差しウマ「エンドスコープ」の馬生 作:注釈n
タケホープ:ハイセイコーのライバル馬。しかし繁殖成績はお察し。
ヨドヒーロー:こいつもハイセイコー世代。「主な勝鞍:銀杏特別(200万下)」さん。ただこの子はケガで一番活躍しそうな4歳期を逃しているので仕方ない面はあるかも。阪神3歳Sで2着に入った&父がガーサント(超良血で産駒も優秀な名種牡馬)でいっちょ前に種牡馬入りしたが、繁殖成績はお察し。
馬になっていた。
わけがわからない。『変身』のグレゴール・ザムザはこんな気持ちだったのだろうか。
毒虫にならなかったのは幸いだ。それに、ベッドではなく
というのも、ここの人間たちはガラケーどころじゃない携帯電話を使っているのだ。液晶は電話番号を映すのがやっとのサイズ。
この令和の時代にこんなケータイを使っている集団があると思うより、タイムスリップの方が頷ける。こちとら馬にさせられたんだ。時間遡行くらい起きていても驚かない。
ああ、それから――ザムザ氏と違って、予兆があった。いや、こんなことの予兆だとは全く思わなかったが、端的に言えば、死んだのである。
何をしていたときだっただろうか。急に意識がフェードアウトして、「ああ、死ぬ」と、そう思った。
連勤が長すぎたのかもしれない。いわゆる過労死だ。
過労の自覚は、あった。一般論として過労だった。俺だって、二週間前くらいまでは「もう嫌だ」と思っていた。そのまま欠勤しておけばよかったものを。
ついに感覚がマヒしたのだろう。俺はさっきまで喜んで仕事をしていたのだ。乗車率150%の通勤電車も、積みあがる書類も、上司の叱責も、そのときはむしろ心地よく感じていたらしい。
まったく馬鹿なことをした。今すぐにでもその時の俺に、「そんなことを続けると馬になるぞ」と言ってやりたい。馬券を買う側ではなく、買われる側になるぞ、と。
そう、俺の数少ない趣味が競馬だった。数少ないだけあって、熱意はそれなりにあった。
大学の頃は、土日両日とも朝から晩までWINSに入り浸るのが習慣だったほどに。当然、
馬の身になった今は、未成年の馬券購入くらい時効だと思いたい。
なにせ、本当に買われる側になるらしいのだ。
日本の馬産はほとんどが競走馬用だろうとは思っていたが、俺もご多分に漏れなかったらしい。他の馬を指していたのだろうが、デビューがどうとか、ノリヤクがどうとか、そんな話が聞こえた。
俺は鞍上買い党だったから、必死に『良いジョッキーを乗せてくれ!』と伝えようとしたものの、ザムザ氏がそうだったように、話せないのだ。馬ならば当然かもしれないが、俺にとっては不便極まりない。その上、手で文字を書くこともできないのだから、意思疎通は絶望的だ。
「ああ、死ぬ」と思った。人生と馬生を合算して二度目の「ああ、死ぬ」だ。今度は将来的に、だが。
俺は馬券は買っても、馬としての走り方がわかるわけじゃない。競走馬生活は絶望的だ。きっと馬肉にされる。
というか、そもそも、馬として生きていける気がしない。かれこれ二十数年ヒトとして生きてきたのだ。いまさら馬になれと言われても困る。
だから、近いうちに死ぬだろうと思った。
しかし、人間……いや今は馬だが、慣れれば案外何とかなるものである。
狭い馬房だって満員電車に比べれば3LDKだ。
しかも、馬の耳はとにかくよく聞こえる。俺の置かれている状況もだんだんとわかってきた。
すると、今度は欲が出てくる。なんとか馬肉にならずに生きられないものか、と。
あわよくば、馬として快楽も謳歌したい。美味いカイバや、心地よい寝藁が欲しい。
そのためには勝たなければならない。そして、G1なんかも勝って種牡馬になってしまえば、そう、種付けもあるいは快楽なのではないだろうか。俺が馬に興奮できるのかはわからないが。
しかし、こんな野望はいともたやすく打ち砕かれた。
あるいは、最初から気づいていた。そこにあるべき感覚が「ない」のだ。
いや、それだけならいい。まだ、「馬の感覚は事情が違うのだろう」とも言えただろう。
この前、馬主らしき人がやってきて、俺について話し込んでいた。俺は自分の血統がわかるやもと耳をそばだてた。良血馬なら苦労せずに生き長らえることもできるやも、という期待からだった。
そして、その会話から、明らかに牝馬だと判明してしまったのである。
牝馬。そう、メスの馬だ。俺が、メス馬だと。
だが、ここはもうヤケである。「性別くらいなんだ、俺はヒトから馬になったんだぞ」と。どうやら異常に対しても慣れてしまったらしい。俺のオス馬として生きながらえる目標は、メス馬として生きながらえる目標に簡単に切り替わった。
ついでに、血統はこんなものだそうだ。
父:ヨドヒーロー
母父:タケホープ
感想は一言。「誰?」だ。
タケホープはまだしも、ヨドヒーローなんて、馬名を聞いたことすらあるかどうか怪しい。俺なら
そう考えると、皮肉にも牝馬に生まれたことも多少は喜べるかもしれない。牝馬なら多少成績が悪くとも繁殖牝馬としての需要があるのだ。万が一、というか贔屓目に見ても万が五千くらいはありそうだが、走れないなんてことが起きても、なんとかなる……かもしれない。
それにしても父の血がひどい。
繁殖牝馬の父の血は、つまり産駒の母父にあたる。重要な要素だ。「母父ヨドヒーロー」なんて、買いたがるものだろうか。
やはり、まともに競馬で勝つのが一番だろう。せめてどこかしらの重賞でも勝てば、繁殖牝馬需要もおのずと湧いてくるはずだ。
目標、重賞制覇。
俺の二番目の人生……いや馬生は、こうして幕を開けた。
ここでストックが切れたため、以後は不定期更新です。一週間に一回は書けたらいいなぁ。
一応母として想定しているのは「エイブルセンプー」という馬。なので、エンドスコープちゃんは母母父シンザン、さらには結構遠いですが辿ると月友まで出てきます。
血統の理由? 趣味ですね