黒い布に包まれた遺体が黒曜石の祭壇に置かれると、祭壇の真下の炉から煙が立ち上り、激しいカロリー消費による肉体の腐敗と覚醒時の暴走を防ぐ為に塗られたコカトリスの毒を定着させた。遺体の両目がゆっくりと開く……ここから精神に入り込むのだ。
『分かっているな……この青年の強靭な精神力を塗り潰す程の狂気……単なるトラウマの治療とは訳が違う。』
「必ず、君を助けて戻って来るからね……」
ペラドンナは祭壇に安置された遺体の上に乗り、彼の瞳を覗き込み……彼の精神に滑り込んだ。
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『お医者様の診断だと、男の子ですって!』
『そうか……家業を継いでくれると嬉しいのだけど。』
何処にでも居る、仲睦まじい夫婦の光景。母親は出産を控えており、父親の焦りと期待が見て取れる。
『きっと、貴方に似て優しい子よね!』
『いやいや、君に似て賢い子だよ!』
この若い夫婦の幸せは、きっと長くは続かないだろう。
『頑張れ……二人とも……!』
『くっ、順調よ……もう直ぐだわ!』
『ンギャアアァ……ンギャアアア……!』
『貴方、どっちに似てるの!?』
『あ……あぁ………』
『うわあぁぁぁぁ!ば、化け物め………!』
『嘘でしょ……嫌ぁぁ………!』
『ンギャアアァ……ギャアァ!』
その産声は、まるで産まれて来た事を嘆いているようだった。死人のように痩せ細ったその赤ん坊の顔の右半分は生まれつき爛れ、産まれたばかりだと言うのに長い爪が全て生え揃っていたのだ。灰色に近い肌も人間離れしていたし、両親に似た所と言えば、母親譲りの金色の目くらいであった。
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『オラッ!化け物が喋るなんて生意気だぞ!』
少年は囲まれてひたすら殴られていた。虚な目をして、ずっと耐えていた。
「…………私が憎いか?なら殺せよ……そんな勇気もないからこんな下らない事しか出来ないのだろう?」
大した事ないね、と言った感じの乾いた返事。そんな態度が残酷な子供心に火をつけてしまった。ボディブローが少年の内臓を抉る。
「かっ………図星だったか……」
少年は顔色一つ変えない。痛みも、苦しみも、悲しみも摩耗していた。
『こいつ……まだ強がるか!さっさと逃げれば良いものを……!』
ローキックを受けた右脚から鈍い水音が鳴る。骨にヒビが入ったのだろう……これで自分は死ぬだろうか?客観的かつ冷静な視点であった。
『……い、いっぺん殺してしまえ。後で何とでも誤魔化せる!』
取り巻きが叫んだ後、子供達のリーダー格と思われる大柄な少年がナイフを抜く。やらなければ自分がターゲットにされるかも知れない……例えどんなカリスマがあろうとも、掟を破れば制裁のリスクが付き纏う。
「君達、やめ…」
ペラドンナが一歩踏み出したその時、先に動いた者がいた。
『コシューッ!』
一瞬でリーダー格に接近し、素早い回し蹴りを脇腹に叩き込む!
『ウッ!』
まさに早業であった…リーダーは叫ぶ事すら出来ずに、痛みで地面に這いつくばったのだ!
『な、何だお前!』
取り巻きでも特に腕に自身がある肥満体の少年が叫ぶ。だが少女は臆する事無く反論した。
『見た目が違うから迫害するのですか?ならば、貴方達とは違って私は女ですから思う存分殴れば良いではありませんか。』
『こ、このッ!』
焦りから痩せ型の少年がバットを持ち上げて殴り掛かる!しかし少女は
最低限の動きで胴体を傾けて回避!振り向く事すら無く裏拳を叩き込む!
『んがぁっ!?』
痩せ型の少年は大量の鼻血を出して悶えた。
『どうしました?彼をあんな目に遭わせておいて、今更手加減ですか?』
『くそっ!邪魔するんじゃねぇ!』
肥満体の少年が張り手を繰り出す!少女は腕を掴み、押し返すと逆方向に捻った!
『痛たたたた………』
怯んだ隙を見て少年の腕を引き寄せ、股間に膝蹴り!肥満体は泡を吹いて悶絶!敵を蹴散らした少年は素早く怪我人に駆け寄る。
『大丈夫ですか!』
だが彼女の慈悲が仇になったか、リーダー格は少年にしては屈強な体格の持ち主であり、何とか起き上がったのだ。少女はまだ気付いておらず、危険な状況だ!
『クソが!嵌めやがったな!』
怒りを込めたフルスイング!彼女の後頭部を捉えた!
『危ない!』
だが少年は危機を素早く察し、既に駆け出していた!腕の力は弱いが、脚力を活かしたタックルなら!
『うあぁっ!?』
大きくバランスを崩すリーダー格!この隙は勝敗を決定付けるにはあまりにも大きい。無防備状態の下半身を掬い上げ、転ばせる事に成功した!
「私!以外に!手を!出すんじゃ!ない!」
更に下腹部へストンピング!脱力した所を馬乗りになって顔面に何度も正拳突き!ダメ押しで首筋に爪を突き立てて強く締め付ける!
『が……う……あぁぁぁ………!』
ギチギチと不気味な音が鳴り、たちまちリーダー格の顔が土気色に変わる!
「……よくも俺以外の人間を……殺してやる!」
憎悪を込めて更に腹部に膝を食い込ませる!
「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!殺してやるぞぉぉ!」
脳裏に浮かんだのは自分を庇って父に殴られる母……どうしても許せなかったのだ。拳を振り上げて顔面に叩きつける!
『そこまで!』
少女がその手を掴む。
「何故止める!」
『怒るのは当然です!しかし……こんな事を目の前でさせる訳には行きません……』
少女は少年を抱きしめて顔の傷口をハンカチで拭った。
「や、やめ……」
怒りに満ちた苦悶の表情から包帯が剥がれ落ち、爛れた右顔が顕になる。少年の青白い顔が更に白くなった。
「見るな!見ないでくれ!」
だが少女は見た目より年上だったし、何よりこのまま家に帰す訳には行かなかった……
「離してくれ!」
『せめて血を拭わせてください……痛かったでしょう………!』
だが彼女は少年を離さない。夥しい量の血が服を汚し、地面を濡らす……
「……確かに少し痛いが、この程度慣れている……ありがとう。」
少年は足を引き摺りながら立ち去ろうとするが……
『待ちなさい!』
小さな火球が少年の目の前で爆ぜる。少女が放った魔法だ。
「……ありがとう、もう良いんだ……嬉しかった。」
少女は少年に飛び掛かり、無理矢理押さえつけた。
「……………何だ?もう用は済んだぞ。」
『何が良いのですか……普通の少年は、目の前に火球が落ちたら声を上げて怯える筈です……火傷では済まないのだから。それを貴方はまるで小石みたいに…………子供が耐えられるような苦しみではありません。そんな人間を放っておける程私は大人ではありませんので攫ってでも手当てします。』
「…………そうか、”教えてくれて”ありがとう……もう痛みを声に出す事も忘れていたか。」
『ほら、背負いますよ。私の方が大人なんですから!』
「……血が………」
『大丈夫です、自分の心配をしなさい……』
「肩を貸してくれれば………大丈夫だ…………うっ!」
彼の意識はそこで暗くなった。ペラドンナは更に記憶を辿っていく……
より印象的な記憶を探る為、血管めいた通路を歩くのだ。読み終わった記憶から一歩踏み出すと……凄まじい悲鳴がペラドンナの脳内を駆け巡る!
「ぐぅうぅうぅぅ……あぁあああっ!!」
精神世界で身体は傷つかないが、全身に殴られるような痛みが走り、内臓のような血生臭い”味”がする。
「…………今まで………頑張ったんだね…………凄く…………」
彼はそれでも足を止めなかった。
「………あぁ…………見えて来たよ……甘い夢だ……………」
涙と涎を拭いながら、次の記憶に向かう。あまりにも摩耗し、破壊された精神世界は腐敗した肉片が散らばり、時折胎児の呻き声のような不気味な音が常に響いている。常人の精神なら一つ記憶を辿れば中枢に侵入出来るが、ここまで崩壊しかかっている精神世界なら、中枢までに複数の夢を経由する必要があるだろう……一筋縄では行かない事は理解していたが、ここまでとは。
だがこの夢は、今までとは味が違ったのだ。
……………………………………………………………
『取り敢えず止血はしましたが……無理はしない事です。暫くこの庵で寝泊まりしても良いのですよ?』
「………くっ…………うぅ………!」
『まだ痛むでしょう……楽にしていなさい、今食事を準備します。』
「………うぅっ!うぐっ………」
『骨までダメージが響いています。座らずに横になって下さい……』
「違う………」
『え……まさか内臓までやられたのですか!?』
「……こんなに他人から優しくされた事初めてで…………なんとお礼すれば良いか……」
『…貴方を虐げた者が愚かだったまでです……貴方の咎ではない。見返りを求めるつもりもありません。』
少年は暫く考えた後、ある決断をした。
〜数日後〜
「………俺に戦い方を教えて下さい!何でもします!」
少年の身体はひどい痣と傷口とで埋め尽くされており、彼がおよそ人間らしい扱いを受けていない事は明白であった。
「少ないですが……お金も用意しました」
少年は懐から金貨を数枚取り出し、丁寧に並べた。如何なる手段を使って集めたのかは分からないが、10歳の少年には大金だった筈だ。
『……………何処から準備した、これを……』
「…………」
『…………何処から持って来たと聞いている!』
「………………うぅっ………」
『…まぁ良いでしょう……後悔しませんか?』
「……………………ッ!」
『…………あっ、目に虫が入ってしまった……貴方が何を差し出したか、良く見えません……貴方にぶつかってしまうかも知れません、離れて貰えますか?』
「……はい……!」
少年は走り出し、それを見て少女は静かに笑った……苦難の元に生まれた呪われ者でも、生まれ持った善性を捨ててはいない……せめて理不尽に争う力を、長い放浪の旅で鍛えた技を、出来る限り教えよう…彼女はそう誓ったのだ。
「…………………………」
だがペラドンナの表情は暗い……この後、どうなるかを知っているからだ……秘匿された恩人の過去を暴き、破滅を目撃する。彼はきっと自分を憎むだろう。それ以前に過酷な追体験や悪夢の異常摂取で廃人に成り下がる可能性すらある。
それでも後悔だけはしたくなかった。殺人衝動と全能感が齎す狂気と本来持って生まれた人間性の狭間で苦悩しながらも自分に手を差し伸べた彼のように、自分を曲げたくなかった。
「……もしもの時は、一緒に狂ってあげるからね………だから……」
英雄を追う者は、更なる地獄に足を踏み入れた。
それは羨望の対象に近づく為の鞭打ち苦行者めいた愚行であっただろうか。
それとも、友を想う純粋な愛情だっただろうか。
最早自分にも判らなかった。だが、固い決意だけは本物だ。自身が既に狂っている事も知らず、ペラドンナは肉片と腐臭、悲鳴が飛び交う人中の地獄を只進む。
……一方、その頃………………………………………
『身の安全は保証する……頑張ってくれ。』
グレイエッジは剣を構える……実験体と言うからには戦闘用の新型ホムンクルス辺りだろう。少なくともあの男よりは弱い筈だ。
『よし……放て!』
金属製ハッチが展開し、小さな人影が現れた。人型のホムンクルスのようだが、かなり出来が良い。
『…………始めろ………』
『しかし……まだ早過ぎるのでは……?』
『一理あるが……とにかく今は戦闘経験を積ませる……御告げには従うべきだ。シミュレーターは優秀だが、一例だけでは信憑性が低い……良い機会だ。』
小さな人影はゆっくりとグレイエッジの方を向き、魔力を周囲に拡散させる。外見はローブを纏った少年そのものだ。これから戦闘だというのに、大きな鼠を掌に載せて遊んでいる……
『……待った……こりゃあ……子供じゃないか。』
『まぁ見てくれ……油断はするなよ?』
少年はゆっくりと薄い唇を開き、魔法を詠唱した。
『…………ぁ……あぁ……強い輝きよ……生命すら乾き、朽ちる程の光を……ぁあ………!』
『何も……起こらないぞ?』
『……お兄さん………よく見て…………』
よく見ると、ネズミがいない。影魔法か………?少年の足元に、どこからか枯れ葉が舞い落ちた。
『………怖いネズミさん……小さく……なった…………可愛い………』
それは枯れ葉ではなかった。ミイラ化したネズミだ!30センチ程のネズミが、僅か一瞬で指一本に等しい大きさまで縮んでいるのだ!
『……珍しい魔法だな………!食らったら大分辛そうだ……』
『……緊張してるの?お兄さん…………』
『お、おいトランスィレ、これは練習だ!練習の時はどうするんだ?』
『…分かってるよ……殺さない…………遊ぶだけ………』
『そうだ、良く覚えているな……偉いぞ………』
『……よし、行くぜ!』
気を纏った軍刀がトランスィレを襲う!長リーチの攻撃ならば魔法の影響を受けないと見たグレイエッジは刃に気を込めて連続で刺突!光の軌跡を描きながら強力な連撃が襲う!
『クローン兵とは違うな。やはり”天然物”はそれなりにやる……さて、トランスィレはどれだけ戦えるか……仮にも対人戦向けモデルだが…』
『……やっぱりいつも遊んでくれる人達とは違うねぇ……』
トランスィレは蜃気楼めいて身体の輪郭が歪む程のスピードで回避!液体が蒸発するような不気味な動きでグレイエッジの背後に回り込む!
『シュウゥー………捕まえる………』
トランスィレの腕が怪しい瘴気を放つ!種類が多く、応用の幅が広い炎魔術の中でも特別残虐な事で知られる”旱魃”の呪文だ!捕らえられれば全身の養分を抜かれ、常人なら一瞬で仮死状態に追い込まれる強力無比な一撃!
『ぬぉぉぉっ……!』
だがグレイエッジも冒険者、必殺の一撃を隠し持った脇差でガード!トランスィレの掌から血が流れる!彼を殴っていれば腕が両断されていた!しかし彼の魔法は敵を掴むだけで発動するのだ!力をかける必要が無い為、受け止めるのが難しい!
『…これが……刀の感触……シュゥゥ……』
だが何かがおかしい……少し当たっただけとはいえ、攻撃的な気を込めた刃に触れてタダで済む冒険者など存在しない。少なくとも指の一本は吹き飛ぶ筈だ……
『……シュゥゥ……ッ!』
トランスィレの腕から血の蒸気が上がると、軍刀が纏う光が弱まって行く!自傷すら厭わないエネルギー吸収だ!気を吸われ強度が落ちた軍刀を握り潰す。
『馬鹿な』
グレイエッジが反射的に叫んだ瞬間、彼の両腕の関節が外れた。