「―――それじゃあ今日はここまで」
担任の締めの挨拶を待っていたかのように、全員が帰り支度を始める。
机の上に並んでいた教科書や筆記用具を鞄の中に投げ入れすぐさま席を立った俺は、クラスメイトたちに別れを告げ早足でクラスを出る。
「―――かすみ、もう待ってるかな?」
可愛い後輩の笑顔を頭に浮かべながら、先にホームルームが終わった生徒たちの間をかき分け目的の場所へと急ぐ。
昨日、かすみの様子がおかしかったことが気がかりだった俺は、既に昼食時にメッセージを送り放課後に会う約束を取り付けていた。
「あっ、しもみー!」
「すまん宮下、今日は先約ありだっ」
急ぎ足の俺に宮下が声をかけてくるが、今日はかすみとの用事があり助っ人の練習には付き合えない。急いでることもあり出来るだけ申し訳なさそうに彼女にそう答え、目的地へと向かった。
「あ、いや、今日はりなりーを紹介しようと……ってもう行っちゃった」
◇
校舎から見下ろす形である虹ヶ咲学園の校内庭園。
そこにある柱が目印の七つに分かれた小さな噴水―――そこでかすみと落ち合う予定だったのだが。
「……何してんのお前ら」
こちらから呼んだ手前、待たせてしまうのは悪いと思って急いだのだが……。
「あ~コウ先輩も~~!」
「あっコウっ!昨日ぶり」
集合場所である噴水を囲んだふちの上で、目に涙を溜めたかすみが侑を押し倒す形で抱き合っており、謎の状況に戸惑いが隠せなかった。
「お、おう。そ、それで二人はこんなところで何をしてるのかな?」
人目のつくところで白昼堂々くんずほぐれつするなんて良くないよぉ!ま、まさかこれが百合ィ?!ま、マズい、そんな花園に入ったとなれば俺は、消される…!?
「ああ、かすみちゃんの様子がおかしかったから気になってね。コウもそうでしょ?」
かすみと一緒に起き上がった侑はケロっとした表情でそう答える。
どうやら昨日のかすみの様子が気がかりだったのは俺だけじゃなかったみたいだ、むしろ俺の方が余計なお世話だったかもな。
「まあな、だから俺がかすみをここに呼んだんだ」
「あれ、もしかして私お邪魔だった?」
不安そうに首を傾げる侑だったが、部外者の俺より同じ同好会の侑がいてくれた方が何かと助かるし、頼りになる。
「いや別に。それよりお前……う、上原はどうしたんだ?」
しかし俺としても一つだけ気がかりがあるとすれば、それは上原歩夢の存在だ。
昨日の今日で気まずさが解消されるわけもなく、今日も一緒と言うならかすみの悩みも侑になら任せてもいいかなという考えだが。
「ああ、歩夢はもう少し練習してから公園に行くって」
「そ、そうか、練習か……」
少しだけホッとし、急いで来たせいか額を流れる汗を拭う。
練習というのは、自己紹介動画のことだろう。その頃にはかすみの件も終わっているといいのだが。
そんなことを考えながら用件の当人であるかすみの話を聞こうと思ったのだが……。
「コウ先輩と侑先輩がかすみんを取り合ってるなんて♡あぁ~ん♡かすみん困っちゃう~♡」
両手を頬に当て、満面のニヤけ面でクネクネと身体を左右に動かすかすみの姿がそこにあり、昨日感じた気がかりとは何だったのか冷静に考える自分がいた。
「ま、まあとりあえず公園に移動しようか」
そう切り出した侑に応えるように三人で目的地へと歩き始める。
「かすみ、いつまでイソギンチャクの真似してんだ早く行くぞ」
「かすみんイソギンチャクじゃないです!!」
◇
場所は移り、昨日と同じ潮風公園―――着く頃には既に空は夕焼け模様だった。
「―――それじゃあかすみんの話、聞いてくれますか?」
ここに来るまでの時間と着いてから少しの談笑の後。
意を決したようにそう聞くかすみに俺と侑は何も言わず頷く。
少しだけホッとした様子を見せたかすみは、胸の内に抱えた思いを打ち明けるように話始めた。
「……かすみんには一番大切にしたいものがあって」
同好会の活動を含め、かすみを見てきた中で彼女が一番大事にしていたこと。
それは―――純粋な“可愛い”へのこだわり。
彼女の日頃の振る舞いだったり、話し方だったり、髪型や服装や肌のケアや。
自らの “可愛い”の為ならば自分磨きに全力を注ぎ、決めポーズの一つとっても気を抜かない。
「だからスクールアイドルがやりたくて、それはきっと“皆”もそうなんですけど」
だからこそ彼女は志したのだ。
自分の“大好き”を表現出来るスクールアイドルになって、己の“可愛い”を突き詰め、世界で一番“可愛い”スクールアイドルになる為に。
だけど形は違えど他の皆もそうで、エマ先輩、彼方先輩、しずく、そして―――せつ菜。
「やりたいことはやりたいんです」
皆が皆、自分の中の譲れない信念を持っていて、自分の“大好き”を掲げて、スクールアイドルになろうと決めた。
「けど人にやりたいことを押し付けることは嫌なんですよ」
皆それぞれに信念があって“大好き”がある。
かすみの“可愛い”だって、彼女の信念で、こだわりで、世界で自分だけのもの。
「なのにかすみん……歩夢先輩にそれをしちゃって……」
しかし自分はそれを歩夢に強要してしまったのだと、それがかすみの悩みだった。
「……」
彼女の悩みにすぐにでも答えてあげたいと思うけど。きっとそれは俺が口に出来ない、口にしちゃいけない言葉だった。
「つまりそれぞれやりたいことが違ってたってことでしょ?それで喧嘩しちゃうのは仕方ないと思うけどなあ……」
そんな中あっけらかんとした様子で、手すりにもたれた侑は答える。
それぞれに譲れない信念があるから、こだわりがあるからこそ、自分の“大好き”をぶつけてしまえば衝突も起きる。それは至極真っ当なことで当たり前の意見なのだ。
それを軽い気持ちで一つにまとめようなどと考えていた俺に、そんな当たり前を言う権利はない。俺は彼女たちの思いを何一つ汲み取ることが出来なかったのだ。
「仕方ないじゃ困るんです!このままじゃまた同好会が上手くいかなくなっちゃいますぅ!」
だけどかすみはそれをどうにかしたいのだ。
お互いのやりたいことを、“大好き”をどうすれば、共存させることが出来るのか。
かすみの“可愛い”と歩夢の“可愛い”が違ったように、この問題をそのまま放置すればきっとまた
もう自分では八方塞がりなのだと切羽詰まった様子で侑に詰め寄るかすみだったのだが。
「―――悩んでるかすみんも可愛いよ。ね?コウ」
そんなかすみの悩みに侑の口から出たのはそんな惚けた答えだった。
彼女はそう言い、言葉の同意を求めるようにこちらを向き、爽やかな笑顔で笑いかけてくる。
「も~先輩~!こんな時にからかわないでくださいよ~!!」
ぷんぷんと頬を膨らませたかすみにポコポコと叩かれ「からかってないよ~」と笑顔で弁解する侑だが、もしかしたら彼女自身何か考えがあってのことなのだろうか。
「あのさ、侑―――」
「―――遅れてごめんなさいっ!」
もしも何か答えを知っているなら。
そう思い呼びかけた名前は鈴の音にかき消され、全員が声が聞こえた方を向いた。
「歩夢っ」
息を切らしてこちらに駆け寄る彼女に侑は嬉しそうにその名前を呼ぶ。
俺が、もう何年近くも呼んでいない彼女の名を。
スクールバックについたピンクのパスケースが揺れる。
急いで走ってきたのか肩で息をしていた歩夢は、こちらに合流した後、少し息を整え顔を上げる。
「―――あのっ自己紹介なんだけど!」
その表情には昨日の自己紹介動画で感じた戸惑いや恥ずかしさはなく、晴々とした表情で自信を感じさせるようなそんな姿だった。
「今、撮ってもらっていい?」
まるで昨日とは別人のような表情でかすみにそう伝えた歩夢に、俺とかすみは揃って侑を見るが、笑顔の彼女はその言葉に同意するだけで俺たちには何も言わなかった。
歩夢はスクールバックをそばに置き、ゆっくりと深呼吸すると、意を決したように真っ直ぐとした瞳で前を向いた。
「じゃあ、いくねっ」
スマホを取り出しカメラを起動したかすみは、歩夢の言葉に少しの戸惑いが混ざった声で「どうぞ」と返し、応えるように録画ボタンを押した。
「虹ヶ咲学園普通科二年上原歩夢ですっ、自分の好きなこと、やりたいことを表現したくてスクールアイドル同好会に入りましたっ」
録画が始まり、軽く会釈をし歩夢は自分がスクールアイドルを志した理由を話す。
その言葉一つとっても昨日感じたような迷いはなく、真っ直ぐと純粋に言葉を紡ぐその姿は、若かりし頃の俺が惚れこんでいた彼女と何ら変わっていなかった。
「まだまだ出来ない事もあるけど、一歩一歩頑張る私を見守ってくれたら嬉しいです!―――よろしくねっ」
少しの身振りと手ぶりをしながら、最後には頭の上に手を乗せほんの僅かなウサギの真似を織り交ぜ、彼女が挑んだ自己紹介動画の撮影が終わった。
「……ど、どうかな?」
撮影を終えた歩夢は膝に手を置き、緊張を吐き出すように息を整えそう聞くが、こちらがその問いに答える前に興奮した様子で歩夢に飛びつく影が一つ―――無論、侑だ。
「うわぁ~!!すっごく可愛い!!ときめいちゃった!!」
ツインテールを揺らし歩夢に抱き着いた侑は嬉しそうにそう叫ぶ。
そんな二人の様子に隣のかすみを見ると、彼女もこちらを見上げており自然と目が合う。
お互いの意図を察したようにスクールアイドルの先輩としてかすみは、わざとらしく咳ばらいをすると、向けられた二つの視線に言葉を送る。
「かすみんの考えていたのとはちょっと違いますけど、可愛いから合格ですっ。コウ先輩もそれでいいですよね?」
続いて向けられる視線、かすみの言葉に応えるよう小さく頷くと、侑と共に嬉しそうな笑顔で喜ぶ歩夢。隣のかすみはそんな歩夢の姿に少しだけバツの悪そうな顔をしていた。
「―――たぶん、やりたいことが違っても大丈夫だよっ」
「え―――?」
先ほどの話の続きだろうか。
おもむろに口を開いた侑の言葉に間の抜けた声がこぼれる。
「上手く言えないけどさ、自分なりの一番をそれぞれ叶えるやり方ってきっとあると思うんだよね」
それぞれにやりたいことがあって、譲れない信念があって、自分の“大好き”がある。
そんな一人一人の思いを尊重して、叶える方法。そんな夢物語が果たして本当にあるのだろうか。少なくともあの日何一つとして守れなかった俺には想像も付かないことだろうけど。
もしかしたら侑は、その答えを知っているのだろうか?
俺が喉から手が出るほどに知りたいその方法を。
俺が見つけなくちゃいけなかった
俺は何を伝えれば良かったのだろうか?
どう言葉にすれば良かったのだろか?
永遠に解けない謎を、迷宮を抜け出す方法、活路を知っているならそれを俺に―――。
「―――探してみようよ!」
―――否、彼女もそれを知らなかった。
けれどそう話す侑の瞳は
もしかしたら彼女なら見つけてしまえるような、そんな気がした。
俺が伝えなくちゃいけなかったこと、言葉にしなきゃいけなかったこと、俺に出来なかったことを彼女は出来てしまうような。根拠はないけどそう感じた。
「それに、その方が楽しくない?」
風で髪が靡いて、昔と変わらぬ無邪気な笑顔で侑は笑う。
その姿は男の俺から見てもとてもカッコ良くて。
今の俺じゃ到底彼女のようにはなれないと感じてしまった。そして彼女には叶わないと察してしまった。
「―――楽しいし、可愛いと思いますっ!」
侑の言葉に応えるようかすみは笑い、かすみの笑顔に応えるように侑は笑い、歩夢を入れて三人は楽しそうに笑い合う。
そんな夢の一片が垣間見える空間、ほんの数週間前までこの手の平の中にあった物語。
色んな“可愛い”も“カッコいい”も一緒にいられる、そんな場所が本当に作れるなら、多分それを作るのは俺みたいな人間じゃなくて、侑みたいに真っ直ぐ前を見て仲間と共に歩ける人間なんだろう。
もしかしたらスクールアイドル同好会も、菜々に抜擢されたのが俺なんかじゃなくて侑だったら、同好会も廃部にならずにすんだのかも知れない。
もしもこの先、そんな夢が実現したらその時はどうか菜々を―――優木せつ菜のことも幸せにしてあげて欲しい。
例えそこに―――俺がいなくても。