ノックをコンコンと二回
「どうぞ」と返ってきた言葉に重っ苦しい扉を押し開く。
「情報処理学科二年、下海虹さん何かご用ですか?」
扉を開けた少し先、大きな机にいくつもの書類を広げながらこちらに目を向けたのは、この“
「えっと、今日は生徒会長だけですか?」
「ええ、他の役員の皆さんはもう下校されてますよ」
お互いを見つめ合い数秒の時間が流れる。
今、生徒会室には俺と生徒会長の二人しかいない。
俺は静かに生徒会室の鍵を後ろ手で締め、静寂が二人を包み込んだ
「……」
「……」
そんな空気を壊すように、ふうと溜め込んだ息を吐き出し歩き出す。
「お疲れ、せつ菜」
こちらから目線を外し伸びをする菜々―――改め彼女、
「もうっ、今は菜々ですよコウさん」
「誰もいないんだしいいだろ、こっちの方が呼びやすいし」
彼女と向かい合うように二つ並んだソファに腰かけ、ギターケースを置く。
菜々―――せつ菜は机の上に散らばった書類をまとめ、席を立った。
彼女は俺が座る向かいのソファに腰かけ、微笑みかける。
今日の要件もあってかこちらも労ってくれているのだろうか
「出来たんですか私の―――」
「ああ、出来たよ。優木せつ菜のデビュー曲」
ポケットからスマートフォンを取り出し、彼女がお目当てである“優木せつ菜のデビュー曲”を再生しようと操作をするが。
「……?どうしたんですか」
「あ、あれ。昨日録音した筈なんだけど……」
スマホを操作する手が止まる、恐れ多くも馴染みのあるアーティストに交じって入れた歌がいくら探しても見つからない。
録音ミスか、取り込み忘れか。確かに昨日パソコンを―――付けたっけ?
渋そうな顔をしたこちらに、察したようにせつ菜は優しく笑う。
「ごめん、スマホに入れるの忘れてたみたいだ」
音源自体は菜々に許可を貰って録音室で確認した筈なんだが、編集し完成したデータをスマホに入れ忘れてしまったようだ。
寮に行けば聞かすことが出来るだろうけど、あの真面目な
せつ菜には悪いが曲はまた今度―――
「あの、良ければ今歌ってくれませんか?」
「え―――?」
せつ菜の言葉に思わず素っ頓狂な声が出てしまう。
「ええ、幸いにも今ここにはあなたと私しかいません。生徒会室は防音もされているので外に音が漏れる心配はないので」
せつ菜は俺と隣に置いたギターケースを交互に見ながらその提案を投げかけてくる。
確かに譜面は持っているし、自分で作った曲だ。弾くことは出来るのだが。
「たぶん下手だぞ?渡す筈だった音源だって編集に時間かかってるし、生歌なんて尚更」
「いえ、聞かせて下さい。私がスクールアイドル“優木 せつ菜”として披露する曲はあなたの声で聴きたいんです」
「いやだから音源は明日必ず―――」
「今、あなたの声で聞きたいんです―――ダメ、ですか?」
小動物のような瞳で上目遣いでこちらを見つめる彼女はズルい、俺を恋にでも落としたいのだろうか。可愛いは罪だなあ。
なんてこと考えながら断れるわけもなく。
渋々とギターケースからアコースティックギターを取り出し、彼女の前で構える。
キラキラと子供みたいに目を輝かせ、ワクワクと聞こえてきそうなぐらいこちらを凝視する彼女に少しだけ口角が上がる。
傷心を紛らわすために河原から始めたギターでこんなに期待してくれる人がいるなら、始めて良かったなあって―――さて
目を輝かせる彼女と視線を交わし、歌を―――っとその前に。
「それじゃあ聞いて下さい―――
彼女の始まりの歌に名付けた曲名を彼女に伝え、すぅっと息を吸い込んだ
「走り出した、思いは強くするよ―――悩んだら君の手を握ろう」
ギターの弦をかき鳴らし出だしの盛り上がりを作る、音源は色んな音を重ねて大きな盛り上がりを作っているので彼女のお眼鏡に叶えばいいが、今は
「大事な気持ち、まるで裏切るように過ごした、昨日にはもうバイバイして」
始めて声をかけられたのは文化祭も終わった去年の秋頃。
生徒会室に呼び出された俺は当時生徒会の書記だった菜々から、この
正直この学園には色んな学部があり、音楽科ような作曲にも精通した人たちがいる中の抜擢だった為、最初は何故自分なんだろうと混乱したが、彼女は深く話してくれなかった。
「繰り返したリスクと後悔、言い訳ばかり探して決めつけた、振り回すのはやめて」
確かに失恋に拗らせて恋の歌とか悲恋の歌とか作ってたりもしたので、経験はあるのかも知れないけど―――それでも絶対音楽科の人たちのが良い曲作るし、何で俺なんだろうと未だに謎は残ったまんまだ。
「足を踏み出す、最初は怖いかも」
それでも本気で頼ってくれた彼女に応えたいと思ってしまった。
ま、まあ菜々さんが可愛かったからというのもあるかも知れませんけど。ちょっとね、ほんのちょっと、ちょっとだけだよ本当。
この計画が始まってから―――中川菜々という女の子と関わりを持ってから、彼女のことで沢山知ったことがある。
「でも進みたいその心があれば!」
まず彼女はアニメや漫画のような物語というものが好きらしい。
幸い今はオタクにもある程度寛大な世の中にはなっているのだが、彼女の家庭は違ったみたいだ。
違ったと言ってもそんな重苦しい話ってわけでもなく、真面目なご両親に一人娘として育てられて、今までそういったものには触れてこず過ごしてきて。
中学二年生の頃にきっかけがあって、どっぷりハマってしまったらしい。
「―――走りだした!思いは強くするよ」
だけど彼女のご両親は真面目に過ごしてきたからこそ、そんな菜々に良い顔はしなかったらしい。
そんな両親を察して“中川菜々”は自分がどっぷりハマってしまったアニメや漫画を隠すことにしたそうだ。両親の前では変わらず真面目な中川菜々のまま
―――自分の“大好き”をひた隠して。
「悩んだら、君の手を握ろう」
優木せつ菜計画を始めに聞いた時、何故俺なんだと言うと同時に最初は断ったんだ。
他に適任がいるって。
でも彼女は折れなかった。
そして俺も中川菜々という女の子を知っていく度に
彼女が自分の大好きに真っ直ぐな子なんだって知って
「なりたい自分を我慢しなくていいよ―――」
そんな彼女の“大好き”を―――応援したくなった。
「―――夢はきっと、輝きだすんだ!」
だからこれは駆け出す菜々への俺からのほん少しの後押し。
きっと菜々の“大好き”は俺の想像以上に曲のポテンシャルを発揮し、上へと昇りつめていくだろう。そうすれば音楽科の特待生や、もしかしたらスゴ腕の作曲家さんの目に止まって、楽曲を提供して貰えたりするかも知れない。
そうなれば俺はお役御免になるんだろうなあ
ってデビューもまだなのに気が早いか。
かき鳴らす音は最後の弦を叩き、静かな余韻と共に
生徒会室に静寂が流れた。
俺も張っていた気を緩めるように小さな息を吐き出し、目の前の菜々を見る。
―――ちゃんと、届いたかな?なんて
「―――うぇ?!」
目の前に座った菜々はいつの間にかかけていた眼鏡を外しており、顔を手で覆い隠してその手の隙間から溢れんばかりの涙を流していた。
「ちょ、ちょっと中川さん?!せつ菜?!」
俺の演奏が下手でギターの音が甲高くて俺の歌声が気持ち悪くなって我慢してたが思わず泣いてしまったとか?―――うわあ役満だ点数取られました麻雀分かりませんがサレンダーします。
フラれてからの数年でイケてるメンズにはなれなかったので気の利いたハンカチもなく、机の上に置いてあったティッシュを乱雑に取り、彼女の隣へ移動しそれを渡そうとするー――のだが。
「―――コウさんっ!!!」
「うぉっ!」
抱きついてきた彼女にその行動は阻止され、ソファに押し倒され身動きが取れなくなってしまう―――な、なに?!絞め落とされるの俺!?
左耳から聞こえる菜々のすすり泣く声にどうしていいかも分からず、空いた右手で彼女の背を擦っていると
「―――さい…こうっですっ!!わ、わたし…っこれがわたしの……歌なんで…すね…!!」
涙声交じりで、嬉しそうな声音で彼女はそう言葉を紡いでくれた。
「…や、やっぱ…り…!わたしの…目に狂いはなかったですっ!」
少しずつ涙が引いてきたのかハッキリとした声で彼女は喜んでくれた。てっきり首を折られるもんかとヒヤヒヤしましたよ本当。
未だに震える菜々の背を落ち着かせるようにポンポンと優しくたたきながら、胸の中で確かに感じる熱と喜びを噛み締めていた。
「―――それでところで菜々さん」
「はいっ!なんですかコウさん!」
胸の中に顔を埋め元気に答える菜々さん、これが彼女がイメージする優木せつ菜の姿でもあるのだろうか。天真爛漫な笑顔でそのギャップに思わず恋してしまいそうになるけれど。
そんな思春期の勘違いを振り払ってでも言わないといけないことがある。
それは―――
「その―――そろそろ退いていただけると、その色んなところが密着してて……」
俺の言葉にポカンと無垢な姿を見せる菜々だったが、次の瞬間みるみる顔が赤くなり。謝罪と共にバッとソファに座りなおしたーーーちょ、ちょっと惜しいことしたかなあ……。
「そ、その大変申し訳ありません、私としたことが興奮してつい」
へえ興奮するとああなるんだ……ってバカ!!
平謝りする菜々を宥めるが、そんなことより今は先に確認したいことがある。
「その改めて、どうだった?曲」
「最高でした!!やっぱりコウさんの歌、大好きです!!」
ああ…良かったぁ……。
彼女の嬉しそうに答えたその姿に気が抜けたようにソファから崩れ落ちる。
自分で適当に作った曲を歌ったり、アニメの曲を真似たりすることはあるけど、頼まれて人に曲を作るのは初めてだったもので自分が思うより気が張っていたみたいだ。
だけど完成して喜んでくれて本当に良かった。
優木せつ菜計画―――一段階目は成功かな。
あとはこれを―――世界にぶつけるだけだ。
ダレた身体を起き上がらせるようにソファに座り直し、菜々を見つめる。
先ほどのこともあり目を合わせてくれないと思ったが、意図は伝わったようで菜々も真剣な目で俺を見つめ返してくれた。
「菜々―――いやせつ菜、あとはこれを新入生歓迎会で」
「はいっ!優木せつ菜―――私の“大好き”をぶつけてきます!!」
夕暮れの日が差し込む生徒会室で俺とせつ菜は互いのこぶしを合わせた。
頑張れ菜々、せつ菜―――ちゃんとお前の“大好き”を見てるからな。