ちょっと短めだけれど、どうしても入れたかったお話。
――川神学園と天神館の東西交流戦後、衛宮家にて。
「それで、あの源義経は一体なんだったんだ?武士道プランとか言ってたけど」
じゅうじゅうと美味そうな音と、そして匂いを台所から漂わせながら士郎がこちらを振り返らないまま、背中越しに問うてきた。それだけでビールが進みそうになってしまうが……いかんいかん。仕事も終わってプライベート、家族の時間とはいえ教師が生徒の前で泥酔するわけにはいかんらかな。自重せねば。
「私にもわからん。学園長はどうかしらんが、少なくとも教師陣には知らされていなかった。……まあ、あの九鬼のことだからな。突然何をやらかしても不思議ではないが」
一気にグビグビとやりたいところだが、チビリと一口飲むだけで我慢する。士郎の料理ができる前に酒を消費してしまうのは勿体ない。うむ、自重だ自重。
「ふうん、梅ねえでも知らなかったんだ。本人は『本物だ』って言ってたらしいけど、特に霊体ってわけじゃなかったんだよな。どういうことだろ」
思わずビールを吹き出しそうになるのを必死に堪える。入学した頃から全く言わなくなったのに、どうしていきなり『梅ねえ』なんて言い出すんだ!!顔が赤いのは酔ってしまったせいだ。そういうことにしておこう、うむ。しかし……
「雰囲気が変わったな、士郎。少し明るくなったか?」
「うん、まあ。ちょっと、目が覚めたっていうか。ほら、お待たせしました、っと」
士郎が運んできた銀紙を開くと、中からふわりとコンソメのような蠱惑的な香りが立ち上がった。完璧な蒸し具合で中央に陣取る鮭と、出汁に浸されて柔らかくなった周囲の野菜。玉ねぎ、人参、しめじで栄養バランスも、彩りもいい。相変わらず、男子学生が作ったとは思えない出来だ。
「今日は鮭が安かったから、ホイル焼きにしてみたんだ。それじゃ、食べようか」
「「いただきます」」
箸を通してでもわかる、ふんわりと柔らかい鮭。玉ねぎと一緒に掴んで口の中に入れると、暖かく優しい味がいっぱいに広がった。これは……
「やはり変わったな士郎。以前よりも味が前を向いている、というか……士郎の味になった、という感じがするぞ」
私がそう言うと、士郎は一瞬キョトンとした顔をした後に――驚くほど、柔らかく笑ってみせた。
「凄いなあ、梅ねえは。わかるんだ、そういうの」
「当たり前だ、教師を舐めるな。ただまあ、お前にそういう顔をさせるのは、本来教師であり保護者である私の役目だった。そう思うと、自分の不甲斐なさに内心忸怩たるものはあるがな」
今度は声を上げて笑う。……本当に、表情豊かになったな。
「それはまあ仕方ないかな。男同士の泥臭い友情、みたいな感じだったし。あ、そうだ。これ使う?わさびマヨネーズのソース」
「む、美味いなこれは。例の九鬼英雄との決闘騒ぎか?あれは――」
なんでもない、和やかな家族の時間が過ぎていく。当たり前の、けれど私がずっと求めていた時間が。
「――俺はもう、大丈夫だよ梅ねえ」
食後、後片付けも終わり2人で茶を飲んでいると、士郎がポツリとそう言った。
「俺はさ、極端に言えば、今までは『生きている』とは言えなかった。自分を殺して、ただ『衛宮士郎』のフリを必死にしているだけの――ロボットみたいに過ごしていただけだったんだ」
「…………」
「自分はニセモノなんだって。マガイモノが、自分の意思で行動しちゃいけないんだって、そう思ってた。馬鹿みたいだよな。贋作には価値がない、なんて思考は『衛宮士郎』からは程遠いことなのに」
……そうだ。この子は昔からそうだった。『衛宮士郎』とは、自分にとっては英雄なんだと。自分がそう名乗ることなど烏滸がましいと、自分を押し殺して――必死に、理想の『衛宮士郎』を演じて生きてきた。あの火災から目覚めた日から、ずっと。気にせず自分の人生を生きていられたらよかったろう。いっそ、壊れてしまっていた方が楽だったかもしれない。でも、この子は自らの意思で『自分』を捨てた。それは、どんなに辛い日々だっただろう。それは、どれほど苦しい日々だっただろう。
「でも、こんな俺でも、慕ってくれる人がいるから。俺のままでいいんだって言ってくれる人がいるから。だから、大丈夫だよ、梅ねえ。俺もこれから――頑張って生きてみようと思う」
「…………そうか」
私がそれだけ言うと、士郎もうん、とだけ返す。特に変わったところのない、今まで通りの風景。それでも、これからは何かが少しずつ変わっていくんだろう。それが少し寂しくもあり――それ以上に、嬉しかった。
鮭のホイル焼きの作り方を知りたい人は「衛宮さんちの今日のごはん」を読んでみよう!(ダイマ