マチカネフクキタルとの3年間 with ゴルシ 作:あぬびすびすこ
天皇賞秋。
完成したと言われているサイレンススズカが、最高のパフォーマンスを見せてくれるだろうと観客たちが大勢なだれ込む東京レース場。
天候は晴れ、芝も良、11月1日、東京第11レース、1枠1番、1番人気。そして、スズカの得意な左回りのコース。
最高の条件がそろった最高の舞台。スズカに走れと言っているようなものだろう。
レース場が熱狂に包まれている中、控室では静かな時間が過ぎていく。
スズカはイスに座り、神むすびを手に持ち感触を確かめている。目を閉じて集中している、でも穏やかな空気がそこにはある。
そんな彼女に気をつかって、チームのみんなも静かに見守っている。フクキタルはスズカのレースをタロットカードで占っているけど。
「……ヴッ」
ぺらっとめくったカードが、まさかの13、死神。
しかも正位置だから、破局とか終焉とか、穏やかではない意味ばかりだ。
流石にカエルがつぶされたような声が聞こえたからか、スズカは不思議そうに振り向いた。
フクキタルやソーラーレイが慌ててタロットカードを見えないようにと隠そうとするが、すでに遅し。
バッチリと見られてしまった。
「あら……」
「あぁ~! 見られてしまいました! なんと不吉な……およよ……」
フクキタルがどんよりと肩を落とす。
他の人を占ってるのに自分が落ち込んでどうするんだろうか。
ちょっぴり変な空気になっているが、スズカはふふっと笑う。
「フクキタル。私から見たら逆の位置よ」
「え……?」
確かに、フクキタルが置いた死神は、フクキタルから見ると正位置。
だが、その向かいにいたスズカにとっては逆位置だ。
つまり、やり直しや次のステップへ進むという意味になる。
「占いって、見え方で変わる物でしょう?」
「そう、ですね。そうですね! たとえ凶が出たって、がんばればいいのですから!」
「いいこと言うじゃねーか、スズカ! うっし、ゴルシちゃんも占ってくれよ、フク!」
「いいですよ! むむむ、はい! 凶です!」
「ぶっ飛ばす」
スズカもフクキタルも心に余裕があるなぁ。
暴れるゴールドシップをみんなで抑えながらそう思うのだった。
◆ ◆ ◆
「………?」
地下バ道を歩いている時、脚に違和感を感じた。
下を向くと、左脚の靴の留め具が外れている。しゃがんでしっかりとつけなおす。
「………」
靴を履き直してから、左脚首につけたお守りを撫でる。
トレーナーさんがくれた、私へのお守り。ケガをしないようにってくれたお守り。
これをつけると、なんだかトレーナーさんと走っているみたいで。息が切れて苦しい時、励ましてくれているみたいで。
私を守ってくれているみたい。なんとなく、そう思う。
地下バ道から出ると、観客席から大きな歓声が聞こえてきて、思わず耳がぺたんと倒れてしまう。
期待してくれているというのは感じるけれど、ちょっと大きすぎないかしら……。
「スズカー! 今日も見せてくれー!」
「大逃げ期待してるぞー!」
「ぶっちぎってくれよー!」
ファンのみなさんから声をかけられる。
私の大逃げは、みんなに夢と感動を与えられているみたい。少し、嬉しい。
ゆっくり歩きながら集中していると、ゴール前にいるみんなを見つけた。
トレーナーさんにフナボシのメンバー。スペちゃんも来てくれている。シャインフォートも。
遠くにはエアグルーヴ、会長もいる。見に来てくれたのね。
トレーナーさんが私を見て、グッと親指を立ててくれる。
私の好きに走っていい……そういうことですよね、トレーナーさん。
出走前インタビューでのことを思い出す。
――スズカは今回も先頭を走りますよ。
『大逃げですね! 毎日王冠では57.7とオーバーペースでしたが、天皇賞では抑えるのでしょうか?』
トレーナーさんの回答に、記者の人がペースを聞いてくる。
その時、トレーナーさんは楽しそうに笑って答えた。
――オーバーペースで逃げますよ。
会場にいた人たちは、みんな驚いていた。
だって距離も伸びているし、最初から速いタイムで逃げないから。
でも、トレーナーさんは自信満々に答えてくれる。
――オーバーペースが、スズカのマイペースなんですよ。だから、自分の好きに走るだけです。
私はそれを聞いて、きゅっと胸が熱くなりました。
最初にスカウトしてくれたトレーナーにはごめんなさいと言わなければならないけれど。
トレーナーさんが私のトレーナーでよかったって。嬉しさで自然と息が漏れたから。
トレーナーさんを見て頷く。
私、走ります。誰にも邪魔されない先頭に。
だから、トレーナーさんとの作戦通り、気持ちよく走りますね。
『ウマ娘たちが追い求める一帖の盾。鍛えた脚を武器に往く栄光への道! 13万人のファンたちが集うここ東京レース場で行われます、天皇賞秋!』
『実力、人気共に備えたキヌノセイギ。今日は3番人気です』
『2番人気はメジロブライト。春に続いて秋の盾を手にすることはできるのか!』
『そして1番人気はここまで3連勝! 異次元の逃亡者! サイレンススズカ!』
ゲートに入って目を閉じる。
ひとつ息を吐いて目を開けて、体にぐっと力を入れる。
今日もいつも通り。最初から最後まで、一番前に……!
『ゲートイン完了! 出走の準備が整いました!』
――ガタンッ
『スタートしました! 各ウマ娘、きれいなスタートを切ります!』
ゲートが開いた瞬間、グン! と思いきり前に出る。
ゴールドシップから教えてもらった加速の仕方。流石に爆発するみたいにはできないけれど、スタートで使うぐらいなら。
『先頭に躍り出るのはやはりこのウマ娘、サイレンススズカ!』
『逃げにとっては最高の条件がそろっていますよ!』
今日は苦労せず先頭に出ることができた。
トレーナーさんが言った通り、誰にも邪魔はされなかった。一緒に行ってしまうと、スタミナが切れてしまうから。
『シズカナシカクも追いかけるが、サイレンススズカが速いッ』
……200m走ったから、もういいのよね。
グッと足に力を入れて、好きなように、好きなスピードでどんどん走る。
トレーナーさんから、最初の200mだけゆっくりして、そこから突き放そうと言われた。
今回は邪魔されないから、最初の1ハロンをゆっくりさせてもらおうということ。
ヘタすればそのまま沈んでしまいそうなのに……凄い作戦ですね、トレーナーさん。
『サイレンススズカが加速した!? 後続をどんどん突き放していきます!』
『誰も彼女についていけません! 1人だけ別の次元でレースをしているかのようです!』
今日は調子がとてもいい。フォームも崩れないし、脚も軽い。なのに力を入れれば入れただけ速く走れる。
これならいけるかもしれない……スピードのその先へ!
『サイレンススズカ独走! 一体何バ身差がついているのかわからないぐらい、大きく大きく差をつけていますサイレンススズカ!』
気持ちいいぐらいスピードが出る。
スタミナだって全然余っている。みんなとトレーニングしてきた成果だ。
もっともっと走りたい! もっと速く!
『サイレンススズカが1,000mを通過! た、タイムは57.4ッ! 超ハイペースです! 前走の毎日王冠を超えるスピード!』
『このままいけばとんでもないレコードがでますよっ!』
第3コーナーに入る。
ゴールドシップから教えてもらったコーナリングで減速せずに回り、ほんの少しだけ息を入れる。
ここから加速してコーナーを抜けて、そうしたら最後の直線。
そこに行けば見えるはず、スピードの向こう側……!
息を入れ終えて、加速のために左足を地面につける。
グッと力を入れようとした瞬間、物凄く変な感覚がした。
ここで行ってしまえば、全てが終わってしまうような。スピードの向こう側どころか、何もできなくなってしまうような。
背筋が凍ってしまって、涙があふれてしまうほどの恐怖が私を襲った。
でも、怖くても左足はもうターフに降りてしまっていて。
あとはもう、踏みこむだけ。
怖い……! 思わず心の中で叫んだ時。
行こう、スズカ!
トレーナーさんの声が聞こえた。
そうしたら、怖さも何もなくなって。
思いきり左足を踏みこんだ。
――プチッ
思わず「あっ」と声が出た。
◆ ◆ ◆
『大ケヤキを通って第4コーナーへ!』
俺たちは手を握り締めてコーナーを睨みつける。
このレースを見ていた誰もが見ているんだ。サイレンススズカに、夢を。
最初から最後まで、ありえないほどのスピードでぶっちぎる異次元の逃亡者を!
『最初に見えてくるのは、たった1人! たった1人です!』
『――サイレンススズカッ!!!』
うわああああああああああ!!!!! と大歓声が上がり、誰もが立ち上がって身を乗り出した。
スズカが最初と変わらないスピードで、コーナーをグングンと回ってきたのだ!
『サイレンススズカッ! とんでもない走りだ! サイレンススズカだけが! サイレンススズカだけが! この最終直線のターフを走っています! なんということだッ! なんてウマ娘なんだサイレンススズカ!』
スズカが坂を駆け上がる間に、ようやく2番手の逃げウマ娘、シズカナシカクが最終コーナーを回って直線へと入ってくる。
上り坂を超えるとふぅと息を吐き、大きく吸うと、さらにグン! と加速する。
『ここでさらに加速したサイレンススズカ! 先頭の景色は譲らない! 先頭の景色は絶対に譲らない!』
「スズカー! 最高だぁー!」
「スズカさ~ん! ぶっちぎりですよぉ~!」
「スズカさーん! すごいよぉーー!!!」
「ファンタスティック! スズカー!」
――スズカーッ! 走れぇーーーッ!!!
みんなで声を上げると、スズカがこちらを見た。
フッと、今までにない充実した笑顔を見せると、そのままさらにグン! グン! とゴールに突っ込んでいく。
『サイレンススズカ独走! サイレンススズカ独走! こんなことが今まであったでしょうか! 異次元の逃亡者サイレンススズカ! 今、ゴールインッ!!!』
わあああああああああああああ!!!!!!!!!!!
大歓声が上がり、誰もが飛び上がって喜んだ。
まだレースは終わっていないのに。とんでもない状況だ。
2着以降は、スズカからかなり遅れてゴールインしていく。一体どれほどの差ができたというのだろうか。
「なんてウマ娘なんだ……サイレンススズカ!」
「底がしれないわ……! なんて速さなの!」
「最強……いや、伝説だ……! 俺たちは今、伝説を見ているんだ!」
観客は誰もがみな今のレースに心を揺り動かされた。みんなの夢がそこにあったのだ。
レースが終わり、一緒に走った誰もが唖然としている中。
スズカはゆっくり観客の前を歩き、控えめに手を振っていた。
『栄光の日曜日の主役となったのはサイレンススズカ!!! 第4コーナーの向こう側から、みごと盾の栄誉を勝ち取りました!!!』
「スズカさーん! 最高だったよぉー!」
「スズカー! コングラチュレーション!!」
「トレーナー! ウィナーズサークル行くぜ!」
「私も行きますよ~! みなさん、カムトゥミ~~!!!」
全員でスズカに手を振りながら、ウィナーズサークルへと走っていく。
伝説になるレースを見てしまったと、未だにドキドキする心臓を抑えながら。
ウィナーズサークルに向かうと、既にスズカの周りにチームメンバーが集まって祝福していた。
「すっごいレースでしたよ、スズカさん!」
「うんうん! 最高だよぉ!」
「ありがとう、フクキタル、レイ。うむむ」
フクキタルとソーラーレイは大興奮で、謎の儀式のように周りで踊っている。
タイキはぎゅむぎゅむとスズカをハグしていた。タップされているのに全くの無視。気づいていない様子だ。
「やったみてーだな、スズカ」
スズカの満ち足りた表情を見て、ゴールドシップが口にする。
うん、と俺は頷く。
みんなのところに歩いていくと、スズカがぱぁっと明るい顔で近づいてきた。
「トレーナーさん! 私、この天皇賞で、あの景色を見ることができました!」
「たくさんのウマ娘の鼓動をかきわけた先……その向こう側」
「――今までで1番静かで、綺麗で……!」
興奮気味に話すスズカ。
自分が目指したスピードの向こう側、そこへたどり着けた感動を俺に伝えようとしてくれている。
「私、出られてよかった! このレースで走れてよかったです!」
笑顔でそう話すスズカに、ただ一言。
――おかえり!
そう伝えた。
スズカは嬉しそうに、大きく頷いた。
「はい! ただいま帰りました、トレーナーさん!」
興奮しっぱなしの記者たちが詰め寄せる中始まったインタビューは、今まで受けてきた中で1番の熱気だった。
それもそのはず。このレースでスズカが出したタイムは1:55.9。2着のタイムは1:59.3。なんと3.4秒差だ。しかも、2度と更新されないであろうと言われたトーセンジョーダンのレコードタイムを0.2秒も更新したのだから。
スズカならワールドレコードの更新も見えるはずだ! と記者たちも大きくときめいていた。
勢いが凄まじいインタビュアーや記者にちょっと困りながらも一生懸命応えているスズカに、ある記者から質問が飛んできた。
「あの、ぶしつけかもしれませんが。サイレンススズカさんって、左足にトレーナーからいただいたというミサンガのようなものをつけていたと思うんです。今は外しているんですか?」
俺も記者も、スズカも左足を見る。
そう言えば神むすびが見当たらない。
レース前に外したのか? そう聞くと、スズカは嬉しそうな表情で首を横に振った。
「トレーナーさんが守ってくれたんですよ」
そう言われた。んん?
首を傾げていると、スズカが説明してくれる。
「第4コーナーに入る時、脚を踏み出したら変な感触がしたんです。このまま踏みこんだら、もう走れないかもって不安になる感じです」
「怖くなってどうしようと思った時、トレーナーさんの声が聞こえて。そうしたら、怖さがなくなったんです」
「それで思いきり踏みこんでみたら、お守りが切れてしまったみたいです。健康祈願のお守りだったので、トレーナーさんがケガから守ってくれたからかなって」
そうだったのか……。
よかった、スズカが無事に帰ってきてくれて。
思わず顔を見合わせて安心していると、記者たちからおぉ……! と声が漏れ、パシャシャシャシャ! と激しいシャッター音が。
いつでもいる乙名史さんなんかすばらしいです!!! っていつも通り大声を出しているし。
でも、神むすびが守ってくれたなら、本当に良かった。
うん、と1つ頷くと、スズカが服の裾をちょんと引っ張った。
「トレーナーさん。また、もらえますか? お守り」
少しだけ不安そうに聞いてくるスズカに、もちろん! と答える。
よかったですと笑顔になるスズカを見て、今日は最高の日曜日だったと思うのだった。
栄光の日曜日を迎えたフナボシ。
未来は明るい。