『あの二人がやられた!撤退するぞ………』
『捕まるのはゴメンだ、仕方ない……』
『何という事だ……』
『………ジャック。』
まだ少年と呼べる年齢の兵士が呟いた……出陣の時には強く握りしめたハルバードを取り落とす。
『お前……俺は、お前の為に…………』
『ぐ、あ…お………兄ィ……お兄ちゃん………』
隣にいた大柄な少女も、譫言を繰り返した。
『………助ケ、ル……!』
少女が走り出した。
少年は少しだけそれを眺めていた……少女が向かって行ったのが国境線だという事に気がつくのに、何秒掛かっただろう?
『待てよ…………』
背筋が凍りついた。少年も直ぐに走り出したが、少女は異常に足が速い……全身に移植した人工筋肉と強化神経が、薬物でリミッターの外れた脳が、そして彼女に眠っていたマナ適性が、凄まじいスピードを発揮していた。
『待て、それ以上近づいては……』
少年が叫んだ瞬間、彼の足元に鉄針が突き刺さる!あと一歩踏み出していれば足の指が地面に縫い付けられていただろう!
「…………もう遅い、貴様の弟は我々の手に落ちた。それも今から殺す……貴様も国境線に入ればタダでは済まんぞ。」
仮面の男が鉄針を構え、警告した。
「死にたくはなかろう。家族とて見捨てれば助かるのなら、結局選ぶのは自分よなぁ………?死人に口なし、責める者もいまい。」
『返シ……テ!』
少女が叫ぶ。
「………生きては返さん。我が家族はお前達が地獄に落ちるのを待っている………直接の関係は無いと思うか?だが法律違反は法律違反だ、違法行為は粛清対象なのだよ。何、女子供だからといって要らぬ事はしない………他の罪人と同じように生まれて来た事を後悔して貰おう。」
『外道が……おい、帰るぞ。』
『嫌ダ………ジャック………助ケる……』
「おいおい、最近の子供はペットの躾がなっていないようだな……ちゃんと毎日散歩に連れて行け。」
『ペット、違う……わタシ………アナたと、同ジ。』
「…………何故だ?言ってみろ。」
『貴方モ、私も……家族ガ、大事………だかラ、戦ウ。』
少女の目は悲しい程に澄んでいた。作業用機械のようなサイズの番号が刻まれたガントレットと、頑強な重金属の鎧に包まれたその兵器は、確かに心を宿していた。
「貴様らと同じ事をやっている、と言いたいのか?」
仮面の奥で、彼は目を細めた。彼の舌戦の腕前が有れば、この程度幾らでも言い返せた筈だった……だが、寸前でやめてしまった。
『違ウ………返しテくれたラ、私達ハ帰る、もう喧嘩シない。』
「君の一存で決まるとでも?」
『…私、元気……モう喧嘩すル理由、ナイ。』
「…………そんな訳が無いだろう、私には貴様らと戦争する理由が幾らでもあるぞ。」
『………巫女様、貴方を待ってル。家族ハ、大事……私達、一緒に暮らス。』
「…………………別に貴様の家族がどうなろうが知った事ではない。綺麗事だけで世界が救えると思うなよ……確かに家族は大事だ。仇を討つくらいにはなぁ!」
絞り出すような怒りの声が響き渡る。
「もういい、貴様らの素首にタールを塗って王国の宮殿に晒す事にした…………来い、髪の毛一本残さずこの世から消してやる。」
『……駄目!それじゃあ巫女様が……』
「リディアをこれ以上お前達の道具にさせて堪るか……貴様の事は哀れに思ってやる、死んでくれ。」
ピンチベックの姿がぶれる。一瞬でバンディーアの目の前に現れ、束ねた竹ですら容易に粉砕する威力の蹴りで襲う!バンディーアも即座に腕を交差させて防いだが、その巨体が2メートルも動いた!
『ん……強イ……』
しかしバンディーア無傷!ガントレットが歪んだ程度、戦闘になんら問題はないのだ!仮に、並の冒険者が受ければ筋肉が潰れ、内臓が破裂して即死していたであろう強烈な蹴りも、旧時代の産物である特殊合金、そして何より彼女の強靭な筋肉によってこれ程簡単に防がれてしまうのか!?
『大丈夫、喧嘩しな……うぐっ!グァアアアアアアァアッ!』
バンディーアの反撃だ!パンチを乱打、凄まじい大質量が隕石衝突めいたクレーターを大量に作る!無論、彼女の肉体に掛かる負荷も尋常ではない!自壊すら厭わないゾンビの身体能力をフルに発揮した格闘攻撃だ!その自壊のダメージすらアドレナリンと回復剤の投与で短時間にして回復するのだ!
『アバアァァアァアアアアアーッ!』
絶叫しながら木々を薙ぎ倒し暴走、苦悶の表情でピンチベックに殴り掛かる!一発でもまとも当たれば蘇生不可能なミンチになって即死するだろう!その上全て急所狙いだ!更に大振りの蹴りで機動力を奪いに行く!
「コシュシュシュ………シャアッ!」
毒蛇めいた異様な呼吸音を発しながら身を屈め上段のパンチを躱し、中段の蹴りを横飛びで大きく予測回避!更にローキックまで相殺した!しかし骨まで響くダメージ!しかし何とか押し返す!同時にガントレットを構えて鉤爪を放つ!
『グゥアァァァ!?殺スゥ……虫ケラァァアアァァ!!』
(この気配、我々の真似事か……教団とやらも浅知恵を絞る程度には危険視しているか………やれ小僧………奴を引き裂くのだ!兄の目の前でその娘を殺せ!)
「言われずとも分かっている……あの時の苦痛を貴様に与えてくれる、アイアンクロス!目の前で家族を殺される怒りを、悲しみをなぁ!」
鉤爪が突き刺さったバンディーアの肩に全力で回し蹴り!槌で心臓に杭を穿つが如し渾身の一撃だ!
『グ、グ、グゥ!潰ス………虫ケラァ!』
決して浅くない傷を負ったバンディーアだが、その動きは全く鈍らない!寧ろ怒りを糧に食らっているかのようだ!
(あれはやはり我らの残り滓よ………それでこの強さ、依代は取るに足らんクズだが、それなりに仕上げたな………来るぞ!)
「貴様らが逃した虫が竜になって帰って来た気分はどうだ、メテオリットォ!聞こえるか、この娘は貴様のせいで死ぬぞぉ!」
あの時起きた爆発、そしてネズミを操る冒険者。あの男に向かって告げる………奔流に身を任せ、例え全てを破壊する悪魔と化しても、この贖罪だけは成さねばならぬ!バンディーアの拳に………ダガーを突き刺す!だがその程度でこの暴力の化身が止まる筈もなし、このままでは背後の樹木と鋼の塊に押し潰される!凄まじい爆音と同時に樹木粉砕!ピンチベックは………
「………紛い物が、我に勝てると思うたか…………!」
その目は赤く輝き、バンディーアの拳を押し返し始めたではないか!それどころか、おぉ……力を振り絞り、押し潰されるギリギリで打撃を逸らした!バンディーアは自身の推力に耐えきれずバランスを崩す!
「………死ね、紛い物………虫ケラがぁ!」
左腕が捻れ、古傷から血を吐き出しながら槍めいた形状に変形!更に骨が捲れ上がり螺旋を作り出した!
「これがアブホースの槍だ!クハハハハハハハハ!」
『カ……アぐぅ!?痛い………痛いよぉ…………痛い…お兄ちゃん………あぁあああああああぁ!』
骨の槍が筋肉を削り取り、脊髄を轢き潰して内臓を損壊する!無論、アドレナリン分泌器官も破壊!正気に戻ったバンディーアが泣き叫ぶ!通常ゾンビに痛みはないが、ピンチベックの呪詛で魂を直接削り取られているのだ!
『ジャック!ジャック!助けてぇえ!痛いよぉぉぉぉぉぉぉ!』
「死ね……死ね、もっと苦しんで死ね……まだ死ぬんじゃない、もっと苦しめ!」
『痛い!許してよ!ぎゃあぁぁぁあぁぁぁぁぁ!』
『や、やめろ………やめろ………』
「復讐………復讐!汝、人を捨てよ、慈悲を捨てよォ!クハハハハハハハハハハハハハハ!我は、悪魔なり!」
『やめろおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!』
アイアンクロスが走り出した。雷の刃がそれを迎え撃つ!
『自業自得、因果応報………こういう時こそ、クールになるべきだったね。次は気をつけて………』
ずっと隠れていたのだ。或いは、この男を見つけ出してさえいれば間に合ったのかも知れぬ。槍が、死の螺旋が妹の首に突き刺さろうとしている。
『やめろ、やめてくれ!』
「良くやったペラドンナ……これで、貴様の寄る辺は潰えるのだ!俺のようになぁ!」
ガキィン!
水平になった傭兵のサーベルが槍を阻んだ。
『悪りぃ、だがいい大人は子供のやった事なら拳骨一発で済ませるモンだぜ?』
「おい……お前!何の権利があって俺の………お前!」
『………気持ちは分かるけどよ、実際この娘は敵で、いきなり暴れ出すかも知れない。だが、子供が受ける罰なんだ……せめて国語の勉強させるくらいにしてやれ。』
「………駄目だ。我々に逆らえば死ぬるという事を、必ず奴等の魂に刻みつけてやる。それが私の復讐であり、償いだ。何度も邪魔をしてくれるな、コレは完璧な狂犬だぞ、尋問しても役に立たん。」
『利用価値の問題じゃねぇ………分かるか、子供だぞ!お前は奴等と同じ事をやってるんだ……殺したら、お前と同じ人間が何人も生まれる……それは間違いなく地獄だ。』
ストゥーピストはピンチベックの肩を突き飛ばし、彼を睨んだ。
「なっ、何をする!コイツが逃げてしまうぞ!」
『……わタシ、悪い子……貴方が怒ルの、分かる。巫女様、取られた。そレで皆幸せデモ、貴方、悲しイ。』
バンディーアはピンチベックを見つめながら話した。大きな身体より、更に大きな血溜まりが彼女を飲み込んだ。
『……私で最後ニして、お願イ………』
「これは戦争だ………綺麗事では済ませない……ストゥーピスト、コイツは人殺しの機械で、私を狙って送り込まれたのだぞ。それが、自分を殺せだと?頭に自爆装置でも詰まっているに違いない……」
ピンチベックはストゥーピストにだけ聞こえるよう、冷たく呟いた。
「……人様の土地故、今回は耐えてやる。コイツが暴れたらどう償うか、今のうちに戒名でも考えておくんだな。」
『…………あの娘は、大丈夫だ……そん時は腹でも何でも斬ってやるよ。』
「……結局、殺し損ねたな。」
ピンチベックはあの親子を思い出しながら、禍々しいデミゴルゴアの空を見上げた。
第72幕 完