマ、キズナ。君の名前は?」

 

「あ...はい。えっと....いず......あれ?」

 

「ん?どしたのさ」

 

「........えぇ...っと。....あれ.....う~ん、とぉ.....」

 

 

御仁が急に、頭を抱えて唸り出す。

まさか記憶喪失とか!?などと思い及ぶが、そもそも忘却の魔術をかけられている可能性が無きにしもあらずだ、細かい事は気にしない方がいいだろう。

 

 

「名前、思い出せないとか....?」

 

「え、いや、あの....名字は憶えてるんですけど、名前の方が.....」

 

「じゃあ名字だけでも教えてよ。名前は思い出せたらでいいしさ」

 

「は、はい。えっと....イズミといいます」

 

 

ほう、と彼女は目を細めた。懐かしい響きだ。

昔の同級生にそんな名前の人もいたような気がする。

イズミと読むなら、和泉とでも書くのだろうか。

 

 

「どう書くの?和に泉とか?」

 

「あ、いえ....出るに海と書いて、出海(いずみ)です」

 

「へ~!カッコいいじゃん」

 

「ど、どうも、です。....カザヤマさん、はどういう字を....?」

 

「オレ?オレのは風の山で風山。名前の方は、人と人の絆のやつね」

 

「へぇ....なんというか、ロマンチック、な感じですね。....良い名前だと、思います」

 

「でしょ~♪」

 

 

久々の感覚が、彼女には嬉しかった。

 

無限牢獄の中にいるのは自分と、魔物と、奥深くに眠る昔の誰かの遺骨のみ。

別段、孤独への耐性が低い訳ではなかった。引きこもるのも苦手ではなかったし。

それでもこうして、誰かと関わり、会話を交わし、触れ合う事が出来る。それがどうにも、彼女にはありがたかったのだ。

 

 

「それじゃあ、出海くん。君の為にも色々と質問に答えたいとは思うんだけど....その前に済ませたい事はある?」

 

「済ませたい、事.....というと?」

 

「んー.....例えば食事をしたいだとか、トイレに行きたいだとか、身体を洗いたいだとかさ。あるでしょ?2日も寝てたんだし」

 

「.....2日!?」

 

 

僅かに声も裏返りつつ、御仁....否、出海が驚く。

死んでるみたいに眠っていたとも伝えると、距離的に聞こえない小声で、よく漏らさなかったなぁと呟くのが聞こえた。彼女の聴覚は武器の影響で強化されてしまっているからだ。

 

苦笑を浮かべながら立ち上がり、ぱっぱとドレスの埃を払う。

 

 

「で、どうなのさ?」

 

「.....そう、ですね。もしよければ、その3つは済ませたい....んですけど、でも僕、服が....」

 

「あ~それはオレも悩んでるんだけど....まあ、数日中には解決するから、後回しにしてもらってもいいかな」

 

「りょ、了解です....」

 

 

その後、掛け布をぐるぐると巻いたままの出海を連れて、牢屋の外、石造りの廊下を奥へと進んだ。

とある行き止まりに、これまたとある七色の扉。彼に扉の前で待つように言ってから、彼女は扉の先にあった城の大きな庭のような場所で、彷徨いていた魔物達を全滅させた。

片がつき、一度扉をくぐって戻ると出海はやはりというか驚愕の顔だった。不可思議な扉だ、彼女も当初ばかりは面白がったものである。

 

彼女が扉の付近で待っている間、彼には庭の隅の方で用を足してもらった。トイレットペーパーの代用は武器で作った品質の低い服を切って千切り、使い捨てにしてもらった。

 

用を足すのは本来なら外の草原でした方がいい。後の事を考えても。彼女自身も非常に不服ながらそうしてきた。

だが現在の時間帯からして夜の用足しは危険過ぎる。特に出海のステータス面を考慮すると、だ。

 

その後は再び地底湖の方へと赴き、用足しの後処理と水浴びを別々の湖で済ませてもらった。

行きの道で出海がビクビクとしていたのは印象的だった。魔物などという生物を見るのは初めてだという彼には、夜の海辺は恐ろしい景色に見えたのだろう。

気配遮断の範囲スキルである『全隠蔽狩』は発動させていたが、魔物が横切る度に硬直するものだから連れてくるのはそれなりに難儀だった。

 

 

「あの化け物たち....一体、何なんですか...?」

 

「魔物ってやつだよ。ほら、ファンタジーとか、ゲームとかでよく見かけるじゃない?アレさ」

 

「えぇぇ....」

 

 

半信半疑という感じの声を出海は上げる。

2人はまた移動して、飲み水の確保をした地底湖の方へと訪れていた。

 

拾った石で竈を作り、武器の中から鍋を取り出して飲み水を投入。出海の冷えた身体を暖める為にも火にかけて、持ち出してきた食材を使い、魚介系鍋料理など振る舞っていた所だ。

 

 

「さあて、そろそろ君の疑問に可能な範囲で答えていくよ。質問どーぞ」

 

 

と言いながら椀に具材と汁を入れ、出海に手渡した。

彼は軽く礼をしながらこれを受け取り、少しの間を経て話を切り出す。

 

 

「....ここは、どこなんでしょうか」

 

「そうだねえ....君がどこから来たのかにも依ると思うけど、大雑把に言えば、未知の外国ってところかも」

 

「外国....やっぱり、日本じゃあないんですね....」

 

「うん。ゆっくり言うから混乱しないでほしいんだけど....」

 

 

魚の肉を頬張り呑み込んだ後で、また一拍。

彼女は言うべき順序を整理してから結論を告げた。

 

 

「ここは、オレや君が元いた日本じゃない。むしろ、日本なんて国はどこにもない、別の世界って事になる」

 

「........それってつまり....い、異世界、とかってやつですか」

 

「うん、それそれ。それでここは、その別の世界にある国の1つ....『ミカカゲ』って名前の国が所有してる、牢獄みたいな所」

 

「ろ、牢獄....?ここが?」

 

「見えないよねぇ。でも本当だよ。オレ達は今、閉じ込められてる状況。オレなんてもう1年以上はここにいるし、君だって2日前にいきなり現れたんだ」

 

 

空から降ってきた彼を救出した件についても話すと、出海は震えながら感謝の言葉を述べていた。

泣きながらという意味ではなく、裸で墜ちている自分を想像して恐怖と羞恥心でいっぱいの御様子であった。

 

1杯目の中身を平らげた彼のお椀に具材を追加してやり、彼女自身も2杯目に移る。

出海は2杯目を食べ始める前に、ポツリと呟いた。

 

 

「もう....帰れないんでしょうか....」

 

「.....やっぱり、帰りたい?」

 

「.....どう、でしょうね。....帰りたいような、帰りたくないような....」

 

 

3対7くらいで、帰りたくないかも。

そんな風に出海は苦笑して、椀の汁をゆっくりと啜った。

 

“帰る”という単語に、彼女も過去へと思いを馳せる。

姉と妹の事。家族同然の友人や、大切な仲間達の事。

今、彼らはどうしているだろう。自分の事を探してくれていたりするのだろうか。

 

少なくとも、自分が存命しているという事だけは向こうにも伝わっている筈だ。

大切な友人と共に造った、式神という者がいる。あの子との間に僅かでもパスが繋がっているのなら、探知は出来ずとも感知だけはしている筈なのだ。

 

 

「....オレはさ、帰りたいんだ」

 

「.........日本に、ですか?」

 

「んー....オレが元々、活動拠点にしてた国の方かな。そこには、友達とか仲間とか知り合いとか、たくさんいるし」

 

 

そういえば、友人の1人は王位を継ぐ為の試練とやらを突破出来たのだろうか。

 

周囲からの期待や支持は大いにある人物だったが、如何せん彼女と同様、自由や娯楽を好むタイプだ。試練は突破できても、肝心の実務で問題が起きてないといいのだけれど。

 

 

「....どんな、ところなんですか」

 

「ん?」

 

「その、風山さんがいたっていう国とか....ここの、牢獄の外の、世界....とか」

 

「....そうだね。何はともあれ、まずはこの世界の事からだよね。うん」

 

 

彼女───風山絆は語った。

世界について話す上で、彼女の召喚から今までの経緯も、その全てを。多少、細かい点は省いたりもしたが。

 

只人族(ヒューマニアン)魂人族(スピリット)晶人族(ジュエル)草人族(エルバス)石人族(ユミイル)

地上では斯様な種族が主に繁栄をし、人種を交えながらも社会を形成、国として秩序を成しながらも、合従連衡を繰り返しつつ戦乱が絶えなかった。

 

ある時、世界に存在する魔物達の支配・管理を担っていた王にして竜帝....後に魔竜と畏れられる者が全世界の支配を掲げ、只人を初めとした多部族の国家が有する領土へと侵攻を開始した。

瞬く間に、地上の半分は魔の竜王によって率いられた魔物達に蹂躙され、その支配下へと堕ちていった。

多くの人々が殺され、生きて捕らえられた者は悉くが奴隷身分に落とされた。酷使され、無惨にも死んでいった者達は数え切れない。

 

だが人もまた、ただ蹂躙されるだけに終わる者共ではなかった。

魔竜の軍勢に国を荒らされ、滅ぼされても尚、国同士の和睦や連携を成す事は容易に非ず。ならば、魔を滅ぼすに足る英雄を打ち立て、これを新たなる世界秩序の礎として、真の統合を成し遂げん。

 

人々に唯一味方した魔物....図書兎の管理する迷宮古代図書館より得られた伝承と知識を以て、災厄の訪れる約束の刻に異世界より招かれるという聖武器の振るい手、すなわち勇者の先行召喚に踏み切ったのである。

 

そして、その折に召喚された聖武器の振るい手こそが。

 

 

「オレ、風山絆。────四聖の1人、“狩猟具の勇者”だ」

 

「おお....なんか、カッコいいです」

 

「へへ~♪いやぁ、それほどでもぉ....あるかも?なんてね」

 

 

実際、彼女は魔竜の差し向けた魔族軍隊と幹部、四天王といった大物をも仕留めて、ついには魔竜を討ち果たした。

無論だが、彼女単身で実現させたものではない。冒険を重ね、仲間を増やし、絆を深め、出会いと別れを繰り返しながら強さを磨き、力を合わせて成し得た偉業である。

 

斯くして世界に平穏が戻り、秩序は立て直された。....というのは半分真実で、半分は偽りである。

決戦を終えて帰国した後、彼ら勝利者側の国々に残された選択は戦後処理という名の略奪だった。

当然だ。奪われた物は奪い返さねばならない。頭を失った事で指揮系統の混乱した魔族軍残党を追い立て、殲滅し、遂には勇者達しか辿り着けなかった魔竜の領土にまでその手を伸ばした。

国を建て直すにも、金や資材はどれだけあっても足りはしない。占領されていた亡国の領土を得れば利益はそれなりにあるし、何より前人未到の魔族領に眠る資源と領土はあまりにも魅力的だった。多くの国がその利権を求めて海を渡り、奴隷に落とされていた同族さえも巻き込んで、新たな略奪者同士の争いを勃発させたのである。

 

 

「オレはそれを止めるべきと思ったんだけど....友人に諭されちゃってね。聖武器の所持者が出る幕じゃない。むしろ、ここからは眷族器の所持者を初めとした、この世界の人間が片をつけるべき問題だって」

 

「眷族器、ですか....」

 

「ああ、オレの狩猟具とはまた違う、特別な武器ね。君は分かんないけど、オレみたいな召喚者以外....この世界の人だって、素質を認められれば所有者になれる」

 

 

彼女の言う友人こそがその眷族器の所持者の1人であったのだが、地位的にも外交に携われる立場であった以上、国の長となる者として出来る限りの事を為そうと奮闘していた。

対して聖武器の所持者であった彼女が、勇者として、また彼女個人としてその一助となるには足らない物があった。

 

彼女と、その仲間として同行した眷族器の所持者の一部は、魔竜との戦いにおいて大きな呪いをその身に受けてしまったのだ。

魔竜の苛烈なる魔法攻撃によって受けたものもあれば、代償を支払う事で強大な力を発揮する武器を重ねて扱った結果として受けたものまであった。

加えて、彼女の受けた呪いと代償はまた厄介で、力が大幅に衰える上、その衰えた力を再び強化する事がしばらく出来なかった。

これでは現地に出向いたとして、荒事に発展した際に対処が出来ず、逆に事を悪い方向に持っていかれかねない。

 

故に、優先すべき事は決まった。

政治的な問題は一旦友人に預け、最悪の事態が起こった場合に備え、呪いを受けた勇者はその力の回復に努める仕儀と相成ったのである。

 

 

「それでオレは、数人の友人と仲間を連れて旅に出た。武器の力を十分に発揮できなくても、出来る事はしたかったし。....正直、使命は果たしたからちょっと気が抜けてたのかもしれない。ぶっちゃけ、すっごく疲れてたしさ....」

 

「.....戦うのに疲れた、とか....?」

 

「....うん、そうかも。....呪いが解けるのを待ちながら出来る限りの事をして、もう少しでまた力を補充できるって所で、一番効率の良い場所に向かおうと思って、海を船で航ったんだ。....そこで」

 

 

彼女は。

彼女達は、出遭ってしまった。

 

それは風と共に姿を現した、一隻の船。

この世の者が造ったとは思えない程におぞましく、また神秘的でもあった、大いなる船。

 

これを彼女達は幽霊船と呼び、その謎を解き明かした。....その瞬間。

 

 

「船が消えちゃったんだ」

 

「消えた....?」

 

「うん。こう....辺りがパアッと光って、乗ってたオレ達は海に投げ出された。しかも、幽霊船の中にいた間に外は凄い嵐になっちゃっててさ。....オレは流されて、この“無限迷宮”があるミカカゲ国に漂着しちゃったんだよね」

 

 

彼女の冒険は終わりを告げ、この牢獄へと閉じ込められた。

 

無限迷宮と呼ばれる出口なき牢獄。

1度入ったが最後、如何な者も出る事の叶わない、1つの異世界に等しき特殊空間。

 

 

「....でも、何故なんでしょうか」

 

「何がさ?」

 

「いや、あの....風山さんの持ってるその釣竿が、聖武器の狩猟具ってやつで、風山さん自身も四聖の勇者、なんですよね。....四聖の勇者はそもそも、いずれ来る災厄の刻?ってやつの為に、召喚されるんでしょう?....なのに、1度入ったら出られないような牢獄に入れてしまうって、なんかおかしくありませんか。意味が分からないというか....」

 

「ああ、それはね....」

 

 

前提として、国々は合従連衡を繰り返していて、戦争が絶えない。魔竜の件で一旦は矛を収め合った彼らも、再び略奪者として争い始めてしまった。

 

彼女が籍を置くのは、友人の1人でもあり眷族器の所持者の1人でもある人物が舵を握っている国、名を『シクール』という。

そしてこの無限迷宮が存在する国『ミカカゲ』は、勢力的にはシクールの敵対国家に位置していた。

 

敵国に所属している者....しかも召喚された四聖の勇者が、漂着したとはいえ、唐突に領内へと現れた。ならば当然、シクールの侵攻や秘密裏の作戦行動を疑った事だろう。

これを捕らえ、保護し、国に送り返してやる事自体は簡単だ。寧ろ交渉材料にすら出来るかもしれない。

しかしだ。いずれ来たるという災厄が伝承通りの苛烈さを持つというのなら、このままシクール国に返すのはマズい。

 

世界が災厄への危機感を高め、再びの一致団結を掲げた時、最も大きな発言権と広い行動の自由度を得るのはどこか。無論、四聖勇者の召喚に成功し、その籍を確保した国なのだ。

それは後の国力増大へと繋がり、また歴史にも残される。災厄の終結後における世界的立場も、まずもって優遇される筈だ。

 

であるなら、それを敵対国家たるシクールに許す訳にはいかない。

寧ろ、今回の件でこの少女の発言が端を発して、シクールがミカカゲに侵攻する大義名分を得てしまってからでは遅い。

 

災厄の刻が来たれば、残り3名の聖武器の所持者も召喚される。

全ての聖武器の所持者が命を落とした時こそ、世界の滅亡であるという、かの伝承が正しいとするならば、万が一の為に手元に生かして置いておくのは悪手ではあるまい。

迷宮内で死んだというならそれはそれで一向に構わない。証拠も残らぬのだから、追及されてもしらばっくれればそれで済む話だ。

 

それよりも、将来的に故国ミカカゲが四聖の召喚に成功、もしくは勇者自身がその籍を置いた場合の利権にこそ、目を向けるべきところだ。

 

 

「オレは君がその召喚された四聖勇者の1人で、何かまた国にとって不都合が起きたから、今度は何かの方法で聖武器を取り上げてここに放り込んだのかなあとも思ったんだけどさ....」

 

「え....うーん.....さすがにそれは無いんじゃあ....ないでしょうか」

 

「それは何か、根拠でもあるの?」

 

「す、すみません。根拠なんて言えるようなものじゃないんですけど.....」

 

 

出海は手に持っていた椀の中身をさっと平らげると、椀を地へと置き、少しの沈黙を経てから、意を決したように口を開いた。

 

 

「.....僕、知っている....と思うんです」

 

「何を....?」

 

「────その、“四聖勇者”っていう....設定(・・)の事を」

 

「.........はい?」

 

 

彼女も思わず首を傾げた。彼が何を言っているのか、意味が分からない。

それを彼自身も理解しているのか、困ったような苦笑で反応を返してくる。

 

 

「.......今、設定って言った?」

 

「あ、はい.....言いました」

 

「....え、どゆこと?ちょっと何言ってるのかよく分からないんだけど....」

 

「は、はい。えっと....実は、ですね」

 

 

彼女と話している内に、出海はある事を思い出してきたのだという。

それは彼がこの無限迷宮に至るまでの経緯ではなく、それよりずっと前の、彼がまだ故郷にいた頃の記憶なのだそうだ。

 

 

「随分前に、ある小説を読んだんです。その作品に触れた切っ掛けはアニメだったんですけど....」

 

「小説にアニメ、ねぇ.....タイトルは?」

 

「えっと.....アニメの方のタイトルは『盾の勇者の成り上がり』。読んだ小説の方は、外伝的な扱いだったと思うんですが、『槍の勇者のやり直し』ってやつでした」

 

「....“盾”の勇者?それに、“槍”の勇者だって?」

 

 

出海は思い出せる範囲で、大雑把にその物語の内容を教えてくれた。

 

ある時、突然異世界に召喚された青年が、同じく召喚された3人の青年達と共に、四聖の勇者として災厄の波と呼ばれる災害から世界を護る使命を与えられる。

防御力面に特化した盾という武器の使い手になったその青年は、最初に仲間になった女性に騙されて金と名誉、何より他者からの信用と他者への信頼を失ってしまった。

 

単独で力をつけるのはあまりにも非効率である事を悟った彼は、目をつけてきた奴隷商人から奴隷の亜人少女を購入し、武器を与え、衣服や食事を与え、薬までも買い与えた。

共に戦っていく内に互いを信用するようになった彼らは1度目の災厄を見事に乗り切り、新たな魔物の仲間も増えつつ、旅を続けていく。

 

数少ない協力的な知人達や、各地で行った行商によって国内の民から得た信用。屍の竜との対決や、憤怒を秘めた呪いの武器。

2度目の波において対峙した、波の亀裂の向こうから現れた強敵。暗殺されかけた王女との逃避行。多くの国民に根深く浸透していた宗教的思想と、勇者全員を手にかけようとした教皇。

 

帰国した女王によって助けられ、他の勇者達との会談を経て新たに武器を強くする方法を得た主人公。

とある諸島でのレベル上げや、海上で発生した災厄の波。

レベル上げに協力してくれた気の良い冒険者からの突然の襲撃と対決。

 

 

「アニメの内容は大体こんな感じ、でしたね」

 

「へ、へぇ~.....いや、たしかに共通点は凄くあるよ。四聖とか、災厄の波とか、あと呪いの武器とか。....それにしても、固有名詞がほとんど聞こえなかったけど....登場人物の名前とか」

 

「す、すみません。なにぶん、最後に見たのは、記憶が正しいなら....高校生の頃だったと思うんですよね。正直、主人公とその仲間以外は覚えてないです....」

 

 

主人公の名は、岩谷尚文。

その相棒だった少女の名前は、ラフタリア。

新たに仲間になった魔物の名はフィーロ。彼曰く、幼女の姿と大きな鳥の姿を使い分けていたとか。

 

 

「あ、あと他の勇者の事ですけど....それぞれ、剣の勇者に槍の勇者、弓の勇者がいたんです。剣と弓の勇者は名前は思い出せないんですが、たしか高校生ぐらいの人達で....槍の勇者の人は、大学生。名前は元康(もとやす)....だったと思います。名字は北山だったか西村だったか....曖昧で覚えてないです」

 

「さっき言ってた『槍の勇者のやり直し』は外伝的な小説、なんだよね。もしかしてその元康って人が主役を?」

 

「だったと、思います。暇潰しに1~3巻くらいまでを流し読みした程度だったので、こちらの内容はうろ覚えですけど....」

 

 

槍の勇者であった元康が何かの戦闘で死んでしまい、過去の....異世界に召喚された当時へと死に戻る。

死に戻る前の強さをそのまま持っていた彼は未来を変える為に暴走しながらも奮闘するが、同じく勇者だった岩谷尚文の暗殺死がトリガーとなり、再び召喚された時点からのリスタートになる。

その後は未来の記憶や知識を活用して岩谷尚文を補佐しつつ、幾度も死に戻りながら奮戦していく。

 

 

「ほほ~....死に戻りかぁ。なんか、似たような能力を持った主人公のいるラノベを読んだ事があるような気がする。でも....1つ、気になるんだけど」

 

「何でしょうか....?」

 

「アニメは見て、外伝小説を読んだってのはいいけど....肝心の原作小説は?」

 

「......それが、読んでなくて」

 

「えぇぇ....」

 

 

アニメの影響で原作を読もうとしたが、どうやらネット上に残っていたweb版というのと書籍版は、かなり内容が違っているらしく。

当時の彼は何となくWeb版を読む気にはなれず書籍版から入ろうとしたのだが、書籍を買うような金もその手元には無かった。

代案として、近所にあったそれなりに大きな図書館に置いてあるという書籍版を借りて読もうとしたのだが、これまたアニメの影響か、書籍版は悉く貸出されていたり、加えて予約数もかなりあるという状況。仕方なく断念して、貸出されていなかった外伝小説の方を手に取ったという事らしい。

 

借りて読んだは読んだのだが、日常生活を忙しくしている内に読む時間が無くなっていき、返却寸前で流し読みしたのが最後の記憶なのだそうだ。

 

 

「四聖勇者。剣、槍、弓、そして盾か....少なくとも、オレの召喚されたこの世界とは、関係なさそう....かなぁ。もしかすると、別の異世界の四聖武器だったりして。....で?この話がさっきの話と、どう繋がるのさ?」

 

「は、はい。....えっと、僕はそのアニメと小説を読んだ訳なんですが、もう1つ....ネット上の、その作品についての解説をしてる記事みたいなサイトも、閲覧した事があるんです」

 

「.....あ、あぁ....あるね、そういうの。分かるよ」

 

「文章量も膨大だったし、登場人物の所とかは正直よく覚えてないんですが....世界観とか、武器の設定の項目とかは面白くて、読み込んだ記憶があるんです」

 

 

聖武器や眷族器といった特別な武具。

これは様々な物を素材にして、新たな武器が解放されていき、解放した事によるステータス上昇や技能ボーナス、スキル獲得などが行える。

 

それぞれの武器にはその強化方法が秘匿されており、聖武器には3つ、眷族器には1つの方法がある。

これらは互いに強化方法を共有して適用する事が可能で、それには心から信じる(・・・・・・)という前提条件がある、という事。

 

 

「風山さんの狩猟具はどう、ですか?」

 

「.....うん、驚いた事に大体同じだ。強化方法の共有ってやつも、オレは仲間内の眷族器が使ってた方法を教えてもらって、実践したから」

 

「やっぱり....あとは....」

 

 

曰く、聖武器と眷族器には対応した関係というものがあるとの事らしい。

具体的には聖武器1つに対して眷族器が2つ、という一括りで、互いに三竦みの関係であったり、共闘した場合にその真価を発揮する、といった場合があるのだとか。

 

また、かなり重要な問題として、本来1つの世界には聖武器1つと眷族器2つしか存在していなかった、という設定があると言う。

 

 

「.....何それ、初耳ぃ....」

 

「四聖武器と呼ばれるような、聖武器が4つある状態だと、対応する眷族器が2つずつとして、計8つ。その分、災厄の波で世界が融合した、とかなんとか」

 

「....つまり、なんだ。オレの召喚されたこの世界も、元々は4つ位に分かれてたのが、波の影響で融合した結果、今に至ると」

 

 

彼女にしてみれば、厄災の刻がいずれ訪れると聞いてはいたものの、その詳細については知らなかった。

波と呼ばれる災厄の現象。その実態は異世界同士の融合であり、彼女のいるこの世界でさえも、計3度の融合を果たした末に存在する。

 

出海の話が真実か否か、正確な判断は出来る筈もない。

だが少なからず共通項は存在するし、納得出来る点も多かった。

その情報源がネット上のサイトだというのはかなり微妙な心持ちになるが、これで今、はっきりと分かった事もある。

 

 

(この人....たぶんオレと同じ日本人じゃあ、ないな)

 

 

出海の言った小説やアニメが、彼女の世界には存在していない。探せば似たような物はあるやも知れないが、それなりにオタクだった自覚がある彼女としては、そういったものを見逃す訳がないとはっきり言える。

 

しかも、ここまで事実と彼の記憶が合致しているとなれば、この出海という人物は、本当は自分よりも全く別次元の日本から来ているのではないかとすら思えてくる。

 

僅かに考え込んだ彼女を余所に、出海は話を続けた。

 

 

「あと覚えてるのが、勇者の選定基準について、です」

 

「....う、うん。基準ね....どんなものがあるのさ?」

 

「はい。まず....聖武器にも眷族器にも、1つの武器に対して1体の“精霊”というのが宿っていて....」

 

 

彼女が所有権を持つ『狩猟具』もまた例外ではなく、聖武器と眷族器にはその力を司った精霊なる存在が宿っているのだという。

そして勇者というのはこの精霊が選定をし、所持者として認めた者であると。

 

その選定の基準とは、大まかに3つ程度の資質である。

 

1つは勇者としての資質。己が命を懸けて世界を守護し、大切な人々を救い、仇為す存在を打ち倒す強き意志を胸に秘める事。この資質の優先度は最大である。

 

2つ目は使い手としての資質。武器を振るう技術が優れていれば、よりその真価を発揮する事が可能となる。精霊もまた、使い手が己を振るうに相応しき腕を持つ事を望むのだ。

 

そして最後の1つは精霊との個性的な相性。これは性格・性質的な相性とも言える。精霊が所持者を気に入ったのなら、より深く繋がり、より濃密な協力関係を構築する事が出来るのだ。ただし、この資質の優先度は最低である。

 

 

「なるほどねぇ....友人に、精霊と少しだけど意志疎通が出来るのがいたから、武器に精霊が宿ってるのは知ってたけど....そんな基準で選んでたんだ。....っていうか、そういう大事な事は最初に直接説明するべきだよね。会話できないのかな、精霊」

 

「あはは....難しいかも、ですね。なにか、シャーマニズム的な能力でもあったら話せるのかもしれないですけど....」

 

 

出海が最後に話したのは、聖武器の精霊による召喚者の選定についてだった。

 

曰く、召喚という儀式を通じて精霊が異世界から所持者を選定するのだが、この時、必ずしも精霊が指名した人物を連れてこれる訳ではないのだという。

 

 

「どうやら召喚者の場合は候補が3人位いて、第1候補、第2候補、第3候補の順に適性が下がるとか」

 

「え~.....なんか不穏だなぁ。自分が候補の何番目だったのかとか、知りたいような知りたくないような....」

 

「ちなみにさっき話した、『盾の勇者の成り上がり』の主人公....岩谷尚文という人物は、第1候補だった筈です。たしか....第3候補は、勇者の素質はあるけど精神的に問題を抱えている、だったかな....」

 

 

彼女自身は生まれてこの方、某かの精神的問題を抱えた覚えなど無かった。

敢えて挙げるなら、仲間や友人から釣りバカと言われた事はあれど、それは娯楽であり趣味であり、自身に課した使命なのだから該当しない....と思う。

 

少なくとも第3候補じゃないよね、と心の内で安堵しつつ、狩猟具の釣り竿に嵌め込まれている宝石をコンコンと突いてみる。

この聖武器の精霊とやらと会話でも出来たのなら、この無限迷宮での孤独の日々も多少は変わっていただろうに。

 

 

「....話が長くなっちゃいましたけど、僕が自分を、その....召喚された勇者ではないと思う理由は、今の選定基準の話なんです」

 

「ふむふむ....?」

 

「僕には、勇者の素質なんて絶対ありません。人々を護るとか、世界を護るとか。そんな大事な事をやれって言われたら、たぶん....」

 

「....たぶん?」

 

「........面倒くさいって言って、逃げちゃうと思います」

 

「..........」

 

 

どうやら聞く限り、彼が自身を勇者ではないと考える根拠はその自己評価の低さであるようだ。

こういったネガティブ思考の人間は、珍しくない。こちらの世界でも、元の世界でも。

 

だが結果的に“逃げてしまう”というのは、この世界においては命取りでもある。

魔竜討伐の旅路で一時期、仲間として同行していた青年の事を思い出す。

彼の事情を全て知っている訳ではないが、かの青年はその命と保身の為に彼女達を裏切り、戦場から逃げた。救出する筈だった人間達も死に絶え、同時に彼女ら勇者を一網打尽にせんとする、魔竜四天王と呼ばれた魔物の策。

 

後に、忍だった仲間によって捕獲された青年の話によれば、青年の命の保証と、とある四天王の元で保護される契約の対価として、彼女ら勇者一行を罠に誘導したのだと。

仲間内では、彼の処分について意見は2つに分かれた。何をしでかすか解らぬ以上、即刻殺した方がよいという者達と、差し当たっては生かしたまま連行し、戦後に一旦、国へ連れ戻るべしという者達だ。

その場は結論、生かしたままの連行に落ち着いたのだが、安全確保の為にと貼り付けられた隷属の札によって精神を拘束され、まさに奴隷の如く雑務にのみ徹するしかなくなった青年の姿を見るに見かねて、彼女がある日の深夜に拘束を解いて逃がしたのである。

 

それから、あの青年の事は話にも聞こえてこなかった。

まずは彼女ら勇者一行を魔族領の大陸へ送り届けてくれた友人の元へ行くよう助言したから、無事辿り着けたのなら、今頃は故郷にいるだろうか。

いや、今思えばその友人が、魔竜との決戦時に土壇場で援軍に来てくれたのは、あの青年が何か伝えてくれたからなのではなかろうか。....まあ、確認のしようもないのだが。

 

 

「.....まあ、いいんじゃない?」

 

「え....」

 

「怖いとか、面倒くさいとか、死にたくないとか、荷が重すぎて不安とか。....たぶん、きっと普通の事だよ」

 

 

中身のなくなった鍋、彼女の椀と出海の椀を集めてから、飲み水を一口。

スッと立ち上がってから背筋をぐうっと伸ばし、深呼吸。

 

 

「だから、面倒くさい仕事から逃げたくなる事も、自分の命を優先して逃げ出すのも....きっと普通の事なんだ。むしろ、逃げないように自分を奮い立たせる事が出来る人の方が、ずっと少ない....と思う」

 

「..........」

 

「けど、逃げた事で起きる結果は、否が応でもちゃんと受け止めなきゃ。良い事も、悪い事も....ね」

 

 

彼女は燃やしていた薪を鍋に放り込み、竈の火を消した。

出海は慌てていたが、直後、一瞬の暗闇を経て見えてきた景色に息を呑んだ。

 

それは光だ。

淡く、青い、幻想的な輝きが地底湖を満たしている。

湖自体が光を発しているのではなく、地面や壁....つまりは洞窟そのものが輝いているのだ。

 

ここは陽の昇っている内は代わり映えもしない洞窟だが、夜になり、光源が完全に失せると輝きを放ち始める。

発光する不可思議な鉱石が至るところにあって、これを素材にした武器からは、夜中の狩猟時に役立つスキルが発現していた。

 

その光景に見惚れる出海を横目に、釣り糸を解いておもむろにキャスト。

水面を叩く音が響いて、湖面は波紋が幾重にも広がる。

 

 

「ただ、逃げる事が絶対悪いなんて思いたくないし。....だから、こう考えてるんだよ」

 

 

然程の時も経たぬ内に、竿の先が強く引かれる。

小まめに様子見をしつつリールを巻き、湖面へ近付いていく。

 

そして必中の瞬間を、狙い、定めて。

 

 

「....逃げたければ、逃げちまえばいいじゃないか!」

 

「.....ぇ」

 

 

思いっきり、竿を引いた。

釣り上げたそれは弧を描きながら宙を飛び、彼女の目の前へと落ちてくる。

リールで巻いた糸に指を滑らせ、それが地に叩き落とされる寸前、掬うように引き上げた。

 

 

「大切なのは、逃げた(みち)を忘れない事。思い出すのが辛いなら、逃げた途を振り返って、もう一度辿ってみるといい。悩む暇があるなら行動あるのみ!もう同じ途じゃなくなってるとしても、何か1つでもやり遂げてみれば、少しは気持ちも吹っ切れるさ。....それに、ほら。後ろめたさとかで苦しむよりも、気持ちは晴れやかなのが一番でしょ?」

 

 

思った以上に上手く釣れたので、嬉しくて頬がつり上がる。

彼女が獲物を見せながら出海に振り向くと、彼も愉快気に微笑んでいるようだった。

 

 

「.....そうですね。その通りだと思います」

 

 

パチパチパチと、出海が彼女に拍手を贈る。

 

彼から後で聞かれた事であるが、釣り上げたのはとある魚型の魔物で、明かりがない状態でこの洞窟が例の鉱石の輝きで溢れている時にだけ、出現するものだ。

素材の味としてはサーモンのそれに近い。焼いても旨いし、干物にしてもいける。

 

武器から取り出した袋に魚を詰めながら、彼女は言った。

 

 

「さ、今日はそろそろお開きにして、牢屋の方で一眠りしよう。明日からは忙しいよ~?」

 

「えっと....何を、するんです?」

 

「まずは君の衣類を縫わなきゃね。言っとくけど裁縫は得意でもないんだ、しっかり手伝ってよ?君のなんだから」

 

「は、はい。勿論、やります....!」

 

 

別の地底湖で鍋と椀を洗ってから、2人は洞窟を後にした。

 

夜の海辺へと出て隠蔽スキルを発動し、魔物を避けながら砂浜を歩いていく。

出海はようやっと少し慣れたのか、彼女の背後から離れないように気を付けつつ、しっかりと付いてきていた。

 

 

「......こんなに綺麗な所だったんですね」

 

「ん?....あぁ、まあね」

 

 

歩みを止めて、出海の視線が向く方を彼女も見やる。

 

あまりにも広大に過ぎる海。今夜は静かに凪ぎ、映った星々が海面を満たす。

元いた日本のある世界でなら、絶景というやつに数えられていてもおかしくはないだろう。

 

 

「....ここってさ、不自然に色んな場所と繋がってるんだよね」

 

「繋がってる....?」

 

「うん。この無限迷宮に囚われてから定期的に探索を続けてきたんだけど、別の空間同士が滅茶苦茶に繋がってて、行けども行けども....終わりが見えないんだ」

 

 

曖昧な水平線の向こうを見つめて、目を細める。

これほどに美しい景色でさえも、年がら年中毎日決まって目に入ってくると、こうも取るに足らないものに感じてしまうのか。状況が状況であるし、仕方ないのだろうけど。

 

僅かな沈黙があって、出海の視線が海ではなく自身に注がれている事を彼女は自覚していた。

果たしてどんな自分の表情を、彼の目は捉えているだろうか。少なくとも笑顔ではあるまい。

自分で言うのも何だが、例えるならば好きだった漫画やアニメ、ゲームのサービスが終わってしまった時のような憂鬱顔ではないだろうか。

 

 

「....ここは、別に悪い所じゃあないんだ。釣りが趣味のオレにとってもかなり、好環境だし」

 

「釣り....お好きなんですね、やっぱり。何となくそんな気はしてましたけど」

 

「へへ....親父の影響でね。女版“釣りキチ●平”たぁ、オレの事ですよ」

 

 

出海の元いた日本にもやはりあの漫画があったのか、彼は懐かしそうに笑ってくれた。

彼女も笑って、あぁこれだ、と今一度思う。

 

 

「確かにここは良い所だけれど、それでも人間、孤独なのが一番こたえる。ここにぶちこまれて再認識したよ。独りぼっちじゃ、こんな風に笑い合う事なんて出来ないんだって」

 

「........独り」

 

「....オレはもう、独りになんてなりたくない。....それに、ほら。君もさ、今のままじゃあ、危なすぎて一人でトイレに行く事も儘ならないじゃない?」

 

「そ、そうですね。ホント、すみません....」

 

「....はは」

 

「あはは....」

 

 

魔物の彷徨く美しい夜の海辺で、また2人は笑い合った。

 

出会ったばかりではあるが、既に互いが失うべき存在ではなくなっている事を自覚している。

少なくとも、悪意は向けられていない。ならば対話が出来るし、相互理解も可能だ。上手くやれば、良い協力....否、友好関係を結ぶ事も出来るだろう。

 

 

「オレは帰りたい。友人や、仲間達のいる場所へ。今もきっと、探してくれている筈なんだ。何となくだけど、そう....感じてるんだよ」

 

「......風山さん」

 

 

目蓋を閉じれば浮かんでくる。共に戦った者達や、港町に建てたあの家に、一緒に暮らしてくれた友人達。

 

この世界で出逢った初めての友人、無二の親友。

彼女の身と安全を、何より護ろうとしてくれた兄貴分。

世界の広さと不思議を教えてくれた、穏やかな姉貴分。

 

まだまだたくさん、会いたい人がたくさんいる。

一度は裏切ったあの青年とも、また会って、互いの近況など話したいものだ。

 

 

「人はさ、1人ならどこにだって行けるよ。でも、独りではいつかどこかで、必ず心が折れてしまう。....2人でなら、1人では辿り着けない遠くにだって行ける。オレだけじゃ行けなかった所も、君とだったら行けるかもしれない」

 

「..........」

 

「だから、頼むよ。....取り引きしてほしい」

 

 

彼女は、出海の目をまっすぐに見た。

少し伸びた前髪の向こうで出海は一瞬目を逸らしたが、またゆっくりとそれを戻して、彼女を真っ向に見据えた。

 

 

「オレが君をサポートする。だからここを出る為に、君の力を貸してほしい。....君は、オレにとっての....最後の希望ってやつなのかも、しれないんだ」

 

 

そう言って、彼女は肩に掛けていた釣り竿を左手に回し、そっと右手を差し出した。

この手を彼が取ってくれる事を、彼女は願い、そして期待した。

出海がこれを拒んだとしても、彼女が彼をすぐに見捨てる事はあり得ない。甘いと人は言うだろうが、こればかりは彼女の育んできた信条というか、人情というやつだった。

 

それでも、出来るなら今ここでお互い、覚悟を決めるべきだと思った。

誰でもない、彼女自身の為にこそ。

誰でもない、彼自身の為にでもある。

 

彼女は己の右手を見つめ、出海の反応を待った。だが、返ってきたのは手ではなく言葉だった。

 

 

「.....風山さん、あなたは....僕の、命の恩人です。だから、取り引きなんてする必要もない。....泣きそうな女の子の頼み1つくらい引き受ける甲斐性はある....なんて、自信を持って言う事は、流石に出来ませんけど」

 

「......オレ、そんな顔、してたかな?」

 

「....どう、でしょうね。実際は泣いてないけどそんな風に見えた、とか....いや、やっぱり、ちょっと涙ぐんでたかもですね」

 

 

少々意地の悪い事を言いながら、彼はまた僅かに目を逸らして、肩を竦めながら苦笑する。

 

 

「とにかく。僕に出来る事があるのなら、させてください。役に立つか分からないし、恩返しになるかも分からないけど.....僕の命を掬って(・・・)くれたあなたの為なら、頑張れるような....そんな気がするんです」

 

 

出海はゆっくりとその右手を伸ばし、彼女の右手と握手を交わした。

 

 

「これからよろしく。出海くん」

 

 

嬉し気にそう言った彼女へ、出海もしっかりと頷いてくれた。

 

気付けば周囲を彷徨いていた筈の魔物達の姿も、いつの間にやら見えなくなっている。空気を読んだとでも言うのだろうか。....いや、ただの偶然だろう。

 

 

(........ん?)

 

 

出海との握手を解いた瞬間、微かな振動と、儚く散った光を感じたような気がした。

どこからと言えば、釣り竿の....嵌め込まれた青色の宝玉からだ。違和感に気付いた時には既に振動も光も無く、本当に一瞬だった。

 

ふと、この狩猟具の聖武器にも精霊が宿っているという事実を思い出す。精霊が何か、伝えようとでもしたのだろうか。

だとしても、会話などは出来ないのだ。今それを気にした所で、どうしようもないだろう。

 

 

「風山さん?」

 

「....ん?ああ、いや。何でもないよ。さ、行こう」

 

 

海辺をしばし歩いて、2人は七色の扉の元まで辿り着いた。

彼女は出海の安全を考慮し、彼を先に通して、牢屋のある迷宮へと送り返した。

 

彼女も扉を潜ろうした時、偶然、夜空の星々の中で最も大きいそれを視界に捉えた。

 

それは月だ。

いや、こちらの世界でも月と呼んでいいのかは彼女にも分からなかったが、少なくともこの世界も、元いた世界の地球のように1つの大きな星であり、地球にとっての月のような、つまり、この星の衛星があれなのだろう。

見慣れたものと言えばそれまでだが、今夜の月はいつにもまして明るい。

 

 

「月の神様といったら、アルテミス様....だったかな」

 

 

加えて、かの月女神は狩猟神でもあられる。

狩猟具の聖武器を所持する彼女にしてみれば、信奉するに最も相応しき神なのは間違いない。

 

ただ、彼女自身はそこまで神や悪魔といった存在を信じてもいないし、崇拝するような信心深さも持ち合わせていない。

それでも良い機会だからと、彼女は願いを呟いてみる。

 

 

「幸運を、とか贅沢は言わないからさ。せめて────」

 

 

釣り竿は形を変じて、弓となった。

手持ちにあった矢を番え、ぎゅっと力をこめて引き絞る。

 

 

「────見守っててよ、女神様」

 

 

凛と輝く月を目掛け、夜風を切って一矢が翔んだ。

そうして彼女───風山絆は、気持ちを新たに扉を潜り抜けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

S.Z. 不適合者と4人の命(Unexpected Error and Destiny of Death.)

 

 

支給されてからもう随分と経つ鎧と兜を身に纏って、彼は最後に剣を鞘から抜き、剣身を検めた。

問題は無い筈だ。へこみも無く、刃も欠けず、汚れもまた無し。鞘へと戻し、鍔は小気味良い金属音を響かせた。

 

 

「さて....」

 

 

彼は廊下を進み、訓練場へと出た。

そこには既に数百人の兵士達が整列し、号令の時を待っていた。

 

 

「休め」

 

「整列、休め!」

 

 

彼の声を聞き、即座に一番前に位置する者が指示を出す。

兵士達は姿勢をやや崩して体の力を抜いたが、それでも尚、全体の整列は乱れない。

 

彼は兵士達の姿を端から端までさっと一瞥した後で、声を張り上げた。

 

 

「本日の役目は、先日説明した通りだ。これは訓練ではない。....が、難しい役目でもない。遂に召喚された四聖勇者御一行の門出を見届ける、それだけだ。第四騎士団として、ふさわしい振る舞いを見せろ」

 

「「「「「「 はっ!!!! 」」」」」」

 

 

兵士達全員の揃った返事に対し、彼が敬礼をすると再び、指示が響いて全員が敬礼をする。

 

 

「よし。各隊は持ち場に移動し、指示あるまで待機。俺が指名した三名は同行しろ」

 

 

3人の兵士が隊列から抜け出し、走って彼の元までやって来る。その後、兵士達は移動を開始した。

彼と3人も訓練場を後にし、再び廊下を進んでゆく。

 

 

「あ、あの....教官」

 

「.....今は副長と呼べ、エイク」

 

 

歩きながらその背に声をかけてきた3人の内の1人、少年の兵士に彼は応えた。

 

 

「失礼しました!....それで、副長。なぜ、新参の僕を同行者に....」

 

「....何事も経験というやつだ。上には上で、下を評価し、叩き上げて引き上げるという仕事もある。それだけだ」

 

「は、はあ....」

 

 

彼らは廊下をしばらく行き、最も奥にある部屋の扉へと到着した。

ノックをすれば、「入れ」という声。彼は扉を押し開き、兵士3名と共に部屋へと招かれた。

 

 

「そろそろお時間です、団長。私と同行者3名、準備は整っております」

 

 

発言と同時に素早く姿勢を正し、敬礼をする。他の3名も僅かに遅れてではあるが、彼の横に並んだ。

 

 

「ふむ、貴様らか。....まあ、いい。私も移動するとしよう。....と、その前にだ」

 

 

団長と呼ばれたその男は整頓された机上にあった大きな封筒を2つ取り、彼の元へと近付いた。

 

 

「副団長、貴様は使いとして第二騎士団と魔法師団情報部へ赴き、これを届けろ」

 

「今からでありますか?」

 

「なに、急がずゆっくりで構わん。時間的にはまだまだ余裕だ。当の勇者様方も食事中との事らしいからな」

 

「....かしこまりました。直ちに行って参ります。彼らはどういたしましょう」

 

「こいつらは私が連れていく。貴様は集合に間に合うよう、玉座の間に来い」

 

「はっ!」

 

 

彼が書類の封入された筒を受け取り、そのまま部屋を出ようとした瞬間、行く手は遮られた。

何があったと言えば、扉を優に越す身長の巨漢が部屋の入り口前にいたからだ。

 

 

「貴様は第三の.....何をしに来た」

 

「はっ!ご無沙汰しております、アーマビア団長。用という訳ではないのですが....ザローネの奴を借りても構いませんか」

 

 

そう言って、巨漢は彼を指差した。

団長と呼ばれた男は剣を佩き、飾りの付いた兜を装着しながら返事をする。

 

 

「構わんが....そやつには使いを頼んである。貴様も副団長である以上、集合までには間に合わせろ。それから....」

 

「はっ!」

 

「....そこを退けぃ。貴様のような図体の者が陣取っていては私が通れんではないか」

 

「はははは!これは失礼いたしました!」

 

 

巨漢が横にずれて入口が空くと、団長は3人の兵士達を引き連れて部屋を出ていった。

続いて彼も部屋を出ようとしたが、頭を下げて覗きこむように巨漢がまたも通せんぼ。

 

 

「よお、戦友。前の共同訓練以来か」

 

「....元気そうだな、バルダ」

 

 

彼と似た鎧を纏い、稲穂を思わせる淡い金髪が火の玉の如く乱れた巨漢。バルダというのは略称であり愛称だが、彼にとっての同僚であり、旧友でもあり、戦友でもあった。

 

バルダは彼の手に持つ物をちらと見ると、己の背後から似たような封筒を掲げて見せた。

 

 

「お前も使いっ走りか。一緒に行こうぜ」

 

「こっちは第二と情報部だ。そっちは?」

 

「情報部。聞きたい事もあるんだ。第二の方も付き合ってやっから、歩きながら話そうぜ」

 

「了解だ。その前に出口を空けてくれ」

 

「おっと、悪ぃな」

 

 

彼はバルダと共に部屋を後にし、第四騎士団の詰所から出た。

見上げれば王城がそびえ立ち、陽の昇る方角からしてこちらの詰所はその巨影に隠れている。

 

第二騎士団の詰所はどこかと言えば、第一騎士団と同様に城内だ。

ぐるりと城壁の外側を囲む用水路に沿って歩き、下ろされている橋がある城の正面へと行く必要がある。

 

 

「....あれからどうだ。第四は」

 

「どう、と言われてもな。一部の者は去り、一部の者は残った。それだけだ」

 

「そうか.....こっちゃ、酷いもんだったぜ」

 

「.....何かあったのか」

 

「討伐に殲滅、残党狩りまではよかった。だが、一部の奴らが亜人狩りなぞ始めやがった。畜生どもめ」

 

 

橋へと差し掛かりながら、バルダは愚痴を溢した。

 

彼は第三騎士団の副団長だ。

一度目の災厄の波によって生じた魔物達の討伐や近隣住民の保護、復興支援を名目に派遣された第三、第六、第八騎士団を統率する立場の側にいた訳だが、予想以上に酷い有り様だったらしい。

 

兵士の一部の暴徒化、それに伴う亜人・獣人狩り。他、近隣の村からの略奪。

 

特に、領主の亡くなったセーアエット領は悲惨だ。

親女王派且つ親シルヴェルト派でもあったその領主の治める地には多くの亜人や獣人が暮らしていた。

災厄の波によって多くが犠牲となり、その他の者は亜人狩りなどで捕らえられ、奴隷商へと売り払われたとの事だ。

 

重要な外交の為とはいえ国内におられない女王の意思を無視した上、波による緊急事態を逆手に条約を無視した暴動にまで至る、その愚かさといったら。

 

 

「.....こっちに戻ってから日が浅くてよ、確認したいんだが」

 

「ああ」

 

「セーアエットの御息女が騎士爵位剥奪の上、投獄されたってなぁ本当(マジ)か?」

 

「.......事実だ。大公がそう為された」

 

「....だあ、もう。やりたい放題だな、あのじじい」

 

馬鹿者(ばかもん)、迂闊だぞ。口を慎め」

 

 

彼の指摘に「すまん」と一言おいて、バルダは城門の管理をする兵士達に入城許可の申請をする為、近付いていった。

 

彼にはあの男の言いたい事も分かるつもりだった。

確かに上の命令に反した行動を取ればそれなりの罰を与えられるのは当然だが、今回の件はあまりにも理不尽だ。

 

かの大公....オルトクレイ=メルロマルク32世は、自国の民にも等しい筈の亜人や獣人達を見捨てたどころか、例の暴徒共による亜人狩りを容認しているとさえ噂されている。まあ、確かに国は、国内の全ての者についてその戸籍等を管理している訳ではないのだから、彼らにしてみれば護るべき国民などという認識にそもそも至らないのだろうが。

 

もっと言えばその手の話は各領地の主....つまりは貴族に委ねられているし、それは事実上の国主たる女王も承知している事だろう。

だからこそ、今回の災厄の波による被害は大きい。女王が最も信頼する家臣にしてもう1人の大臣でもあったセーアエット卿を失った穴を埋めようにも、亜人・獣人達を保護できる立場の者は悉くが左遷され、大公の周りには亜獣排斥派の貴族が集まるばかりだとか。

この期に及んでは何を考えたのか、四聖勇者召喚の儀式を強行する始末だ。

 

彼やバルダのような騎士身分の者にはどうしようもない。反意ある行動とみなされたなら、まず間違いなくセーアエットの御息女と同じ末路に至るだろう。

それはまずい。自分の身の心配という以上に、自分が騎士団から去った場合、残された兵士達の前途が危ぶまれる。

 

 

「許可は下りた。行こうぜ」

 

「ああ」

 

 

言っては何だが、彼は己が上司たるあの団長───ノプス・アーマビアという男を信用出来ないのだ。

 

貴族出身たるあの男の、教養の高さから来るのだろう事務処理能力の高さについては彼も認めざるを得ない所だが、騎士の長としては些かも信用出来る点が無い。

指揮官故か剣の技術は半端な上、無駄に上昇志向のあるあの男の事だ、今回召喚された四聖勇者やその保護・支援にあたる貴族に少しでも取り入らんとするのはまず間違いない。

ともすれば、災厄の波が到来する度に部下達を無謀にも突撃させ、無駄死にさせる未来が容易に想像できてしまう。

 

それに第四騎士団のみではないが、騎士団には亜人の兵士が一部、入団している。思うに、第五以降の騎士団に所属する者の扱いは酷いの一言に尽きるのではあるまいか。

彼個人としては彼らの事も気にかけてやりたい所ではある。しかし、まずは目の前にいる者達からだ。第四騎士団に所属する亜人兵士達の安全だけは確保しておかなくてはならない。その為に、せめて亜獣排斥などという風潮に簡単には流されないよう、日々の激しい訓練を課しているのだから。

 

 

「そう言やあ、アーマビア団長の部屋にエイクの奴がいたが、同行させたのか」

 

「まあな。ああいう若造が、これからは重要になるだろうさ」

 

 

彼はエイクという少年兵の事をそれなりに高く評価していた。....といっても、一兵士としての評価は微妙だが。

 

 

「あれは未熟者だが、区別と差別の違いを解っているし、何より根性だけはある」

 

 

加えるなら、あとは誰とでも協力や連携が取れる点だろうか。気は弱い方だがどんな立場の相手にも一定の理解を与え、与えられるあの協調性は、どう見ても今の彼の立ち位置に相応しかった。

不遜な考えを持つ意図ではないが、いずれ彼が団長になった暁にはあの少年兵を補佐に付けておきたいとは薄々、思っているのである。

 

 

「到着したぜ。....っと、おぉ?」

 

「あれは....」

 

 

第二騎士団詰所に到着した2人は、ちょうど団長室から扉を開けて出てきた人物に注目した。

魔法師団の端くれたる証、青い羽の黒帽子。灰色のベストの上には薄い生地のローブを羽織っている男だ。

 

 

「....おや、君達は」

 

「よお、未来の賢王。元気でやってるかあ?」

 

「やめておくれよ、バルミューダ。僕は将軍になる気なんて無いと昔から言ってるだろう?」

 

 

男は挨拶代わりに片手で帽子をつまみ上げ、ひらひらと2人に対して振りながら微笑んだ。

若干ウェーブがかった藍色の髪が揺れ、彼は故郷の領主を思い出す。左遷された訳ではなく元々辺境の方であったが、今も亜人・獣人達の保護に奔走しているのだろう。

 

 

「僕は歴史家になりたいんだ。戦史研究課に入ったのだって、故郷に比べればずっと膨大な蔵書に触れられるからだしね」

 

「....お前の出版した本や論文には目を通してるが、毎度最初に指摘される問題点は直せそうか?」

 

「ははははは!」

 

 

男は帽子を被り直し、ぽりぽりと頬を掻いて苦笑した。

 

 

「分かってるよ。文章がどうも冗長になり過ぎるって言うんだろう?読み手の事を考えるべきなのは理解出来るけれど、伝えたい事が止まらなくてね、いやはや」

 

「がはははっ!相変わらずで何よりだぜ。まあ、ともかく....」

 

 

2人して男の傍に近寄ると、バルダが男と彼の背中をバンバンと笑顔で叩いた。

 

 

「軍学の同期が揃ったな!嬉しいじゃねえかよ、今から飲みに行きたいぐらいだ」

 

「朝っぱらから飲めるなんて、君も相変わらず内臓が強いねぇ」

 

「何より、俺達にはまだ仕事がある。そちらを片付けるのが先だろうさ」

 

「わーってる、わーってるぅ!んじゃ今夜、行きつけで集合な!な、な、いいだろう?」

 

「分かった分かった」

 

「ははは、楽しみにしておくよ。それより、第二騎士団に何か用だったんじゃないかい?」

 

「ああ、届け物だ。次は情報部だがな」

 

「おや、うちに来るのか。なら案内させてもらうよ。用事を済ませておいで、サーブル」

 

「ほぉれほれ、行ってこい。あんま待たせんなよ」

 

 

急かされた彼は団長室へと入り、騎士団長の代理の者がアーマビアからの書状を確かに受け取った事を確認して、部屋を後にした。

 

先ほどの男が所属する戦史研究課は、文字通り歴史を研究する部署であると同時に、新たな戦術や戦略といったものを研究・考案する役目を担っている。

一応、大まかには情報部の一部署として扱われているが、国内に点在する支部との相互連絡や情報収集を行う情報機関としての側面を持っているのは、また別の部署だ。

 

 

「そう言えば、ヒューイ。魔法師団も、一度目の災厄の波による被害の後処理へ駆り出されたんだろう?」

 

「ああ。騎士団の援護と、復興支援の為に動いたんだけれど....」

 

「....あの暴動に加えて、上からの撤収命令と来たもんだ。意味分からんよなぁ」

 

「....らしいね。生憎、僕はこちらの儀式の準備の為に、出動はしていないんだ」

 

「では、四聖勇者召喚にお前も立ち会ったのか」

 

「色々と手伝わされたよ。災厄の波に関する伝承の解読は、こちらの部署も本業だったから否やは無かったんだけど、まさかあんな物まで持ち出してくるとはね....」

 

「......聖遺物(レリック)か」

 

 

彼の呟きに、隣を歩む男───ヒューイは首肯した。

 

勇者召喚に使用される聖遺物は、世界中で発見されたものを一度、全て大国であるフォーブレイに集め、検められた後に再度、各国へ分配される予定だった。

実際、メルロマルクからも数点の聖遺物が発見され、これらを女王が持って行かれたのであるが、女王の帰国の目処がつく直前、ある事件が起きてしまった。

 

 

「四聖勇者の召喚.....しかもまさかの4人全員が、同時にだ。我が国は、世界の事情を無視して大変な事をしでかしてしまったよ」

 

「聞いてた話じゃ、かの勇者の大国が第一優先権を得ていた筈だよなあ?」

 

「そう、フォーブレイだね。おそらく今頃、女王様は大変混乱されて....いや、寧ろ激怒されているかもしれない」

 

「.....だろうな」

 

 

勇者召喚については国毎に順番が決められ、召喚するのは一国につき1人まで。そういう協定だった。

しかし王───大公オルトクレイはこれを無視し、召喚を強行した。それが昨日の出来事である。

 

ヒューイはため息をつきながら、首を横に振った。

 

 

「王が何をお考えなのか、流石に僕にも分からなくなってきたよ」

 

「お考えも何も、ありゃしねえんじゃないか。大体よ、お前ら魔法師団の把握してない聖遺物なんてもんが出てきた時点で、一枚噛んでんのがどこの誰かなんぞ、薄々勘づいてんだろ、皆よ」

 

「..........」

 

 

彼がトンと肘で小突くと、バルダは1つ咳払いをして口を閉じた。その先を言うのは、少なくとも城内では危険だと判断したからだ。

理解しているのか、ヒューイも反応は返さない。

おそらくは、この場にいる3人の頭の中に同じ人物が浮かんでいる事だろう。

 

ビスカ=T=バルマス。

 

教皇と呼ばれている男だ。

このメルロマルク国において国教として定められている『三勇教』、その宗教組織たる教会の長。

 

かの男が関わっているのだとすれば、例の聖遺物の出所はどこなのか。秘匿していたか、或いはすり替えたのか。

どちらにせよ、彼ら一般の兵士に近い立場の者が深入りすべき問題でない事だけは、確かであった。

 

 

「2人共、例の噂は聞いているかい?」

 

「「噂?」」

 

 

唐突なヒューイの質問に、心当たりの無い彼らは顔を見合わせた。

 

 

「その様子では聞いてないか。....召喚された四聖勇者の内のお一人。────盾の勇者様の事だよ」

 

「...........」

 

「盾の勇者、ねえ....」

 

「僕も直接その場にいた訳じゃないから、詳しい話は出来ないんだが....」

 

 

ヒューイによれば、盾の勇者の四聖武器である“盾”が原因不明の故障に陥っている可能性があるのだと言う。

先日の召喚当日。玉座の間に通された勇者一行は、王の御前にてそれぞれ自身の名を名乗った。

しかし盾の勇者が話を始めた途端、周囲に酷い雑音が響いたのだとか。

 

 

「雑音?」

 

「....そうだね、君達が想像しやすい例えは....虫型の魔物が周囲を取り囲んでいるって所かな」

 

「ああ....何となくは分かった。それで?」

 

「どうやら盾の勇者様のお声そのものが雑音と化していて、会話が不可能だったとか。他に召喚された剣の勇者様、槍の勇者様、弓の勇者様によれば、盾の勇者様には他の勇者様以外の者の言葉が理解出来ていなかったとの話だよ」

 

「そりゃあまた難儀な事だ」

 

「それだけじゃないさ。昨晩あたりから城内で囁かれているんだが....」

 

 

四聖勇者は同じ人種、且つ故郷を同じくしていながら、実はそれぞれ別の世界から召喚されているとか。

そして剣、槍、弓の勇者はこの世界の事を知悉していても、唯一盾の勇者だけが、この世界の事を何1つとして知らないだとか。

 

 

「....たかが、噂だろう?」

 

「ああ、噂だとも。しかし、召喚された矢先にこんな噂が広がっているのは何か理由があるとは思わないかい」

 

「....まさか、王御自身が」

 

「勘がいいね、サーブル」

 

 

どうせ勇者達の寝室を覗き見、或いは聞き耳を立てていた輩でもいるのだろう。

そしてそれを指示したのは王....もしくはその周囲の誰かだ。だとすれば、狙いは。

 

 

「思うに、あの方(・・・)か大臣様あたりが、王に良くない入れ知恵でもしているんだろうね」

 

「かあーっ!やだねえ、陰湿陰湿。....とは言え、まあ、盾の勇者となりゃあ、解らん話でもないけどよ」

 

「おや、それは何か根拠でも?」

 

「盾の勇者って言やあ、本来向こうの....亜人達の国に召喚されるべき存在だろ。こっちに召喚されちまってる時点で、何か妙な間違いが起こってもおかしくない....ような気がするってだけだ」

 

「シルトヴェルト国の事だね。....うん。根拠としては弱いが、可能性の1つなのかもしれない。それに、こちらに召喚された盾の勇者様は我々と同じ純人間種だったけど、もしあちらで召喚されていたなら、亜人や獣人のような種族の方が召喚されていた....のかもしれないね」

 

「ふむ。.....たしかここだったか、お前の勤務先は」

 

 

話している内に、第二騎士団詰所から城内においては真反対に位置する区画....魔法師団の詰所付近へと辿り着いていた。

彼自身は滅多にここまで来る事がないのでうろ覚えだが、ヒューイの勤務する戦史研究課は今ちょうど通りかかった扉の先だ。

 

 

「そうそう。目的の本部はこっちだよ、ついてきて」

 

「ああ」

 

 

彼らは区画の更に奥へ行き、ヒューイと同様にローブを着た者達か忙しなく勤めに励む大部屋を抜けて、妙に黒い扉の前へと立った。

ヒューイが軽く3度ほど扉を叩くと、ガチャリと鍵の開く音。

 

 

「さあ、どうぞ入って」

 

 

彼とバルダは部屋に通されて即座に並び、敬礼をした。

 

 

「「失礼いたします!」」

 

「....騎士団の者か。珍しいな。お前の知り合いだったか、ヒューイ」

 

「ええ、以前お話した友人達です」

 

 

扉を閉めたヒューイが2人の隣へと並び、帽子を取る。背後で間もなく、鍵の閉まる音がした。

 

部屋の窓側にある机で事務に勤しんでいたその人物は万年筆を置き、立ち上がって彼らの目の前へ歩み寄った。

 

 

「魔法師団所属、情報部統括のイオリア・フェルミ=ガンだ」

 

「第三騎士団所属、副団長。バルミューダ・ハイルラインであります」

 

「第四騎士団所属、同じく副団長。サーブル・ザローネであります」

 

「えー....僕も名乗りましょうか?」

 

「.....お前はいいよ。それで、用件は?」

 

 

彼は半歩前に出て、手に持っていた最後の封筒を手渡した。

 

 

「第四騎士団団長、ノプス=アーマビアよりお預かりした書状であります。受領いただきたく」

 

「ふむ。そちらもか」

 

「はっ!第三騎士団団長、グラント=ウェスコーディアよりお預かりした書状です。受領の程、よろしくお願いいたします」

 

「うむ。....拝領した。しばし待ってくれ」

 

 

受け取った封筒の中身を確認しつつ、机の方へと戻っていくその人物を見ながら、彼は思った。

今までも幾度か情報部に顔を出した事はあれど、統括に直接会った事はなかった。噂には聞いていたが、本当に女性(・・)だとは。

 

しかも魔法師団の一員らしくローブを着ているものだから、例にもれず魔法使い(スペルキャスター)かと思えば、歩き方と立ち振る舞いは寧ろ戦士のそれ....どちらかと言えば拳法でも修めていそうだ。

 

椅子に腰を下ろして書類を確認した彼女───イオリアは、唐突に舌打ちをした。

 

 

「命令書付きか。こちらも開発部にまわさねばならんな」

 

「人事か何かで?」

 

「ああ、国境に人員を割いておきたいらしい。うちからも数名出す事になるだろう」

 

「....確認ですが、僕は違いますよね」

 

「ふん。お前が行ったところで何の役に立つというのだ。労働力としても子供にさえ負けるだろうに」

 

「あははは....相変わらず手厳しいね、イオ」

 

「「!?」」

 

 

急に言葉遣いを崩したヒューイに、彼とバルダはぎょっとした顔を向けた。

 

 

「お、おい。上司に向かってその口調はダメだろ....」

 

「....貴殿らは気にし過ぎだ。私が許している」

 

「は、はあ....」

 

「2人には話してなかったよね。僕らが軍学にいた頃の先輩なんだよ、彼女。ほら、覚えてないかな。二期上で首席卒業した人」

 

「あ、ああ....何となく覚えてはいるが」

 

「....え、なに。それにしたって愛称で呼んじゃうとかどんな関係だよ」

 

「あ~.....君らはあんまり気にしてなかったけど、僕があの頃、女性と交際してたっていうのは知ってるだろ?」

 

「ああ、いつの間にか別れたっていう....」

 

「そりゃ私だよ」

 

「「はああああッ!?」」

 

 

思わず大声で驚いてしまい、2人はサッと自身の口を押さえた。

信じられない事に照れている様子のヒューイを凝視しつつ、イオリアに頭を下げる。

 

 

「し、失礼いたしました....」

 

「気にするな。この部屋の壁は特別製だ。外部にはほぼ、音も声も届かないようになっている」

 

 

後で聞いた話ではあるが、彼らの付き合いは交際とはいっても偽装であったらしい。

評価の為とはいえ、所謂ところの優等生というやつを演じ過ぎてしまった結果、お近づきになろうとでもしたのか言い寄ってくる者が後を絶たなかった為、本ばかり読んで明らかに暇そうだった見知らぬ後輩を巻き込んだのが出会いであるとか。

 

 

『交際と偽りつつ、大抵はチェスをしながらこいつの歴史談義を聞き流していただけだがね』

 

『じゃあ、好みだったとかそういう訳でも全然なく....?』

 

『男の趣味の話か?組手の1つも出来ん軟弱と一緒になるつもりはないよ』

 

 

というのは、今夜の飲み会にゲストで参加した彼女の言である。どうも好みという意味で当てはまっていたのは、年下であるという点のみだったらしい。

ともかく、これが縁となってヒューイの配属にもコネを回し、現在も良き上司と部下の関係を続けているのだそうだ。

 

 

「ところで、お前の友人というからには信用できるのだろうな」

 

「ええ。少なくともこの部屋の外にいる者達に比べれば、ずっと」

 

「「?」」

 

「であれば、先に君達に尋ねたい事があるんだが」

 

 

指を組み、鋭い眼光で2人を睨み付けながら、イオリアは言った。

 

 

「君達は、“神”を信じているか」

 

「「..........」」

 

 

予期せぬ問いに内心戸惑い、彼は隣の友人と視線を交わした。

この質問の意図は何か。

彼女は如何な答えを、期待しているのか。

 

神といえば、即座に頭をよぎったのは勿論、昨日召喚されたという四聖勇者だ。

このメルロマルクという国の国教たる三勇教に限らず、世界にはかの四聖勇者とその武器を信仰の対象とした宗教がいくつも存在している。

無論、国教だからといって全ての人民が三勇教の信者足らんとしている訳ではないが、それでも実情、貴族や兵士、民をも含め半数以上は、古くからの教えであるこの宗教に信心を捧げてきた。

 

曰く。

世界に平和を成し、人民に幸福をもたらし、政に仁と善を()くは三柱の神の武具を持つ者なり。

対し、世界を混沌に陥れ、人民を恐怖させ、悪を布き魔道へと誘うは一柱の悪魔の武具を持つ者なり。

 

そしてこの三柱の神というのは、召喚された四聖勇者の内、剣と槍、弓の武具を持つ者で、一柱の悪魔とは盾の武具を持つ者なのだと言う。

 

彼個人としては、こういった神や悪魔などという話に些かの興味もありはしなかったが、とある話には理不尽だと思った事もある。

現在の国主である女王が、20年近く前の戦争が終結した後、今日に至るまで着実にシルトヴェルト国との融和政策を進めてきた訳だが、それ以前においては国内で盾という防具それ自体の使用と製造を禁止までしていたらしい。

なにせ、敵国とその信仰対象の象徴(シンボル)だ。当時、英知の賢王とすら畏れられていた かの大公を初めとして、多くの貴族や三勇教の教義を支えとした者達の意思が介入していた事は想像に難くない。

 

ただ、この場において彼女が聞きたいのは、そういった古臭い宗教思想に今も尚、追従する者であるのかという話ではあるまい。

少なくとも旧友であるヒューイは1つの宗教にのめり込む性質の人間ではないし、そんな男と対等に接するこの女性もまた、他大多数の人間とは違う性質の持ち主だろう。

 

何より、先ほどヒューイと彼女は言ったではないか。

この部屋は特別で、外部に音声の漏れる心配は無い。その部屋の外にいる者達よりは信用できる、と。

すなわち、本音で話せと言っているのだ、この女は。

 

 

「四聖勇者が実在した以上、神の存在を疑う余地はもはやありません。しかし....」

 

「しかし、何だ」

 

「私が....いや、俺が信じているのは神ではなく....己と、友と、そして共に戦う者達だけです」

 

 

彼がそう答えると、隣でバルダが安心したように息を吐く。

 

 

「右に同じであります。悪魔の末裔というだけで亜人や獣人達を殺しにかかるような野蛮な連中と同類にみなされるのは、御免ですな」

 

「.....ふん。悪くないな。気に入ったよ」

 

 

イオリアはふと笑みを浮かべて、僅かに思案した後、席を立った。

カツカツと小さなヒールの音を立てながら彼の目の前へと歩み寄り、そっと右手を差し出してくる。

 

 

「貴殿らになら、こちらも情報を開示して問題は無さそうだ。あらためて、よろしく頼むよ」

 

「情報、でありますか」

 

 

彼と握手を交わした後、隣のバルダとも握手をしてから、彼女は机に腰をかけつつ腕を組んだ。

 

 

「実は、個人的なルートで女王直轄の部隊と連絡を取り合っていてな」

 

「女王様の直轄部隊....?」

 

「第一騎士団....近衛とは異なる。王族の秘密警護部隊の中でも、女王が信頼する者のみで構成されている。俗に“影”と呼ばれている連中だ」

 

「....ハハァ、聞いた事くらいはありますな」

 

 

バルダが言うには、女王の命令であらば命などは惜しみもせず、暗殺から潜入、隠蔽、どんな裏仕事でもこなすのだという。

 

 

「先日の件で奴ら、早々に接触してきた。女王宛てに、新たな情報は逐一報告せよとのお達しだ」

 

「さっきの話、覚えてるだろう?女王様は今頃、大変ご立腹だろうってね」

 

「あ、ああ....」

 

 

まあ、当然と言えば当然なのだろう。

 

世界会議の為とはいえ留守にした己の国で、最も信頼して国を任せた者が死に、思想を異とする王....つまり自らの夫が勝手な事をしでかした。

国内の問題に対処しようにも、今回の一件で各国家間の緊張状態は増すばかり。これから女王自身がどれだけ上手く立ち回れるかで、国の行く末は決まると言っていい。

 

なにせ、下手を打てば戦争が始まる。メルロマルクは無論、孤立するだろう。四聖勇者を抱えている事実を盾にしたところで、世界中から侵攻を受けでもすれば忽ちに瓦解するのは明白である。

 

ならば、やるしかない。

戦争を回避し、国に帰還し、同時にこの不始末を起こした者共を逃がさぬように手を回しつつ、元凶を叩く。

呆れる程のこの難題は、しかし女王の力のみでは成し得ない。もはや様相が国盗りや城攻めのそれに近いのならば、内から崩す工作も必要となる。せめて、情報の収集と現状の把握だけは万全を期さなければならない。

 

 

「それで白羽の矢が立ったのが私だった訳だが....立場上、然程も自由に身動きは取れない。ならば味方を増やす他あるまいさ。この敵だらけの城の中で、な」

 

「.....まさか、それで俺達を?」

 

「まあ、急くな。そこの歴史家志望は問答無用で私の下につかせるが、君達がどうするかは自分で決めるといい。メリットも提示しよう。協力してくれるのなら、君達の名は確かに女王へ伝える。事が上手くいった暁には昇進も狙えるかもしれん。君達、兵士の目標である第二騎士団。あるいは夢である第一騎士団、とかな」

 

 

第二騎士団への転勤は、すなわち軍属騎士としての安定の道だ。異動も無く、この王都での生活と勤務が約束される。給金もそれなり。文句などあろう筈はない。

 

第一騎士団───すなわち近衛騎士団は騎士の夢。余程の例外無くば農民上がりが入団する事はあり得ない。

元より貴族の出であるのなら可能性はまずまず。実力が伴うのならそもそも出発地点からして第二から、順当に行ってようやく、といったところだ。

 

農民上がりの彼にとっては、これ以上を望むべくもない好条件だった。

だからこそ、ふと気になった。根本的な彼女自身の動機を。

 

 

「....1つ、お伺いしたいのですが」

 

「何かね?」

 

「あなたご自身のメリットは....何です」

 

「ふむ。.....隠す必要もないな。私の利益というよりは、私の家にとっての利益なのだ」

 

「家、ですか」

 

「彼女の家は所謂、没落貴族というやつなんだ。何があったかまでは知らないが、彼女のご両親の代で爵位が剥奪されている」

 

「.....そうだったか」

 

「まあ、なんだ。ここだけの話、女王直轄の“影”に私の腹違いの妹が所属していてな。返り咲く事が出来たなら、連れ帰りたいと思ってるのさ」

 

「そういう訳で、上昇志向は高めだけど妹思いの良い人なんだ。僕の恩人でもある。個人的には君達にも、上手く付き合ってほしいなと思っているよ」

 

「ところで....貴殿の意思も確認しておきたいのだが」

 

 

そう言ってイオリアが目を向けたのは、彼の隣にいた巨漢の友人だった。

 

 

「....私でありますか」

 

「そろそろ、口調も崩して構わんぞ。ザローネもな」

 

「....ああ。ありがとう」

 

「で、だ。私としては貴殿にこそ、今回の案に協力いただきたいものだが」

 

「バルダに....何かあるのか」

 

「ん?あぁ、そうだな。彼個人というよりは、彼が仕えるべき本来の主の立場が重要だ」

 

「サーブルも知っている方だよ。バルミューダの後見人にして、メルロマルク有数の大貴族“ハーフェン”卿さ」

 

 

ハーフェン卿。

現当主はかつて騎士団にも所属し、武勲で名を馳せた軍人でもある。御夫人に至っては今も尚、大きな商会を運営する商売人だ。

 

バルミューダの生まれはそんなハーフェン卿に仕えている騎士の家であり、幼い頃から世話になった上、いずれは御当主に奉公する事を前提に軍学へ推薦いただいた恩人でもあった。

 

ヒューイの説明が終わると、苦い顔をして口をへの字にしていたバルダは大きくため息をついた。

 

 

「正直に言やあ、こういうのは苦手なんだが.....まあ、確かに?俺としちゃあ、自分(てめえ)(ダチ)と、慕ってくれる部下と....何より御館様の立場が守られるってんなら文句はねえ訳だが.....」

 

「ああ、こちらとしてもハーフェン卿に何かあっては困るよ。彼は思想に寄らない、貴重な親女王派であらせられるからな」

 

「.....1つ、頼みがある」

 

「何かね」

 

「知っての通り、今日は四聖勇者様方の門出の日だ。聞いた話じゃ、国のギルドを利用する利便性も兼ねて、勇者様の同行者として冒険者を募ったとか」

 

「ああ。少々不安はあるが、冒険領域(フィールド)迷宮(ダンジョン)での戦闘経験が知識として活かされる奴らが適任だろうさ。初っ端の護衛としてはな」

 

 

バルダはイオリアの言葉に対してまたもため息をつき、やれやれと言うように首を横へ振った。

 

 

「....俺が心配なのは、ウチのお嬢の事なんだ」

 

「お嬢?」

 

「ああ。エレナちゃ....じゃねえ、エレナお嬢様だ。御館様の娘さんで、今回、勇者様の同行者である冒険者として召集を受けてる」

 

 

何を照れているのか、バルダは頬を掻きながらそう話す。

 

 

「....大貴族の娘が冒険者資格を?....出奔して冒険者級位(クラス)を引き上げて帰って来た類なのかい?」

 

「いんや、そんな御大層なもんじゃねえ。....御館様の軍人としての仕事を手伝うのも嫌、奥方様の商売手伝うのも嫌っつって駄々こねたら、勇者様のお力になってこいと言われて、無理矢理冒険者にさせられただけだ」

 

「.....それは、また」

 

 

ヒューイと一緒に彼も苦笑すると、黙ってそれを聞いていたイオリアは首を傾げた。

 

 

「.....いまいち分からんのだが、ハーフェン卿は今回の件をどう思われているのだ?」

 

「どうも、成るようにしか成らないとお考えらしい。勇者召喚の件は確かに協定破りだが、逆に言やあ、これだけ早い段階で召喚に成功した事をこそ喜ぶべきだとも。ここに至っては大戦果の1つでも上げて実績を打ち立て、世界からの文句を捩じ伏せるも一興」

 

 

むしろこれが切っ掛けで娘が成長してくれたなら父としても嬉しい、とさえ思っているご様子だとの旨をバルダが告げると、イオリアは眉間を揉み、ヒューイは苦笑をひきつらせ、彼も軽く俯いた。

 

 

「....なるほどな。一応は理解した。報告にも上げておこう。さて....話を戻すが、貴殿の頼みとは何だ。ハイルライン」

 

「いざって時の為に、お嬢の立場を安堵してほしい。....お嬢は言っちゃ何だが、昔っからかなりの面倒くさがりだ。その癖、楽をする為なら最低限やるべき事は適切に(こな)せちまう。頭も回る方だし、奥方様譲りか口も巧い。....お嬢とはそれなりに付き合い長くてよ。勇者様の同行者になったとしても、しばらくしたら損得勘定で何かやらかして、結局は逃げ帰ってきちまう気がする」

 

 

なるほど、と彼は思った。

仮にそうなった時、勇者との間で余計な諍いを生まないよう、司法的取引が十分に通るよう手回しをしてほしいという訳だ。

 

彼は巨漢の友人に軽く肘で小突きつつ、笑いかけた。

 

 

「ふ、忠誠心というやつだな。お前らしい」

 

「はは....まあ、なんだ。俺にとっちゃ、お嬢は腐れ縁の妹分みてえなもんなんだよ」

 

「....なるほどな。了解した。貴殿の名と共に、その旨も伝えさせてもらおう。....ザローネ、貴殿も構わないな?」

 

「ああ。強いて言うなら、各騎士団に所属している亜人の者達の待遇というか、周囲の意識改革について更なる改善をと物申したい所だが、それを考えない女王様ではないだろう。先ほどの提示された条件で、俺は十分だ」

 

 

彼にとってみれば、団長アーマビアの立場などがどうなろうと知った事ではなかった。

大公の判断で第二騎士団に異動ならそれはそれで構わないし、寧ろもっと分かりやすい悪事でも働いて、女王がアレを解雇でもしてしまえばこちらとしては好都合だ。

 

アレさえいなければ少なくとも、波で部下達を無駄死にさせるような最悪の展開は避けられるし、団の結束を強めるのも多少は楽になる。

まあ、あまり学の無い彼に比べ、明らかに秀でた事務処理能力は惜しくもあるが、そこは部下達との協力次第でどうにかする他あるまい。

 

これが最低ラインというやつだ。昇進が有耶無耶にされた場合の、ではあるが。

 

 

「統括の協力者という立場で今後動くとして....それで、具体的には何をしろと?」

 

「ああ。いずれ声は掛けようと思っていたが、今日この日にヒューイが貴殿らを連れてきたのは、実にタイミングが良い」

 

 

イオリアは再び机の椅子側へと戻り、引き出しから幾つかの物を取り出した。

彼とバルダが2つずつ手渡されたそれは、球体状の魔法の玉。珍しくもない魔法水晶の類いであるが、他と違うのは通常のものよりかなり小型化されている点だろうか。

 

 

「これは....?」

 

「映像録画用と、音声録音用だ。....一応確認するが、魔力の扱いは忘れていないだろうな?」

 

「軍学の必修の1つだったからなあ。適性に合った初級の魔法程度は覚えてるぜ」

 

「ならば結構。同じ要領で魔力を注ぎ、軽く二度、指で叩けば起動する。....あぁ、注意点だが。注ぐ魔力量はごく微弱な程度で構わん。もしその方面に詳しい者がいれば、あまり派手にやると速攻でバレる。その為の試作品だ」

 

「........まさか」

 

 

渡されたアイテムの機能から自然とその意図を察し、彼はイオリアとヒューイの顔を交互に見た。

 

 

「そのまさかだよ、サーブル。この後、君達....騎士団の団長と副団長、これに加えて数名の兵士達は、王に謁見される勇者様への万が一の場合の抑止力として、儀を見守り、無事に終わった際は勇者様方の御出立を全員で見送るという役目がある」

 

「そこで貴殿らには儀の最中、可能であればその水晶を使い、映像を記録、もしくは音声を録ってきてほしい。....こういった証拠があると無いとでは、いざという時に大分違うのでね」

 

「....だぁから苦手なんでえ、こういうのはよ。音声はともかく、映像まで撮れる自信はねえですよ、俺」

 

 

元々、この巨漢の友人はそこまで器用な方ではないが、良い所は多いと彼は知っている。

武辺に優れ、町民や農民にも公平で心優しく、部下にも慕われている。こう見えて、料理も上手い方だ。

 

そんな男が諜報という慣れぬ行動を取らねばならないのだから、立場上、奴ほどには背負うものも多くない彼が、可能な限りフォローしてやる必要があるだろう。勿論、彼自身も無理をしない範囲で、だが。

 

 

「....疑われない範囲でやる。もし映像まで撮れたなら....今夜の飲み代は奢ってくれ」

 

「あっ、ずりーぞテメエ」

 

「あははは」

 

 

提示された報酬にヒューイが笑うと、聞いていたイオリアは椅子へと座りながら問うた。

 

 

「ほう....お前達、今夜飲み会でも開くのか」

 

「うん。久々に三人で、行きつけの店にでもって話していてね」

 

「....ならちょうど良いな。私も参加するとしよう」

 

「え....」

 

「「はい?」」

 

 

三人揃って面食らうと、心外そうな顔で彼女が続ける。

 

 

「なんだ。私とは一献傾ける気すら無いのか?寂しいものだな。せっかく味方の増えたこの好き日に、気分の良い私が酒に限っては振る舞ってやろうと思ったのだが....」

 

「いやいやいや!是非とも来てくださいよ、フェルミガンの姉御~!言っときますけど、結構飲みますからね、俺。後で後悔とかしねえでくださいよぉ?」

 

「......バルダ」

 

 

乗せられて急に愛想を良くしたバルダに、彼は呆れて溜め息を吐いた。

トンと肩に置かれた手の主を見てみれば、そのヒューイもまた微妙な、諦めたような表情となっていた。

 

 

「どうやら仕事が1つ増えたようだね」

 

「.....どういう意味だ?」

 

「彼女は酒癖が悪いという話さ」

 

「.....ああ、なるほど.....」

 

 

イオリアとバルダ、どちらが酒に強いのかは分からないが、彼女が先に潰れたならこの巨漢に担がせるとしよう。そう決めた。

 

 

「聞こえているぞ、本の虫。言っておくが理由もある。....貴殿らの使用した水晶を回収するのに、またこちらに顔を出されるのは面倒だ。他の目もあるからな。であれば、ここの次に密談に相応しい場所....プライベートで集合するに不自然でない場所でやり取りをするのが良かろうよ」

 

 

後で店の名と場所を教えるようにとヒューイへ命じ、イオリアは次いでパチンと指を鳴らした。

するとガチャリと、彼らの背後で扉の鍵が開く音。

 

 

「話は以上だ。両名、くれぐれも慎重を期して行動されたし。無事に戻れよ。....まあ、“影”の人員が多少なりとも揃えば、こちらも然程危険を冒さずに済むとは考えているのだが」

 

「例の秘密部隊に、何かあったのか」

 

「僕や二人のような一般の兵士でさえ、聞いた事があるという程度には認知度のある組織だ。当然、反女王派の警戒度も高い。駐在していた者も含め、国に戻った影の半数以上が行方不明になっているらしい」

 

「....暗躍を恐れ、影を捕捉して消している奴らがいる、と?」

 

 

おそらくは、とヒューイが頷く。

隣で話を聞いていたバルダが、そこでふと気付いたようにイオリアへ尋ねた。

 

 

「そう言やあ、フェルミガンの姉御に接触してきたっつー影は今どうしてるんだ?」

 

「....ああ。そいつなら、今は城下で活動中だ。交戦は出来る限り避け、女王からの指示で盾の勇者への協力に応じてくれる可能性がある者達に接触を図るそうだ」

 

「協力者、ねえ....」

 

「たしか次は、城下町の一角にテントを設けている魔物商人の元へ出向くとか言っていたな」

 

 

なるほど、と彼は思う。

本来、彼やバルダが指示された仕事などはその影という連中の分野だ。潜入や変装といった専門的技能において、彼らと影では比べるべくもない。

 

だがその存在を察知して、影を暗殺せんとする者共がいる以上、少数で動かざるを得ない内は慎重に事を進める他ないのだ。

 

 

「....了解した。俺達は表向き、王や上層部の決定に従いながら、女王直轄の部隊に情報を流す。ただし、己と味方の安全は優先して確保する。それでいいんだな」

 

「そうだ。私も貴殿らも精々、夜道の奇襲や背中から刺される事態を十分に警戒して過ごすしかなかろう。お互い、生き残れる事を祈ろうじゃないか。そら、行った行った。解散だ」

 

「「「はっ!」」」

 

 

敬礼をし、三人共に部屋を後にする。

情報部を出た辺りで本来の職場へと戻るヒューイとは別行動となったが、別れ際に背中へと掛けられたその言葉は、実に印象的だった。

 

 

「イオも言ってたけど、無茶はしなくていい。君達の命と自由に比べれば、国家の行く末なんて小さいものだ」

 

 

彼もバルダも振り向かず、背を見送ってくれているのだろう旧き友人に向け、拳を掲げてみせた。

 

 

「────無事に帰ってきてくれよ、二人とも」

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。