『…………約束してください。これから先盗みをせず、無益な殺生をせず、手の届く場所に救いを求める者が居るなら、必ず手を差し伸べると。』
「…………私に出来るでしょうか……私のような成り損ないに。」
『……出来ますよ。出来るから頼んでいるのです。』
「………分かりました。ですが、私が道を違えた時は………」
『……仮定など道を縛るのみ……今は素養を磨く時です。貴方はあの時、虐げられた事に対する怒りではなく、他者を傷つけた人間に対する怒りを見せた。怒っている時、人間の本性が最も現れます……故に貴方の善性は否定のしようがないのですよ。』
少女は堅い表情を無理矢理崩して笑って見せた。
「…………分かりました……俺、母さんの為にも頑張ります!」
『……貴方のお母様………詳しく聞いてもよろしいですか……?』
「はい……その、俺がこんな見た目だから親父に嫌われてて。母さん、いつも俺を庇って………だから、いつか親父に勝てるくらい強くなって、母さんを……!」
『………あぁ、ごめんなさい…!』
「………大丈夫です……それに、親父の気持ちも分かりますから。こんな気味悪いのがこの世で一番愛してる人の腹から産まれたなんて、信じたくないですよね………」
少女はそれを否定するべきだと思った。だが出来なかった。あまりにも人間離れした容姿は、それこそ妻の浮気を疑っても仕方ないだろう………産まれながらにして罪を背負っている。しかしながらそれは決して咎める事が出来ないのだ。
『………少なくとも、貴方には幸せになる権利があります……他の人間と同じように、沢山の兄弟や友人に囲まれて、病毒に苦しまずに生きる権利が……その為の力を、今から貴方に教えます。』
少女は少年の痩せ細った手を握り、目を覗き込んだ。白目はなく、暗い宇宙に美しい金色の水晶が浮かんでいた。
〜一時間後〜
『そうですね、まずは貴方の能力を見ましょうか……先の争いを見る限り、それなりにセンスはあるかと。手段は問いません、全力でお願いします。』
「……………分かりました。」
少年の纏う雰囲気が180度変わった!裂けた口から歯を剥き出しにし、獣のような低い姿勢から殴り掛かる!だが少女は少年が繰り出した腕を掴み、背中に回して組み伏せた。
「ぐわっ!」
『中々速いですね……体格の割に力もある。』
だが、これで終わりではなかった。少年の関節が柔軟に曲がり、拘束を脱したのだ!更に掴まれた腕を垂直に引いて振り解く!
『拘束が不十分でしたか……まだまだ私も未熟ですね。』
「………せめて、一発だけでも……!」
『今度はこちらから行きます………コシューッ!』
少女は一瞬で少年の目の前に現れると、首に手刀を叩き込む!完全に捉えた………少年は今度こそ地面に倒れ伏したのだ。そして、倒れ伏した姿勢そのままで少女の脚を掴む!不意を突かれた少女が僅かにバランスを崩す!
「………まだだ……………俺はまだ………!」
『…………なんたる執念………素晴らしい……!』
痛みなど意に介さず、低い姿勢から突き上げるようなタックルで更に追い込み、遂に一歩少女が後ずさる!
「うぉぉッ……!」
『ぐっ!これは手応えが………ありそうですね!』
少女は少年の上半身を掴み、一気に持ち上げて柔らかい床に叩きつけた!同時に少女も軽くうずくまり悶える!少年は一瞬で負けを察し、最後に全力で脇腹に肘を撃ち込んでいたのだ!
『むっ………粘りましたね………』
「…………ぐっ……うぅ…………!」
『立てますか?』
「………あぁ………………」
次の瞬間、少年の右フックが少女の顔面を抉った。
「……俺、まだ参ったなんて一言も言ってないですよね?」
『………フッ………えぇ、貴方のような人間、嫌いではありませんよ。』
「………行くぞぉあ!」
『では本気で行きます!我が拳、受けられるものなら受けてみなさい!』
少女の燃えるような目が緑色に輝き……腕に巻いた包帯が発火した!この少女は冒険者なのだ!
「やってやる!」
『食らえ………火砲拳!』
少年が防御の構えから受け流す姿勢に移行した瞬間、彼の身体は5メートル近く吹き飛び、意識が途絶えた。
……………………………………………………………
「……………………負けたか。」
『……!』
少女が少年に駆け寄る。酷く焦燥した様子で、顔色も悪い………恐らく彼は気を失っていたのだろう。
「すみません、ご迷惑を。」
『謝るのは私の方です!』
「騙し討ちまでして、このザマとは………」
『………貴方は最後まで戦意を失わなかった。それに冒険者に本気で殴られて気絶で済むとは……尤も、私は数ヶ月前に覚醒したばかりで、冒険者の中ではそこまで強くはありませんが。』
「…………まだ勝てない。」
『…貴方を守る為にやっていた筈なのに傷つけてしまうとは…………』
「……慣れています……さぁ、続きを。」
『本当に死んでしまいますよ!』
「死ぬ?また蘇生すれば良いでしょう。先月も父親が力加減を間違えて俺の事を殺しました。教会には事故として届け出たと聞いています。」
『……………ッ!』
「………私にもう先なんて無いんですよ……その内、蘇生するのが面倒になって床下で腐っていく運命、ならせめてあのクズから母さんだけでも助けてあげたい。だから……」
『……何で…………』
「あの……」
『………何で子供に、そんな事が出来るのですか………?』
「……私が、人間でないからですよ………例えば虫になら同じ事が出来るでしょう?その程度ですね、私は……」
少年は静かに笑っていた。まるで冗談でも言うように、自分の事を憐れむでもなく、ただ笑いながら淡々と言い放った。その頬を、少女は叩いた。
『黙りなさい………それが冗談のつもりなら、私を怒らせるだけです。仮にも血の繋がった相手に、そんな事が出来るのは鬼だけです……いや、鬼とて自分の子は愛する筈………』
「人から鬼が産まれたら、誰だって嫌になるでしょうが……」
『………貴方が鬼だと、思わない人間が目の前にいます。』
「…………家族から、それも愛した女性からこんな怪物が産まれたら、貴女も同じ事をする筈だ!何故分からない!こんな化け物が家族なら……俺だったら間違いなく母親の腹から出て来た瞬間に殺して川に捨てているぞ!あんたに何が分かるんだ、えぇ!?」
『仮定は無意味ですよ。私は貴方を鬼だとは思っていません……我が弟よ。』
「弟?俺に姉は居ない!こんな出来た姉はなぁ!俺を愛してくれるのは家族だけだ!俺はな、アンタみたいな一時の義理人情で動くような奴が大嫌いなんだよ…………最後まで面倒見るつもりなんて欠片も無い癖に、一方的に善意ぶつけて来て!もういい、時間の無駄だったな…………」
頭を抑え、脚を引き摺りながら庵から出て行こうとする少年を、少女は尚止めた。
『………貴方は鬼なのでしょう?では私も鬼です………』
少女は腕に炎を纏わせる。顔の右半分を焼き焦がし、彼と同じように異形となるつもりだ。一切の躊躇なく、拳を顔に近づけた!少女の美しい髪が焦げる。
『………私は貴方の姉、ならば同じ烙印が、同じ重荷があって然るべきでしょう………?』
少年は咄嗟に少女を突き飛ばす!だが少女の右顔からは煙が上がっていた。
「そんな………駄目だ!」
『………フッ………』
「嘘だ……頼む、嘘だと言ってくれ!謝る、謝るから!」
『……嘘ですよ。』
少女の顔は無事だった………人間離れした早業で、燃え盛る拳と自身の顔との間に超人的な腕力で一瞬の内に剥ぎ取った床板を挟んでいたのだ。
『騙すような真似をした事は謝ります……しかし、このまま貴方に死なれては寝覚めが悪い。ですから傷が治るまでは貴方の側にいます……貴方が望むなら、いつまでも。』
「………一つ、聞かせて欲しい……何故、ここまでして俺のような化け物を助けるのか。何の縁も無いだろう、貴女には。」
『……もう数年前の話です………とある女性が処刑されました。女性は詐欺や脅迫を繰り返す極悪人で、愛人の金の為に何人もの弱者から搾取したのです。その女性には実の子供がいましたが、汚い金で育った上に罪を逃れていました…………』
「………………」
『女性にしか興味が無かった愛人からは見捨てられ、後ろ盾を失った少女は激しい制裁を受けます………自分達が必死にかき集めた金が、犯罪者の子供に相続されたのですから。どんな聖人でも激怒するでしょう?』
「……………………………」
『結局の所、金は全て愛人が持ち逃げしていました。行き場の無い憤りが少女の物を全て奪い、壊し………そして少女は故郷を追放され、遠い異国まで流れ着いたのです。』
「…………………」
『…貴方に比べれば、大した事ないですけどね。生まれつき罪を背負って迫害される運命が決まってるなんて、おかしいですよ……だから、我々にはいつ理不尽な目に遭っても抵抗出来る力が必要なんです。本当は、争いや虐めが起きないのが一番なんですが…………』
「…………………………」
彼は、少女に平伏した。非礼と不信を詫び、清濁併せ呑む器に敬意を示したのだ。父親や他の子供達は分からない……だが、この人なら。
『…………もう家族です、顔を上げなさい。』
「………はい!」
第66幕 : 完