『……限界か…無理も無い、最初から此方の方が有利だったのだ……』
ピンチベックは膝を付き、腕で必死に身体を支える。強い…敵は純粋に強くなっていた……彼の超人的な耐久力でさえ、毒ガスを完全に無効化する事は出来ない。近距離戦に頼ったのだ敗因か…だが、まだ彼は諦めない。糸で引かれたように立ち上がり、ダガーを構える!
「…かつて人を人とも思わず殺し続けた。だが…あの方は私に目標を……使命を与えて下さった……そして彼らは………私の希薄な人間性の…最後の寄る辺となってくれた……ここが命の張り所よ……!」
『そうか……しかし、だからこそ私は貴様を倒す!もう、これ以上お前のような人間を増やさぬ為に!』
「…抜かせ…!メテオリットを殺し、司祭の命も頂く!貴様は前座に過ぎん……弁えよ、下郎!これが我らの道よ!」
『……戦士として敬意を表する。だが、この乱世を治めるという大義、貴様には邪魔させない!ピンチベックよ、我々の敵に支えたのが、貴様の唯一にして最大の咎だ!贖罪せよ!』
ピンチベックはダガーで拳を弾く!しかし毒は彼の全身を蝕み、やや動きが鈍る!しかしギフトブレイズも完全な無傷ではない上、集中力が減衰!ピンチベックの予想外の粘りに、疲労の色を隠せない!だが両者の闘志、未だ衰えず!
「……次の一手で決めようとしているな?その判断は正しいぞ。」
『…来い。貴様の渾身の一撃、そして私の会心の一撃、どちらが上か、決めようではないか。』
ピンチベックは帽子のずれを正すと、ダガーを水平に構え、回転斬撃に見せかけて一瞬でガントレットの鉤爪を展開!回転の勢いを乗せてスクリューブローを放つ!残虐かつ狡猾なフェイント攻撃だ!
ギフトブレイズはこれに炎を纏った回し蹴りで対抗!独楽めいた超高速回転で炎の勢いを増し、空中に跳んでから城塞すら微塵と化す一撃!
「『イイィイイイィイィヤァアァアアァア!!』」
ギフトブレイズの蹴りがピンチベックの首筋に直撃!不快な水音!勝負あったか!?
『………成程……』
ギフトブレイズは自分の内臓を深々と抉る黄銅色の金属片を見て、感嘆の声を漏らした。ピンチベックは敵の大技を見て死すら覚悟し、鉤爪を射出していた。ピンチベックは何も言わず倒れた…仮面は粉々に割れている。恐らくは首を保護する為にずらしていたのだろう。ギフトブレイズは改めて敵の判断力の高さに感心した。
『……見事だ…カラドリウスとやら…は……配下に…恵まれているようだ……』
「……痛み分けだ…自治領の税金がまた無駄になったな。」
ピンチベックはへし折れた歯を数本、血溜まりと一緒に吐き出した。爛れた顔が、鋭い一筋の眼光が、ギフトブレイズを見据えている。ギフトブレイズは自分の血に汚れた面頬の下で笑った……だが直ぐに笑顔は消えた。瘴気を放つ拳を不恰好に構える。
『……毒か…私を相手にしたのはお前の最大の不幸だな。そして貴様を相手にした私は更に不幸だ……』
「…折角即効性の毒を使ってやったのに人の善意を無碍にするとは……カルマとやらは当分減らせないようだな……カハッ……」
『…あぁ……済まないな、次で楽にしてやろう…せめてもの詫びだ。』
互いに形すら覚束ない構えを取り、血を口元に浮かべながら覚悟を決める。だが、突然二人を霧が包む。
『良くやった、ギフトブレイズ。さて……ピンチベック殿、大人しく降伏して頂きたい。貴方の心中は察するに余りある……だが、家族はまだ生きている、どうか考え直して貰えないか……巫女様の兄上であれば、最大限の待遇を約束する………旧時代の遺物が有れば君のその顔も』
「…黙れ……司祭の首を寄越せ!」
だがピンチベックの目には明らかに動揺があった。ミストハンドは冷や汗を流しながらも慎重に交渉を続ける。どうにか巫女様を納得させる必要があるのだ。
『……そう簡単に行かないのは分かっている。貴方に無念を引き摺れと言うのは余りに酷な話だ………だが覚えていて欲しい、私は君の顔を治せる……寧ろ周りよりずっと美しく出来るだろう。これだけは約束する……』
「…殺さないのか……」
『…あぁ、実を言うと、貴方を殺せとは言われていないのだ。クラリドン、あれは貴方が殺したのだろう。恐らくは彼女が仕組んだ事だ、それにもし協力してくれるなら、彼女の背後にいる人物についても教える。』
ミストハンドの身体を槍が貫いた……だが、ミストハンドは直ぐに消滅したのだ!おぉ、何という事か!目の前のミストハンドは替え玉だ!直ぐに新しいミストハンドが現れる!
『悪い、邪魔が入った……チッ、あの毒虫、死んでも厄介な奴だ……』
そしてミストハンドは再び消滅!霧の奥から悍ましい叫び声が聞こえる!そして直ぐにミストハンドが出現!水魔法と幻術の画期的な合わせ技だ!そしてミストハンドがグレイスピアの首を持って再出現すると……
『…な……逃げられた…!?』
ピンチベックの姿が無い!気配を探るが、彼には発信機がついていない!一体何処に隠れた?ミストハンドは辺りを見回すが、影すら見つからない!ギフトブレイズの毒で跡形もなく溶けたとでも言うのか!?
『ど、何処だ!?彼に走って逃げ出すような余力はもう…これは一体……』
次の瞬間、激しい稲妻が走り、霧に包まれた空を凄まじい勢いで黒い影が移動!そう、”上”だ!紫色の軌跡が上空に浮かび上がる!しかし時既に遅し!黒い影もあっという間に消える!
〜上空〜
『…何が言いたいか、分かるよね……』
「……だが邪魔者が一人消えた。それも君のお陰だと言ってしまえば、かなり情けないな、私は。」
何と、ピンチベックの手には、クラリドンの首を包んだ防水布が!二人の冒険者の武器には予めクリスタル粉末が塗られており、範囲こそ狭いが生命反応を感知出来るようになっていたのだ。懐から素早く発煙筒を取り出し、勢いよく投擲する。適当に暴れた後は大物の出陣を見計らって逃げるよう指示はしてあるが、撹乱目的も兼ねているのだ。
『…まぁ君の作戦は評価するけどさぁ……もっと自分を大事にした方がいいよ…』
「……悪いが、よく分からない。」
『……それって…』
「…余りにも人の悪意に触れすぎた…君のような人間が居る事も知ってはいるが……私には自分よりも優先すべき人が居る。」
『…やっぱり君は……最初に会った時から何も変わってない…良い意味でね。』
「……何が言いたい?私が善人と言うなら、それは間違いだ。私は多くの命を踏み躙り、山と犠牲を積んだ…今まで何人の子供を孤児院に送って来たか分からん。」
ピンチベックはガントレットの下の腕帯を空中で器用に整備しながら話す。いつの間にか丁寧に包まれた生首を金具を使い腰に下げている。
「敵が武術使いだったのは僥倖だ……ほら、私の血が垂れるだろう?」
余りに手慣れていた。口元の血を拭い、小瓶から犬避けの香油を取り出し、布に染み込ませて身体を拭く。こんな事を、彼は一体何年、何百回繰り返しているのだろうか?訊こうとしたが、彼の目を見てやめた。恐ろしい程の悔恨と悲観の痕跡が、その瞳に込められていた。
『……首だけでどうする訳……敵に送りつけるとか?』
「…適当に隠蔽されて終わりだ……だから聞く。そして市井の代表としてその事実を公表する。一つ策があるが……まぁそこからは私の範疇だ。」
『…………』
「……私がどういう人間か、分かっているな?今更止めてくれるなよ。」
『……所謂、必要悪って事か…個人的には、立派な事だと思うけど。』
「…君が役に立たんと言うのではない。だが君は…まだ真っ当な道を歩める筈だ。」
『……でも君は僕より余程真っ直ぐだ…何か欲しい者とかない?あ、そろそろ着陸するから!じっとしててね…』
「投げ落としても構わん…ここからなら自力で着陸出来る。あんな速度で飛翔しては君も疲れる筈、無理はするなよ?」
『ちょっと付け根に乳酸が溜まってる感じだけど……僕は』
それを聞いた途端、ピンチベックはペラドンナを振り払い、ハヤブサめいた急降下姿勢で森の中心へ突っ込む!
『ちょっと!?さっきまであんなGが掛かってた状態でそんな無茶は!』
「家数軒分の高さが何するものか。城の天守から飛び降りた事もある……どの道、この辺りで分かれた方が良かろう。抜かるなよ、二つ先の集落で合流だ!」
『わ、分かった!無理は禁物だからね!』
「…善処しよう。」
ピンチベックは空中で素早く墨染めの布を取り出し、パラシュートめいた型に広げる!金具を握り音もなく着地!ぐらついた歯を素手で引き抜き、懐に仕舞いながらダガーを構える!そして着地と同時に……憲兵の肩口にダガーを突き刺し、もう一本を投擲!憲兵の喉に命中、即死した。
『なッ…!?』
『敵襲!敵襲!』
「さて、もう一働き行こうか。同志よ、気骨を見せて貰おう……」
『チッ……冒険者、ピンチベックとか言う奴か…魔法すら使えないような奴が粋がりやがって……』
「では魔法を見せて頂こう。確か貴様は……グリーンパルスだったか。貴様、歯は健康か?内臓も幾つか貰えると有難い。」
第50幕 完