今回は前回の直接の続きです。
「あ、九鬼英雄が来た」
お嬢様と昼食をとるために訪れていた2-Fの教室でその言葉を聞いたとき、珍しいこともあるものだと思った。不死川心のように嫌悪感をもって見下していなくとも、自ら積極的に『庶民』と関わる男ではない、と判断していたからだ。
「まーたワン子を口説きに来たのか?一途だねえアイツも」
と島津岳人が言う。お前も少しくらいは一途になりなさい、と言ってやりたくなったが……なるほど。九鬼英雄は、武神の妹である川神一子を好いているという話でしたね。
だが、大方の予想に反して九鬼英雄は川神一子ではなく――衛宮士郎に向かって歩き出した。自らの手作りだという弁当を広げようとしていた衛宮士郎は怪訝な顔だ。どうやら、心当たりがないらしい。お嬢様も興味津々といった様子で成り行きを見守っている。
「衛宮士郎よ。我、九鬼英雄は貴様に決闘を申し込む!」
これはまた、予想外な言葉が飛び出したものです。
『予め断っておくが、貴様には非や落ち度は一切ない。我の純粋な自己満足――いや、自己満足ですらないな。醜い八つ当たりだ。だが、我の中でケジメをつけるためにも、我は貴様と戦いたい!』
九鬼英雄のそんな言葉から数時間後。学園のグラウンドには放課後であるというのに大勢の生徒や教師が集まっていた。滅多に見られない九鬼英雄の私闘ということで、かなりの数が見物にきている。勿論、2-Sの面々もだ。私も、一応此方側にいる。
「おやおや、困りましたね。私はどちらを応援すれば良いのでしょうか」
「若と英雄には悪いが、俺はユキの恩人として士郎を応援するぜ。ユキは……っていうまでもないか」
「士郎ー!!頑張れー!!」
「Fクラスの山猿など叩きのめしてやるのじゃー!!」
「英雄様…………」
ふむ?女王蜂ならばうるさいくらいに応援するかと思ったのですが……妙ですね。とそこで、大声が響く。
「西!2-S、九鬼英雄!東!2-F、衛宮士郎!双方、準備はよいかの?」
お互い無言のまま前に出て、審判を務める川神鉄心に向けて頷く2人。九鬼英雄は褌姿。衛宮士郎は制服のままだった。
「それでは尋常に――始めぇぇぇい!!」
勝負開始の合図と共に構えを取る九鬼英雄。嗜みとして中国拳法を齧っただけだと聞いていましたが……なかなか様になっている。武人を目指していれば、それなりの境地まで達していただろう。
一方の衛宮士郎は構えを取らない。両手を無造作にたらしたまま、自然体で立っている。一見隙だらけにも見えるが――纏っている空気が、明らかに違う。幾度の戦いを越えた者だけが纏う、本物の空気。周囲もそれが感じ取れてしまうのだろう。誰かがゴクリと喉を鳴らす音がやけに大きく響いた。息を呑むような静寂が暫く続いた後――
「ホワッタァァアアッ!!」
九鬼英雄が、仕掛けた。助走を付けて一気に間合いを詰めてからの飛び蹴り。防がれるも、着地してからの流れるような連続攻撃。なるほど、筋が良い。ちょっとした腕自慢程度なら倒せてしまえそうだ。しかし――その尽くが、当たらない。
衛宮士郎が、防ぐ。また防ぐ。躱す、防ぐ、捌く、躱す、防ぐ、また防ぐ。初撃の飛び蹴りを受けた時こそ僅かに後退したものの、それからは両の腕のみで、その場で九鬼英雄を攻撃を防ぎ続けている。普通、あれだけ攻め続けられればどこかでボロが出るか、焦って無理に反撃に移りそうなものだが――その鷹のような鋭い目は、感情を揺らすことなく冷静に敵を捉えていた。
スタミナが減少し、速度が落ちた九鬼英雄の蹴り足を衛宮士郎が掴む。そのまま軸足を払い、お手本のような投げで地面に叩きつけた。同時に静寂が再び破られ、ワッと歓声が上がる。
「良い戦士です。あれなら、私の部下として鍛えてやってもいい」
「真剣か。現役の軍人にそう言われるなんて、士郎のやつ接近戦も凄いんだな」
「才能に溢れている、というわけではありません。むしろ才ならば九鬼英雄の方が上でしょう。しかし、あの男は出来得る限り自らを鍛え上げ、その上で適切にその力を振るう術を心得ています。武人としてではなく、戦士として強いのでしょう」
なるほどなー、と頷いている井上隼。しかし……決闘が始まってから、未だに無言のままの者がいる。女王蜂こと、忍足あずみ。
「どうしました、女王蜂。主が心配だとしても、あまりに貴女らしくありませんよ」
「アタイらしくない、か……そうだな。そうかもしれねえ。アタイ、苦手だし、嫌いなんだよ、アイツのこと」
おや、これは本当に意外ですね。
「任務中、それもまだ学生相手にそこまで個人的感情を持ち込むとは本当に珍しい。一体、彼の何が苦手だというのですか?私もお嬢様の周囲の者として一通りの調査はしましたが、むしろ好青年の部類だと判断しますが」
衛宮士郎。お嬢様のクラスメイト。10年程前に自宅の火災で両親を失い、その後暫く川神一子や源忠勝と同じ孤児院で暮らす。川神学園入学と同時に焼け残ったかつての離れを改装し1人暮らしを開始。
成績は取り立てて良い訳ではないが、英語は堪能。後見人を小島梅子が引き受けていることからFクラスに編成された。私生活はほぼ自己鍛錬と慈善活動に費やしており、何事もない日でさえボランティアで清掃活動をしていることから『川神のブラウニー』と呼ばれ地元民から親しまれている。
「……お前、それおかしいと思わねえか?」
何度も立ち上がり、果敢に挑むも再び投げ倒される九鬼英雄を苦しそうな目で見つめながら女王蜂がポツリとこぼした。
「おかしい?何がです?」
「その程度のことは九鬼も、いや、もっと詳しく調べた。アイツには合法違法問わず海外へ渡った経歴はない。川神で命の危険を伴うような抗争は滅多に起きないし、あってもそれはほぼ九鬼絡みだ。アイツがそれに絡んできたことはない。アイツは至って平穏にこの街で暮らしてきただけだ」
「なら――」
「――なら、アタイや『猟犬』のお前が認めてしまうほどの経験と風格を、アイツは何処で手に入れた?」
それ、は……
「実は見掛け倒しの虚勢でしたってか?ありえねえ。そこを勘違いするほど鈍ってねえよ、アタイは。アレは間違いなく、糞みてえな戦場を踏み越えて、殺し殺されしてきたやつの顔だ」
決着が近い。ふらつきながらも繰り出した九鬼英雄の拳を躱し、あれは――八極拳だろうか。衛宮士郎の中段突きが、綺麗に九鬼英雄の胸へと吸い込まれた。
「もう1つ教えてやろうか。今朝の話は知ってるか?」
「え、ええ。衛宮士郎が矢による狙撃で子猫を助けたという件でしょう。それがどうしたというのです?」
「あの時、アイツは今と同じ制服姿だった。その上で言うぜ。アタイは、アイツがどこから弓と矢をだしたのかわからなかった」
――わからなかった?風魔の忍者であるあの女王蜂が、学生の武器と取り出しを、見逃した?
「な、怖えだろ?お前の大事なお嬢様は、そんなやつの近くにいるんだぜ?」
「…………」
なんと言葉を発せばいいのかわからないまま、衛宮士郎を見やる。倒れ伏す九鬼英雄を静かに見下ろすその鋭い瞳が、先程は頼もしくすら思えたその瞳が、急に冷たいものに思えてしまった――
ある日突然『衛宮士郎(錬鉄の英雄)』という皮を被ってしまった男を、周囲はどう感じるのか、というお話。ヒュームなんかはわかった上で赤子扱いして気にしてない気もします。
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