星を撃ち落とす者 作:お値段なんと時価
ウマ娘。
それは人に近く、人ではない存在。
動物の耳と尻尾を生やし、人より遥かに強靭な肉体と怪力を併せ持つ。
彼女たちの中で最も優れた点は、その圧倒的なまでの脚力だろう。
正に、走る為に産まれて来たと言っても過言ではないその速度は、時に自動車すら追い越してしまうほどだ。
そんなウマ娘たちが最速を求めて競い合うレースは、世界中の人々やウマ娘たちから最高の娯楽として愛されていた。
日本ウマ娘トレーニングセンター学園――通称、トレセン学園。
此処は、そんな大人気エンターテイメントの未来を担う、日本最高峰のウマ娘育成機関だ。
この学園の名物の一つに、模擬レースがある。
学園内の行事とはいえ実況まで付く本格的な仕様であり、ウマ娘とトレーナーに出会いの機会を与える催しだ。
生徒であるウマ娘たちは、自分を見出して貰う為に全力を尽くしてレースを走る。
そんなウマ娘たちを鍛え支えるトレーナーは、才能の原石たちを見定めスカウトする。
一着にならなければスカウトされない、などという決まりはないが、それでも順位が上であるほどトレーナーたちの目には付き易いだろう。
晴れてトレセン学園の新人トレーナーとして就職を果たした一人の青年も、同期のトレーナーたちと一緒にウマ娘たちの走る模擬レースを見学していた。
私服での業務は許可されているものの、新人の中では私服姿よりはスーツ姿の者の方が多い。
その青年も、新人らしいパリッとした真新しい黒のスーツに身を通している。
「どうだった?」
「全然ダ目。新人だって言った途端「あ、ごめんなさーい」だって。くっそー」
「あはは。まぁ、皆そんなもんよねぇ」
すでに幾つかのレースが終わり、それぞれが目ぼしいウマ娘をスカウトしてみたものの、全員が見事に玉砕していた。
新人のトレーナーとしては、「勝てる」ウマ娘の担当となって実績や経験を積みたい。
ウマ娘の方としては、右も左も解らない新人よりは、優秀なウマ娘を育成した蓄積をすでに持っているベテランのトレーナーに指導して貰いたい。
そんな双方の思惑の食い違いもあり、新人トレーナーのスカウト成功率は限りなく低いのだ。
そうこうしながら、本日最後に行われたレースにて――青年は運命と出会う。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……っ」
「う、うぅぅ……っ」
「げほっ、げほっ、う、うえぇ……っ」
それは、異様な光景だった。
膝を突き、必死に呼吸を繰り返す者。
両手で頭上のウマ耳を隠しながらうずくまり、ひたすら震える者。
激しくせき込み、遂には胃液すら吐き出す者。
「なんだよ……これ……」
観戦していたトレーナーも他のウマ娘も、誰も彼もがその地獄絵図に絶句している。
そんな、非現実的とさえ言える光景の中心で、圧倒的な体格を誇る一着のウマ娘だけが二本の足でそこに立っていた。
「ひひっ、ふひひっ」
顔をうつむかせ、ウェーブの掛かった長い黒髪で目元を隠すウマ娘は、その場で引きつるような笑い声を漏らしている。
大きな胸、長い手足、大きなお尻。サイズが合っていないのか、ゼッケンを付けた野暮ったい体操服は今にもはち切れそうなほど伸びきってしまっている。
一見すると、「だらしない」と感じてしまいそうになる肉付きだが、あのパワフルという表現を超えた圧巻の走りを見るに、そのバ体に詰まっているのはぜい肉ではなく筋肉なのだろう。
レースの内容としては、ひたすら不気味なこのウマ娘が最終直線にて最後方から一気に追い上げ、見事に全員をごぼう抜きにして決着となった。
今までのレースと違う点と言えば、始まった直後から他のウマ娘たちの怯え様が尋常ではかった事だろうか。
一着のウマ娘以外の全員が、「走る」というより「逃げる」といった表現が相応しい形相で背後から迫る黒い重圧からひたすら逃走しようとしていた。
そのせいか、終盤でほぼ全員がスタミナ切れを起こし、結果あの黒髪のウマ娘は余力を残したまま一着となっている。
今までは、レースが終わり次第トレーナーたちによる勧誘合戦が始まっていたのだが、新人もベテランも誰一人動く事が出来ない。
しばらくして、レースを走ったウマ娘たの呼吸が落ち着き始めた頃、一着となったウマ娘がのそのそと学園の方角へと歩き始めた。
「ひっ」
進路に居たウマ娘たちが、恐怖に染まった表情で道を空けていく。
圧倒的なまでの強さと畏怖をばら撒いた強者のはずが、その大きな背中は何処か煤けているように小さく見えた。
だから、ただ一人黒スーツの新人トレーナーだけが動く事が出来た。
「お、おいっ、止めとけって。俺たちみたいなど新人が、手に負える相手じゃねぇって」
半端に染めた金髪と、派手な色のアロハシャツにカラー入りのサングラス。
新人にしてはかなり攻めた格好をしている癖に、面倒見の良い同僚の男が肩を掴んで引き留める。
「ありがとう」
だが、黒スーツの青年の返答は感謝を伴う拒否だった。
少し離れた距離に居るウマ娘へと小走りで近づき、背後から声を掛ける。
「あの」
「ぴぇっ。は、はいぃ?」
びくりっ、と肩を跳ね上がらせて、黒髪のウマ娘が何処か戸惑った様子で振り返る。
「君をスカウトしたい。話だけでも、聞いてくれないかな」
「悪魔と契約したトレーナー」
「野獣を
「一番羨ましくない出世頭」
「二度と一緒に走りたくないウマ娘」
「這い寄る肉弾戦車」
「イ〇ディー・ジョー〇ズの例の
これが、後に数々の不名誉なあだ名を授けられる一人と一バの出会い。
才能の群雄割拠とも呼ばれるこの時代に、また一つ可能性の種が放たれる。
何処か遠くで、
◇
ジュニア級、芝の2000M。
有マ記念や菊花賞等の重賞を目指すウマ娘にとっての、試金石として位置付けられたレースの一つ。
私も、そんな重賞への参加を狙うウマ娘の一人として、このレースに登録している。
でも、正直レースの内容や他の参加者には興味がなかった。
私はただ、先頭を走りたいだけなのだ。
誰にも邪魔されない、あの景色を見続けたい――或いはあの景色の先を見たい。
ただそれだけを思い、私はターフをかけ続けている。
『一番人気、三番、サイレンススズカ。これまで三戦三勝の負けなし。今、乗りに乗っているウマ娘です。果たして彼女の逃げ足を前に、その影を捉える娘は現れるのか』
『私が一番注目しているウマ娘。気合入れて欲しいですね』
私の名前が呼ばれる。
ゲートに入り、両目を閉じて祈るように左右の手を重ね合わせ、精神を集中させていく。
大丈夫。大丈夫。
私は、ただ何時も通り走るだけ。
観客席からの歓声が遠くなる。
走る事以外の全てが、頭の中から削られていく。
『五番人気、六番、サンクタムデザイヤ』
『実力は上位に届かず、といったところですが、一発に期待したいですね』
そういえば、トレーナーがレース前に言っていた。「サンクタムデザイヤには気を付けろ」、と。
具体的に何に気を付ければ良いのかは教えてくれなかったが、どうせ彼女も私の後ろを走るのだ。
その娘が誰で何をしようと、私には感心のない話でしかない。
レースを走るウマ娘たちの紹介も終わり、体勢を整えて開始の合図を待つ。
数秒後、ゲートが開き全てのウマ娘達が一斉に芝生の道へと駆け出して行く。
『先頭はやはりこのウマ娘、サイレンスズスカ』
『彼女の脚質には合っていますよ。好レースが期待出来そうです』
何、これ……
先頭を走りながら、私は強烈な違和感を感じて顔をしかめた。
前には誰も居ない。居るのは後ろだけ。
何時も通り、先頭の景色だけを見て進めばそれで私は勝利出来る。
なのに――
気持ち悪い。
背後から、じっとりと
後続との距離が開けば、視線は収まってくれた。しかし、再び距離が詰まるとあの不快な感覚が全身を
だから逃げる。前へ、前へと。
何時も見ている先頭の綺麗な景色が、あの視線の中ではまるで一枚布を被せたかのように色褪せてしまう。
私の大好きなものを汚された気がして、視線に晒されない距離を保ちながらひたすら先頭を維持し続ける。
第一コーナーを曲がり、第二コーナーへ。
そこでまた、あの視線がやって来る。
思わず振り返りそうになり、なんだか負けた気がして無理やり前を向き続ける。
ちらちら、ちらちらと。何度も、何度も。
本当に
邪魔をしないで。
私は、前だけ見て走りたいの。
貴女になんて、構っている暇はないの。
『さぁ、これより第四コーナーを曲がり最終直線へと入っていきます! 先頭は変わらずサイレンススズカ! ここから、誰がどう仕掛けるのか!?』
『普段のレースより、疲弊しているウマ娘が多い気がします。これは荒れるかもしれません』
誰がなんと言おうと、私の先頭は揺るがない。
最後の直線で、足に更なる力を込める。
そこで、私はようやく違和感に気付く。
力が……入らない?
なんで、どうして。
焦る内心と呼応するように、景色の滑る速度が一気に落ちていく。
スタミナ切れ。その答えに思考が行き着いた時には、もう何もかもが手遅れだった。
やられたっ。
今になって、私はようやくあの視線の意味を悟る。
時に短く、時に遠くまで。私へと送られ続けた視線の距離は、一定ではなかった。
だから、私は知らず知らずの内に「視線の当たらない距離」を維持しようとペースを乱され、ひたすら前後に振り回されていたのだ。
スタミナが切れてしまうのは、当然の結果でしかなかった。
『サイレンススズカ伸びない! その背後から、ドロッピングリンクが迫る!』
『リードはおよそ六バ身。稼いだ距離を使い果たすまでに、サイレンススズカがゴールに辿り付けるかどうか。最後まで目が離せませんっ』
私の背に刺さり続けていた視線が、一気にその圧力を増した。
今までとは一線を画す、途方もない重圧が容赦なく伸し掛かって来る。
『サイレンススズカか! ドロッピングリンクか! ――更に外を通って、サンクタムデザイヤが駆け上がる!』
『速度は十分。これはいけるかもしれませんよっ』
来る、来る、来るっ。
『残り200! ドロッピングリンクを抜き、サンクタムデザイヤがサイレンススズカを捉えた!』
「あっはははぁっ!」
「くぅっ」
間に合え、間に合えっ。
耳に残る甲高い哄笑が響く。
幾ら歯を食いしばっても、私の身体にこれ以上早く走る為の余力は残されていない。
どれだけ願っても、相手の策略に陥った時点で私の敗北は決定していた。
風切り音を奏でながら、漆黒のウマ娘が私の隣を駆け抜ける。
強く、大きく、恐ろしい。立ち塞がる全てを粉砕しながら突き進む、黒鉄の砲弾。
その迫力に押し負け、私は更に内側へと煽られてしまう。
『サンクタムデザイヤが抜いた! 更にドロッピングリンクもサイレンススズカを追い越して行く!』
「あぁ、あぁ……」
前に行きたいのに。
走りたいのに。
私の身体が、私の願いを無視して足から力を奪っていく。
一人に抜かれ、二人に抜かれ、遂には他のウマ娘たちにも追い抜かれて行く。
『一着は、サンクタムデザイヤ! 二着は、ドロッピングリンク! 三着は――』
七着。
掲示板にすら表示されない。それが私の順位だった。
『大番狂わせが起こりました! 一番人気のサイレンススズカ、まさかの七着!』
『ペース配分を間違えたのか、最終直線でスタミナが切れてしまっていましたね。次回のレースに期待です』
速度を緩めて立ち止まり、呆然と空を見上げてしまう。
負けた。
完膚なきまでに。
言い訳のしようもなく。
悔しさよりも先に、情けなさが溢れて来る。
私の後ろには、こんなにも沢山のウマ娘が――ライバルたちが居たのに。
私は、そんな事も解らずに今まで走っていたの?
レースとは競争だ。
参加した全てのウマ娘たちが、一着という栄光を掛けて競い合う勝負なのだ。
そんな、当たり前の事実に目を向けていなかった事が敗北の理由だなんて――本当に、度し難いにもほどがある。
トレーナーは、今日のレースで私が彼女に負ける可能性がある事を知っていた。
知っていて、黙っていてくれた。私が自分で気が付かなければ、意味がないから。
「あのぉ」
その苦味と共に唇を噛み締める私の前に、勝者であるサンクタムデザイヤがやって来ていた。
二着の娘ではなく、七着だった私の元へ真っ先にやってきた意図が解らず、呆けた顔で見上げてしまう。
「えへへぇ。私に気が付いてくれて、ありがとうございましたぁ」
「え?」
「貴女は前だけ見る方ですから。ひひっ、無視されていたら、絶対勝てませんでしたよぉ」
もしや、私は嫌味を言われているいるのだろうか。
顔を引きつらせるようにしてヘラヘラと笑うサンクタムデザイヤを見上げながら、そんな考えが浮かんで消える。
「良き、レースでした。機会があれば、またよしなに」
「……」
大きなバ体を屈め、握手を求めて来るサンクタムデザイヤ。
私は無言のまま、その右手を見つめ続ける。
情けなくて、悔しくて。
その次に生まれた感情は――怒りだった。
他でもない、
「――ごめんなさい。その手は、
「へぇ?」
このままでは終われない。
あんな無様な走りを、私の全てだと思われたくない。
この娘に負けただけの私を、覚えていて欲しくない。
「負けて握手が出来るほど、小利口ではありませんから」
今も昔も、これほど失礼な返事はした事はなかった。
サンクタムデザイヤ。
私に、ライバルたちの存在を気付かせてくれた、とっても強いウマ娘。
貴女と握手をするのは、私が勝ったその時だ。
決意を胸に、踵を返した私はそのまま足早にレース場の出口へと向かって行く。
もう負けない。負けたくない。
次は、絶対に私が勝つ。
足が疼く。今から、もう走りたくて仕方がない。
私の両目に見える景色は、前よりもっと鮮明に色付いていた。
◇
右手を差し出したポーズのまま、呆然と固まっていたサンクタムデザイヤ。
そのまましばらく動きを止めていた彼女だったが、突然全身で激しく
「え? え? 待って待って。サイレンススズカさん、凛々し過ぎ?」
口元に両手を添え、ブルブルと感動で打ち震えながら早口が加速する。
「凛々しい上に可愛くて格好良いとか、誇らしくないの? ふ、ふひっ、なんなの、あの可愛さと格好良さ。もうほんと意味不明。おこ。好き。結婚したい――尊しゅぎぃ、うぅ……っ」
遂には涙さえ流し始めた、限界オタクウマ娘。
彼女にとって、ライバルからの宣戦布告は推しからのファンサ(ファンサービス)と同義だ。
ライバルとは、お互いを高め合える存在。
二人の関係が、更なる波紋を広げるか否か。
それは、ウマ娘達を見守る三女神でさえ与り知らぬ未知の未来へと向けた扉だった。