山田の職場に対する描写を少し変えました(9/12)
一区切りが付いた書類をファイルにまとめて、壁に掛かった置き時計に目をやる。丁度いい頃合いだと判断した山田は椅子を引きながら、同じ島(グループ単位で机をくっつけて向かいあわせたレイアウトを作ったときの、それぞれの机の固まりのこと)の同僚達に声をかける。
「昼休憩出てきます」
「「……」」
返事はなかった。だが、山田は特に気にせずに机を立つ。
「…一時間ほどで戻ります」
返事は期待していなかったが、一応再度声をかける。山田が周囲に視線を飛ばせば、同じ島どころか、部屋にいる誰もが山田と極力目を合わせないよう視線を机に向けて、空気になるように努めていた。こういう時に真っ先に相談すべき相手である上司の机からは書類や私物が全て無くなっており、存在が抹消されたように年季の入った事務用机だけがポツンと残っていた。
なんたってこんな事になってしまったのか、思わず溜息をつきそうになるのをなんとか抑えて山田は部屋を出て食堂へ向かう。
山田が士官学校を卒業して一年三カ月。山田は職場である装備開発研究部で絶賛孤立していた。
-------
抜けるような青い空の下で日本史上最高の提督が左手に持った軍刀を杖替わりに突き、右手に最新式のドイツのカールツアイス社製の接眼レボルバー変倍式双眼鏡を持って微塵も微動だにせずに太平洋を望んでいる。
…まぁ、銅像なのだから動くわけは無いのだが、もし彼が蘇って今の日本を見たら何を思うだろうかと彼の座乗監としてバルチック艦隊との決戦に挑んだ「戦艦三笠」の艦娘は三笠公園に鎮座する東郷平八郎提督像の足元で巫女服の上に軍服をストールの様に肩に羽織り、潮風に薄墨色の髪をたなびかせながら海を眺める。統合作戦本部から車で15分程にある自分の名を冠するこの公園に彼女は度々気分転換の為に訪れていた。
廃艦となって静かに眠りについた自分が百年程が経ってから艦娘として蘇り令和の世を生きている事を考えると、軍神として神社すら建てられた東郷提督も案外現世にひょっこりやって来るのではないかと他愛のない考えが頭に浮かぶ。自分達艦娘だって付喪神というオカルトと三笠には最早理解が全く及ばないテクノロジーの混血児なのだ。案外一笑に付して良い話では無いのかもしれないと三笠はその形の良い顎に右手を重ねる。付喪神を現世に降ろす事が可能なら、偉業によって神格を与えられた人間を現世に召喚する事が不可能だと何故言えようか。
彼女の前世がその艦生を終える数年前に生まれたイギリスの高名なSF作家はその著作の中で「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」と語った。なるほど、確かに「船に宿った付喪神を現世に物理的に召喚し、外宇宙の果てより襲来した地球外生命体に抵抗する為の戦力にする」と三笠が前世で現役だった頃に語れば、良くて笑い話、悪ければ精神病院に叩きこまれる戯言だと確信を持って断言出来る。人類の文明レベルは皮肉な事に深海棲艦由来の彼ら独自のテクノロジーを吸収する事で長足の進歩を遂げた、特にそれまでオカルトと呼ばれていた技術体系や生命工学・材料工学・量子力学の分野では革命的とすら言える技術を人類は手にした。
そうして生まれたのが艦娘。それまで人員・資源・金・土地・制海権を延々と擦り減らしながらも、ひたすらに遅滞と敵性技術の鹵獲に努めていた人類の待望の反抗の魁。空想の様な、魔法の様な、奇跡の様な科学技術の産物。人の手により生み出された神の僕。
ある科学者曰く、我々人類が平時で200年掛けて進む筈だった技術革新が大戦勃発から10年で行われたそうだ。彼の話が本当ならば、2200年代のテクノロジーを持つ2000年代の人類によって作られたのが1900年代の兵器の改造品という事になる、何とも酷い話だ。そんなふざけた話よりは過去の偉人を現世に召喚して戦争に協力してもらう方が、ずっとまともだと三笠は思った。
とはいえ、例え東郷提督が蘇ったとしても暫くは自分のようにここが日本だとは信じられないだろうなと三笠は振り返った先に広がる皇歴二千七百四年の世界を見据える。べトン(コンクリート)と土瀝青(アスファルト)に隙間なく覆われ、戦時にも関わらず日が落ちても煌煌と輝き、数え切れない程の国産の自動車(民間車両のガソリンは配給制)が忙し気に道を急ぐこの町が日本だと気付けるだろうか、提督は舞鶴と佐世保の両鎮守府で司令長官を歴任したが横須賀にはご縁が薄かったように思われるから、やはり難しいのではと思う。
だが、自分の様に取り乱すような事は無いだろうとは確信を持って言える。明治36年、帝国海軍の実質的なオーナーと言えた山本権兵衛が国家の命運を預ける人物に東郷平八郎を選んだ事は当時多くの批判を浴びた。東郷提督は小柄で病気がちな体を持ち、寡黙で偶に口を開いたと思えば酷いお国訛りの言葉を喋り、薩摩人の例にもれず頑固で当時の軍人としては珍しく温厚な性格で、軍の主流からいつも少しずれた所にいる初老の男だった。十分な海上・陸上勤務の経験を積んでおり、豊富な国際法の知識から導かれた緊急時の判断には間違いが無いという評価だったが、山本海軍大臣が見出した彼の真価は違う点にあった。彼の真価は呆れかえる程の放胆さと神に愛されたような強運だった。
決戦前に六隻しかない戦艦が二隻機雷で沈んだ時も、バルチック艦隊がどの経路でウラジオストクを目指すか分からなかった時も、「指揮が取りにくい」と言って安全な司令塔から聯合艦隊旗艦として集中狙いされる三笠の露天指揮所で陣頭指揮を執った時も提督は常に泰然自若としていた。そして全ての賭けに悉く勝ち続けた。
そんな彼なら、いきなり100年後の世界に連れて来られても「じゃっどがい、そやことろしか話じゃの(そうなんですか、それは大変な話ですね)」で終わるだろう。いや、わしが自己紹介をすれば流石に驚くかもしれない、東郷提督の驚いた顔は生前は見たことがなかっ…
「そこの美しいお嬢さん!一緒にお茶でもどうでしょうか!」
三笠の思索の時間は意識の外からの声で中断された。背広を洒落た具合に着崩した若い細面な男がニコニコと笑いながら声をかけられたからだ。
三笠は少し視線を宙にやってから、にこりと笑って
「いいぞ、わしはそこのベンチで待っとるから珈琲を買ってこい。10分以内じゃ、駆け足!」
------
10分後、そこには汗だくになって過呼吸一歩手前といった有様の男と、「わしは微糖の方が好きなのじゃが…」と真に奢り甲斐のない事を呟きながら彼から献上された缶コーヒーを啜る美女が仲睦まじく(?)ベンチに座る姿があった。このベンチは周囲の遮蔽物からポツンと孤立するように設置されており、男のビジネスバッグに入っている小型ジャミング装置によって盗聴対策が施されていた。
「少し走っただけでその有様とは、内閣情報調査室とやらに行って鈍ったかぇ?」
「ここら辺、近くに、売店も、生きてる自販機も、無いんですよ」
汗みずくとなったジャケットをベンチの背に掛け、タイを乱暴に緩めながら男は応える。そもそも部下に集るなよと内心思いながら。
「監視を避ける為にわざわざ三笠公園で情報交換をするという話だったのに、どうしてあんなバカみたいに目立つ事をさせたんですかね」
「目立った方が良くなった故な」
三笠は簡潔に答える。遠くにいる私服姿だが明らかに堅気ではない男達へと視線を飛ばすと、彼らは帽子を目深にして視線を躱す。極東支部の艦娘の元締めである自分が配下の情報部の人間と軍施設の敷地外で接触しているのである。そりゃ気になるし、人員だって割かざるを得ない。そしてその分他に回す目は減少する。
「…どうも私が憲兵司令部にお邪魔している間に事態が進展したみたいですね」
「うむ、お陰で予定は滅茶苦茶じゃ。やってられんわ」
そう吐き捨てるように言った三笠は飲み干した缶コーヒーの空き缶を握り潰す。スチール缶が白魚のような手の中で哀れな姿になったのを見て男の頬に冷たい汗が流れる。
「山田中尉の人気ぶりは凄いですな。私には正直あんな大それた事をやってのける男には見えんのですが」
「そうじゃの、わしもつい先日まではそう思っておったわ」
空気を換える為に少々茶化すような男の言葉に、三笠は淡々と感情の籠っていない声で答える。
「過去形で語るという事は、今はそう思ってはいない…と」
「正真正銘、彼奴こそが台風の目じゃ。さて、神谷少佐そろそろ本題に入って貰ってもよいかのう」
神谷少佐と呼ばれた男はジャミング装置が起動している事を確認した後小さく頷き、報告を始める。
「まず始めに事件の背景事情を改めて説明しようと考えてます。…全てお話しするにはそれなりに時間を要するのですがお時間の方は大丈夫ですかね」
「構わんぞ、今日のところは内海と石塚の不景気な面を拝みながら善後策を練る会食が残るだけじゃ。寧ろ遅刻か欠席の言い訳のネタにするから存分にしろ」
「いや、話をした事も無い次期統合作戦本部長大本命の中将と現国防大臣に悪印象を持たれるのは避けたいのですが…」
「そうか、なら簡潔に頼むぞ」
「…」
三笠は普段、深海棲艦との最前線であるリンガ泊地に詰めている。よって本土の事情にはどうしても疎くなりがちだった。そこで前線で指揮を執る三笠に代わって、本土での彼女の目となり耳となる事が神谷の主な仕事であった。三笠をケツ持ちにした当初、神谷は彼女の駒として少佐という階級以上の情報権限を得る事が出来てホクホクだったが、あれから数年が経過した今、この可憐で傍若無人な上司を前に神谷は過去の自分の決断を早まったかもしれないという思いを頭から振り落とす事に必死だった。
とにかくガンガンに巻いて話してしまおう。この上司は情報部時代のバカ上司と違って多少雑に情報を出しても勝手に咀嚼して理解するだろうし、質問があれば遠慮なくぶつけてくるだろう。唯でさえ三笠の犬として悪目立ちしているのに、更に雲上人に目を着けられる事は明るい未来とは思えない…。神谷は考えをまとめると話始めた。
いつもの事ですが更新遅れて申し訳ありません。不定期ですが時間を見つけて細々と更新していこうと考えています。
私が社会人になって現実を知った為、前作に比べて山田君ハードモードになっております。よって山田君が装備開発研究部を出る理由も変わります。
私の中の深海棲艦のイメージはR-typeのバイドとマブラブのBETAを足して大分マイルドにした感じとなっております。基本的に数でドンドン平押ししてきます。艦娘は殆ど偶然奇跡的に生まれたナニかです。プログラマーが何故動いているか分からないと言っているプログラムみたいなものです。