「ぅ……」
ピンチベックは三日間見上げていた天井を
また見る羽目になった。
傷は痛むが、そんな事はどうでも良い……
ペラドンナは何を隠しているのだろうか?
そのうち彼は瞼を閉じ、眠ってしまった。
……………………………………………………………
『エス、貴方はどうしたいのです?』
「あの人には悪いけど、居なくなって欲しい。」
『……復讐したいとは言わないのですね。』
「俺には普通の人の気持ちは分からないけど、でも俺を愛してくれた母さんの事は尊敬出来るし、期待を裏切られた父さんの気持ちも分かる。愛し合う二人が自分のせいで引き裂かれるのは嫌だ。一度、二人は距離を取るべきだと思った。」
『エスは優しいですね。きっと皆に慕われます。』
「父さん、俺が無事に産まれてくるように何度も教会で祈ったって………そんな人を、憎む事なんか出来ない。だけど母さんに当たるのは間違ってる。」
『私がエスの父上と話しましょうか?少なくともそれで貴方は傷つきません。』
「確かに姉さんならあの人を簡単に遠ざけられる。だけど俺は暴力の前に正しさで解決してみたい……姉さん、が、教えてくれたように。」
『力を手に入れて、そう言える人間は少ない……悲しい事だけど、私は弟が立派な人間になってくれて嬉しいです。』
…………………………………………………………
「……もう10時か。」
ピンチベックはベッドから降りる。
手錠はついていない……彼には役目があった。
炭で染めた革製のマルチバッグを抱え、
彼は広大な地下空間へ降りてゆく。
『待っていたよ。一人では寂しいからね……』
「貴女なら何処から攻める?」
『まずは耳だ……温度も音も感じやすい。』
「確かに、自分の耳が引き裂かれる音は不快だな。質問を変えよう……誰から痛めつける?」
『許すという選択肢は?』
「存在しない……許せば、今まで殺して来た者達に背を向ける事となるだろう。」
『いや、君は痛めつけないさ。』
デスペラードはドアを開け、ピンチベックを
招き入れる。
『あ……!』
『お嬢さん、お茶にしようか……友達も連れて来たんだ。』
「何のつもりd」
デスペラードはピンチベックの口を塞ぐ。
『すまない……耳を貸してくれ給え。』
「……分かった。」
デスペラードは彼の耳に息を吹きかけた。
「ぬぅっ!?」
『ふフっ……』
「分かっているのか!?彼女には……複製されたアブホースの一部が植え付けられている!有機物で作られた兵器だぞ!」
『別に構わないだろう、まだ子供だ。』
「アブホースの組織を抜き出す、眠らせろ。」
『わたシ、眠くナいよ?』
「……普通の人間に戻してやる、それが出来るのは我々だけだ。間違っているか?」
ピンチベックの左腕が槍に変形し、
バンディーアの心臓に狙いを定める。
『あぁ、間違ってはいない……人間に戻った瞬間、彼女は死ぬが。』
「何故だ?アブホースを取り除けば、人間に戻るのだろう?」
『血中の酸素量があまりにも少ない……最初はアブホースの影響かと思ったが、君の酸素量は常識の範疇、呼吸も弱かった。』
「では繋いでおけ……永遠に。」
ピンチベックはドアを乱暴に開け、
「!?」
カラドリウスに押し倒された。
『本当に良かった!貴方が襲われたと聞いて、私は……情けない話ですが、震えが止まらなかったのです……私のせいで、今度こそ本当に死んでしまったのではないかと……!』
「……貴女は優し過ぎる、その程度で狼狽えないで頂きたい。」
ピンチベックは片腕で彼女を立たせると、
椅子に座り直した。
『デスペラード様から聞いたでしょうが、バンディーア……彼女は難病患者です。神経形成に異常をきたし、呼吸器が正常に作用しない……』
「病名は?」
『アルマ・サム症候群……この世でたった一例しか確認されていない難病。先天性の神経奇形で、臓器移植も治癒魔法も無意味……神経を繋ぎ合わせた瞬間から異常形成が始まります。現在はアブホースの細胞で神経を無理矢理に繋ぎ合わせた上でゾンビ化させ、何とか命を繋いでいる状態です。』
「再編された教団が難病患者の支援をしているという噂を聞いたが……それがこの末路という訳だ。やはり奴等、”まだ”生きているな。10年前から何も変わっていない……」
『なんデ、怒ッてるの…?』
「昔、奴等に騙された。世論通り、教団が正義の集団として生まれ変わったならそれで良かった……私も彼らを大勢殺したからな。」
「だが聖オイフェとその子孫が何代にも渡って命懸けで封印して来たアブホースを復活させ、あまつさえ生きた人間に埋め込むだと……?罪もない子供を、人殺しに改造するだと……?」
「ふざけるな!」
ピンチベックは拳を何度も地面に叩きつける。
グローブから黒い血が滲み、骨が砕ける音が響く。
「畜生……畜生!」
何度か拳を叩きつけた後、彼の手が止まった。
バンディーアが、彼の手を握っていた。
『どうシヨう……血が……』
「……今日は泣く奴が多い。」
『分かっただろう?彼女は兵器なんかじゃない。』
「取り乱して悪かった、この子の為に出来る事をやろう。」
『決まりだな……お嬢さん、私と一緒に向こうで遊ぼうか?』
デスペラードはバンディーアを別室へ
連れていった。
『彼女の残虐性を発露させている、首筋のアドレナリン精製器官を摘出します。ちなみにそれが出来ればユージェニックもこちらに協力してくれるとの事。』
「切って取り出すとまずいのですか。」
『そもそも強化筋肉をメスだけで切開するのは時間がかかり過ぎます。それに、ユージェニックの話ではアドレナリン精製器官は戦闘時以外には萎縮して脳と一体化するようなので……』
「戦闘で膨張した所を取り出すしかないと?」
『本来は外部からの信号で起動するのですが、今はそれが出来ない……この臓器はバーサーカースタッグという魔物から移植したもので、防衛本能で活性化し、無差別攻撃を行うものです。』
『貴女がバンディーアの気を引き、生じた隙にデスペラード様が切除します……』
「いや、ここは私一人で行こう……誰よりも彼女との交戦経験がある。」
『流石に休んだ方が良いのでは?』
「貴女達に子供を殺させる訳にはいかない、人殺しには俺がなれば良い……それに、自分の事は自分が一番理解出来る。」
『……面白いな、君は。』
「滑稽に見えるか?」
『そうではない。ペラドンナは私が生きた500年の間で最も才能がある冒険者だ……それ程の天才を誰が目覚めさせたのか、ずっと気になっていた。』
「……彼は自分で目標を見つけ、決断した。」
『一理あるね、しかし私には証拠があるのだよ……彼はずっと君を目標にしていた。』
「証拠だと?」
『彼が私に師事してから二年経った時、戦争が起きた……将軍、つまり彼の父はそこで君の活躍を知った。君の名前もその時知ったらしい……』
「それがどう証拠に……」
『彼の兄弟の名前を聞いて、おかしいと思わなかったのか?彼だけ既存の植物と比べて名前が違う……イニシャルが”B”ではなく”P”だ。君のコードネームは?』
「……ピンチベック。」
『正しく、”馬鹿と天才は紙一重”だ!彼は君に焦がれるあまり、自身の名前すら変えてしまったのだよ!君は彼を歪めるに足る傑物と言う訳だ、誇り給え……』
デスペラードはピンチベックの胸を叩き、
鋭利な牙を剥き出して笑った。
『それにしても君は、こんなに美味しそうな匂いを漂わせて……駄目じゃないか……熱した鎖で首を絞めて、その口から溢れた血を啜りたくなってしまう。』
『ロ、ローデリウスは私の仲間です!傷つける事はこの私が許しませんよ!』
『……私を畏れずにそこまで言えるとはね。君は沢山の人間に愛されているようだ……素晴らしい。』
ピンチベックは窓を開け、城下を指差した……
人間や吸血鬼、魔族、魔物が復旧作業にあたっている。
「あと11年早く来ていたら、私は間違いなくここに住んで良いか聞いただろうな……こんなに平和な場所は初めて見た。」
『……ありがとう、彼らは私の誇りだよ。』
赤い湖、灰色の木、真っ黒なベールを被せたような
暗い空に、禍々しく燃える月と星が浮かぶ。
現代の保守的な聖職者が見れば卒倒する光景だが、
ピンチベックの目には虚飾だらけの宮殿より
何倍も美しく見えた。
『大都市ではこの素晴らしい眺めを絶対に実現出来ない。悲しい事だ……何かを奪われ、痛みを味わった者だけが辿り着く場所だからこそ、この都では皆が支え合っている。』
「満たされている者ほど、足りないと喚くものだ。」
『特に貴族は……ローデリウス、これは私の罪滅ぼしなんだよ。大勢裏切って、殺して、奪った……生前の私と……エリザベートと会ったなら、君は間違いなく殺すだろう。』
「今、敵なのか?仮定の話など無駄でしかない。」
『……仮定の話、か。』
「……後悔して、惨めになるだけだ。」
翠蛇に任せていれば、父親と和解出来ただろうか?
見世物小屋で道化師を続けていれば、
投げナイフや拳銃の腕前をこんな事に使わずに
済んだかも知れない。
自分がもっと強ければ、皆は助かったか?
『これ以上そうならないように戦うのだろう?』
「あぁ、そうだな……!」
『アブホースを目覚めさせるには、彼女に恐怖を与える必要があります……損な役回りです。子供を傷つけるのは貴方にとっても相当な負担の筈。』
「綺麗事だけで、全てが変えられるとお思いですか?子供が傷つくのがお嫌いなら下がっていれば良い……」
『私は卑怯者です……貴方にばかりこんな事をやらせて、自分では何も』
「俺は貴女が玉座に相応しいと思った……そして貴女は貴女の父祖のように偉大な君主になる事を願った。貴女は貴女にしか出来ない事をすれば良い……御命令を。」
『……彼女を、助けてあげて。』
「承知。」
ピンチベックは別室に行き、バンディーアの隣に
座った。3メートル近い彼女の体重で、
ソファが大きく傾いている……
『ジャック、無事……?』
「無事らしい……君を助けてやって欲しいと人伝てに言われた。この期に及んで人の心配とはな……」
『よカっタ…!』
次の瞬間、バンディーアの身体が数メートル浮く。
ピンチベックは脚を振り上げたまま続ける……
「骨の一本は砕けるかと思ったが……頑丈だな。」
『なンで……』
「決まっているだろう、敵だからだ。」
バンディーアは大して痛みを感じていないが、
その目には大粒の涙が浮かんでいる。
『やメてよ!ワたし、もう誰も傷ツけたくなイ!』
「黙れよ……お前のせいで妹は助からなかった。お前みたいな半分死んだ腐れ人形が!リディアの幸せを奪った!お前が生きたいと願ったからだぞ!?」
もう一度バンディーアを蹴り飛ばし、
馬乗りになって何度も殴りつける。
『痛い!痛いよ!』
「何も知らない癖に被害者ぶってんじゃねぇ!」
ナイフを抜き、目玉に突きつける。
(来るぞ……!)
『ヤメロォォ……虫ケラァァァッ!!』
バンディーアの拳がピンチベックの足元を砕く!
薙ぎ払いを脚で捌き、激しい火花が散る!
『痛イ……私ダケ、痛イ……!』
規格外のパワーとスピード、範囲……
アブホースの力は依代の苦痛の大きさだ。
生涯痛みに苛まれ、死の恐怖に晒され、
自身の病によって目の前で家族が破滅してゆく……
生きる為、ひたすらに望まぬ殺戮を強いられる。
『なンデ、機械ガ無いのに生きテる!?』
バンディーアの蹴りがガードの上から刺さり、
吹き飛んだピンチベックに拳の鉄塊が迫る!
「では聞こう、何故お前は家族に愛された……!」
ピンチベックの片腕が棘だらけの獣めいた腕に
変わり、ガントレットを受け止めた。
「何故お前の兄は腐敗しきった遺物に魂を売った!?」
ガントレットを掴んだまま地面に何度も叩き付け、
バウンドした身体を飛び石代わりに跳躍、
二挺のリボルバーでファニングショットを放つ!
『ギャァァアアアアアッ!?』
大量の弾丸がバンディーアの表皮を斬り裂き、
急所の肉を抉る!
(そこだ……抉り出せ……!)
「分かっている!」
ピンチベックはクリスナイフに持ち替え、
それをバンディーアの延髄に叩き込んだ!
『首ノ後ろ、中身、熱イ……』
バンディーアがピンチベックの右腕に噛み付き、
凄まじい顎の力で肉が食い千切られる!
「アダマント鋼で弱点を覆っているか……」
ピンチベックは赤熱した銃身で傷口を焼き潰し、
奥歯に仕込んだ回復ポーションの容器を
噛み潰す……
『痛イ……泣イて?』
呪詛により極限まで増幅された激痛……
彼の視界が真っ赤に染まり、高揚が湧き上がる。
『なンで泣かなイ……なんデ、お前ハ叫ばなイ!?』
「何処の世界に、子供に齧られただけで泣くような暗殺者がいる?」
『泣けっテ言ッてるダろォォッ!』
バンディーアのガントレットが変形し、
血錆びたノコギリのような鉤爪が飛び出す!
『ウガアァァァァァッ!』
斬馬刀めいたサイズの刃がピンチベックを
素早く、執拗に追いかける!
「コーシュシュシュシュシュシュシュ!」
ピンチベックは刃の隙間をすり抜けながら
急所への攻撃を的確にナイフで弾き返す。
『潰レロ!』
「コシューッ!」
連撃を躱し、一瞬の隙に足払いを食らわせる!
『ぐゥ!?』
バンディーアの姿勢が僅かに崩れるが、
その機を見逃すピンチベックではない!
「そこだ……」
彼女の首筋を投げナイフで斬り裂く!
『ガァァッ……壊レろォッ!』
「その要望には応えられない。」
右手のノコギリをブーツに仕込んだ鉄板で止め、
左手でパンチを繰り出す直前に射撃!
バンディーアは思わず防御して弾丸を弾くが、
その隙を突いてピンチベックが背後に回り込む。
「コシューッ!」
壁を蹴り加速、延髄に回し蹴りを叩き込む!
傷口が完全に開き、脈動する青色の塊が露出!
『熱イ……痛い……よ……』
バンディーアもすぐさまピンチベックの脚を掴み、
床に叩きつける!
「フン!」
ピンチベックも鉤爪を地面に突き刺し、
腕の力で跳躍!
「コォ……シューッ!」
壁を蹴って加速、強烈な蹴りを繰り出す!
『ウ……!』
隕石のような蹴りをまともに喰らい、
バンディーアの要塞めいた巨体が揺らぐ……
『もう……嫌……!』
「……すぐに終わらせるぞ、アブホース!」
ピンチベックの右腕が巨大な槍に変形し、
アドレナリン分泌器官に狙いを定める。
「
『ギャアァァッ!?』
バンディーアの首を貫き人工神経を破壊、
傷口に左腕を押し込んで分泌器官を引き摺り出す!
彼女は激しく痙攣した後、泡を吹いて気絶した。
「…………終わったか。」
大技を使用した反動で膝をつきながら、
ピンチベックは彼女の傷口を消毒し、縫合する……
瞬く間に彼の手は血に濡れ、赤黒く染まった。
「綺麗な赤だな……俺とは違う。」
『……お疲れ様です。』
「隠れて見ていましたね、見たくもない癖に……」
『貴方一人に重荷を背負わせる訳にはいきませんから……怪我の治療くらい、終わってすぐにやりたかったのです。』
「………勇敢になられたものだ。」
『ありがとう、貴方は処置が上手くなりましたね。』
「貴女様が手本を見せて下さったでしょう、毎日のように説教されれば嫌でも覚えます。」
『後は私に任せてください、今は休んで。』
「了解……しかし、その前に。」
ピンチベックはバンディーアの目を閉じさせ、
包帯をリボンのように結んで部屋を出ていった。
『……非合理的ですね。』
カラドリウスは呆れたように笑い、
複眼から溢れた涙を拭いながら呟いた……
『貴方のそういう所、嫌いじゃないですよ。』
第95幕 完