新世紀エヴァンゲリオン for Children ~全ての子供たちのために~ 作:朝陽晴空
<第三新東京市 相模湾まで20kmの地点>
大損害を受けて撤退した国連軍と入れ替わるように使徒の上陸を食い止めているのは戦略自衛隊の部隊。
彼らは士気が高く、同胞が使徒に踏み潰されても、叩き落されても、初号機を守るために命を投げ捨てる覚悟だった。
使徒は全面に展開された戦略自衛隊の部隊に気を取られている。
今まで国連軍は自分たちのプライドのため、戦略自衛隊の参戦を許していなかったので、戦略自衛隊の部隊はほとんど無傷で温存されていた。
彼らは第三新東京市の市民の避難活動をしていたのだ。
しかし使徒は戦車部隊を足蹴りにする他に、手のひらからの光の槍、目から軌道が見えないビームも打ち出しており、戦略自衛隊の部隊は確実に数を減らしていった。
ミサトは戦場で命を散らすかつての同僚の犠牲に心を痛めていた。
勝利のためとはいえ、後ろめたさに圧し潰されそうになる。
しかしそんな自分を奮い立たせて、初号機に乗るシンジへと通信を繋げる。
「シンジ君、操作方法は説明した通りよ、まずは歩いて零号機に接近することを考えて。零号機を回収用のキャリアーに載せれば、私達の手で回収できるわ」
「はい、わかりました!」
ミサトの言葉にシンジは力強い口調で答えた。
動揺の色は少ない。
使徒から離れていることもあってか、シンジは少し安心して、操縦に集中できているようだった。
「エヴァンゲリオン初号機、発進!」
準備は出来たと判断したミサトの号令により、カタパルトに固定された初号機は地上に向けて射出される。
シンジの身体にかかる重力加速度は、エントリープラグ内を満たすL.C.L.のおかげでそれほどでも無かった。
彼はわずかに感じる重みを、戦場に立つ人間の責任の重さのように感じて表情を引き締めた。
ズシンと音を立てて地上の射出口に到着した初号機。
本当にミサトの言う通りに初号機が動くのか、シンジは半信半疑だった。
グリップを握ってシンジが自分が歩くようにイメージすると、初号機はゆっくりと歩き出した。
ハンドル操作の様な難しい操作方法ではない事に、彼は一安心した。
「おお、歩いたぞ!」
初号機の歩く姿が大型スクリーンに映し出され、ネルフの第一発令所は歓声に包まれた。
まずは第一のハードルはクリアーできたと、ミサトは安堵の息をもらす。
だがエヴァはただの乗り物ではない、使徒を倒す決戦兵器なのだ。
乗っているだけでは意味が無い。
「シンジ君、救出すべき零号機は、相模湾沿岸に沈んでいるわ。零号機の生命維持装置が働いているから、パイロットの命に別条はないけど、なるべく急いで」
「はい!」
今まで歩いていた初号機が、勢い良く走り出した。
自然と物音も大きくなる。
使徒に気付かれては終わりだ。
ミサトは残存する戦略自衛隊と国連軍の戦力に激しい攻撃を加えるように依頼した。
さらに激しい反撃が彼らを待ち受けているとしても。
「初号機、零号機との接触に成功しました」
オペレータの報告に、発令所全体から安堵の息が漏れる。
しかし動けない人間を引きずって持っていくのは大変な重労働。
ましてや、胸から大量出血している零号機。
「だ、誰……?」
初号機が零号機の腕を引っ張ると、その痛みによるフィードバックから、気絶していたレイが目を覚ました。
「君を助けに来たんだ」
「碇、司令……?」
「違う、僕は父さんじゃないよ」
意識の混濁しているレイは、シンジの雰囲気からゲンドウを感じ取ったようだった。
初号機は零号機に肩を貸す形で立ち上がらせる。
胸だけでなく全体的に零号機は出血していた。
倒れた後も、使徒になぶられるように攻撃を受けたからだ。
「歩ける?」
「ええ……」
初号機に支えられながら、零号機はゆっくりと歩き出した。
怪我人を歩かせるのは心が痛むが、担ぎ上げるよりもこちらの方が早いとシンジは判断した。
今は使徒の注意が他に向いているけど、時間稼ぎはそう長く続くとは思えない。
初号機が海岸へと零号機を引き上げるまでの間に、零号機を回収するキャリアーが付近に到着し、待機していた。
シンジが優しく零号機をキャリアーの荷台へと寝かせると、緊張の糸が切れたレイは、意識を再び手放してしまったようだ。
「ミサトさん、後はよろしくお願いします」
「ええ、後はこちらで回収するから、任せておいて」
零号機の救出任務を終えたシンジとミサトが話していると、大きな爆発音が響いた。
ついにN2魚雷が発射されたのだ。
それだけ戦略自衛隊や国連軍の残存兵力が少なくなり、追い詰められたといえる。
使徒の注意が爆発地点に引き付けられている間に、初号機は先制攻撃を仕掛けなければ、不意打ちにならない。
「シンジ君、初号機の左肩にプログレッシブ・ナイフが格納されているわ。それを取り出して」
ミサトにそう言われたが、シンジはどうしたら良いのか困ってしまった。
普通の人間は肩にナイフをしまっていたりはしない。
とりあえず、右手を左肩に近づけるイメージを描くと、初号機の右手が左肩に接近し、プシューと音を立てて収納されていたエヴァ用と思われるナイフが見えた。
センサーがあって自動ドアみたいな感じで開いたのか、とシンジは感心してプログレッシブ・ナイフを初号機の右手に握った。
金属製のナイフはシンジに威圧感を与えた。
今まで刃物と言えば荷物の梱包を解くカッターナイフしか手にした事は無い。
見た時は威圧感から頼もしさを感じたナイフだが、そのリーチの短さにシンジは不安が膨れ上がった。
ナイフでは使徒の弱点に肉薄しなければ有効なダメージを与えることが出来ない。
かすり傷で人間が簡単に死なないのと同じだ。
「まさか、こんな短いナイフ一つ敵を倒せって言うんですか!?」
「ごめんなさい、その通りなの」
戸惑いと怒りが入り混じった声で質問をするシンジにリツコは謝った。
零号機とレイのシンクロテストだけで手一杯、技術部には武器まで開発する余裕は無かったのだ。
ケンカもまともにしたことも無い中学二年生のシンジにとって、ナイフを握って誰かを傷つけるなど想像もつかない事だった。
ミサトの作戦通り、使徒の背中にナイフを突き刺したとしても倒せるかどうかは疑問だった。
「頑張って、シンジ君」
このまま初号機が動かなければ戦略自衛隊の犠牲者は増えるばかり。
ミサト自身も使徒を倒せる保証が無い事は判っているが、シンジの背中を押すしかなかった。
「接近するしかないなんて……!」
戻るも地獄、進むも地獄の状況に追いやられたシンジは、身体を震わせながらも前進して使徒の背中までたどり着いた。
覚悟を決めて右手のナイフを強く握りしめる。
「このおぉぉぉ!」
初号機の突き出したナイフは、使徒の発したA.T.フィールドに弾き返されてしまった。
「えっ?」
驚いたシンジは思わずナイフを手放して地面へと落としてしまう。
ミサトは悔しそうな顔で歯を食いしばる。
零号機よりシンクロ率の高い初号機が、使徒のA.T.フィールドを侵食してくれると淡い期待を持っていたが、打ち砕かれた。
それでも戦略自衛隊の部隊から発せられる蚊ほどの威力の砲撃よりは効いたのか、背後からの攻撃に気づいた使徒はくるりと振り返り、初号機と対峙した。
「うっ……」
おぞましい姿の使徒を正面から見たシンジは蛇ににらまれた蛙。
初号機は彫像のように固まってしまい身動き一つとれない。
「シンジ君、逃げてっ!」
必死に呼びかけるミサトの言葉もシンジの耳には届かず。
使徒は初号機の左腕を右手でつかむと、その剛腕で初号機の身体を持ち上げる。
「うわあああああ!」
初号機が左腕を使徒にきつくつかまれた痛みが伝わり、シンジは叫び声を上げた。
発令所にもモニター通信を通じて苦しむシンジの声が響き渡る。
危機を察したミサトはリツコに助けを求めた。
「リツコ、何とかならないの! このままじゃシンジ君は戦うどころじゃないわ」
「初号機とパイロットの神経接続を部分的に解除するわ。これで痛みが軽減されるはずよ」
リツコの指示により、女性オペレータがコンピュータを操作する。
エヴァとパイロットの神経接続は、エヴァが感じた五感(視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚)をパイロットに伝えるためのものだ。
シンクロ率の低下が危ぶまれるが、その範囲は限定的であるとリツコは判断を下した。
「はぁっ、はぁっ……」
気が狂うほどの痛みから解放されたシンジは苦しげに息をもらしたが、使徒に片腕をつかまれた危機的状況には変わりがない。
初号機を窮地から救うためにミサトは戦略自衛隊と国連軍に捨て身の攻撃を要請する。
「お願いします、使徒の注意をなんとかエヴァから反らしてください!」
「心得た!」
ミサトの呼びかけに応して戦略自衛隊の部隊からミサイル、砲弾、レーザーの嵐が使徒に直撃する。
だが使徒は日本最強の軍隊の総攻撃を涼風のようにA.T.フィールドで受け流し、つかんだ初号機の腕を離そうとはしなかった。
このままでは拘束された初号機が使徒のビーム攻撃でなぶり殺しにされるのは目に見えていた。
「こうなったらシンジ君、頭突きでもなんでもいいからぶちかましてやりなさい!」
「うぉぉぉぉぉ!」
万策尽きた悟ったミサトが、破れかぶれで下した命令だった。
死を覚悟したシンジもヤケクソになって従った無謀な攻撃のはずだった……。
だがその頓珍漢(トンチンカン)とも言える特攻は運命の女神の微笑み……いや、ほくそ笑みを引き寄せた。
初号機の頭部にある、一本の細長い角が、深々と使徒のコアに突き刺さったのだった。
「な……ん……だ……と……」
この戦闘結果にゲンドウとコウゾウは口をあんぐりと開けて驚いた。
ゲンドウの方は司令席に座っていたので姿勢を崩してあごを机に強打するだけで済んだが、実際に床に尻もちをつくほどコウゾウは腰を抜かした。
ゲンドウとコウゾウの計画したシナリオでは、追い詰められた初号機が覚醒し、パイロットの意志とは関係無く暴走状態に陥った初号機が使徒をせん滅させる予定だった。
シンジは初号機覚醒のためのキーパーソンに過ぎない。
シンジが初号機に乗り、使徒に一方的に攻撃を受ける事態までは二人の思惑通りだった。
しかし使徒との戦いの時、目が届く場所でミサトを監視するために作戦部長の肩書を与えた事は誤算だったとコウゾウは後悔した。
ミサトの余計な一言のせいで、シナリオは瓦解してしまった。
「この失態、キール議長にどう申し開きをするつもりだ」
やっと立ち上がったコウゾウがゲンドウに耳打ちした。
「使徒は再びやって来ます、問題はありません」
元の姿勢に戻ったゲンドウは落ち着き払った声で答えた。
渋い表情の二人とは違って、発令所は使徒を撃退した喜びの熱気で包まれている。
「やりましたね、加持さん! あなたの作戦のおかげですよ!」
眼鏡をかけた男性オペレータが興奮して叫ぶと、ミサトは困ったような表情で人差し指でほおをかいた。
「最後のアレは作戦とは言えなかったし……使徒を食い止めた国連軍や戦略自衛隊、ここまで準備をして来たネルフのみんなが力を合わせたから使徒を倒せたのよ!」
そうミサトが宣言すると、また轟音の様な歓声が発令所に巻き起こる。
これではミサトの作戦部長解任など出来る訳が無いと、コウゾウはため息をついた。
総司令と現場スタッフの板挟みになる彼の苦労はまだ続きそうである。
歓喜に湧く発令所の中で、ミサトは初号機に乗ったシンジの容態が気になりリツコに尋ねた。
リツコの話によると、シンジは気を失っているだけで、使徒との戦いで強く使徒につかまれた左腕の痛みも目が覚める頃には収まっているらしい。
そのリツコの説明にある程度安心したミサトだが、心配なのはシンジの心の傷の方だった。
中学二年生の少年が戦場を体験したのだ、その恐怖は自分も身に染みて分かっていた。
「あたし、シンジ君の所へ行ってくる! リツコ、後はお願いね!」
「待ちなさいミサト、あなたには作戦部長としてやる事が……」
リツコが言い終わるよりも早くミサトの姿は発令所から消えていた。
戦いが終わった後も作戦部長の仕事は山ほどあるのだ。
国連軍と戦略自衛隊の被害状況の確認、作戦内容の総評など……。
ほとんど無傷で倒された使徒の分析は自分たち技術班がやらなければならない。
「先輩、私たちも手伝いますから、頑張りましょう!」
リツコに声を掛けたネルフの女性オペレータはミサトを非難する言葉を一切浴びせなかった。
それは彼女の本来の優しい性格もあるのだろうが、発令所にいる者たちはミサトの気持ちを分かっているのだ。
「赤木君、国連軍と戦自との話し合いは私に任せてくれたまえ」
「ありがとうございます、副司令」
ミサト、あなたもすっかりネルフの人たちの心をつかんだのね、とリツコはコウゾウにお礼を言いながら心の中でそうつぶやくのだった。
<ネルフ本部病棟>
「ここは……病院……?」
シンジが目を覚ましたのは病院の一室のベッドの上だった。
彼の目の前には見覚えのある感じの天井がある。
伯父夫婦はシンジが体調を崩すと直ぐに病院へと入院させた。
大事にしていると言えば聞こえが良いが、自分たちで看病をする気持ちが無かったとも言える。
「気がついたのね、シンジ君……」
ミサトは包み込むようにシンジの手を優しく握る。
今までシンジの手を優しく握ってくれる人など居なかった。
伯父夫婦はシンジの入院中にお見舞いにきたためしがない。
それが彼らとの心の溝を深くしていた。
「ミサトさん……まさか、ずっと側についていてくれたんですか?」
シンジは驚くと同時に、ミサトの温かい手が嬉しくて。
彼女の手を優しく握り返した。
「あなたを危険な場所に送り出した責任があたしにはある。お見舞いは作戦部長の役目じゃないって言われたんだけどね」
ミサトはそう言って穏やかな笑顔をシンジに向けた。
『お見舞い』と聞いて、命の危険があったこんな時にも伯父夫婦はお見舞いに来ないのかとシンジは心の中で失望した。
いや、とうに伯父夫婦に家族の温もりを求めようとする希望は捨てている。
「大丈夫? 検査の結果、外傷は無いらしいけどどこか痛いの?」
沈んだ表情になったミサトが案じるような顔でシンジに尋ねた。
ミサトを心配させてしまったと感じたシンジはあわてて作り笑いをする。
心の底から笑った事はあまり無いのであくまで意識したものだ。
「思い出せない事もあるけど、僕は平気です」
「記憶が混乱しているのね、あんなに強く頭を打ったから……」
脳震盪(のうしんとう)の症状は見られないとリツコから聞いているが、自分の命令でシンジの命を危険にさらしてしまった事をミサトは悔いてさらにシンジの手を強く握る。
「シンジ君、もう起き上がることは出来る?」
「はい」
ミサトにしっかりとした口調で答えたシンジは、上半身を起こした。
彼女に繋がれた手はそのまま、ベッドから起き上がると、ミサトはやっとシンジから手を離した。
そして彼女はシンジの荷物が詰まったボストンバッグを肩にかける。
シンジが五歳の頃から中学二年生のまでの九年間を過ごした伯父夫婦の家から持ち込んだ荷物が、ボストンバッグ一つに納まってしまうとは寂しいものだとミサトは思った。
だからと言って自分の『家』のように想い出の品であふれかえっているのも考え物だが。
シンジとミサトが病室を出てネルフの経理課に向かう途中の廊下で、エレベーターから降りて来るゲンドウに遭遇した。
「葛城一尉、レイに命の別条はないそうだ」
「そうですか、それは良かった」
ゲンドウの言葉を聞いたミサトは、心から安心してため息を吐き出した。
「念のため、精密検査を行っている。面会はしばらく無理だ」
そう言って身長の高いゲンドウはサングラス越しにシンジを見下ろしたまま通り過ぎようとする。
シンジはうつむいたまま黙ってゲンドウの顔を見ようともしない。
そんな二人のすれ違いを目の当たりにしたミサトは立ち去ろうとするゲンドウの背中に声を掛ける。
「碇司令、シンジ君はみんなの期待に応えて頑張りました。お誉めの言葉をひとつくらいかけてあげたらいかがですか?」
「……良くやったな、シンジ……」
足を止めたゲンドウは、絞り出すようにボソボソと言葉を発した。
しかしミサトは気に入らない様子で腕組みをして、怒鳴り声をゲンドウに投げ掛ける。
「声が小さい! こっちを向け! 色眼鏡も外せ!」
ゲンドウはあわてた様子でシンジたちの方を振り向くと、眼鏡を外して、
「良くやった、シンジ! 天晴だ!」
と照れくさそうにそう言うと、眼鏡をかけ直して全力疾走で逃げ出した。
ミサトは腕組みをしたままウンウンとうなずいた。
シンジは褒められた嬉しさよりも、あわてふためくゲンドウの振る舞いがおかしくてたまらなかった。
「プッ」
「あら、今シンジ君、笑わなかった? 可愛い顔して笑うのね」
そんなシンジの笑顔を見たミサトはニヤニヤした顔で笑う。
かわいいと冷やかされて思春期の男子であるシンジとしては嬉しいはずも無く。
「余計なお世話ですよ」
ミサトをにらみ返してそうつぶやいた。
彼女は穏やかな笑顔になってシンジに語り掛ける。
「ねえシンジ君、碇司令の事も分かってあげて。碇司令は人を褒めるのに慣れていないのよ」
「さっきので分かりました」
思い出し笑いをしたのか、シンジは口元を歪めながらそう答えた。
すっかり打ち解けたシンジに、歩きながらミサトは笑顔になってネルフの事を話し始めた。
話題は主にネルフに居るスタッフたちの事だ。
自分たちはみんなの温かい気持ちに支えられて居るとシンジに伝えるためだったが、余計な事まで話してしまうのはミサトの悪いクセだ。
『歩くスピーカー』、それが残念な点だと親友のリツコは語る。
<ネルフ 経理課>
「独身寮に入る? 本当にそれでいいの、シンジ君」
「いいんです、父さんに迷惑を掛けたくないですから」
ミサトに付き添われたシンジは経理課でネルフの職員から住居の説明を受けていた。
シンジが希望すればゲンドウと同じ碇家の邸宅で暮らす事は手続き上可能だった。
しかし現実問題として総司令であるゲンドウは家に帰る事は皆無である。
妻の実家である碇家の邸宅で暮らす義父と義母、ゲンドウの仲は良くない。
孫であるシンジを引き取ると申し出ずに、ゲンドウの伯父夫婦に預けたままだった経緯を考えても、碇家で暮らす事が彼の幸せに繋がるかはミサトも疑問だった。
もっとも、ゲンドウが自らの都合のため、孫であるシンジを義父母から遠ざけていたと言う事情をミサトは知らなかったのだ。
ネルフの独身寮でも人が周りに居るが、『総司令の御子息』と言う肩書がネルフの職員たちとの間に壁を作ってしまうだろう。
総司令を怒鳴り散らせるのはネルフ広しと言えどもミサトだけである。
ミサトはシンジに家族の温もりを教えてあげたいと思った。
旦那も息子もミサトの意見に反対はしないだろう。
思い立ったが吉日、ミサトはすかさずリツコに電話を掛けた。
「緊急の用事って何? あなたに押し付けられた仕事のせいで忙しいんだけど」
リツコの皮肉も今のミサトには馬耳東風。
ミサトは自分の要求をしっかりとリツコに叩きつける。
「シンジ君を私の家に引き取ることにしたから」
ミサトの言葉を聞いたリツコの溜息が漏れる。
「はぁ、そんな事だろうと思ったわ。あなたショタコンだものね」
「いやねえ、リツコ。あたしにはそんなんじゃ無いってば」
シンジに聞かれたら誤解される、電話で良かったとミサトは思った。
「暗殺者の子を養子にするなんて聞いた時は正気の沙汰とは思えなかったわ」
「まあその話は置いといて……面倒な手続きはお願い」
また余計な仕事を増やされるとリツコは叫びに近いため息を吐き出した。
「はぁぁぁぁぁっ、それで司令の許可は取ったの?」
「事後承諾でOKじゃない?」
ミサトが軽い調子でそう言うと、リツコはウンザリとした口調でぼやく。
「そんな無茶が通ると思っているの?」
「通るわよ、あたしが通す! じゃあね、オーバー!」
リツコの説教が始まりそうだと察したミサトは通話を切った。
「あのミサトさん、僕はまだ一緒に暮らすとは言ってないんですけど」
シンジが困った顔でミサトに声を掛ける。
ミサトはそんなシンジに向かって微笑みながら問う。
「シンジ君はあたしたちと家族になるのは嫌?」
「今日会ったばかりじゃないですか……まだミサトさんの事よく知らないし」
目を逸らしながらシンジは口ごもってそう話した。
「これから知り合いになるのよ。お互いの肌で感じ合ってね」
「は、肌で……?」
ミサトの言葉を聞いたシンジは顔を真っ赤にして、股間を押えた。
まさか、彼女はショタコ……?
「変な想像してる? 好きな料理とか、何気ないクセとか、近い距離で感じ合うって意味よ」
ごまかし笑いを浮かべながらミサトはそう言って舌を出した。
シンジのドキドキは少し治まった。
やはり美人のお姉さんとの同居は思春期の少年には刺激が強い。
偶然着替えを見てしまう、ラッキースケベもあり得なくはないからだ。
「じゃあさっそくあたしの事を教えてあげようか。上から88、59、82よ」
「僕をからかっているでしょう!?」
再び活性化した場所を手で押さえながらシンジは猛抗議した。
そんなコミュニケーションをしている二人に忍び寄る人影があった。
「ミサト、こんな所で油を売っている暇があるなら自分の仕事をしなさい!」
「ごめんなさーい!」
青筋を立てたリツコに怒鳴られたミサトはシンジの手を引っ張ると経理課から逃げ出した。
「赤木博士、まだサードチルドレンの住居申請が住んでいないのですが……」
「はぁ……どうせそんな事だと思って来てみたから、構わないわ」
経理課の職員に声を掛けられたリツコはため息を吐き出して書類業務を始めるのだった。
<第三新東京市 幹線道路>
結局ミサトの誘いを拒否できなかったシンジはミサトの運転する青いルノーに同乗していた。
電話の通話をハンズフリーに切り替えたミサトは自宅に電話を掛ける。
「もしもしヨシアキ、今日は新しい家族の歓迎会をしたいんだけどさ、夕食はパーッと豪勢なものにして」
「それなら船盛ならどうかな?」
電話から聞こえて来たのはテノール声だった。
シンジも自分の地声は高い声だったので、電話の相手は同じ歳くらいの少年かと思った。
「シンジ君は生魚のお刺身は大丈夫? 胃腸とか弱くない?」
「強くもないけど、平気だと思います」
ミサトに尋ねられたシンジはそう答えた。
「船盛でだいじょーぶみたいよ」
「そう、若いお客さんのようだね」
電話の相手にもシンジの声が聞こえたようだ。
言い方からすると自分より年上なのかとシンジは思った。
その後もどんな種類の魚の刺身の盛り合わせが良いかなどしばらく打ち合わせは続く。
「あのミサトさん、ヨシアキさんって誰ですか?」
通話が切れた後、シンジはミサトに尋ねた。
「私の息子よ、血は繋がっていないけれどね。シンジ君より二歳上になるから、お兄さんになるわね」
「そうなんですか」
シンジは浮かない顔をしてそうつぶやいた。
伯父夫婦の家で暮らして居た時も、シンジには従兄がいた。
彼らにお客様のように扱われていた彼は従兄に妬まれ、徹底的に無視をされた。
空気よりも薄い存在感の扱いを受ける事がとても心に堪えるのである。
「ヨシアキさんってどんな人ですか?」
「そうね、落ち着いた穏やかな感じで、面倒見の良い心の優しい子よ。シンジ君もそんな身構えることは無いからね」
「はい、分かりました」
とりあえず怖い人ではなさそうだとシンジは少し安心した。
言う事に従って、大人しく息をひそめて暮らしていればいい。
これがシンジの処世術だった。
ミサトはカーナビの時計をチラッと見た。
時刻はまだ夕方だった。
「夕ご飯の前に、ちょっち寄り道するわよ」
「どこですか?」
不思議そうな顔でシンジが尋ねる。
「シンジ君に見せたい場所があるの」
ミサトはいたずらっ子の様に微笑み、ルノーを走らせた。
<第三新東京市 第壱中学校>
暮れなずむ街を背にして、ミサトの運転するルノーは学校へとたどり着いた。
「ふふ、運動部のみんなはまだやってるみたいね」
ミサトはゆったりとした運転で駐車場にルノーを止めて、夕陽に染まるグラウンドを眺めた。
運動部員の掛け声が周囲には響いている。
「ここは第壱中学校、明日からあなたが通う学校よ。ちょっとグラウンドに行ってみましょうか」
ミサトがグラウンドの隅にあるカバディ用のコートに近づく。
すると部員達はゲームを中断しミサトの側に駆け寄った。
「ミサト先生!」
「今日のミサト先生の授業、楽しみにしてたんすよ」
「ごめんね、もう一つのお仕事が忙しかったから」
第壱中学校は第三新東京市にある中学校の一つだ。
特に二年A組は特殊な事情を持つ生徒ばかりが集まられており、ミサトが担任教師として抜擢されていた。
ミサトはエヴァのパイロットは二年A組に転入すると聞いていたので、ネルフの指揮官と教師の二足の草鞋を履くことにしたのだ。
ミサトは隠れるように後ろに立っていたシンジをグイっと前に出して生徒達に紹介する。
「この子は碇シンジ君、あの使徒と戦ったロボットのパイロットよ。明日からうちのクラスに転校してくるからよろしくね」
部員たちは興味津々と言った様子でシンジに近づいて来る。
「あのロボットの名前って何て言うの?」
「汎用人型決戦兵器人造人間エヴァンゲリオンって言うらしいんだ」
「すげー! 噛まないで言えた! 必殺技とかある!?」
「えっと頭突きで倒しちゃったみたいで……」
シンジは次々と浴びせられる質問にうろたえるしかなかった。
「はいはい、今日はシンジ君も疲れているから詳しい質問はまた明日ね」
ミサトは生徒達をなだめるようにそう言うと、生徒達の顔ぶれを見て不思議そうに首を傾げた。
「あれ、鈴原君は?」
「キャプテンなら少し前に連絡が来て病院に行きました、妹さんが怪我をしたって」
「そうなの……」
ミサトは使徒との戦いで市民に被害が出たとは聞いていたが、身近に居るとなるとさらに身につまされるものがあった。
「それでミサト先生はどうして碇君と一緒に居るんですか?」
「シンジ君はね、エヴァのパイロットになったから私と住むことになったの」
「何だとーー!」
「碇、この裏切り者!!」
「ご、ごめん」
生徒達の怒声がグラウンドに響く中、ミサトとシンジはグラウンドを離れた。
「ここが私達の街よ、つまりあなたが守った街。いま会った子たちも、あなたが守ったのよ」
「僕がみんなを……街を……住んでいる人たちを……守った」
ミサトはシンジ自身に自信を持ってほしかった。守るべきものを持った人間は強いことは身をもって知っている。
彼女自身も守りたいもの、支えてくれるものがあるからここまでやって来れた。
上っ面の言葉でシンジを誉めるのは簡単だが、それでは伝えきれないかもしれない。
そこでシンジには自分が守った命、人々の生活を直に見せてあげたかったのだ。
<第三新東京市郊外 加持邸>
第三新東京市の郊外に大きな庭付き一戸建ての家がある。
蘆ノ湖を一望できる素晴らしい眺望、周囲は緑に囲まれている。
その独創性に満ちた広い庭は、家主のこだわりを感じられる。
この家は富裕層向けに売り出されていた別荘を、ミサトとリョウジが無理を押してローンを組んで買ったものだった。
「広いお庭ですね。……あ、魚が泳いでいる池や、スイカ畑まである」
「旦那の趣味でね、人間は地に足を付けて生活するのが当然って言って、この家を買ったのよ」
「えんとつから煙が上がってる、のどかですね」
「ああ、あれは雰囲気を出すためのA.R.(拡張現実)よ。実際に煙は出てないわ」
「はぁ!?」
感心して木造の良い雰囲気の家を見ていたシンジは驚きの表情になる。
入口の温もりを感じさせる木製のドアも、顔認証システムで自動的に開くドアだった。
一見普通の一軒家に見えるが、ネルフの誇る才媛、リツコの手によって至る所に改造が施されている。
「合理的に生きるって、こういう事よ」
「そうですか……」
ミサトの言葉を聞いたシンジは少し気落ちしながら玄関に入った。
リーンリーンとなる涼しげな風鈴の音もきっとスピーカーから流しているんだ、とシンジは思った。
「おじゃまします」
シンジがそう言って玄関から中に入ろうとすると、ミサトはシンジの身体をグッと家から押し出した。
「違うでしょ、これからここはあなたの家なんだから。はいやり直し」
ミサトにそう言われたシンジは顔を赤くしながらもやっとの事で言葉を絞り出した。
「……た、ただいま」
「……おかえりなさい」
ミサトは穏やかな笑顔でシンジに答えた。
家の台所から包丁の音が聞こえる。
それは家庭的な温かい料理と……言うよりはプロの板前が振るう激しい音であり、シンジは料理の店へと入ったのかと勘違いしそうなほどだった。
「ヨシアキ、頑張っているみたいね」
「お帰り、母さん」
エプロンを付けて台所に立っていたのは、琥珀色の瞳が印象的な黒髪の少年だった。
ミサトの話によればシンジより二歳年上、高校生のはずだ。
「ヨシアキ、今日から家族になる碇シンジ君よ」
「シンジ君だね、よろしく」
柔らかさを感じさせる穏やかな笑顔で握手を求められたシンジは安心した様子で手を握った。
「母さん、ご飯を食べる前にシンジ君にお風呂に入ってもらえばどうかな?」
「そうね、じゃあ私は部屋で着替えてくるから」
ミサトは鼻歌を歌いながら自分の部屋へと姿を消して行く。
「じゃあ、シンジ君の部屋はこっちだから。荷物を置いたらお風呂に入ってね」
シンジはヨシアキに案内してもらい、あてがわれた部屋に入ると、ベッドはホテルの様に完璧にメイキングされていた。
凄い、まるでメイドさんみたいだ……とシンジは思った。
シンジがメイド服を着たヨシアキを想像すると、顔が真っ赤になるのを感じた。
ヨシアキが男性だと分かっていても、シンジは彼から色気のようなものを感じたのだ。
よこしまな妄想を振り切り、着替えを持ったシンジが脱衣所の前まで来ると、ヨシアキに声を掛けられる。
「いいかいシンジ君、もし母さんがお風呂に入っている所を覗いたりしたら……首と胴体が離れる事になるからね……」
「は、はいっ!」
そのヨシアキの表情は、背筋が凍るほど怖いもので、シンジはたまらず震え上がった。
「すっかり冷えたみたいだね。ゆっくり温まるといいよ」
「うん……」
柔らかな表情に戻ったヨシアキに、冷えたのは身体の温度ではなくて心の温度だよ、とシンジは心の中でつぶやいた。
加持邸のバスルームは別荘向けだと言う事もあり、広くて景色も素晴らしいものだった。
いや、突然画面が切り替わった所を見ると、景色は超薄型有機ELディスプレイに映し出されたもののようだった。
自分の苦手な高所からの景色が映し出される前にと、シンジは急いでバスルームを出た。
身も心も温まったシンジがリビングに顔を出すと、既に料理は出来上がっていた。ミサトは我慢していたビールを飲みたくてウズウズしているようで、早くシンジに席に座るように急かした。
「「「いただきまーす」」」
「やっぱり人生、ビールを飲むためにあるようなものね~!」
ミサトはジョッキに注がれたビールを飲み干した後、食事に手を付けないシンジに不思議そうに尋ねる。
「食べないの?」
「あ、あの、あまりに料理が凄すぎて……」
「歓迎会だからって張り切りすぎたかな?」
テーブルに並べられていたのは大小豪華な刺身の盛り合わせの船盛。
他にも京野菜や魚の天ぷらなど和食料理のフルコースで、まるで料亭に居るかのようだ。
家庭料理のレベルじゃないんですけど、とシンジはヨシアキにツッコミを入れた。
「でも楽しいでしょう、こうしてみんなと顔を合わせて食事をするのは」
「……はい」
ミサトの笑顔にシンジは少し照れながら答えた。
「美味しい食事は楽しいだんらんの潤滑油よ。さあ、食べて食べて」
伯父夫婦と顔を合わせて食事をすることはたまにあったが、あまりシンジに関心を持ってはくれなかった。
かろうじて聞かれるのは学校の成績の話だけで、成績が良くないからと言って叱ることも無い。
従兄と従妹に至っては完全にシンジを無視。
ただそこに居るだけの無味乾燥な食卓だった。
だからこうして話しながら楽しんで食事するのは初めての事だった。
シンジは食事の席でヨシアキが読書が趣味だという事を知った。
一人で居る事が多かったシンジは本を読む事は嫌いではなかったので、シンジはヨシアキに少し親近感を抱くのだった。
『シンちゃんのお部屋(仮)』(と部屋のドアにミサト直筆で書かれたのレポート用紙が貼られている。意外にも達筆。正式なプレートはリツコに頼んでいるらしい)
シンジは二階の四部屋のうち、北東の部屋を自分の部屋としてもらった。
残りの北西の部屋はヨシアキの部屋で、南東の部屋はミサト夫婦の部屋だ。
「木の天井って、何か暖かい感じがする……人の心も暖かくなるのかな」
ベッドに横たわるシンジはそうつぶやいた。
もちろん、この木の天井も見た目だけで実際はネルフの誇る超合金で作られているのだろうけれども。
病院のジプトーンの天井は清潔感はあるけど温かみが無いし、シンジが伯父夫婦の元で暮らして居た頃のプレハブ小屋の天井はトタン屋根で温かさの欠片も無かった。
そんな事を考えているとシンジの部屋の引き戸が細くすっと開けられ、ミサトの声が聞こえる。
「シンジ君……よく聞いて。私は任務だからって赤の他人と同居できるほど割り切れた人間ではないわ。シンジ君と家族になりたいって気持ちは本当だから」
「ミサトさん、ありがとうございます……」
シンジはベッドから体を起こして笑顔でミサトにそう答えた。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみなさい」
改めてシンジは天井を見上げる。
すると天井の温かさがさらに増しているような気がした。
いや、例えトタン屋根であっても、おやすみなさいと声を掛け合う家族が居れば寝る前に見上げる天井は温かいのだとシンジは思った。
同じ屋根の下で暮らして居る気持ちを分かち合う事が出来るのだから。
天井を見つめているうちに、自然とシンジは心地良い眠りに就いたのだった……。
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文章量少なめのハイペースで進めた連載ですが、補完した方が良いでしょうか? 最終話だけ別のアンケート(続編について)になります。
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本文は今の量が読みやすいので外伝形式で
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本文の量が増えても加筆修正が良い
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第〇話の修正希望(メッセージで)
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