ー遠い昔ー
『駄目だ、扉が破られるぞ!』
『せめて領主様だけでも逃すのだ!』
『薬を処分しろ、奴等の手に渡してはならん!』
少女は扉の前で座り込み、時折聞こえる悲鳴や
罵声を手で遮りながら震える事しか出来ない。
ォン……ドォン……ドォン!
かんぬきを掛けた扉が破られ、
白装束の兵士が雪崩れ込んで来る。
『もう駄目だ!アブホース、お前だけでも』
見張りの少年はそう叫んだ瞬間に心臓を刺され、
血を吐きながら痙攣して死んだ。
「領主様、どうか御無事で……!」
アブホースと呼ばれた若い兵士が長剣を構え、
領主の私室の前に立ち塞がった。
『行け、竜の僕を……裏切り者を滅ぼせ!』
「裏切ったのは貴様らだろうが……!」
彼の周囲を20人余りが取り囲み、一斉に
武器を構える。
『その男を捕らえよ!』
聖職者達が一斉に”聖剣”の奇跡を詠唱し、
アブホースを睨みつける。
「不浄……我が恩寵……」
彼の構えた剣から、ドス黒い液体が滴る。
『我々の前で闇魔法だと……やはり殺せ!』
五人の兵士がアブホースに斬り掛かる!
「
アブホースは迫る斬撃を軽々と弾き返し、
屈強な兵士たちを一薙ぎで皆殺しにした。
「まるで話にならんぞ、冒険者を出せ。」
『チィ……マナ適性者ですらない小僧一人に!』
彼はスカアハが隠し部屋に入り込む音を聞いて、
甲冑の下で笑いを堪えた。
「此処が命の張り所よ……」
石畳が黒と赤に染まり、彼を取り囲む兵士達の額に
大粒の汗が浮かぶ。
『怯むな、続け!』
隊長格が聖属性を纏ったメイスを振りかざし、
アブホースに殴り掛かる。
彼の身体は吹き飛ばされ、骨が砕ける。
「……死ね」
アブホースは隊長格の喉を深々と斬り裂き、
蹴りで引き千切った……魔力の使い過ぎで両目から
黒く汚染された血が流れ、彼は倒れた。
「失敗作の”竜血”……此処で死ぬよりはマシだ。」
彼は赤色の液体が入った注射器を首に突き刺し、
激しく血を吐きながら絶叫した。
骨が音を立てて成長し、目の血管が破裂して
視界が真っ赤に染まる。
『貴様ッ……一体何を』
残った兵士が真っ青な顔で狼狽える。
「俺は竜になったのだ、貴様らが敗れた竜に!」
黒く染まった血管が全身に浮き上がり、
骨が腕の皮膚を突き破って刃に変形する!
『いっ、行け!神は我々の味方だ!』
指揮を引き継いだ兵士の号令で
二十名余りの屈強な兵士が殺到するが……
「神にとって貴様らなど、幾らでも替えの利く奴隷に過ぎぬわ……!」
両腕から骨の刃を生やしたアブホースによって
瞬時に切り刻まれ、僧兵の手足と大量の血が
城の床を真っ赤に染めた。抵抗する隙もなかった。
「助け、冒険者をっ」
最後に残った一人の首を掻き切り、
血を飲み干すと彼は背後から振り下ろされた
大剣を片腕で受け止めた。
「……死にに来たか。」
アブホースが腕に力を込めると
大剣は根本から粉々に砕け散り、持ち主の
冒険者は泡を吹いて失神した。
「俺はあの方を、神にするのだ!」
その後、アブホースの姿を見た者はいなかった。
少なくとも、人間らしい姿を見た者は。
……………………………………………………………
「……分かった。」
『待て、お前が難儀しているのは不完全な竜血のせいで、それは儂の不始末でアブホースが使わざるを得ない状況に……』
「……アブホースが私に憑いていなければ仲間を
助けられなかった、今更貴女を恨みはしない。」
その声は怒りと、深い悲しみに震えていた。
『……儂の胸に刃をスッと入れるだけで終わりだと言うのに、何故我慢する必要があるのじゃ?』
「まだ貴女に勝てないからだ。」
『儂は抵抗せん……晩節を汚しとうないからの。
自分で言うのも何だが、このスカアハの首はお前が恩赦を得て余りある逸品だと思うが……?』
ピンチベックは額を手で抑え、暫く考えた。
一月にも思える長考の末に、彼は震える口を開き
答えを絞り出した。
「何千年と昔の事件のせいで俺は名実共に化け物だ。こんなに腹立たしい事など、滅多にないだろう……」
自分の顎を噛み砕きそうな、怒りを殺した声が
痙攣する唇から漏れる。アブホースに頼らねば
復讐すら出来ない、無力な自分に対する怒りだった。
「運が無かったと言えばそれまでだ、だが奴等がアブホースの力を求めて修道院を襲ったのなら?アブホースがいなければ悲しむのはリディアだけで済んだやも知れん……無論、それでも教団は殺すがな。」
ピンチベックは地面に座り、
赤く充血した右目を鈍く光らせながら
力任せに石畳を拳で叩き割った。
「確かに貴女は憎い……だが貴女が死ねば私のように居場所を失った惨めな人間が、一体何人生まれる?貴女の復讐の為に身を投げ出す人間が、何人死ぬと思う?」
スカアハが小指を持ち上げると
粉々に砕けた石畳が巻き戻しのように修復、
数秒と経たぬ内に元へと戻った。
「何より、あの人に合わせる顔がない……俺は家族の絆を引き裂いた輩が許せなかったから復讐を始めた。貴女が罪から逃げない以上、俺に貴女を裁く権利はない。」
『……では、生き恥を晒せと申すのか。』
「いや、私の主人を守ってくれた大恩もある……それでは不満か?」
『儂の封印を解いてくれたじゃろう?一京歩譲ってあの娘の件はそれで五分として、儂の不始末はどう償えば……』
「戦力を貸し出してくれればそれで良い。」
『……いや、儂の配下は言われなくでも皆勝手に行くぞ?』
「では一つ貸しにしておく。」
ピンチベックは自室の窓に向かって鉤縄を投げ、
猿のように軽快な動きでロープを登ってゆく。
『待て!最後に一言だけ言わせてくれ……こんな事を言うべきではないと、分かっているが。』
「何だ」
『その力がお前に渡って、良かったと思うてしまった。』
「………ありがとう。」
第100幕 完