血と灰の匂いが鼻を突く…私は地獄に落ちたのだろうか?それとも、煉獄の火の中、私は生まれ変わるのだろうか?その疑問は、すぐに解決された。私は列車の中にいた。
『あ、起きた?』
「……あぁ…」
『やっぱり、痛いよね…』
「……あぁ…」
アブホースが休眠状態に入ったのか、痛覚が抑制出来ない。傷は塞がれているが、治癒魔法の反動で全身が筋肉痛な上、治癒魔法は痛みを完全に取り除けない。まともに歩けるかどうか怪しい。腕の感覚も麻痺しているようだ。
「今、どの辺りだ…基地まで、何分掛かる…」
『…相変わらず、頑丈ですね…あと3日は掛かりますよ…』
カラドリウス議長が、私を睨んでいる。そして、口を開いた。
何で!また!同じ事を繰り返すんですか!しかも!治療記録を見れば!15箇所の銃創!腕は片腕だけで30針縫うし、治療前の肋骨と右腕の骨は露出!内臓も2つ損傷!捻挫と打撲、骨に入ったヒビは合計で52箇所!おまけに700ml以上の出血!どんな戦い方をすればこんな無茶な怪我をするんですか!
「…申し訳ありません…しかし…敵は捕縛出来たでしょう…?時は充分に稼いだ…筈。」
『…出来ましたよ…でも…こんな怪我してまで…』
「だが…貴女の…声がまた聞けて…良かった…あの二人…釈放したのは貴女の判断でしょう…?…お心遣い…感謝致します…」
『…上官が部隊の生存を優先するのは当然の事です。…何より、貴方が多大な戦果を上げ、多少のトラブルは起こしつつも帰還した事を…何よりも、何よりも嬉しく思います!』
「光栄…です。この…ピンチベック…これからも…貴方に…」
『もう無理しないで…喋らなくていいから…暫く休んでください…お説教はそれからにしましょう。』
「栄光ある…最高議会と…勤勉な…自治領の人々…に…敬礼…」
『ふふっ…斥候の頃から変わりませんね…頑固で…偏屈で…無茶ばかりする。酷い人です…』
ここで彼の意識は泥の中に沈んでいった。失って久しい、あの修道院に近い暖かさを、微かに感じる…
カラドリウスは、彼の目が疲れで閉じるまで、その目をじっと見つめていた。その後、まるで母親がするように布を掛けてやった。
(思えば、彼は早くに両親を亡くしているらしいですね…無理ばかりするのは、今まで助けてくれる人がいなかったから、頼り方を知らないのでしょうか…)
年齢的には、カラドリウスはピンチベックの一回り年下といった所だろう。自分と同年代とは思えない、感情すら伺えない程爛れた片側の顔。もう片方も傷だらけで一部はケロイド状になっている。唇も欠損し、剥き出しになった乱杭歯。余りにも痛ましい、だが見慣れた顔。世襲の無能だと謗られ、見下されていた彼女の初めての部下が、彼だった。周囲からしてみれば、醜い冒険者もどきを使えない同僚に押し付けた筈であった。だが、彼は復讐と狂気のまま、危険な冒険者や敵将校の暗殺に顔色一つ変えずに赴き、ゲリラ戦の際に森林地帯で現地の上官に使い捨てられた時すら生還した。その上官の部隊は半壊、上官本人も不審死を遂げたにも関わらず……
単なる悪運の強さではない、決して現状を楽観視しない用心深さと狡猾さ。一般的に汚れ仕事とされる敵兵への拷問を任された時さえ、彼は自治領への忠誠と人類種への対抗心を証明する絶好の機会だと言い、拷問の経験すら無いのに僅か2日で敵兵から情報を引き出した。とにかく常軌を逸した精神力と残虐性の持ち主だった。
そんな男が、仲間を見捨てずに、命懸けで任務を遂行した。長い付き合いだ、嬉しく思わない筈がない。確かに、ドス黒い狂気の中に僅かだが人の心が蘇りつつあるのだ。
カラドリウスは、彼の頭をそっと撫でた。何故だか、そうしなければいけない気がした。
「……」
彼の唇の無い口元が微かに歪む。彼をよく知る人物でなければ、彼が笑った事には気づかないだろう。
もう夜も遅い。カラドリウスは彼の眠りを邪魔しないように、別の車両に移った。
入れ替わりに、ペラドンナがやって来る。
『…頑張ったね…これはご褒美…これくらいしか出来ないけど…』
ペラドンナは彼の頬に手を添えると、何かを念じた。人の悪意や欲を操作する能力に長けたペラドンナは、彼の欲望をすぐに理解した。それは家族だと。暖かく純粋な愛情だと。自分は家族にはなれないが、暖かい家族の夢を見せる事は出来る。せめて、夢の中での平穏と家族なら、神も赦すだろう。
『…随分とお優しい事だな…』
『優しくしたら、駄目?』
『こいつは、俺達を殺そうとしたんだぜ?あいつも負い目に感じてる。そっとしておいた方がいい。』
『そう…でもね、僕は彼に助けて貰った。それに、君やビクトリー君が助かったのも、彼が時間を稼いだからでしょ?』
『ま、否定はしない。だが、金にもさして興味が無さそうな魔族のお前が、どうして奴の計画に手を貸す?昔の友人か何かか?それにしちゃあ、奴の普段の態度は味気ない気がするが。』
『友達…かな?』
『話したくないなら、詮索はしないさ…俺は金が欲しいだけなんでね…何しろでかいヤマだからな…義理は通す。信頼ってのは金になるし、金ってのは信頼できる。』
『旦那とは気が合いそうやな!しかし…もう一働きしてもらう事になりそうや…』
見ると、列車の付近に多数の影が!囲まれている!
「…敵襲か…私…も…」
ピンチベックが起き上がる。だが痛みと骨へのダメージで真っ直ぐ歩く事すら叶わない。
「…せめて…囮に…」
壁を伝いながら、扉へと急ぐ。
安静にして下さい。わ か り ま し た か ?
「しかし…私は悔しい!この状況下で何も出来ない自分が…憎い!」
『貴方は充分役に立ちました…私達にも、見せ場を下さい!』
カラドリウスが纏うオーラが変わる。目は医療者の物から、多数のゲリラ作戦で戦果を上げた若き名将の目へと変わり、車内の通信機で全員に召集を掛ける。
『総員、速やかに戦闘準備!これより本車両は迎撃体勢に入る!死力を尽くし、敵戦力を殲滅せよ!忘れるな!正義は我々の側である!全力で生還せよ!自治領、万歳!最高議会、万歳!』
『冒険者を優先して殺せ!低級な魂を滅ぼせ!我々の信仰、その力を奴らに示すのだ!』
『寝る前の運動と行こうか!熱い一夜になりそうだぜ…前戯無しで心臓に鉛玉ぶち込んでやる!全員地獄行きだ!行くぞお前ら!』
『一人殺る度に金貨3枚、今回の報酬に上乗せや!大盤振る舞いやぞ!やる気出せ!冒険者なら一人につき金貨30枚払ったる!略奪品も全部殺った奴の物や!』
『僕達の活躍、そこから見ててね!出来れば僕だけ見て欲しいけど…♡』
『お前らだけに任せたら儲けが半減や!しかし久しぶりの実戦やなぁ!血が沸いて来たァ!全員鎖鎌の餌食にしたるから覚悟しとけ!』
『貴様!ここで会ったが100年目!我が錫杖の錆にしてくれる!』
『いい女…上玉だ!精々楽しませてもらうぜ!』
『二人とも…この戦い、絶対に勝ち、生きて帰るぞ!』
タングステン、フェザーダンサー、アイアンクロスが重装甲巨大馬車から馬に乗ってそれぞれの車両に飛び移る!
『お兄さん…僕と一緒に踊ってくれるかな…?拒否権は無いんだけどね…♡』
『自分らから剥いだ装備、再利用させて貰うで!白星に黒字、帳簿にはっきり付けるさかい、死んでくれると有り難いなぁ!』
『生きて帰る…尻尾を巻いて逃げ帰るの間違いだろ?お前達を殺し、副賞の金貨30枚は俺の物だ…』
一瞬の内に列車は戦場と化した!最初に動いたのは三番車両のフェザーダンサーだ!改造鋼鉄グローブから蒸気が吹き出し、拳が加速する!
『シュッ!シュシュッ!プシュシューッ!』
『うわっ!』
風を薄く纏い、これを回避するストゥーピスト!そのままの姿勢から投石で牽制!しかし鋼鉄グローブに砕かれる!
『プシュッ!シュシューッ!あの紫装束の女は俺の物だ!』
『言ってろ、この腑抜けが!ピンチベックの話じゃあ、冒険者ですら無い女に邪魔された挙句、銃弾のキャッチに失敗して死んだと聞いているぞ!そのケチな鉄屑で何が出来る!』
『抜かせ!俺はこの強化蒸気拳で生まれ変わったのだ!不覚は取らん!』
『じゃあ今取らせてやるよ!』
ストゥーピストがショットガンで反撃!しかし鋼鉄グローブの表面が少しへこんだ程度だ!カウンターを銃身で弾き、素早くサーベルを抜刀し構える!
『お前を殺し、ピンチベックを殺し、あの魔族の女を手に入れる!あの時は思わぬ加勢で集中を削がれたが、一対一ならばあの男も怖くは無い!よもやお前など野良犬同然よ!』
『それならば野良犬に噛まれ、狂犬病で死ぬがいい!お前達全員を皆殺しにし、俺の懐に入る金貨は実に90枚よ!』
『言わせておけば!プシュシューッ!』
水蒸気を吐き出しながら、信じられない速度でジャブを連発する。これをサーベルで弾くストゥーピスト!しかし徐々に押されていく!
『どうした!どうした!さぁ反撃してみろ!』
一秒間に10発のパンチが、絶え間なく繰り出される!しかもその一発一発が殺人的な威力を誇るのだ。一般人が受ければ骨ごとミンチ肉にされているだろう!パンチの衝撃波で車両のフレームが歪み、ガラス窓が割れる!凄まじい連撃で呪文の詠唱が出来ない!
『ガ…ッ…』
連続パンチが腹部に命中!激しく吐血するストゥーピスト!
『貰った!死ねぇ!』
『なぁ、あんた…対費用効果って…知ってるかい…ゲボォ!』
ストゥーピストは血と胃液のカクテルを吐き出しながら話す。
『今更何を…な、何だ!おわぁーっ!』
歪んだ列車が大きく揺れる。木か何かにぶつかったようだ。大きくよろめくフェザーダンサー!戦場がコームが手配した高級車両だったのが災いした。美観の為ワックスがけされた大理石の床全体に吐瀉物が散らばったのだ!足を滑らせてフェザーダンサーは転倒!しかし、ストゥーピストは指一つ動かさない。
『どんなビジネスにもよぉ、少なからずリスクってモンがある。だが俺はそのリスクを承知で金を稼ぐ。分かるか?』
ストゥーピストの足元には、砂の絨毯が敷かれているではないか!歪んだフレームと割れ窓の隙間から風と車輪が巻き上げた砂が侵入していたのだ!しかし待って欲しい。砂は何故一定の場所に留まったのか?大理石の床全体がワックスがけされているのではないのか?
ストゥーピストは蹴りでフェザーダンサーを後方車両まで吹き飛ばす。
露出していた肌が穴だらけになる!そう、スパイクである!スパイク付きのブーツは大理石の床を大きく削り、そこに堆積した砂と吐瀉物が合わさって固まり、スパイクの滑り止めも合わさって彼を地面に留まらせているのだ!
『こりゃ半分偶然だがな…運が無かったと諦めてくれや…!』
金糸の編み込まれた黒いターバンから蛇のような冷たい目が覗く。
『こんな事はありえない筈なんだ!旧時代の戦争兵器だぞ!何故サーベルに遅れを取る!』
『敵に答えを求めるか?おっと、答えが出たな。お前が考える頭の無い馬鹿だからだ。居るんだよな、お前みたいな周りの評価を真に受けて勘違いする奴。実際俺もそうだったし。第一、お前みたいな養成校上がりのガキが俺様に勝てる訳が無い。吟遊詩人の与太話でしかあり得ない事なんだよ!』
『俺は…俺たちはあの力を…ここで倒れる訳には…』
最後の力を振り絞り、ストゥーピストに殴り掛かる!だが拳の勢いをショットガンの射撃で殺した後に受け流す!そのまま鋼鉄グローブとの接合部を切断!右腕から鮮血が迸る!生じた隙にサーベルを腹に突き刺した!そのままサーベルを捻り、内臓を破壊する!
『あぁあぁぁぁぁぁ!!まだ終わらないのか!タングステン!アイアンクロス!助けてくれぇ!あぁぁぁぁぁ!!』
『静かにしろよ…ピンチベックが起きちまうだろ…』
『あっ…』
サーベルで首を切り落とされ、フェザーダンサーは絶命した。
『生身なら冒険者でもこれくらい簡単に斬れるモンなのか…高い金払った甲斐があったぜ…』
断面を確認しながらストゥーピストが感嘆の声を上げる。オリハルコンを使用した合金製サーベルは骨まで切断していたが、刃こぼれ一つしていない。棚から乱雑に酒瓶を取り飲み干す。
『まず30枚…次行くか…』
第21幕 完