『アァぁあ…殺ス…殺スゥゥ!』
「何だ…!?この前とは違う…最初から理性が無い!離れろ!遠距離から飽和攻撃で削り取る!」
『早く逃げた方が……』
「だが人質を抱えたままでは奴の身体能力に対抗出来ん…後ろからミンチ肉にされるのがオチだ。この偽物を捨て置けば行けるだろうが…どうせ見捨てないのだろう…?」
『やっぱり優しいよね、君って…』
「人間性が半端に残っているだけだ。別に褒められた事ではない。」
『それが優しいって言うんだよなー…何で意地張る訳?自分を卑下するのは良くないって!』
「…君を最後まで信じてやれなかった…これはとても恥ずべき事だ。それにアイアンクロスとの戦闘では要らぬ心配を掛けた。元より私には身に余る事だったのだ…それを当たり前だと思っていた。」
『本当、真面目だねぇ…』
ペラドンナは人間の悪意を増幅させる能力と、冒険者としての高い才能に目覚めてから、全てが悪い方向に向かっていた。芸能界進出、英才教育、精神鍛錬、格差、そして周囲からの異常な期待。まだ幼かった彼は、プライドで身を固め、心の中で周りを見下して自分を保つしかなかった。
増長の末に出奔し…厳しいノルマや期待から逃れたい気持ちもあったかもしれない。だがそれで終わったと思っていた。だが、傷だらけで自分を守ってくれたあの若い冒険者が全てを変えた。このまま流されるだけだと思って過ごしていた日々が、彼の背中を追う有意義なものに変わっていた。
生まれも育ちも、お世辞にも良いとは言えない。しかし過酷な現実に折れずに世界に爪痕を残そうと必死に足掻く、芯の通った気高い狂気。自分より遥かに強く賢明に思えた。自分が人の羨望の的たる美しい華ならば、その男は大樹の膨大な生命すら吸い上げ、岩をも割る強靭なイバラであった。
側から見れば愚かであったかも知れない。だが少年は人生の大半を暴力や差別に晒されて尚、完全に人間性を喪失していない彼を尊敬すらしていた。あの過酷な旅の中、自分を犠牲にしながら、追われる身でありながら絶対に自分を見捨てなかった男の事を、片時も忘れる事は無かった。だから家に帰って来た時、初めて自分の意思で言えた。
目標が出来た。だから自分の事は自分で決めたい。
自分の手で人を救い、自分の目で世界を見たい。自分の翼で世界を回りたい。
この力は誇るものでも、重荷でもなく、人の苦しみを理解し、正しい方向へ導く為のものだ。与える為の力だ。
『彼を連れて、撤退してくれるかな…?僕でも行けると思うからさ…』
「…無理だな。私が手を血に染めたのは、これ以上この手から何も落とさない為だ…私と同じ過ちはさせない。」
『…控えめに言ってさ……やっぱり君、最高だね!』
「…単なる卑怯者だよ、私は…だが君が望むならば、最高になるのも悪くない…疑った詫びもある。存分に頼れ!」
『そういう所が最高だ!最高と最高、熟練と天才を合わせて僕達は最強だ!』
「クハハハハハ!!それは良い!エント自治領にピンチベックあり!奴らに知らしめてくれる!」
『グルルルオォォォォォ!』
バンディーアの鉄塊めいた殺人的パンチ!音の数倍のスピードで迫る!二人は寸前で散開しながら回避!そのままバンディーアの周囲を高速旋回!いかなる達人でも二体一は実際厳しい!
「……任せたぞ。」
『OK!』
ペラドンナの角が淡い紫色に光る!バンディーアは油断なく警戒を続ける…だがそれは囮だ!ピンチベックは隻腕とは思えない巧みな関節制御で拳銃の反動を殺し連射!だがバンディーアは巨大に見合わぬスピードで移動、ダメージを軽微に抑えた!
『!?』
そう、抑えた筈だった。ペラドンナはシールドスペルでピンチベックの放った銃弾を弾き、跳弾を当てに行ったのだ!見事に命中!しかし高い耐久力で大したダメージにはならない!バンディーアはピンチベックに向き直り、破滅的なキック!何とかガントレットで打撃を逸らすが片腕ではバランスが悪く大きく体勢を崩す!そのまま左脚を掴まれる!
『グ…グス…グォォオォオ!!』
「……元より躊躇など無い。やれ!」
ピンチベックの足から嫌な音が漏れる。圧縮された足から大量の血が噴き出た!ピンチベックは腰に手を伸ばそうともがく!
「ぐうぅあぁあぁあぁ!!やれ!ペラドンナ!私ごとやれぇ!」
『……でも…』
「私は死なん!だからやれ!天才ならば出来る!」
『…分かった!やるだけやってみるよ!僕は天才だからね!』
ペラドンナはシールドスペルを両手で詠唱、中腰姿勢から左腕を後ろに回す。そして…おぉ、何という事だ!ペラドンナの角が輝きを増すと同時にシールドスペルが激しく帯電!バンディーアは予備動作に気付き止めようと殴りかかるが…
「……死なんと言った筈だ!」
ピンチベックの手が拳銃に届いた!躊躇なく自分の左脚を撃ち抜き、蜂の巣にする!そのまま右脚で踏ん張り、左脚を引き千切って跳躍!次の瞬間、ペラドンナが殺人的シールドスペルを投擲!バンディーアの腕を斬り飛ばし、シールドが胸に突き刺さる!バンディーアは卒倒!
『う…あ……ぁぁ…』
「……良く…やった…流石天才様だな。」
『早く止血しないと!』
「いや、撤退が先だな。今なら鼠一匹で我が隊は壊滅する。」
『でも!』
「……苦しむ姿は見たくない…か。」
『…うん。』
「…手早く済ませろよ…」
『……その必要はありません。』
「…なっ……わざわざ連れて来たのか……護衛も無しに……」
『え!?知らないよ!』
カラドリウスの怒りを込めた張り手がピンチベックを襲う!そのまま乗って来た武装馬車にピンチベックを投げ込む!
「…な」
『この……この…馬鹿!私がどれ程心配したと思っているのです!本当に無理ばかりして!そんなことでは妹さんが悲しみます!』
「…一人で来るとは何という無茶を…」
『80人相手に一人で挑む方が無茶ですよ!あなたの腕が転がっているのを見た時は心臓が凍りつく思いでした!もう今日という今日は許しません!』
「……何故そこまで下賤の生まれである私を心配するのです!貴女は私の顔を数ヶ月前まで知らなかったのだ!今まで仮面を装着することを義務付けられていたのに…貴方は私の仮面を自分で…」
『…いいですか…私は……貴方の事は嫌いではありません。寧ろ貴方の良い友人で居たいと思っています…それに貴方の事をペラドンナから聞いて、側に置くに足る人物だと改めて思いました。』
『…今度無理したら、岩に縛りつけるからね!』
髪をたくし上げ、角を引っ込めてペラドンナが笑う。玉鋼のダガーで包帯を切っている。刀身にはローデリウスの名が刻まれていた。それはもう何年も前に彼が人に渡した筈の物だったのだ。
「………全く、冗談にしては随分と出来がいいな。」
『”された方はずっと覚えてる”からね。嫌な事だけじゃないよ…♡』
「…君達魔族からすれば、人間など海の魚、単に珍しい生き物に過ぎんのにな…義理堅い事だ。」
『まぁ友達だから…上脱いでね…って…うわぁ…肋骨見えてるよ…これ痛くないの…?』
「凄く痛いな。だが痛覚はある程度抑制出来る。私は半ば亡霊に近い。単純に慣れて…痛っ!」
『やっぱり痛いんじゃん…無理するから…』
「…うっ……!消毒液の量多くないか、それ…」
『無理した罰です……私をこんなに心配させた罪は重い。』
「帰還したらゴーレム技師に”右腕”を作って貰う必要があるか…動物肉からの生成は非常に時間が掛かる。手首にチタンブレードでも仕込んで…いや、いっそのこと巻き取り式ハープーンでも…」
『……………』
「…事態は一刻を争うのです…どうか。」
『予備の腕と内臓、培養済みのスペアは既に何本か準備してあります…貴方の事だから、どうせ止めても無駄でしょう?』
「…………」
ピンチベックはまだ無事な右脚を器用に使って無言で跪き、震える手を顔の前で合わせた。
「……貴方様を脅かす裏切り者の首、必ずやお持ち致します。」
『…一つ質問を。その”モンキーモデル”貴方ならばどう致しますか…?』
「……我が同志を侮辱した罪は重い……」
ピンチベックは、ペラドンナの方を見て続ける。
「…しかし、それは自分が決める事ではない。きっと私では友人を侮辱された事で、まともな判断は出来ないでしょう。ペラドンナの意見を尊重します。彼は私より穏やかで思慮深い。」
その声は怒りに震えていたが、確かに彼はそう言った。カラドリウスの無機質な複眼からは感情を伺えない。最初で最後の謁見の時と同じくらいの緊張が走る。
『…貴方は不言実行の体現者ですが…以前から少々熱くなり過ぎる所がありました…しかし…貴方は変わったのですね。無理に冷静を装わず、認めた人間に判断を委ねる…頼るというのも大切ですよ。その心掛けを忘れないように。”人間”は一人では生きられないのですから。』
「……はっ…!」
『それと…次の任務は、恐らく我々にとって大戦以来の試練になるでしょう…多くの同志、戦友を、その手で討つかも知れません。』
「…私は、我が忠誠を示す、最大の機会と見ております。」
『……ではもし、妹さんが人質に取られた場合、貴方はどうしますか?』
「…………それは」
『敵を倒して、リディアちゃんも助けます!僕達二人なら出来る筈です!』
「……な!?…申し訳ありません!私の指導不足です!責任は私に!おい、不用意な発言は…」
『………頭を上げなさい。』
「…………はっ!」
『…それが理想的ではあります…そして、私は自分の理想を意見として表明出来る人間を、大変好ましく思います。我々も協力を惜しみません。』
「……………」
ピンチベックは無言で頭を下げた。その黄金の目には、確かに闘志の炎が燃えている。敵は強大、全面対決は避けられない。
第42幕 完