虹を繋いで   作:うめ茶漬け

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32 今しかできないことを、ありのままを

 鍵を開け、扉を開ける。

 いつもは軽いスライドの扉も、その日は少しだけ重く感じて。

 

 その先、スクールアイドル同好会の部室は他の皆も出払っていることもあってか誰一人おらず、先ほど来た時と何も変わらないその光景は―――“彼”がまだ部室に来ていないということを私に知らせていた。

 

「コウくん……まだ来てないのか」

 

 思わず零れた言葉。

 せつ菜ちゃんの言葉を聞いて、今すべきことが朧気だが分かった筈なのに、私は未だ何を伝えればいいか分からずにいた。

 そうして落ちていく視線、PVの撮影会だからと上げようと思っていた気分も少しずつだが落ち込んでいくのが自分でも分かった。

 

 それと同時にどうしようもなく思ってしまう、考えてしまう。

 こんな時に“彼”がいてくれたら、と

 

 せつ菜ちゃん、愛ちゃんのように。

 私のちょっとした悩み―――些細な変化にも気付いて声をかけてくれたコウくん。そんな彼の負担になりたくないと思って誤魔化した言葉も彼にはお見通しで、結局その優しさに甘えてしまった。

 

 私たちの為に頑張ってくれているコウくんに心配をかけたくない。負担になりたくない。

 そんなことを考えながら、結局コウくんに頼ってばかりで。

 せつ菜ちゃんの時もそう。

 コウくんはお互い様だって風に言ってくれたけど、年長者なのに何も出来ず、何の力にもなれなかった。本当に恰好付かないな。

 

 だけどこのままじゃダメだってことは自分が一番分かってる。

 無理やりにでも自分を奮い立たせるように顔を上げ、窓の外を見つめ考える。

 

『ないわよ―――興味なんて全然』

 

『頑張っているエマを応援したいと思っただけよ。彼は……そのついでよ』

 

『それで、そんな風に思われるなら―――もうやめておくわ』

 

 冷たく吐き捨てるように、突き放すように言ったその言葉。

 それはスクールアイドルだけではなく、果林ちゃんがどこか目を掛けていたコウくん―――“彼”との関係も否定する言葉で。

 

 出会ってから今まで、初めて虹ヶ咲学園に来た時も、スクールアイドルの夢を話した時も、コウくんとせつ菜ちゃんの時も。いつも親身になって応援してくれて、助けてくれた果林ちゃん。

 それが私の知る果林ちゃんで。

 

「まるで違う人みたい……。一体どっちが本当の―――」

 

 昨日私が見た冷たく寂しそうな果林ちゃんと、今まで私が見てきた優しくて大好きな果林ちゃん。果たしてそのどちらが果林ちゃんの本心だったんだろうか。

 

「―――エ~マさんっ」

 

 小さく言いかけた言葉は不意に開いた扉と呼ばれた声にかき消され、私は微かな期待(・・)を胸に扉の方に振り返る。

 

 しかし、そこにいたのは“彼”ではなく。

 先ほどまで中庭でPV撮影を手伝ってくれていた内の二人である―――。

 

「侑ちゃんと歩夢ちゃん、どうしたの?」

 

 ―――高咲侑ちゃんと、上原歩夢ちゃん。

 

 コウくんとせつ菜ちゃんが同好会に戻ってきたタイミングで一緒に入部してくれた同好会の新しい仲間であり、コウくんとは幼馴染の仲である二人。

 

 ここ最近までは離れ離れだったらしいけど、コウくんとせつ菜ちゃんが戻って来てからは、侑ちゃんのお家でお泊り会なんてもの開催しているほど三人の仲は良く、コウくん自身も二人のことを信頼していることが分かる場面もよく見かける

 

「だってエマさん、着替えから中々戻ってこないんだもん」

「大丈夫ですか、どこか具合悪いとか……」

「ううん。ごめんね逆に心配させちゃって……」

 

 気が付けば先ほどの撮影から時間が経っており、そう話す侑ちゃんと心配そうに声をかけてくれた歩夢ちゃんに申し訳ないと言葉を返す。

 

 迷っていても悩んでいても変わらず時間は過ぎていく。いつまでも分からないことに迷って、悩んで、あげく周りにも心配をかけて……。

 

「本当は皆の心をポカポカにしたいのに……」

 

 これじゃあコウくんの力になるどころか、自分のことすら。

 

「エマさん?」

「ううん大丈夫っ、着替えなきゃだよね。ちょっと待ってて」

 

 小さく呟いた言葉に不思議そうな顔をした二人にそう答え、衣装がかけられたハンガーラックの方へと向かう。

 

 自分の悩みでこれ以上心配をかけるわけにはいかない―――皆にも“彼”にも。

 

 ちゃんと切り替えなきゃ―――。

 

「―――あっ、これ最新号だ!見てもいい?」

 

 そんな中、着替えを待ってくれていた侑ちゃんから問いかけられた言葉。

 その視線の先には開けっ放しになっていた私の鞄があり、その中に見えるスクールアイドル雑誌―――それは昨日果林ちゃんの部屋で見つけたもので。

 

 そう言えばあのまま鞄の中に入れっぱなしにしてたっけ……。

 

「いいよ」

「ありがとう、エマさん!」

 

 そう答えると嬉しそうに鞄から雑誌を取り出し読み始めた侑ちゃん。

 

 ―――その時。

 

「……?」

 

 開かれた雑誌から一枚の紙が落ちていくのが見えた。

 紙は雑誌の間に挟まれていたようで、ひらひらと地面に落ちた用紙を私は拾い上げる。

 

「アンケート……?」

 

 まず目に入ったのは黒の帯に白い文字で書かれたアンケートという五文字。

 

 そして私が大好きな―――優しい彼女(朝香果林)の名前。

 

「これ……果林ちゃん……」

 

 思わず声に出した名前とそのアンケート用紙に書かれた内容に、気が付けば私の身体は動いていた。

 

「エマさんっ―――?」

「ごめんねっ私―――いってくる!!」

 

 不思議そうな顔をする二人を横目に自分の鞄を掴み取り、部室の外へ駆け出す。

 

 

 言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない―――私の気持ちを。

 

 聞かなきゃいけない、知りたい―――“彼女”の本当の気持ちを

 

 ―――だけど、だからこそ私は。

 

 

 ◇

 

 

 一人、息を切らしながら廊下を駆けていく。

 放課後ということもあり人も疎らになっている校舎棟の廊下を私は走っていた。

 

 こんな姿、せつ菜ちゃんに見られたら怒られちゃうかな。でも今だけは―――。

 

 もう既に校舎棟には戻ってきているかと思ったけど、本来ならすぐに見つかってもおかしくない人影は未だ見つからずにいた。

 

「―――たしか学科の先生のお手伝いって……」

 

 そう愛ちゃんが言っていたけど、校舎棟をここまで探しても見つからないということであれば、まだ職員棟にいるのだろうか。

 すぐさま方向を変えて校舎棟に隣接されている職員棟へと向かう。

 

 職員棟に近付くに連れ先ほどまで疎らだった生徒もいなくなり、廊下に私の足音だけが響いていた。そのまま走っていき、職員棟へ続く曲がり角で―――。

 

「―――!!」

 

 突如、視界に飛び込んできた人影―――突然のことで驚いてしまうが、咄嗟に身体を捻らせその相手との接触を間一髪で避ける。

 

「あっ―――」

 

 しかしその拍子に半開きになっていた私の鞄からノートや教科書―――アンケート用紙などが地面にバラまかれてしまい、思わず足が止まった。

 

「ご、ごめんなさい大丈夫ですか!!わ、私―――」

 

 だけど今は落とした荷物は二の次に、ぶつかりそうになった相手を―――。

 

「―――エマ先輩?」

 

 そんな時―――私の名前を呼んだ聞き覚えのある声。

 

 顔を上げた先、少し驚いた顔でそう呼んだのは、私が探していた相手―――今、話さなくちゃいけない相手の一人(・・)である。

 

「―――こ、コウくん」

 

 下海虹くん―――彼であった。

 

「―――どうかしたんですか?何か急ぎだったみたいですけど」

 

 コウくんは私に気付くとそう言いながら、地面にしゃがんで散らばった私のノートや教科書を拾い集めてくれていて。ってそれより―――。

 

「こ、コウくんは大丈夫?!本当にごめんね?!ぶ、ぶつかっちゃったり、どこか怪我とかしてない?!」

 

 教科書とノートを揃えるコウくんの肩を掴みそう問いかける。

 急いでいたとはいえ、コウくんを危ない目に合わせかけたのは逃れようのない事実だ。

 

「いや、ちゃんとエマ先輩避けてくれたじゃないですか。大丈夫ですよ?」

 

 そんな私に笑いながらそう答えるコウくん。

 いつもと変わらない優しい笑顔にホッとしたと同時に湧き上がる罪悪感に頭を下げた。

 

「で、でも……本当にごめんなさい……」

「そんなに謝らなくても大丈夫ですって、エマ先輩こそお怪我はありませんか?」

「わ、私は大丈夫!だ、だけど……」

 

 埃を払いまとめてくれた教科書やノートを受け取り、そう答える。

 ズボンについた埃を払い立ち上がったコウくんに促されるように、私も立ち上がる。

 

 私がここまで走ってきた理由。

 “彼”を探していた理由。

 

 コウくん言わなきゃいけないことがあったのに、伝えなきゃいけない気持ちがあったのに。コウくんに心配させて、迷惑もかけて―――これじゃあ。

 

「―――あれ?これもエマ先輩のですか?」

 

 そんな中、不意に問いかけられた言葉。

 顔を上げた私の目に入ってきたのは、少し離れた場所に一枚だけ落ちていた用紙に気付いた彼が、それを拾おうと手を伸ばしている姿で。

 

 だけど、もしかしてそれって―――。

 

「―――こ」

 

 呼びかける間もなく、その用紙を手に取ったコウくんはその用紙へ視線を落とした。

 

 その用紙は―――それは果林ちゃんが読者モデルを務めている雑誌のアンケート用紙で。

 

 ほんの少しの時間が流れる。時間にすれば数秒だけど私にはとても長く感じられて。

 

 アンケート用紙に視線を落としたコウくんは何を言うわけでもなく、そのアンケート用紙を見終えるとこちらに視線を向けた。

 

 だからこそ今、言わなきゃいけない、伝えなきゃいけない―――私の気持ちを。

 

「あ、あのね。こ、コウく―――」

「―――はい。これもエマ先輩のですよね?」

 

「―――え?」

 

 彼の口にした言葉に思わず間の抜けた声がこぼれ落ちた。

 果林ちゃんのアンケート用紙をこちらに向け、いつものように笑いかけてくれるコウくん。

 何も変わらないその様子に戸惑いながらも、差し出された用紙を受け取った私はもう一度彼の顔を見る。

 

 微笑みながらこちらを見つめ返してくれるコウくん。

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくん―――そんな彼だから私も真剣に向き合わなければならない。今私の胸に抱くこの気持ちと。

 

「あ、あのねコウくん―――!!私ね―――」

「―――エマ先輩」

 

 ギュッと両手を握りしめた私の言葉に、優しい声が重なる。

 目の前のコウくんは真っ直ぐと視線を合わせたまま、口を開いた。

 

「―――俺なら大丈夫なんで、いってきてください」

 

「―――え」

 

 その言葉の一言一句を理解するのに時間がかかった。

 言葉を聞き間違えたわけでもない。彼が言い間違えたわけでもない。

 ハッキリとハッキリそう(・・)聞こえた。

 

 だけど、だけどそれは、その言葉が意味することは―――。

 

「で、でも。だ、だってわ、私まだ―――」

 

 自分から言いだそうとした言葉があった筈なのに、ちゃんと考えていた筈なのに。

 

「まだ、まだ何も―――」

 

 先回りされたように彼から出た言葉に動揺が隠せず、上手く言葉が出ずにいた。

 

「大丈夫ですよ、分かってますから」

 

 だけどそんな中でも私を見つめる瞳は変わらず笑いかけており、その笑顔に自然と私の胸も温かくなっていくような感じがした。

 だけどその温かさは同時に、それとは真逆の冷たさを生み出し胸の内に広がっていく。

 

「―――」

 

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくん。

 8人の曲を一人で作詞作曲して大変じゃないわけないのに、皆と一緒にいる時間を大事にしてくれて、今日みたいに困ったり悩んだ時は力になってくれて。

 

「―――……よ」

 

「……?」

 

 そんな優しいコウくんにばかりに負担を強いて、自分だけやりたいことを叶えようだなんて―――。

 

「…………めだよ」

 

「……エマせんぱ―――」

「―――ダメだよ!!」

 

 息を全て吐き出すように出た声に目の前のコウくんは驚いた顔を見せた。

 

 ごめんね。だって、でも―――。

 

「分かってる分かってるってコウくんは何も分かってない!」

 

 いつも私たちの為に頑張ってくれているコウくんにこれ以上負担をかけたくない。

 

「今だって8人全員の曲を作るなんて簡単なわけないのに、私がやろうとしていることを聞きもしないで大丈夫大丈夫ってそんなわけない!」

 

 私たちの為に無理して欲しくないし、これ以上要らぬ心配もかけたくない。

 

「でも……!私には私たちには!今日言って明日からコウくんみたいに音楽は作れないから……」

 

 いつも頼ってばかりって分かってた筈なのに。

 いつまでもコウくんの力になれなくて、私じゃあの二人(侑ちゃんと歩夢ちゃん)みたいになれなくて―――。

 

「だから、だから……私はいいから……果林ちゃんを―――」

 

 気が付けば手に持ったアンケート用紙にはしわが出来ていて。

 そのアンケート用紙―――朝香果林と書かれた雑誌のアンケート用紙の問い。

 

今、一番興味があることは?―――スクールアイドル

 

 果林ちゃんの本当の気持ちを聞きたくて、知りたくて。

 でもそれでコウくんを、私たちの為に頑張ってくれている優しい“彼”に負担をかけるぐらいなら私が―――。

 

「―――エマ先輩」

 

 名前を呼ばれ、顔を上げる。

 その先、“彼”は優しい目で私を見ていた。

 

 その宝石のような瞳は真っ直ぐと逸らされることなく私に向けられており、吐き出した自分の言葉に少しだけバツが悪くなり私は目を逸らす。

 

 もっとちゃんと話をしたかったのに、出てきたのはまるで子供のかんしゃくのような言葉で。

 でも、ただ、私はもうこれ以上コウくんに負担をかけたくなくて。

 

「―――ありがとうございます。俺のことそこまで考えてくれて」

 

 その言葉に思わず彼を見た。

 叫んだ言葉に、吐き出した言葉に、かんしゃくのような言葉に、それでもコウくんは優しい目をしたまま、優しい声でそう言い、優しく笑った。

 

「確かに今いる8人全員の曲を作るのは簡単じゃないです。一人一人の個性もやりたいことも違う同好会の皆の曲を一人で作るって今でも本当に難しいのが本音です」

 

「―――だ、だったら」

 

「―――でも、俺は皆の曲が作りたいんです。勿論エマ先輩、あなたの曲も」

 

 コウくんの言葉に反射的に出てきた言葉は、続けて彼が口にした言葉にかき消されてしまい、思わず言葉が詰まる。

 

「それが今の俺のやりたいことで、叶えたい夢……みたいものなんです。誰一人欠けちゃいけない」

 

「で、でも……!そ、それなら尚更私がやろうとしてることはコウくんのやりたいことを邪魔することじゃないの?!」

 

 止めてくれた方がまだ良かった。否定してくれた方がまだ良かった。

 優しいキミだからこそ受け入れて、その結果無理をさせてしまうことの方が何倍も辛い。

 

「でもエマ先輩は朝……果林先輩と一緒にやりたいんじゃないんですか?スクールアイドル」

 

「っ……」

 

 勿論そんな夢みたいことが叶うのならそれが一番だ。

 だけど現実問題それが簡単じゃないことは知っている。

 それはいつも頑張ってくれているコウくんの背中を見てきたからこそ、それぞれの個性を音楽として一人で表現するということは試行錯誤の繰り返しであり、個性もやりたいこともバラバラな私たちなら尚更だ。

 

 だからこそ私はやりたいことを叶える為に、私のやりたいことを―――。

 

「―――エマ先輩のやりたいことを否定するのは、例えそれがエマ先輩自身であっても許しませんよ」

 

 まるで見透かされているかのように出た言葉に思わずコウくんを見た。

 真っ直ぐな瞳は強く熱く―――見つめた先の私はどうしたらいいか分からず視線を落とす。

 

「……でも、でも、それじゃあ、コウくんが、コウくんに、ばっかり大変な、思いを」

 

 そして出てきたのは子供の泣き言のような言葉。

 言葉が定まらなくて、言いたいことが決まらなくて、繋ぎ繋ぎの支離滅裂な言葉を並べて、どうしたらいいか分からなくて、ぐちゃぐちゃで。

 

「―――俺はエマ先輩の一番を叶えたいって、そう思ってます」

 

 そんな中でも変わらずコウくんは真っ直ぐと言葉をぶつけてくれる。

 

「……ダメだよ、それはダメ。だってそれはコウくんが……」

 

 子供の泣き言は気付けば涙に変わっていて、ポロポロと私の頬を濡らす。

 

 今すぐにでも彼の好意に甘えてしまえばいい、自分にとって都合の悪いことはないんだしその言葉を受け入れてしまえばいい。そうすれば私が描いた一番が叶うことは分かっている。

 

 だけど私はその提案を手放しで受け入れることは出来なかった。

 それはいつも私が感じていた気持ち―――力になりたいのに、結局いつも頼ってばかりで、優しい“彼”の言葉に甘えている自分が許せなかったから。

 

「……コウくんが」

「―――エマ先輩」

 

 ふわっと髪を触れる温かな手のひら。

 涙を拭いながら顔を上げると、すぐそばには“彼”の姿があって

 コウくんは髪を優しく撫で上げながら、ポロポロと涙を流す私に笑いかける。

 

「……なら一度だけでいいので信じてくれませんか?俺のこと」

「―――え?」

 

 優し気な声色のままそう口にしたコウくんに思わず驚きの声がこぼれる。

 

「あの日、言ってくれましたよね。俺が良いって、俺の曲じゃないとダメだって」

 

 変わらぬ口調で言葉を続けるコウくん。

 それはあの日、自分の作った音楽を卑下して、自らを貶めていた“彼”に私が言った言葉。

 

「あの時、本当は嬉しかったんです。俺にも出来ることがあるんだって、俺にしか出来ない事があるんじゃないかもって」

 

 まるで昨日のことのように、目を細め嬉しそうにコウくんはそう話す。

 

「あの言葉があったから俺は今ここにいるんです。だから今度は俺に叶えさせてくれませんか?エマ先輩のやりたいことを、エマ先輩の一番を」

 

 そうして“彼”はまた私に微笑みかける。

 まるで涙を拭うような優し気な笑顔は、何度目か分からないほどに私の胸を温かくしてくれて。

 

「それが今の俺がやりたいことで、叶えたい一番なんです」

 

 だけど、その温かさは同時にそれとは真逆の冷たさ―――“罪悪感”を私の胸に生み出し広がっていくのも事実で。

 

「……でもそれじゃあまた(・・)私はコウくんに甘えて、何も出来ないまま……」

 

 その冷たさは、罪悪感は、満杯だった水こぼれ落ちるように弱々しい言葉となってあふれ出していく。私にはそれを止める術も知らず、ただこのまま何も出来ない、甘えてばかりの弱い自分を受け入れてしまえば、もう“彼”にも皆にも顔向けが―――。

 

「なら、こういうのはどうですか?」

 

 そんな時、明るい声でそう言ったコウくんは私はゆっくりと顔を上げる。

 目が合うと嬉しそうに目を細め、彼はその提案を話していく。

 

「これから先、俺がちょーっと大変で、辛くて苦しい~ってなった時は―――」

 

 その提案は―――優しい声で、優しい笑顔で、紡がれるその言葉は。

 

「―――エマ先輩を頼るので、助けて欲しいです」

 

「―――……っ」

 

「俺もさすがに9人はどうなるか分からないんで、もしもの時にエマ先輩が助けてくれたら心強いな~って思ってるんですけど」

 

「……」

「ど、どうですかね……?」

 

「……」

「え、エマ先輩?」

 

 ―――ズルい。本当にズルい。

 

 少しずつ胸に湧き上がっていく感情。それはきっと初めての感情で。

 目の前の“彼”はそんなことは知らないといった様子で私の名前を呼んでいた。

 

 けれど呼ばれる度に湧き上がっていくのはちょっと甘酸っぱいこの気持ち

 

「え、エマせ―――」

 

 そんな気持ちに従うように気が付けば私は目の前の“彼”に抱き着いていた。

 突然のことで驚いた様子だったけど少し後ろに下がりながらも私を―――私の思いを受け止めてくれたコウくん。

 

 せつ菜ちゃんが言ってたことがほんの少し分かっちゃった。

 

「本当、ズルっ子だね……」

「え、エマ先輩?」

「えへへ、ごめんね。何でもない」

 

 変わらず戸惑った様子のコウくんにそう答え、応える。

 

「―――ありがとうコウくん。私でよければいつでも力になるから、どんな時だって、どんなことだって言ってね」

 

「……ありがとうございます。でも、私でよければじゃなくてエマ先輩がいいんです。エマ先輩じゃなきゃダメなんです」

 

「―――っ!!」

 

「俺も、俺を信じてくれる皆だからこそ信じられ―――ってエマ先輩何か急に力がぁっ」

 

 不意を突かれたようなその言葉に思わず腕に力が入ってしまうが、彼の苦しそうな声にハッとし力を緩める。

 しかし身体は変わらず密着したままで、感じる温かな体温に身を預けていると。

 

「あ、あのそれでエマ先輩……早速ですが一つお願いしてもいいですか?」

「!!うん大丈夫だよ!何でも言って!」

 

 その言葉に湧き上がった嬉しさに任せるように見上げた先で、耳まで赤くしたコウくんは先ほどとは違いあからさまにこちらから顔を逸らしており、そんな彼の姿に思わず首を傾げるのだが。

 

「そ、そのずっとこう抱き着かれたままだとき、緊張してしまいまして……」

「え?」

 

 弱々しい声でそう言ったコウくんに気の抜けた声がこぼれる。

 

「出来ればそろそろ離していただきたく発言をば……」

 

 確かに先ほどから微かに感じる胸の鼓動はその脈打つ速度を速めており、彼の言葉に嘘偽りないことを表していた。

 

 だけど―――。

 

「―――だめ、もう少しだけ」

 

 もう少し、あと少しだけこの時間を―――。

 

「えええ……そ、そのこんなところ誰かに見られたら―――」

「―――ねえ、コウくん」

 

 胸の中、鼓動の音を聞きながら私は彼の名前を呼ぶ。

 

「……はい、どうしました?」

「私、果林ちゃんにちゃんと伝えられるかな?自分の気持ち」

 

 聞きたい、知りたい―――優しくて大好きな果林ちゃんのこと。

 

「どう、ですかね……それはエマ先輩自身のことですから俺には何とも」

「そう……だよね」

「……でも―――」

 

 そう言うとコウくんは私の頭を優しく胸元に抱き寄せた。

 

「俺にはちゃんと伝えてくれたじゃないですか、エマ先輩の気持ち」

 

 優しい声音のその言葉に、もう一度彼の胸の鼓動を感じるように胸元に耳を当てる。

 ドクンドクンと脈打つ鼓動。

 

 決意を固めるように私はふぅと息を吐き出して、ゆっくりと彼から離れる。

 

「……私、頑張ってみるね」

 

 そのまま顔を上げて、彼と向かい合う。

 

「ええ、今しか出来ないことを、エマ先輩のありのままを伝えてきてください」

 

 その瞳は変わらず真っ直ぐに私を見つめており、見つめ返す私に彼は目を細める。

 

「うん―――じゃあ、いってくるね」

 

「はいっ、いってらっしゃい。お気をつけて」

 

 そうして私は駆け出す、彼の声を背に受けて。

 

 いつも親身になってくれて、私の夢を応援してくれて、困った時は助けてくれて、そんな優しくて大好きな―――虹ヶ咲学園に来てから初めてできた大切な親友(果林ちゃん)の元へ。

 

 

 

 ◇

 

 

 きっと今はまだ頼りなくって、頼ってばかりの私だけど―――。

 

 いつかあなたが悩んで迷って、辛くて苦しくて、誰かに気付いて欲しい時。

 

 誰よりもそばであなたを守りたいから、あなたの力になりたいから。

 

 あなたがしてくれたように、いつの日かきっと―――いや絶対!

 

 あなたを支えられるように、あなたを癒せるように。

 

 あなたとの時間を、今しかないないこの時間を、そっと育んでいこう。

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