「ご主人様お帰りなさいませっ―――なんて」
少し照れくさそうに笑うエマ先輩―――否、メイドのエマ。
彼女はこの家の使用人であり、下海家の長男である俺こと下海虹直属のメイドである。
「―――ただいま、エマ」
扉を開けた先、いつものように主人である俺へとお出迎えをしてくれたエマは、どこか恥ずかしそうな様子を見せていた―――。
「―――どうしたんだいエマ?恥ずかしそうな顔をして」
「え?こ、コウくん?」
そう言いながら、纏った上着をエマに渡す。そのまま首に巻き付いたネクタイを緩め、上着をハンガーにかけてくれるエマを一見し、玄関先の扉を閉めようと―――。
「―――って何してるのよ」
「ぐえっ」
次の瞬間、服の後ろ襟が掴まれ、不意に後方に引っ張られた。
それと同時に首に感じた圧迫感を吐き出すように、俺の口からはくぐもった声が零れる。
視界に映る驚いた表情のエマ。
ま、まさか泥棒―――?
そう思ったのも束の間、先ほどまで視界に映っていた西洋風の大きな玄関はその姿を消し、視界に現れたのは服飾同好会の部室。
視線の先、試着室の中で心配そうな表情をするエマ先輩の姿。
ぼんやりとした目で引っ張られた先―――襟を掴んだ人物の方を向いた俺は、そんな彼女へと声をかける。
「あ、あれ?朝香先輩……俺は一体」
彼女―――朝香先輩は俺の服の襟を離すと、ふうとため息を吐き出し言葉を続けた。
「いきなりジャケットを脱ぎ始めて、エマのいる試着室に入っていくもんだから何事かと思ったわよ……」
あれ?え?と言うことは今まで見ていたのは何だったんだ……?確かに俺はエマ先輩のご主人様の筈。
ならば幻術?いや……幻術じゃない……!これは幻術なのか?イヤ……何だコレは!?―――また幻術なのか!?
「……そんなの知らないけど、幻術ではないのは確かよ」
「……はい、ごめんなさい」
冷静にツッコまれたこともあり正気を取り戻した俺は、意味が分からないながらも乗ってくれたエマ先輩がハンガーにかけてくれた上着を受け取り、再度袖を通す。
まあ写真撮影が終わったようなら早いところ制服に着替えたいが、念の為。
「それにしてもメイド服姿のエマさんが可愛いのは勿論だけど、執事服姿のコウと同じ画面に入ると映えるねえ」
「あー分かるかも、どっちもタイプの違う使用人って感じで衣装も似合ってるし」
「メイドと執事が出てくる作品も読んだことがありますが、お二人ともその物語に出てくるような登場人物みたいでとっても素敵です!」
煌めいた視線でそう話す侑に、同意を示すように言葉を続ける愛と目を輝かせながら褒めてくれるしずく。さすがにそこまで言われると何か気恥ずかしいな。
俺もふと隣に並んだエマ先輩の衣装を見る。
黒と白を基調としたロングスカートのメイド服に身にまとい、メイドキャップを被った彼女の姿はとても可愛く、俺はともかくエマ先輩が物語から飛び出してきたメイドさんのようだと言うことは大きく頷ける。
本当、愛も言うようにスゴく似合ってる。
「ねえねえコウくん、折角だし一緒に写真撮ろうよ!」
「え?ああハイっ、撮りましょうか。それじゃあ璃奈ちゃんお願いしていい?」
そんな彼女からのお誘い。
折角二人で似た系統の服装をしているし、ここで断る理由もない。
彼女の言葉にそう応え、カメラを構える璃奈ちゃんのスマホ画面に納まるように、メイドと執事で並びそれぞれポーズを撮る―――つっても朝香先輩のようなモデルポーズを取るわけもなく、普通のピースサインなんだが。
「それじゃあ。はいチー―――」
璃奈ちゃんの掛け声に、カメラに目線を合わせるようにスマホの背面レンズを見た俺だったのだが―――。
「―――えーいっ♡」
「え、エマ先ぱ―――?!」
「―――ズ」
―――不意に腕に感じた柔らかい感触と、顔を近付けてきたエマ先輩の姿に思わず視線が外れ彼女の方を向く、それと同時に鳴らされたシャッター音。
しまった―――そう感じた時には既に一枚目の撮影は終わっていて。
「うん。とってもいい感じ、です」
「……うん。とっても幸せそうに撮れてるよ。コウくん」
撮り終えた写真を見てそう言う璃奈ちゃんに、璃奈ちゃんのスマホの画面を覗き込みジットリとした目でこちらを見つめる歩夢。
今のは突然のことで驚いたってのもあるけど変な表情にはなってないよな……?
そんなことを考えながら、先ほどから変わらず腕を組み続けているエマ先輩を見る。
隣で嬉しそうにニコニコと笑顔を浮かべる彼女は、その視線に気付いたようにこちらを見返し、笑顔を見せた。
「えへへ~。いきなりごめんねコウくん」
「……いや、まあ全然。いいですよ」
上目遣いの彼女にそんな表情で謝られて怒れる相手がいるだろうか、否いないと思う。しかも突然のことでビックリはしたけどそもそも怒ってはいない―――むしろ今も腕に感じる柔らかい感触がゲフンゲフン
しかし、他の皆と比べて自分から積極的になることが少ないエマ先輩が、いきなり腕に抱き着いてくるなんて……。
見下ろす先、腕に抱き着いたままのエマ先輩は、こちらの視線に気付くと、そんな俺の考えを察してかいざ知らず、他の皆に聞こえないように身体を寄せ耳元に近付き、吐息交じりの優しい声音で囁いた。
「ほんとはね。着替えてる最中に聞こえてきた声が羨ましくてお願いしたんだ。ありがとねコウくん」
―――アッ、耳が幸せ(尊死)
身体を寄せたことで腕に強く感じた大きな膨らみと、彼女の優しい囁きに思わず意識が遠のいていくのを感じ、それに委ねるように俺は後方へ身体を預け―――。
「―――パンパカパーン!ここで登場!皆のアイドルかすみ~~~ん!!」
―――明るく可愛らしい声が鼓膜を震わせ、意識が覚醒する。
天界に誘われるかと思っていた意識は、俺とエマ先輩の間に入るように割り込んできたかすみによってもう一度現世へと舞い戻った。
「も~うコウ先輩もエマ先輩もかすみんを放って二人で記念撮影とかズルいですよ~!」
「えへへ~。それじゃあかすみちゃんも一緒に撮ろうよ~!」
生を実感している俺を尻目に、ぷんぷんと可愛らしく拗ねるかすみと嬉しそうにそう応えるエマ先輩。
……こ、こう言うと勘違いしてるって思われるかも知れないけど、さっき「(写真撮影が)羨ましくてお願いした」って言ってたから。そ、その、俺とツーショットを撮りたいのかなあなんて思ってたけどさ。やっぱりエマ先輩も―――。
「―――執事服が好きなだけなのか……」
よく考えたらいつもはあんなに大胆にはならないし、やっぱり執事服は女性需要が大きいんだね。覚えた、コウ覚えたよ。
「―――ほらほらコウくんももう一枚撮ろうよ」
「そうですよコウ先輩~!コウ先輩とエマ先輩はかすみんの執事とメイドさんなんですからね~!」
「さっきより設定増えてるなあ……」
カメラを構える璃奈ちゃんのスマホ画面からフレームアウトしていた俺に向け、エマ先輩とかすみはそう言いながら手招きをする。
いつの間にか使用人を増やしていたかすみに小さくツッコミながら、その手招きに誘われるように俺は二人の隣に並んだ。
「それじゃありな子!お願い~!」
「任せて」
フレームに入ったのを確認したようにカメラを構える璃奈ちゃんにそう声をかけたかすみは、エマ先輩と一緒に両手の人差し指を頬に当て、可愛らしいポーズを決める。
かすみと同じポーズを取りながら、嬉しそうに笑顔を浮かべるエマ先輩。そんな二人の姿を眺めながら、俺もスマホのレンズに視線を向ける。
練習着姿のかすみと、メイド服のエマ先輩と執事服の俺。
かすみの設定上ではかすみ姫とその使用人とは言っていたし、服装的にも傍から見ればそういう風に見えているのかも知れないけど―――なんかこれって。
―――パシャ
鳴り響いたシャッター音。
気付いた時には撮影が終わっていて、かすみは撮り終えた写真を確認するように璃奈ちゃんの元へ駆け寄り、そんなかすみに遅れるように俺とエマ先輩も璃奈ちゃんの元へと歩み寄る。
「どうどうりな子!可愛く撮れた!?」
「うん、バッチリ。ほら」
そう言い撮り終えた写真を俺たちに見せてくれた璃奈ちゃん。
「おお~!可愛く撮れてる~!ありがとうりな子!」
「璃奈ちゃんありがとね!あとでその写真、送って欲しいな!」
「どういたしまして。分かった、送っておくね」
撮り終えた写真を見て、嬉しそうに話すエマ先輩とかすみ。
璃奈ちゃんが見せてくれた写真。そこには確かに笑顔で可愛らしいポーズを決めるかすみと同じポーズを決め嬉しそうな笑顔を見せるエマ先輩。その隣で笑う俺がいたのだが―――やっぱりこの写真。
「コウ先輩。どうかしましたか……?」
「あ、ああ!なんでもないよ璃奈ちゃん!写真ありがとね」
不安げに問いかける璃奈ちゃんに笑顔でそう応え、もう一度写真を見る。
「……」
「?コウくん……?」
いややっぱりこれって―――。
「……なんかこれってその、家族写真みたいだなーって……」
「え?」
『―――は?』
◇
「―――それじゃあ、他にも試してみてもいい?」
「勿論!」
三人での撮影を終え、満足した様子でそう問いかけたエマ先輩に応える侑。
どうやらこちらでワチャワチャしている間に、服飾同好会の人たちと他の衣装の試着についても話をつけていたようで、侑の返答にエマ先輩は嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「それじゃあ俺もそろそろお役御免ってことで……」
写真撮影も終わり、皆が“執事”という一大コンテンツを楽しんでくれたということであれば、俺もお役御免だろうと思っての言葉だったわけだが。
「え~!コウ先輩もう着替えちゃうんですか~!」
「いやそろそろ良くない?むしろ皆だっていつまで着てるんだって感じじゃ……」
残念そうな表情でそう言ったかすみに反論するようにそう応え、同意を求めるように辺りを見回してみるのだが……。
「え……いや……別に……」
「……うん……まあ、似合ってるし……」
あれ?思ってた反応と違う……。
こちらの問いかけに目を逸らしながらそう答えた愛と頬をポリポリとかきながら答えた侑。
確かにそう言ってもらえることはありがたいことなのだが、今回の衣装については着せ替え人形になることを受け入れた結果の副産物というわけで、本来は服飾同好会の活動で作られた衣装なのだ。
多少の需要があったとしても、これ以上服飾同好会の大事な衣装を私物化するのは正直気が引ける。
「つっても一通り用件は終わったし、用がないなら着替えても―――」
「い~え、コウ先輩にはこれから本格的にかすみんの執事として……」
「―――よさそうだな」
先ほどの
「―――それじゃあコウくんっ、次はこっちの衣装はどうかな?」
「え?」
そんな中、不意にかけられた言葉。
俺がそちらを向くと、そこには次に着る衣装を見つけたのか目新しい淡い色を着物―――衣装を手に持ったエマ先輩が立っており、彼女は気付いたこちらに応えるように笑顔を浮かべ、言葉を続けた。
「この衣装ね。私のと色違いなんだけど、模様はお揃いなんだよ~」
そう言い彼女が手渡してきたのは、彼女が持った衣装とは色違いの着物―――衣装。
手渡す彼女に思わず受け取ってしまったが、今回の目的はあくまでエマ先輩のPVのイメージ作りの為であって、衣装を貸してくれた服飾同好会への対価としての、部長直々の“お願い”が達せられたとなれば、これ以上着替える理由もないのだが……。
「え、えーっと、エマ先輩……?」
しかし目の前のエマ先輩はそんなこちらの意図にはらぬ存ぜぬといった様子で、楽しそうに笑顔を浮かべたままであった。
「あ、あのーエマ先輩、俺そろそろ制服に着替えようかな〜って思ってまして……」
「ええー?!侑ちゃんが許可取ってくれてるし、コウくんも一緒に着ようよ〜!」
そう答えた俺に困り顔を見せたエマ先輩。いつもは同好会の年長者であり、皆のお姉さん的立場である彼女が見せた子供のような表情に可愛さを覚えてしまう、って侑は俺の分の許可を取ってるのかよ……。
「い、いや、さすがに俺もこれ以上は気恥ずかしいというか……」
「恥ずかしがることないよ〜!コウくんカッコいいんだし、どんな衣装でも似合うよ〜」
え、えぇ?!そ、そうかなあ……(照れ)って違う違う……!
誉め言葉に流されるところだった……。
「で、でも……その一応俺は裏方の人間ですし、そう言ってくれるのは嬉しいんですけどこれ以上着る理由も……」
「むう……コウくんのいけず……」
いけずって今日日聞かねえな……。
どうやら諦めてくれたようで、しょんぼりと肩を落としたエマ先輩に微かに申し訳なさを感じながら、手に持った衣装―――着物を返そうとしたのだが―――。
「―――エマ、ちょっと」
「果林ちゃん?」
そんな中、不意にエマ先輩を呼び寄せたのは朝香先輩。
とてとてと駆け寄った彼女に何やら耳打ちをしている様子なのだが、嫌な予感しかしないし、そそくさと着替えてしまおうか。
「―――うんっ、やってみるね果林ちゃん!ありがとっ」
「ええ、頑張ってらっしゃい」
そんなことを考えている間に話を終えたのか、こちらに聞こえる声量で意気込んだエマ先輩は「ふんすっ!ふんすっ!」と鼻息多めにこちらへと歩み寄ってくる。
とは言ってもここまで分かり易すぎると、こちらにも心の準備という対策も出来る。さすがに朝香先輩もエマ先輩にエr……大胆なことはさせないと思うし。
エマ先輩には悪いけど、どんな手で来ようとも私は絶対に負けない!
「……?エマ先輩」
こちらの正面に立ち、何をするわけでも、何を言うわけでもなくただ視線を落とした彼女に、思わず呼びかけてみるのだが返事はなく、向かい合ったままほんの数秒の時間が流れる。
「朝香せんぱ―――」
エマ先輩に一体何を吹き込んだんですか。なんて朝香先輩に小言の一つでも言おうとした―――その時。
不意に服の袖が掴まれ、反射的に俺はそちら―――エマ先輩の方を見た。
小細工は無く、ただこちらを見つめるグリーンサファイアの
その煌めきと美しさに思わず息を飲み、視線の先。
上目遣いのエマ先輩はただ一言。か弱く甘い声で一言―――囁いた。
「―――ダメ?」
―――身体を走る電撃。
いつもはその包容力と柔らかな物腰が大人の余裕のようなものを感じさせる彼女。
そんな彼女が時折見せる無邪気な姿が可愛らしいというのは言わずもがなだが、今回はそれとはまた違った可愛さ。かすみが見せるようなあざとさを感じさせる台詞はいつもの彼女とまた違ったギャップがあり、想像以上の破壊力。
まるで可愛さの爆弾が爆発したような衝撃に思わず口を覆った。
正直―――めちゃくちゃ可愛いし、愛おしい。
「ね~え、コウくん―――ダメ?」
そんなこちらの反応を察してかいざ知らず、味を占めたように甘え声で囁いてくるエマ先輩に顔の熱が上がっていくのを感じる。
日頃からかすみを見ていることもあって“可愛さ”にはそれなりに耐性がついているとは思っていたが、彼女が見せたのはそれとはまた違った別次元の可愛さ。それもありそこに俺の抗うすべなどは残されていなかった。
「い、いえ、ダメじゃないです……。分かりましたからその……」
これ以上、その声と上目遣いを続けられると心臓が持たない……。
「本当?!やった〜!もう言質取ったからね〜」
嬉しそうにそう言い飛び跳ねるエマ先輩。俺はそんな彼女から視線を外し、先ほど余計なことを吹き込んだ朝香先輩を睨んだ。
彼女も嬉しそうに喜ぶエマ先輩を温かな眼差しで見ていたようだったが、俺の視線に気付くとニヤリとしたり顔を見せ、片目ウインクをして見せた。
くそぉやっぱり確信犯……。
「えへへ~!じゃあ早く着替えようコウくんっ!ほらほら~!」
「え、エマ先輩押さないでっ!ちょ、ちょっといやエマ先輩は隣の試着室では?!い、いや俺は一人で着替えられますから!」
「いやあ果林ちゃん、青春っていいねえ……」
「……年寄り臭いわよ彼方……」