夜中なのに騒がしい。なんでも、歓楽街の方で火事があったとかで、消防団が出動している。火元はあの王国傘下の冒険者ギルドの酒場らしい。正直、良い気味だ。しかし、ストゥーピストについていかなければ、火事に巻き込まれていたかも知れない。また彼に借りが出来てしまったな…
『深夜だというのに、迷惑な話ですね。』
「… カラドリウス様、まだいらしたのですか。」
『何だか、眉間の皺が少し薄くなられた気がします。』
「…私の爛れた顔を、醜いとは思わないのですか?」
『もっと近くで見せて頂けますか?』
「はい…」
少女が私の顔を覗き込む。ここまで人と顔を近づけたのは初めてだ。
『珍しくはありますが、醜くはありませんよ。…目が…綺麗ですね。金色の線が入っていて、工芸品みたい。』
「…私の目に、金の線が?」
急いで鏡を見る。確かに、金色の線が入っている。前は、錆びたような色の、光の無い目だったはずだが。最も、ここ1年は鏡など見ていないが。見るのは苦痛でしかなかった。
『最近、うなされなくなりましたね。昼間からの外出も増えましたし。好きな人でもいるんですか?』
「誰かのお陰で、書庫の本をみんな読んでしまえる程の時間があるだけですよ。」
『まぁ!初めて貴方に嫌味を言われてしまいました。』
「も、申し訳ありません!」
『ふふっ、構いませんよ。罰として、休暇を少し短くしましょうか。』
それが、任務への復帰を意味している事は、誰の目にも明らかだった。
今日はもう遅いのもあったが、いつもより早く眠りについた。
『あら?また喧嘩したの?誰が馬鹿にしたのか知らないけど、あんたは不細工な分、目が綺麗なんだから、それを自慢してやりなさい!』
「…うん!分かったよ、母さん!」
『今日は、あんたの好きなクラムチャウダーよ!』
いつもの悪夢では無い、幸せな、暖かい家族の夢。変わる前の、底抜けに明るい母親。夢だと知りながら、私は起きようとはしなかった。体が暖かい。まるで、母の手料理のように…
異変を感じた。熱い。これは夢では無かった。
私は飛び起き、カラドリウス様の下へ向かう。
炎だ。屋敷が炎に包まれている!
『やっと来たか、遅ェぞ。この昆虫のガキ、殺されたくなきゃ、どうするか、分かってんな?』
アーソニスト。私に殺されたはずじゃ?
彼女を助けなければ。
『お願い、逃げて…』
「……頼む、私はどうなってもいい、だから頼む、彼女だけは…彼女に罪は無い。」
『…何で!』
アーソニストが火炎放射器を私に向ける。後を任せる事になって済まない、他の護民官達。しかし、これで良かった。もう、終わるべきなのだ。母さん、シスター、生まれ変わったらまた一緒に暮らしたい。
アーソニストの顔面を思い切り殴りつける。今までの私なら、彼女を犠牲にして、不意打ちで仕留めただろう。確実に人類種を葬る為に。だが、今は違う。彼女を守る。まるで10年前から決まっていたかのように、迷いは消え失せた。
「私はどうなってもいいさ。だが、最高議長は、自治領は不滅だ!」
私は拳を構えて、呼吸を整える。時間を稼がなければ。二分持ち堪えればいい所だろう。それ程までに、アーソニストの殺気は凄まじいものだった。いつの間にか、カラドリウス様は窓から逃げ出したようだ。全く、神出鬼没な方だな。
『ふざけた真似しやがって!灰になれよ!』
右腕の火炎放射器による、無慈悲な攻撃!防具無しで食らえば、全身が一瞬で炭化するだろう!先端の魔石から魔力を帯びた火炎が、ピンチベックに向かって放たれる!彼は先の敗北で腕を失い、代わりに杖を改造し、魔力を込める事で火炎攻撃を放つ、決して暴発しない画期的な火炎放射器に換装しているのだ!
「コヒュッ!コヒュッ!」
辛うじて回避に成功するも、赤熱する着弾点が、その威力を物語る。敵はガスマスクを装着している。激しい炎の中ではピンチベックは明らかに不利だ!しかし屋敷は所々が焼け落ち、炎の範囲攻撃の中、脱出は困難!何度も回避を繰り返すが…
「コヒュッ!ゼェーッ!」
酸素が薄くなり、意識が朦朧とする。修道院が襲われたあの日、彼の人生最悪の日、最愛の人を喪った日。思い出す。彼女はもっと苦しかっただろう。まだ、自分は生きている。苦し紛れに近くにある袋や瓶を勢いよく敵に投げつける。もう終わりだ。体が焼ける。視界がぼやける。走馬灯の類だろうか。修道院でよく嗅いだ匂いがする…皆の顔が脳裏に浮かぶ。
『クソッ!クソッ!クソッ!小癪な真似しやがる!だが、ふざけた抵抗も終わりだ!死ねエェェェェェエ!!』
左腕の仕込み刀で投擲物を両断し、アーソニストは憎き両腕の仇に向かって、渾身の火炎放射!瀕死のピンチベックに炎が襲いかかる!
『ゴォォォオオオォオ!』
長かった。ついに殺したんだ。あのお方に報いる事が出来る。アーソニストは勝利を噛み締める。
数秒後、自分の周囲が吹き飛ばされるまでの話だが。
バァアアアアアン!
『何ーッ!?』
しかし、待って欲しい。アーソニストの火炎放射器は、初戦での文字通り手痛い敗北を経て設計された、杖を改造して魔石と酸素の噴射機構を取り付けたものである。幾ら炎の中とはいえ、暴発などするものだろうか?
否!ではこの爆発は何か?そう、賢い読者の方々ならすぐに理解した方もいたはずだ。これは、紛れもない粉塵爆発である!ピンチベックの投げつけた袋には小麦粉が、瓶には消毒用エタノールが入っていたのである!皮肉にも、両断された事で周囲に小麦粉が、足元にエタノールが拡散された!
実験番組や映画、アニメーション作品で目にした方も多いだろうが、実際、近年に至るまで各地の製粉所や鉱山で数百人の死者を出している、凶悪な科学現象だ!通常、粉塵爆発は充分な酸素がないと発生しないが、酸素の噴射機構が仇となり、再びアーソニストは自分の首を絞める結果になったのだ!
『ガハッ!そんな…なぜ爆発が…!』
「私の悪運も、捨てたものでは無いようだ…」
幸い、ピンチベックは少しでも時間稼ぎをと、回避の際、遮蔽物の多い入り組んだ箇所に飛び、人並み外れた生命力も手伝って重傷ではあるが五体満足で命を繋いだのだ!
アーソニストは爆心地そのものだった為、命こそあれど、頼みの綱である火炎放射器と仕込み刀は破壊され、右足は炭化し、燃料か何かが誘爆したのか、左足は根本から吹き飛んでいる。致命傷なのは火を見るよりも明らかだ。
『あ…うぁ….』
「ゲホッ!…どうやら、勝負あったようだな…」
ふらつきながら、ピンチベックが言い放つ。だが、アーソニストはまだ諦めていない。
『だが、負けるのはお前だ!』
アーソニストは体に火を纏い、残った右足で跳躍し、ピンチベックに突撃する!パイロキネシスによる最期の自爆攻撃だ!
「しまった!」
不意を突き、次こそ勝利を確信するアーソニスト。しかし、彼が最期に見たのは、火だるまになる宿敵ではなく、目を鈍い金色に輝かせる、骨ばった異形の怪物だった。次の瞬間、残った右足は引きちぎられ、首を食い切られてアーソニストは絶命した。断末魔すら上げずに、絶望感に打ちひしがれた表情を浮かべる首級、その目から光が消えていく。
「かような念力遊びで、我を仕留められると本気で思うたか!全く反吐が出るわ!お主もそうであろう?」
「あぁ…そのようだな。」
第7幕: 完
はい、ピンチベック君、初めての主人公補正ですね。バトル物のお決まり、粉塵爆発。一回やってみたかったんだよねー。それでは、また次回、お会いしましょう!