ー教団本部要塞、第二の塔入口ー
数分前まで美しかった宮殿の床は血と油に濡れ、
手足を失って這い回る冒険者が散乱していた。
正にこの世の悪夢を寄せ集めたような地獄の中、
二人の冒険者が対峙していた。
『やはりブルエレメントとジェットビショップは
死んだか……想定内だな、あの程度の冒険者なら
自治領の士官候補者に掃いて捨てる程いる。』
隻腕の男はそう吐き捨てながら義手を構え、
内部に仕込まれた高周波ブレードを抜いた。
『……俺を奴等と同じような屑だと思わん事だ。』
未来の最高議官に仕える護民官、ツヴァイ……
彼の胸には先の戦争で手に入れた勲章が二つも
吊るされており、その目には覚悟が燃えていた。
「んー……つまり、君を倒したら一つ手柄って事?」
『そうはならん、奴は目の前で大切な仲間を失い、
悲しみに暮れる事になるだろう!』
ツヴァイはブレードを振り翳し、雷を逸らして
ベラドンナに斬りかかる!
キンッ!
ツヴァイのブレードが真っ二つに切断され、
彼の首がずるりと落ちる。
『ぐぁ……』
「悪くなかったよ……でも、彼の方が上手かな。」
ベラドンナは剣を振って刀身に付着した血を払う。
(戦場で緊張の糸が切れた時、君の首も落ちる……)
キィィィンッ!
師の言葉が頭をよぎった瞬間、恐ろしい殺気が迫り
フルーレと義手の仕込み刃が紫色の火花を散らす。
目の前にはたった今、首を刎ねた筈のツヴァイが
五体満足の状態で立っていた……
『成程、これは強敵だ。』
「惜しかったね…悪いけど律儀に遊んであげる程
僕は暇じゃないんだ。友達がメテオリットの首を
欲しがっててさ……早く彼の喜ぶ顔が見たいから、
すっごく、急いでるんだよぉッ!?」
ブレードを弾き返し、後ろに飛んで追撃を躱すと
雷の槍を投擲してツヴァイの放った真空波を相殺、
光速で距離を詰めて激しい鍔迫り合いに持ち込む!
『この瞬発力……模造品とは比較にもならんな、
あのピンチベックと肩を並べるだけはある。』
「……枕は並べてくれないけどね。」
『奴は昔からお嬢様一筋だ……奴の正体は
彼女の作った機械だと、本気で噂になる程にな。』
ツヴァイはそう呟いた。
同期だったが、昔から気味の悪い男だった。
パニッシュメントやクォーツ、クラリドン達が
次々と手柄を上げて名を馳せる中、彼だけが
爪を隠し、脆く小さな玉座の側を選んだ。
小競り合いが起きて、初めてその意味が分かった。
自らの格闘センスに対する絶対的な自信。
魔法使いへのコンプレックスをバネに鍛え上げた
射撃技術と魔術対策、それらを敵の多い環境で磨き、
正体の分からぬ強大な敵との戦いに備える。
彼は今この瞬間の為だけに牙を磨いていたのだ。
今のツヴァイには、まるで自分の事かのように容易く
理解が出来た……
少女に差し向けられた暗殺者が突如消息を断ち、
数日後に首謀者の元へその脚だけが戻って来た。
当時の主人の狼狽振りが昨日のように思い出せる。
馬鹿な蟲人だった……金を渡して無い頭を下げれば
まだ助かる見込みはあったかも知れないのに、
あろう事か更に刺客を送り込んだのだ。
それから更に数日後、男の元に腕が届いたらしい。
その腕は送り込まれた暗殺者のものだったというが
自分では見る事が出来なかった……
その腕がツヴァイのものだったからだ。
ツヴァイは幸運にも見せしめとして逃がされたが
他の者は親族も含めて一人残らず彼に始末されるか
廃人になるかの二択を迫られた。
仲間の仇であるピンチベックを殺す。
全てを失って分かった……
あの男は、完全に狂っていると。
復讐を誓って僅か2年で彼の心は砂地の岩めいて
摩耗し、荒み切っている。ピンチベックは彼の
何倍もの年月を復讐に費やして来たというのだ。
刺剣が悲鳴を上げながらツヴァイの心臓を貫き、
彼の身体が黒く染まって霧散する。
『まだだ……いつまで耐えられる!?』
「ッ!?」
再出現したツヴァイの一撃がベラドンナの腕を
斬り裂き、血が刃を汚す……
「影魔法由来の分身術か……結構苦手かも。」
冒険者の体力は無限大に近いが、集中力は有限だ。
相手は短時間の連続奇襲によって隙を晒し始め、
自分は隠れながら分身を操作し、体力を温存する。
ツヴァイの分身は生き物ではない為、生体電流で
次の動きを読み取る事も不可能な上に精神攻撃も
殆ど効かず、戦闘能力も充分に高い。彼の卓越した
洞察力と剣技によって致命傷は回避しているが、
長期戦になれば不利になるのはベラドンナだろう。
(これだけ強力な術なら、本体は近くにいる筈……
でも影魔法で隠れてるね。)
ツヴァイの攻撃を弾きながらベラドンナは辺りを
油断なく見回すが、それらしい気配は特になく
ただひたすらに死角からの奇襲が迫り来る。
「うぐッ……!?」
ベラドンナの背中に深々と刃が突き刺さるが、
カウンターの斬撃が分身を仕留めた。
『無駄に耐えるな……お前を守ってくれる
仲間はここにはいない。先に地獄で待っていろ、
奴にもすぐ後を追わせてやる。』
全身に傷を刻まれたベラドンナが立ち上がると、
そこには攻撃態勢に入ったツヴァイがいた。
『
ベラドンナ目掛けて三体の影が同時に襲い掛かる!
コォォ……
『何ッ!?』
蛇の威嚇にも似た呼吸音が鳴り、ツヴァイの背が
恐怖と衝撃のフラッシュバックで凍りつく。
「……なーんてね」
一瞬の動揺によって弱まった隠密魔法と
激しく跳ね上がった心臓…如何にツヴァイでも
心臓が発する音と電流は止められなかった。
『しまっ……!』
慌てて身を翻すツヴァイだったが光速の突きは
彼の肩を防具ごと貫通し、義手を両断した。
断面からは火花が吹き出すのを見て、ツヴァイは
絶叫していた…神経の通らぬ鉄の腕に痛みが走り
オイルが血液めいて傷口を濡らす。
『ギャアァァァあぁァァッ!』
痛みではなく、恐怖を紛らわす為に叫んでいた。
腕を斧で切り取られた時の光景、血の匂いまでもが
鮮明に浮かび上がり、口元を覆う布からは絶えず
泡が吹き出していた。
「騙してごめんね?彼よりは楽に殺してあげる。」
ツヴァイの受けた恐怖が鮮明に浮かび上がる。
ベラドンナは相棒の狂気が自分ではなく敵に向いて
いる事に安堵しつつ、ツヴァイの下半身を刺剣で
串刺しにした。彼は潰れた蟹のように泡を吐いて
暫く痙攣した後、熱を失った肉塊となって転がる。
「流石に、君には同情しちゃうな……」
ベラドンナの全身に付いた傷が瞬く間に塞がり
魔力が満たされる……ピンチベックと同じように、
彼は人を喰らう悪魔である。
『スワッシュバックラーだ、見つけたぞ!』
『名を上げる好機だな……』
『貴様の首で恩賞を頂く!』
雷の如し高速で低空飛行するベラドンナを
止めるべく、多数の冒険者が一斉に構える。
「ハハハハッ!前座にしては楽しめそうだねぇ!」
ベラドンナは刺剣とダガーを鞘から引き抜き、
尖った尾から麻痺毒を滴らせて大軍に立ち向かう。
ーその頃、教団本部居住区ー
『司祭様も向かうつもりなら、我々だって!』
『私達が冒険者と戦います!大体ここは我々の
土地でもあるんだ、連れて行ってくれ!』
武器を持った市民達がミストハンドの前に集まり、
彼女を必死に引き留める……強さを疑っているの
ではない。彼女に人殺しをさせたくないのだ。
彼女は古参幹部の娘であり、メテオリットと共に
教団に思想と真の信仰を与えた張本人でもあった。
だからこそ、迫り来る悪魔と対峙する覚悟を以て
単身で居住区の警備にあたっていた……
かつて、母が陥れた男を止める為に。
『……私の血は罪と獣欲で汚れています、どうか
止めないで頂きたい……この場は醜く汚れた血を
洗う為、天が与えてくださった試練なのです。』
「もう貴女を恨んじゃいない!感謝してるんだ!」
『……その慈悲に感謝します。しかし、これは
貴方達に対する罰ではありません。』
ミストハンドは背後に凄まじい怒りと殺意を感じ、
無線機を握り締めてタングステンに命令を下す。
『バリケードに皆が近づかないように遠ざけろ!
今この瞬間から、完全に防護壁を閉じる!』
『しかし……奴に話が通じるとは思えません!』
『憶測で物を語るんじゃない!我々は科学の信奉者…
そして相手は紛れもない人間なんだぞ!』
『やめて下さい!私だけでも出撃の許可を!』
『……何があっても防護壁を開けるな。一対一なら
勝機は充分あるさ……人間の可能性は、無限だ。』
彼女は無線機を握り潰して海に投げ捨てると
拡声器を構え、目の前の影に呼び掛ける。
『ピンチベック、貴方が許すなら交渉をしたい。』
セタンタは縛られ、気絶したトランスィレを投げ出し
ゆっくりとミストハンドに接近する。
「これは質問だが……例えば母親を殺したも同然の
詐欺師が、交渉を求めて来たら応じるか?」
『……普通は、応じない……応じる訳がない。』
「例えば、自分の愛した人々を焼き殺した悪魔が
目の前にいたら、お前はどうする?」
『憎むだろう……もし可能なら、殺す筈だ。
死ぬよりも苦しい思いをさせたいとすら思う。』
「では苦しんで死んでくれ……巫女様の為に。」
ピンチベックは短刀と拳銃を抜き、赫く光る目で
ミストハンドを睨む。
『私は何をされても構わない、だから……
非戦闘員の避難が終わるまで待ってくれ!』
「断る……私はその非戦闘員を殺しに来たのだ。
メテオリットが死ねば奴等が組織を引き継ぎ、妹を
狙い続けるだろう?それも、永遠に。」
『そんな事はさせない、約束する!』
ピンチベックは武器を構えたまま首を横に振る。
「……組織というのは、スライムによく似ていると
思わないか?主要な内臓を潰すと、周囲の細胞が
壊れた部位に取って代わる……細胞を全て殺すか、
主要な内臓を全て潰すかしなければ生き続ける。」
彼の発言は的を射ていた。この男が教団に連なる
下部組織や友好団体、政敵を無数に潰して来たのは
偶然などではないのだとミストハンドは痛感した。
『……子供と老人だけでも、逃してはくれないか。』
「何故、洗脳しやすい子供と知恵のある老人を?
最も生かしておいてはいけない復讐者の卵を何故?
それに……子供はお前達も殺したじゃないか。」
『……虫の良い話だというのは承知だが、頼む!』
ミストハンドは跪いて頭を地面に着ける。
「泣かせるじゃないか。では、こうしよう……」
「中にいる者のうち半分を、お前が、自らの手で
セタンタはまるで買い物でも頼むかのように、
彼女に人殺しを要求した。さも素晴らしい
提案をしたかのような口振りで彼は話を続ける。
「敬愛する聖母様が寝返り、愛する子羊に牙まで
向けるのだ……さぞかし絶望的だろうな、再起や
復讐どころか生きる事すら諦める者もいる筈だ。
勿論、お前の事も見逃してやろう……」
『冗談はやめてくれ、貴方にまだ……』
ズドォンッ!
銃口が火を噴き、赤熱する弾丸がミストハンドの
真横を掠めた。
「よく考えろ……死ぬ程の価値がある話か?
奴等がお前を本当に尊敬しているなら、己の首と
引き換えてでも助けようとする筈。」
『……彼らは我々のように物質的な力を持たない、
強者として生まれたからには守る義務がある。』
「奴等はその義務とやらに甘えているだけだ……
借り物の思想に酔い、借り物の力に頼るクズ共が
何人生き残ろうが、この腐った世界は救えん。」
『……無意味に奪われる命を無くしたいだけだ。』
「その顔で綺麗事を抜かすとは笑わせる……誰かは
知らんが、貴様も首を刎ね飛ばして殺してやろう!
俺の母親がそうして殺されたようにな!」
ピンチベックの右脚は黒く禍々しい瘴気に覆われ、
真っ赤な右目からは血の涙が溢れ出した。
『やはり……やるしかない!』
ミストハンドが杖を振ると、一寸先も見えない程の
濃霧が島全域に一瞬で拡散した。それだけではない、
凍死したと思しき海鳥が次々と地面に降り注ぎ
海面には失神した魚が浮かび上がっている!
「厄介な能力だと聞いたが……確かにお前は優先して
殺しておかねば、戦局にも関わるようだ。」
熟練者の扱う氷魔法には及ばないが、それでも
軽装の兵士であれば一時間と持たずに凍りつく
超低温の戦闘領域、それがこの霧の正体である。
『ここから先は通さんぞ、セタンタァ!』
「俺をその名で呼んで良いのは仲間だけだ。」
ピンチベックの跳び蹴りとミストハンドの拳が
激しくぶつかり合う!互いに反動で吹き飛ぶも
僅か数秒で斬撃と打撃の応酬が始まる!
「シュウッ!」
ピンチベックは素早い足捌きでミストハンドの
拳を躱して側面に回り込み、回し蹴りを叩き込む!
『……ぅ』
骨を直接ヤスリで削られるような痛みと不快感が
ミストハンドを襲うが彼女は気力で耐え抜き、
聖なる光を纏った右拳を振り下ろす!
『
上段からの抉るような打撃がピンチベックの胴を
捉え、地面に叩きつける!
「やるな」
ピンチベックは自身の肋骨に亀裂が入った事を
察しながら、手にした拳銃の引き金を引いた。
至近距離での銃弾を防ぐ事には成功したが、
激しい閃光と爆音に晒されたミストハンドは
大きく怯む!
「シュゥウッ!」
ピンチベックはミストハンドの間合いから逃れ、
細菌が塗布された鉄針を投擲!
『くっ……壁よ来たれ!』
ミストハンドも咄嗟にシールドスペルを展開して
鉄針を弾き返すが、ピンチベックは想定内らしく
弾かれて宙に浮いた鉄針に狙いを定め、残った
最後の銃弾を放ってリロードする。
『拙い!』
鉄針に命中し軌道の変わった銃弾はミストハンドの
足元で跳ね返り、彼女の喉元に飛び掛かる。身を
翻してこれを回避したミストハンドだったが、
その隙を見逃すピンチベックではない!
「首はまだだ、せいぜい苦しめ……」
「
鞭のような回し蹴りが秘孔を正確に撃ち抜く。
一度ではなく、ニ度、三度と繰り返し蹴りが
放たれ、苦痛が増してゆく。
『う……あ、ぁぁ……!』
負の感情で汚染された”気”が傷口から血管に
入り込み、神経や内臓に伝達、反響する感覚。
それは体内で無数の蛇が暴れ回り、鱗によって
臓器が削られるような、恐怖すら伴う痛みだった。
蛇鞭自体は彼女のよく知る技であったし、伴う
苦痛に反して実際の威力が低いのも知っていた……
元は相手を極力傷付けずに捕らえる技だからだ。
だがこの蛇鞭は違う。並の相手ならば痛みだけで
死に至るのが容易に想像出来る……事実、彼女は
拷問に対する訓練を充分に受けていた。軍人でも
彼女の口を割るのは簡単な事ではないだろう、
治癒の奇跡を応用すれば痛覚も制御出来る。
(この痛み、リーシャが操る蛇鞭の比ではない……)
ミストハンドは立ち上がりながら実感する……
Sランク冒険者にも迫る実力を持っていた師を、
己の友を打ち破り、亡き者としたのはこの男だと。
怒りをバネに意識を平常値に戻し、構えた。
『リーシャは、貴方に何と言っていた……
彼女は死地に赴く時も、貴方を案じていたぞ……!
我々に何をしようが構わない、だが彼女を愚弄する
行為は断じて許さん!彼女は我々の仲間で、貴方の』
「殺して下さい」
『………!!』
「それが彼女の言葉だ、最期のな。弟として盃を
交わしたのは事実だが、メテオリットの走狗に
成り下がったあの売女に未練はない。」
『……彼女がどんな気持ちで自分の家族を、弟を
止めに行ったか、分かるのか!?殺さずとも
捕らえておけば彼女は自首した筈だ!それを……
それを、貴様!!』
「どうした?まるで自分も似た境遇だったと
言わんばかりの怒りようだな……例えば、」
「メテオリットに詐欺師の母親を殺させたとか。 あぁ……悪い、トドメは自分で刺したらしいな。」
怒りで赤くなった彼女の顔が、一気に蒼白になる。
『え…なんで……それを……』
「お前の親友のリーシャから、”聞いた”。
7本目の指を潰した後に話してくれてな……
深く同情するよ……お前は親友に売られたんだ。」
『……そんな筈がない、あのリーシャが仲間を…
保身なんかの為に私を売る筈がない!』
「では、どうして私が息子の存在や隠し部屋の
場所、警備兵の巡回ルート、情報を引き出す為に
必要な20桁以上の暗号を知っているんだ?」
『何をしたら、彼女が……何をした!貴様ァ!』
再び、光を纏った拳がピンチベックを襲う!
ベラドンナの剣技にも匹敵する速度で迫る死を、
殺人的な怒りを込めた拳を彼は避けない……
彼女の攻撃を回避する事は不可能だと確信する。
それ故に、彼は鉈を構えた。
「
かつての若い騎士が彼の肉体に乗り移り、
鉈が放つ瘴気が古びた剣の幻を浮かび上がらせる。
『あの世でリーシャに……詫びろォッ!!』
光を纏った拳が爪を立てるように開き、一瞬で
ピンチベックの胸を抉り取るように引き裂いた!
『
全く同じタイミングでピンチベックも至近距離の
飛ぶ斬撃を放ち、ミストハンドを叩き斬る!
「
ピンチベックは自分の影が削れた事に気付く。
胸部を守っていた右の肋骨は全て砕け、幾つかの
内臓は傷つき腎臓が潰れていた為に彼は血を吐き、
攻撃の余波で外れた右腕の関節を付け直すと
彼はもう一度血を吐いてから背後を振り向いた。
『うぅ……ぐ……』
ミストハンドも同じように致命傷を負い、左腕と
脚を折られ、腹に風穴を空けて倒れていた。
『待て、行くな!』
飛び散った肉片や砕けた骨を傷口に詰め、その上から
きつく巻いた包帯を針で皮膚と縫い合わせていた
ピンチベックを、ミストハンドが呼び止めた。
「俺もまだお前に用事がある。」
『な、何を……うわっ!?』
彼はミストハンドの傷口に手を入れるとメスで
肉を切り裂き、小さな球状の物体を取り出した。
『それは……』
セタンタはそれを水平線の向こうへ放り投げる。
暫くして、巨大な水飛沫が起こった……彼は
無線機のボタンを押し、誰かに報告した。
「俺だ、指示された通りにやった……本当は殺して
やりたかったがな。」
『あれは何だ!?どうして分かった!?』
「爆発を見逃したのか?爆弾以外ないだろう……
メテオリットは人を見る目があり過ぎたらしい。
善人ばかりで世界を牛耳ろうとするとはな……
だが、リスクを把握していた点は見事だ。」
ミストハンドは暫くの間呆気に取られていたが、
状況を飲み込むと酷く落胆したようだった。
『自分なりに、よく仕えていたつもりだったが…』
「いい気味だ、お前を活かしておいて良かった。」
『本当は助かって良かったと思っているでしょう?
貴方、意外に面倒見が良いですから。』
「ベラドンナを助けたのは角を煎じ薬にする為だ。
実際、それなりの額にはなった。」
『それ僕の提案だったよね?最初反対してたし。』
『本音は?』
「ここで見捨てたら、俺のようになると思った……
全くの逆効果だったようだが。」
『別に君みたいになりたいとは思ってないよ?ただ
君の事が好きになっただけだから安心して!』
「……俺は、お前のようになりたかったよ。」
ピンチベックは感傷的に呟いた。
かつての自分が出来なかった事を次々と
成し遂げ成長していく姿は、余りにも眩しい。
その恵まれた環境や能力を妬む事もある。きっと、
彼はその事も知った上で自分に接するのだろう。
『そっか……尊敬する君からそう思われるような、
素晴らしい僕にしてくれてありがとね!』
「……おい」
『何、僕に惚れちゃった?』
「残念だが違う……が、少し危なかったかもな。
南東に所属不明の人影が向かっている、用心しろ。」
『……分かった、気をつけるね。』
ピンチベックは無線機をしまい、ミストハンドに
向き直った。
「立てるか?」
『あぁ、治療は粗方済んだ……その……』
「彼らを常に、よく監視しておけ……それから、
下らない嘘をついて悪かったな。」
『………本当に、良いのか?』
ミストハンドに縛り上げたトランスィレを押し付け、
ピンチベックは続ける。
「良い訳がない、顔を見るだけで殺意が沸く。
俺の気が変わらんうちにさっさと行け………」
『お礼の言葉もない、恩は必ず返すと約束する。』
「二度と顔を見せるな。」
ピンチベックはベラドンナを支援すべく彼のいる
方角へ走るが、そこへ二人の夢魔が立ち塞がった。
金細工が施された宝石の眼には明確な殺意が宿り
額には青い血管が浮かんでいる。
『お久しぶりね、ピンチベック……』
「クラリドン……魂だけで逃げ延びたか。」
『何か勘違いしているようだけど、あの人が
あんたみたいな下等生物と対等な訳ないから…』
「あの人、あの人……あの人?」
『馬鹿にしやがって!あのベラドンナ様が……
こんな、鉄仮面のゴミクズゲス野郎とぉ!
やっぱりアイツが偽物だったんだわ!』
「…ベラドンナがどうかしたのか?」
『ベラドンナ様っ!あの下等生物、アイツが
さっき話した偽物の仲間なんです!』
『…………へぇ。』
もう一人の夢魔がフードを上げると、そこには
ベラドンナに瓜二つの人物がいた。
「フン、懲りずに二つ目の玩具を作ったか……
どうやら、お前を壊すのに遠慮は不要らしい。」
ピンチベックは仮面の下で牙を剥いて笑う。
「久しぶりに遠慮なく楽しめそうだ……!」
第106幕 完