目の前のボールが跳ねる。流れる汗を拭って対峙する相手を見つめる
対峙する相手―――宮下 愛は手に持ったバスケットボールを一定のリズムでつきながら、こちらを隙を伺うように、俺の一挙一動を覗いている。
次の瞬間、宮下はドリブルのリズムを早め、身体がぶつかるほどの勢いでこちらを抜き去ろうと動き出す。素早い身体の動きが優先され、身体は前に、ボールは後ろに流される
俺はその一瞬を見逃さなかった。
鋭い槍のように手を伸ばし、一直線に彼女の右手側で跳ねるボールを捉える。
「―――もらったっ!」
「―――残念、愛さんの勝ちっ」
伸ばした手は空を切り、宮下は後方へ駆ける。
先ほどまで手と地面を行き来していたボールどこへ、その行方を探そうと振り返った俺の目に入ってきたのは宙を舞うボールと、それをキャッチしゴールへ駆けていく宮下の姿だった。
そのまま誰もいないゴール下、宮下はボールを空へ掲げ投げ入れる。誰の邪魔もなく投げ入れられたボールはそのままゴールすっぽりと入り、地面で強く跳ねた。
「どうしたのしもみー、いつもより動きが硬くない?」
「いや……お前、準備運動もなしに連れてこられてお前の相手は荷が重いっての」
跳ねたボールを手に取り首を傾げる宮下に、額に微かに流れる汗を拭いながらそう応える
「いやーしもみー暇かなって思って」
時刻は放課後。
バスケ部の練習着に着替えた宮下に誘われて俺は学園の体育館まで足を運んでいた。
準備もバッチリと済んでいる彼女と違い、こちらは制服でろくに準備運動もしていない為、あまり激しい動きはし辛い。
まあ準備運動の有無で今の勝敗が変わるわけでもないが。
ケラケラと笑い器用にボールを回す彼女―――宮下愛はバスケ部の部員と言うわけではない。
彼女はバスケ部を始めとした色んな部活を助っ人として回っており、日によってその姿を変える。この前はサッカー部だったっけ?
しかし色んな部活の助っ人と言えど、中途半端な実力なら助っ人として来られても迷惑にしかならないと思うが、宮下愛の運動能力というのは想像以上だった。
試合に出れば勝利に貢献し、練習相手としても申し分ない、部活の面々ともすぐに打ち解け、その持ち前の明るさもあってかムードメーカーとなり、一度助っ人に参加した部活からは本格的な入部を勧誘されるほどに、そのポテンシャルは高かった。
そして今では部室棟のヒーローと呼ばれるほどにその名に箔を付けていた。
「……まあ暇だな」
「同好会も抜けたんだってね?」
宮下の言葉に少しだけ反応しそうになるが、今更隠すことでもない。
「そうだな、スクールアイドル活動はやめた」
「そっか……」
「ああ、それじゃあ部活の邪魔しちゃ悪いし、俺は退散するよ」
壁に置かれたスクールバックを肩に担ぎ、宮下に別れを告げる。
バスケ部の面々も着替えを追えたのか続々と体育館に集まっており、準備運動をしている。
本来なら俺もあれぐらいさせて欲しかったが、彼女の暇つぶしに付き合っただけだし今回はいいだろう。
「あー……そういえば、この間スクールアイドル同好会の部室を探してた子がいたよ」
「―――え?」
宮下の言葉に思わず振り返る。振り返ったこちらを応えるように彼女は話を続けた。
「普通科の人なんだけど、りなりーが話しかけられてるとこにたまたま通りがかってね」
りなりーと言うのは宮下が可愛がっている後輩の一年生の子。俺も遠目でしか見たことないが綺麗な桃色の髪をしていて背も小さくて可愛らしい女の子、だった筈。名前は知らない。
「―――そっか、まあ別におかしなことでもないだろ」
部室を探しているということは入部希望なのだろうか。しかしスクールアイドル同好会は既に廃部になっており、その子には悪いことをしたなと思う。
だけど部員の面々に会えればちょうど5人で同好会を再建出来る―――もしかしたらあの時のライブで興味を持ってくれた子だろうか?そうだったらいいな、なんて都合が良過ぎるな。
「案内してくれたんだよな、わざわざありがとな宮下」
「感謝の気持ちは名前で返してくれたら嬉しいかなーって」
「それとこれとは別だ」
だから何でそんな名前にこだわんのこの子は。呼べりゃあ何でもいいでしょうに。
◇
「はぁい、始めましてこんにちは」
体育館から出たその後、寮に向かっていた俺の目の前に立ちふさがる一つの影。
彼女は妖艶に微笑みながら、手を振り挨拶をする―――のだが。
「……?」
周りを見渡しても誰もおらず、その場には彼女と俺しかいない。
だけど俺にはこんなベッピンさんの知り合いはいない。人違いだろうか?
念の為、もう一度周りを見渡すが彼女に話しかけられたと主張出来るような人はいなかった。
「いや、あなたに話しかけてるんだけど。下海虹くん」
何故俺の名前を……?
もう一度言おう。断じて俺にはこんなベッピンさんの知り合いはいないのだ。
いやスクールアイドル部の面々や同級生の宮下も含めれば、知り合いの顔面偏差値は高い方か?
「え、えっと……は、はぁい、始めまして」
「真似はしなくていいのだけど」
フランクな彼女に合わせて真似てみたが違ったみたいだ。
彼女はふむふむとこちらを吟味するようにつま先からてっぺんまでを見つめ、妖艶な笑みを浮かべ口を開いた。
「初めまして、朝香果林です。親友のエマがお世話になってるわね」
―――朝香果林。
その名前には聞き覚えがあった。
ライフデザイン学科の三年生に雑誌で読者モデルをやっている超絶美人な先輩がいるという話。男子生徒で知らぬものはいないほどにその名前は有名で、俺のクラスにもファンがいるほどであった。
「エマ先輩の……」
そしてエマ先輩の親友と名乗った彼女は、噂に違わぬ美人っぷりで。ウルフカットにした綺麗な艶髪を風で揺らし、出るところは出ており引っ込むところは引っ込んでいる、女性からすれば理想的なプロポーション。
まるでフィクションの世界から出てきたようなペッピンさんであった。
「あらあら、そんな熱い視線で見つめられたら照れてしまうわ」
「あ、す、すみません。つい……!」
「冗談よ、そんな警戒しなくてもいいのよ―――今日はあなたに聞きたいことがあって来たのだから」
からかうように微笑む彼女は変わらず妖艶でそんな彼女に見惚れそうになるけど、彼女の口から出たその言葉に少しだけ身体が強張った。
「えーっと、俺に答えられることであれば……」
「ええ、むしろあなたにしか答えられないことかも―――」
彼女はそう言いながらこちらに近づく。彼女から漂う柔らかい香水の匂いが鼻孔をくすぐり、思わず男心がグラついてしまいそうになる。
身体を密着させる勢いで近づいてきた彼女はおもむろに俺の右肩に手を置き、背を伸ばして耳元で囁いた。
「―――優木せつ菜さんのこと、教えて欲しいのだけど」
咄嗟に離れる身体、惜しいことをしたなどと呑気なことを言ってる場合じゃない。
向かい合った彼女はその表情を崩さず、その妖艶さをまといながら言葉を続ける。
「スクールアイドルに興味があって、だけど誰に聞いても学科もクラスも分からなくて困っているのよね」
エマ先輩の親友と名乗った彼女が、わざわざ俺に声をかけ優木せつ菜を名指しで指名する理由-――浮かんできたのは
「優木せつ菜はもうスクールアイドルを辞めたんです、彼女にスクールアイドルの話をするのはやめてあげてください」
もしかしたら彼女が宮下の言っていた同好会の部室を探していた人なのかも知れない。
そんな相手を邪険にするのは気が引けるが、まるで優木せつ菜を探るようなことを看過することは出来ない。
それが優木せつ菜とスクールアイドル同好会を
「あら怖い、別に優木さんを取って食おうってわけじゃないのよ。ただ話が聞きたくて」
「せつ菜は会わないと思います。それにスクールアイドルの話ならエマ先輩聞くことだって出来るでしょう」
その言葉に彼女は微笑みを浮かべたまま「そう、残念」と返し、離れた距離を詰めるようにこちらに近付き、おもむろに俺の胸に指を置いた。
「もし教えてくれたら、お姉さんが
胸の上をなぞるように指を動かし、彼女は笑う。
身体の一部分に熱が集まるのを感じ、咄嗟にまた彼女と距離を取る。
身体を動かしていないのに息は上がり、心臓の鼓動はバクバクとうるさいほどに音を立てていた。
「い、イイことってなんですか……」
「イイことはイイことよ、私プロポーションには自信あるの」
自らの身体を抱きしめるように彼女はその豊満な胸と主張し、スカートから延びるふとももを見せ付ける。俺も甘く見られたものだ、こちらハメようなどと侮りやがって……!!
「……騙されませんよ、そういう経験ないでしょあなた」
「ふふふ、どうでしょう?」
食えない人だ。変わらず余裕の表情で笑う彼女に警戒心を高め、少しずつ後ずさる。
「まあ私もこんなので騙されちゃう子に用はないわ。エマの言う通り、真っ直ぐで良い子ね」
「それは……ありがとうございます」
彼女の一挙一動も見逃さまいと睨みを利かせるが、そんなこちらにはお構いないと言った様子で彼女はこちらに背を向け振り向きざまにその妖艶な笑みを見せた。
「それじゃあさようなら虹くん、また会う日まで」
「……はい、さよなら」
遠ざかる背中を睨み、彼女が見えなくなるその瞬間まで神経を張り巡らせる。
油断すればこっちが食われる、なんて状況フィクションの中だけだと思っていたのだが。
「はぁ~~~~~……」
張り詰めていた気を緩めるように大きなため息を吐き出し、忘れていた呼吸を再開する。
心臓のバクバクは少しずつ止んでいき、正常な心音へと戻っていった。
何だあれ、あんなの歩く
R-18じゃないのあれ、青少年の教育に良くないでしょ、規制した方がいいって……。
朝香先輩には申し訳ないが、彼女に対する理不尽な文句ばかりに出てくる。
あんなの並みの男ならそのままゲロってホテルへ直行だろ。
俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかったわ。
「……で、でも…イイことかあ」
読者モデルを務めるほどの美貌を持った妖艶な美しい上級生とのワンナイトラブなんて、憧れない男子はいないだろう。断りはしたが想像してしまうのもまた男のさが。
「―――ちょ、うわあ!!」
そんな煩悩の中鳴り響いたスマホのベル。ビックリして大声を上げてしまったが周りに人がいなくて良かった……。
と言うかそもそもさっきの場面を見られてなくて良かった。それは本当に良かった。要らぬ噂が立つところだった。本当もうちょっと場所を考えて欲しいな朝香先輩
いそいそとポケットからスマホを取り出し開くと、珍しくメッセージアプリに一件通知が入っていた。―――相手は中須かすみ。
先日泣かせてしまったこともあり気まずい相手だが、そんなことは気にもしていないような口ぶりで送られてきたメッセージには「会わせたい人がいます」という文章と共に集合場所の地図が乗せてあるだけであった。
◇
「あ~~♡コウ先輩っ可愛いかすみんはこっちです~♡」
集合場所の付近に着いた俺は聞きなれた甘え声に呼ばれ、その方向へ向かう。
こちらからは彼女の他にも二人、見慣れない姿が見えるが一体誰だろう。
少しずつ彼女たちの元へ近付いていくと、その姿がハッキリとしてくる。
木漏れ日を避けるように立つ二人の姿をようやく認識して俺は―――
「―――え?」
―――言葉を失った。
「コウっ!やっぱりかすみちゃんの話してた先輩ってコウのことだったんだね!!」
そこにいたのは、先日一度、実家に戻った時にも偶然出くわした相手である、幼馴染の
「―――久しぶり、だね。コウ…くん」
鼓膜を震わす鈴の音に心臓が大きくドクンと跳ねる。
嫌な汗が溢れ、一瞬にして喉の渇きを生んだ。
俺が一番会いたくない、気まずい相手。
可愛くて、優しくて、真心に溢れていて
桜のように可憐で、清楚で
フィクションから飛び出てきたような理想的な女の子。
それと同時に俺の初恋の相手であり―――中二の夏に俺がフラれた相手。
「―――う、上原」
もう一人の幼馴染、