「……誰もいない」
乱れていた呼吸を整え、顔を上げる。
目の前に広がるレインボー公園にはまだ誰もおらず、昨日遅れるなよと言っていた彼の姿もそこにはなかった。
ポケットから取り出したスマートフォンの時計は8時を数分過ぎた時刻であり、自宅のある門前仲町からお台場まで走ってきたわけだが、どうやら早く着き過ぎてしまったのは私の方みたいだ。
「一時間前か……」
暇を潰すにしてもさすがにこの時間帯はどの施設もまだやっていないし、家を出る前に軽食を済ませてきたこともあり、レストランやカフェに入るのも選択肢としてはなしだ。
そう考えながら辺りを見回していると、ふと少し離れた場所に大きく開けた道があり、そこにそびえる看板に書かれた「レインボーブリッジ展望・遊歩道」という文字を見つけた。
まだ時間はあるし、もう少しだけ走ろうかな―――?
そう考えると同時に身体は動き始めていた。
お台場から向こう岸の都市を繋ぐレインボーブリッジ。何度か車で通ったことはあったが遊歩道を走って渡るのは初めてかも知れない。
風を受けながらスピードを上げていく。
走るのは気持ちよくて好きだ。
それに走っている間は悩んでることも全部忘れられるような気がして。
「お前はいつだってそう……か」
昨日、潮風公園でしもみーに言われた言葉。
スクールアイドルを目指す愛さんの正解が何なのか悩んでいた私に、当たり前かのように答えた彼の言葉。やっぱりしもみーは愛さんの正解を知っているのかな?
いや、知っていて敢えて教えてくれないのだろう。
しかしそれは悪戯に教えないと言うわけではなく、彼自身も考えがあってのことだろうと言うことは分かる。
きっとそれはこれからの私の為。
“一人”でステージに立つ私自身に見つけて欲しいからなのだろう。多分だけど彼はそういう人だ。
しもみーは愛さんなら見つけられると思っていくれたのだろうか。
出来ることならその期待に応えたいと思う、だけど一晩経った今でもその答えは分からず仕舞いだった。
「しもみーが愛さんに思ってくれてることか……」
―――少なくとも、俺はお前と一緒にいるとだいたいそう思ってるよ。
その後、彼が言ってくれた言葉。
先ほどの言葉だけでも大きなヒントであることは間違えないのに、その後に続くように彼が残してくれたヒント。
しもみーが愛さんに思ってくれてること……。
可愛い、カッコイイ、賢い、優しい、頼もしい―――“好き”
って―――違う違う!しもみーはそういうのじゃなくって……!!
熱くなる頬を向かい風で冷ますようにスピードを上げ、遊歩道を駆けていく。
一瞬浮かんだ煩悩を振り払うように走っていると、道の先の方に見知った女性の姿が見え、私はスピードを緩めた。
「―――エマっち~!!」
「―――愛ちゃん!」
視線の先―――髪を三つ編みにした彼女、エマ・ヴェルデ。
エマっちは呼びかけた声に応え、私はエマっちの元へと駆け寄る。
練習着に身を包んだ彼女は、タオルを首にかけて汗を拭っているようだった。
「どうしたの?」
「ちょっと早起きしちゃって……、愛ちゃんは?」
「一緒っ!」
私がそう言うと、エマっちもそれに応えるよう笑顔で返してくれるのだった。
◇
「昨日はソロアイドルって聞いて驚いた?」
不意に投げかけられた言葉に、手すりを掴んだ手に力がこもる。
レインボーブリッジの遊歩道の途中に並ぶ橋脚を背に並んでいた私たち。
そんな中、お台場と向こう岸の都市を隔たる海を眺めていた私にエマっちがかけた言葉。
「……確かに驚いたけど、一番驚いたのは自分に対してなんだよね」
今まで私がやってきたこと。
それは色んな部活に助っ人として参加させてもらったこと。
だけど、そのどれをとっても愛さん“一人”では出来ないことで、助っ人に参加させてくれた皆とだから出来たことばかりだった。
「同好会の皆が悩んでるのって、自分を出せるかってことでしょ?」
せっつーとしもみーの講堂ライブを見て、やりたいって気持ちで始めたスクールアイドルだって、他の部活と同じように同好会の皆とどんなライブを、どんなステージを作れるのかなって内心ドキドキしてた。
だけど同好会の皆が選んだのは、皆ではなく“一人”での活動。
愛さんが皆とやってきたことだけじゃ“一人”でどうすればいいか分からなくて、あれからずーっと頭を悩ませている。
「今まで色んな部活で助っ人やってたけど、考えてみたら皆とやる競技ばかりでさ……」
私の頭の中に巣食う悩みを吐き出すように彼女に向け、言葉にする。
そして、そんな私の悩みをエマっちは何も言わずに聞いてくれていた。
「スクールアイドルになってやりたいことは沢山ある筈なのに、昨日もしもみーにそのこと聞かれたんだけど答えられなくて……」
「コウくんが?」
ふと発した彼の名前に反応を見せるように、エマっちはその名前を聞き返す。
「うん、スクールアイドルになって色々したいって言ったら、それはどうしてかって聞かれて私、答えられなかったんだ……」
「コウくんがそんなことを……」
昨日、彼と話したことをそう伝えると、彼女は何か考える様子を見せた後、再度こちらを見た。
「ねえ愛ちゃん、コウくん他には何か言ってたりした?」
「え?え、えーっとしもみーは愛さんはいつも
もしかしてエマっちにはしもみーの考えが分かるのだろうか?
その言葉に視線を落としたエマっちは、うーんと唸った後、顔を上げて真っ直ぐに私に向け微笑んだ。
「きっとコウくんが
「?……」
ニコニコと笑いながらそう言ってくれるエマっち。
そう言う彼女には申し訳ないが、そのヒントの意味が分からず、何ならしもみーのと合わせて余計分からなくなってきたかも知れない。
「え、ええーーー!!どういうことなのエマっちぃ~教えてよぉ~!!」
「だーめ、これ以上はコウくんにも悪いからね」
「ぐぬぬ……エマっちのいじわる……」
「えへへ~ごめんね~」
悪戯っぽい笑みを浮かべ謝る彼女にジットリとした視線を向けるが、その表情は変わらず、彼女が答えを応えてくれることもない。
「それじゃあもう彼も着いてると思うし、コウくんのとこ行こうか。9時だしもう行く時間だよね」
そんな話に一旦区切りを付けるように言ったエマっちの言葉。
しかし聞こえてきた
「?どうしたの?」
そんな私を心配するように首を傾げるエマっちだったが―――。
―――ぷっ。
「―――あっははははははは!!う、ウケっ―――あはははははっ!!」
耐え切れず噴き出した私の口から絶え間なく溢れる笑い声。
お腹に感じる痛みはお構いなしといった様子で笑い声は溢れ、腹筋は震え続ける。
「
「ダジャレ?―――ああ!全然気づかなかったよ~!」
無意識で言ったというダジャレにようやく気付いたエマっちは笑みを浮かべ、私の笑い声につられるように、二人分の大きな笑い声を遊歩道に響かせるのであった。
◇
「ふふ……愛ちゃんが同好会に来てくれて良かった」
「え?何で?」
ひとしきり笑った後、笑い過ぎて肩で息をしていた私にエマっちがそう言った。
そのまま顔を上げてエマっちを見ると、彼女は青く澄み渡った空を見つめながら、嬉しそうな声色で言葉を続けた。
「すっごく前向きでいてくれるからっ」
「そ、そう?今はめっちゃ悩んでるけど」
買い被り過ぎだ。
私だっていつでも前向きにいられるわけじゃない。現に今だって自分がどうすればいいのか、彼に聞かれた理由すらも答えられず、分からぬままなのだ。
「でも皆といる時、いつも楽しそうにしてるよね?」
そう話す彼女に思わず言葉が詰まる。
だけど、それと
エマっちが私に対してそう思ってくれているのも皆のおかげ。皆と一緒だとそう感じて、彼女たちにもそれが伝わっているのだろうと思う。
「それに知ってる?愛ちゃんが来てから同好会の皆の笑顔もすっごく増えてるんだよ」
「そ、そうなの?自覚ないけど……」
優し気に笑うエマっちの言葉にそう返す。
私の存在が皆にとって―――彼にとって少しでも笑顔になれる理由と言うなら、それはとっても嬉しいことだ。
「ないから凄いんだよ。コウくんもきっとそんな愛ちゃんだから力になりたいって思ったんだと思うよ」
「か、買い被り過ぎだよ?そ、それに愛さんだってしもみーとも、皆とも一緒にいると―――あっ」
その時、自分の言いかけた言葉に気付き、言い止めた。
浮かんだ言葉は頭の中、反響をして一つの
私がスクールアイドルでとにかく色々したいと思った理由。
しもみーが私をそうだと言ってくれたこと。そうだと思ってくれていること。
しもみーにとって、私がどういう存在かと言うこと。
「―――そっか」
「……愛ちゃん?」
呼びかけ、不思議そうに首を傾げるエマっち。
彼女には感謝しなければならない。なんせ私の大事なことに気付かせてくれたのだから。
頭上で光る、熱く眩しい太陽を見上げる。
その大きな輝きに手を伸ばし、
「ありがとうエマっち!しもみーのとこ先に行ってるね!!」
そう言ったと同時に足は駆け出していた。
後ろで聞こえたエマっちの驚いた声を背にして、段々とスピードを上げていく。
先ほどまでは身体を吹いた向かい風も、今は私の背中を押す追い風で。
目に映る光景も、風に乗って流れていく。
遊歩道の入り口を抜け、階段を何段も飛ばし降りてゆく。駆け出した足は止まることを知らず、感じる胸のドキドキに従うようにレインボー公園に向けて走っていく。
そして、先ほどよりも人も増えた公園内―――ベンチの前でしゃがみ込む彼の姿を見つけ、一目散にそちらへ駆け寄る。
「―――しもみー!!」
「うおっ!……び、ビックリしたなあ……って宮下か、おはようさん」
身体をビクッとさせ、こちらを見た彼―――下海虹は少し眠たげな表情で挨拶を返してくれた。
「おはよう!あのねしもみー!愛さんね!!―――ってそれ……」
しゃがみ込む彼の前のベンチに置かれた小さなスピーカー。そこから流れていた演奏に言葉を言い止め、そのまま彼に問いかける。
「ああ、これ。今日の練習で使おうと思ってな。何曲かスマホに入れて持って来たんだよ」
問いかけた私に説明をするしもみー。
その何曲かを聞かせるように、ポケットの中に入っていたスマホを手に取り触り始める彼。
スマホ操作と共にスピーカーから流れる音が変わり、ポップ調の明るくキラキラとした演奏が流れ始まる。やっぱりこれもしもみーが作った曲なんだろうか。
曲を探すようにスマホをスライドする彼の姿―――出会った頃よりここ最近の彼を取り巻く環境が彼自身を成長させたのか、頼もしさを感じさせるその横顔に胸がトクンと高鳴るのを感じた。
スライドしていた指を止め、曲を切り替えるよう画面をタッチする。
するとポップ調の可愛い曲から、彼が最近始めたというピアノの旋律がスピーカーから流れ出した。
「―――その曲……」
「あーうん、どうかな?本格的にピアノを取り入れて作ってみたんだけどさ」
ピアノの旋律は少しずつリズムを早めながら進んでいき、曲の始まりを告げるように色々な楽器が混ざり合い音楽を奏でる。
聞き入る私の隣で、流れる音楽に心配そうに頬を掻くしもみー。
「ねえしもみー、今の曲もう一度最初っからいい?」
「え?あ、ああいいけど」
しゃがみ込む彼にそう伝えると、彼はスピーカーに備え付けられた巻き戻しボタンを押し、スピーカーから先ほどと同じピアノの旋律が流れる
目を閉じ、音を感じる―――彼の作った音、リズム、旋律。
その全てを感じながら、頭の中で一つずつイメージを組み立てていく。
「―――やっぱりしもみーってサイコーだ」
「―――え?」
そう言い彼のスピーカーを手に取った私は、ベンチから離れ自分のそばにスピーカーを置いた。そんな私の姿に不思議そうに立ち上がるしもみー。
そんな彼に向け私は精一杯に声を張り上げる。
「ねえしもみー!!私見つけたよ!!」
彼が私に聞いてたこと―――スクールアイドルでとにかく色々したい理由。
彼にとって私がどういう存在なのか。
彼が私をどう思ってくれているのか。
答えは単純だった。簡単だった。
そんなことで良いんだ。良かったんだ。
「私ね―――!!」
大きく息を吸い、一直線に彼へと叫ぶ。
「しもみーといると楽しいし!皆といるともっと楽しい!!そしてね、皆に楽しんでもらいたいって思うし、皆が楽しんでもらえることが大好き!!」
私がなりたい、私がやりたいスクールアイドルは。
「だから、愛さんがやりたいスクールアイドルはそんな―――“楽しい”やつ!」
私の答え―――。
誰かに楽しんでもらうことも、自分が楽しむことも大好き。
だから、そんな“楽しい”をもっと皆と分かち合えるスクールアイドル。
きっとそれが出来たのなら、私は
―――ミチだけにねっ。
「見てて!―――しもみー!!」
スピーカーのボタンを押し、曲を巻き戻す。
音量を最大まで上げ、流れる旋律に合わせ、身体の振りを確認するように軽く動かす。
少し離れた場所でこちらを見つめるその視線―――もっと夢中にさせてあげる。
そうして、私は歌う。
このサイコーな
―――しもみーとは、同じ情報処理学科で選択授業が被って、その時にたまたま席が隣だったという関係性だったけど。時間を重ね、言葉を重ね、お互いを知って、まだ知らないこともあるけど、今こうして一緒にいる。
それはきっと何億分のどれだけの可能性かも想像出来ないほどの奇跡で。
もしかしたらこんな出会いを運命と言うのかも知れない。
だけど彼の周りには魅力的な女の子が沢山いて、彼はそんな彼女達と通じ合っていて、そんな彼らにヤキモキする時もあるけど。
これから先も彼のそばで、この―――今はまだ
彼のそばで、彼の近くで―――彼の“一番”になる為に。
そう、そんな彼と私の日々が―――
「―――ほら始まるよ!Sparkling Day!」